第十五話 水の都の一番長い日②
風が強くなったように感じる。いや、実際にそうなのだろう。確か“アクア・ラグナ”と言っただろうか。巨大な高潮が来ると聞いている。その予兆が既に出始めているということなのだろう。
海に生きる以上、どうしてもその機嫌には敏感になる。本能に訴えかけて来るような感覚は、正しく災害の予兆だ。
「──『アイスバーグ市長暗殺未遂!? 犯人は“火拳のエースか!?”』だってよ」
風を受けながら考え事をしている海賊──“火拳のエース”に対し、新聞を広げながらそんなことを言うのは相棒であるデュースだ。このウォーターセブンの地元新聞社が発行するそれには『号外』と書かれており、緊急で配られたことがわかる。
「市長は意識不明だが命に別状はなし。だが市長を庇った海兵は重傷で今も予断を許さない状況」
今やこの都市において最悪の敵となってしまった“火拳のエース”。全く心当たりのない話なのだが、それを主張したところで信じては貰えないだろう。
「寝て起きたらとんでもねェことになってやがるが……どうする、エース?」
「どうする、って言ってもな」
エースとデュースの二人がいるのは『裏町』と呼ばれるエリアにある宿泊施設の屋上だ。お尋ね者である彼らはそもそもあまり目立つ場所に宿は取れない。故にこそあまり目立たない、小さな宿泊施設に泊まっていた。ここはその屋上である。
「無実だと訴えれば聞いてくれると思うか?」
「まァ、聞く耳を持つわけがねェな」
エースの言葉に対し、デュースは肩を竦めて応じる。彼らは海賊なのだ。そもそもからして無法者である彼らの弁解にどれほどの意味があるというのか。
「元から追われてるってのもある。向こうにしてみりゃ理由が一つ増えたぐらいの感覚だろ」
一番ドック前での小競り合いに近いイスカたちとの衝突の結果、エースの存在はこの都市の中に知れ渡ってしまっている。そこに更なる理由が追加されただけというのも間違ってはいない。
「嫌われるのは別に慣れてるが」
世界の嫌われ者である海賊だ。この都市のように真っ当な人間が暮らす場所ではどうしたって疎まれる。
だからそれはどうでもいい。エースの中で引っ掛かっているのはそこではないのだ。
「……が?」
「誰がやったのかは気になるな」
そう、そこだ。この水の都の騒ぎようからしてアイスバーグという男はかなり慕われているのだろう。そんな人物を暗殺しようとした者とは一体何者なのか。
「それにやってもねェことの罪を叫ばれて黙ってるってのもまァ、性に合わねェ」
「……エース。お前さっき仕方ねェみたいなこと言ってなかったか?」
「言ったのはお前だろ?」
言われ、デュースは先程のやり取りを思い出す。確かにエースは明確な答えを口にしていなかった。
「そういやそうか。……いや待てエース。お前何するつもりだ?」
「何もしねェよ」
「なんて信用できねェ台詞だ……」
「おい」
気安い会話だ。だがこれが彼らの普段のやり取りであり、やり方でもある。
「それで? 何をするんだ?」
「いや、だから今は何もしねェよ。オーズたちも呼べねェし」
「まァ、海軍の増援が大勢来てるようだしな……。下手に連絡すれば傍受されるだろうし、そもそもこの状況であいつらを呼んだらどうなることか」
どう考えてもエースが仲間を呼んでウォーターセブンに攻め込もうとしているようにしか見えないだろう。そうなれば不要な争いを呼ぶことになる。最悪戦争だ。
「正直、とっとと撤退するべきだと思うぞ。お前の弟と妹もここにはいねェだろ」
「どうしてそう思う?」
「一つ所に長居できるような立場じゃねェし、“アクア・ラグナ”なんて高潮が来るんなら普通はさっさと島を出るさ。足止めされて周囲にバレるリスクを負う必要もねェ」
デュースの考えは常識的だ。そういう意味では間違いではない。だが実際は奇妙な縁でこのウォーターセブンに件の二人は辿り着き、島から出れるような状況ではなくなっていたりする。物事とは常識的な判断だけでは上手くいかないという良い例だった。……あの二人が色々と例外なのかもしれないが。
だが実際のところエースたちは目的の人物たちの足取りを掴めていないのだ。彼らの視点からすれば、このウォーターセブンにあの二人はいないと判断するのも無理からぬことであった。
「……まァ、そうかもしれねェが」
だが、エースの言葉は煮え切らない。それはあの“革命軍”のNo.2のことか。
或いは──
「イスカのことが気になるのはわかるが」
「……なんであいつが出て来るんだ?」
ジロリとこちらを睨むエース。そんな彼に対し、肩を竦める彼の相棒。手慣れた対応であった。
「違うのか?」
「違う。……まァ、顔を見れただけでも良かった。元気そうだったしな」
素直じゃねェなァ、という言葉は飲み込んだ。余計なことを言えば焼かれそうだった。
そして何かを考え込む仕草をするエース。そんな彼に対し、デュースが問いかける。
「何か気になることがあるのか?」
「……具体的に言葉にできるわけじゃねェ」
だが、とエースは言う。
「何となく、まだここにいた方がいい気がする」
そんなことを言う彼に対し、とても嫌そうな顔をデュースがする。全力で『嫌だ』という感情が伝わってくるほどの表情だ。
「……勘か?」
「まァ、そうだな。根拠はねェ」
「そうか、勘か。……お前のは当たるんだよなァ……」
本能というべきか、第六感というべきか。こういう時のエースの勘は当たるのだ。
「……仕方ねェか」
ポツリと、デュースは呟く。そして彼はエースの隣へと並び、言葉を紡いだ。
「お前が言うんなら付き合うぜ、エース」
「良いのか?」
「今更だ馬鹿野郎」
嫌ではあるが……そう、今更だ。
あの日、この男と出会ってからデュースという男の人生は大きく変わった。
そして誓ったことが、心に決めたことがある。
「お前の相棒だろ、おれは」
この男の歩む道を、その足跡を見届ける。
それが、デュースの決めたことだから。
◇◇◇
水の都を駆け巡る情報。その衝撃は等しく、その地にいる者たちへともたらされる。
市民たちは勿論のこと、この地を訪れているだけの者にとってもそれは同様だ。
「この海兵ってのは、昨日聞いた元部下か」
広間の隅。そこで机を挟んで向かい合う幾つかの人影のうちの一つ、フランキーがそう言葉を紡いだ。その対面に座る二人──ルフィとウタが頷く。
「ああ、そうだ」
「……オリン」
険しい表情のルフィと、呆然とした表情のウタ。対象的にも思えるが、その心情はほとんど同一だ。
ずっとついて来てくれた部下であった人であり、友達。
自分の立場が悪くなることなどわかっていただろうに、それでも自分たちを逃すために体を張ってくれた人。
「どうして」
つい昨日に再会したばかりだ。碌に言葉を交わすこともできなかったが、それでも会えて嬉しかった。
その彼女が、どうして。
「色々と書いてあるが、簡潔に言うならアイスバーグを庇って重傷ってところか。……海兵の鏡だな」
揶揄するようでいて、しかしそこには賞賛も込められていて。
音がするほどに強く、ルフィは自分の拳を握り締めた。机の上にある新聞から視線を外し、フランキーへと視線を向ける。
「フラ──」
「やめとけ」
しかし、その名を呼ぶ前に制止された。フランキーは呆れた様子で肩を竦める。
「おめェらの立場を考えろ。乗り込んで何になる?」
「でも」
「今はこの“火拳”ってのが容疑者みてェだが、おめェらが乗り込んじまったら容疑者はおめェらになるだろうな。それでもいいってんなら止めねェが」
言い切られ、ルフィもウタも言葉を詰まらせる。かつての海兵であった頃ならばともかく、今の二人は世界中に手配をかけられた賞金首だ。何も考えずに“ガレーラ・カンパニー”に出向けば、間違いなく追われることになるだろう。
かつての部下が、友達が苦しんでいる時に側に行くことさえもできない。それが今の二人の立場だった。
「それに、あっちはどうする」
言いつつ、フランキーが親指で部屋の一角を示した。そこには“スクエア・シスターズ”の二人とイル、そしてその三人から教わりながらビリーと共に何かの作業をしているシャオの姿がある。
見たところ、あれはノートに何か文字を書いているのだろうか。もしかして勉強かもしれない。そういえば以前、シャオは勉強を頑張っていると言っていた気もする。
「シャオにこのことは?」
「知ったところで何もできねェんだ。言ってねェよ。この海兵が保護者なんだろ?」
ウタの問いに首を振って応じるフランキー。微妙な判断ではあるが、確かにシャオに知らせるにはあまりにも衝撃が大き過ぎる。
「あいつらにも言い含めてる。……まァ、ずっと隠しとくわけにもいかねェだろうが」
「そうか。すまねェ」
「おめェが謝ることじゃねェよ」
コーラの入ったジョッキを手に取り、一気に飲み干すフランキー。重い空気が流れる中、それにしても、とフランキーは口を開いた。
「“火拳”とは随分な大物だ。何でそんな奴がアイスバーグを狙うのかね? あいつはまァ、ムカつく奴だが海賊の恨みを買うような奴じゃねェはずだが」
「……エースはそんなことしねェ」
首を捻るフランキーに対し、思わずルフィがそう言葉を紡いだ。フランキーが眉を顰める。
「この海賊を知ってんのか?」
「ああ。──エースはおれたちの兄ちゃんだ」
一瞬、時が止まったようだった。眼前のフランキーは動きを止め。
「…………」
まず、空のジョッキを机の上に置いた。そして腕を組み、首を捻る。
そして一つ頷いた後──
「──はァ!?」
随分遅いリアクションを返してきた。
いきなりの大声に、離れた場所で各々の作業をしていた者たちが一斉にこちらを見る。だがそれには意識を向けないまま、フランキーが言葉を続けた。
「おめェらの兄貴!? “火拳”っつったら──」
だが、言いかけたところでフランキーは言葉を止めた。眉を顰め、改めて言葉を紡ぐ。
「今、『おれたち』っつったか?」
「血は繋がってねェんだ」
「小さい頃に盃を交わしたの。……色々あって」
含みのあるウタの言葉。なるほどねェ、とフランキーは頷いた。
「おれたちみてェなもんか」
「かもな」
親分たるフランキーと、子分たるフランキー一家の者たち。彼らにも血の繋がりはないのだろう。だが、確かにそこには絆があるように感じる。確かに似ているのかもしれなかった。
「しかし、海軍で名を上げたおめェらと“火拳”がそんな関係だとは……結構なスキャンダルなんじゃねェのか?」
「どうだろ。仏のおっちゃんは絶対に周りには言うなって言ってたけど」
「いやそれ駄目ってことじゃねェか」
大丈夫かよ、とフランキーは呆れた様子だ。だが別に問題ないだろう。今はもう、そんなことで咎められるような立場ではない。
「エースが何でここにいるのかはわからねェ。けど、エースはこんなことしねェよ」
「その根拠は何だ?」
「エースだからな」
それに対する返答は呆れた表情であった。まあいい、とフランキーは頭を掻いて息を吐く。
「別におれは探偵じゃねェし警察でもねェからな。真相を知りてェわけじゃねェ。……だが、現実としてどうするかが問題だ」
フランキーの視線の先にいるのはシャオだ。難しそうな表情で彼は言葉を続ける。
「今は向こうも混乱してるんだろうが、そのうちシャオのことについてここに誰かしら来るだろう。その時にどうするかだ」
シャオ自身の希望と、オリンがこちらを信頼したからこそあの少女はここにいる。おそらく後からオリン自身が迎えに来るつもりだったのだろう。だが、それはできなくなった。
ならば代理で誰かが来る可能性は高い。その時、暗黙のうちに済ませようと思っていた部分をどうするかが問題だ。
「おめェらが顔を出せば間違いなく面倒なことになるが、それだとどうしてあの海兵がシャオをこんなところに預けたのかって話になる。そうなりゃ遠からずおめェらの存在が表に出るだろうよ」
ルフィとウタ、そしてオリンとシャオ。その繋がりがあるからこその状況だ。その一角が崩れた以上、確かにこの場に二人がいることが露見する可能性は高い。
そしてそうなれば、一番の迷惑を被るのはフランキーたちだ。
「……これ以上迷惑をかけるわけには」
言ったのはウタだ。馬鹿野郎、とフランキーは言う。
「今更水臭ェことを──」
「アニキ! 大変です!」
言いかけたフランキーの言葉を遮るようにこちらへと走り寄ってきたのはザンバイだ。どうした、とフランキーが呼びかけると、息を切らしたザンバイが言葉を紡ぐ。
「外に海兵が!」
その言葉に、厳しい表情をする三人。
「……手が早ェな」
小さくフランキーが呟いた。そのまま彼はザンバイへ問いかける。
「何人だ?」
「──一人だな」
だが、答えたのはザンバイではなくルフィだった。フランキーが眉を顰める。
「一人だァ? どうしてわかる?」
「ちょっとな」
ルフィの言葉に眉を顰めるフランキー。だが、彼がそれについて思考を動かす前にザンバイが言葉を紡いだ。
「は、はいアニキ。確かに一人です」
その言葉を聞き、一度ルフィの言葉については脇に置いておくことにしたのだろう。フランキーは疑問を口にする。
「何で海兵が一人でここに来るんだよ」
「理由はわからねェんスけど、その、アニキに会いたいと」
「…………いや、何でだ?」
本気で困惑するフランキー。海兵がたった一人でフランキーハウスへ、しかもフランキーに会いに来たという。その意図がわからなかった。
「どうします?」
「どうするったってなァ……とりあえず、会うしかねェだろ」
頷くフランキー。そのまま彼はルフィとウタの方へと視線を向けた。
「おめェらはとりあえず隠れとけ」
「え、けど」
「海兵に顔見られたら厄介なことにしかならねェだろ」
そう言われると反論できない。わかった、とルフィは頷く。
「悪ィ、フランキー」
「ごめんなさい」
「だからそういうのは必要ねェよ」
ひらひらと手を振るフランキー。それを見送り、二人は大きなソファーの陰へと姿を隠す。大広間は随分とごちゃついているし物が置いてあるが、二人揃って身を隠せそうなのがここしかなかった。
耳を澄まし、来訪者の声を聞く。ルフィの“見聞色の覇気”が捉えている気配は一つだけだ。そしてその気配は随分強い。相当な実力者だ。
「──突然すまない。本当はもっと早く来るべきだったのだが」
生真面目そうな声だった。来訪者たる海兵はそこで一度言葉を切ると、凛とした声で言葉を紡ぐ。
「私は海軍本部大尉、イスカだ。──ここに、シャオという少女とビリーという鳥がいると聞いている」
その来訪は、吉となるか凶となるか。
ただ、言えるのは。
──それが、二つ目の事件の予兆であったということだけだ。
ちょっとした溜め回。何だかんだ良い相棒しているデュースといい、フランキーといい、ちゃんと物事を冷静に見れる人がいるというのは安心感あります。
次話は割と早めに上げる予定です。