第四話 命の価値 中編
『まァ古巣っていっても実感はねェだろうがな。そもそも“世界政府”って括りがあまりにも抽象的で範囲が広過ぎる』
ホテルの一室。そこに響くのは“新聞王”の声だ。彼の語りは聞き取り易く、その本質が文字だけではないことがよくわかる。
『さてここで互いの認識の擦り合わせといこう。“世界政府”ってのは何だ?』
「……何、って」
ルフィは考え込む。新兵よりも更に前、正式入隊前に学んだことである。正直苦手な分野であるが、どうにか過去の記憶を引っ張り出そうとする。
そんな彼を見かねたわけではないだろうが、その問いに答えたのはウタであった。
「加盟国で構成される国際組織でしょ」
『エクセレント! ご婦人はよく勉強しているな!』
拍手の音まで聞こえてきた。何となく馬鹿にされている気がする。
『だがその回答はあくまで教科書通りのものに過ぎねェ。今この場で必要なのは実際として──言い換えるなら現実としての“世界政府”って組織の在り方についてだ』
「現実?」
『旦那とご婦人が見聞きしてきたものと言えばわかりやすいか? 理想と現実が違うのは個人だけじゃねェ、組織も同じだ。“世界政府”ってのは国際連合統治機構とでも言うべき組織だが、その実態はそう単純なものでもねェのさ』
難しい言葉が出て来始めた。ルフィは既に頭が熱を帯び始めているのだが、どうにか堪える。
あとどうでもいいが、モルガンズの『ご婦人』なんて言い方は初めて聞いた。彼はウタについていつも“歌姫”と呼んでいたので違和感が凄い。
『長々と政治のお勉強をしたいわけじゃねェ。だからここは単純に言い切っちまうが、“世界政府”ってのはその性質上統一した意識を持つのが本来難しい組織だ』
考えてもみろ、とモルガンズは言う。
『世界中に点在する加盟国が170以上も集まって作った組織? そんなもんどうやって意思の統一を図るってんだ。文化が違う、気候が違う、歴史が違う、立場が違う。人間なんてのは環境一つでその意思が大きく変わる生き物だ。本来まとまるわけがねェ』
「けど“世界政府”が決めたって言葉はよく聞くぞ」
意思統一が難しいというが、基本的にその手のことに興味を持たないルフィでもそんな言葉を聞いた覚えがあるくらいには“世界政府”というものは一定の意思を示している組織だ。彼らが在籍していた海軍も“世界政府”の決定の下で動く場合も多いし、とてもじゃないが意思統一の難しい組織には思えない。
だがそれをモルガンズは否定する。
『そいつを決めてんのは加盟国じゃなくて“天竜人”さ。正確には“五老星”だろうがな』
「……“天竜人”」
ルフィの右手にあの日の感触が蘇る。全てが反転した日。この拳を振るったことに後悔はないし、これからもしないだろう。その確信がある。だが思うところがないわけではない。その重さについてはルフィも理解しているのだ。
その“天竜人”が“世界政府”の意思決定を行なっているというのか。
『“世界政府”が単純な連合組織じゃねェのはそこだ。国家同士の連合組織なんてのは世界中にいくつもあるが、実際的な内情はともかく明確に上に立つ存在を据えている例は珍しい』
その珍しい例が世界で最も大きな連合組織だというのだから妙な話である。だが確かに“世界政府”とはそう言われると特異な組織であった。170以上の加盟国が集まって組織され、彼らが集まって物事を決定する“世界会議”も開催される。円卓という形でそれぞれの立場が対等であるということを示してすらいるのだ。
だというのに、“天竜人”という明確に加盟国の上に位置する存在がいる。そしてそこに異議を申し立てることは許されない。
『始まりの王たちの子孫、“天竜人”。それを明確に上に据えてる経緯についてはどうでもいい。今重要なのは“世界政府”ってのはそういう組織であるってことだ』
「どういうことだ? “天竜人”が色々決めてるってのはわかったけどよ」
『“世界政府”の決定には二種類あるってことだ、旦那』
ようやく本題に至ったのだろう。モルガンズの口調に熱が入る。
『基本的に下される“世界政府”としての決定は“五老星”によるものばかりだろう。明確になっている場合もそうじゃねェ場合もあるが、概ねそうだと見ていい。この辺はまあ、どっちであるか何となく癖というか感覚でわかる』
こういうところは情報の最前線を行く男の面目躍如というところか。常に物事の裏を推測することもまた彼のような者にとってはある種の癖であり、だからこそその肌感覚で察知するのだろう。
『旦那方を賞金首にし、海軍の追撃を決定したのは間違いなく“五老星”の判断だ。そう断定した理由は単純だな。動きが早過ぎる。まあ面子を潰されて何もしねェのは対外的にも良くねェからなァ。その決定も理解はできる』
確かに追撃部隊の編成と動きは早いとは二人も思っていた。その裏には“五老星”がいたということか。
『だがここで疑問が一つ生まれる。──加盟国はどう考えているか、だ』
「どうって」
ウタが呟くように声を漏らした。理由はあれど“天竜人”に逆らったのだ。答えなど決まっていると思うのだが。
だが、モルガンズはそれを否定した。
『答えはおれにもわからねェ。何故なら──』
楽しそうな声。電伝虫の向こう側にいるというのに、両手を広げている姿が見えるようであった。
『──未だにどの加盟国も、明確な態度を示してねェからだ』
◇◇◇
いくつもの話し声が響くレストラン。時間でいうと昼になる前だというのに随分と賑やかだ。人気の店であるのだろう。
そんな店の一番奥にその男女はいた。一見するとカップルのようにも見える二人だが、その居住いには隙がない。見る者が見ればただの観光客でないとわかるだろう。
その二人は食事をしつつ言葉を交わし合っている。賑やかな店内だ。その声が聞こえるのはお互いのみ。
「態度を示してないってどういうこと?」
問いかけたのは女性──コアラであった。彼女は料理を食べ終えてフォークを置きつつ、対面の男性へと問いかけている。
「言葉通りだ。どの国も沈黙してる」
対し、応じたのは金髪の男──サボだ。彼は既に食事を終えており、窓から警戒するように外を見つめながら言葉を紡いでいた。
「国によって事情は違うだろうが、一番大きな理由は海軍の存在だ。世界政府は“天竜人”を頂点とした加盟国の連合とでもいうべき組織だが、海軍は加盟国の兵士によって構成される軍隊じゃねェ」
「うん、そうだね。海軍はあくまで世界政府直下の軍隊であって加盟国とは直接的な繋がりはないし」
「加盟国の有力な軍人が加入したり要請があれば部隊を派遣したりって繋がりはあるが、基本的に海軍は加盟国の主権を尊重してる。加盟国は基本的にそれぞれの国で国防のための軍隊を持ってるからな」
故に海軍は加盟国からの干渉をある程度無視できる立場にあるとサボは言う。世界政府を構成するのは加盟国だが、海軍を構成するのはその加盟国の軍隊ではないからだ。
「だから今回の件では海軍が追撃部隊を組織する形で動いたし、加盟国はその動きがあるから沈黙してる。世界政府──というより“天竜人”に逆らった存在について加盟国は肯定の立場に立つことはねェが、逆に言えば積極的に動く必要もねェ。海軍が動いてるなら任せるって言い訳も立つしな」
「……それでいいの? 色々言われそうだけど」
コアラが首を傾げる。加盟国というのはその内心はどうあれ世界政府を維持する立場にあるはずだ。それが今回の渦中にある二人について積極的な動きを見せないというのはどういうことだろうか。
「そこに絡んでくるのが政治だ。あの二人は世間的に人気もあったし知名度も高かった。例の“金獅子”の事件の後、海軍への志願者も爆発的に増えたくらいだ。……あの事件で全部吹き飛んだけどな」
公式の発表こそないが、“革命軍”が掴んでいる情報ではそれが海軍の現状であった。あの事件の後にその勢いを利用して“世界徴兵”なるものを行う予定であったというが、その全てがあの事件によって吹き飛んだのだ。志願者たちは一斉に取り下げたし、それどころか現役の海兵たちの中からも決して少なくない離脱者が出る始末である。
最近海軍──というより世界政府の動きが活発なのはそれを誤魔化すためもあるのだろうとサボたち“革命軍”の幹部たちは睨んでいる。有力な海兵たちが動き回り、各地で活発になりつつある海賊たちをまるで見せつけるように撃破、捕縛しているのだ。それはおそらく海軍の健在をアピールする狙いがあってのことだろう。
「加盟国はあくまでそれぞれが別の独立国家だ。世界政府のことは勿論考えてはいるだろうが、その優先順位は自国より劣る。わざわざハイリスクな存在に手を出すことはしねェよ」
ルフィとウタ。その存在は加盟国にとって非常にデリケートで扱い難い存在だ。“天竜人”に正面から逆らった彼らは敵であるが、“英雄”として秩序を守ってきたという実績と知名度故に加盟国の者たちからの人気は高い。そこへ表立って彼らに対して否定の言葉でも宣言しようものなら自国の国民の反発を招きかねない。
無論、加盟国の国民たちも馬鹿ではない。それがルールであり法であることは理解している。だが理解と納得は別だ。表立っての不満が出ることはあまりないだろうが、内心ではずっとその不満と不信が燻り続ける。そうなれば厄介だ。一度そうした負の感情を国民から持たれてしまうと、国がやること全てを悪し様に見られ始めてしまう。
「だから自国のことを考えるなら沈黙が最適解だ。それならある程度納得はさせられる。他にも理由はあるが、まあ加盟国は向こうから寄ってこねェ限り動かねェだろう。そういう意味では加盟国に潜り込むのが一番あの二人にとっては安全かもしれねェ。正体を隠せるなら、って条件はあるけどな」
加盟国にとっては目を瞑りたい相手である。あの二人自身も追われていることは自覚しているのだから、そこである種の妥協が成立するのだ。
無鉄砲に見えるが、その裏側に深い思慮がある──それが“革命軍”が二人に対しての評価であった。特にルフィの父親である“革命家”ドラゴンの印象があるせいで余計にその辺りの評価が高くなっている部分がある。
割と致命的なすれ違いというか勘違いであるのだが、残念ながらそれを正せる者はいない。
「だとしたら、このウォーターセブンのどこかにいるかもしれない?」
首を傾げながらコアラが言う。情報が集まる可能性が高いことを考えてウォーターセブンへ来たわけであるが、先ほどのサボの理屈でいうならそもそもから本人たちがここにいる可能性が高いということだ。
「それなら話は早ェな。あの国じゃ大して話も──」
瞬間、サボの頭に強い痛みが走った。思わず顔を顰めるが、それも一瞬だ。痛みもすぐに引いてく。
「サボくん?」
だが、目の前にいるコアラはその一瞬も見逃さない。そんな彼女へ大丈夫だ、とサボは応じる。
「また体調が?」
「いや。……それより、イルはどうした?」
話を逸らすため、強引にこの場にいない女性の名をサボが上げる。コアラは少し不満そうな顔を浮かべたが、サボの意図を察して言葉を紡いだ。
「街の地形を頭に入れてくるって」
「……朝もそう言ってなかったか?」
「うん。だからそれからずっと。さっきも連絡したんだけど、『任務を続行します』って」
このウォーターセブンの中へ“革命軍”から潜入したのはたったの三人である。大所帯では目立つし、そもそもどこにいるかもわからない。故に別れる必要があったからだ。
サボ、コアラ、そしてイル。この三名がウォーターセブンへと入った三人だ。魚人であるハックなどはどうしても目立ってしまうためバックアップに回っているし、他の構成員たちも周囲の島へ潜入して情報収集をしている。
そもそもこの辺りは“エニエス・ロビー”が近いこともあって海軍の影響力が強い。あまり大所帯で動かない方がいいのだ。故の少数行動であるのだが。
「働き過ぎだから止めようとしたんだけど……ほら、無理に止めると」
「……ああ」
コップを握る手に少し力を込めて言うコアラと、そんな彼女に対して頷きを返すサボ。脳裏に浮かぶのは少し前のとある出来事だ。
あの“金獅子”が引き起こした事件の後、サボたちは偶然から彼女を拾い上げた。意識を取り戻した当初は負傷もあって動けずにいたのだが、ある程度動けるようになった彼女は働くことを希望したのだ。怪我人にという思いもあったが、“革命軍”も人手不足である。力を借りることにした。
そして実際、彼女は非常に優秀であった。手慣れ過ぎていると言っていいほど完璧に雑用をこなしてくれたし、その姿を見て“革命軍”のメンバーも警戒を緩めたくらいだ。
しかし、生死の狭間を彷徨うような重傷から復帰した直後である。やはり無理が出てしまった。だが、その時に彼女は──
“申し訳ありません。すぐに戻ります”
明らかに無理をしていた。だがそれを隠し、そう言ってのけたのだ。
遠慮であるとか強がりであるとか、そういうものではなかった。そこにあったのは義務感であり恐怖であり、そして彼女の過去だ。
そんな彼女の背景に気付くことができたのはコアラだけであった。イルのそんな姿にかつての自分を見たのである。
「イルは多分だけど、治らないと思う。治す、って言い方は傲慢かもしれないけど」
「健全とは言えねェ状態だ。治すってのは正しいんじゃねェのか?」
「でもね、サボくん。イルにとってはあれはきっと人生そのものなんだよ」
諭すような言い回しであったが、重みがあった。何かを確認するようにコアラは自分の右手を見つめている。
「そういう生き方しかできないし、知らないの。それ以外の生き方──在り方は許されない。きっとイルはそういう生き方をしてきたんだと思う」
かつて彼女自身もそうであったからこそ分かることなのだろう。コアラという人間が今“革命軍”にいる理由もそこにある。
「間違ってるともおかしいとも思わないし思えないの。……後からその生き方が間違っていたってわかったとしても、それでもどうしても心の奥に残ってしまう。その生き方を誇っているわけでもないのに」
過去とはそういうものだ。消し去ることはできないし、拭い去ることもできない。どれだけ否定しようとも、拒絶しようとも。そこにあった事実だけは必ず残ってしまうのだ。
「お前もそうなのか?」
思わず口をついて出た言葉だった。真剣な表情のサボに対し、コアラは小さく手を握って苦笑を浮かべる。
「違うって、そう思いたいかな?」
やはりその言葉は重く、そして生々しい。
沈黙が降りる。周囲の話し声だけがぼんやりと二人の耳へと入ってくる。
そんな中。
「──“生まれてきても、良かったのかな”」
まるで器から溢れたような言葉であった。えっ、とその呟きを耳にしたコアラが目を丸くする。だが驚いたのはサボ自身だ。
「いや……何でもねェ。ふと、何か。そんなことを何処かで」
靄のかかったような感覚。頭の奥に何かがある。
「もしかして記憶が戻ったの?」
コアラの問いかけ。そこには期待と少しの恐れがあった。そんな彼女に対し、いや、とサボは首を振る。
「思い出せねェ。けど、そうだな、よくわからねェけど」
呟く。失った記憶。思い出せない過去の中でかつて自分はその言葉を聞いたのかもしれない。
もしそうであるならば、その時自分はどう思ったのだろう。その言葉を口にした人物へ、何と言ったのだろう。
ただ、言えるのは。
「自分が何のために生きてるのかとか、生まれてきたのかとか……そんなことを考える前に。生まれてきたことの是非を考えるような状況なんてのは」
何のために生きるのか、生まれてきたのか。そんな目的を探すことがある意味で“人生”と呼べるものなのだろう。今のサボは過去の記憶がないが、その目的は見つけている。そのために生きている。
だが先程の言葉はそこへ至る以前のものだ。そもそもこの世に生を受けたという事実に対する疑問である。
そんなことを考えること。考えてしまうということ。
それは、きっと。
「──辛ェだろうな。想像もできねェくらいに」
そんな風に、思うのだ。
◇◇◇
世界情勢というものに対し、モルガンズほど精通している人物はいないだろう。ただの事実として二人もそれは認識している。故にこそその言葉には重みがあるように思えた。
『これは政治的な話だ。世界政府とはいうがそれは国家の集合体であり、それぞれに思惑があれば事情もある。結局のところ自国が最優先なのさ。当たり前っちゃ当たり前だがな。自国よりも他国を優先するような王、或いはリーダーがその国の人間からはどう見えるかって話だ』
君主制であろうと共和制であろうと、どんな形態の国家であってもそれは同じだ。自国の民を飢えさせながら他国の民を肥えさせるような指導者というのはいつの時代も否定される。
『そういう意味で旦那方は劇薬だ。世界政府のルール上では敵であることは間違いねェ。だがそれを口にすることにはリスクがある。旦那方は今世界中で人気者だからな』
「どういうことだ?」
ルフィの問いかけ。それに対し、電伝虫の向こうでモルガンズが笑ったのがわかった。
『言葉通りさ! 想像してみろ! 800年だ! “天竜人”に逆らった人間は歴史上には数多いる! だがその全てが悲惨な末路を辿った! しかしだからこそ憧れるのさ! 絶対に逆らってはならない存在! 何をされようと首を垂れるしかない存在に逆らい! そして逃げ延びようとするかつての英雄に夢を見る!! 自分たちには選べなかったその生き方を仰ぎ見るのさ!
地位も!! 名誉も!! 積み上げた全てを捨て去って!! 何もかもを敵に回すと知っていて!! それでも迷わずその未来を選んだ存在にな!! 泣ける話だ感動するぜ!!』
酷く楽しそうに笑うモルガンズ。ルフィが何かを言いかけるが、その前に畳み掛けるように彼は言葉を続ける。
『旦那方に民衆は夢を見ているのさ!! 神に逆らうその生き様に憧れるんだ!! そう憧れだ!! だからこそ熱を持つ!!
子供を殺された親がいる!! 恋人を連れ去られた者がいる!! 親を奪われた子供がいる!! 人生を踏み躙られた奴がいる!! その誰もが抗えなかった己を呪っている!! 恨んでいる!! 憎んでいる!! クワハハハ!! まるでこの世の地獄だなァ!! だが地獄には救いがあるもんだ!! どんな国でも共通するお伽話さ!! どれだけ過酷な地獄だろうと必ず救いはあるってなァ!!』
モルガンズの言う通り、それはある種不思議な現象であった。地獄の定義については様々であるが、一つ共通することがある。それが『救い』だ。どんな形をしたものであれ、それは必ず地獄という概念と共に語られている。
『──その“救い”がここにいる。一般市民にとってはあまりにも眩し過ぎるだろうよ』
ほんの少し。そう、ほんの一瞬だけ。
その言葉に、モルガンズの本心が見えた気がした。
『いや羨ましいな! 世界中から好かれて万一殺されでもしたら下手人は世界の敵だ! そりゃ加盟国にとっちゃ劇薬も劇薬! しかも自分を蝕むタイプのな! いやァ怖ェ怖ェ!』
だがすぐにモルガンズはいつもの調子に戻ると、そのまま彼は言葉を続けた。
『まァそういうわけだ。加盟国にしてみりゃ旦那方は出来れば関わりたくねェ相手なのさ。懸賞金も個人にしてみりゃ高額だが、国家にとっちゃ端金だ。その上直接の下手人になっちまったら余計な恨みを方々から買うことになる。内からも外からもな。割に合わねェ』
「でも、私たちは」
拳を握り、そう言葉を紡いだのはウタだ。彼女は何かを探すように視線を彷徨わせ、次の言葉を探す。だが見つからず、口を閉じてしまった。
そんな彼女の言葉を拾うようにして言葉を紡ぐのはモルガンズだ。
『そう、“悪”だ。少なくとも世界政府はそう定義した。加盟国にも建前ってもんがある。割に合わなかろうが、見つけちまった以上対処はするだろう。そういう視点で見るなら危険かもしれねェな』
世界政府を──“天竜人”を敵に回すとはそういうことだ。その枠組みに属している以上、内心はどうあれそのルールに従うことになる。故に加盟国は二人を見つけ次第対処しなければならない立場にあるのだ。
『この辺の曖昧さを早々に潰したのは流石に世界政府と海軍だな。追撃部隊を即座に組織したおかげでそのスタンスを明確にした。まァ、その規模については言いてェことがあるが』
「……追撃部隊」
あのヴェルゴ中将率いる部隊のことだろう。彼らの存在は二人にとって自身の立場を自覚させる上で大きな意味があった。二人はこう思ったのだ。
嗚呼、そうか。
もう海軍は──かつての同胞たちは、戦友たちは敵になったのだ、と。
「……加盟国が敵だっていうのはわかった」
確認の言葉をルフィは口にする。彼らは海軍という立場上、関わるのは加盟国ばかりだ。その全てが敵になるというのは少しばかり思うところがある。
だがそれを嘆くのは後だ。現実として目の前に広がっていることを、自分はあまりにも知らなさ過ぎる。それが分かる程度にはモンキー・D・ルフィも世界を見てきているのだ。
「このウォーターセブンからも出ていくべきなんだろうな」
『長居はしねェ方がいいだろうな。そこは政府の人間の出入りも多い』
「そうか、わかった」
元々長い時間を過ごすつもりはなかったが、そこにこうして裏付けがあるなら動く時の気持ちも楽だ。
ルフィもウタも無自覚であるが、二人とも心のどこかで今いる場所から動かない理由を探し始めている。そこには疲労が影響しているのだろう。いつ追手が来るかわからない、気が休まらない状況で海上にいるのは非常に精神を消耗する。
そう、精神である。肉体と違い、精神の疲労というものは見え辛い。それを自覚した時には大抵が手遅れなのが最悪だ。
ルフィとウタの場合本人たちがその性格上精神的に頑強であり、そして今までどんな逆境であれど乗り越えてきたという事実がこの場合は悪い方向へと傾いていた。彼ら自身が『限界』というものを把握していないのだ。
海軍にいた頃であれば誰かが気付いたであろう。だが今の彼らには満足な協力者もなく、そして互いが互いを想うが故に無意識のうちに無理をしてしまっていた。
──破綻の足音は徐々に迫りつつある。
この問答でそれに気付けた者がいないのは、不運と言えるのだろうか。
『ま、加盟国としちゃ下手に動けば自分たちがリスクを全部背負うことになる。だからこその沈黙だ』
モルガンズが最初に告げた言葉にようやくここで帰結する。どういうことだ、というルフィの問いにモルガンズはどこかつまらなさそうに答えた。
『政治さ。例えばある国が“奴らは悪い奴らだ、捕まえよう”とでも言ったとする。そうなりゃ他の国はこう言うのさ。“素晴らしい。力をお貸しします”ってな。これは要するに“言ったからにはお前がやれ”って意味だ。国の発言ってのは重い責任がある』
言い回しは俗っぽいが、ある種これは真理である。やるべきだと言い出したならば率先してやれとなるのは目に見えており、更に言えば他の賛同した国はそんな国を形だけでも支援すれば体裁は保てる。政治というのは実に厄介だ。
そしてそんな形で矢面に立った国の利益などほとんどない。最悪の貧乏くじである。
『つまりまァ、加盟国が積極的に動くことは現状ねェだろう。藪をつついて蛇が出るなんてことにならねェ限りはな』
「薮?」
『余計なことをしなけりゃいいってことだよ、旦那。これは純粋なアドバイスだ』
ふう、と息を吐くモルガンズ。彼はそのまま言葉を続けた。
『ま、“世界政府”についてはこんなもんだ。だが“世界政府”なんて言ってるがこの世界にあるのはそれが全てじゃねェ。当然だがその影響の及ばねェ連中もいる』
小さく震えたのは、ウタの体だ。彼女はモルガンズが何を言おうとしているのかがわかったのだろう。
世界政府と海軍、そこに属さない勢力。思い浮かぶものはいくつかある。
『世界ってのはいつも複雑だ。そしてこの盤面で世界政府と歩調を合わせず、それでいて旦那方に関わろうとする勢力はいくつかあるが……まずはこいつだろう』
ルフィもまたウタの手を握った。背中に回している麦わら帽子が酷く重い。
まるで何かを──訴えるように。
『──“赤髪のシャンクス”』
その名前は、まるで。
不吉な調べのようだった。
情報というのは誰が語るかも割と大事というお話。基本的な見解が一致していても、割と結論が違うというのもまたよくあるお話。
相手があのモルガンズだということは忘れてはなりません。
向き合わなければならないことばかりの二人にとって、彼の口から出たその名前はどんな形で目の前に現れるのでしょうか。