第七話 ビギナーズ・ラック?
ウォーターセブンを世界有数の造船都市たらしめる大会社──“ガレーラ・カンパニー”。とある男が当時存在した七つの会社をその手腕とカリスマで纏め上げることで立ち上がり、今や世界政府御用達の地位にある。
海賊にも臆することなく、己の腕に誇りを持つ職人たち。彼らはウォーターセブンの住民たちにとって何よりの誇りであり、そしてそんな職人たちを束ねる男には絶大なる敬意と信頼を寄せている。
その男の名は──アイスバーグ。
ウォーターセブンの市長であり、彼自身もまた卓越した技術を持つ職人だ。
……とまあ、経歴だけを見るとどれだけの威厳と威圧感を持つ大男であるのだろうかと想像するだろう。或いは力強い政治家だろうか。
「ンマー、よく来た」
だが、現れた男はそういった想像からは外れた容姿をしていた。いや、どこぞの海パン男のような変態的な格好をしているというわけではない。
政治家然としたスーツというわけではなく、かといって作業衣というわけでもなく。少しラフな雰囲気の、しかしきっちりとした品位の感じられる背格好だ。
「海軍本部大尉、オリンです」
「同じく海軍本部大尉、イスカです」
ある意味でこの都市の“王”であるそんな男に対し、敬礼と共にそう返したのはオリンとイスカであった。相手は民間人であるが、今回は任務という形で二人はここへ来ている。故にこれが海兵としての礼儀であった。
「固くなるな、ってのも無理だろうな。事前に話はある程度聞いているが」
「はい。──こちらを」
アイスバーグに対し、オリンが大きな封筒を手渡す。厳重に封のされたそれには海軍本部が正式に発行していることを示す印が押されていた。
「海軍本部は本気だということか」
「私はあくまで特使という任務を受けてここにいます。決定権はありません」
「とてもそうは見えねェが」
封筒を一瞥し、アイスバーグが言う。すると突如、小さな鳴き声が聞こえた。
「……ネズミ?」
思わず呟いたのはイスカであった。アイスバーグの胸元のポケットから小さなネズミが顔を出したのだ。
「ん、ああ。こいつはさっき拾った。名前は……そうだな、“ティラノサウルス”。餌とカゴを用意せねば」
「手配済みですアイスバーグさん」
名付けたネズミを撫でながら背後を振り返ったアイスバーグに、一歩下がった位置に控えていた秘書が応じる。眼鏡をかけた美女だ。
「ンマー! 流石だなカリファ」
「恐れ入ります」
どうやらこの秘書はカリファというらしい。その女性が眼鏡の位置を指で直しつつ、何かを言おうとした瞬間。
「ぎゃー!!」
「クオッ!」
「駄目ビリー! めっ!」
少し離れた場所で、いくつかの悲鳴が上がった。見れば、巨大な鳥に触れた大男がその鳥の発する電撃を浴びており、更にその鳥の方を海兵帽を被った幼女が叱っているという光景だった。
傍目から見ると意味がわからない光景であるが、実際に見えている光景がこうなのだから仕方がない。
「……アレはそちらの?」
「も、申し訳ありません」
確認するようなカリファの言葉に、オリンが頭を下げる。ここに着いた時にシャオとビリーがドックの中の光景に大いに興味を抱き、それに気付いたアイスバーグが見学を許可したのだ。危ないので離れた位置でと言い含めたのだが、いつの間にか触れ合うような距離にいたらしい。
ちなみに電撃を受けたのはアイスバーグから一人と一羽を任せると言われた、タイルストンという一番ドックの職長の一人である。野太い雄叫びのような声が上がっていた。
「気にしなくていい。あの程度で倒れるほどうちの職長は柔じゃねェ」
普通の人間なら一瞬で意識が飛ぶほどの威力の電撃をビリーは放つ。心配するオリンたちだが、アイスバーグは軽く肩を竦めるだけだ。その態度には信頼が宿っている。
そして事実、直撃を喰らった男はピンピンしながら立っていた。
「大した電力だな!」
「最近の鳥は電撃を放つのか」
「この電気何かに使えたりしねェか?」
「タイルストンさん、大丈夫なんですか?」
「おう大丈夫だ!」
「おじさんすごーい!」
「クオッ!」
「……おじさんか」
一瞬でシャオとビリーは囲まれ、そして馴染んでいた。子供というのは凄いものだ。馴染ませる職人たちも凄いと思うが。
「すまない、迷惑を」
「この程度は迷惑にもならねェさ。──こいつに比べればな」
頭を下げるイスカに対し、手に持った封筒を軽く振りアイスバーグは言う。口調こそ柔らかだが、その瞳は真剣そのものだ。
「重々承知しています」
「承知の上で、ってことか」
「そうでなければこの場にはいません」
腹を探り合うようなやり取りであるが、オリンは自分が押されていることを自覚していた。相手は一都市の市長であり、大会社の社長だ。その人生経験があまりにも違う。
オリンもまたあの“英雄”たちの背を追って戦ってきた海兵である。だが彼女にとっての経験の多くは戦場でのものだ。こういった、所謂政治の場はあまり慣れていない。
だが今の彼女には頼れる指揮官たちは──あの背中はないのだ。ならば腹を括ってやるしかない。
「……お互い、貧乏くじだな」
溢れたような呟きは聞こえなかった。だがそれを追求する前に、アイスバーグが告げる。
「一応確認しよう。認識の違いがあっちゃならねェからな」
「はい。私が特使として受けた任務は一点のみです」
気分が重い。何故自分が、と思ってしまう。
だってこれは。この宣言は。
「──ウォーターセブンに海軍支部を設置する旨を伝えよ、と」
加盟国たる彼らに、日々を懸命に生きる彼らに対して“不自由”を強いることと同義だ。
……そう、“不自由”。
それはオリンが敬愛し、何よりも信じた上官たちが嫌ったもの。
逃げて、投げ捨て、泥に塗れ、そして出会った。
前を見て、憧れて、信じて、そして夢を見た。
その果てが……こんな形になるなんて。
──本当に“不自由”なのは、誰なのだろうか。
◇◇◇
ビギナーズ・ラック、というものがある。
一言で説明するならば、定石も何も知らない初心者が往々にして得る幸運のことだ。特にギャンブルでよく使われる言葉であり、実際によく見られる……と感じることの多い光景である。
そう、感じるだけだ。全ての初心者が幸運に見舞われるわけではないし、むしろほとんどの初心者が運に見放されることになる。定石であったり知識であったりというものは決して無駄なものではない。それは勝利を手繰り寄せるためには絶対に必要なものであり、それを持たぬ初心者というものは初めから不利なのだから。
だが、それでも何かが噛み合うことがある。
いくつもの偶然が噛み合い、まるで導かれたかのように初心者が勝利するという現象。その不可思議な現象を人はビギナーズ・ラックと呼ぶのだ。
しかし、大抵の事象は後からならば納得のいく説明をつけられるものである。後出しジャンケンと言われるが、それでもそういった分析は大事だ。その積み重ねが進歩であり、科学であるのだから。
そういう意味では、彼らの勝利は偶然ではなく必然であったのだろう。
彼らはギャンブルを知らず、定石を知らない。故に通常ならば選ぶことを躊躇する選択肢を選ぶことができる。
彼らはギャンブルを知らず、しかし見る目は持っていた。だからこそ見つけることができたのだ。
──会場の隅で牙を研ぐ、誰にも見つけてもらえない者たちを。
「あそこにいる奴はどうだ?」
レース場の隅。壁際で眠るように沈黙しているブルを指差しながら言うのはルフィだ。そんな彼の隣にいるウタもまた同じ方向を見ている。
「あ、やっぱり気になる?」
勝てそうなブルを探す──あまりにも抽象的な目的の下で会場を見ていたルフィとウタは、会場の隅にいるその一頭と一人を見つけた。
大勢の観客が声援を送るレース参加者たるブルとその騎手。しかし会場の隅にいる彼らを見ている者はほとんどいないように思える。まるで脇役のように会場の隅にいるのだから目につかないだけかもしれないが。
「どう思う?」
ウタのそんな問いかけを受け、ルフィはもう一度そのコンビを見た。ほとんど身動きもせず、壁に寄りかかるようにしているそのヤガラブルと騎手。
一見すればやる気がないかのように見えるその者たち。だが、感じる。
「……強ェな」
「うん。だよね」
まるで抜き身のナイフのような、鋭い感覚。だがそれは周囲に見せびらかすようなものではなく、体の中に抱え込むようにして隠されたものだ。
ルフィの言う強いとは力ではない。その意志だ。彼らから感じる気配は、このレースに参加する誰よりも鋭い。
「四番か」
騎手のゼッケンを見てルフィが呟く。どうせよくわからないのだ。あのコンビに賭けてみてもいいかもしれない。
賭け方はどうしたらいいのか、それを聞こうと振り返ったルフィとウタに横手から声がかかる。
「──ああ、すいやせん」
気配を、感じなかった。いや、まるで突然出現したかのようにさえ感じられた。
今のルフィは常に“見聞色の覇気”を展開し、周囲を把握している。故に彼らに近付く者がいればすぐに察知できるはずだった。とはいえ悪意や敵意がないなら気にしない。一定以上の距離まで来た相手を意識に留め、警戒するだけだ。
だが、この男は違う。
意識の隙間。そこを縫うようにして接近してきたのだ。
何者か。一気に警戒心を高めるルフィに対し、その男はそんなルフィに気付いていない様子で言葉を紡ぐ。
「ええと、ルーシーさんとアトさん……でしたか? 私はイッショウといいます」
そう言って一礼するイッショウ。実はルフィも気にはなっていたのだ。フランキーの隣で膝を抱えていたこの男のことが。
一見すればフランキーやパウリーと一緒にふざけているのか真剣なのかわからないやり取りをしていただけの男。だがルフィにはわかる。その歩き方、雰囲気、そして隙のなさ。
まるでこれは、あの“三大将”のような──……
「私たちの……名前」
ウタが呟く。咄嗟に名乗った相手はパウリーであり、その時イッショウは少し離れた場所にいた。普段ならギリギリ聞こえる距離であるかもしれないが、ここは大勢の人間の熱が溢れる場所である。周囲で響く様々な音は隣にいる人間の声さえも満足に拾えないくらいに騒がしい場所だ。
それを聞いていた──自然、二人の意識に警戒が宿る。だがイッショウは依然そんな警戒など気付いてもいないかのように首を振る。
「ああ、すいやせん。耳がいいもので。ご不快に思われたなら謝りやしょう」
「いや、謝ってもらう必要はないけど……」
「……名前聞かれただけだしな」
とぼけているのか、それとも本心か。礼儀正しい態度を崩さないイッショウ。ありがとうございます、と彼は一礼した。
「そして不躾ですが、一つ番号を見てほしいヤガラがいまして」
「番号?」
「ええ。良さそうなのを見つけたんですが、目がこの通りなもんでねェ」
やはり、悪意や敵意はない。恐縮した様子の彼に対し、わかった、とルフィが頷く。
「どいつだ?」
「あちらの……あの、壁に寄りかかるようにしているヤガラです」
「……四番だ」
ポツリとウタが呟く。それはつい先程、ルフィとウタが注目していたブルだ。そのブルは先程から変わらず、まるで石にでもなったかのように動かない。
「四番、成程。ありがとうございます」
「おっさんもあいつを?」
「も、ということはお二人もですか?」
「ああ。レースとかはよくわかんねェけど」
「……けど?」
イッショウの問いかけ。対し、ルフィはそのブルに視線を向けながら言葉を紡ぐ。
「あいつは強ェ」
そしてそんな彼に対し、小さな笑みと共にイッショウは頷く。
「そうですか。──どうも、気が合うようで」
◇◇◇
結論から言うと、イッショウから賭け方を教えて貰った二人は持っているチップ全てを四番のブルに賭けることにした。豪快ですねェ、とイッショウが笑っていたのを覚えている。
対し、フランキーとパウリーは渋い表情をした。曰く。
“確かに実績がある奴なんだが、二レース前で物凄ェ追い比べしてた奴だからなァ。流石にあれは疲れてんじゃねェか?”
“これが平等条件ならおれも買うが、流石にな”
定石を知り、経験を積んでいる二人であるからこそルフィたちの判断に対して首を傾げたのだろう。実際、彼らの言うことは道理に合っている。
最終レースは一日のレースで実際に出走し、そして一着以外になった者が参加するレースだ。本来はギャンブルという性質上もあって可能な限り平等かつ公平になるヤガラレースであるが、最終レースだけは違う。ここには疲労度という点で明確な差があるのだ。
よく考えたシステムだと告げたのは誰であったか。最後に結果にブレが出るレースを用意してガス抜きを図る。ギャンブルの必勝法は運営側になることとはよく言ったもの。実際、賭け金の総額の90%を分配する形で払い戻す──それはつまり、最初から10%負けているのと同じ意味だ。運営側の懐が痛まない以上、最後にイベント寄りのレースを開催することで意識を逸らすのは実に有効である。
まあ、とはいえ。
理屈はあくまで理屈。結局のところ、結果が出るまでわからないのもまた事実。
『さあ最後の直線!! 追い上げてくる!! 追い上げてくる!!』
大歓声が響き、人々の熱狂が最高潮に達している。
『先頭は二頭!! 七番と一六番!! マッチレースになるのか!?』
共に上位人気の二頭だ。ルフィたちが賭けた四番はブービー人気である。
『さあ後──』
百、と言いかけた実況も、観客も。
一瞬、言葉を失った。
「後ろから来てるぞ!?」
誰が叫んだのか。それは困惑の混じった叫びであった。
困惑ということは即ち、想定外の出来事が起こっているということ。
『──四番だ!! インコースを貫くように上がってきた!!』
ブービー人気ということは、誰も見向きもしなかったということ。そして大波乱とはその見向きもされなかった者が起こすものだ。
「嘘だろ!?」
「ずっと一番後ろにいたじゃねェか!?」
「待て待て待て待て!!」
湧き出すようなそれは困惑の声だ。だが、彼らは気付いただろうか。
──実力はある。
様々な理由をつけて勝てないと評価をしていたが、その一点は共通していたのだということに。
『止まらない!! 止まらない!! 並ぶ──いや並ばない!! 一瞬で置き去りにした!!』
悲鳴と怒号、そして歓声。数多の感情が交錯する中で。
『今ゴール!! なんと!! なんと!! これは大波乱!! 大波乱です!!』
変わらず、四番のヤガラブルは静かであった。勝利に興奮するわけでもなく、ゆっくりと速度を落としていく。
だが、どこか。ゆっくりと水の上を進むその姿は。
──誇りに満ちているようにも、見えた。
◇◇◇
勝利である。ブービー人気の一点買いの的中。記録的な勝利となったと言えるだろう。実際、ルフィとウタの二人に払い戻されたチップはあまりにも巨額であったため特製のチップを渡された。本来客引きのために飾られているものを急遽用意したというのだから中々に異常事態である。本人たちに自覚はないが。
「一枚になったな」
「だね」
「いやその一枚が凄ェんですけど。いくらになるんスかそれ」
「しばらく遊んで暮らせる額だわいな」
「持ってる人初めて見たわいな」
だが、ギャンブルである。勝つ者もいれば負ける者も勿論いる。
「…………」
まるで廃人になったかのように椅子の上で項垂れているパウリーと、何とも言えない表情でそれを見つめているカク。ガレーラ・カンパニーの誇る職長としての威厳は皆無であった。
「今となっちゃ賭けれなかったのは運が良かったと言うべきかもしれねェな」
「駄目だったんですか?」
「ケチ臭ェだろ? 現金じゃねェと駄目だとよ」
そして光と影とでもいうべき両極端なその二つを見ながら言うフランキーとイッショウ。ギャンブルというもの本質がこの空間に詰まっているかのようだった。
大当たりしたもの、大外れしたもの、見ていただけのもの、賭け損ねた者、そして結果として多少の勝ち負けとなった者──実に千差万別だ。
「おめェは勝ったんじゃねェのか?」
「一応、最後は。ただそれ以前を考えると良くて少しのプラス程度でありやしょう」
「少額しか賭けなかったのか? 勿体ねェな」
「いえいえ、お二人のような豪快な真似はできやせん」
ちなみにフランキーが持ち込んだ金は結局全部吹き飛んでいたりする。まあ、惨敗した後に何もしていないのだから当たり前だが。
「そういえば、何か買いたいものでもあったの?」
ふと、思いついたようにウタが近くのザンバイとスクエア・シスターズの二人に問いかける。ああ、と頷いたのはザンバイだ。
「アニキが欲しがってるものがあるんだ。けど高くてなァ」
「そんなに高いの?」
「貯めて買うとなると十年以上かかるか?」
「十年で済めばむしろ早いわいな」
「そもそもコツコツとか無理だわいな」
ザンバイの問いかけに肩を竦めるスクエア・シスターズ。その顔は笑っているのだが、それは笑顔で言うことなのだろうか。
「まあ、そのうち何とかなる。アニキがいるからな」
「その通りだわいな」
「うんうん」
「……そうなんだ」
ギャンブルで一発を狙わなければ買えないようなものとは何だろうかとウタは興味を抱くが、聞いても良いかを迷った時には機会を逸している。かつての彼女であれば流れで聞けただろうに、どうにも一歩が踏み出せなくなる時があった。
それは何が原因なのか。……いや、わかっている。わかってはいるのだ。
ただ、わかった上でどうしようもないだけで。
「欲しいものか」
そしてそんなウタの隣でジッ、と自分の手の中にある一枚のチップを見つめるルフィ。そして彼が何かを言おうとした瞬間、横手から遮るように声がかかった。
「──いらねェぞ」
フランキーだ。こちらへと歩み寄るその顔には呆れが混じっていた。
「さっきも言ったがそれはおめェらに渡したもんだ。それで勝ったのはおめェらが勝負した結果であり、おれは関係ねェ。それをどうするかは自由だが、妙な恩を感じて他人に渡す必要はねェよ。自分たちのために使え」
全く、と肩を竦めるフランキー。完全に内心を見透かされたルフィは、そうか、と頷く。
「ありがとう、フランキー」
「何の礼だ何の」
照れ隠し……と思ったが、どうだろうか。素なのかもしれない。よくわからない男である。
「けど使うにしてもなァ。何か欲しいものあるか?」
「……うーん」
欲しいものと言われ、ウタの脳裏にはすぐさまルフィの顔が浮かぶが強引に掻き消した。そういうことじゃない。お金で買えるものの話だ。
だがいざ言われてみると浮かばない。元々物欲もあまりないタイプであるし、あの事件の後はそういうことを考える余裕がなかったのもある。その日を生きるのに必死で、目の前にあるものだけでどうにかしてきたからこその今なのだから。
二人して悩む。いざ欲しいものと言われると案外難しいものだ。
「使い道に迷ってんならまずあの船をどうにかしたらどうだ?」
そんな二人を見かねたのか、フランキーがそう提案してきた。船、と同時に言葉を返した二人にフランキーが頷いて応じる。
「ここに腰を落ち着けるってわけでもねェんだろ? だったらあの船を修理なり改修なりした方が良いんじゃねェか?」
フランキーが言う船とは二人が乗ってきたあの小舟のことだ。偉大なる航路という過酷な海を渡ってきたあの船は随分と働いてくれた。本来これほどの長距離航行を想定していないというのに、未だ決定的な破損が起きていないのはある意味奇跡である。
「何じゃ、船の調子が悪いのか?」
そこへ入ってきたのがカクであった。視線を向けると、すまんのう、と彼は片手を軽く上げて謝意を示す。
「船の話が聞こえたものでの。どこか故障しておるのか?」
「故障はしてない……と思うけど」
「そりゃ見えねェだけだ。船の故障ってのは表に出る時は大体致命傷になる。悪いことは言わねェからこいつらに任せた方がいい」
親指でカクの方を示しながら言うフランキー。確信を持って語るその口調は彼もまたその道の知識がある者であることを示していた。
思わずルフィとウタがフランキーへと視線を送る。それに気付いたフランキーが肩を竦めた。
「おれは解体屋だからな。ただの経験則だ」
それが真実であるかどうかはわからない。だがそれ以上は追求しても何も言わないだろうし、意味がないことはわかる。
「そうか、わかった。ありがとうフランキー」
「礼を言われることじゃねェ。──ザンバイ、こいつらを案内してやれ。ついでにこれ持って金を受け取っとけ」
「え、アニキは?」
「おれは帰る」
フランキーがザンバイへ紙を手渡すと、そのままレース場を出て行こうとするフランキー。その後をスクエア・シスターズが追いかけていく。
「待つわいな」
「ウチらも行くわいな」
そんな彼らを見送りながら、少し思う。フランキーは船というものに対して思うところがあるのだろうか。いつもの陽気な雰囲気が少し陰っていた。気のせいなのかもしれないが。
「ふむ。では行くとしよう……と言いたいところじゃが、まずは船を見てみないことには話ができんのう」
「じゃあフランキーのとこに行くか?」
「ワハハ、それでは二度手間じゃろう。──おいパウリー、いい加減起きんか」
魂が抜けていた状態であった同僚の背を叩くカク。ハッ、とパウリーが正気を取り戻した。
彼は周囲を確認するように見回し、そして。
「──夢か」
「残念ながら現実じゃ」
一瞬で打ち砕かれた。ちくしょう、と呟くパウリーにカクが言葉を紡ぐ。
「本社に戻るんじゃろう? 悪いが客を案内してやってくれんか。ワシはこれから船を見に行く」
「船の修繕か? 状態は?」
先程までの魂が抜けた顔はどこへやら。一瞬で職人の顔になったパウリーの問いに対し、カクが首を振る。
「わからん。場合によっては乗り換えも有り得るかもしれんのう」
「了解した」
椅子から立ち上がるパウリー。そのまま彼は二人の方へと一礼する。
「船の相談だな? なら話は一番ドックだ。おれが案内しよう」
つい先程までギャンブルに負けて魂の抜けていた男とは思えない、堂々とした立ち振る舞い。そこにいたのは確かに一人の職人であった。
「ワシは船の方を見てくる。一番ドックで少し待っておれ」
言うと、カクがカジノを出て行く。その背を見送るが、どこでふとウタが気付く。
「……あれ?」
イッショウ、と名乗ったあの盲目の男がいない。いつの間に姿を消している。
最終のレースが終わったことで、周囲の観客たちは徐々に帰り支度を始めている状態だ。その流れのまま立ち去ったのだろうか。
「どうした?」
問いかける声はルフィのものだ。その彼に対し、何でもない、とウタは返す。まあいないならいないでいいだろう。問題は船の方だ。
目指す先は造船島とも呼ばれるこのウォーターセブンの中核、“ガレーラ・カンパニー”の中心たる一番ドック。そこは造船のエキスパートが揃う場所だ。
自分達をここまで運んでくれたあの小さな船。これからを考えた場合、確かにあの船を今のままで運用し続けるのは危険だ。故にフランキーの提案は正しいし、決定的なことが起こる前にこうした機会を持てたのは幸運なのだろう。
ただ、とウタは思う。
(いつまで?)
そう、いつまで。
未来。これから。この先。
何も見えないこの道を、いつまで。
そして、何よりも。
──私たちは、一体。
どこまで行けば、良いのだろう。
どこに行けば、良いのだろうか。
そんな疑問が、頭から離れなかった。
◇◇◇
フランキーハウスはその奇抜な外見故に非常に目立つ。立地についても広い場所にポツンと建っているということもあり、遠目からでも一目でわかるくらいだ。
「……相変わらずじゃのう」
そんなフランキーハウスを一瞥し、カクは周囲を見回す。目的の船はどこかと思ったところで、海岸に繋がれている一隻の小さな船を見かけた。
あれか、と思うと同時、小さい、という感想が最初に浮かぶ。いくらなんでもこの船で偉大なる航路を渡っていくのは無茶ではないだろうか。
「失礼」
船の上に飛び乗ると、僅かに足元が軋んだ。肌感覚でわかる。これはフランキーの言う通り、見えないところに相応のダメージがある。
「マスト……は大丈夫そうじゃが、補強した方がええのう」
見れば見るほどに長距離航行に向かない船であるということが伝わってくる。彼らがどこから来たのかはわからないが、隣の島程度の距離ではないだろう。
何者なのだろうか──そんな疑問が浮かんだカクの目に、それが映り込んだ。
嵌め込まれた窓の向こう。その奥にかけられた一着のコートだ。
「──あれは」
それに彼は見覚えがある。ある意味でとても馴染みがあるものだ。
薄汚れた白いロングコート。その背にはとある文字が刻まれている。
たったの二文字。しかしその二文字はそれを纏う者にとっては何よりも重い二文字だ。
だからこそわからない。何故ここにあのコートが──
「まさか」
疑問から、確信へ。
「…………」
一度閉じ、開いた青年の瞳には冷たい色が宿っていた。そこにいたのは“ガレーラ・カンパニー”大工職職長ではなく。
──もう一つの、闇の中にある立ち姿だ。
ビギナーズ・ラック、というものがある。
だが、禍福は糾える縄の如しという言葉もある。
幸運が訪れたのであれば、不運もまた訪れる。だが事象には常に原因がある。幸運も不運もそこに至る過程が必ずあるものだ。
あの場での幸運がなければ、船の話が出ることはなかっただろう。この場を船大工であった彼が訪れることはなかったかもしれない。いや、そもそもあの場に行かなければ出会うことさえなかっただろう。
しかし実際には訪れたあの場所で偶然に出会い、幸運があり、それらの過程を経た結果として今に至った。
ならば、あの時に得た幸運は。
──本当に、幸運であったのだろうか?
一つ目の歯車が嵌ってしまった感。
ただあの行動からこの結末を予想しろっていう方が無茶ではあります。