逃亡海兵のルフィとウタ 短編集   作:Nines star

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逃亡海兵Water Seven⑦

 

 

 

第三話 “久し振り”

 

 

 

 海軍が誇る“英雄”といえば多くの名が上がるだろう。それこそ今や“生ける伝説”とも謳われるモンキー・D・ガープは“伝説の海兵”というあまりにもシンプルな呼び方をされている。

 だが今の市民にとっての“英雄”といえば二人の名と顔が浮かぶだろう。

 ──“堕ちた英雄”。

 未だ二十歳という年齢にさえ至らない程の若さでありながら、かつての“四皇”の一角を討ち取った“麦わらのルフィ”。

 その青年と共に数多の功績を上げ、そして文字通り戦争を歌声で終わらせた“歌姫”ウタ。

 あまりにも痛烈で、眩しいその存在を人々は決して忘れないだろう。堕ちたとも言われるが、その理由もまた人々の耳目を集めるのだから当たり前だ。

 この世界の秩序は、彼らを“堕ちた”と表現した。

 だが本当にそうなのだろうか?

 

 愛する人を守りたかった。

 そのためには、全てに背を向けるしかなかった。

 

 その結果、積み上げた全てを失ったのは事実である。今や彼らは賞金首だ。定められたルールにおいて彼らは罪人であることに間違いない。

 だがそれでも、人々はそれをただ受け入れることができなかった。

 そしてだからこそ、世界は忘れない。

 忘れることができない。

 その在り方はきっと、いつか見た夢物語の体現でもあるのだから。

 故に人々はその姿を心に留め置く。そんな二人が生きていることを覚えているのだ。

 それはきっと、ある種の救いであっただろう。だからこそ手を差し伸べる者が確かにいたのだから。

 だが、追われる立場の者がその存在を常に意識されることは決して良いことばかりではない。

 むしろそれは──あまりにも大きなデメリットだ。

 

 

「窮屈」

 

 思わず、といった様子で呟いたのはルフィだ。今の彼は全身を隠すようなローブに加え、特徴的な仮面を着けている。外見から中身を想像することはできないだろう。

 隣にいるウタも同様だ。彼女も口にこそ出していないが動き辛そうにしていた。

 

「文句を言うんじゃねェ。今のお前らが顔を晒して街を歩いてみろ。一発で通報される」

 

 そんなルフィに対してそう言葉を紡ぐのはフランキーである。彼もまた全身を覆うローブと特徴的な仮面をつけていた。仮面のせいで表情は見えないのだが、その仕草で呆れた表情をしているのが見て取れる。

 

「でもこの格好の方が目立つんじゃ」

 

 仮面の位置を調整しながら言うのはウタだ。ルフィもそうだが、彼女もまたローブで体を覆われた上に仮面をつけると男女どちらかさえもわからない状態になっている。

 

「それについては大丈夫だ。あー……なんだった?」

「“サン・ファルド”で仮装カーニバルをやってるんだわいな」

「その影響でウォーターセブンでも仮装して街を歩いている奴が多いんだわいな」

 

 首を傾げるフランキーに対し、モズとキウイが捕捉する。それだ、とフランキーが指を鳴らした。だが二人にはそれでは伝わらない。

 

「“サン・ファルド”?」

「“海列車”で行ける街の一つだわいな」

「見た目よりも距離が近いから祭があればすぐにその影響が出るんだわいな」

「へー」

 

 素直に感心するルフィ。海の上を走る列車──それは想像以上の影響力と存在感を持っているらしい。

 

「でもお祭の影響が別の島にも、って凄いと思うんだけど……昔からそうなの?」

 

 思わずウタが問う。おそらくそれは当然の疑問だ。

 島と島を繋ぐのは基本的に船以外に存在しない。通信手段としての電伝虫はあるが距離の限界があるし、音声だけで伝え切ることは難しいのだ。故にこそ他国の情勢を知る上で『新聞』というものが重要となっている。

 そしてそれは文化も同じだ。『祭』とはその規模や目的、手段は多岐に渡るが言ってしまえば『文化』であり『慣習』、そして『価値観』である。故にこそ島や国を飛び越えて広がることは難しい。

 だが、“海列車”というものはその困難を解決し得る手段であるということだろう。

 

「いやそんなことはねェ。何なら昔のウォーターセブンは孤立してたくらいだ」

 

 肩を竦めるフランキー。そのまま彼は言葉を続ける。

 

「積み込める物資の量って点ならそりゃ船の方が上だ。だから島同士の交易も単純な量で言うなら今でも船が基本だ。だがそもそも“海列車”と船じゃ役割が違うのさ」

「役割?」

「船の利点はその積載量もだが、最大の利点はそこじゃねェ。『自由度』だ」

「──“自由”」

 

 呟いたルフィのその一言。たった一言に含まれた何かに気付いたのは、きっと一人だけだろう。

 

「島と島を繋ぐっつったが、その島がどこであるかは決まってねェのが船だ。“こっちの岸からあっちの岸まで届けてやろう”──そういう約束で船は生まれる。だが『こっち』と『あっち』は時と場合で変化する」

 

 島と島、或いは岸と岸、港と港。それを繋ぐのが船であるが、その航路は基本的な道筋こそあれど自由だ。それはメリットではある。危険を避けるという点において臨機応変な対応ができることは大きな意味があるのだ。

 

「商人共の船なら『どこへでも行ける』ってのは大きな意味がある。だが交易ってのは基本的に決まった島同士で行うものの方が絶対的に多い。そこで“海列車”だ」

「……そっか。レールの上を走るから決まった場所にしか行けないけど、逆に言えば決まったところには行けるようになってるんだ」

「おうお姉ちゃん、飲み込みがいいな」

 

 ウタの頷きに対して笑い声を上げるフランキー。“海列車”について語る彼はとても楽しそうだ。

 

「『自由』の代わりに『時間』と『確実性』を得たのが“海列車”だ。その恩恵は計り知れねェ。それこそ“エニエス・ロビー”に行くのも数時間だぞ」

「数時間で、って」

 

 思わず驚いたのはウタだ。船で行くとなると数時間ではまず不可能だ。船というのは帆を張って海を往く。風の影響もあるし、更に言うならここは偉大なる航路だ。真っ直ぐ進むことも難しい。

 それを数時間で。“海列車”というのはどれだけ凄まじいのか。

 

「凄ェだろ? だから“海列車”で繋がった島で大きな祭でもありゃ他の島にすぐに波及する。そうなりゃその島だけじゃねェ、他の島も盛り上がって活気が出る。この周辺の島に活気があるのは“海列車”の存在がでけェのさ」

 

 簡単に行き来ができるということは、人と物資が循環するということだ。島という閉じた経済圏が外に広がることの意味は大きい。それこそ食糧一つとっても需要が広がり、消費者もまた多くの選択肢を得ることができる。

 経済圏が広がるということは金が巡るということであり、『金を使って金を稼ぐ』という商売の大原則、その規模が大きくなることを意味する。それは多くの恩恵をもたらすだろう。

 

「海の上を走る列車っていうだけでも凄いのに」

「よくわかんねェけど凄ェんだな」

 

 メリットを理解しているウタと、とりあえず凄いのだということだけを把握したルフィ。二人の反応の違いに性格が表れている。

 

「一時は滅ぶしかねェなんて誰もが思ったこの島を甦らせたのが“海列車”だ。そしてそれは──」

 

 仮面を外すフランキー。その時の彼の表情は、とても誇らしげで。

 

「──“海列車”を生み出した、“トム”という偉大な船大工のお陰なんだ」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 フランキーの言う通り、ウォーターセブンの街並みの中にはあちこちで仮装した姿の者たちが見られた。普通の服装をした人間の中に仮面をした者や、それこそルフィたちのように全身を覆うような仮装をする者がいるのは中々に珍しい光景である。

 

「……水路が道路になってるんだ」

「あの馬? みてェなのは何だ?」

「“ブル”ですよ“麦わら”さん。うちのソドムとゴモラも同じ種類ッス」

「あいつらに比べたら小さくねェか?」

「あいつらは“キングブル”ってデカい種類なんスよ。“ヤガラブル”って呼ばれてるあれが基本的なサイズですね。結構力も強くて、大人二、三人ぐらいなら苦にもしねェッス」

「へェ」

 

 ルフィの疑問に対して答えるのはザンバイだ。リーダー格であり、最初にルフィたちと接触した上で主に関わったということもあってか二人の世話役のようになっていた。“水の都”と評されるウォーターセブンは少々独特な島だ。二人にとっては目に入るもの全てが珍しい。

 そしてその二人を含む一行はまるで仮装行列のような様相を呈していた。

 フランキーを先頭に、モズとキウイこと“スクエア・シスターズ”。そして全身を覆うような仮装をしたルフィとウタに、こちらは仮面はせずフランキー一家のいつもの服装の上からローブを着たザンバイ。そして最後尾には同じくフランキー一家の男衆が三人ほど。

 最初は全員で行くつもりだったというが、あまりにも大所帯に過ぎるし目立ち過ぎるということでこのメンバーとなった。だが、それでも道行く人々から妙に視線を感じるのは気のせいではないだろう。

 

「……なんか目立ってない?」

「そりゃおれ様は有名人だからな。道行く庶民共からすりゃ眩しくて仕方ねェんだろうよ」

「いやお前仮装してんじゃねェか」

「馬鹿、おれぐらいになりゃ仮面してても隠しきれねェのよ」

「それ仮面の意味あんのか?」

 

 彼自身の人柄か、それとも野性の本能故か。ルフィはフランキーに対して若干警戒を緩めていた。フランキーも必要以上に距離を詰めようとはしておらず、互いに一定の距離感を保っている。一見すれば気安いが、互いに明確な一線を引いていることがウタにはわかった。

 そしてそれを本能というか天然でやってのけるルフィとは違い、ウタの方は未だフランキー一家との距離感を掴みかねていた。自分のファンだと言ってくれたのは嬉しいし、それが嘘ではないことはわかる。だがどうしても警戒してしまうし踏み込めない。

 ──ファンであることと、味方であることは違う。

 彼らを心の底から信じるには、この僅かな期間で見てきた『現実』はあまりにも重過ぎた。

 

「……どうした?」

 

 無意識のうちにルフィの手を握る手に力が入っていたらしい。ルフィが繋いだ手を優しく握り返し、首を傾げていた。仮面のせいで顔が見えないが、その顔にはきっと心配の色が宿っているのだろう。

 

「ううん」

 

 対し、ウタは首を横に振って応じる。そして今度は無意識ではなく明確な意思を持ってその手に力を込めた。

 ──その温かさだけが、唯一の寄る辺だ。

 置かれた立場と現実。顔を隠さねば街さえも歩けぬという、どうしようもない事実。その全てを一瞬だけでも忘れられる。

 この人が、いれば。

 いて、くれるなら。

 きっと、私は──……

 

「着いたぞ」

 

 沈みゆく意識が、その言葉によって引き戻された。視線を上げる。

 ……思わず、眉が寄ったのを感じた。

 

「カジノ?」

 

 ルフィの声にもどこか嫌そうな響きがある。ああ、と頷いたのはフランキーだ。

 

「ここで金を増やす」

 

 仮面の奥では物凄くいい笑顔をしているのだろうな、とそんなことをウタは思った。ギャンブルで金を増やすと彼は言っていたが、カジノとは。

 いや、普通に考えれば加盟国の合法的なギャンブルとなるとそれが普通なのだろうが。

 

「何だおめェら、乗り気じゃねェようだな」

「カジノはなー……」

「あんまりいい思い出が……」

 

 二人して渋る言葉を吐く。元々秩序側の存在たる海軍に属していた二人にとって、賭場というのはトラブルが多い場所であるため良い印象はない。合法であろうと非合法であろうとそこで直接的に大きな金が動く以上仕方がないのだが。

 しかしこの二人にとっては実際の経験の部分が大きい。それは主に二つ。一つは元“王下七武海”たるクロコダイルが経営していたカジノの存在だ。直接的にそこで何かがあったわけではないが──地下で酷い目には遭ったが──秘密結社BWの資金源の一つでもあったという時点で良い印象はない。

 もう一つは“グラン・テゾーロ”である。これはもう直接的に被害があったのだから間違いない。カジノごとこちらを騙しに来たわけだから良い印象など抱けるわけがない。

 

「まあギャンブルそのものを全面的に肯定する奴なんていねェだろ」

「……意外な発言」

 

 先頭を歩くフランキーが言ったその言葉に対し、ウタは少し驚いた表情を浮かべる。当たり前だ、とフランキーは片手を上げて言葉を紡いだ。

 

「儲ける奴がいりゃ損する奴もいる。ついでに言や永遠に勝ち続ける奴なんてもいやしねェ。このおれでさえな」

「この間も負けたばっかりだわいな」

「トータルでも負けの方が多いわいな」

 

 冷静な“スクエア・シスターズ”のツッコミが入るが、フランキーは華麗にスルー。そのまま彼はカジノの扉を開けた。

 ──瞬間、爆発的な音が響き渡った。

 

「うわ」

 

 思わずウタは耳を押さえた。響き渡る無数の爆音と声。あまりにも正と負の活気が満ち溢れたその場所は、ウタの体を震わせる。

 

「…………」

 

 対し、微動だにしないのはルフィであった。彼は一度視界に入る範囲を大きく見回す。仮面の奥であるため余人には窺えないが、その視線は冷たく、圧のあるものであった。

 一瞬だけ鋭くなるルフィの気配はしかし、数秒後には霧散していく。ここに脅威はないと判断したのだろう。

 

「おいおめェら、何を突っ立ってる? さっさと来い」

 

 そんな二人に対し、フランキーがそう言葉を紡いだ。そのまま彼が歩を進めると、小綺麗な格好をした男性が歩いてきた。

 

「これはこれはフランキー様。いつもご贔屓に」

 

 仮面の上にローブで仮装しているのに一発でバレていた。何のための変装なのだろうか。

 

「おう、これを全部チップに替えてくれ」

「畏まりました。すぐにでも」

 

 フランキーがアタッシュケースを預けると、その男性はすぐにカウンターの奥へと入っていった。その光景を見ていた二人に対し、ザンバイが補足の説明をする。

 

「ここでは現金賭けはできねェんですよ。チップに替えてやるんです」

 

 成程、とウタは頷いた。カジノは場所によっては現金そのままでやり取りする場所もあるが、どうしても見栄えが良くないしトラブルも発生しやすくなる。一度チップという内部でしか通用しない通貨へ変えることはそういったトラブルを避ける意味があるのだ。

 そして数分後、大量のチップの入った箱を抱えて先程の男性がやってきた。整然と並べられ、数の確認がしやすいようになっているところに細かな気遣いが感じられる。

 

「ご確認を」

「おう。……ああ、チップ入れをもう二つくれ。小さめのでいい」

「はい。──どうぞ」

 

 テキパキと動く男性がすぐに要求されたものを持ち出すと、フランキーがそこへ複数のチップを入れていく。そのまま彼はその二つのチップ入れをルフィとウタへと手渡してきた。

 

「折角来たんだ。遊んでけ」

「え、でも」

「おめェらがうちの子分共を助けたからある金だ。受け取りな」

 

 そう言われると拒否するのも、と思ってしまうほどには二人の性根は善良である。差し出されたそれを受け取ると、フランキーがザンバイの方へと視線を向けた。

 

「ザンバイ、こいつらに色々教えてやれ。──おれは勝負に出る」

「わかりました!」

「よし行くぞおめェら!」

「フランキー様!? 走るのはお止めください!」

 

 制止の声を無視して駆け出していくフランキーたち。残されたルフィとウタがザンバイへ視線を向けると、ああ、と彼は頷いた。

 

「アニキは“ヤガラブルレース”に行ったんですよ」

「何だそれ?」

「さっき“ブル”は見たでしょ? アレでやるレースの勝敗に賭けるんです。当たればデカいから金を増やすにはうってつけなんスよ」

「ふーん」

 

 あの“ブル”という生物自体初めて見るのもあって、イマイチピンとこない二人。ただ少しだけ思うところがあり、ウタはザンバイへ問いかける。

 

「ちなみにそれ、勝ったことはあるの?」

「…………」

 

 露骨に目を逸らすザンバイ。ああ、と二人は色々とそこで察した。

 

「ま、まあとにかくお二人とも。何のゲームをしますか? 色々ありますよ」

 

 そしてこの露骨な話題逸らしである。まあ致し方ないだろう。

 

「どんなのがあるんだ?」

「普通のカジノにあるのは一通り。ただここは奥のレース場がメインなんで、他のゲームは本当に遊び程度なんですけど」

 

 確かに見たところ周囲から窺える雰囲気は熱こそあるが熱狂と呼ぶほどではない。ウタの知るカジノの雰囲気と比べると落ち着きさえ感じる。

 おそらく、正しい意味で『遊び場』なのだろう。

 ──ただ。

 

『メインレースは一時間後! しかしレースは何も一つではありません! 奮って御参加ください!』

 

 聞こえてくる宣伝の声と、奥の方──おそらく非常に広い空間がある──から伝わってくる熱気。“見聞色の覇気”を使うまでもない。おそらくあそこは別世界だ。

 入ってすぐの位置はあくまで遊興のための場所とし、奥に本命のギャンブルを用意する。よくできた構造であると言えるだろう。

 まあ、自分達には縁のないことだ。

 

「そういやウタ、お前確かやったことねェだろ」

「あ、そういえば……そうかも」

 

 かつて存在した世界最大のカジノ、“グラン・テゾーロ”。そこに“アラバスタの英雄”として招待された二人であるが、ウタはそこでライブを行うということもあってカジノを楽しむ時間がなかったのだ。本来ならばイベント後に遊ぶ時間を持てたはずであるのだが、そこで起こった大事件によって結局彼女は遊んでいない。

 ちなみにルフィはとある海賊二人と張り合って様々なゲームで勝負を繰り広げていたりする。何回『格下』という発言が飛び出したのかは最早数え切れないほどだ。

 

「じゃあ簡単なのが良いですかね。ええと──」

 

 その、直後であった。

 目で追うことができたのはウタだけだっただろう。それでも辛うじてだ。僅かな油断があったことも確かであるし、想定の外であったことも理由である。

 だがそれ以上に、彼の──ルフィの動きが早かった。

 引き寄せられ、左腕で隠すように胸元へと抱え込まれる。硬い胸板の感触を覚えたその瞬間、床へチップがバラ撒かれる。

 

「何だお前」

 

 口調は静か。しかし、圧が違う。その言葉を向けられたわけではないというのに、ザンバイは溢すような悲鳴を上げていた。

 その周囲だけ氷点下になったのではないかと錯覚してしまいそうになる。周囲に漂っていた熱気の全てが消えていた。

 

「私が何か、か」

 

 対し、その男はまるで吐き捨てるようにそう言った。酷く冷めた目をした男である。

 その男はルフィの左拳が顎に触れるギリギリの位置にあるというのに、表面上は動じた様子がない。

 

「何なのだろうな」

 

 ため息と共に言ったその言葉の意味はわからない。だが次のアクションを誰かが起こす前に別の第三者が走り寄ってきた。

 

「どうなさいましたかお客様!?」

 

 先程フランキーにチップを用意した男性であった。ルフィが何かを言う前に、いえ、と冷たい瞳の男が首を振る。

 

「こちらのご婦人に私がぶつかってしまい。──申し訳ありません」

 

 そう言って男が頭を下げる。そのまま膝を床につけると、彼はチップを拾い始めた。

 

「お客様、私が」

「いや私の不注意だ。本当に申し訳ない」

 

 手早くチップを集め、こちらに手渡してくる男。そして男はもう一度頭を下げると、そのまま背を向けて立ち去っていった。職員である男また、一礼して立ち去っていく。

 男の背を睨みつけるようにして見据えるルフィ。あの、と恐る恐るといった調子で声をかけたのはザンバイだ。

 

「大丈夫ですか……?」

「……ああ。あいつはああ言ってたけど、ぶつかってなんかねェ」

 

 ふう、と息を吐くルフィ。少しだけルフィの纏う雰囲気が緩くなる。

 

「えっ、じゃあなんで……?」

「変な奴だった」

 

 その一言がルフィの感じた全てであったのだろう。ウタもそうだ。彼女もまたあの男には違和感を感じていた。

 だがその違和感の中身を説明できない。何なのだろうか、この違和感は。

 

「……え」

 

 そこでウタは『それ』に気付いた。

 あの男に手渡されたチップ入れ。そこに一枚の紙が差し込まれている。まるで隠すように。

 その紙を広げる。書き込まれていた文章は短い。一瞥すれば読める程度だ。

 だが、そこには。

 

「ルフィ」

 

 紙を手渡す。その、瞬間に。

 

「ウタ」

 

 彼の纏う雰囲気が、変わった。

 だってそうだ。当たり前だ。だってそこに書かれていたのは、おそらくホテルの名とその部屋番号と思しき簡単な一文。

 そして。

 ──“堕ちた英雄”の、フルネーム。

 ルフィとウタの、名前であったのだから。

 

「ここに書いてある場所ってわかるか?」

 

 何が起こっているかわかっていない様子のザンバイへとルフィが問いかける。ええと、とザンバイが頷いた。

 

「ここからは近い場所にあるホテルですね……。ただ、安いホテルのはずッスけど」

「そっか。悪ィけど、案内してくれ」

「そりゃ構いませんけど」

 

 ザンバイへと場所の案内を依頼するルフィ。そして彼はその手をウタへと差し出した。

 

「行こう、ウタ」

「うん、ルフィ」

 

 その手を取り、まるで互いの存在を確かめるかのように握り締める。

 

 ……大丈夫。

 きっと、大丈夫だ。

 

 彼が一緒なら、きっと。

 何が、あっても。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 その場所は、ザンバイが言っていた通り決して高級な場所とは言えなかった。建物も古く、立地も良くない。営業終了の予定もあるほどだという話だ。

 そんなホテルの一角にその部屋はあった。ノックをしようとした瞬間、内部から声が響く。

 

「入れ。鍵は開いている」

 

 静かな声であった。応じるようにして扉を開けたのはルフィである。それに続き、ウタも追って部屋へと入る。

 案内してくれたザンバイにはロビーで待ってもらうことにした。何が待っているかわからないし、位置の把握は“見聞色の覇気”で行っている。何かあっても対応できるはずだ。

 

「大胆だな」

 

 中にいたのはカジノで出会った男であった。煙草を咥えているが火は点いていない。正しく咥えているだけだ。

 この部屋にあるのは一つの机と二つの椅子。そしてベッドだけであった。

 ……いや、もう一つ。

 机の上に置かれた電伝虫が、異様な雰囲気を放っている。

 

「呼び出したのはお前だろ」

 

 部屋の中を一瞥し、男を正面に見据えながらルフィが言う。殺意にも似た圧を放つ彼を前にし、そう睨むな、と男は言った。

 

「上司の命令だ」

「……上司?」

 

 思わず問いかけたウタには何も言わず、男は机の上に置かれた電伝虫を操作した。そうはいっても受話器部分を指で叩き、先方に音を伝えたくらいであるのだが。

 僅かなノイズの音が響く。既に繋がっていたらしい。

 相手は誰か。心当たりは──

 

『クワハハハハハハハ!!』

 

 響いたのは、聞き覚えのある笑い声。その声の主は酷く楽しそうな声で言葉を続けた。

 

『久し振りだな!! 生きてるようで何よりだ!!』

 

 その声の主は、この海の情報全てを牛耳る男。人々は彼を数多の感情を込めてこう呼んでいる。

 ──“新聞王”、モルガンズ。

 ルフィとウタ。“海軍の英雄”たる二人も多くの関わりを持った相手である。

 

 

 自分達の置かれている状況、立場、そして世界の情勢。

 理解していると思っていた。その上で逃げるしかないのだと、そう思っていた。

 しかし、理解できていなかったのだ。

 

 知ることになったのは、命の価値。

 ルフィとウタ。たった二人の、あまりにも重過ぎる価値について。

 

 突きつけるような事実。それを世界はきっとこう呼ぶのだろう。

 ──“現実”、と。

 

 

 














休む間もなく次から次へと事態が動きます。しかしそれは拳での闘争とは別のものであり、ついでに言うと大多数にとっては預かり知らぬことでもある。
二人を取り巻く環境を、ようやく二人自身は知ることになるのでしょう。多分。きっと。
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