第十八話 水の都の一番長い日⑤
“存分に踊って貰おう”
自身が“王”と定め、仰ぎ見る男はそう言った。
“面白ェ見せ物じゃねェか。世界中の注目の的だ”
その言葉の真意はどこにあるのか。口調こそ笑っているが、電伝虫越しであるため表情が読めない。
“火種ってのは多ければ多い方がいい。おれたちに不利益にならねェなら尚更だ”
戦争を煽り、武器を売る。それが“ジョーカー”の商売だ。確かに彼らがその火種の一つになるのであれば利益になるだろう。
だが、疑問があった。伝え聞く彼らの人格は戦争を望んでいない。それでも戦争は起こるものなのか、と。
“フッフッフッ……わかってねェな、相棒。戦争なんてもんはくだらねェ理由でも起きるもんだ。『あいつが気に入らねェ』なんて理由で起こることもあれば、一発の誤射で始まることもある”
この世界の闇を知る男は語る。戦争などそんなものだ、と。
“中には争う理由を常に探しているようなどうしようもねェ奴もいる。そいつらにしてみれば例の二人は掲げる旗としちゃ最上級だ。これほど綺麗な大義名分もねェ”
つまりは二人自身の意思など関係ないということだ。何とも残酷な話ではある。
だがこれはある種の真理だ。個人の想いを慮ることは難しい。ましてや伝え聞く相手のことであるならば尚更である。そして人間とは往々にして自分の都合のいいように物事を受け取ってしまう。
現役の海兵、それも大佐の地位にあり、更には“英雄”とまで呼ばれている人物が“天竜人”を殴打するという前代未聞の大事件。その背景はきっと単純なものだ。だがその当事者たちの背景を知ればそこに別のものを見出すことができる。
そう、『見出せる』のだ。解釈の余地があるということである。そうなれば自分の都合のいいように解釈する者はどうしたって出てくる。
“理由を確保し、戦う決意をしたら次に必要なのは武器だ。フッフッフッ……おれたちの出番だな”
必要としているなら売りつける。そうして利益を得る。何とシンプルな話であることか。
“だが、目の届かねェ所ってのも具合が悪い。そこでお前に頼みたいことがある”
断るという選択肢は初めから存在しなかった。“彼”が望むのであればその通りに任務を遂行する。それがあの日から変わらない何よりも優先される自分自身の“ルール”だ。
しかし、疑問があった。この役割に不満はないが、不測の事態というのはどうしても訪れるものだ。その場合はどうするべきか。
“あァ、その時はその時だ”
答えは実に簡潔だった。つまり、無理矢理にでも生かす必要はないということだ。
“何かをやらかしてくれるなら面白ェだろうが……それができるかどうか”
どうなることを期待しているのか、とは聞かなかった。
ただ、自分の役割はこの時に確定することになる。
それが、自分がここにいる理由。
それ以外の理由など、存在しない。
◇◇◇
CP9の新入り──そう自己紹介した男は、予定調和とも言うべき情報をこちらへと提供した。
「“麦わら”と“歌姫”は“フランキー一家”って連中のところにいるぜェ」
ネロ、と名乗った男は開口一番にそう告げた。部下たちの間に緊張が走る。件の二人を追うために編成された部隊でこそあるが、実は直接の接触はその部隊長であるヴェルゴ以外は未だ未経験なのだ。
だが、彼らは全員が志願してこの部隊に所属している。志願の理由は様々であるが、文字通り貧乏くじとなる部隊だ。そこへ望んで身を投じるその覚悟は決して軽くはない。
その“覚悟”は、この後に起こることさえも飲み込むほどに強固だ。
「協力に感謝する」
「上の命令だから仕方ないっしょ」
肩を竦めるネロ。その態度は不遜なものであり、規律を重んじるヴェルゴの副官などはその態度に眉を顰めている。とはいえ、彼は世界政府の機関であるCP9に所属する人間だ。海軍とは指揮系統が違う以上、その態度を注意する根拠がない。あくまで心証の問題なのだから。
「それが一番信頼できる。感情は時に力をくれるが、同時に暴走の危険を常に孕んでいるものだ。任務であると一線を引き、己を律する。それは何よりも大切だ」
だが、ヴェルゴはそんなネロの態度に対して何もリアクションを返していなかった。いつも通りの、紳士的な彼のままである。
「へェ……聞いてた通りなんだねェ、アンタ」
「私の噂でも流れているのか?」
「理想的な海兵、ってねェ。──だから、この後のことについても日和るようなことはしねェとも」
「これも任務だ」
肩を竦めるヴェルゴ。その表情は変わらずいつも通りのままだ。
「命じられたのであればそれを全力で遂行する。それが海兵という存在だ。そこに私情を挟むべきではない。命令なのだからな」
それは彼の部下たちへ言い聞かせているかのようであった。数人の海兵が己の得物を握る手に力を込める。
そう、命令だ。立案したのはCP9の長官であり、それを上層部が承認した。そしてその実行役の一翼を担うようにと命令を受けたのが今だ。ならばそこに対して何かしらの感情を持つ必要はない。
「成程、理想の海兵だねェ。そりゃ“元英雄”の追撃なんて任務も任されるわけだ」
「褒め言葉と受け取ろう」
では、とヴェルゴは一つ息を吐いて間を入れた。
「任務を開始しよう。少々時間は早いが、その程度は誤差だ」
無言の肯定が部下たちから帰ってくる。ネロが小さく口笛を吹いた。
「いいねェ。これは期待できるっしょ」
その言葉には応じず、ヴェルゴは歩き出す。
ヴェルゴは海兵としての任務に対し、私情を挟まない。彼が私情を向ける相手はたった一人だけであるからだ。
勿論、彼は機械というわけではない。歴とした人間だ。ただ、明確な優先順位が定まっているだけである。
そしてその優先順位において、件の二人の存在は高くも低くもない。個人としてはどうでもいい存在と言ってもいい。
だが、一つ。
“ああ、気をつけろよ相棒”
ヴェルゴにとって優先順位の最上位にいる男が、最後に言っていたことがある。
“──ああいう手合いは、追い詰め過ぎるととんでもねェことをやるもんだ”
そこまで言わしめるほどのものが、本当にあるのかどうか。
それを、確かめたい。
◇◇◇
ヴェルゴという海兵は、紳士的な人物として知られている。
荒くれ者ばかりとされるG-5支部において部下から市民からも尊敬され、信頼される人物だ。故にこその“理想の海兵”。そしてだからこそ、彼は無用な血が流れることを良しとしない。
「やめておいた方がいい」
故にこの忠告は当然のものであった。対し、フランキー一家の男たちは殺気さえこもった目でこちらを見、更には手に持った大工道具を握り締めている。
だが、彼我の実力差は歴然である。彼らはヴェルゴに触れることさえも不可能であることは明白であるし、その気になれば『死んだ』と彼らが気付く前に始末することさえ可能だろう。
しかしそれは本意ではない。何故ならヴェルゴは“理想の海兵”だからだ。
少なくとも彼は、そう在ることを自らに課している。
「君たちに対しては何の沙汰も出ていない。話を聞くことはあるかもしれないが、それだけだ」
とはいえ、である。それで話が済むならば世界はもっと単純だ。
人は非合理な生き物である。どれだけの正論を聞かされようとも、納得がいかなければ受け入れることは難しい。正しいということと納得するということは別物なのだ。
「それだけだァ?」
「はいそうですか、と頷くと思ってんのか?」
そしてこのフランキー一家という者たちは合理的な生き方をしていない者たちだ。極悪人というわけではないが、善人というわけではない。そんな彼らがヴェルゴの言葉だけで納得して道を開けることなど、確かに難しいのだろう。
ふう、と一度ヴェルゴは息を吐いた。それが何かの合図だとでも思ったのか。
「バカ──」
おそらくこの場におけるリーダー格と思しき男の声。だがその制止の声は届かない。
飛び込んできたのは二人の男だ。その手に大工道具を持ち、地面を蹴ってヴェルゴに対して直進してくる。
「…………」
対し、ヴェルゴはあくまでも冷静にそれらを一瞥する。
素人の動きではない。それなりの修羅場を乗り越えて来た者の動きであった。思い切りがいいし、本来武器ではない大工道具の扱いも中々様になっている。
だが、ここにいるのは海軍本部の中将だ。
──その戦闘能力は、余人の想像するそれを遥かに凌駕する。
鈍く、重い音が連続して響いた。放たれたのが蹴りであったのだろうと、僅かに持ち上がったヴェルゴの右足から想像できるだけ。
ただわかるのは、ヴェルゴへ向かっていった男たちが吹き飛ばされ。
「逃げろ!!」
おそらく自身の背に庇う少女に対して叫んだのだろう。その言葉と共に前に出た男が。
「────!」
くぐもった悲鳴と共に吹き飛び、奇妙な建物の壁に激突して破壊したという事実のみ。
ヒッ、と小さく少女が悲鳴を上げた。失礼、とヴェルゴが小さく頭を下げる。
「──ヴェルゴ中将」
そのまま何かを言いかけたヴェルゴの下へ海兵たちが走り寄ってきた。少女が身を縮め、困惑した顔で周囲を見回している。
「海兵さん……? なんで……?」
「その子の保護を。後ろの鳥はおそらくその子のペットだ」
「はっ」
ヴェルゴの指示を受け、数人の海兵が動き出す。少女は怯えているが、海兵という存在に対して忌避感があるわけではないらしい。驚きと……どちらかというと困惑が強い表情をしていた。
だが、今は少女について意識を向けるよりも重要なことがある。
「オイオイ……こいつはどういうことだ?」
砕かれた壁。その向こうから現れたのは、海パンを履いた一人の男。
今回の目標である男、フランキー──否、カティ・フラムだ。
「失礼。少々乱暴になってしまった」
「うちの可愛い子分に舐めた真似してくれるじゃないの。──どういうつもりだァ!!」
怒鳴り声に少女がびくりと体を震わせるのが見えた。だがそちらのフォローはヴェルゴの仕事ではない。
「どういうつもりも何も」
超高速の移動術、“剃”。常人には消えたとしか思えぬ速度で移動するその歩法を以て、ヴェルゴはフランキーの眼前へと歩を進める。
「──答えはキミの後ろにある」
ただの右拳によるストレート。
「グ、ア」
鈍い音と、人体とは思えぬ感触をヴェルゴに与えながら。
その体が、建物の中へと叩き込まれる。
「フランキー!」
きっとそれは思わず出た声であったのだろう。聞き覚えのある声だった。
「時間でいえば数日程度ではあるが、随分久し振りのように感じる」
建物の中へと歩を進めながら、ヴェルゴは言う。
中にいるのは数人の男女だ。だがその中で重要なのは今吹き飛ばしたフランキーを除けば二人しかいない。
「また会ったな」
「お前は……!」
こちらの言葉に応じ、麦わら帽子の青年の表情が険しくなる。
当たり前だろう。彼らにとってヴェルゴは敵だ。最初の遭遇でヴェルゴ自身がそう名乗り、彼らの中でもその定義が定着したのだから。
「名乗りと……ここへ来た理由の説明は必要かね?」
そして変わらず冷静にヴェルゴは告げる。“金獅子”をも撃ち落とした“英雄”を前に、それでも彼は揺らがぬままだ。
ヴェルゴは“麦わら”に対しても“歌姫”に対しても特段の興味はない。
彼らを追うのはそれが任務であり、役目であり、そう望まれたが故である。それ以上の理由はない。
究極的なことを言えば、彼らがどうなろうと知ったことではないというのが本音である。
だが、彼は気付いていない。
あの日、あの浮島での戦い。戦場に響いた、戦いを終わらせた歌声。
──あの“歌声”が、ずっと耳から離れないことに。
彼は、気付いていなかった。
◇◇◇
海軍本部中将、ヴェルゴ。
その名は“偉大なる航路”前半の海、俗に“楽園”とも呼ばれる領域において彼の名はそこまで知られているわけではない。
理由は様々だ。まず第一に海軍本部が前半の海の側にあるということ。海軍とは世界の海の遍く領域に秩序を敷くことを目的としているが、それはあくまで理想だ。何事にも限界はある。理想を実現する上で必要な力が足りていないという現実がそこにはあった。
まあ、世界政府が八百年という時間をかけても未だ世界全ての掌握には至らないのだ。それほどまでに世界は広く、そして深いということだろう。
そしてもう一つ。どちらかといえばこちらの影響の方が大きい。
──“四皇”。
まるで海の皇帝であるが如く“偉大なる航路”後半の海、“新世界”とも呼ばれる場所に君臨する者たち。そのあまりにも強大な“力”はだからこそ最低限の秩序を保っているというある種の異常な状況を形成している。
そんな怪物たちがいる以上、どうしても話題はそちらのものばかりになってしまうのは自然の道理だ。そんな場所でも海軍が一定以上の成果を挙げていることは評価するべきだろうが、どうしても目劣りしてしまうというのもまた事実。
だが、逆に考えれば。
その異常な海で一つの基地を預かり、秩序を守るために奮闘する海兵が弱卒であるわけがない。
「名乗りと……ここへ来た理由の説明は必要かね?」
あまりにも乱暴。しかし、罪人に対する対応としては少々過激な程度。そんな手段でフランキーハウスへと踏み込んできた男が静かに告げる。
堂々とした立ち振る舞い。背負ったコートが小さく揺れた。
「アニキ!」
「大丈夫だわいな!?」
「〜〜〜〜ッ、効いたぜ……!」
フランキーハウスは入ってすぐが広間だ。その一番奥へ吹き飛ばされたフランキーに走り寄る“スクエア・シスターズ”と、それに応じるフランキー。派手に吹き飛びこそしたが、どうやらフランキーは無事らしい。
ちなみに余談であるが、サイボーグたるフランキーに生半可な打撃など通用しない。彼が吹き飛び、そして実際にダメージを受けているのはそれほどにヴェルゴの一撃が重かったが故だ。
「……ヴェルゴ、中将」
「そうだ。キミたちを追ってここまで来た」
言の葉を溢すようなウタに対し、確認するように応じるヴェルゴ。その向こうで悲鳴のような声が聞こえた。
「お兄ちゃん! お姉ちゃん!」
海兵たちに囲まれるようにして、少女──シャオがこちらへと呼びかけている。その声を聞き、ヴェルゴが僅かに首を傾げた。
「知り合いかね?」
「シャオをどうするつもりだ」
僅かに右の拳を握りつつ、ルフィが一歩前に出る。対し、ヴェルゴは構えないまま応じた。
「どうもしない。彼女は幼子であり、一般人だろう? 犯罪者の近くにいるというならば保護するのは当たり前だ」
「ヴェルゴ中将!」
そこへ割って入ったのはイスカだ。その声には焦りと困惑が滲んでいる。
「その子は私の知り合いです!」
「おや、何故キミが──いや、そうか。保護するためにここにいた、と。そういうことか」
その言葉には有無を言わせぬ迫力があった。イスカが僅かに言葉に詰まらせる。
「何故彼らと同じ場所にいるのかと思ったが、そういうことならば納得だ。……詳細については後だ。下がり給え」
「しかし──」
「──これは命令だ、大尉」
文字通りの、上から押さえつけるような宣告であった。現状においてイスカはヴェルゴの直接の指揮下にはない。だが、中将と大尉だ。その命令は絶対である。
「我々は我々の役目を果たすためにここへ来た。さて、これもまたルールだ。一応言っておこう」
一歩、ヴェルゴが前に出た。その少し後ろでは銃を構えた海兵たちがこちらを見据えている。
「──キミたちを逮捕する」
簡潔な言葉であった。異論を挟む余地すらない宣告。
「…………」
ルフィは握り拳を作り、ウタを庇う位置に移動する。それは彼にとって最優先の事柄であり、故にこそ無意識の行動だ。
対し、ウタは自分自身の身を抱くように抱え、身震いする。その姿からは怯えのような感情が読み取れた。
かつての彼女であれば、ルフィの隣に歩み出ただろう。彼と同じように拳を握るか、或いは何かしらの武器を構えていたかもしれない。
いや、それは可能性ではなく確信だ。そうして戦い抜いてきたからこその“歌姫”であり、“新時代の英雄”の一翼であったのだから。
しかし、今の彼女は。
その拳を握るための“何か”を──かつて持っていたはずの“何か”を、失ってしまっている。
「大丈夫だ、ウタ」
優しい言葉。
「おれが何とかする」
その言葉を嬉しく思うと同時に。
「おれが、守るから」
どうしようもない自己嫌悪を……抱いてしまう。
しかし、それでも彼女は拳を握ることができない。どうしても、それができなかった。
「──何とかする、守る」
そんな二人の姿を見、ヴェルゴが呟く。
「そうやって、“天竜人”を殴るなどという暴挙を働いたのかね?」
「だったら何だ?」
「前にも言ったはずだ。それは決して許されない大罪であると」
あの日、ルフィとウタがヴェルゴと邂逅した時。彼は言ったのだ。
──“天竜人”とは世界政府が定めた絶対的な存在。
──それに反逆するということは世界政府そのものへの反逆と同義だ。
叩きつけるような現実。“もしかしたら”という、僅かに抱いていた希望。それを断ち切るように、ヴェルゴはそう言ったのだ。
空気が軋んだような感覚。
「ヴェルゴ中将」
呼びかけたのはイスカであった。彼女はその表情に苦悩を滲ませ、言葉を紡ぐ。
「どうか」
真面目な海兵である彼女にとってはそれが限界であったのだろう。強く、強く拳を握り締め、ヴェルゴへと視線を向けている。
だが、普段は真っ直ぐなその瞳は大いに揺らいでいた。ヴェルゴはそれを一瞥し、言葉を紡ぐ。
「不可能だ。彼らはルールを破った。それも世界政府が定めた最も絶対的なルールを、だ。それを見逃すことは秩序そのものを否定するのと同じになる」
視線をルフィとウタへと戻すヴェルゴ。対し、ルフィがそんなヴェルゴを正面から睨みつける。
「おれはウタを守っただけだ」
「それが秩序への反逆だと言っている」
平行線となりそうな問答。それを受け、丁度良い、とヴェルゴは言った。
「一つ、話をしよう。重要な話だ。──秩序とは何なのか。法とは、規律とは何なのか」
それは世界の歪みであり、しかし、世界を保つためのモノ。
「“麦わらのルフィ”。──キミが背負った罪の話だ」
どこぞのジャーナリストが語った、今の二人の立場という名の価値。その問答はまだ何も終わっていません。
世界政府、海軍、そして一般市民にとってあの事件がどういう意味を持つのか。逃亡編においてはこれもまた大事なテーマなんだと思います。