逃亡海兵のルフィとウタ 短編集   作:Nines star

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“世界の灯火”③

 

 

 

 実を言うと、ルフィとウタがこの国でやるべきことはない。できることがないというべきだろうか。

 あの“先生”が考えていた計画では二人の名を民衆の背を押すために利用していた。しかしそれだけだ。二人に何かをさせようなどとは考えていなかったし、そもそも二人がこの国を訪れたのは偶然である。何かをさせようなどとは考えてもいなかっただろう。

 そして実際に二人を目の当たりにしても彼は方針を変えなかった。二人に対して何かを求めることもなく、むしろ名を利用した代わりに必要なものを用意するとまで言ったのだ。

 それについては二人も固辞した。この国の状況を考えた時何かをもらうことなどできなかったのだ。

 故に二人はもうこの国を出ても良かった。いやむしろそうするべきなのだろう。ここは海軍基地も近い。いつ二人の存在を追って海軍が現れるかはわからないのだ。

 しかし、二人は残ることを選んだ。“先生”の言う話し合いの場に立ち会うことを望んだのだ。

 

“よろしいのですか?”

 

 その提案をした時、“先生”は非常に驚いていた。考えてもいなかったというような反応であった。

 邪魔をする気はないし、本当にただ立ち会うだけだ。

 意味があるかはわからない。だが見届けたかった。彼の言う、武器を用いない戦い。それを実際にこの目で見たかった。

 

「……なあ、ウタ。覚えてるか」

 

 広場の端。人目に入らないようにしたその場所に座り込んでいたルフィは、隣に座るウタへと声をかけた。広場に人影はない。曰くこの広場はかつては多くの人が行き交い、定期的に開かれる市にとって大いに栄えていたという。

 しかし今や見る影もない。地面に残る跡や広場の隅で雨風に打たれながら放置されている資材がかつての姿の名残として残っているだけだ。

 

「なんのこと?」

 

 首を傾げるウタ。彼女もこの国に来てからずっと思い悩んでいるようであった。おそらく自分と同じ理由なのだろうとルフィは思っている。

 

「モモンガのおっちゃんの船にいた時に行った国だ」

「……忘れるわけない」

 

 モモンガの船で海兵としての基礎を学んだ時、二人はいくつもの国を訪れた。だがこの状況でわざわざ話題にする国など一つしかない。

 その国もまた苦しんでいた国だ。だがそれはアラバスタでクロコダイルがそうであったような、明確な“悪”があってのことではなかった。敵を倒して解決するような話ではなかったのだ。

 それでも当時の二人は助けを求める声に応えたいと思った。だが結局、できたことはほとんどない。

 

“強くなることは必要だ。だが、刃を交えることだけが戦いではない”

 

 思い出すのは、尊敬できる上官であり海兵である人の言葉。

 彼は助けを求める人々のため、“交渉”という手段を持って戦った。そうして一つの国を救ったのである。

 

「モモンガのおっちゃんならどうしただろうな」

 

 あの時、モモンガは言ったのだ。

 

“いずれ同じ戦いをすることになる日は必ず来る”

 

 海兵時代には終ぞ訪れることはなかった。“悪”を倒すことで解決できる戦いばかりだったのだ。それでどうにかなってきたし、彼の言う『いずれ』はずっと先の話だと思っていた。

 しかし、今。二人は明確な敵を倒せば終わるような、そんな単純ではない状況を目の当たりにしている。この国の民は明確な“悪”を倒す戦いをするわけではなく、生きるために今を変えるための戦いをしているのだ。

 そしてこんな状況を見た時、あの先達はどうしただろうか。

 

「あの時みたいに……この国を助けるために戦うと思う」

 

 そんな彼女の言葉に、だろうな、とルフィも呟く。

 きっとそれは刃を持つ戦いではないし、明確な敵を討つ戦いでもない。言葉を用い、信頼を重ね、手探りで話を進めていくという途方もない戦いだ。

そしてそれは今の二人にはその第一歩さえもわからない戦い方でもある。

 

「力になりたいけど」

 

 呟くようなウタの言葉。それはルフィも同じ想いであった。

 自分たちのことでさえも精一杯な現状である。正直、他者のために何かをする余裕などない。だがこの国の者たちと関わってしまった。事情を知ってしまった。故に割り切ることができないでいる。

 しかし、それは仕方のないことだろう。

 ここで割り切ることができるのであれば、彼らはきっと“英雄”になどなっていないのだから。

 だが手段がわからない。故にこうして二人は立ち止まり、座り込んでいるのだから。

 

「あの」

 

 そんな風に二人で俯き、寄り添うようにしていたところへ声がかかった。

 顔を上げる。少し甘い匂いが二人の鼻腔をくすぐった。

 

「その、よろしければ」

 

 そこにいたのは年若い女性であった。その女性の手には小さな包みがあり、立ち上る湯気と共にそこから少し甘い匂いが漂ってきている。

 

「ありがとう、ございます」

 

 二人は礼を言いつつそれを受け取る。いえ、と女性は首を振った。

 

「この街にはもう何もないので。……その、少しでもお礼を」

「お礼って……私たちは何も」

 

 目の前で申し訳なさそうに言う女性に対し、ウタが困惑した様子で言う。そんなことありません、と女性は言葉を紡いだ。

 

「“先生”から聞きました。あなた方の名前を使わせてくださると。……苦しいのに、辛いのに、どうにかしたいのに、それでも私たちは自分の足で立ち上がることさえできません。そんな弱虫の身勝手をあなた方は許してくださった」

 

 自嘲するように──いや、実際に自らを嘲っているのだろう。そんな笑みを女性は浮かべた。そこには諦観があり、絶望があり、そして悲痛がある。

 

「身勝手にあなた方に縋った私たちをあなた方は怒ってもいいはずです。そうするのが普通です。なのに受け入れてくれた。そして……その上で、こうして悩んでくださっている。その優しさが嬉しいんです。そんなもの、私たちには過ぎたものなのに」

 

 ウタは何か言葉を返そうと何度か口を開きかけたが、何も言えなかった。その隣に座っているルフィが手の中の包みを開け、その中身を口にする。

 

「……美味いな」

 

 それは小さな芋であった。ただ焼かれただけのものであったが、味付けなど必要ない甘さと温かさがそこにはある。

 いつかの遠い記憶をルフィは思い出した。四人の家族。盃を交わし、四人で故郷の山を駆け回っていた日々のことを。

 そんな日々の中、似たような味のものを分け合ったことがある。

 

「甘いでしょう? それはこの国で作られている芋なんですが、小さくて売り物にもならないようなものは子供にとってのおやつなんです。お腹が空いたって思ったら余った小さな芋を貰いに行って、落ち葉を集めてみんなで焚き火をして……」

 

 とこか遠い記憶を思い出すように言う女性。それはきっと、彼女にとって大切な記憶なのだろう。

 

「楽しかったな……あの頃はこんな風になるなんて少しも思わなかった。今の国王様だって、きっと……」

 

 その言葉に、ルフィが反応を示した。国王──それはおそらく、この状況における鍵だ。

 

「どんな奴なんだ? 国王ってのは」

「今はわかりません。もうずっと会っていないので。……ただ、子供の頃は優しい人でした。王子様なのに私たちと一緒に泥だらけになって遊んで」

「国の王子と親しかったんですか?」

 

 驚いた様子のウタ。ふふ、と女性は小さく笑った。

 

「この国は昔からそれがお受けの慣習なんです。王子だろうと王女だろうと一定の年齢になるまでは国民の中に混じって暮らすんですよ。それこそ“先生”の下で一緒に学んでいました」

 

 そんな彼女の言葉に、二人は驚きを隠せなかった。聞き及んだ話では重税を課し、国をこんな状況に追い込んだ人物という印象を受けたのだが。

 だがすぐに思い直す。彼が語ったのはあくまで国の状況についてであり、その変革。二人に対して国王については何も語っていないのだ。

 

「一緒に焚き火を囲みながら、色んな将来を語り合いました。良い国にしようって」

 

 どうしてでしょうね、と女性は言う。

 

「未来は明るかったはずなのに。彼が国王になってから税金が上がって、生活が苦しくなっていったのも事実で」

 

 そう語る女性の表情は複雑であった。かつて語り合ったのであろう未来。それはきっと、こんな形ではなかったはずなのだ。

 

「…………」

 

 無言のままルフィは残りの芋を口にした。欠片も残さないようにと。

 難しい話はわからない。資源のことだとか、政治のことであるとか、“先生”が語ったことについても全てを理解できているわけではないのが現実だ。

 だがこの目で見えているものだけは間違えない。実際に苦しむ者がいて、その上でどうにかしようとしている者がいる。そのために自分たちの名前が必要ならそれは構わないと、そんな風に思ったことは確かだ。しかしそれ以上の何かについては何もわからない。

 

「その、身勝手で贅沢な願いなんですけど。……上手くいって欲しいです。誰も傷つかずに、どうか」

 

 それが理想論であることはわかりきっている。だが二人は否定などできない。

 

「私たちもそれを願っています」

 

 故にこそ、ウタもそう言うしかなかった。

 女性が小さく微笑む。ありがとうございます、とその唇が動いていた。

 息の詰まりそうな感覚。見上げた空は曇り空。今にも降り出しそうなその空模様は、一体誰の心を映しているのだろうか。

 女性は一礼すると、その場から去っていった。無言で二人は無人の広場を眺めている。

 そうしてどれくらいの時間を過ごしたのだろう。不意に人の気配を感じた。

 

「──こちらにおられましたか」

 

 杖をついた男性──“先生”の声が聞こえた。見れば、こちらへと一礼する彼の姿がある。

 だがそれだけではない。彼の後ろに見覚えのない人影が二つもあるのだ。片方は体格のいい厳しい表情をした男性であり、もう片方はゴーグルを付けたシルクハットを目深に被った男性だ。

 体格でいえばシルクハットの男の方が小さい。だが二人にはすぐにわかった。シルクハットの男は凄まじい実力者だ。その力の底が見えない。

 知らず警戒する二人。しかしそれには気付かぬ先生は振り返りながらその二人を紹介する。

 

「ああ、こちらが昨日お話ししていた方です。この国の軍を預かる“将軍”の地位にある方でして」

「話は聞いております。此度は心よりの感謝を」

 

 その見た目通りとも言える重い声を放つ“将軍”。だが彼の言葉には確かに真摯さがこもっていた。頭を下げる所作についても非常に厳格で堂に入っている。

 だが二人の意識はその隣にいる青年へと向けられていた。それは最初は警戒であったが、すぐに違和感に変わる。

 何故か覚えがあったのだ。その姿に。

 会ったことなどない……はず、なのに。

 

「……え……」

 

 呟きを漏らしたのは、どちらであったのか。

 ──そんなはずがない。

 そんな言葉が二人の脳裏を何度も何度も駆け巡る。

 だって当たり前だ。彼はあの日、あの時に。

 

「私が紹介しましょう。私の勝手な一存ですが、今回協力を要請し応じて頂きました」

 

 視線に気付き、“将軍”が自身の隣にいる人物の紹介を始める。話を向けられた青年は小さく頭を下げた。

 その時に彼はシルクハットを脱いだ。そこで見えた顔。それで二人は確信する。

 

「彼は“革命軍”の──」

 

 だがその言葉が最後まで紡がれることはなかった。

 何故、どうして。

 そんなことばかりが脳裏に浮かぶ中、吐息のような言葉が漏れる。

 

「……サボ……?」

 

 呆然とした声であった。当たり前だ。それは失ってしまったはずの人であったのだから。

 思い出すのは、幼き日々の記憶。

 故郷の山──コルボ山で駆け抜けた記憶。

 

 失ってしまったはずの人。

 もう二度と戻らぬはずの人。

 

「──サボ!!」

 

 ルフィとウタ。二人にとって大切な家族であり兄。

 誰よりも“自由”を求め──そして、この世を去ったはずの人がそこにいた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 元々、スモーカーという男はその風貌から近寄り難い雰囲気がある。気難しい表情をしていることも多いし、お世辞にも愛想がいいともいえないのが余計に拍車をかけていた。

 だが実際に彼の下で働き始めると印象が変わる。厳しくはあるが部下想いであるし、筋を通す生き方をする男だ。故にそれなりに長い付き合いにある部下は彼を恐れたりはしないし、副官であるたしぎなどはその最たる例だ。

 だがそんな彼らでさえも今のスモーカーへは声をかけられなかった。目を閉じ、椅子に全身を預けるようにして座り込む姿。眉間に皺を寄せ、その手には彼の得物である十手を握りしめている。

 まるで爆発寸前の火山のようであった。しかしその爆発の仕方の予想ができない。何かを堪えるような、抱え込むような、それでいて捨て去ろうとしているような。彼が何を考えているのかを周囲の者たちは誰も推し量れないでいる。

 一定の空間ができている状態。そこへ一人の海兵が歩み寄る。

 

「──ここにいたか」

 

 声をかけたのはヴェルゴであった。彼の声を聞き、ゆっくりとスモーカーが目を開ける。座った状態の彼は自然とヴェルゴの方を見上げる格好になる。

 スモーカーは特に意図したわけではないのだろうが、凄まじいまでの威圧感を伴う視線であった。若い海兵であれば竦み上がるであろうそれを正面から受け、しかしヴェルゴの方は特に気にした様子もない。

 

「少し状況が変わった。キミはどちらがいい?」

「どちら、ってのは」

「例の『アレ』は本日中に届く予定だった。その到着を待ち、作戦の最終確認の上で動く予定だったが……状況が変わった」

 

 ふう、と息を吐くヴェルゴ。視線で先を促すスモーカーに対し、彼は言葉を続けた。

 

「あちらから要請が入った。不穏分子の逮捕に協力して欲しいと」

「……今更の話だな」

 

 思わず呟いてしまう。あの国が不安定なのは今に始まった話ではない。現状に対して抗議する運動や陳情も既に起こっており、武力衝突こそ起こっていないだけで一触即発な状況ではあったのだ。

 状況としてはアラバスタと似ているかもしれないと密かにスモーカーは思っていた。正確にはああなってしまう直前。現行の体制ではどうにもならないことに対する不満と不安が爆発する寸前といったところか。

 そんな国で今更不穏分子がどうなどと。あまりにも悠長な話だ。

 

「CPからそういった情報は来ていたが……さて、誰がその情報を国の方へ伝えたのか」

 

 この国を訪れている“大逆人”ルフィとウタ。その二人の動向を監視しているCPからは併せてこの国の状況についても情報の共有がされていた。海軍としては海賊を始めとする無法者の相手が基本であり、国政に関わることはないがCPは違う。沈みつつあるとはいえ加盟国の一角だ。不穏な情報があれば提供するのは当たり前といえば当たり前か。

 

「どっちってのはつまり」

「『アレ』を受け取りに行くか、それとも要請に従って現場に行くかだ。……例の二人は混乱が起こればそれに紛れて逃げる可能性もある。現場で対応できるようにした方がいい」

 

 一瞬、スモーカーは目を閉じた。だが彼の中で既に腹は決まっている。

 

「現地にはおれたちが行く」

「……いいのか?」

「『アレ』の受け取りは元々そっちの任務だろう」

 

 言いつつ、スモーカーは立ち上がった。十手を背負い、ヴェルゴと向き合う形になる。

 

「あいつらはおれが捕まえる」

 

 その言葉には重い覚悟が込められていた。それに対し、ヴェルゴも頷きを返す。

 

「こちらも受け取り次第全速力で現場へ向かう。あの二人は油断していい相手ではない。気をつけてくれ」

 

 そう言い残すと、ヴェルゴはすぐに自分の部下たちへと指示を出すために動き出した。その背を見送り、スモーカーは呟く。

 

「……ああ。よく知ってる」

 

 ──嫌ってほどに。

 その言葉はしかし、音にはならない。心の内側だけで響いている。

 

「スモーカーさん」

 

 そんな彼の下へ、彼の副官であるたしぎが歩み寄ってきた。その背後には彼が率いる部隊の海兵たちの姿がある。

 誰一人として欠けてはいなかった。スモーカーはそんな彼らを一瞥すると、聞いた通りだ、と言葉を紡ぐ。

 

「任務は不穏分子逮捕の援護だ。だがわかっているだろうがあの国には例の二人がいる。……はっきり言おう。黙ってるようなタマじゃねェ。絶対に出てくる」

 

 いいんだな、とスモーカーは視線で問いかけた。はい、とたしぎは敬礼と共に応じる。他の者たちも一斉にこちらへと敬礼を返した。

 スモーカーは一度目を閉じる。そして、出るぞ、と言葉を紡いだ。

 

「腹を括れ」

 

 必要以上の言葉は口にしなかった。それはきっと、彼らへの侮辱であったから。

 友人であった者もいる。憧れであった者もいる。きっと多くの海兵があの二人に未来を見ていた。

 そんな者たちへ銃口を向ける。それを決意した覚悟を踏み躙ることなどできやしない。

 しかし、白煙を揺らしながらスモーカーは内心で一人覚悟を決めていた。

 

(おれの手で)

 

 それは一体、どんな想いからくるものなのだろう。

 ただ、彼は往く。

 海軍本部少将、“白猟のスモーカー”。

 海賊たちを震え上がらせる男。“英雄”の一角たる男が、“堕ちた英雄”と相対する。

 

 そこの戦いに誇りは。

 果たして、あるのだろうか──……

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 十年という月日は長い。ルフィもウタも成長したし、その間に多くの経験をした。その風貌も変わっている。

 だがそれでも変わらない部分は確かにある。二人の幼い頃しか知らない者でも今の二人を見ればきっと気付く。どうしたって消えない面影というものは存在するのだ。

 故にこそ、目の前にいる人物がかつて失った兄の成長した姿であると二人は直感したのだ。そこに理屈はない。だが二人の目が、心が、魂がそうだと告げていた。

 

「名前を知られてるとは光栄だな」

 

 違和感。

 こちら側と向こう側で、どうしようもないほどの温度差を感じた。

 

「元海兵のそっちにしてみれば警戒するのも当然だろうが、今は敵対の意思はない。むしろ逆だ」

 

 二人の中に困惑が広がる。

 ──目の前の男は、誰だ?

 

「まさかこんなところで会えるとは思ってなかったが……会えて嬉しい」

 

 この、自分たちの知る表情を浮かべる男は。

 それでいて、自分たちを知らない男は。

 

「初めましてだな。“麦わらのルフィ”、“歌姫”。おれはサボ。革命軍の参謀総長だ」

 

 そう言って軽く頭を下げる男は、確かに“兄”の名を名乗った。

 わけがわからない。

 

「サボ、だよね……?」

 

 震える声で呟いたのはウタだ。その声を聞き、ルフィも思わず声を上げる。

 

「何をふざけてんだよサボ!? おれだよ! ルフィだ! 初めましてじゃねェだろ!?」

 

 普段の彼を知る者であればその声色に驚いたかもしれない。ひび割れるような声であった。

 受け入れられない、認められない現実。それを前にして駄々を捏ねているかのような。

 

「誰かと勘違いしてねェか?」

 

 だが、目の前の男は──“サボ”と名乗った男は、困惑した表情を浮かべている。

 

「────ッ」

 

 それが演技ではないとわかった。わかってしまったからこそ、二人はそれ以上何も言えなくなってしまう。

 黙り込んでしまう二人。何が起こっているのかわからない。ただでさえ張り詰めた精神に対し、じわじわと傷が走っていく。

 

「あの……お知り合いだったのですか?」

 

 様子を見守っていた“先生”が遠慮がちに問うてくる。いや、と否定するように首を振ったのはサボだ。

 

「直接会ったことはない、はずだ」

 

 それはきっと、彼の本心だ。むしろ困惑しているのは彼の方だろうと二人は思う。本当に覚えがないのであれば彼の反応は当たり前だ。

 だが、だったら彼は何者なのだ?

 革命軍の参謀総長──そんな肩書きはどうでもいい。それよりも大切なこと。あの日失ってしまったはずの人と同じ雰囲気を纏うこの人は何者だというのか。

 

「……すまないが、話を進めさせて欲しい。時間が惜しい」

 

 停滞する空気の中、そう切り出したのは“将軍”であった。彼の言葉に対し、ああ、と頷いたのはサボだ。彼はこちらへも視線を向けてくる。

 

「そっちもいいか?」

「……う、うん」

 

 反射的に頷くウタ。ルフィは未だ動けないでいた。

 ──どう見ても、彼はサボだ。

 なのに本人は違うという。じゃあなんだ? 一体何が起こっている?

 目の前の光景は、本当に現実のことなのか?

 

「────」

 

 言葉もなく立ち竦むその姿は、“英雄”と呼ばれた青年の姿ではなく。

 まるで、置き去りにされた子供のようで。

 

 

「──大変だよサボくん!」

 

 

 そんな彼らの体を強制的に動かしたのは突如響いた女性の声であった。こちらへと走り寄ってくるのは一人の帽子を被った女性である。随分と慌てた様子であった。

 

「どうしたコアラ?」

 

 サボがそんな女性──コアラに対して言葉を紡ぐ。その表情は真剣だ。

 

「この街に大勢の兵が向かってきてるみたい! 海軍の姿も! 今はハックさんとイルが見張ってくれてる!」

 

 その言葉に、その場の全員が表情を変えた。

 

「……まずいな」

 

 呟いたのは“将軍”だ。彼はすぐさま“先生”へと声をかける。

 

「身を隠そう。ここに彼らがいるのを見られるのはまずい」

「ええ。──すみません皆様、こちらへ」

 

 そして“先生”が杖をつきながらこちらを先導する。サボはコアラへと指示を出した。

 

「コアラ、万一のことを考えて外に連絡を。ハックとイルとは密に連携してくれ」

「うん!」

 

 そしてコアラは逆方向へと駆け出していく。そしてルフィとウタは“先生”に先導されるまま、建物の中へと向かって歩き出す。

 未だ思考はまとまらないままだ。だが動かなければ。

 ウタの手を握る。互いに決して離さないように、強く。

 ──まるでそれが、この世に残った唯一の縁であるかのように。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 物事というのはどれだけ想定しようが完璧とはいかない。それはもう仕方がないことだ。人間が完全な存在ではなく、この世界の全てを掌握できない以上不都合なことは必ず起こる。

 今回の件はまさしくそうであった。“先生”と“将軍”。その二人が主体となって動いていた計画は今日の話し合いを持って具体的な動きとなるはずだったのだ。リスクの想定もしていたし気を配ってもいた。しかし世の中というのはどうにもままならないものである。

 その具体的な話をする前にこうして脅威が迫ってきている。

 

『──この街が反乱を企てているという通報があった!!』

 

 窓越しに聞こえてくるのはそんな若い男の声であった。兵士たちの先頭に立つその男は兵士たちを使って住民たちを広場へと集めたのだ。

 当然というべきか、集められたのは老人と女子供ばかり。若い男はいない。彼らは皆不安そうな表情で寄り添うようにして座り込んでいる。

 

「……あれは?」

 

 問いかけたのはサボだ。彼は窓から見える広場の光景に視線を向けている。

 ルフィたちがいるのは街の倉庫、その屋根裏ともいうべき場所であった。広いスペースではないその場所に五人の人間が集まっている。

 倉庫の中には兵士たちも踏み込んできたが、この屋根裏の存在には気付かなかったらしい。誰もいないことを確認するとすぐに出て行った。

 そしてそんなサボの問いに答えるのは“先生”である。

 

「“国務卿”です。国王様の秘書官とでもいうべきでしょうか。国王様の学友で腹心の部下でもあります」

「中々の大物だな」

「若いが優秀な人間ではある。ただ少々、その若さ故の短慮が見られる男ではあるが……」

 

 サボの言葉に対して頷くのは“将軍”だ。彼もまた窓の側から状況を眺めつつ見守っている。

 状況はあまり良くはなかった。話し合いの前にこの状況だ。これでは次の手を打つにしても動き難い。そもそもこの場の者たちの関係さえも確定はしていないのだ。

 偶然か、或いは狙ってのことか。判断はできない状況である。

 

「ただ見た目と違って冷静ではあるみたいだな。住民を集める時も手荒なことはしてねェ」

 

 サボが状況を分析する。そう、兵士たちは特に乱暴な手段を取ることをしていなかった。彼らは武器を持っているが暴力的に住民を集めたわけではなく、あくまで冷静かつ穏便に住民たちを集めていたのだ。

 故にこそ住民たちも従ったと言える。手荒にされれば反発もするが、あくまで表面上は穏便であるなら人は抵抗しにくいものだ。

 だがその状況こそが厄介だ。わけもわからぬままただ従う──その時点で向こうに主導権を握られている。

 

「どこからか情報が漏れたか」

「完全に情報を遮断することは不可能です。……あちらが上手でした」

 

 この計画における主導者である“将軍”と“先生”の会話だ。口調こそ冷静であるが、そこには焦りのようなものが滲んでいる。

 

『隠し立ては無意味だ!! 首謀者を出せ!!』

 

 先頭に立つ“国務卿”が声を張り上げる。恫喝するような声色だが、そこには演技の色が感じられた。おそらくあれは何が効果的かをわかってやっている。

 

「…………」

 

 ルフィもウタも状況を見守るしかなかった。そもそもこの国のことについてもほとんど知らないし、この場にだって本来いないはずの存在だ。何をすべきなのか──いや、自分達が何を求めてここにいるのかさえもわかっていない。

 故にこそ立ち竦んだまま、ただ状況に置き去りにされている。

 

 ──どうしたら。

 

 肌感覚、とでもいうべきか。

 ルフィもウタもまだ二十歳にもならないような若者である。だがこの二人はその年齢からすると想像できないほどの修羅場を乗り越えてきているのだ。

 故にわかる。わかってしまう。

 今この瞬間が分岐点であることを。ここで間違えれば悲劇が待っているという現実を。

 だがそれでも、彼らは動けない。

 

『出せないというのであれば、出したくなるようにしてやろう!!』

 

 銃声が響き、その場の全員が表情を変えた。“国務卿”が空に向かって一発の弾丸を放ったのだ。

 集められた者たちが身を寄せ合うようにして後ずさる。中には祈るように手を合わせる者もいた。

 

「……やはり、優秀だ」

 

 ポツリ、と溢すように呟いたのは“先生”出会った。

 

「こちらに時間を与えないつもりでしょう。誰か一人でも撃たれれば、その瞬間にこちらが終わることを理解している」

 

 まだこれからであったのだ。方針も行動もまだ始まっていない。スタートラインにつくための話し合いが今日この場で行われるはずだった。

 何もかもがこれからのこと。その出鼻を挫かれてしまった。

 

「止むを得ない。ここは私が」

「いや。あなたが出れば混乱します」

 

 腰の剣の柄に手を当てる“将軍”に対し、“先生”は言う。そして彼は一度息を吐くと何かを覚悟するように杖を握る手に力を込めた。

 

「……首謀者を出せというのであれば、その言葉通りに」

 

 そして一歩、一歩と歩き出す“先生”。彼は唇を引き結ぶ“将軍”に対して言葉を紡いだ。

 

「後をお任せします。どうか彼らを」

「──必ず」

 

 絞り出すような言葉であった。サボもまたそんな彼に厳しい表情で視線を向け、言葉を紡ぐ。

 

「どうなるかはわかってるのか?」

「まあ、死刑でしょう。この場で殺されることはないでしょうが……」

 

 まるで他人事のように言う“先生”。なっ、と喘ぐような声を漏らしたのはウタだ。

 

「そんな、どうして」

「これが責任というものです。……この後、広場に注目が集まるでしょう。どうかお逃げください。お二人の名を勝手に利用した挙句このようなことになり、申し訳ありません」

 

 カタン、という乾いた音と共に屋根裏から倉庫内へ降りるための簡易な階段が出現した。そちらに一度視線を向けると、“先生”はこちらに背を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「ですが、一つだけ。私はあなたたちの名前を利用した。しかし同時に、私は確かにあなたたちに救われていました。“神”へと抗うその姿は確かに私の救いであったのです。それだけは嘘偽りのない事実です。……身勝手な、話ですが」

 

 そして、“先生”が階段を降りようと再び歩を進め始めた。

 その先に待つのは断頭台だ。だが己が始めたことのケジメとして彼は歩みを進めるのだ。

 そこにどんな理由があったのかを二人は知らない。きっと何かがあったのだ。彼に抗う選択をさせた何かが。

 邪魔をするべきではないのかもしれない。これは彼の覚悟であり誇りだ。そこに何も知らない者が手を出すべきではないのかもしれない。

 だが、それでも。

 

 

「駄目です」

「駄目だ」

 

 

 その二人は、ほとんど同時にその手を掴んでいた。

 事情なんて知らない。理由も知らない。何が真実で、何が事実で、何が現実なのかもわからない。

 だが、それでも。

 ここで行かせてしまうことを、彼らは良しとしなかった。

 ──だって、そうだろう?

 たとえ、逃亡者になろうとも。

 たとえ、大罪人と呼ばれようとも。

 

 ルフィとウタ。フーシャ村で育った二人は。

 今でもまだ、“海兵”なのだから。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 先頭で声を上げる“国務卿”の背に、スモーカーは静かに視線を向けていた。言葉も態度も乱暴だがあれはパフォーマンスだ。事実、ここに来る道中においても彼の説明は理路整然としたものであり、多少の感情が篭っていたがそれが許容範囲のものであった。

 年若い男であるが、国において相応の立場にあるだけはある。首謀者を出せというのも暗にそうすれば他は見逃すと告げているのだ。

 

(金のある国……いや、あった国だからこそか)

 

 スモーカーは海兵として多くの国を見てきた。その中で思うのは『教育』の存在だ。

 富める国というのは総じて教育のレベルが高い。これは頭脳レベルというわけではなく、基礎的な部分の教育が一般の国民に広く行われているということだ。

 故にこそ“国務卿”を含めて理性的な行動をする人間が多い。それは間違いなく国としての長所ではあるのだろう。……生かすことができるのであれば、だが。

 

「スモーカーさん」

 

 彼の副官であるたしぎが声をかけてくる。彼女の表情には緊張が宿っていた。彼女だけではない。他の海兵たちもだ。

 

「無茶はしねェという話だ。……それに首謀者についても既にわかってる。これはパフォーマンスだ」

 

 住民たちや他の海兵、“国務卿”が連れて来たこの国の兵士たちに聞こえないように言葉を紡ぐ。

 そう、既に“国務卿”は首謀者についての情報を得ているのだ。CPからの情報もあるが、住民からの密告もあったという。そして看過できないとして動いた。

 この辺りは仕方がないことでもある。人が多くなればどうしても情報が漏れる可能性が上がるし、特に革命や反乱といったものはその主体が一般市民だ。専門的な訓練を受けていない以上情報を隠すにも限度がある。

 

「だが準備はしておけ。万一の時は介入する」

「──はい」

 

 この街に入る際、“国務卿”からはできるだけ手を出さないで欲しいと釘を刺されている。海軍に協力を要請したのは不測の事態、それこそ住民たちが暴れたり何か想定外の事態が発生した場合の対処のためだ。

 そして事実、海軍側は“麦わら”と“歌姫”という不測の事態を起こしかねない存在がいることを把握している。断るわけがなかった。

 

「──反乱なんて、そんなことを私たちが考えるはずがありません」

 

 状況に思考を巡らせていたスモーカーの耳にそんな声が届いた。見れば一人の女性が立ち上がり、他の住民たちを庇うようにして前に出てきている。

 若い女性であった。“国務卿”と同じくらいに見える。

 

「そんなことはわかっている。貴様らに自ら考えて立ち上がるような気概はない」

 

 対し、吐き捨てるように“国務卿”はそう言葉を紡いだ。

 

「だから首謀者を出せと言っている」

 

 言うと、“国務卿”はその銃を女性へと向けた。びくりと女性の体が震える。

 

「誰かの言葉に従うことしかできない。それでいて必要なことはしないのがお前らだ。……大人しく従え」

 

 周囲の者たちが息を呑んだ。だが女性は体を震わせこそしたが唇を引き結び、その場に留まっている。

 小さな舌打ちの音が響く。

 

「……遅ェんだよ、そういうのは」

 

 その呟きが聞こえた者はほとんどいなかっただろう。だがその声の主はすぐさま声を張り上げる。

 

「痛みがなければわからないのであればその通りにしてやろう!」

 

 怒鳴るような声ではなかったが、響く声であった。その指が引き金にかかる。

 だが女性は目を逸らさなかった。そして、引き金が──

 

 

 ──広場に面した倉庫の扉が、ゆっくりと開いた。

 

 

 弾かれたように誰もがそちらの方を見た。地面を踏み締めるような、小さな音が響く。

 

「……ああ……」

 

 その声を漏らしたのは住民だ。そこには安堵の感情が込められている。

 

「“救世主”様……!」

 

 祈るようにして手を組み始める住民たち。その中を一人の青年が歩いてくる。

 麦わら帽子に、汚れたコート。背負った“正義”の文字もまた汚れてしまっている。

 だがそれでも、その青年が放つ存在感はこの場の全てを圧倒していた。

 

「……どうして」

 

 呟いたのは女性だ。その声により、自分を取り戻した“国務卿”がその青年へと銃口を向ける。

 

「何だお前は!?」

 

 その言葉には困惑が混じっていた。当たり前だろう。彼が想定していた首謀者はこんな青年ではない。彼にとっては恩師とも言えるはずの人物であったのだから。

 青年は答えない。ゆっくりとこちらへと歩みを進める。

 

「退け」

 

 応じるように前に出たのはスモーカーだ。彼は“国務卿”に対してそう言い放つと、青年の方へと足を踏み出す。

 

「…………」

 

 青年の瞳がこちらを捉えた。その瞳を見た瞬間、スモーカーは理解する。

 

(わかっていたことだ)

 

 こうなることは。こうなってしまうことは。

 覚悟していたことであるはずだった。

 

「何故出てきた。この国とテメェは関係ねェはずだ」

 

 十手を握り締め、青年へと向ける。

 対し、青年は拳を握る。

 

「飯をもらったからな」

 

 その一言。たった一言が海兵たちを動揺させた。

 

 嗚呼、そうだ。それがこの青年なのだ。

 海軍が誇った“新時代の英雄”。その在り方であるのだと。

 誰もが──思い出してしまった。

 

 小さな舌打ちをスモーカーが漏らす。その表情はいつも以上に厳しいものであった。

 

「お前が首謀者なんだな!?」

 

 スモーカーに言われ、少し後ろに退いていた“国務卿”が声を上げた。その声には動揺がある。当たり前だろう。こんな状況は想定していなかったに違いない。

 だが、青年はその言葉に応じなかった。“国務卿”の方を一瞥しただけで、スモーカーへとすぐに視線を戻す。

 

「状況を見れば一目瞭然だ」

 

 吐き捨てるようにスモーカーが言う。住民たちを庇うように立つ青年。その背に対し、祈るような、縋るような想いを向ける者たち。

 ──“救世主”と、彼らは青年のことをそう呼んだ。

 そしてこの場に現れた“救世主”はそんな彼らを守るように立っている。

 ここにあるのは事実。たとえそれが真実ではなかったとしても、ここにある事実を受け入れるしかないのだ。

 

「……大馬鹿野郎が」

 

 苦々しい呟き。そして。

 

 

 鈍く、重い音が響いた。

 遅れるように、衝撃が空を駆ける。

 

 

 ぶつかり合ったのは拳と十手。そこでようやくその現実が確定する。

 大事件を起こし、逃亡中の“大逆人”。

 かつて“英雄”と呼ばれた男──“麦わらのルフィ”。

 彼に新たな罪状が加わったのは、この瞬間であっただろう。

 

 最初に間違えたのは、誰なのだろうか。

 或いは、間違えてなどいなかったのか。

 ただ、かつての“英雄”は戦うことを選んだ。

 それは、きっと。

 

 ──それが彼の、“正義”であったから。

 

 

 

 

 

 














次でこの国のお話はおしまいです。
本来この二人は多分、逃げて良かったはず。それを恨むことをこの国の人たちはしないでしょう。でもそれができるなら多分、彼らは海兵として戦い抜いてこれていないのではないでしょうか。
そして何より、ルフィの“正義”はきっとこれを許容しません。見捨てて逃げた先で笑えるのかというシンプルなお話。

彼らがこの国に何をもたらすのか、残すのか。
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