逃亡海兵のルフィとウタ 短編集   作:Nines star

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逃亡生活の中、見知った相手を殺めてしまって精神的にぐちゃぐちゃになり、それでもウタを守ろうと必死になるルフィ概念。
あと、私は個人的に主人公が復活する話が好きです。


罪と罰

 

 

 

 人の死を見ることは、これが初めてではない。

 海軍などという仕事は因果なもので、動き出すのは大抵ことが起こった後である。故に救えなかった命はいくらでもあるし、その度に歯を食い縛って繰り返さないことを誓い続けた。

 人を殺すことは、これが初めてではない。

 自分は海兵で、相手をするのは無法者たちである海賊だ。殺し合いの状況になることは日常茶飯事であり、力を持つ以上は先陣を切って戦う役目を負う必要がある。その結果として、相手を殺めることは何度もあった。

 気分のいいものではないが、かといって引きずるようなことではない。相手は殺す気でこちらに向かって来ているのだし、最終的にそういう結果になるのであればそれは互いに覚悟を決めていたことだ。

 だが、これは違う。

 こんなものは、覚悟の外にあるものだ。

 

「……くそ……」

 

 掠れた声が漏れる。雨の中、ルフィが膝をついた。

 あの日、世界を敵に回した日から既に半年。逃げて、逃げて、逃げ続けて。追手もどうにか退けて。かつての戦友たちと、仲間たちと望まない戦いを続けて。

 それでも、どうにかはなっていた。

 何度も裏切られた。……優しくしてくれた若い夫婦は、こちらを売るために擦り寄ってきただけだった。

 何度も助けられた。……優しくしてくれた老夫婦は、こちらの居場所を察知した海兵たちに最後までシラを切り通し、逃がしてくれた。

 温かさと、冷たさと。

 絶望と、希望と。

 この半年で、随分と多くの経験をした。

 

「少将が……!」

「そんな、まさか」

 

 声が聞こえる。ルフィの眼前には、一人の海兵が倒れていた。

 海軍本部の少将。ルフィの階級と同等である大佐以下の追手ではどうにもならないと判断した世界政府は、遂に将官クラスの派遣を決定したらしい。その一番槍としてここに来たのが、この海兵だ。

 今は、もう。

 心臓も、呼吸も止まってしまったが。

 

「……おっちゃん……なんで……」

 

 倒れ、完全に沈黙した少将を見つめ、何処か呆然とした様子でルフィが呟く。

 任務を共にしたことはなかったが、ルフィは彼のことを知っていた。ウタのライブによく来ていた男で、ルフィとは肩を組んでウタに声援を送ったこともある。

 何度も続けば顔見知りになる。本部で擦れ違うと、声をかけるくらいには。

 

『よう、元気か麦わら小僧』

『おっちゃん、いい加減名前で呼んでくれよ』

『わっはっは! まあ、そうだなァ。おれと同じ階級になったら呼んでやるよ。何なら昇進祝いに飯を奢ってやる』

 

 そう言って、彼は笑っていた。こんなやりとりも、日常だった。

 彼は年齢的に退役が近付いており、これ以上の昇進はないだろうしするつもりもないと常から語っていた。故に、それがルフィの一先ずの目標だった。

 

『おれにも娘がいてなァ。お前さんたちより年上……というより、お前さんたちが若過ぎるだけなんだが。まあ、おっさんは心配なんだよ。若ぇのが無茶するのはな』

 

 そう言って、少将はいつも出会えば食事を一品奢ってくれた。これ以上は小遣いがなくなると言いながらも、そうしてこちらを気遣ってくれた。

 彼を慕う海兵は多かった。もう前線任務からは退き、後進の育成をする彼は過酷な訓練を受ける若い海兵のメンタルケアを担う役目を負っていたのだ。

 センゴクさんにはもっと厳しくしろって言われるんだけどなー、と笑いながら零すのが口癖だった。

 なのに、どうしてだ。

 どうして、こんなことに。

 

「こんな、形で」

 

 血に染まった両手を見る。

 強かった。何がもう前線は無理、だ。彼は間違いなく、海兵としての実力は超一流のそれだった。

 しかし、だからこそルフィに手加減などできなかった。

 

『お前たちを殺しにきた。行くぞ……“麦わらのルフィ”』

 

 いつもとは全く違う雰囲気の少将に、こちらも最早、言葉では止まらないと確信した。

 彼が引き連れてきた部下には一切の手出しをさせず、一騎討ちが始まった。

 壮絶な戦いだった。互いに何かを堪えるように、しかし、手加減など一切ない全力のぶつかり合い。

 もしも、だ。

 もしも、もう少しルフィが強かったら。

 もしも、もう少し少将が弱かったら。

 こんな結末には、ならなかったかもしれない。

 

「…………」

 

 血に塗れた手で、少将の瞳を閉じさせる。そして、ゆらりと、まるで幽鬼のようにルフィが立ち上がった。

 小さな悲鳴があちこちから上がる。

 

「て、撤退だ!」

 

 階級を見るに、中佐か。一人の海兵が叫ぶように言った。その判断は正しい。実際のところ、ルフィは残っている面子が相手なら負ける未来は一切想像できなかった。

 だが。

 

「おい」

 

 ルフィが発した言葉に、空気が止まる。

 

「置いて行くんじゃねぇ」

 

 言い捨てるようにそう言葉を吐くと、ルフィがゆっくりと海兵たちとは逆方向に歩いていく。

 その背に対し、何かを言える者はいない。

 彼の背に揺れる“正義”の文字が、あまりにも重かった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 戻ってきたルフィを、ウタが出迎える。

 あの日から戦えなくなった自分。戦おうとした瞬間に体が動かなくなり、震えが止まらなくなるのだ。

 そんな、どうしようもないほどの足手纏いになった自分をルフィは決して責めなかった。

 情けないと思う。けれど、彼に縋るしかない。

 それほどまでに、弱くなってしまった。

 

「ルフィ、血が」

「大丈夫だ、このくらい」

 

 笑顔を浮かべるルフィ。だが、ウタは気付く。その表情に陰りがあることを。

 しかし、それを問い詰めることはできない。これ以上、彼に負担をかけられない。

 

「……今日は、誰が来たの?」

「将官クラスが来るようになった。ただ、今日は……知らねぇ、奴だった」

 

 嘘だということは、すぐにわかった。

 けれど、何も言わない。……言えるわけがない。

 

「そっか。……ね、こっち。手当てをしないと」

 

 ルフィに手を伸ばす。その手を取ろうとした瞬間。

 

「……あ……」

 

 びくりと体を震わせ、ルフィがこちらから逃れるようにして身を引いた。えっ、という呟きを漏らすが、しかし、ルフィ自身が愕然とした表情をしていることに気付く。

 ウタは少し強引に手を伸ばし、その手を取る。

 ルフィは、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 その日から、ルフィは時折『それ』を見るようになった。

 

「……取れねぇ……」

 

 夜、誰も使わなくなって忘れ去られたのであろうボロボロの小屋の中で、ルフィは呟く。

 小屋の隙間から入る月明かりに照らされた自身の両手が、血に塗れている。

 右手で左手を何度も擦るが、その血は消えない。消えてくれない。

 

「……ルフィ……」

 

 小さな、声が聞こえる。

 彼に抱きつくように、或いは縋るようにして眠るウタだ。彼女はいつも、寝ている間はルフィの存在を確かめるようにこちらを抱き締めている。

 この逃亡生活のせいで、彼女の綺麗な髪も随分とくたびれてしまった。紅白の美しい彼女の髪は、ルフィも好きな髪だ。それがこうもくたびれていることに、ちくりと胸が痛む。

 そして髪だけでなくその表情も、疲れが滲んでいる。やはり、この生活は過酷なのだ。

 

「くそ」

 

 自分が、もっと強ければ。そんなことを思うのは、何度目だろうか。

 世界の広さは何度も感じた。初めての敗北を喫したアラバスタもそうであるし、その後も海軍本部大将の強さを見た日にはその背中の遠さを叩きつけられた。

 だが、それで諦めたわけではない。いずれはという想いはずっとあった。

 しかし、現実はそんな猶予を与えてくれない。

 強さが必要だったのは、今だ。

 

「おれが、もっと強かったら」

 

 この大切な人に、こんな想いをさせなくても済んだだろうか。

 今でも彼女は、輝けるステージで歌っていただろうか。

 手を伸ばし、その頭に触れようとする。自分がこうすると、彼女は少し安心した表情になるのだ。

 しかし。

 その、伸ばした手は。

 

「…………ッ」

 

 血に塗れ、薄汚れていた。

 彼女に触れることができず、手を戻す。

 目に映る自分の両手は、真っ赤に染まっていた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 追撃が、より激しくなり始める。

 海軍の強さ、その最大の強みは数にある。世界中に拠点を持ち、そこには数百、数千、或いは数万という海兵がいるのだ。偉大なる航路が後半の海、新世界にはそこに君臨する四人の皇帝がいるが純粋な数なら彼らでも勝負にさえならない。

 そして数がいるということは、それだけの目があるということ。

 逃亡者二人も人の子だ。どうしても生きて行く為には人の目の触れる場所に出ることになる。そこで正体に気付かれれば、すぐに海兵たちが現れるのだ。

 先日の少将の件を受けてか、海軍はやり方を変えたらしい。強い個をぶつけるのではなく、純粋な数でこちらを疲弊させる戦略だ。じわじわと、確実にこちらの神経を削るように包囲し、追い立てる。

 こちらがどこかで耐えきれなくなり潰れるか、それとも自棄になるか。そのどちらであろうと、そうなった時が海軍の勝利だ。この悠長とも言える策は、孤立した二人には非常に有効だった。結局のところ二人しかいないのだ。しかも片方は戦えず、そして近くに海兵の姿があれば二人を助けようとする者も表立っては行えない。

 なんと的確で、残酷で、効果的な戦術か。

 そして、それだけではない。

 モンキー・D・ルフィの調子が、ずっとおかしい。ウタを庇い、追手と戦う彼はしかし、当初と比べて動きが随分と悪くなっている。

 疲労もある。それは精神的にも、肉体的にもだ。

 ダメージはある。それもまた、精神的にも肉体的にもだ。

 だが、それ以上に。

 あの日、ウタに触れることに躊躇するようになった日から。

 彼はずっと、苛まれ続けている。

 

 

 全力で、何の手加減もしなければ。

 殺すという選択肢を、選べれば。

 何度も何度も、ルフィの頭をそんな言葉が駆け巡る。

 

「どけぇ!!」

 

 彼の伸びる腕の一撃が、取り囲む海兵たちの一角を吹き飛ばした。そのままウタを抱え、空いた穴から抜け出す。

 今の一撃で、怪我を負った者はいるだろう。だが、死者はいないはずだ。

 殺すという選択肢を取れば、きっと楽になる。殺さないように手加減しながら戦うことは神経を削り続けるし、精神を疲労させる。

 だが、ルフィはそれができなかった。

 その両手が血塗れていることは既にわかっている。しかし、ルフィは海兵なのだ。

 海兵を殺すことは、最後の一線だった。

 既にその手を汚していたとしても。

 もう一度それを超えることは、できなかった。

 

「……くそ……」

 

 目を擦る。両手が血に塗れている幻覚が、消えてくれない。

 だが、それでも。

 

「……ルフィ……!」

 

 この、腕の中で必死にこちらにしがみつく人を。

 大切な人を、守るのだ。

 それだけは。

 それだけは、譲れない。

 譲っては、ならないから。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 偉大なる航路は、あまりにも異常な海だ。その異常さ故に人が住めないようになった島がいくつもある。

 その中でも、海軍内でいくつか近付くことを禁じられた島がある。

 それは環境の異質さが理由であることもあれば、自生する植物が毒性の強いものばかりであるというような理由もある。また、原住民が排他的で危険であるという場合もあった。

 二人が逃亡先に選んだのはそんな島の一つだった。そこは危険な猛獣が数多く生きている島であり、海軍本部の佐官クラスであっても生き残ることは難しいとされている島だ。

 ルフィとウタは幼少期の経験から、ジャングルに対して耐性がある。鍛えるためと言われ、ガープに何度もジャングルへと放り込まれたのだ。そこで生き残ってきた経験もあって逃亡先に選んだのである。

 立ち入りの禁止された島だ。ある程度の時間は稼げるはず。そして事実、丸三日は何も起こっていない。隠れるようにして気配を消し、周囲から木の実などを取って二人で過ごしている。

そして、夜。生い茂る草木に隠れて眠っていたウタが、目を覚ました。

 

「……ん……」

 

 目を開けて最初に見るのは、大切な人の顔だ。彼がいるというその事実を確認するだけで、安心が心に広がっていく。

 だが、その表情は険しい。

 いつもなら、彼はあどけない表情で眠っている。寝相も悪く、起こしに行くととんでもないことになっているのが日常だった。

 しかし、今の彼は険しい表情であり、逃亡生活が始まってからはこちらを守るように抱き締めながら眠るようになった。それはこちらを安心させるためだということを、ウタはよくわかっている。

 だが、少し前から彼はこちらを強く抱き締めることをしなくなった。

 優しく、傷つけないように。そんな意思が伝わってくるのだ。触れる時も、何か迷うようになってしまっていた。

 

「ルフィ」

 

 彼の髪を撫でる。彼の髪は、随分とくたびれていた。

 何かがあったのだということは、わかっている。

 その内容についても、なんとなくではあるがわかっている。

 だが、言えない。

 言えるわけが、ないではないか。

 

「ごめんね」

 

 こんなにもボロボロになりながら。

 それでも、私の前では笑顔になろうとしてくれる彼に。

 言えるわけが、ない。

 どうして、こんなにも弱くなってしまったのだろうう。

 かつては彼と勝負をして、肩を並べて。

 命懸けの戦場を、いくつもいくつも超えてきたのに。

 これからどうなるのだろう。

 どうしたらいいのだろう。

 そんな、未来への絶望と不安だけがある。

 

「…………」

 

 ゆっくりとルフィの手から離れ、体を起こす。綺麗な月が、空には浮かんでいた。

 立ち上がり、茂みの中から出る。

 人の住む領域とは違う、異質な世界。自分が異物であるという感覚。

 懐かしい、とウタは思った。かつての幼き日々において、二人で身を寄せ合ってジャングルを過ごした日々。あの日から比べて随分強くなったはずなのに、結局自分は守られるだけだ。

 自嘲する。なんて、弱い女だと。

 こんなにも弱い女が、ルフィの隣になんて。

 

 

 油断があった。

 だから、気付くのが遅れた。

 

 

 獣の咆哮が響く。

 

 

 

 木々を薙ぎ倒す音を響かせて、『それ』が現れた。

 ワニ、だろうか。かつてアラバスタで見たバナナワニ、あれに近い姿をしている。

 だが決定的に違うのは、そのワニは完全に後ろ足の2本だけで立っていること。バナナワニより更に巨大であるということ。

 そして、何より。

 

(まずい)

 

 感じる気配が訴えている。

 これは、捕食者だ。

 

「…………ッ」

 

 目が、合った。

 逃げるべきだ。だが、すぐ後ろにはルフィがいる。彼を抱えて逃げれるか?

 かつての自分なら、きっとできた。

 だが、今の自分は?

 こんなにも弱くなった自分には、何が。

 

「……動いて……!」

 

 足が、動かない。

 こんな時に。

 体が動かない。

 捕食者が、こちらを捉える。

 動けと、動いてくれと、必死になって祈るように己の体を叱咤する。

 

「お願い……!」

 

 捕食者がその巨大な口を開け、こちらに迫る。

 逃げることさえできず。

 震える体を、抱くことしかできない。

 そんな、あまりにも弱い獲物に。

 捕食者の牙が、襲いかかった。

 

 

 鈍い音が響き。

 捕食者が、苦悶の叫びを上げた。

 

 

「……え……」

 

 ウタは、最初自分に何が起こったかわからなかった。だが、その場面を見ている者がいたら気付いただろう。

 ウタへと襲いかかった捕食者は、何の躊躇もなく彼女を喰らおうとした。しかし、その牙が彼女の体に触れた瞬間、その牙が折れ、捕食者は弾かれたのだ。

 それは、海軍が伝える武術“六式”が一つ、“鉄塊”。

 己の体を鋼鉄の如く強化し、その身を守る技術だ。

 

「今、私」

 

 自分の掌を見つめ、ウタは呟く。そんな彼女の脳裏に、この技術の基礎を教え込んだ人物の言葉が響いた。

 

“これは基礎の基礎じゃ。考えてから使うようでは不十分。無意識下でも、それこそ寝ている時でも使えるようでようやくスタートラインじゃ”

 

 ルフィと共に教わった戦闘術。その指導をしてくれた、“海軍の英雄”の言葉。

 辛く、苦しく、過酷な訓練であり鍛錬であった。だがそれでも、ルフィに置いて行かれないように、足手纏いにならないようにと必死だった。

 でも、その理由は。

 いつしか、誰かを助けるための力が欲しいという理由に変わっていた。

 

「……そっか。そう、だったんだ」

 

 確かめるように掌を何度も開き、閉じることを繰り返す。

 捕食者は落ち着きを取り戻すと、距離をとってこちらの様子を伺う。なるほど、頭がいい。おそらくこの島における食物連鎖の上位にいるのであろうその存在を視界に入れながら、ウタはゆっくりと歩き出す。

 

“ライブの時、観客の感情を感じ、理解できるような感覚になったことはないか? それが第一歩だ。見聞色の覇気とはそれを突き詰めたものを言う”

 

 いつの間にか忘れていたのは、戦いの指導をしてくれた元帥の言葉だ。自分たちに稽古をつけてくれた人は、そんな風に言っていた。

 

「ら、ら、ら」

 

 発声。酷い声だ。今までで一番、聞き苦しい声かもしれない。

 でも、心は少しずつ弾んでいる。

 捕食者が、咆哮と共にこちらへと突っ込んできた。

 その姿を真っ直ぐに捉え、ウタは。

 

「“紙絵”」

 

 ひらりと、その突撃を最小限の動きで避ける。捕食者はその勢いを余らせ、木々を薙ぎ倒してようやく止まった。

 

“芸術家は感受性が高いという。どうやら人の機微については敏感のようだ。見聞色については、ルフィよりも向いてるんじゃないか?”

 

 海軍本部大将の言葉だ。“だらけきった正義”などというとんでもない正義を掲げる彼はしかし、確かにこちらを見てくれていた。

 

「“剃”」

 

 こちらを向いた捕食者に対し、一気に距離を詰める。無意識のうちに、足がリズムを刻み始めていた。

 

「“指銃”」

 

 こちらを見失った捕食者、その右目に、通り抜けざまに指を叩き込む。

 苦悶の咆哮が、轟いた。

 

“指銃は一点突破の武術じゃァ。無駄な破壊を削ぎ落とし、必要最小限の力で貫く。派手な技なんぞなくとも、これ一つで十分な時は多い”

 

 海賊嫌いである自分を認め、“徹底した正義”を掲げる彼はことあるごとにアドバイスをくれ、自分たちを気にかけてくれていた。

 思い出す。そうだ、それでいい。新しい何かは必要ない。

 積み上げてきた全ては、失われてなんかいない。

 ちゃんと、“私”の中にあるのだから。

 

「“月歩”」

 

 怒りのままにこちらへと突っ込んでくる捕食者を受け流すように、空へと上がる。

 月明かりの下、一人の“歌姫”がまるで踊るように宙を舞う。

 

“どんな生物にとっても、空は死角だよ准将〜。面白いものでねぇ、わっしが空を飛べることを誰もが知ってるっていうのに、敵対すれば空のわっしに対して反応が必ず遅れるんだ”

 

 光の力を持つ、“どっちつかずの正義”を掲げる大将の言葉。指導を受けることは多くはなかったが、彼もまたこちらを導いてくれていた。

 右目から血を流し、怒りのままに咆哮する捕食者はこちらを見失っているらしい。周囲を破壊しながら暴れ狂っている。

 

「さあ、行こう」

 

 それは、誰に対する呼びかけか。

 その口から、歌が溢れる。

 観客は、敵対者ただ一人。

 それで十分だ。十分過ぎる。

 だって、そうじゃないか。

 

“ウタが歌ってるところが好きだぞ、おれは! 楽しい気持ちになる!”

 

 今ここにいる“歌姫”の始まりは、たった一人の少年だったのだから。

 さあ、歌おう。

 さあ、紡ごう。

 随分と休んだ。随分と時間をかけた。

 けれどそれ以上に、積み上げてきた。

 

 世界の全てを敵に回した。

 残ったのは、大切なただ一人だけだった。

 怖かった。

 失うことが。

 恐れた。

 踏み出すことを。

 けれど、それも今日までだ。

 

 

「“嵐脚”!!」

 

 

 全力で振り抜いた足が、大気を切り裂く。

 血飛沫が舞い、それを背景に一人の海兵が地面へと降り立った。

 これは狼煙。

 世界に対する、“歌姫”復活の宣言だ。

 

「アンコールをご希望かな?」

 

 不敵に笑う。血走った左目でこちらを睨む捕食者が、ゆっくりと体を起こした。

 

「いいよ、いくらでも聴かせてあげる。私も全然、歌い足りないから」

 

 そこにいるのは、逃亡生活の中で守られるだけの女性ではない。

 かつて“麦わらのルフィ”と共に海軍本部准将として戦場に立っていた、新時代の英雄がそこにいた。

 

「海軍本部准将、ウタ。アンコールにお応えして、次の一曲を歌わせて頂きます。……曲名は」

 

 だが、それは考えてみれば当たり前のことなのだ。

 たとえ、その称号が失われようとも。

 たとえ、積み上げた勲章全てを剥奪されようとも。

 海兵として戦い続けた日々は、決して嘘ではなく。

 苦しみながら続けてきた鍛錬は、ちゃんと彼女に残っている。

 大好きな“歌”は、彼が愛するこの“歌”は、彼女の中で輝いているのだから。

 

「“新時代”!!」

 

 その日、誰も知らぬ月明かりの下で。

 英雄が、復活の狼煙を上げた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 夜明けの光で、目を覚ました。

 そして、すぐに気付く。

 

「ウタ!」

 

 隣に、大切な人がいない。

 弾かれたように隠れていた茂みの中から出るルフィ。そして彼は、その光景を目にした。

 

「おはよう、ルフィ」

 

 朝焼けの中、逆光を浴びて微笑むその姿に。

 思わず、見惚れてしまった。

 

「今まで、ごめんね」

 

 昨日までの彼女とは、全く違う雰囲気だ。

 何があったのか。その答えは、彼女の後ろにあった。

 巨大な、怪物が横たわっている。全身の切り傷から血を流し、沈黙している。

 これを、ウタがやったのか。

 

「ウタ、これ」

「うん、ちょっとね」

 

 何かを言いかける彼女。その瞬間、倒れていた怪物が動いた。

 

「ッ、まだ」

「“ゴムゴムの銃”!」

 

 ウタが反応する前に、ルフィが一撃を叩き込んだ。今度こそ、その怪物が完全沈黙する。

 

「……カッコ悪いなぁ、私」

 

 その光景を見て、苦笑するウタ。彼女はルフィの側に歩み寄ってくると、彼の右手を両手で包むようにして持った。

 

「優しい手だね」

 

 血に塗れた手を、彼女が包んでいる。

 

「私を、何度も何度も守ってくれた手」

 

 けれど。

 

「ありがとう、ルフィ」

 

 この手の、色が。

 

「今度からは、私も戦うよ」

「ウタ」

「戦いたいの」

 

 制止の言葉は、否定される。

 

「ルフィだけに、背負わせない」

 

 そして、彼女が手を離した。そのまま彼女は、自分たちが隠れていた茂みの方へと歩いて行く。

 その背を追っていくと、彼女はとあるものを手にとっていた。

 それは、“正義”のコート。

 ルフィの背中に、ずっと宿り続けた覚悟と誓いの証。

 

「ね、ルフィ。こっちに来て」

 

 呼び寄せられるままに近付くと、ウタが抱きつくようにして両手を広げた。そのまま、彼女はコートをルフィの肩に掛けてくれる。

 かつて、初めてこのコートを背負った日に。

 同じことを、してくれたのだ。

 

「やっぱり、カッコ良いね」

 

 世界一だと、ウタは笑った。

 ルフィは、そうか、と呟く。

 今なら、言える気がして。

 

「……ウタ、おれは」

「大丈夫」

 

 大丈夫だよと、彼女は言い。

 優しく、この体を抱き締めてくる。

 

「ルフィが、私の罪を一緒に背負ってくれたように。私も、ルフィと一緒に背負うから」

 

 その体を、ゆっくりと抱き締め返す。

 その手はもう、血に塗れてはいなかった。

 

「なあ、ウタ」

「なぁに?」

「歌って、欲しい」

 

 この逃亡生活の中で。

 ずっと、聞けなかったから。

 

「うん。……じゃあ、そのリクエストに応えようかな」

 

 手を離し、ウタは笑う。その姿を見つめながら、ルフィは思う。

 忘れてはいけない。背負い続けなければならない。

 だが、それでも。

 この笑顔のために、戦うと決めたことは。

 決して、嘘じゃなかったから。

 間違いでは、なかったから。

 

 すまねぇ。

 おれは、進むよ。

 

 ウタにさえ聞こえないように。

 彼は、呟いた。

 

「よし、いくよ!」

「おう!」

 

 その歌声は、いつものような豪華な音楽はない。

 たった一人の観客。

 しかしそれは、彼女の始まりそのものへと向けられた歌だ。

 

 やっぱりいいな、とルフィは笑う。

 彼女の歌う姿を、彼は愛している。

 笑う彼女を、想っている。

 たった一人のために、世界を敵に回しても。

 それでも彼に、後悔はないのだ。

 

 今、大切な人と共にいて。

 大切な人が、笑っている。

 ただ、それだけでいい。

 

 それだけが、真実だった。

 

 

 









そもそも海軍本部の末席とはいえ将官クラスの人間が弱いわけがないよねというだけの話。



どうでもいい設定というかイメージというか妄想。
少将……ガープの後輩であり、彼に憧れ、心の底から尊敬している。少将の地位なのも、ガープが中将なら自分は少将で、と言い続けたため。今回については彼自身が志願した。あの二人については海軍内でも意見が割れているため、その討伐については行った者が間違いなく貧乏くじである。その役目を誰にも負わせない、ガープにだけは絶対にさせたくないとして志願した。
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