第十四話 水の都の一番長い日①
懐かしい、場所だった。
海の見える崖の上。背の低い雑草が多い茂る、のどかな場所。
この場所をウタは生涯忘れることはないだろう。
ここは、この場所は。
かつて彼と、一つの誓いを交わした場所だから。
『久し振りだね、“私”』
その思い出深き場所に座り込んでいた少女が小さく笑った。その声には僅かに呆れの感情が込められている。
『またね、とは言ったけど。随分早いね』
それに、と少女が立ち上がりながら言葉を紡ぐ。
『酷い顔』
否定できない言葉だった。今の自分はきっと、本当に酷い顔をしているのだろう。
──けれど、仕方がないではないか。
こんなことになるなんて。こんな未来が待っているなんて。
想像も──していなかったのだから。
「……強くなれた、って。なることはできたはずだ、って」
幼い少女から目を逸らし、海の方へと視線を向ける。
沈んでいく夕日。何度も見た光景。
その、見慣れたはずの光景を前にして……どうしようもなく、胸が締め付けられる感覚を覚えてしまう。
「そう、思ったんだけどね」
『違ったんだ?』
「うん。勘違いだった」
自嘲の笑みと共にそう口にする。
彼に並ぶため、共に在るために積み上げてきたつもりだった。だが現実はどうだ? その積み上げたものが彼を正道から引きずり落とすことになり、それどころか積み上げたと思っていたものは全てが虚像であった。
世に“神”と呼ばれる存在の、ほんの気まぐれ。それだけで崩れてしまう程度のものだったのだ。
今まで歩んできた道は、信じたものは。
ほんの……その、程度の。
「……私はどこまで行っても、“シャンクスの娘”で」
目の前にいる“わたし”。文字通りの“赤髪の娘”にして“赤髪海賊団の音楽家”に対し、右手で顔の半分を覆いながらウタは言う。
「捨てられたのに、置き去りにされたのに。だから私も捨てたはずだったのに」
いつか決着は着けなければならないとは思っていた。彼に海軍に入ろうと誘われた時、彼はこう言ったのだ。
“シャンクスを捕まえよう”
きっと彼は気付いていたのだろう。その存在があまりにも大きく、だからこそ進めなくなっていたことに。
忘れようとしたけど、できなくて。
憎悪を募らせながらも、ずっと疑問は消えなくて。
ウタという存在にとって、“赤髪のシャンクス”という海賊はあまりにも大き過ぎたのだ。
「結局私は、あの日から一歩も進めてない」
あの日の背中。自分よりも小さいはずなのに、それでもずっと大きかったあの背中に助けられたあの日から。
──モンキー・D・ルフィに、優しい彼に縋ったあの瞬間から。
結局、たったの一歩さえも歩めていなかった。
そんなことさえ、気付いていなかったのだ。この愚か者は。
「立ち上がらなくちゃいけないのもわかってる。このままじゃ駄目だっていうこともわかってる。でも、私は」
拳を握る。だがその力は儚く、弱々しい。
その姿が、今の“ウタ”という存在の力そのものを示しているようだった。
『怖いんだね』
くるりと、こちらに背を向けるように体を反転させる“わたし”。その表情が見えなくなる。
『わかるよ。全てが否定されて、二人ぼっちになって。逃げ続けるしかなくて』
逃げる相手は世界政府であり海軍だ。そしてその強さと恐ろしさを、ウタは所属していたからこそよく知っている。
この逃亡の果てに待つ未来も、また。
『それを避けるために立ち上がったとしても、もう一度失うかもしれない。そうだね、今度は──』
振り返った“わたし”の表情は。
こちらを、憐れむようで。
『──ルフィを、失うかもしれない』
呼吸が止まった。耳が痛いほどに高鳴る心臓の音。それはまるで自身を責め立てるかのように響いている。
想像しなかったわけではない。その可能性は何度も何度も脳裏を過った。その度に否定して振り払って、“なかったこと”にしてきただけ。
『逃げるの?』
突き刺すような言葉。内面を抉るようなそれは、起こり得る可能性を──否、このままでは確実に目の当たりにすることになる現実を示している。
『逃げて、逃げて、逃げて』
肺が痛い。頭が痛い。運動をしたわけではないというのに、息が荒い。
「…………ッ!」
両の耳を両手で塞ぐ。だが無意味だ。“わたし”の声は自分自身の内側から響くもの。耳を塞いだところで拒絶できるようなものではない。
だがそれでも、そうするしかなくて。
『今度こそ、何もかもを失うつもり?』
突き立てられる剣のように鋭いその言葉は、酷く冷たい。
『それが、あなたの選択?』
わかっている。わかっているのだそんなことは。
でも、ならばどうしろというのだ?
過去を振り払うように進んできた。“正義”を背負い、一人でも多くの人を助けようとして。そうしてどうにか生きてきた。戦ってきたのだ。
──“平和を届ける正義”。
それは決して生半可な覚悟で背負ったものではない。この世界には辛いことや苦しいことが溢れている。でもそれでも、諦めて欲しくなかったのだ。
私が、ウタが、たった一人の男の子に救われたように。
助けを求める誰かに、あの日彼に貰ったものを少しでも分け与えることができたらと。
それができれば……どんなに良いだろうかと。
そうやって、進んできたのに。
『“フーシャ村のルフィとウタ”』
びくり、と。
体が、大きく震えた。
『“私”が届ける平和の果てにあったもの。あなたの夢。約束の場所』
目を開けたのは、間違いだった。
視線の先。“わたし”の向こうにいるのは──
「ルフィ!!」
生気のない顔で座り込むルフィ。その身は傷だらけで、血に塗れていた。
『ねぇ、“私”?』
足をもつれさせながら駆け寄る。応じる言葉を発する時間さえも惜しみ、彼の下へ。
──“わたし”の隣を通った瞬間に聞こえた声は。
どこまでも、冷たかった。
『それは起こり得る未来。ルフィがいる? ううん、それは違う』
頬に触れる。冷たい感触が伝わってきた。
わかる。わかってしまう。
これは、もう──
『わかってるんでしょ?』
背後、言葉を紡ぐ“わたし”はどんな顔をしているのだろうか。
どんな目で、こちらを見ているのだろうか。
『“私”が死ぬことも、賞金首になったことも、シャンクスの娘であることも。結局のところはどうでもいいの。そんなものは最悪じゃない』
息が苦しい。胸が痛い。何かに殴りつけられているかのような感覚が襲ってくる。
『ルフィがいなくなることが、あなたにとっての最悪。違う?』
それは当たり前のことだ。ルフィがいなくなること。それだけは受け入れられない。
だが、想いというのは力にはなるがそれだけでは何一つ実現できない。それを原動力とし、実現する別の力が必要だ。
そしてわかってもいる。力とは何かを、わかっているのだ。
けれど、できるのだろうか?
『できるよ。あなたはその力を持ってる』
振り返る。そこにいた“わたし”は、小さく笑っていた。
いや──待て。
おかしい。何故、“わたし”は。
ルフィのこの姿を見て……笑っている?
「あなたは、何?」
絞り出すような言葉。無意識に背後のルフィを庇う立ち姿を取っているのは、本能がその存在の正体を嗅ぎ取っていたからだろうか。
対し、“わたし”は笑みを深くする。
『あなたは知っているはず。わたしは──』
◇◇◇
「────ッ!」
飛び起きるように目を覚ました。全身が汗に塗れ、少し不快だ。
「……はッ……はッ……」
何度も荒い呼吸を繰り返す。夢に見たあの光景、彼の姿が脳裏に焼き付いている。
「…………ッ」
「大丈夫か?」
無意識に手を握った瞬間、それを握り返す力と言葉があった。弾かれたように顔を上げる。
「……ルフィ……」
ウタが眠っていた布団、その隣に座っていたらしいルフィの姿があった。見上げた先にある表情には心配の色が宿っている。
「ちょっと待ってろ。今──」
「────」
その言葉を遮るように、その体へと抱きついた。彼にしては珍しい、少し驚いた反応が返ってくる。
「ウタ?」
「……ごめん。少しだけ、こうさせて」
トクン、トクンと。
聞こえてくる静かな音が、今ここに彼がいることを教えてくれる。
突然の行動だ。困惑するのが当たり前だろう。しかし、ルフィは。
「…………」
優しく、この体を抱き締めてくれた。
思わず、吐息が溢れる。この優しさが、温もりが。何よりの……支えだった。
「ルフィ」
か細い、吐息のような声で彼の名を呼ぶ。見上げたそこに、こちらを覗き込む顔。
示し合わせたわけではない。けれど。
──当たり前のように、唇が重なった。
永遠のようで、しかして刹那の如く。その時間が過ぎ、ウタは小さく笑う。
心の奥に、温かなものがじわりと広がっていく気がした。
「ふふ……あっ」
何を思ったのか、そんなウタをルフィが強く抱き締めた。予想外の動きであったが、ウタはそれに逆らうことはない。逆らうはずがない。むしろその背に手を回し、強く、強く、その体を抱き締める。
どれぐらいそうしていたのだろうか。ウタ、とルフィがこちらの名を呼ぶ。
「うん。ルフィ」
抱き締め合う互いの顔は見えない。だがそんなことは些細なことだ。
「大丈夫か?」
「うん。ルフィのおかげ」
今ここに、あなたがいること。
ただ、それだけで。
まだこうして、生きていられる。
……不意に、ノックの音が響いた。
同時、扉の向こうから声が聞こえてくる。
「あのー……」
ザンバイの声だ。どうした、とルフィが扉越しに声をかける。
「よかった、起きてたんスね。あの、急いでお知らせしたいことが」
扉越しではあるが、その声に焦りがあることが伝わってくる。
「わかった」
言いつつ、ルフィがこちらから離れた瞬間。
──悪寒が、全身を駆け抜けた。
その警鐘のような響きに根拠はない。だがそれでも、ウタは本能で感じてしまった。
立ち上がるルフィの背中。そこに“何か”が重なる。
その“何か”の正体を、ウタは決して考えようとしなかった。
……きっと、それは。
避けようのない、大きな嵐。
水の都の長い一日の、始まりだった。
◇◇◇
「──銃弾は二発。結果として命に別状はありませんが……いつ目を覚ますかは保証できません」
会議室。そこには大勢の人間が集まっていた。一番前で説明をしているのは一人の医者だ。緊急事態も緊急事態であるため複数人の医療関係者が“ガレーラ・カンパニー”に急行してきたのだが、とりあえずの目処がついたためにこうして責任者が説明の場を設けているのである。
この場に集まったのはこのウォーターセブンの有力者たちだ。まずは一番ドックの職長たち五人を中心に、残る四つのドックの責任者たちとアイスバーグの秘書であるカリファという“ガレーラ・カンパニー”の代表たち。そしてこのウォーターセブンの議会から代表数名に加え、商人ギルドなどの組合組織それぞれの代表たち数名。正しく有力者と呼ばれる者たちだ。
そしてそこに加えて昨晩到着した増援である海軍部隊から代表としてヴェルゴとその副官二名が部屋に通されていた。
実はこれでも絞った人数である。外には十倍ではきかない数の人間が詰めかけてきており、建物の奥にある会議室にもその声が僅かに届くくらいだ。それだけで今回の被害者であるアイスバーグという人物が、どれほどこの都市の人間から慕われているのかがよくわかる。
「本当に命に別状はねェんだな?」
代表するように問いかけてきたのはゴーグルを着けた青い作業衣の男だ。張り詰めた彼の問いに、医者は頷いて応じる。
「ええ。発見が早かったのが良かったです。現在、容体は安定しております」
室内に安堵の空気が広がった。事前に簡潔に聞かされていたこととはいえ、こうして明確に言葉にされるとやはり安心感が違う。
だが、その空気も一瞬で切り替わる。
「しかしもう一人は違います。弾丸の摘出は無事に終わりましたが、予断を許さない状況です。最善を尽くしますが……」
医者の口調は重い。医学のプロフェッショナルである彼がここまで言うのだ。相当まずい状況であるということだろう。
「そんなに不味いのか?」
そう言ったのはタイルストンという大柄な男性だ。はい、と医者は難しい表情で頷く。
「正面から三発、背中から四発。その内の二発が内臓に到達していました。正直なことを申し上げるならば、命があることそのものが……」
重い沈黙が室内を支配する。そんな中、失礼、という言葉と共に前に出てきたのは一人の制服を着た男性であった。それも警察のものである。
「それらの詳細については私の方から説明いたします」
警察組織の責任者だ。その目の下には隈があり、彼もまたずっと身を粉にして今の時間までを過ごしてきたことが伺える。
「ではまず、状況から。カリファさん、お二人が会議室に入られたのを確認したのはあなたですね」
「はい。申し上げた通りです」
普段は毅然とした態度のカリファであるが、今日はどこか弱々しい。それでも受け答えに動揺を見せないのは彼女の芯の強さ故か。
「その後即座に社員たちに声をかけ、応急処置。これについては他の方からも確認は取れています。
そして肝心の事件についてです。状況から推測するものになりますが、まず──」
警察の男が写真を会議室に備え付けられた黒板へと貼っていく。そこに被害者たちは写っていないが、それでも残された血痕からその凄惨さが窺える。
語られるのは、その夜に何が起こったのか。
あくまで推測であり予測。現場に残された痕跡から導き出されたものだ。
曰く──
◇◇◇
事件は深夜に起こったと推察される。本日行われる予定であった記者会見の打ち合わせをアイスバーグ市長とオリン大尉の二人が会議室で行っていたところを何者かが襲撃。二人が使用していたと思しき机が半ばから砕かれており、これは襲撃者に対して盾として使おうとしたところを破壊されたと推測される。
その後、襲撃者に対しオリン大尉がアイスバーグ市長を庇う立ち位置へ移動。そこへ襲撃者が銃弾を浴びせる。
放たれた弾丸の数は合計八発。連続して放たれたそれをオリン大尉が身を盾にして防ぐが、その内の一発が貫通してアイスバーグ市長の右腕に到達する。だがこちらについては深い傷ではない。
問題は腹部へ当たった一発であり、推測であるがそれを受けてオリン大尉は身を翻し襲撃者に背を向けてアイスバーグ市長を庇う体勢に入った。そこへ背後から三発の弾丸が叩き込まれ、二人は折り重なるようにして床へと倒れ込んだ。
その銃声を聞きつけ、アイスバーグ市長の秘書であるカリファが会議室へ入る。襲撃者の姿は既になく、あったのは血溜まりの中で倒れる二人の姿であった。
──以上が、この場に集まった者たちへ告げられた一連の情報である。
「……礼を言うというのも、おかしな話か」
報告を受け、少しの沈黙の後にそう言葉を紡いだのは議員の男性であった。年齢でいうならば60を超える人物であるが、自身よりも年若いアイスバーグを心から尊敬し、実際選挙においても全面的に支援を行なった人物の一人である。何なら議員の中では真っ先に支持を表明したくらいだ。
ある意味で政治家らしい言葉を選ぶような言い回し。それに対して応じるのはヴェルゴだ。
「大尉は自身のなすべきことを果たした。……残念ながら、守るべき相手は無傷とはいかなかったが」
「それは望み過ぎだ。こっちは本当に感謝してる」
ヴェルゴの言葉に対してそう言葉を紡いだのはパウリーだ。周囲の者たちもその意見に同意しているのは雰囲気で察することができた。
『クルッポー。下手をすればアイスバーグさんが殺されていたかもしれない』
「そうじゃな。銃も部屋の隅に置いておったという。……それでもアイスバーグさん命を守ってくれたことには感謝しかない」
続いてルッチとカクがそれぞれの言葉を紡ぐ。特にカクの言う通り、オリンの得物である銃は会議室の隅に置かれていた。おそらくは会議をする上で見える形の誠意を示すためにそうしたのだろうというのが共通の見解だ。
「まさかこんなことになるとはな」
「誰だか知らねェがフザけた真似を……!」
続いてルル、そしてタイルストンの言葉である。それに対し、それについてだが、とヴェルゴが言葉を紡いだ。
「この襲撃について心当たりは?」
「……おれたちを疑ってんのか?」
ギロリと、鋭い視線を向けるパウリー。いや、とヴェルゴは首を横に振った。
「気を悪くさせたならばすまない。不勉強で申し訳ないが、我々はこのウォーターセブンについて詳しくないんだ。だから教えを乞いたい」
「……少なくともまずこの島でそんなことをするような奴はおらんじゃろうな」
言ったのはカクだ。そんな彼の言葉にはい、と頷くのはカリファである。
「アイスバーグさんは圧倒的な支持を受けて市長になっておりますし、その施作についても順調です。それを考えると……」
「このような強硬手段を取ることはない、か」
ふむ、と腕を組んで頷くヴェルゴ。そのまま彼はならば、と言葉を紡いだ。
「外部犯か」
『それこそ“火拳”ではないのか?』
声を上げたのは鳩を肩に乗せた男、ルッチであった。外部犯──それを考えるならば、つい昨日一番ドックの前で暴れた海賊の姿がどうしても浮かび上がる。
「その“火拳”と廃船島で暴れてたって奴らは?」
「正体もわからねェからな……」
「だが海賊がどうしてアイスバーグさんを」
「海賊の考えることなんてわかるわけねェよ」
一つの言葉が上がれば、次々と言葉が溢れてくる。皆言いたいことも考えていることも色々あるのだ。
俄に騒がしくなる会議室。その空気を切り替えるため、ヴェルゴは一度手を叩いた。その音に反応し、彼へと注目が集まる。
「──推測は大事だが、それで足が止まっては本末転倒だ。相手の目的は不明だが……もしアイスバーグ氏の殺害が目的であると仮定した場合、次がある」
「させねェよ」
即座に答えたのはパウリーだった。無論だ、とヴェルゴは頷く。
「だが対応の仕方というものがある。そのための配置についてだが──」
「本社はワシらが守ろう。建物の構造も熟知しとる」
遮る形で言ったのはカクだった。ヴェルゴは他の者たちへも視線を送るが、この場の全員が彼の案を推しているように見えた。
「民間人に、と言いたいところであるが……承知した」
ヴェルゴは頷きを一つ返す。そうしてから言葉を続けた。
「共に協力していく予定が早まったということにしておこう。だが襲撃者の目的が読めないのも事実だ。他のドックが狙われる可能性もある。よってそちらには我々が警護に入ろう。確か“アクア・ラグナ”の予報も今日であったと記憶しているが」
「ああ。一番ドックはこの状況だから閉じちまうが、他のドックは市民が避難してくるはずだ」
「ならばその警護も兼ねてそちらは我々が対応しよう。市民を守るための部隊と捜索を行う部隊を編成する。“エニエス・ロビー”にも増援を要請しているが、到着は夕方と報告があった。現状は我々で対応するしかない」
そこまで言ったところでヴェルゴは一度言葉を切った。室内を見回し、特に意見がないのを確認する。
「無論、これが杞憂で終わるのであればそれが最上ではあるのだが」
「そうなれば一番だな」
ヴェルゴとパウリーの言である。それについてはこの場の全員も同じ思いだろう。そんなことはあり得ないということも含めて。
まあ、とりあえす大筋の流れは決まった。その上でヴェルゴが提案する。
「ではそのことについて市民に知らせるべきではないかね? 我々としてもその方が動き易くなるのでありがたいのもあるが、何より市民に安心感を与えたい。」
「確かにそうだが……どうやってだ?」
「記者会見を行えば良いのでは?」
パウリーの疑問に応じたのはカリファだ。ああ、と思い出したようにパウリーが頷く。
「アイスバーグさんがやる予定だった奴か」
「公にメッセージを発するのは市民の不安を取り除く上で一番の手段ではある。本来ならば大尉が出席する予定と聞いているが、この状況だ。私が出ようと思うが……」
「──わかった。おれが出る」
そちらは誰が、という暗の問いかけに応じるパウリー。そのまま立ち上がる彼に、いいのか、とルルが問いかけた。それに対し、葉巻の煙を吐き出しながらパウリーが頷く。
「良いも悪いもねェだろ。──おれたちでやるべきことをやる。そうじゃねェとアイスバーグさんに顔向けできねェ」
それはこの場の全員に共通する想いであっただろう。故に誰も反対せず、各々のやるべきことのために立ち上がる。
「確かにそうだ。アイスバーグさんが目を覚ました時に情けねェことは言えねェからな」
「とりあえず職人たちと市民への連絡じゃな。後は外の記者連中か」
「それは私が。どなたか手を貸していただけるとありがたいのですが」
『おれが行こう』
「パウリー、おれたちは会場の準備に行く。お前は内容について詰めておけ」
そして動き出したならば後は早い。テキパキと動き出す彼らに対し、ヴェルゴが呟く。
「良いチームワークだ」
「当たり前だ」
対し、パウリーは言う。何を当然のことを、と言外に滲ませながら。
「──あの人が築き上げたんだぞ」
水の都の大事件。後に最も長い日と称されるその一日は。
未だ、始まったばかりである。
◇◇◇
記者会見は紛糾するものと思われたが、意外にもスムーズに終了した。主役であるパウリーとヴェルゴの二人が常に冷静であったというのもあるだろう。丁寧かつ簡潔に質問に対して応じていた姿は印象的だったと後に参加した記者たちは語る。
特にパウリーは普段の借金取りから追われたり、露出の多い女性を見ると慌てる姿からは想像できないくらいに落ち着いた雰囲気で会見に臨んでいた。
ウォーターセブンにおいて“英雄”と呼ぶに相応しい存在であるアイスバーグ。その後継者の筆頭という評価は、おそらくこの日の会見によって定まったとも後に謳われるようになるほどのものであった。
そして記者会見が終われば、記者たちはその情報を持ち帰って分析するのが職務だ。そのやり方は様々であり、本社に戻る者、その場で連絡をする者など多種多様である。
そしてそんな中で一際目立つのが、何故かアホウドリの姿をした男を中心とした三人組であった。
「クワハハハ! 記者会見はどうだったニュービーたち!」
「緊張しました。座って聞いているだけだったんですが……」
「まあ、あんなものだろう」
ご機嫌に笑う人物──モルガンズの問いかけに対し、応じる方もそれぞれの個性が出ている。
片方は年若い新人記者。もう片方は火の点いていない煙草を咥えた男だ。
「しかし、ふむ。まァ無難な対応だな。犯人は“火拳”、ねェ……」
含みのある言葉であった。その口端には笑みが浮かんでいる。
「あの、何かおかしなことが……?」
「相手は海賊、それも“四皇”の最高幹部だ。『暗殺』なんて大人しい真似をするのかって疑問が一つ。もう一つは──」
「──メリットがない」
引き継ぐように男が言う。その通りだ、とモルガンズが頷いた。
「公にはしてねェが海賊相手でも“ガレーラ・カンパニー”は商売をしてる。つまりは絶対的な敵対関係ってわけではなく、交渉できる相手ってことだ。その上でMr.アイスバーグと“火拳”の間で『暗殺』って構図が成立する動機が見えねェ」
「それはそうですけど……でも、一番ドック前で暴れましたよね?」
「一見した規模は大したもんだったが、あんなもん“火拳”にとっちゃ挨拶ですらねェ。並の船なら五、六隻は一撃で沈める化け物だぞ? 怪我人さえろくに出てねェ時点で“その気”はねェさ」
肩を竦めるモルガンズ。そう言われてみると、と頭を悩ませる記者に対し、男が補足するように言葉を紡いだ。
「おそらくそれは会見をしていた連中もわかっている。だがどこの誰か皆目見当がつかない、と告げるよりはある程度明確な相手を想定した方が市民は安心する」
「まァ、絶対にねェとは言えねェのもある。おれたちが見えてねェ事情があるかもしれねェからな」
「そう……ですよね。海賊が何考えてるかなんてわからないですし」
頷く記者。だがそんな彼に対し、おいおい、とモルガンズは言葉を紡いだ。
「それは違うぞニュービー。何考えてるかわからねェってのは思考の放棄だ。はっきり言っておくが、海賊ってのは無法者だが人であることは間違いねェ。その本質はおれたちと同じなのさ」
「同じ、ですか? でも海賊は犯罪者で……」
「その犯罪者の定義は誰が定めたのか、というのが一つ。まァここは掘り下げると収集がつかねェからな。だからここはわかりやすく話をしよう。──損得だ」
損得。それは人が人である限り必ず付き纏う概念だ。それは即ち、人という存在における共通した価値観であることを示している。
「乱暴者で無法者。それが海賊って存在だが、だからこそ逆に損得について敏感だ。奴らは自分が損することは基本的にしねェと言ってもいい。法の外にいるからこそ利益と不利益には敏感になるしかねェのさ」
「……たまに読み違える奴もいるが、それはあくまで読み違えだ。それこそここで料金の踏み倒しをしようとしたという奴らがそうだな。奴らは読み違えた結果不利益を得たわけだが、それは結果論だ」
「そいつはわかり易い例だな。踏み倒せるなら間違いなく利益を得られる。だから行動した。その瞬間において損得の計算は成り立ってたわけだ。──ここで勘違いしちゃならねェのは、損得の計算による行動とその結果としてもたらされるものは必ずしもイコールじゃねェってことだ。結果はあくまで結果に過ぎねェからな」
要は前提条件の違いだという話だ。人はどうしても結果を見てその行動の是非を判断するが、そもそも人が行動を起こす際に結果を予測はできても確定はできない。故に起こったことからその動機を推測するとどうしてもズレが生まれるのだ。
「重要なのは何をやったかではなく『どうして』やったのかだ。だからこその損得だな」
「……“火拳”にはそれがあると?」
「それを調べるのがおれたちジャーナリストの仕事だ」
両手を広げ、笑みと共に言うモルガンズ。そのまま彼は言葉を続けた。
「だがいきなりそう言われてもわからねェだろう? だから思考方法について一つレクチャーしよう。──そうだな、この事件で誰がメリットを得たのかについて考えてみろ」
「メリット、ですか?」
「利益と言い換えてもいい。良いか、よく覚えておけニュービー。その事象がどんなものであれ、事が起こった以上必ず損得が発生する。それは短期的、長期的な違いこそあるが例外はねェ。誰もが絶対に損するしかねェなんて現象は起こりやしねェのさ」
そしてモルガンズは年若い記者へと指示を出す。
「それを見極めるのに必要なのはいつだって情報だ。まずは量、それから質。──後はわかるな?」
「は、はい! 聞き込みに行ってきます!」
指示を受け、走り出す記者。実に素直だ。あんな頃があったかもしれないと一瞬モルガンズは思ったが、そうでもねェなと思い直した。割と昔から自分は変わっていない気がする。
「いやァ、若ェってのは良いことだ。愚直に進めるのは若者の特権だな」
「そんなことはないだろう。誰にだって権利はある。その行使に躊躇するだけだ」
「それが大人になるってことだ。悪いもんでもねェが」
クワハハハ、と笑うモルガンズ。そして彼は壁に背を預ける男へと問いかけた。
「ではもう一人のニュービーにはもう少し踏み込んだことを聞こう。どう見る?」
「損得の話でいうならば、この事件で最も得をしたのが誰かなど明白だ」
「ほほう、誰だ?」
ニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべているモルガンズ。そんな彼を一瞥すると、男はため息と共に呟いた。
「──世界政府だ」
何を当たり前のことを、と言いたげに語る男と、その返答を受けて笑みを深くするモルガンズ。男は言葉を続けた。
「この事件をきっかけにこの都市の世論は海軍の受け入れについて前向きになるだろう。一海兵が文字通り体を盾にして市長を庇い、重傷を負った。そこに『そもそも最初から彼女のような海兵がもっと大勢いればこうはならなかった』というような言説でも出回れば一発だ」
「反対意見は押し流されるだろうなァ」
「事実が持つ力は大きい。文字通りの命懸けでこの都市の市長を守ったという『事実』は他の要素から目を逸らすには十分過ぎる」
つまらなさそうに言う男。対し、モルガンズは楽しそうだ。
「よくできた良いシナリオだなァ。この筋書きを描いた奴は大したもんだ」
「それを調べるのがジャーナリストの仕事だろう?」
「クワハハハ! わかってるじゃねェか!」
笑うモルガンズと、ため息を吐く男。態度こそ真逆だがその二人の考えは一致していた。
だが、これもあくまで推測だ。故にこそ裏を取る。それがジャーナリストという存在なのだから。
「だが世界政府にとっては棚から牡丹餅の可能性もある。“火拳”か、或いは別の勢力がやった可能性は十分あるからな」
「常識的に考えればそうだな。私の言はただの陰謀論だ」
肩を竦める男。いいねェ、とモルガンズは頷く。
「思ったよりも事は大きくなりそうだ。──旦那方が行くところにはいつもこうして嵐が来る! 素晴らしい!」
実に楽しそうな共犯者を眺め、男は息を吐く。その彼に対し、モルガンズが指示を出した。
「さァ、ジャーナリストとしての初仕事だ。相手はわかるな?」
「自説の裏付けか」
「エクセレント! 話が早くて実に良い!」
賞賛の言葉をスルーし、壁から背を離す男。その背に対し、そういえば、とモルガンズが言葉を紡いだ。
「記事を書くんなら名前が必要だな。どうする?」
「……必要になった時に適当に考えればいい」
言うと、男はその場から離れていく。その目標は明確だ。
──海軍。
この事件において、意図的か結果的かは不明だが一番の利益を得ている者たち。彼らを追うことが彼の仕事だ。
気は乗らないが仕方がない。今の男はもう、彼らと同じ側に立ってはいないのだから。
「……無駄な感傷だな」
小さく呟き、男は歩いていく。不自然なほどに足音がしないその歩みの異質さに気付ける者は、この場にはいなかった。
本来、災害こそ起こるが平和であった水の都。そこで起きた大きな事件。
人々は勘づいていた。これはまだ序章。始まりに過ぎないのだと。
そして事実、事件は未だ収束していない。
様々な思惑を孕みながら、水の都の時は過ぎていく。平等に、遅滞なく。
時の歩みを止める術は、“神”すらも持っていないのだから。
ルフィとウタの重っ苦しい部分は大切にしていきたい。一番重要な部分まであるので。
そして地味に話の流れの誘導というタチ悪いことをしている人たちがいます。ただまあ、ああいう事がお仕事ではあるのでその辺は面目躍如かな?
モルガンズのメリット云々の補足ですが、これ要するに大事なのは『行動しようとしたタイミングでは利益があると想定していたはずだ』という部分です。結果として損をしたとしてもそれはあくまで結果です。基本的に損をするだけしかないという想定がある中でそれでも動くことはまずないので。
対象の行動を考える上で結果からの逆算だけではなく行動を想定している段階での思考過程も考えよう、というだけのことです。実に単純。