第二十二話 水の都の一番長い日⑨
戦場に現れた一人の男。
文字通り、世界を敵に回した二人の“堕ちた英雄”。彼と彼女を守るように立つその男は、己のことを“兄”と語った。
あまりにも想定外の事態にして光景。この状況を想像出来た者など、おそらく乱入者たる男以外にいなかっただろう。
人は想像の外にある光景を目にした時、動きを止める。その全霊を以て状況の把握に努めようとするが故にその肉体が停止するのだ。
だからこそ、言葉を発することができたその海兵はある種特異な存在であったのかもしれない。
「そちらの二人に血の繋がりがあるという話は初耳だが」
「血は繋がっちゃいねェよ。昔した約束だ」
そして、男は──サボは言う。
「おれたちは盃を交わした。……誓ったんだよ」
まるでそれは己自身に言い聞かせるかのような言葉であった。噛み締めるような、確かめるような。
返答を期待していたわけではないだろう。だが海兵──ヴェルゴはそんなサボに対して頷きを返す。
「成程、得心した」
それは揶揄するわけでもなく、嘲るわけでもない言葉。そこには確かに彼の感情が籠っていた。
「血の繋がりが全てではないことは私も知っている」
それはきっと、その海兵の本心であったのだろう。僅かに眉を顰めるサボに対し、海兵は言葉を続けた。
「そしてならばこそ退かないのだろう。……嗚呼、そうだ。わかるとも」
その呟きは、海兵として多くを見てきたからこそのものか。
それとも──別の、何かか。
「……サボ」
小さく、こちらの名を呼ぶ声が聞こえた。ウタの声だ。
(嗚呼、そうだな)
その声を懐かしいと、そんな風に思う。
何度も、何度もその歌声は耳にしてきた。あの山の中でもそうであるし、記憶を失った後にも“歌姫”としての歌声は何度も何度も耳にしてきた。
どうして、思い出せなかったのだろう。
どうして、忘れてしまっていたのだろう。
大切な──宝物であったはずなのに。
「……なァ、二人とも」
帽子を被り直す。その先の言葉を紡ぐのには、勇気が必要だった。
「どれだけ謝っても許されねェと思う。お前らのことを忘れて、おれは……」
詰まりそうになる言葉を、必死に絞り出す。
「だが、それでも」
「──何を言ってんだ」
遮るような言葉は、ルフィと。
「許さないなんて、あるわけない」
ウタの、もので。
「サボはおれたちの兄ちゃんだ」
その声は震えていた。
「助けに来てくれて──ありがとう」
その声には涙が混じっていた。
──相変わらずだな、と。
そんなことを、少し思う。
あの頃もそうだった。
泣き虫で、それでも絶対に譲らない頑固な二人。だからこそ──
「────」
何かを確かめるように、サボは一度大きく息を吐いた。
「なァ、二人とも。──話してェことが、いっぱいあるんだ」
大切な家族を背負うように、男は歩を進めた。
「だから、話をしよう。何、大丈夫だ」
振り返った男の表情は。
優しい笑顔を、浮かべていた。
「──おれは、兄ちゃんだからな」
◇◇◇
張り詰めていく空気。まるで爆発寸前の火山のような、剣呑でありながらどこか静謐させ感じさせるその中心にいるのは二人の男だ。
一人は“兄”を名乗り、世界を敵に回した家族を救いに来た男。
一人は“海兵”として、世界の秩序のためにここに立つ男。
和解はない。それができるのならば、こんなことにはなっていないのだから。
故に激突は──必然だ。
「────」
最初に衝撃。そして僅かに遅れて轟音が響く。
サボが振り抜いた鉄パイプ。地を這うかのように低い位置から振り上げられたそれを、ヴェルゴの竹竿が迎撃したのだ。
それは本来、武器と呼ぶにはあまりにも頼りない。しかし“武装色の覇気”を纏う二人のそれは下手な刃よりも高い殺傷力を有している。
周囲の大気を揺らすかのような衝撃だ。その中心にいる二人にも相応の衝撃が来ているだろうに、しかし、二人に揺らぎはなく。
「“竜の”」
先に動いたのはサボであった。激突と同時に両腕で握っていた鉄パイプのうち、左腕を離して指の形を作る。対し、ヴェルゴはそれに応じる形。
突き出すように伸びるサボの腕。それに対し、ヴェルゴが取ったのは前に進むという選択であった。
倒れ込むように──否、実際に身を前へと倒したのだ。それにより狙いを外され、サボの手が宙を裂く。そこへ身を一回転させたヴェルゴがその勢いのままに踵落としを叩き込んだ。
「──チッ」
小さな舌打ち。だが行動は迅速だ。サボは突き出した右腕を上に挙げ、ヴェルゴの踵落としを受け止める。
凄まじい轟音が響き、サボの足が僅かに地面の中に食い込んだ。
「む」
だが、サボもそれで終わりはしない。そのまま手首を返し、ヴェルゴの足を掴むと力任せに振り回すようにして投げ飛ばす。
対し、ヴェルゴも堪えることはせずにむしろそれを好機と距離を取った。空中を蹴る技術──“月歩”で体勢を整え、地面に着地する。
「この場に現れるだけはあるということか」
確認するようなヴェルゴの言葉。それには応じず、サボは地面を蹴った。
そして──激突。鈍いその音は鉄パイプと竹竿がぶつかる音とは思えないほどに激しい音。
そんな風に双方の激突が大気を揺らし、衝撃を撒き散らすその最中。サボに蹴り飛ばされた“パシフィスタ”がゆっくりと身を起こした。
感情などない人間兵器──その姿を見てサボが眉を顰める。そこに宿る感情は如何なるものか。
「──“革命軍”参謀総長、サボ」
だが、機械にそんな彼の機微など理解できようはずもない。視界に入った相手の名を“パシフィスタ”が告げる。
無機質な声であるが、よく通る声であった。そしてその言葉を聞き、ざわめくのは海兵たちだ。
世界政府を直接打倒するという目的を掲げ、活動する組織──“革命軍”。
既にいくつもの国が“革命”の名の下に倒れ、多くの血が流れている。故に世界政府はその首魁たる男を“世界最悪の犯罪者”として賞金首とした。
その“革命軍”における参謀総長とは即ち組織におけるNo.2。
つまりは、明確な“敵”だ。
「成程、“革命軍”」
そして一人、冷静にそう告げるのはヴェルゴだ。
「“兄”というよりはよほどわかりやすい話だが」
「どっちも事実だ」
「そうなのだろうな」
鋭い風切り音を響かせながら、ヴェルゴが己の得物を振るう。
「だが一人でどうするつもりかね? この場に立つだけの力はあるようだが、それでも所詮は一人きりだ」
「自分で言ったことをもう忘れたのか?」
小さな笑みと共に、サボは言う。
「──おれたちは“革命軍”だ」
直後。
周囲を覆うような白煙と、いくつもの銃声が鳴り響いた。
◇◇◇
その光景に、ルフィは見覚えがあった。
このウォーターセブンに来る前の島。そこで“革命軍”である彼らは同じ手段を使ったのだ。
大量の煙幕と無数の銃声。“革命軍”はその方法によって海軍を翻弄し、二人をあの島から逃がすことに成功している。
「退くぞ二人とも」
ルフィとウタの下へ、サボが下がってきた。周囲を警戒しつつ、言葉を続ける。
「時間が掛かれば掛かるほど相手にとって有利に働く。とにかく移動するべきだ」
冷静な言葉だった。その言葉に、かつての彼を思い出して少し安心する。
──嗚呼、そうだ。
サボは、こういう兄だった。
「状況はかなりギリギリだ。このままこの島に留まってもジリ貧にしかならねェ。すぐに島を出るぞ」
「島を出るって」
「まずはお前らの身の安全が第一だ」
言い切るサボ。そんなサボに対し、でも、とウタが声を上げる。
「フランキーたちを置いていくわけには……!」
「あいつらの狙いはお前らだ。……お前らを匿ったことで咎を受けることはあるかもしれねェが……」
サボが表情を険しくしながら言い淀む。駄目だ、とルフィが声を上げた。
「あいつらを置いていけねェ!」
「……立場を考えろ! 今のお前らは助けを求める側なんだぞ!」
不本意であることを滲ませながら、それでもサボは言い切った。彼にとって優先すべきは二人の安否だ。そのために何かを切り捨てる必要があるならばそうするだけの覚悟は持っている。
「とにかく──」
「──させると思うかね?」
だが、サボのその思惑は成就しない。
白煙を切り裂くように、一人の男がサボの下へと突き進んできた。そのまま振り下ろされた竹竿をサボは鉄パイプで受け止める。
「このやり口について報告は受けている。残念だが、二度同じことは通用しないと思ってもらいたい」
鈍い音を響かせ、二人が数度己の獲物で打ち合う。そして僅かに距離を取った後、ヴェルゴがポケットから小さな電伝虫を取り出した。
「予定とは少々ズレたが……まあ、“革命軍”ともなれば十分だろう」
呟きと共に、ヴェルゴはボタンを一つ押し込んだ。それが意味することを理解したのはルフィとウタだ。
あれは緊急の連絡時に使用されるボタン。それも文字通りに火急の事態に使われるもの。
「さて、一つ問おう。今この島にどれだけの海兵がいると思う?」
時間は常に、ルフィたちの敵であり。
「想定される敵は“四皇”の最高幹部が一人、“火拳のエース”。故に我々としても最大限の警戒を以て戦力を用意した」
海軍の──ヴェルゴたちの味方だ。
「数というものは雑味のない脅威だ。……キミたちは強い。だが、どこまで凌げる?」
遠くから、声が聞こえる。
それは街の中から発せられるもの。敵意であり、決意であり。
最早数さえもわからない、ルフィたちにとっての“敵”が上げる鬨の声。
──反逆者たちへ、世界政府という“秩序”の力が襲いかかる。
◇◇◇
頬に、冷たいものが触れた。
全身を叩くような風は、空を飛んでいるというだけではない。荒れ狂う天候がそうさせているのだ。
「……雨」
小さく、シャオはそう呟いた。それは確認の言葉であり、深い意味はない。
だが、こういうことも大事だと彼女は教えてもらったのだ。考えるだけではなく実際に声に出して確認することは意外と大事なのだと、あの優しい海兵さんは言っていた。
だからこそ、シャオは己の決意を口にする。
「お姉ちゃんのところに行く」
気を緩めれば震えが止まらなくなる。そんな恐怖を抑え込んで。
それでも、少女は己の友達と共に往く。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんを助ける」
繰り返さなければ、挫けてしまいそうだった。
──だって、そうじゃないか。
自分の弱さを知っていて。できることなんて助けを求めることしかなくて。
それでもやるのだと、そう思わなければ。言葉にしなければ。
蹲って、足を止めてしまう。
「クオッ!」
友達──ビリーが大きく鳴いた。強い風の音が響く中でも、その声は力強い。
きっとこちらを安心させるためなのだろう。事実、シャオはその存在に安心を覚えている。
一人ぼっちではないということ。
ただそれだけで、前に進む勇気が湧いてくる。
「今度は、私たちが助ける」
何度も、何度も。
少女は、己自身に言い聞かせるようにして繰り返す。
あの日、自分たちを──俯き、耐えることしかできなかったあの島を解放してくれたあの人たちを。
今度は、自分が助けるのだ。
少しでも。ほんの、少しでも。
それが、少女の憧れたあの人たちにできる恩返しであると思ったから。
「クオッ!」
ビリーが鳴いた。遠く、目的地が見える。
そこは昨日にオリンとイスカの二人と共に訪れた場所。“ガレーラ・カンパニー”の一番ドックだ。
きっとオリンはあそこにいる。あの人ならきっと、あの二人を助けてくれる。
故に少女たちは空を駆けているのだ。そしておそらく、そう時間もかからない内にたどり着いたであろう。
──何も起こらなければ、の話だが。
「…………えっ」
少女の瞳に飛び込んできたのは、いくつもの閃光。そして轟音であった。
何が起こったのか、少女は最初理解できなかった。数秒の間を置き、とてつもないことが起こったのだとようやく理解できたくらいだ。
突然の爆発。それも一つや二つではない。いくつも連続して起こっている。
「……何……で……」
わからない。何もわからない。それを理解するには少女はあまりにも幼く、同時に知らぬことが多過ぎた。
どうしよう。どうしたらいいのだろう。
理由のわからない焦燥感が彼女を襲う。ビリーも同じだったのだろう。一人と一羽はその場で止まってしまった。
そして、それが駄目だった。
ぐらりと、ビリーの体が傾く。
「ビリー?」
呼びかける。だが、彼は応じてくれない。
「ビリー!」
何か尋常でないことが起こったのだと、少女は悟った。ぬるりとした感触を掌に感じる。
──血。少女の掌に、友達の血がベッタリと付着していた。
「ビリー!!」
少女の呼び声に友は応えない。ただ、静かに落ちていく。
雨が、降り始めた。
それはまるで、彼女たちを追いかけるように降り注ぐ。
そして、そんな彼女たちを見つめる一対の瞳。
「──悪いねェ」
その手に銃を構えた諜報員、CP9の新入りが呟く。
「向こうの邪魔をさせるわけにはいかねェのさ」
遠くで、海列車の到着を知らせる汽笛が鳴った。
それはこの街を襲う脅威に対抗する力の到着を知らせるもの。
──そうであると、島の住民たちは信じている。
投稿が遅くなってしまい申し訳ありません……。
色んなことが押し寄せてくるみたいに忙しく、書く時間が取れませんでした……。
ちょっと今月はかなり忙しないのでまた少し次は時間がかかると思います……。