第十二話 水の都に迫るモノ
「くそ!! どうなってる!!」
室内に怒声が響き渡る。荒々しいその怒鳴り声と共に机を叩くのは顔の一部をマスクで覆った男だ。名をスパンダムという。CP9の長官であり、ここ“エニエス・ロビー”の責任者の一人である。
部下からの報告を受けて喚くそんな姿を見、忙しい男だ、と少し離れた場所にあるソファーに座るヴェルゴは内心で呟いた。
「計画の決行前に次から次へと……! おれが何をしたってんだ!?」
何もしていやしない。だが世界というのは彼だけの存在で回っているわけではないというだけだ。周囲の動きが結果として彼の計画に干渉したというだけである。
「海軍をW7に常駐させるだと……!? そんなことをされちまったら手を出せなくなるじゃねェか!」
荒れているスパンダムの様子を眺めながら、ヴェルゴもまた思考を巡らせる。実際、先ほどもたらされた情報についてはヴェルゴも全く聞いていない話であったのだ。
──海軍を“ウォーターセブン”に常駐させる。
これにはいくつもの意味が込められている。メリットもデメリットもあるが、海軍の上層部はデメリットを受け入れてでもメリットを取りに行ったのだろう。そこに意味があると判断したのだ。
「長官はまァ、ともかくとしてだ。海兵であるあんたはこの動きをどう見る」
対面のソファーに座る人物──ジャブラが問いかけてきた。その目には若干の疑心が宿っている。
「先程も言ったが、私は何も知らなかった。それは信じてもらいたい」
「……まァ、それを今言っても仕方ねェ。知ってて黙ってる理由もねェだろう。だから聞きたいのは海兵として海軍の動きをどう見るかだ」
「ふむ。……まず、個人的な印象ではあるが。これはセンゴク元帥の案な気がするな」
攻めるのではなく守りを重視し、更にいきなり全体に推し進めるのではなく“ウォーターセブン”という世界政府に協力的であり、駐屯の理由も作りやすい場所を選んだところからも想像できることだ。実験的な試みとしてワンクッションを入れるのは基本的に穏健派であるあの人らしい案だと思う。
「あの“水の都”が選ばれた理由も腑に落ちる部分は多い。“エニエス・ロビー”とも近く、表向きは存在しない機関であるがキミたちCP9もいる。実際に海賊に襲われたとしても増援の派兵は容易く、そして“ガレーラ・カンパニー”は世界政府御用達の造船会社だ。これからのことを考えるなら自分たちの手足である軍艦の製造ができる拠点は何としても守りたいだろう」
「だから世界政府も納得したってことか」
「あくまで実験的に一都市のみで先んじて行うということもあるだろう。その上で“ウォーターセブン”に対して頭越しではなく特使を送るという形で最大限の配慮もしている。事実上は決定事項であったとしても、手順を踏むという形式を取るだけで話というのは進めやすくなるものだ」
要するに礼儀、礼節の話である。人間というのは頭ごなしに言われるとどうしたって反発する生き物だ。故に手順を踏み、配慮している姿を見せることは重要である。事実上反対などできない決定であっても、筋を通すだけで相手の態度は軟化するものだ。
それにヴェルゴはよく知らない人物であるが、あの都市の市長はアイスバーグという経営者としても政治家としても傑物とされる人物だ。彼ならばその意図も汲み取れるだろうし、無意味な反抗もしないだろう。おそらくその辺りも織り込み済みだ。
「更に言うなら、それほどの重要な場所でありながら常駐する戦力がないのも理由の補強になる。この時勢だ。市民を守る力はある方がいい」
「あそこには海賊だろうとものともしねェ船大工共がいるって話だが?」
「あくまで船大工だ。彼らが戦う状況というのは健全ではない。平時であるならともかく」
「まァ、そりゃそうか」
今まで放置しておいて何をという話であるが、あの事件から世界情勢の不安定さは一気に増してしまった。情勢が変われば対応も変わる。欺瞞であろうと何であろうと、海軍の上層部はやると決めたのだろう。
「他にもメリットはある。海兵が常駐するということは海賊を筆頭とした脅威に対して一定の示威効果を望むことができるだろう。海賊というのは存外知恵が回る。ずる賢いと言うべきか? そういう連中はわざわざ危険な島に正面から乗り込もうとはしないさ」
「安全の保証ができるってことか」
「海軍が提供できる最大のメリットがそれだ。その上で経済効果も見込める。立ち寄るのではなく常駐するのであれば海兵達は都市内で金を使う。その金は海軍からの給与だ。単純に外から金が入ってくることになるのだから住民たちにとっては利益になる」
人である以上食わなければならないし物を消費する。それを全ていちいち基地から持ってくることなど非効率だ。ならば都市内から調達するのが一番となるのは自然の成り行きである。
そしてそうなれば住民たちと海兵たちの間でも交流が生まれるだろう。そこで需要と供給が成り立つことは間違いなくメリットだ。
「だが、外の人間が来るってことはトラブルも生むぞ?」
「そこがデメリットだな。だがそこは責任者と派遣された海兵の質の問題だ。そこの人選をしくじるようなことはないだろう。何せ試金石だ。万全の準備を整えるだろうな」
「……それだけを聞いてるとメリットしかねェな」
「そういう話し方をしているからな。おそらく特使はこういう話を向こうでしている」
相手にとってメリットとなる話をするのは基本だ。交渉というのは相手に悪くないと思わせれば勝ちである。
そもそも事実上の決定事項なのだ。ならば如何に受け入れてもらいやすくするかが特使の役目である。その点は弁えているだろう。
「──だが無論、メリットばかりではないのも道理だ」
そして世の中良いことばかりということはあり得ない。全ての事象は表裏一体だ。変化があれば良い方に転がるものもあるし、逆に悪い方へと転がることもある。
「一つは顧客の減少。世界に名を轟かせる造船都市だ。その名を頼りに多くの客が訪れている。合法非合法問わずにな」
「海軍が居座るってんなら非合法な連中は寄り付かねェだろうな」
「そういうことだ。単純に売上の減少が予想されることはデメリットだろう」
とはいえ、合法的な顧客とは違い海賊を筆頭とする非合法な客は大小様々なトラブルを引き起こす。それらを許容して売上をとるか、そもそも排除するのか。どちらを取るのかという話なだけではあるが。
「そして海兵である私が言うのもなんだが……やはり私たちは市民に対して威圧感を与えてしまう。目に見えないストレスというのは厄介だ。街を海兵が歩いているだけで一種の強迫観念に晒される者は事実、存在する」
「監視されてると思うわけか」
「結局のところ海軍というのは世界政府の暴力装置であって加盟国にとっての防衛装置ではない。この二つの意味は近いようでいて大きく違う」
指揮系統の問題なのだ。海軍は確かに加盟国を守る役目を負っているが、その命令を下すのは世界政府である。この差異は大きい。
加盟国側に海軍の指揮権は存在しないのだ。この意味が理解できる者にとっては海軍など鬱陶しいだけでもあるだろう。
「清く正しく、誰からも後ろ指を指されない生き方ができる人間などいないさ。我々から見たら大したことがない瑕疵であっても、当人からすれば重大なものであったりする。そういった話はキミたちの方が詳しいだろう?」
「あんたにもあるのか?」
「勿論だとも。反省と後悔ばかりの毎日だ」
一瞬だけ張り詰める空気。だがそれもすぐに霧散し、で、とジャブラがソファーに大きくもたれかかりながら言葉を紡ぐ。
「総合的にはどう見る?」
「海軍としては良い一手だ。キミたち──いや、長官殿にとってはどうではないかもしれないが」
「──その通りだ!!」
視線を向けられ、吠えたのはスパンダムだ。彼は腹立たしそうに頭を掻きながら言葉を紡ぐ。
「五年だぞ!? それだけの時間をかけたんだ! それを諦めろってのか!?」
「だが海軍の駐屯が決定した後に万一のことが起こればCPと海軍の間で軋轢が生じる。それは望むところではないだろう?」
「ぐぬ……!」
唸り声を上げるスパンダム。今でこそイラついていて余裕がないが、実は最初にもたらされた情報を聞いた時はむしろ真逆の反応を示していた。
──“麦わら”と“歌姫”の船を確認した。
もたらされたその情報は端的であったが、彼にとっては福音だったのだ。元々遂行していた任務にボーナスが付く、と喜んでいた姿をヴェルゴもジャブラも目の当たりにしている。そして事実、確認をとった彼に下された命は予想を裏切らないものであったのだ。
闇の諜報機関、CP9。その名を考えれば彼らに下された命は至極シンプルでもある。
だが、それも長くは続かなかった。続いてもたらされた情報のせいだ。
──海軍が“ウォーターセブン”へ部隊を常駐させる旨を伝えにきた。
諜報機関たるCPでさえも掴んでいなかった情報だ。それだけ徹底して情報統制がかけられていたのか、或いは一部の人間のみの発案によって強行された案であったのか。ヴェルゴやジャブラは何となく後者である気がしているのだが、そんなことはどうでもいい。
聞いてねェぞ、と叫んだのはスパンダムだ。彼の遂行しようとしている計画において海軍は邪魔な存在である。故にこそヴェルゴへと協力を持ちかけて巻き込もうとしたくらいなのだから。
だが事態はそれで終わらない。つい先程もたらされたのがこの情報だ。
──“火拳”が現れ、特使として派遣された海兵と衝突。撃退し、その後現地民の協力を受けつつ捜索を開始。同時に周辺の海軍へ緊急の応援要請が海兵たちより出された。
彼の“白ひげ”の二番隊隊長。あまりにもあまりな大物だ。そんな人物が現れては海軍も対応するしかないし、勿論“エニエス・ロビー”にもその要請は届いている。現状はスパンダムが止めているが、何もしないわけにはいかないだろう。
邪魔なはずの海軍が続々と集まってくる状況。計画の実行はもう少し先──撤退のことを考えて“アクア・ラグナ”が過ぎた後と考えていたのだが、そうも言っていられなくなったというわけである。
「何事も予定通りとはいかないものだ。いずれにせよ急いで計画に修正を加えるべきではないかね?」
「そんなことはわかってる! 偉そうに言うんじゃねェ!」
「これは失礼」
肩を竦めるヴェルゴ。それとほぼ同時に部屋の扉がノックされた。
「誰だ!?」
苛立ちを隠さず、怒鳴るように言うスパンダム。扉の向こうからはヴェルゴにとって聞き慣れた声が響いてきた。
『──申し訳ありません! ヴェルゴ中将はおられますか! 準備が整いました!』
声の主はヴェルゴの副官であった。一つの頷きと共にヴェルゴが立ち上がる。
「ご苦労」
扉の向こうに聞こえるよう、気持ち大きめの声を出すヴェルゴ。その背に対し、おい、とスパンダムが言葉を紡いだ。
「準備ってのは何だ?」
「勿論、応援要請に応えて“ウォーターセブン”へ向かう準備だ」
当然のように言い切るヴェルゴ。はァ、とスパンダムが声を荒げた。
「待てよ! おれの計画への協力はどうする!?」
「その要請に応えたいところではあるが、こちらの立場も慮って欲しいところだ。私たちは海兵であり、悪の排除が任務である。その責務を果たすために同胞が応援を要請しており、そして向かうことができるのであれば無視はできない」
「だが!」
「──それに長官殿。我々がここ“エニエス・ロビー”にいることは定時連絡で本部も知っている。それが応援要請を無視したとなると当然理由を問われる。その際に長官殿は知らぬ存ぜぬとはいかないのではないかね?」
ヴェルゴの澱みない言葉にぐぬ、とスパンダムが言葉を詰まらせた。ここの責任者の一人であるスパンダムの立場を考えると、応援要請を受けたヴェルゴたちをむしろ積極的に送り出さなければならない立場なのだ。それを引き止めたとあればその理由の追求と場合によっては責任問題になりかねない。
だがスパンダムも簡単には諦められない。彼には彼の予定というものがある。
「だがお前はおれの計画を……!」
「口は硬い方だ。信じて欲しいとしか言えんがね」
肩を竦めるヴェルゴ。そこで彼は不意にゆっくりとスパンダムの側へと歩み寄り始めた。
スパンダムもジャブラも疑問を浮かべるように眉を顰める。そんな中で歩みを進めるヴェルゴはスパンダムに並び立つような立ち位置まで来ると、窓から空を見上げる格好を取る。
「……何だ?」
「いや、私としては長官殿がそう焦る理由がわからなくてね」
「あァ?」
「これはむしろチャンスだと、個人的にはそう思うのだが」
スパンダムが訝しむ表情を浮かべる。その彼に対し、囁くようにヴェルゴは告げた。
「────」
その内容が聞こえたのは、ヴェルゴを除けば二人だけだ。スパンダムと諜報員としての耳を持つジャブラ。だがその表情は対照的である。
徐々に笑みを浮かべていくスパンダムと。
眉を寄せ、険しい表情をするジャブラ。
その違いが、二人の性質の違いを表しているかのようであった。
「──どうかね?」
「……悪くねェな。いや、むしろありか。それなら海軍に恩も売れる」
「ならばよかった」
そんな表情に気付いているのかいないのか、ヴェルゴが小さな笑みを浮かべる。そのままでは、と彼はスパンダムに敬礼をした。
「互いの武運を祈ろう」
「あァ、全くだ」
そして部屋を出ようとするヴェルゴ。その背に対し、ジャブラが何かを言おうとして──終ぞ、何も言わなかった。
扉を開け、ヴェルゴが部屋を出る。待っていた副官が敬礼するのに応じつつ、彼は言葉を紡いだ。
「では向かおうか。“海列車”で急行する」
その表情も物腰も、いつも通り変わらない。
そう、あまりにもいつも通り。
──まるで、何かを演じているかのように。
◇◇◇
基本的に“ウォーター・セブン”というのは平和な島である。故に住民たちが大騒ぎをすることなど少ないのだが、今日はどうも風向きが違うようだ。
いや、実際に強い風が吹いているのもある。実際。
「あっ!」
「おっと」
シャオの被っていた海兵帽が飛ばされたけたのを、ルフィがその反射神経で軽くキャッチした。ありがとう、とルフィから海兵帽を受け取りながらシャオが笑う。そんな彼女は今、ウタと手を繋いで歩いている。
「ね、シャオ。その帽子って」
シャオの右手を優しく左手で握りながらウタが言う。それは何の変哲もない海兵帽だ。何なら一般市民でも簡単に手に入れられるようなものである。だがこの帽子は少々毛色が違うのだ。
「うん、お兄ちゃんに貰ったものだよ?」
いつだったか。メルヴィユを訪れた際にルフィがシャオに渡したのだ。彼の部屋でずっと眠っていた帽子であり、そのまま仕舞い続けるくらいならと言って。
随分と気に入ったらしく、その時から愛用する姿を幾度となく見ている。だが、少し。
(……いいな)
いつも着けていたヘッドフォンを失ってしまったからだろうか。どうも頭に違和感を抱えている。その上でルフィの帽子。正直羨ましかった。
だがそれは内心で留めておく。そっか、とウタは言葉を紡いだ。
「大事にしてるんだね」
「うん!」
笑顔で頷くシャオ。彼女は本当に大切にしているのだろう。ならばそれでいい。
ちなみにルフィの方はひたすらにビリーがじゃれついていた。ちょくちょく電撃が漏れているのだが、彼には全くと言っていいほど影響がない。それが嬉しいのか余計にビリーがじゃれつくという悪循環である。
……ちなみにザンバイが巻き込まれる形で電撃を一発貰っていたりする。流石に焦ったのだが、思ったよりも頑丈だったらしい。すぐに起き上がった。ノーダメージとはいかないのか今は距離を取っているが。
「なんか騒がしいなァ」
周囲を見ながらルフィが呟く。どうも市民たちが心なしか忙しないように見えるのだ。活気があるとも言えるのかもしれないが、それとは少し違う何かを感じる。
感覚的な問題だ。どことなくばたついているというか、義務に追われているかのような。
「ああ、そりゃ“アクア・ラグナ”のせいッスね」
そして首を傾げるルフィに対してそう言葉を紡いだのはザンバイだ。さっきも聞いたけど、とウタが言葉を紡ぐ。
「それって何なの?」
「一言でいうなら季節性の高潮ですね。この時期になると来るんスよ。予報じゃ明日か明後日くらいがピークだって話ですし、その準備でバタついてるんス」
「そんなに凄ェのか?」
「そりゃもう。多分お二人の想像している何十倍も凄いですよ」
どんな規模だ。ウタもルフィも若いながら様々な島を訪れている。その中でとんでもない自然現象に出会うことも多かった。そんな二人が想像するものの何十倍とは。
流石にそれは誇張し過ぎだろう──そんな風に思うウタの手を、不意にシャオが引っ張ってきた。
「どうしたの?」
「見てお姉ちゃん! 水の中に街があるよ!」
「──嘘」
シャオが指差した先の光景を見て、思わずウタが呟く。人々が“ブル”に乗って行き交う水路。その水底に街並みが見えるのだ。
「凄ェな。水の中に住むのか?」
「おれらには無理ッスよ」
ルフィの言葉に対し、いやいや、と手を振りながら言うザンバイ。水の中で暮らすことのできる者たち──魚人や人魚に、ウタもルフィも縁がある。“七武海”の一角であるジンベエがそうだし、魚人島でとある事件によって縁を繋いだ者たちもそうだ。
──しらほしは元気だろうか、とそんなことをウタは思った。
いつか地上を案内すると約束した相手。その約束はもう……果たせそうにない。
「正確には地盤が沈んでいってるとか何とか。この街も昔の建物の屋上に建ててるんですよ」
「その原因がその“アクア・ラグナ”?」
「そう聞いてるッス」
「つまり不思議波か」
ある意味いつも通りのルフィは置いておいて、成程とウタは頷く。水の都といえば聞こえがいいが、これほどまでに街中を水路が覆っているということはそれだけ水害に弱いということでもある。何事も良いことばかりとはいかないということだろう。
「あの人は何してるの?」
そんな中、シャオが建物の前で何やら作業をしている男性を指しながら問うてくる。何やらロープのようなものを持ち、トンカチでそれを扉の隙間に打ち込んでいるようだ。
「ああ、ありゃ麻を隙間に詰めてるんだ。この後避難するつもりなんだろうな」
「麻?」
「ああしとくと水の侵食を抑えられるんだ。やっとかねェと家の中が水で全部ダメになっちまう」
「へー」
わかっているのかいないのか、ザンバイの言葉に頷くシャオ。ザンバイは頭を掻きつつ、おれらも、と言葉を続けた。
「そろそろ備えねェと。お二人の船も倉庫に預けとけねェと持ってかれちまいますし」
「大変だなァ」
「慣れたもんですから」
実際、慣れたものなのだろう。気負った様子もなく笑うザンバイから視線を外し、改めて街を眺めるウタ。今の話を聞いてから改めて街を眺めると、成程確かに備えと思しき行動をしている者が何人もいる。
食料を買い込んでいる者。荷物を運び出している者。その誰もが手慣れた様子だ。
これがこの都市における暮らしなのだろう。そこには正しく、“生活”の光景が広がっていた。
「…………」
そんな中、ルフィが何故か後方をじっと見つめているのに気付いた。どうしたの、とウタはそんな彼に問いかける。
「何かあった?」
「……いや、何でもねェ」
首を左右に振るルフィ。そんな彼に疑問を浮かべつつも、ウタはそれ以上は追求しないことにした。彼が何も言わないということはその必要がないと判断したということだ。それを疑うつもりはない。
強い風が吹く街を、四人と一羽の奇妙な集団が歩いていく。だが街には仮装した者が多くおり、違和感はない。
「…………」
──そしてそれは、その集団から一定の距離を置いて歩く一人の女性についてもだ。
不自然なほどに音もなく、気配も薄い。店への呼び込みを行なっている者も彼女にはまるで気付いていないかのように声をかけない。
その在り方は、彼女の歩んできた人生によるものだろう。──そこに『いる』ことを、意識させないことが彼女の義務であったが故に身に付けた在り方だ。
その技術は、かつて彼女が学んだものだろう。──“毒蛇”と呼ばれた暗殺者から教えられた、『紛れる』ための技術だ。
喧騒の中、一人の女性が歩いていく。
その目的は……果たして。
◇◇◇
巨大な高潮であるという、“アクア・ラグナ”。街を飲み込むほどとは凄まじい話でる。街が沈んでいるように見えるのは水位の上昇ではなく地盤沈下によるものらしいが、それはまあ重要なところではない。
問題なのはこの“フランキーハウス”とかいう建物だ。何度見ても奇抜なデザインであるのだが……これ本当に大丈夫かとルフィとウタの二人は思い始めている。
何というか、全体的に不安定なのだ。色んな意味で。故に不安を感じてしまう。
「すごーい! 変なお家!」
「クオッ!」
一名と一羽はそうでもないようだが。
「あん? 随分と早かったじゃねェか」
そして外で何やら作業をしていたフランキーがこちらに気付いて声を上げる。ルフィもウタも仮装の衣装を脱ぎながらフランキーへと歩み寄った。
「子分どもから聞いたぜ? ガレーラの奴が船を見て行ったらしいな。それで? どうするんだ?」
「ああ、なんか後になった」
「……どういうことだ?」
ルフィの言葉に眉を顰めるフランキー。そんな彼に説明の言葉を紡いだのはザンバイだ。
「なんかどえらい海賊が出たとかで。後からこっちに人を寄越すと」
「なんだそりゃ」
ザンバイの言葉に肩を竦めるフランキー。彼はまァ、と言葉を続ける。
「どの道“アクア・ラグナ”が過ぎてからだろ。急ごうにも急げねェわな」
「なんか凄ェらしいなそれ」
「おれたちにしてみりゃ慣れたもんだが、おめェらみたいに外から来た奴にすれば驚くだろうな」
笑いながら言うフランキー。そのまま彼はそれで、とウタと手を繋いでいるシャオとルフィにじゃれついているビリーへと順番に視線を向ける。
「そいつらは何だ?」
「ああ──」
「お姉ちゃん」
口を開こうとするルフィを遮るように、シャオがウタの手を引いた。どうしたの、と問いかけるウタに対し、フランキーを指差すシャオ。
そして。
「──変態さんがいる!」
とても素直な言葉を口にした。
「おいおい褒めるなよ。照れるじゃねェか」
そして満更でもない様子で笑顔を浮かべるフランキー。致命的に空気が狂った気がした。
「良い目を持ってる奴は嫌いじゃねェ。名前は?」
「私はシャオ! こっちはビリー!」
「クオッ!」
「おれはフランキーだ。いやしかしでけェ鳥──」
「あっ」
思わず声を上げたウタに気付かぬままビリーに触れるフランキー。そして直後、予想通りの光景が目の前に広がった。
「ウオオオオオオッ!?」
「アニキー!?」
放たれた電撃を受けるフランキーと声を上げるザンバイ。
「ダメだよビリー! メッ!」
「……クオッ」
そしてシャオに叱られ、シュンとするビリー。そんな光景を見て何故か体から白い煙を立ち上らせているフランキーが頷く。
「いや驚いた。何だその鳥?」
「友達!」
「クオッ!」
「……まァ何でもいいか」
全体的にマイペースなシャオにフランキーでさえも押されているという不思議な光景。アウトローを自称する彼でも子供には甘いのだろうか。
と、そこでウタはまた振り返るように背後の一方向を見つめるルフィに気付いた。
「ルフィ?」
思わず声をかける。すると。
「──ちょっと行ってくる」
「えっ」
「あん?」
説明もないまま、ルフィがその場から高速で移動した。
海軍において広く伝えられている体技、“六式”。そのうちの一つである“剃”だ。常人には文字通り消えたように見えるほどの速度で移動する技術。
事実、シャオは反応できていない。対し、完全に捕捉できているわけではないのだろうが反応はしているフランキーは流石というべきか。
そしてウタはその動きを追うことができる。全力のルフィに追いつくことは難しいが、それでも目で追うことができるくらいには彼女もまた“超人”だ。
そしてその視線の先。ルフィの到達した場所には──
「────」
見覚えのある、しかしここにいるはずのない人物がいた。
◇◇◇
どうしたらいいのかわからないという状況が、イルは苦手であった。
──求められたことを、求められたように。
それが彼女に許された人生であった。それ以外のことは考えてはならない。そうして彼女の人格と人生が形作られていったのだ。
そしてだからこそ、かつて祖父が願ったように生きている。
“世界を見て回れ”
閉ざされた場所で生きてきたイルに、あの人はそう望んだ。望まれ、求められたならばそう生きていくのがイルの在り方だ。
……きっと、イルのそういう性分を理解していたのだろう。彼女を“人”と定め、正面から見据えてくれた数少ない存在であるあの大海賊は。だから彼女が生きていけるようにあんなことを口にしたのだ。
ただ、とイルは思う。
世界を見て、生きていって。
その果てに、何があるのだろう。
何を、したらいいのだろう。
それがわからないまま、あの日からずっと目的もなく心が彷徨っている。
何をしたいのか、やるべきなのかがずっとわからないという意味ではとりあえずの役割を持てる“革命軍”は彼女にとって居心地が良かった。自身に明確に指示を出してくれる彼らはイルにとってはとてもありがたい存在だ。
この姿勢は良くないのだろうとは思う。自ら考え、行動する。それができるようになることを、きっとあの人は願ったのだと思うから。
だが、長年染みついた生き方はそう簡単には変わらない。最早それは呪いの如く彼女を蝕むモノなのだから。
まあ、とはいえ、だ。
不測の事態というのは常に発生する。その時には個々の判断が問われるのもまた世の常だ。
そう、例えば。
──“革命軍”の最優先目標である“麦わら”と“歌姫”を見つけてしまった場合など、だ。
元々は見覚えのある海兵の動向を遠目に見張っていただけだ。“火拳”が現れたことにも驚いたが、その後の光景に更に驚かされることになる。
仮面を着け、仮装した者たち。その仮面が偶然から外れたのだ。そして現れた顔にはイルも驚いた。
そこにいたのは、イルにとって大恩ある人物を討った男。忘れるはずなどない顔であった。
モンキー・D・ルフィ。
あの大海賊、“金獅子”を討った“新時代の英雄”と呼ばれた男。
(……繋がらない)
彼に対して思うところがないと言えば、きっと嘘になるだろう。だが今の彼女は“革命軍”であり、彼らとは敵対関係にない。それにそもそも個人でどうにかできる相手ではないのだ。
故に先程からサボたち“革命軍”の電伝虫へ連絡しようとしているのだが繋がらない。何かトラブルがあったのだろうか。
どうしよう、という思考が浮かぶ。
こういうのは本当に苦手だ。だから付かず離れずで後をつけ、判断もできないままこんなところまで来てしまった。あの妙な建物以外に家屋のないこの辺りは隠れられるようなものも少ない。今は少し距離を空けて身を伏せているのだが、それだっていつまでもこのままではいられないだろう。
だからどうするべきかの指示を仰ぎたいのだが、その連絡が繋がらない。
(とりあえず今は動かずに見ておいて……)
消極的とも取れる判断だが、間違った判断ではなかった。
──相手が“麦わら”でなかったならば、であったが。
「────!?」
その動きに、イルは反応できなかった。油断もあったし目を離していたということもある。だがそれ以上に目の前の男の速度があまりにも早過ぎた。
仰向けの状態になり、腕を抑えられてしまう。眼前にあったのは“麦わら”の顔だ。
「……お前」
眼前の男がこちらの顔を見て眉を顰めた。覚悟を決める。彼にとって自分は“金獅子”の一味だ。好意的な感情を抱くことはないだろう。
だが、相手はイルの予想とは全く違う反応を返してきた。
「あの時助けてくれた奴か!」
「…………えっ?」
完全に想定外のその言葉に、間抜けな声を溢すイル。
そしてそんな二人の方へと、奇妙な建物の方からこちらへと走り寄ってくる影がある。
かつて敵同士であり、殺し合った者たち。しかし今の互いの立場はあの時とは大きく違う。
この予期せぬ再会がどんな形で影響を及ぼすのか。
──今はまだ、誰もわからない。
たった一つの激突からどんどん連鎖していくのは書いていても楽しいですね。
見覚えのある海兵を見張っていたらとんでもないものを見つけてしまったという。実は現状において一番自分のことが定まっていない人間でもある彼女はどうするのやらです。