逃亡海兵のルフィとウタ 短編集   作:Nines star

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逃亡海兵ストロングワールド エピローグ③

 

 

 

 

 見覚えのある風景だった。

 時間というものは何よりも平等な概念だ。どんな時だって流れる早さに変化はない。違うと感じるならばそれはその個人の主観に過ぎないのだから。

 だがそれをわかっていてもなお、その場所の時間はゆっくり流れているように思えた。

 その場所は、彼女にとっても思い出深い場所。

 今や故郷とも言えるその場所の名は──フーシャ村。

 

(……穏やかだね)

 

 肌を撫でる風さえも優しく感じる。

 黒いドレスに血で汚れた正義のコート。そして頭には麦わら帽子。あの戦いを終わらせるために歌った時の格好で彼女──ウタはその場所にいた。

 何故この格好でこの場所にいるのかはわからない。だが不思議と不安はなかった。

 

「……歌声……?」

 

 小さな歌声が聞こえてきた。風に乗ってこちらへと届くその声は穏やかで。

 どこか……懐かしい。

 

「────」

 

 自然と声の元へと足が向いていた。懐かしい風景の中を一人で歩いていく。

 フーシャ村には海軍に入った後も何度か帰ってきたことがある。少しずつ変わる村の様子にその度に驚いていたものだ。

 だが、今ここにあるのは今ではない。かつての、あの日々の風景だ。

 ──彼と出会った、あの頃の。

 

「──やっぱり」

 

 声を頼りに辿り着いたのは、ウタがこの村で最も世話になった人の経営する酒場だった。その入り口近く。そこに座る少女と、その少女の膝に頭を乗せて眠る少年。

 歌声は少女のものだった。その少女はこちらに気付くと歌うことを止め、顔を上げる。

 

「こんにちは、“私”」

 

 その少女はかつての自分であった。幼き日の姿そのままにこちらを見ている。

 口元に浮かんでいるのは小さな笑みだ。

 

「あなたは誰?」

 

 問いかける。すると少女は膝の上で眠る少年の頭を撫でながら言葉を紡いだ。

 

「知ってるでしょ?──私は赤髪海賊団の音楽家、ウタ。“新時代”を作る女よ」

 

 当然のように言う“わたし”。そっか、とウタは頷いた。

 それに対し、相手が問う。

 

「あなたは?」

 

 一瞬だけ答えに迷った。だがすぐに思い直す。

 今の自分は彼の帽子を被り、彼のコートを着ている。ならば答えは一つだ。

 

「私は海軍本部准将、ウタ。平和を届ける女だよ」

 

 その言葉に対し、“わたし”は興味深そうに頷いた。

 

「海軍かぁ……。何があったらそんなことになるの?」

 

 あの頃の自分からしたら当然の疑問だろう。そんなことはそもそも選択肢の中にさえなかったのだから。

 

「何があったんだと思う、“わたし”?」

「──シャンクスに捨てられた、とか?」

 

 幼き少女の表情は小さな笑みを浮かべたままだ。だがその言葉で理解した。

 ──この“わたし”は、確かに“私”だ。

 ただこれは未練と呼ばれるもの。あの日々に対する心残りが形になった存在だ。

 

「図星かな、“私”?」

 

 その言葉に対し、そうだね、と頷く。

 

「……想像もしてなかった」

 

 あの日々がずっと続くと思っていた。いつかルフィも同じ船に乗って、冒険して、世界を見て回って──そんな日々を想像していたのだ。

 少なくともこの頃の自分は、こんな未来を想像さえもしていなかった。

 

「今も向こうで楽しそうにしてるのに」

 

 振り返りながら“わたし”が言う。マキノの酒場の入り口。その向こう側はモヤがかかったように見えない。

 

「相変わらず賑やかな笑い声だね」

 

 目を細め、微笑む“わたし”。だが彼女とは違い、“私”にはその声は聞こえない。

 かつては毎日のように聞いていた声。自分も共に笑っていたあの日々を、今の“私”はもう思い出すことができなくなってしまった。

 

「──“人はまず、声から思い出せなくなっていく”」

 

 えっ、と“わたし”が声を上げた。入り口から視線を外すと、“私”は“わたし”へと向き直る。

 

「全てが黄金によって支配された場所。そこで聞いた言葉なんだけどね。……ねぇ、“わたし”。十年はさ、長いよ」

 

 あまりにも長過ぎると、呟くようにそう言った。

 

「私はシャンクスを憎んだ。赤髪海賊団を憎み続けた。どうして置いていったの、どうして何も言ってくれなかったの、どうして私を──そんなことばかり、考えて」

「……答えはあったの?」

「ないよ。会えてないからね」

 

 十年という月日の間で、彼らの──赤髪海賊団の名前を聞いたことは何度もあった。だが結局、彼らと自分の道が交わることは終ぞなかったのだ。

 この先の未来はわからない。だが少なくともこの十年でそれは成せなかった。

 何故だろう。方法は──あったはずなのに。

 

「会いに行こうとしなかったの?」

「できないよ。ただでさえ私のせいでルフィの夢を諦めさせてここにいるのに。……それに色んな人に迷惑がかかるってわかってて、そんなことはできない」

「ふーん。つまり、逃げたんだ?」

「────」

 

 返す言葉を口にできなかった。だが当たり前だと思う。

 目の前にいる“わたし”は、間違いなく“私”なのだから。

 

「……怖いに決まってるでしょ」

 

 だからこそ、吐き出す。

 ルフィにさえ言えなかった──言えずにいた言葉を。

 

「本当に私を利用するためだったって言われたら。シャンクスの娘であった時間はなんだったの? 理由があったってわかったら。止むを得ない事情があったんだってわかったとしたら。私の十年は何だったの?」

 

 今ここにいる自分。

 ウタという存在、その根幹が崩れてしまう。

 

「私一人ならいい。ただただ私が馬鹿だっただけ。でも、私は。私は──ルフィを巻き込んだ」

 

 眼前、幼き日の姿で眠る彼を見つめながら言葉を紡いだ。

 

「“わたし”は知ってるでしょ? ルフィの夢について」

「“海賊王”でしょ?」

 

 そうだ。彼はシャンクスに憧れていた。いつか彼のような海賊になるとそう誓っていたのだ。

 そんな彼を見て、いつか必ず何か大きなことを成し遂げるのだろうとウタは確信に近い想いを抱いていた。

 だが彼のその“夢”は潰えてしまう。

 ──あの人の未来を、私は奪ったのだ。

 

「私はルフィと一緒にいたい。それだけでいい。それだけでいいの」

 

 けれど。

 あの人は。

 太陽のように笑うあの人は、どうなのだろう。

 

「ルフィの隣に立つために、一緒にいるために私はいつだって必死だった」

 

 目を離せば一瞬で遥か遠くに行ってしまう背中。それを追い続けている毎日だ。

 彼の隣で肩を並べて。

 彼の正面で向かい合って。

 そんなささやかなことさえ、必死だった。

 

「十年だよ?」

 

 もう、それだけの時間が経っている。

 

「私は、ずっとルフィと一緒にいたい。でも私はそれだけの時間を奪ってしまった」

 

 吐き出した本音と共に瞳から一筋の涙が零れ落ちる。

 彼のことを想う気持ちは嘘ではない。

 彼が私を少なからず想ってくれていることも、自惚れではないはずだ。

 けれど、だからこそ。

 

「十年は……長いよ」

 

 ここから先へ踏み込む勇気がない。

 もし、彼に拒絶されてしまったら。

 夢を諦めさせたことを、恨まれていたら。

 

「情けないでしょ? 私はいつも逃げてばかりで」

 

 彼がいなくなってしまったら。

 私にはもう、何も残らない。

 

「……十年で随分変わったね、“私”」

 

 目の前の少女は微笑む。

 

「ルフィはいっつも私の方に寄ってくるの。勝負だー、って。さっきも二人で勝負してたくらい。今は違うの?」

「それは……」

 

 思う。幼き頃の彼はいつもこちらへと話しかけてきて。それを待っている自分がいて。

 そんな日々だった。それが、今は。

 

“なあウタ、これ見ろよ! 凄ぇぞ!”

 

 何かを見つける度に、彼は楽しそうにこちらの名前を呼ぶ。

 

“勝負だウタ! 今日もおれが勝つからな!”

 

 あの頃のように、こちらへ勝負を持ちかける彼がいて。

 

“お前が……置いて行こうとするなよ”

 

 そしてあの時、彼はこちらを抱き締めながらそう言った。

 その言葉の……意味は。

 

「変わってないよ。ううん、少しだけ変わってはいるんだと思う。もうシャンクスと過ごした時間以上に一緒にいるんだもの。変わらないわけがない」

 

 けれど、と。

 微笑む“わたし”は言葉を紡ぐ。

 

「この想いだけは何も変わってない。それは多分、ルフィも一緒だよ」

 

 そんな“わたし”に対し、“私”は苦笑と共に言葉を返す。

 

「そこは断定してくれないんだね」

「だって“わたし”は“私”だもん。ルフィの気持ちはわからないよ。……でもまあ、大丈夫だよきっと。それにさ、一度で諦めるのもらしくないし。いざとなったら、そうね」

 

 そう言って、“あの日”の音楽家は笑う。

 

「わたしは海賊だからね。欲しいものは力ずくで奪うの」

 

 対し、“今”の海兵も笑う。

 

「今の私は海兵だよ? そんな無法なことはできないの」

「じゃあ海賊になればよかったのに」

「そうだね。……でも、残念」

 

 景色の色が変わっていく。この世界も閉じようとしているのだ。

 

「今の私も案外、気に入ってるの」

 

 歩んできた道。それは決して平坦な道ではなかったけれど。

 彼が隣にいてくれて。

 色んな人たちに支えられて。

 そうしてようやく、ここまで来れたから。

 

「なんだ、思ったより楽しそうだね。──じゃあ、いいかな」

 

 呟く言葉と共に、世界が崩れていく。眠るルフィの頭を撫でる“わたし”に対し、最後に言葉を紡いだ。

 

「じゃあね、“わたし”」

「またね、“私”」

 

 世界が閉じていく。

 

 その最中、確かに耳にしたのだ。

 ──穏やかな、子守唄を。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 目を覚ました時には既に深夜だった。ゆっくりと体を起こす。窓から差し込んでくる月明かりをぼんやりと眺める。

 どれぐらい眠っていたのだろう。体が重い。身体中に巻かれた包帯が自分の状態を伝えてくれる。

 

「…………ん」

 

 小さな声が聞こえた。声がした方を見る。

 

「──ルフィ」

 

 やはりというべきか、そこにいたのは幼馴染であった。彼は椅子に座り込んだ状態で眠り込んでいる。

 呑気な表情だ。だが彼がそこにいる意味がわからないほどにここにいる女性──ウタは馬鹿ではない。

 

「……お互い、ボロボロだね」

 

 ルフィの体は包帯塗れだった。自分もそうだが、毎回二人して大きな戦いではボロボロな気がする。

 だがそれでも、今回はその中でも最も過酷な戦いであっただろう。かつての“伝説”を相手に、文字通り何もかもを投げ捨てるような戦い方をしてようやく勝利をもぎ取ったのだから。

 

「ねぇ、ルフィ」

 

 ベッドを降りる。体の感覚が少し鈍っており、思わず倒れそうになるのを堪えた。

 ルフィの元に歩み寄り、しゃがみ込む。膝をつくと彼を見上げるような体勢になった。

 

「ありがとう」

 

 その頬に右手を当てる。

 何度目だろうか、この言葉は。

 一体私は、何度──

 

「────」

 

 ゆっくりとウタは顔を近付ける。ほとんど無意識の行動だった。

 だが、次の瞬間。

 

「…………んん?」

 

 ルフィがゆっくりと目を開けた。

 

「あ──」

 

 その瞬間、ウタは慌てて離れようと体を後ろに引く。

 

 ──鈍い音。

 

 反射的に体を後ろに引いたウタの後頭部が、ベッドの枠に激突したのだ。

 

「────!?」

 

 声も出せずに後頭部を押さえて蹲るウタ。そんなウタを見て目を覚ましたルフィが慌てた様子で側に寄って来る。

 

「大丈夫かウタ!?」

「……だ、大丈夫……」

「ちょっと見せてみろ!」

 

 抱きしめるように体を引き寄せられる。ウタの体がすっぽりとルフィの腕の中に収まった。

 

「……あ……」

 

 思わず、吐息のような声が漏れる。

 彼の身体が自分よりも大きくなったのは、いつからだったのだろう。

 

「んー……大丈夫そうだな」

 

 安心した様子で声を漏らすルフィ。その彼に対し、ウタは言った。

 

「ね、ルフィ。お願いがあるの」

「なんだ?」

「うん。……髪を結んで欲しいの」

 

 ルフィは一度首を傾げたが、いいぞ、と頷く。そして離れた彼の体を名残惜しく思いながらも、ウタは彼へと背を向けた。

 眠っていたウタは髪を解いた状態だ。互いに床へ座り込んだまま、二人きりの病室で二人にとっては当たり前の日常を行う。

 

「ルフィも上手くなったね」

「いつものやつは無理だけどな」

 

 手慣れた手つきで髪を結んでいくルフィ。彼が今やってくれているのは三つ編みだ。

 切欠が何だったかはもう忘れてしまった。ただ二人で街に出る時にルフィがウタの髪を三つ編みにするのが二人の間の日常になっていたのだ。

 最初はぐちゃぐちゃで下手くそだった。でも繰り返すうち、三つ編みだけは上手くなっていったのだ。

 思わずウタの口から笑みが溢れる。

 

「ふふ、なんだろうね」

「あ、こら動くなよ。……どうした?」

「ううん。なんかルフィにこうして髪を結んでもらってると、帰ってきたな、って気がして」

 

 これは互いに海兵であるという立場を休む時にやる一種の儀式だ。準備を終えた後、こうして髪を結んでもらってから外に出る。

 それが当たり前だったからこそ、帰ってきたのだと実感できるのだ。

 

「そうかもな。……よし、できたぞ」

「うん。ばっちり」

 

 三つ編みになった自分の髪に触れながらウタが微笑む。その姿を見てルフィが立ち上がった。

 

「とりあえず誰か呼んでくる」

「あ、ちょっと待って」

 

 言いつつウタは右手を差し出した。その手をルフィが右手で掴むと、そのまま彼女を引っ張り上げる。

 どうして欲しいのかをわざわざ口にする必要はない。それぐらいの時間を共にしてきている。

 

「おっ、と」

「大丈夫か」

 

 立ち上がると共にウタの足元がふらついた。それをルフィが肩を掴んで支える。

 

「ありがとう。……ちょっと寝過ぎたかも」

「もう少し寝てたらどうだ?」

「うーん。ちょっと今は外を見たいんだよね」

 

 言いつつ、右手をもう一度ウタは差し出す。ルフィはそれを見て、彼の左手でその手を握った。

 

「倒れそうになったら支えてね?」

「当たり前だろ」

 

 互いに戦いの傷は癒えていない。故にこそ、この二人は寄り添うように歩き出す。

 深夜の海軍本部。普段であれば深夜であってもそれなりに人が多いのだが、復興作業中でもある今は日中に人員を集中させているためか人の姿がない。

 二人の足音だけが、静かに響く。

 まるでそれは、この世界に二人きりであるかのようだった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 外の風景は二人の知る姿と比べて随分と様変わりしていた。

 戦場となった要塞の正面部分は荒れ果てており、無数のクレーターがある。瓦礫の撤去の途中であるのか、あちこちに小さな山が作られていた。

 人の姿はない。いや、あるにはあるが見張りが数人いる程度だ。

 

「……改めて、凄い戦いだったね」

「こっちも凄かったらしいからなァ」

 

 手を繋いだまま、二人はその光景を眺めていた。戦いには勝利した。だが勝利したからそれで終わりというわけではない。その後始末が待っている。それは今まで二人が関わってきた事件でもそうだった。

 アラバスタの復興は順調ではあるがまだ時間がかる。

 空島も島が一つ消えたのだ。その復興には時間がかかるだろう。

 この二つだけではない。今まで関わった多くの場所でそういった『その後』に関わってきた。

 元に戻る、というのは大変だ。だがここはマリンフォード。海軍の中心だ。そこが正しく屹立していないと、“正義”が揺らぐ。

 

「ま、大丈夫だろ。頼りになる奴はいっぱいいるし」

「そうだね。……私たちも早く傷を治さないと」

「だなー」

 

 笑うルフィに対し、ウタも小さく笑う。あれだけの戦いを経験しておきながら平然と笑えるこの幼馴染は本当にどうなっているのか。

 そして空を見上げたところで。

 

「…………ん? あ、新聞?」

 

 夜だというのに、新聞を届けるカモメ──ニュース・クーが上からこちらに近寄ってきた。そのまま一部、そのカモメは新聞を渡してくる。

 その新聞をウタが受け取ると、ニュース・クーはそのまま飛び去っていった。それを見送り、ウタはルフィと繋いでいた手を離して新聞を広げる。

 

「お、新聞か?」

「うん。多分この間の戦いのこと……だと……」

 

 そこでウタの動きが止まる。その新聞の一面に書かれていたことと、載せられている写真を見てフリーズしたのだ。

 載せられていた一枚の写真には、今や世界中の話題になっている二人の“新時代の英雄”が写し出されていた。それはいい。なんだかんだでこの二人が新聞のトップに載ることは珍しいことではない。

 だから問題はその写真そのものだ。

 

「……あー……」

 

 あのルフィでさえも微妙な声を出すに留まっているというある種異常事態。そこに写っていたのは、シキを撃破したルフィをウタがビリーと共に助けに行った時のものだ。

 それも丁度ルフィに抱き寄せられている時の写真である。この写真の写り方だとまるで抱き合っているかのように見えた。

 そして何より。

 

『“新時代の英雄”、結婚秒読み!?』

 

 そんな見出しがデカデカと表記されていた。

 元々注目度が高い上に常に一緒にいる二人だ。その功績もあって新聞に載ることは多いし、どこかのアホウドリは嬉々としてニュースにする。何度か熱愛報道もあった。

 いつもならあのアホウドリめ、の一言で終わることだ。しかしこの写真の後で起こったことを考えると──

 

「……あう……」

 

 顔が熱くなっているのがわかる。考えないようにしていたのに、あの時のことを思い出してしまった。

 あの感触も、あの時の感情も。

 どちらも鮮明に残っていて。

 

「…………」

 

 チラリと、ウタはルフィへと視線を向けた。彼は麦わら帽子を目深に被り、視線を逸らしている。

 どう思っているのだろう。

 どんなふうに感じているのだろう。

 

「……え……っと……」

 

 あの瞬間を。

 あの、時を。

 私の……想いを。

 

「あ、あのよ」

 

 ルフィが何かを言おうとする。だが彼は視線を何度も彷徨わせると、何かを言おうとして口を閉じるを繰り返す。

 沈黙が流れる。ウタは拳を小さく握った。

 

(勇気を)

 

 踏み出す勇気を。

 祈るように自分へと訴えかける。

 だけど同時に、怖いのだ。

 

 ──そんなことを願う権利があるの?

 

 弱い私がこう言うのだ。

 

 ──ルフィの“夢”を諦めさせておいて。

 

 身勝手だと。愚かだと。

 そんなことを。

 

「…………ッ」

 

 何度も紡ごうとした言葉が、どうしても紡げない。

 こんなにも弱かったのか。

 こんなにも情けなかったのか。

 私は、こんなにも。

 

 

「──月が綺麗だ」

 

 

 聞こえてきたのは、そんな言葉だった。

 思わず弾かれたように顔を上げる。月を見上げる横顔は、とても……格好良くて。

 そこにいたのは、私の大切な人で。

 ──世界で一番、好きな人だった。

 

「わ、私」

 

 絞り出すように言葉を紡いだ。足が震える。

 

 

「し、死んでも……いい、かも」

 

 

 それでも、その言葉を口にした。言い切ることができた。

 かつて読んだことのある本にあったやりとり。ロマンチックだと、そんな風に思ったのだ。

 あの登場人物たちのように、私たちも。

 

「なあ、ウタ」

 

 ……ただ、忘れていた。

 

「そんなこと言うなよ」

 

 相手がルフィだということを。

 

「えっ? な、何が?」

「死んでもいいとかよ。そんなこと言うな」

 

 真剣な表情だった。どこか必死ささえ感じるほどに。

 その表情を見てしまうと、ウタは頷くしかない。

 

「……うん。ごめん」

「ウタに死なれたらおれはどうすりゃいいんだ」

 

 先程までの致命的な空気は見事に霧散していた。はあ、とウタは息を吐く。

 そう、あれは本に書かれたものだった。ルフィが知っているはずがないのだ。彼があの手の本を読むはずがない。

 ルフィは悪くない。敢えて言うなら言葉のチョイスが悪いのだろうが、それは多分偶然だ。

 

「……寝るから連れてって」

「……なんか急にやる気なくなったな」

 

 しょーがないでしょー、とウタは気怠げに言う。いや本当になんだったんだあの葛藤と覚悟は。色んな覚悟を決めたのに。

 ……いや、結局何も言えなかったけど。

 

(あれ? じゃあ私が駄目だったってこと?)

 

 思いつつ、これ以上考えるのはやめた。多分泥沼になる。

 

「しょーがねぇな」

 

 ルフィも息を吐くと、手を取ってくれた。その顔には苦笑が浮かんでいる。

 

「あっ、何その顔?」

「いやなんでもねぇよ」

「何でもないってことはないでしょ」

「本当になんでもねぇよ。……そういや、ウタが一番最後だぞ。他の奴らは皆起きてる」

「え、ホント?」

「おう。それとな、皆昇格だってよ。おれたちはまだ保留らしいんだけどな──」

 

 他愛もない言葉を交わし合う。その日常が今は愛しい。

 部屋の前に着いた。手を離し、ウタはルフィに背を向ける。

 

「じゃあ、また明日。あ、もう今日かな。起きたら──」

 

 言葉は最後まで紡げなかった。

 背後からルフィに抱き締められたのだ。

 

「……ルフィ?」

 

 名を呼んだところで気付く。こちらを抱き締める手が、小さく震えていた。

 

 

「──よかった」

 

 

 彼は、それだけを口にした。

 その言葉に込められていた想いが伝わってきて。

 彼の手を、抱くようにして両手で包む。

 

「うん」

 

 多分、それだけでよかった。

 それだけで全てが伝わると信じた。

 

 月明かりのみが差し込む廊下で。

 二つの影が、一つに重なり。

 囁くように、二つの声が響いている。

 

「……“あの時”の逆だね。あの時はルフィが私を背負ってくれた」

「必死だったんだんぞ」

「うん、ありがとう。……何度も助けられてるね、私」

「お互い様だろ。おれも何度も助けられてる」

 

 互いの表情は見えない。ただ背後から包み込むようにして抱き締めるその腕からは、決して手の内にあるものを手放したくないという気持ちが感じ取れた。

 

「ウタ」

「うん」

「──どこにも行くな。ずっと一緒にいてくれ」

 

 呼吸が止まった。

 それはあの日、ウタが口にした言葉だ。

 あの時、彼は。

 

「当たり前でしょ」

“当たり前だろ”

 

 十年という月日が流れても。

 

「私は、どこにも行かない」

“おれは、どこにも行かねぇ”

 

 決して変わらないものがある。

 

「私はルフィと、ずっと一緒にいる」

“おれはウタと、ずっと一緒にいる”

 

 この想いだけは。

 ずっと、変わらないから。

 

「ね、約束しよう」

 

 幼き頃。こんな未来など想像できなかった頃に一つの約束をした。誓いを立てた。

 その誓いは今も抱いている。誰にも由来を明かさないマークがそれだ。このマークだけは二人だけの秘密である。

 だが、それとは別に。

 今日ここで、新たな約束を。

 

「未来への約束を」

 

 こちらを抱き締める腕、その小指にこちらの小指を合わせる。

 あの時は拳を合わせる約束だった。

 だけど、今度の約束は指切りだ。

 

「…………」

 

 ただ互いに、強く、強く小指に力を込める。

 あの日より随分と大きくなった手で。

 変わらない想いを抱いて。

 言葉は必要なかった。口にする必要などないと信じた。

 十年の時を経て結ばれる、新しい約束。

 それは、たった一つの誓い。

 

 ──ずっと一緒に。

 

 

 

 

 














SW編完結です。多分ここで別のEDが流れます。そのバックには宴会中の一枚絵が流れます。
元々は宴エンドを想定していたんですが、この物語は二人の海兵としての最後の戦いであるということもあってやはり二人で最後は締めてもらいました。

これで二人が結ばれたのか、というとまた難しいところです。一緒にいるということは十年前から変わらない想いではあるので。
この概念で二人が明確にくっつくのは人によって想定が違うと思うのでこういう形になりました。

とりあえず、一旦ここで完結です。ただこの延長線上で事件は書くつもりですし、折角なのでその後についても書きたい欲はあります。
短編についても思いついたら書きます。
なんとかここまでこれました。読んでいただいてありがとうございます。

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