第六話 かつて見た、“熱狂”というもの
W7にあるカジノはスタンダートなものであるが、一つだけ特色がある。それがこの周辺に生息する生物“ブル”によるレース──“ヤガラブルレース”だ。
ヤガラレースやブルレースなど色々な呼ばれ方をしているそのルールは至極単純であり、レースごとに指定されたチェックポイントを順番に通過した上でスタート地点であるカジノのレース場に戻り、ゴールするというものだ。ギャンブルとしてはどのブルが勝つかを賭けるという形になる。
この手の動物によるレースをギャンブルとすること自体は世界中で見られるものだ。単純に馬を用いた競争が最もメジャーだろうが、ウォーターセブンのようにその地域特有の生物を用いたレースも数多く見ることができる。ギャンブルとはせず、純粋なスポーツとしている国や地域も多い。
有名なのは西の海にあるとある大国で行われている“戦車レース”だろうか。車輪のついた籠のような形をした乗り物に“騎手”と呼ばれる者が騎乗し、それを複数の馬によって引かせて競い合う。チーム戦もあれば個人戦もあるその競技はギャンブルの要素を兼ねつつスポーツとしても高い地位を得ていた。スター騎手は国民の誰もが名前を知るほどの人気者になるといえばその規模がわかるだろうか。
ウォーターセブンの“ヤガラブルレース”にはそこまでの規模はない。だが娯楽としては一定の地位を得ているし、市民からの理解もある。これについてはこのウォーターセブンという都市に活気があるということ、そして悪いイメージを持たれないようにと運営側が努力を続けてきた結果だろう。実際、スタート地点兼ゴール地点であるレース場には様々な者たちが集まっており、全体的に雰囲気が明るい。
──まあ、とはいえ。
『次が本日の最終レースです!! 皆様への感謝として最終レースの払戻率は90%に設定しております!! 奮ってご参加ください!!』
「「「ウオオオオオオオオオオッッッ!!」」」
ギャンブルはギャンブルであり、直接的に金が動く以上はどうしても熱が入る。あまりの熱気に気温はそこまで高くないのに汗が出そうであった。
「前に行ったとこより凄ェなァ」
「あそこも熱気はあったけど、もう少し上品な感じがあったよね」
そしてその熱気についていけないルフィとウタ。二人が思い浮かべるのはかつて訪れた世界最大のカジノを有する“グラン・テゾーロ”だ。あそこもギャンブルに対する熱気が凄かったが、ここまで強くなかった気がする。というかここが少し怖い。
「あっちは全体的に活気はあるけどここまでじゃないし……このレースが特殊なのかも」
ウタが背後を振り返り、スタンダートな設備が整ったカジノの方を見る。そちらにも大勢の人間がおり活気もあるのだが、彼女の言う通りこちらほどの熱はない。普通といえば普通の活気なのだ。
……やはりこっちが特殊なのだろう。多分。そう思いたい。
「で、フランキー。おめェはどう見る?」
「最終レースは今日レース走って負けた奴がもう一回走るレースだ。セオリーでいくんなら早めのレースに出てた奴が疲労も抜けてるはずだがなァ……」
「コースにもよるはずでしょう。最終レースはどんなコースなんです?」
そして膝を抱えていた男三人は立ち上がったと思ったらすぐにその場に円の形になるように座り込んでいた。その中心には新聞らしきものがあり、そこに載っている情報を見ている。
「コースはスタンダートだな。第七と同じでチェックポイント二つだ。だが時間を考えれば水路も混み始める。そこも考慮しなきゃならねェ」
「第一と第二から一頭ずつ……だが、こいつら両方とも全力で競り合って二着か。こりゃ疲労は抜けてねェだろ」
「ブルの様子を見て判断するのは?」
「よっぽどじゃねェ限りわからねェな。疲れてるから落ち着いてんのか、余裕があるから落ち着いてるのかもわからねェ」
真剣な表情で話し合っている三人だが、内容はギャンブルについてである。その光景を見て何とも言えない表情をするルフィとウタであったが、そんな二人が持っているチップの入った容器を見たフランキーが声を上げる。
「なんだおめェら、チップ残ってんのか」
「ん、ああ」
モルガンズとの対話のせいで使っていなかったのだ。だがそれを言うのもと思って曖昧に頷く二人に対し、フランキーが笑みを浮かべる。
「やるじゃねェか。見たとこプラマイゼロってとこだろ?」
使っていないから当たり前であるが、確かにプラスマイナスゼロである。
「新しい子分か、フランキー?」
「ウチの客分だ。子分共が世話になったんでな。しばらくはウチにいる」
「ほー」
ゴーグルを着けた青い作業衣の男が葉巻を咥えながらフランキーの言葉に頷く。そのまま彼は立ち上がって一礼した。
「おれは“ガレーラ・カンパニー”で船大工をしてるパウリーだ。よろしく頼む」
「船大工なのか」
パウリーの言葉に対し、ルフィが反応する。思い浮かぶのはここまで二人を運んできたあの小舟だ。本来長距離航海を想定していない船でここまで来たあの船はかなりのダメージを抱え込んでいる。今後のことを考えると、何とかしなければならなかった。
「ああ。もし船の相談があるなら何でも言え。請け負うぜ。──このレースの後でな」
格好いいのか悪いのか。悪い人間ではないのだろうが、どうにも決まっていない。
まあ、とはいえ挨拶をされたのならば返さなければならない。ルフィは反射的に言葉を返す。
「わかった。おれはル──」
「──ルーシーね。私はアト」
だが、最後まで言い切る前にウタが割って入った。ルフィもハッとなる。
ルフィとウタ。広く知られたこの名前はあまり表に出すべきではない。わかっていたはずなのに、ここの妙な空気のせいで少し警戒が薄れていた。ルフィは改めて気を引き締め直す。
ルーシーとアト。その偽名は咄嗟に出たものなのだろう。思いつきで口にした感じが強い。
「その仮面と仮装からするに観光か? どっかで祭をやってるって聞いたが」
「えっと、まあ」
「おれは興味ねェが、まあ楽しんでいってくれ。“海列車”には乗ったか?」
「いや、まだだ」
ルフィが首を横に振る。勿体ねェな、とパウリーが笑った。
「あれはウォーターセブンの誇りだ。是非乗ってくれ」
笑顔と共に語るパウリー。フランキーもそうであったが、“海列車”というのはこのウォーターセブンの住民たちにとってかなり大きな意味を持っているらしい。
「わかった」
頷きを返すルフィ。その彼に何かを言いかけたパウリーだったが、レース場へ届いた放送によって掻き消される。
『レース参加のブルたちが入場します。投票締め切りは30分後です』
ワッ、と周囲が沸いた。パウリーもまた反応し、すぐさま駆けていく。
「悪ィな!」
そしてフランキーともう一人、盲目の男を引き連れて入場するブルたちを見ようとする観客たちに紛れ込んでいく。随分と俊敏な動きだった。
「……やってみようかな」
熱に当てられてしまったのだろうか。ポツリとウタがそんなことを呟いた。そうだな、とルフィも頷く。
「フランキーがくれたのもあるし」
二人が持っている容器に入ったチップ。使う前にモルガンズとの対話があったせいで持て余していたのだが、折角の好意で貰ったのだ。使わないのも良くない気がする。
だが、ルールがわからない。二人して首を傾げていると、“スクエア・シスターズ”の二人とザンバイが歩み寄ってきた。
「あ、お二人も参加しますか?」
「うん。でもルールがわからなくて」
「簡単だわいな」
ウタの言葉に対して応じたのはモズだ。彼女は少し離れた場所にある巨大な映像電伝虫を指で示しながら言葉を紡ぐ。
「“ヤガラブルレース”は町中を走るレースなんだわいな。レースごとに決められたチェックポイントがあって、そこを正しい順番で通過してここへ帰ってくる。その順番を当てるんだわいな」
「当て方にも色々あるけど、初心者なら単純に一着になりそうなのを探すのが一番だわいな」
「ふむふむ」
頷く二人に対し、ザンバイが横手から一枚の紙を差し出してきた。そこにはいくつかの番号とブルたちの写真、おそらくそれを操る者たちの写真が載っている。
「とりあえずこれがこの後のレースに出る奴らの簡単な情報ッス。アニキたちが持ってた新聞とかだともっと色々情報が載ってるんスけど、見方もわからねェと思うんで」
「どこまで信用していいかもわからないからいらないわいな」
「さっきも丸呑みして完敗だわいな」
肩を竦める“スクエア・シスターズ”。そしてルフィとウタは渡された紙を見るのだが、正直よくわからない。わかるのはそれぞれの名前と番号くらいだ。
「……わからねェな」
眉を顰めるルフィ。麦わらさん、とザンバイが言葉を紡いだ。
「なら“ブル”を直接を見て決めたらどうです?」
「見れるのか?」
「さっき入場って言ってたんで出てくるはず──あ、出た」
ザンバイの指差す方向。巨大なスクリーンに電伝虫がその映像を投影した。少し画像が荒いが、そこに映っているのは順番にゲートから出てくる“ブル”たちだ。
背中の鞍に乗る者たちの誘導に従い、思い思いに“ブル”たちが泳いでいる。その動きも様々で、暴れているかのように思えるくらい元気なのもいれば逆にあまり動かずジッとしている“ブル”もいる。
「騎手の付けてるゼッケンがその番号ッス。勝ちそうなのを選んで紙に書いて出せば大丈夫ですよ」
「ふーん」
改めて画面を見るルフィ。だが画面越しであるからかイマイチピンと来ない。
「直接見た方がいいかも」
ウタも同じ考えに至ったらしい。ああ、とザンバイが頷いた。
「じゃあこっちへ。ちょっと距離ありますけど──うおっ」
そうして歩き出したザンバイが、一人の男とぶつかった。そのまま彼が尻餅をつく。
「おお、すまんのう」
ザンバイは決して貧弱な体格をしているわけではない。賞金稼ぎを副業としているだけはあり、相応の鍛え方はしている。
だというのに、その彼が当たり負けていた。
不意のことであったというのもあるだろう。だがそれは相手も条件は同じ。つまりザンバイと相手では根本的な部分で肉体的な強さが違うのだ。
だが、それよりも。
「…………」
ルフィもウタも、衝撃で言葉を発することができないでいた。人間、想定外のものを目にすると動きが止まるものである。
その人物には一つの特徴があった。──鼻である。
そう、鼻。人体のパーツというのは千差万別だ。故に外見的特徴を有しない者など理屈場存在しない。そうでなければそもそも人の顔を判別などできないだろう。
だが、その特徴といっても限界がある。
そして目の前の人物は、明らかにその限界を突破していた。
「──ウソップ?」
それはかつて共に戦い、道を違え、しかし妙な縁を繋ぎ続ける海賊の名前だった。
だが、しかし。
「すまんのう、よそ見しておった」
様子がおかしい。
◇◇◇
あまりにも長すぎる鼻。そんな特徴を持つ人物など一人しか知らない。
その青年の名はウソップ。かつてルフィとウタが訪れたとある島で暮らしていた青年であり、“勇敢なる海の戦士”になることを夢見ていた人物だ。
中々に愉快な人物であったが、同時に彼は既に“勇敢なる海の戦士”であった。“百計のクロ”という海賊の策略によって村が襲われかけたのを守りきり、そしてその全てを公表せず胸の内にしまい込んだのだ。村で暮らす者たちに無用な恐怖を与える必要はない──そう言った彼は正しく、誇り高き“勇敢なる海の戦士”であった。
当初はとある事情からウタとは衝突したのだが、実際の戦いや傷だらけになりながら全て抱え込むと決めた彼の姿を見て和解することになる。
“一緒に来いよ、ウソップ”
そんな彼をルフィが海軍に誘ったのはきっと必然だったのだろう。“勇敢なる海の戦士”──その目標は海賊ではなく、海兵であっても達成できるではないかとウタも説得した。
“誘ってくれんのは嬉しいけどよ。おれはやっぱり海賊になりてェんだ”
だが、彼はそう言って手を取らなかった。“赤髪海賊団”の狙撃手の息子。海賊を父に持つ男のスタンスはウタとは真逆であったのだ。
海賊の父を恨み、憎んでいた彼女と。
海賊の父を尊敬し、憧れていた彼。
一度は交わったその道が分かれたのはきっと、運命でもあったのだろう。だが一度繋いだ縁というのは中々切れないものらしい。幾度となく彼らは顔を合わせることになった。
その彼の一番の特徴はその長い鼻である。一目見たら絶対に忘れないその鼻を持つ人間など二人もいないと思ったが──
「痛ェなコラ!」
「だから謝っとるじゃろう」
「落ち着くわいな」
「余所見してたのはお互い様だわいな」
ザンバイの抗議に対し、その男は冷静に応じている。その口調でようやくルフィとウタも目の前の男がウソップではないことに気付いた。
「ね、ルフ……ルーシー。鼻が四角い」
「本当だ。ウソップじゃねェな」
はー、と何故か感心したような雰囲気の二人。つい先程までの重い空気が一連の流れで消えてしまっているのはいいことなのかどうなのか。
そしてそんな二人に気付いた男がこちらに歩み寄ってくる。
「そのウソップという者は知らんが、ワシは“ガレーラ・カンパニー”で船大工をしておるカクじゃ」
見た目の年齢は若いのに、その口調は歳を重ねた老人のようだ。その物腰からもあの青年ではないことがよくわかる。
いやしかし本当に鼻が……と二人の視線がカクと名乗った男に向く。仮面のおかげでその視線には気付かれていないのは幸いなのだろう。きっと。
「どうもフランキー一家とは毛色が違うようじゃのう」
「ウチの客分だわいな」
「ほう。それは珍しい」
キウイの言葉に頷くカク。その彼に対し、ルフィが言葉を紡いだ。
「お前おっさんか?」
「ワシャ23じゃ」
「話し方がお爺さんみたい」
「ワハハハ、よう言われるわい」
笑い声を上げるカク。その彼は丁度ええわい、と言葉を紡いだ。
「お前たちがおるということはフランキーもおるじゃろう? どこにおるんじゃ?」
「アニキに何か用か?」
「お前らが持ってきた資材の買取査定が終わったのでのう。人探しのついでに寄るつもりじゃったが、手間が省けたわい」
言うと、カクは一枚の紙を取り出した。それを見たザンバイがあー、と納得する。ルフィたちは知らないが、それはフランキー一家が解体した船の資材を“ガレーラ・カンパニー”が買取査定した書類だ。後はここにサインすれば契約が成立する。
「人探し?」
「今日は休みなんじゃが、ちと所要ができてな。パウリーの奴ならここにおると思ったんじゃが」
「パウリーって、さっきのゴーグルの人?」
思わずウタが声を上げる。おお、とカクが笑みを浮かべた。
「やはりここにおったか。どこにおるかはわかるか?」
「あっちの方だわいな」
「すまんのう」
「おれらも行く。アニキもいるだろうし」
そして大人数での移動を開始する。周囲には大勢の人間がおり、その中を縫うようにして進んでいく。
「客分とは何があったんじゃ?」
「お二人はおれたちを海王類から助けてくれたんだよ」
「それはまた凄いのう。ここへは観光で?」
「まあ……一応」
「大歓迎と言いたいところじゃが、少しタイミングが悪いのう。今は“アクア・ラグナ”が来る時期じゃ」
「“アクア・ラグナ”?」
聞き慣れない単語を耳にしたウタが聞き返す。ああ、とカクが頷いたところで目的の人物たちが見えてきた。
「お、カクじゃねェか」
あちらもこちらに気付いたらしい。パウリーがカクの姿を見て反応する。
「なんだよ、お前もやりにきたのか?」
「ワシはギャンブルはせん。お前を探しに来たんじゃ」
「おれを? 何かトラブルか?」
「いやそうではない。アイスバーグさんが呼んでおってな。届け物ついでに探しに来た」
「アイスバーグさんが?」
パウリーが首を傾げる。まあ、とカクが肩を竦めた。
「そこまで急いではおらんようじゃ。今日中に顔を出すように伝えてくれと言うておったぞ」
「わかった。このレースが終わったら向かう」
「相変わらず好きじゃのう」
「勝ったら奢ってやるよ」
「勝てたらの」
職場の同僚らしい気安い会話。その隣ではフランキーがザンバイたちに声をかけている。
「おお、ザンバイ。やはり今週のおれは駄目なようだ」
「えェ!? どうしたんですかアニキ!」
「──金がねェ。全部消えた」
「えー……」
流石のザンバイも反応に困っていた。なんというか大分フランキーという男のことがわかってきた気がすると、そんなことを二人は思っていたりする。
「これ使うか、フランキー」
そんなフランキーの姿を見て、自分が持っているチップを手渡そうとするルフィ。元々彼から貰ったものである。故にルフィとしても自然な流れであったのだが、フランキーは馬鹿野郎、とその右掌を前に出して首を振る。
「そいつはお前らに渡したもんだ。お前らが使え」
「でも、お金ないって」
「そりゃおれの事情だ。客分に気を使わせるわけにもいかねェだろう」
ルフィとウタが顔を見合わせる。妙なところで筋を通そうとする男だ。だから慕われているのかもしれないが。
「だが現実どうするんです? 金がねェんじゃ勝負することすらできやしねェでしょう」
そう言ったのは盲目の男だ。フランキーが腕を組み、うーんと唸る。
「どうするかねェ……」
「言っとくがおれは貸さねェぞフランキー」
パウリーが釘を刺しにかかる。対し、盲目の男が自身を指差しながらフランキーに提案した。
「お貸ししやしょうか? ここのルールを教えてもらった恩もあるんで」
「馬鹿! 水臭ェこと言うんじゃねェよ。おれはダチからは金を借りねェのさ」
「ダチ、ですかい」
「おうよ。共に大勝負を潜り抜けた仲だろうが」
親指を立てて言うフランキー。その結果が先ほどの体育座りであると考えると何とも言えない。
「嬉しい話ですねェ……。この年で新しい友人ができるとは」
笑みを浮かべる盲目の男性。ある意味いい話ではあるのだが、その友情がギャンブルによって構築されたと考えると思うところがある。
「それなら丁度良かったかのう。ほれ」
「あん? なんだこれ?」
「持ち込んできた資材の査定額じゃ。サインをしてくれればええわい」
「てことは金か! 助かったぜガレーラ!」
受け取った査定用紙を見て声を上げるフランキー。そのまま彼は近くにいたスタッフに声をかける。
「おいこれをチップに変えてくれ!」
「え、いえフランキー様。当店は基本的に現金を……」
ギャーギャーと騒ぎ始めるフランキー。それを横目にルフィとウタはレース場へと視線を向けた。
スタートラインとされる場所には一列のゲートが並んでおり、その奥で“ブル”たちが思い思いに過ごしていた。動き回るもの、微動だにしないもの、一定のリズムで緩やかに動くもの。
周囲が随分騒がしいのだが、“ブル”たちも落ち着いたものである。慣れているのもあるし、そもそも人間の生活に密接した生物であることも大きいのだろう。
「色々いるなァ」
その光景を見ながらポツリと呟くのはルフィだ。彼は常に展開している“見聞色の覇気”によって常に周囲の感情を把握している。思考が読めるわけではないが、その方向性についてなんとなくであるが把握できるのだ。
この場所はあちこちから熱を持った感情が押し寄せてくる。まるで津波のようだ。高まり、弾け、引き、そして再び高まる。そこには様々な感情が込められているがしかし、敵意は感じない。
この感覚にルフィは覚えがあった。人々の熱狂。多くの感情の発露。
叩きつけるような感情の本流。それをルフィは何度も見てきた。
「本当だね」
この隣にいる“歌姫”のライブで。いや、少し違う。彼女が作っていた熱はもっと凄かった。何度も、何度も。様々な場所で見続けてきたのだ。
歌う、彼女の姿が好きだった。
彼女の歌が、大切だった。
その在り方を、守ると決めた。
──何が、あろうとも。
例え自分が、どうなろうとも。
「…………」
ほとんど衝動的な行動だった。ルフィがウタの頭を軽く撫でる。仮装のフード越しであったが、そこに確かに彼女がいることがわかった。
「えっ、何?」
困惑する様子のウタ。対し、ルフィは手を離さないまま応じる。
「なんでもねェ」
嗚呼、けれど。
本当に、何度目なのだろうか。
かつて持っていたもの。目にしていたもの。そこにあったものを。
失ったのだと。失ってしまったのだと──そう、突きつけられるのは。
これが、世界に抗うということ。
これが、“神”に逆らうということ。
あまりにも残酷で、どうしようもない現実。
どうにかしたいと思っても、拳ではどうにもできない。そういう問題ではないのだ。
それが現実であり、覆せない事実だと。ただ、それだけのことなのに。
──その事実が、何よりも重かった。
◇◇◇
地形を頭に入れるというのは己の役割であると同時に彼女の内に残る恩人の言葉からくるものであった。
大海賊“金獅子”が孫娘と呼んだ彼女に告げた言葉。
──“世界を見て回れ”。
その真意はわからない。だが愚直にも彼女はそれを実行しようとしていた。訪れた場所を隅々まで見て周り、地形を頭に叩き込む。“革命軍”は世界政府と敵対関係にある組織だ。故に基本的な行動は隠密行動になるため、彼女の行動は決して無駄ではない。
これが“金獅子”の望んだ形であるかどうかというときっと違う。だが彼女にはこういうやり方しか思いつかなかった。
「……あれは」
ただ、一つわかっていることがある。生の情報を得る最良の方法はいつだって現場に行くことだ。実際にその目で見たものというのは非常に重要な情報になる。
そして今、彼女はその光景を目撃していた。
「あの海兵は……」
あのメルヴィユでの戦いで、自分に銃弾を叩き込んだ海兵。あれが戦争であった以上、特に思うところはない。傷も今更のことだ。
だから個人的な感情としてではなく、何故あの海兵がここにいるのかという方が重要だ。
そう──“ガレーラ・カンパニー”の中枢、一番ドックの正面に。
しかも彼女がもう一人の海兵と共に向かい合っている相手はこのウォーターセブンの市長であり、“ガレーラ・カンパニー”の社長だ。
「…………」
雰囲気から察するに、どことなく物々しい。故に彼女はフードを被り直し、不審がられないように通りすがりを装ってゆっくりと彼らの側へと歩み寄る。
自分たちに何も関係がないならそれでいい。だがこのウォーターセブンは普段海軍が立ち寄ることはあってもそれは補給のためだけだ。それがわざわざ都市の責任者と話をしているという事実を無視してしまうのはよくない気がしたのだ。
一番ドックというのは常に人だかりができているような場所だ。故に紛れ込むのは難しくない。大勢の職人が何やら奥で騒いでいたが、逆に紛れ込む上では注意が逸れてありがたい話であった。
そうして近付いたイルは何事かを話している彼らの話し声に聞き耳を立てる。その時、耳に飛び込んできたのは二人のこんな会話であった。
「一応確認しよう。認識の違いがあっちゃならねェからな」
「はい。私が特使として受けた任務は一点のみです」
ウォーターセブン市長、アイスバーグ。その問いに対し、金髪の海兵が応じる。
「──ウォーターセブンに海軍支部を設置する旨を伝えよ、と」
断定されたその情報は本来、聞けば不快に思うものであっただろう。それは加盟国としての主権を侵害する宣言だ。提案であるならともかく、決定したことをただ告げるようなその言葉はあまりにも高圧的だ。
だがそれでも言い切ったのは彼女が海兵であったからだろう。海兵とは、軍人とはそういうものだ。
沈黙が流れた。次の言葉を誰もが待っている。
「────」
アイスバーグが言葉を紡ごうと口を開く。
──きっと、確定したのはこの瞬間だったのだろう。
後の世において『W7事件』と呼ばれる、しかし謎多き事件が起こったのは。
風が吹く。不吉な匂いを携えたそれはウォーターセブン特有の自然現象、“アクア・ラグナ”の前触れか。
或いは──血が流れる、予兆だったのだろうか。
二人の内心について周囲は知らないので、そりゃこれくらい緩くはなります。ただ周囲がそんな空気でも結局二人の世界に閉じこもってしまっている感はありますね。難しいところです。
どこに誰がいるのか、何を目的にしているのか。割と入り乱れつつある現状。はてさてどうなることやらです。