聖地マリージョア。そこはこの世界における“神”──“天竜人”が住まう場所。赤い大陸の上にあるその地には世界最高の権力を持つとされる者たちがいる。
絶対的な存在たる“天竜人”の中でも更に上位。“五老星”と呼ばれる者たちだ。彼らは広々とした部屋の中で言葉を交わし合っている。
「……彼らには何度も頭を悩ませてきたが」
ため息と共にそんなことを口にする一人の視線の先にあるのは新聞だ。そこには白昼堂々“天竜人”を殴り飛ばすという前代未聞の事件を起こした者の写真が載っている。
愛された“英雄”たちであった。だが同時に彼らにとってはとんでもない問題児であったことも確かだ。
何故そうなる──そう言いたくなるようなトラブルを引き寄せたかと思えば、本人たちを起点に問題を起こしまくる。何度頭を抱えることになったかはわからない。それでいてきっちり成果は上げてくるのが性質が悪かった。
世界政府という秩序を守る側として頭を悩ませたのは、英雄的な活躍をする裏で世界政府の恥部とも言える部分を暴くといったことを繰り返していたことだ。東の海での海軍による汚職を暴くことに始まり、最終的には“七武海”の一角さえも崩してしまった。“五老星”は報告を受ける際に皆一度深呼吸するのが通例になっていたほどだ。
「そうだな。……だが、いつの間にか楽しみにしている自分がいたのもまた確かだ」
またか、と言いながら頭を抱えるようになったのが当たり前になったのはいつからだったのだろうか。彼らが海兵として生きていた時間は実は数年程度だ。そう考えると彼らより長く生きる“五老星”にとっても実に濃密な時間であったと言える。
しかしそんな日常は失われた。今は対処をしなければならない存在だ。
「何もせず、人の口の端に上がらぬようになるのであれば捨て置くことも考えたが……」
「これも“D”の意志か」
「それだけではない。娘の方はあの“赤髪”の娘だ」
「悪魔の実のこともある。……よくもここまでたった二人に因果が集ったものだ」
上げ始めればキリがないほどにあの二人は多くのものを抱え込んでいる。本人たちが無自覚であることがより厄介だ。
まるで特異点。全ての因果と業がたった二人に収束しているかのようだ。
「あの事件の日が全てだった。あそこで身柄を抑えることができていれば。……なんとでも、できたのだが」
この世界において“天竜人”は絶対的な存在であると共にルールだ。しかしそれだけで世界が動かないことを“五老星”は知っている。
あの事件が起きた日に二人を捕らえ、その処分をこちらで握ることができていれば。きっとどうにでもできた。それこそこれまでの功績を鑑みて──と、そんな風に落とし所を用意できたのだ。
しかし今となっては最早手遅れ。立ち塞がった海軍本部の中将を退け、追撃部隊から逃げ切った。今や彼らは明確に『逃亡』という選択肢を選んでいる。捨て置くことはできない。
「過ぎたことを悔やんでも仕方がない。……今や彼らは明確に“敵”となりつつある」
ただ逃げているだけであれば良かったのだ。人の記憶など移ろうもの。話題に上がらなければ消えていく。そうしていつしか忘れ去られるならそれで良かったのだ。
だが彼らはその誇りを失っていなかった。追われる身でありながら、一度は市民から裏切られていながら。それでも弱き者たちを救うために戦った。
あの二人の名はそれこそかつてのように人々の口の端に上っている。
──“英雄、健在”。
それは人々の間で徐々に一つの“思想”を形作ろうとしていた。
「早急な対応が必要だ。世界の均衡が崩れる」
あの二人の報道を受け、世界の反応は大きく分けて三つに分かれた。
一つ目。それは純粋に喜ぶ者。“英雄”を信じる者たちだ。おそらく最も数が多く、そして“五老星”が危惧している者たちである。彼らは世界政府ではなく“英雄”に希望を見出しつつあるのだ。それはあまりにも危険な兆候であった。
二つ目。それでもなお糾弾する者たち。そこにはその出生の背景があり、或いは嫉妬や逆恨みと呼ばれる感情もある。純粋な金目的もあるだろう。彼らにとっては“敵”と言える存在かもしれない。
最後の一つ。それは利害を見る者たちだ。感情ではなく利害によって自分の動きを考える。状況に応じて立ち回ることを考える強かな在り方である。
そして一番厄介なのが一つ目だ。
「この件が流れてから数日。既にいくつかの国では騒ぎが起こっていると聞く」
「たった二人にこうも世界が振り回されるか」
二人を旗印とした“革命”の声がいくつかの国や地域で起こっていることは報告に上がっていた。どれも小規模なものであるが、状況次第では更に拡大していくだろう。
それは世界の均衡の逆を行く流れだ。何としても止めなければならない。
「故にこそ決断すべきだ」
一人が告げたその言葉には、他の者たちにもそれぞれの形で同意を示した。対応は早い方がいい。だが手段をどうするか。
「やはり海兵ではどうしても情が出る。ならば『アレ』を使うしかないだろう」
「……機械であれば情もないか」
「問題はどこまでの性能を発揮できるかだが」
相手は衰えたとはいえ元“四皇”を討ち取った今代の“英雄”である。未だ試作品であるあの兵器でどこまでやれるか。
「後は数で押すしかない。……悲しいが、どれほどの強者でも数には勝てないものだ」
反対の意見はない。結局のところたった二人なのだ。数の暴力の前にはどうしようもないだろう。
そうして一つの決定が下された。かつて“英雄”と呼ばれた者たちを討ち取る。それが今、ここで改めて言葉にされた。
世界政府。
この世界において“秩序”を守る力が、“堕ちた英雄”へと襲いかかる。
◇◇◇
ルフィとウタ。その二人が次に目指したのは一度訪れたことのある国であった。いくつかの島が集まることで構成される国であり、お世辞にも豊かとは言えないが温かな国であったと二人は記憶している。
ちなみに二人の元部下がいたあの小さな集落のある島は今目指している国の隣国所属だ。だがかつて二人が過ごした故郷でもあるフーシャ村と同じように片隅の田舎という扱いであり、ある種忘れ去られつつある場所でもあるというとのことだ。
少し懐かしい感じがしたのはそういうことかと納得した二人は住民たちから多くのものを受け取り、再び海を渡っている。そして今目指している国についてだが。
“ご存知だと思うッスけど、気を付けてください。あそこは支部が近いんで”
島を出る際、彼らの元部下である青年はそう忠告してきた。それについては二人もよく覚えている。むしろ一度訪れた理由がそれであったのだ。
その国がいくつもの島が集まって形成されている国であることは先に述べた通りである。その島の中の一つ、最も外側にある無人島に海軍は支部を建てたのだ。その理由はいくつかあるのだが、それは良いだろう。
かつての二人は巡回の途中に遭遇した海賊たちを引き渡すためにその支部を訪れ、手続きと補給の合間にその国を訪れた。最初はただの時間潰しを兼ねた短い休暇であったのだが、最終的にゲリラライブに至ってセンゴクに怒られたのはいい思い出である。
──そう、いい思い出。
今はもう、戻らぬ日々の記憶である。
「顔は隠した方が良いだろうな」
「……そうだね。多分すぐにバレちゃう」
時間は夜。遠くに島の影とそこから発されている光が見え始めたところで二人はそんな風に言葉を交わしていた。海兵時代は自覚が薄かったことではあるが、やはりこの二人の知名度は圧倒的なのだ。
海兵であれ海賊であれ、或いは偉人であれ。有名な者は大勢いる。だがこの場にいる二人はその実際の姿を知る者が非常に多いのだ。広報としての役目を負っていたということもあるし、人前に出る場面が多かったということもある。何より海軍と世界政府自身がこの二人を“象徴”としていたことが一番だろう。
噂が噂を呼び、実際とは違う風体を想像されることは多い。しかしこの二人はその実際の姿が様々な媒体を通じて世界へ届けられている。故にこそ初めて訪れる場所でもすぐに気付かれたし、そしてそういった目で見える実際の姿は人々にとって“希望”でもあったのだ。目に見える“象徴”。この“大海賊時代”においてその存在はどれほどの重さを持っていたか。
──しかし、今やその知名度が二人に大きくのしかかっている。
かつては違った。初めて訪れた場所であっても“麦わら”と“歌姫”とわかれば多くが好意的に接してくれものであったが、今は逆。その知名度故にそこに“大罪人”がいるとすぐに気付かれてしまう。
「できるだけ人にいるところには行きたくないけど……」
ウタが呟く。隠れることの難しさについてはこの短い間でも十二分に理解した。最初の島ではすぐにバレて通報されたし、次に訪れた島では元部下であった青年以外の者もすぐに二人の正体に気付いたのだ。
それは一つの証明であった。この二人がどれだけ世界に愛されていたのか。どれだけの人に知られていたのか。その証明であって。
──同時に、呪いでもあった。
「……仕方ねェよ」
ルフィが呟く。そう、仕方がないのだ。
目指す先も何もわからないこの逃避行。しかしだからこそ情報と食糧を中心とした物資は重要だ。終わりが見えない以上知っておくべきことと持っておくべきものは多いのだから。
いっそのこと、と思わなかったと言えば嘘になる。
人のいない場所、どこかの無人島にでも引きこもって全てを閉ざすという選択肢。何もかもから逃げるのだと。
だが今の二人はそれを選ばなかった。それは苦しい現状であったとしても絶望まではしていないからだろう。
まだ、大丈夫。
どこかでそう思っていたのだ。
「……夜のうちに上陸しよう」
確認するようなその言葉はどちらのものか。
夜の闇の中を行く光を頼りに、しかしいくつもの光の集まる場所からは離れた場所へ。
かつては正面から堂々と訪れた国へ、今度は隠れて上陸する。それが今の二人の立場を何よりも示していた。
◇◇◇
夜のうちに辿り着いた海岸では人の気配はなく、また普段から使われているような形跡もなかった。それを入念に確認し、二人は眠りにつく。
寄り添うようにして眠る二人はしかし、どうしても眠りが浅くなってしまう。周囲を常に警戒しながらの睡眠はどうしても神経を擦り減らしてしまうのだ。
「…………」
目を覚ます。疲労は消えていなかった。頭に鈍い痛みのようなものも感じる。
海軍時代は恵まれていたのだと改めてウタは思った。警戒を解いてはいけない状況は多かったが、しかし二人だけということはなかったから分担ということができたのだ。互いが互いを支え合う──それは海軍という組織だからこその力だろう。
今の二人は頼れる存在というものがない。お互いの存在だけが頼りだ。
「起きたか」
身じろぎをすると、ルフィが囁くようにそう言った。
「うん」
ウタが頷きを返す。そしてしばらくの沈黙。寄り添うようにして二人はただ黙して船の中で時を過ごす。
触れ合う場所を通じて感じる体温だけが、互いの存在を確かめさせてくれた。
「……行こう」
どれぐらいそうしていたのだろうか。呟くようにルフィが言い、立ち上がる。その彼が差し出した手を取り、ウタも立ち上がった。
ローブを羽織り、顔を隠す。互いのそんな姿を確認すると二人は船を降りた。
かつてこの国を訪れた時に行った場所はこの群島の中心よりやや北にあるこの国の首都だ。故に今二人がいるこの島は初めて訪れる。外から見た感じではそれなりに大きな街があった。石造りの家屋が立ち並ぶその街は外から見るとそれなりに繁栄しているようだ。
人が多いということは見つかりやすくなるが、人に紛れることができるということでもある。活気があり人の往来が多いのであればそこに紛れることはできるだろう。
「……ルフィ、確認」
「おう」
街へと向かう途中、そんな言葉を交わす。手を握り、寄り添うようにして歩きながら。
「とりあえず必要なのは水。……ありがたいことにお金は貰ったし」
「助けられたよな」
元部下のいた集落から出る際に食料や水を貰ったが、更にある程度の纏まった金も貰ったのだ。最初は固辞したのだが、『ルフィが倒した海賊の懸賞金も入るのだから』と押し切られた。
実際助かったのだ。お金というのは非常に重要なものだ。特に今の二人はできるだけ問題を起こしたくない立場にあるし、不必要に目立ちたくもない。金で解決できることはそうしたかった。
助けられたと彼らは言っていた。だがそれはこちらもだ。彼らの力を借りることができたから、今こうしてまだ二人は立っている。
「うん。……だから」
その先の言葉を、ウタは紡げなかった。
だから──何だ?
逃げるのか?
生きるのか?
この先をどうするのだ?
(まただ)
何度も何度も考えてしまう。この先の未来はどうなるのだろう。どうすべきなのだろう。そんなことを繰り返して。
かつての戦い。あのメルヴィユでの戦いでウタの“見聞色の覇気”は“未来を視る”領域に至った。しかしそれは数秒先のものであり、これからの二人の 未来を見ることができるようなものではない。更に言えば今の彼女は一度は至ったその領域にもう一度踏み込むことができなくなっている。
自分達を追ってきた海兵、ヴェルゴとの戦闘もそうだった。
訪れた島が海賊に襲われた時もそうだった。
今のウタは戦うことができない。足が竦み、踏み出せなくなる。かつてのように前に出ることができなくなってしまっていた。
何のために戦っていたのか。
何のために歩んできたのか。
何のために──生きていたのか。
もう何も、わからなくなっていて。
「……変だ」
沈んでいく思考はルフィのそんな呟きによって中断された。そしてウタも顔を上げるが、彼女もまた周囲の光景に眉を顰める。
二人がいるのは街の入り口を窺える場所だ。申し訳程度の門があるが開かれており、入ることは難しくない。しかし妙なのはそこではない。
「誰もいない……?」
そう、人の気配がないのである。
夜に灯っていた灯りから察するにそれなりに栄えている街であるはずだ。この国は島が集まって形成されている国であるが、それぞれの島一つ一つも それなりの大きさがある。その大きさからしても島一つに街一つというわけではないだろう。そうであれば街同士での行き交いもあるはずであり、入り口にはそういった交易のための人員がいて然るべきだ。
何 かがあったのだろうか。そう思いながら二人は街へと足を踏み入れる。
「建物は別に荒れてないけど……」
「海賊にやられたってわけじゃなさそうだな」
街の建物に荒れた様子はなく、人がいないという状況以外におかしなところは見受けられない。一部古い建物はあるが異常というようなものではない。
日常の風景でありながら、人のいない街。それがこの街に対して感じた印象であった。
「──声?」
ふと風に乗ってくるそれに二人は気付いた。離れた場所から微かに声が聞こえてくる。
二人は顔を見合わせると頷き合い、周囲を警戒しながら歩き出した。声がしたのは街の中心と思しき場所だ。二人は周囲を警戒しながらその場所へと歩いていく。
……ドクン、と。
一度、ウタの心臓が大きく鳴った。思わずルフィと手を繋いでいる右手とは逆の左手を胸元へと持ってきてしまう。
(何か)
それは“見聞色の覇気”によるものか。
或いは、“本能”と呼ばれるものか。
(この先には)
何が彼女へ囁いたのかはわからない。ただ、一つ。
この先へ進むべきではないと、何かが彼女に告げていた。
「……大勢いるな」
だが、その足は止まらないまま進んでいく。
この逃亡の日々が始まったあの日のように。ウタはルフィに手を引かれるままに進んで。
「──今こそ立ち上がるべきだ!!」
その光景を、目撃した。
辿り着いたのは広い場所。大勢の人間がそこには集まっている。
「日々の暮らしは苦しくなる一方だ! 日々食べるものさえも国は我々から奪っていく!」
おそらく、普段は人々の憩いの場であるのだろう。もしかしたら定期市が開かれているのかもしれない。の広場は正しくこの街の中心であることが窺えた。
街の中心たる広場。更に中央に組み立てられた簡単なお立ち台。その上で言葉を紡いでいるのは一人の中年の男性だった。衣服はくたびれており、その表情にも疲れが見える。
「それは何故だ!? そうだ天上金だ! 加盟国であるための義務だ!」
その男性だけではなかった。その周囲にいる者たちもくたびれた服を着た者ばかりであり、疲れたような表情をしている。
熱意がある言葉は彼らにも熱を宿す。しかし同時に、どうしようもないほどの悲壮感も纏っていた。
「我々から全てを奪おうとする存在!! “天竜人”が全ての元凶だ!!」
紡がれたその言葉に、二人の体が反射的に震えた。
この世界における絶対者、“天竜人”。それはこの二人からその積み上げてきたものを奪った存在である。その存在が持つ権力は絶大であるが好かれているわけではない。しかし声高にその存在を糾弾することは罪となる。
だがそんなことなどお構いなしとでもいうかのように男性は告げる。
「耐えるだけでは何も変わりはしない!! 今こそ立ち上がるのだ!! あの方々のように!!」
宣言するような言葉と共に、男性が手に持ったものを高く掲げた。
それは使い込まれた農具。しかしその先端に何かが括り付けられている。
「あれ、って」
呆然とした声がウタの口から溢れた。ルフィの表情は見えない。
──掲げられていたのは、麦わら帽子。
それは“英雄”の持ち物。
世界のか弱き人々にとって、ヒーローの証であった。
「────」
おそらく無意識なのだろう。ローブの中に隠した麦わら帽子へルフィが手を伸ばした。ウタは彼の表情が見えない。何を思っているのかがわからなかった。
「抗う道もあるのだと!! 彼らが教えてくれたのだから!!」
爆発するような歓声が響き渡った。武器を持っているわけではない。その場に集った者たちは中心にいる男性と同じようにそれぞれの仕事道具を持ち、或いは何も持たずにその場にいる。
だがその熱気は凄まじいものであった。そこにあったのは怒りであり、悲嘆であり。
痛いほどの感情。それをウタは感じてしまう。
(これは、なに)
だがウタの中には困惑しかない。彼らは何を言っているのだ。何をしようとしているのだ。
どうしてあそこに……麦わら帽子が。
「誰?」
その後継に気を取られ過ぎたのか。二人は背後から近付いてきた気配に気付かなかった。
「────ッ」
だが反応は速い。ルフィはすぐさま振り向くとウタの肩を掴み、彼の背後へと庇うようにしてその身を引き寄せた。
しかしその咄嗟の動きのせいでウタのフード外れた。紅白の髪が顕になる。
「あなたは、まさか」
声をかけてきたのは女性であった。くたびれた服を着て、疲れた表情をした女性だ。目の下の隈を見るに決して楽な生活をしているわけではないことがわかる。
慌ててフードを被り直そうとするウタ。しかしその前にその女性が崩れ落ちるように地面に膝をついた。
「嗚呼……天よ……!」
その声には涙が混じっていた。膝をつき、手を合わせ。祈るようにしてその女性は言葉を溢す。
彼女が“神”という言葉を使わなかったのは、その存在こそが彼女たちにとっての“敵”であるが故か。
「我らが救世主様……!!」
何も言えずにいる二人の前で、その女性が首を垂れて手を合わせる。
──それは、まるで。
あの“天竜人”に対して行うような所作で。
ルフィも、ウタも。ただその大切なもののために在っただけだ。この二人に“思想”などなかった。“想い”があっただけだ。譲れないものがあっただけに過ぎなかったのだ。
故にこその“逃亡”だ。世界を変えるだとか、政府を変えるだとか、そんなことは欠片も考えていなかった。互いのことだけで精一杯だったのだから。
だが最早、世界はそれでは許してはくれないのだと。
この国の戦いにおいて。──二人は思い知ることになる。
◇◇◇
「申し訳ありません……!」
ルフィとウタの二人が訪れている国の近くにある海軍基地。そのドックにそんな声が響いた。もう何度目かもわからない言葉である。
頭を下げているのは数人の若い海兵だった。その先には一人の海兵がいる。
「謝るようなことじゃない。……むしろ今までよくついてきてくれた」
「ヴェルゴ中将……! 自分は、自分はッ……!」
「気持ちは痛いほどわかる。……我々は兵士であるが、人間でもあるんだ。恥じることはない」
涙を必死で堪えて言う若き海兵の肩を、その海兵──ヴェルゴが優しく叩く。その海兵だけではなく、頭を下げていた海兵たちが感極まったように呻き声を漏らした。
「すまないがキミたちを送ってやることはできない。だが帰還の手配はしておくので安心して欲しい」
「ッ、申し訳ありません……!」
海兵たちが顔を上げる。その海兵たちは一斉に敬礼をすると、ヴェルゴに向かって心からの言葉を向けた。
「ご武運を!」
それに対し、ヴェルゴもまた敬礼を返す。
「ああ。短い間だったが、キミたちと共に戦えて光栄だった」
そして若い海兵たちが立ち去って行く。それを見送ると、ヴェルゴは近くにいた人物の方へと向き直りながら言葉を紡いだ。
「すまないな。見苦しいところを」
「……いや」
ドックに用意されたソファに座っていたのはスモーカーであった。メルヴィユの功績によって少将の地位に昇格した彼は自身の部隊を率い、活発になった海賊たちへの対処に動いていた。実際に成果も上げており、“白猟のスモーカー”の名は今まで以上に広く知られつつある。
その彼は補給のためにこの支部を訪れていた。そこで偶然にもルフィとウタの追撃任務を遂行中のヴェルゴ率いる部隊とこうして居合わせたのだ。
「あれは部隊から?」
ヴェルゴが見送った海兵たちへと視線を送りつつスモーカーが問う。ああ、と彼の正面のソファに座りながらヴェルゴは頷いた。
「迷いがあるまま戦うと碌なことにならない。……あの記事がトドメだったようだ」
あの記事、というと一つしかない。“英雄、健在”──その見出しと共に世界中へ届けられた情報だ。それは今や海軍の敵となった二人がそれでもなおその在り方を見失っていないことを示していた。
「あの海賊を引き受けたのは我々だ。流石に堪えるだろう」
二人が救った集落で捕らえられた海賊。それを引き取ったのはヴェルゴの部隊だ。つまり彼らは直接目にしたということである。
自分達海軍が間に合わなかったという現実と。
自分達が罪人として追っている者たちが人を救ったという事実。
そしてそこにあの記事である。折れる者が出ても仕方がない。そして実際、三分の一にも上る海兵がこの任務から降りることを希望し、ヴェルゴはそれを受け入れることにした。
「……それで、これからは?」
「海軍……と言うより世界政府か。『アレ』の使用についての指示が出た。ここでその到着を待つ」
ヴェルゴが言う『アレ』とは海軍における新たな戦力だ。一定以上の階級にある者はその存在を知らされており、スモーカーも知っている。
あの二人に対してどこまでの効果があるかは疑問ではあるが、下手な海兵よりも単純な戦力で言えば頼りになる兵器だ。スモーカーは葉巻の煙を吐き出しながら言葉を続ける。
「二人の足取りは?」
「おそらくはそう遠くない場所にいるだろうが……情報を待つしかない」
二人の追撃を任務としているヴェルゴの部隊であるが、相手が小舟であることも考えるとそう距離が離れているとも考え難い。だがやはり二人きりというのが厄介だった。その居所に確信が持てないのである。
故におそらく近辺にいるという場所で探しつつ情報を待つことが基本方針だった。実際最初の接触はそうして補足した結果だ。
「まあこの国もかなりきな臭いことになっているようだ。時間がかかるようならそちらに手を入れてもいい」
加盟国ではあるが、最近は色々と噂を聞く国でもある。政情が不安定なのであれば介入の必要もあるかもしれない。まあそれも上からの指示次第ではあるが。
いずれにせよヴェルゴたちはしばらくここで足止めである。そして彼はスモーカーの方へと視線を向けた。
「キミたちはどうする?」
その問いかけに対し、スモーカーは即答できなかった。普段から眉間に皺を寄せた表情をすることの多い彼だが、この時は普段以上に深い皺が刻まれている。
ヴェルゴも回答を急くようなことはしなかった。そして数分、互いに無言の時間が過ぎる。
何かを言おうとするスモーカー。だがその前にヴェルゴの副官が駆け寄ってきた。
「報告します」
「どうした?」
問いかける。すると敬礼しながらその副官が言葉を続けた。
「CPより連絡がありました。件の二人の姿を確認したと」
スモーカーの眉が跳ねた。対し、ヴェルゴは冷静に頷きを返す。
「進路を考えるとそうなると踏んでいたが……」
「現地民と接触したようです。その、例の件で監視していたところに到着したようで」
「……よくもここまで巻き込まれるものだ」
ポツリと呟くヴェルゴ。その彼に対し副官が問いかける。
「すぐに向かいますか?」
「……いや、『アレ』の到着を待つ。彼らがすぐに出るようなら追うが、そうでないのであればこちらも体勢を整えるべきだ」
ヴェルゴの言葉に承知しました、と副官が応じ走り出す。それを見送ると、やれやれ、とヴェルゴが肩を竦めた。
「人手が足りない時に限ってこうなる」
そして立ち上がろうとする彼に対し、スモーカーが言葉を紡いだ。
「ならそれをおれたちが補おう」
ヴェルゴがスモーカーへと視線を向ける。いいのか、と彼は言葉を紡いだ。
「キミたちにはキミたちの任務があるはずだ」
「目の前に賞金首がいるのなら、見過ごすわけにはいかねェ」
その言葉に未だ迷いがあることにヴェルゴは気付いた。だが本人がこう言うのだ。ならばそれを無碍にしないほうがいいと彼は判断する。
「感謝する。だが先程言ったように少し準備が必要だ。数日内に届くと聞いているが」
「部下には言っておく」
立ち上がるスモーカー。そのまま彼はこの場を立ち去っていく。その背を見送りつつ、ヴェルゴは腕を組んで考え込む。
そして彼は何かを思いついたのか、その場を離れて歩き出す。その彼に対し、近くにいた海兵が声をかけた。
「中将殿。その、今朝は目玉焼きを……?」
「む、そうだが。何故わかった?」
「その、頬に」
言いにくそうにその海兵が指摘する。
……ヴェルゴの頬には、目玉焼きが張り付いていた。
◇◇◇
今や台風の目となった二人の“堕ちた英雄”。多くの勢力がその身柄を狙う中、世界中が動くと確信している勢力がある。
──“革命軍”。
弱者の味方たる彼らは“天竜人”を否定し、そして世界政府をも打ち倒そうとしている者たちだ。その彼らにとってみれば今や世界の中心となりつつある二人の存在は絶対に失えない存在である。
革命軍を率いる男、モンキー・D・ドラゴン。渦中の“麦わらのルフィ”が彼の息子であるということも勿論ある。だがそれ以上にその行動と在り方が革命軍にとっては無視できないのだ。
神たる存在“天竜人”に正面から“否”を叩きつけた。世界を敵に回し、民衆からも糾弾され。それでもなお弱者のために拳を振るった。その在り方は革命軍の理念に正面から合致する。
だが実際のところ、革命軍と彼ら二人はトップとの血縁以外に関係はない。そのトップについても親子としての触れ合いをほとんど経験しておらず、繋がりはないと言ってもいい。何なら海軍という組織に所属していた時代においては敵同士だ。
しかし民衆にとってそんな背景などどうでもいいことだ。二人に対しての民衆の考えは割れている。だが“天竜人”に逆らったという事実だけは揺るぎない真実だ。そんな二人に万が一のことがあった時、革命軍の支持は揺らぐ。“天竜人”に反旗を翻し、自身も苦境にありながら民衆を救った者を見捨てた──その事実だけが残った時、革命軍はその土台から崩れてしまう可能性さえも孕んでいた。
故に何としてもその身柄を確保しなければならない。だが彼らもまた海軍や他の勢力と同じで二人の居場所を特定できていないのが現状だ。故にこれは競争でもある。
そして厄介なのは、彼らはそれだけに注力できるわけではないということだ。“大海賊時代”というこの荒れた時代において彼らを求めるか弱き声は無数にある。それに応えるのもまた大切な役目なのだ。
「しかしサボ。お前がわざわざ動くほどのことなのか」
海を往く船の中、そんなことを言ったのは魚人の男性──ハックだ。腕を組んだ彼の視線の先にはゴーグル付きのシルクハットを被った青年がいる。
左目の辺りに火傷の傷痕を持つその青年の名はサボ。“革命軍総参謀長”という肩書きを持つ、“世界最悪の犯罪者”ドラゴンの右腕だ。
「万が一のためだ。元々注意はしてた国だが……」
新聞を机の上に置き、サボは言う。彼は情に厚い青年であるが、それだけで総参謀長などという立場に立てるわけがない。
冷静に、冷徹に。そういう思考を回すこともできるからこその革命軍No.2である。
「以前は随分と豊かな国であったと聞いているが」
「栄枯盛衰だ。……無限に続く繁栄なんてねェからな」
彼らが向かっているのはとある国だ。いくつもの島が集まって形成される国であり、かつては加盟国の中でも有数の豊かな国であった。しかし十年ほど前から状況が変わり、どんどんその立場と状況が悪くなっていっている。
そんな国のある人物から革命軍へと連絡が来たのだ。連絡を寄越してきたのは王国の兵士、しかも兵を束ねる将軍の地位にある者であった。
「将軍ともなれば王の側近。それが見限るほどに状況は悪いか」
「もしくは罠か」
今向かっている国はすぐ側に海軍支部の基地がある。罠の可能性も十分にあった。
だからこそ精鋭を率い、サボが指揮を執って向かっているのだ。彼が言う『万が一』とはそういうことである。
「それに例の二人についてもだ。素直に進むならこの国に行き着く」
新聞に載った写真を見つめながらサボは言う。ズキリ、と彼の頭に痛みが走った。
「もし接触できたとして素直に応じるか?」
「どうだろうな。どっちも頑固者だ」
息を吐きながら言うサボ。その彼に対し、ハックが怪訝そうな表情を浮かべた。
「まるで知り合いであるかのように言うのだな」
「ん?……いや、会ったことはねェ。ない、はずだ」
サボ自身もハックに言われて気付いた。思わず口から零れ落ちたのだ。
伝え聞く情報ならばある。その人となりも。だが会ったことはない。……ない、はずなのに。
違和感。まるで何かを失くしてしまっているかのような、そんな感覚。
サボはそれを振り払うように首を一度振ると、切り替えるように言葉を紡いだ。
「到着まではまだ数日かかる。あの辺りは海軍の領域だ。警戒は怠らないでくれ」
「わかっている」
頷くと、ハックは部屋を出て行った。それを見送り、サボは再び机の上の新聞へと視線を向ける。
そこに写る二人について、彼は幾度となくその動向についての情報に触れてきた。革命軍は海軍を滅ぼそうとしているわけではないが、ぶつかる相手ではある。そこに在籍する実力者については知っておいた方がいいに決まっている。
だが、何故か。
彼らの名前を聞く度に、何か言葉では言い表せない感覚に襲われるのだ。
それが一体何なのか。わからないまま今日まで来ている。
「……何なんだろうな」
その呟きに対する答えは、どこにもない。
彼自身が気付くまで。それは己の内にあるのだから。
とある一つの国。その盤面に役者が揃いつつある。
誰もが己の目的のために生きているだけだ。そこにそれ以上の意図などない。だがまるで導かれるようにして集う彼らが引き起こすことを、世界はきっとこう呼ぶのだろう。
──“運命”、と。
記憶の戻っていないサボやら救世主と呼ばれてしまった二人やらかつての戦友との望まない邂逅やらと色んな要素を混ぜて大体四話くらいでお話を書く予定です。
様々な事情と思惑がある中でようやく二人は自分たちがやったことの影響を知る。
そんなお話の予定。