第二十三話 水の都の一番長い日⑩
時はフランキー一家の下へヴェルゴ率いる海軍部隊が到着する少し前まで遡る。
場所は“ガレーラ・カンパニー”本社。腕利きの職人たちが集い、まるで楽器の演奏のように造船の音を響かせるその場所は非常に物々しい雰囲気に包まれていた。
その最大の理由はウォーターセブンの市長であると共にこの“ガレーラ・カンパニー”の社長でもあるアイスバーグであるだろう。彼の暗殺未遂という大事件を受け、職人たちは自主的にその敬語を買って出たのだ。
本来ならば海軍が担うべき役割であったが職人たちは自分たちがやると主張し、それを海軍側の責任者であるヴェルゴ中将が受け入れた格好だ。
しかし海軍としても何もしないわけにもいかない。故に海軍は本社のある一番ドック以外の警備とこのウォーターセブンのどこかにいる“火拳のエース”の捜索を主な役目として請け負っている。
相手は“四皇”の一角、それも最上位とされる“白ひげ”の二番隊隊長という大幹部だ。故に海軍も慎重になる必要がある。だが今、ウォーターセブンには“アクア・ラグナ”が迫ってきていた。故にどちらかといえば住民たちの警護を中心とした采配とならざるを得ない。
非常にピリついた、どこか重い空気。その中でもこの場所は特別だろう。
──今回の事件の中心にいるアイスバーグがその身を休ませる寝室、その扉の前。
ウォーターセブンが誇る“ガレーラ・カンパニー”第一ドック五人の職長。懸賞金をかけられた海賊であってもものともしない力を持つ五人が扉の前に用意した椅子に座り、絶対の守りを敷いていた。
まるで王様にでもなったようだ──アイスバーグがそんな風に苦笑するほどに厳重かつ強固な警備。その物々しい雰囲気の中、五人の職長たちが言葉を交わし合う。
「……他のドックはどうだ?」
「ああ。避難も特に混乱なく終わったそうだ。海軍も入ってくれてるからな。問題はない」
パウリーの呟くような問いに応じたのはルルだ。そうか、とパウリーはその言葉を聞いて頷きを返す。
その辺りの差配をしたのはパウリー自身だ。アイスバーグが意識を失っている間にその代理として様々な手配をしたのが彼であり、故に今の問いは確認の意味も込めたものだった。
そして事実として現状に問題はない。だが、故にこそ焦りのようなものが浮かんでくる。
「…………」
ふう、と葉巻の煙を吐き出すパウリー。どうにも黙りこくってしまうと嫌な想像ばかりしてしまう。
アイスバーグという、彼にとっては師匠であり恩人である人物。その身に万一のことが起こってしまったら、と何度も考えてしまうのだ。
『何か考え事か、カク?』
故にルッチがずっと黙り込んでいたカクに対して声をかけたのはパウリーにとってありがたかった。会話をしている間は気も紛れるからだ。
「ん、ああ……そうじゃな。ずっと朝から考えておったんじゃが」
どこか煮え切らない口調のカク。先を促すように他の四人の視線が集まると、彼は言葉を選ぶようにしながら口を開いた。
「どうにもわからんことがあってのう」
「わからねェってのは?」
首を傾げたのはタイルストンだ。腕組みをしつつ問う彼の言葉は、彼とカクを除く他三名の内心の代弁であるだろうとパウリーは思う。
それを察したわけではないだろう。だが説明足らずだと思ったのか、カクが言い直すようにして口を開いた。
「そもそもどうしてアイスバーグさんが狙われるのか。ワシにはわからん」
「……いや、そりゃお前だけじゃねェよ」
そしてカクの言葉に対し、パウリーが煙を吐き出しながら言う。その疑問は彼だけのものではない。パウリーたち職長は勿論のこと、他の職人たちや何なら街の住民も含めて全員が疑問に思っているはずだ。
何故、アイスバーグが──このウォーターセブンの市長にして最高の職人たる彼が何故こんな目に、と。
その疑問は、ずっと誰もが持っている。
「あの人が狙われる意味がわからねェ。それも“白ひげ”の幹部だと?」
強盗の類であるならわかる。相手は海賊だ。そういうこともあるのかもしれない。だが奪われたものは特になかった。だからこそ動機がわからないのだ。
命を狙うにしては中途半端。強盗だとするならあまりにも杜撰。そして何よりタイミングがおかしい。“アクア・ラグナ”という災害が迫る中でこんな蛮行に及ぶ意味がわからない。
「……本当に海賊がやったのかね」
ポツリと、そんなことを呟いたのはルルだ。パウリーがどういうことだ、という意味を込めた視線を向ける。他の者たちも同様だ。対し、ルルも頷いて言葉を続けた。
「海賊がやることだから、って一言で片付けるのは容易いが……どうにも腑に落ちねェ」
『だが他に有力な容疑者もいないだろう』
ルッチの言葉。それを聞く限り、彼もまた消去法で海賊の仕業であるのだと判断しているようにパウリーは見えた。
実際、“火拳”がやったというのはあくまで消去法的な判断であり、どうにも腹落ちしない気持ちであるのも事実だ。気が逸っていた朝方ならともかく、アイスバーグが目を覚まし、更にある程度時間が経った今は少し状況を冷静に見ることができるようになっている。
海賊がやることなのだから考えるだけ無駄──そんな意見もあったし、そうであるのかもしれないとも思う。だがどうにも噛み合わない。勘のようなものであるが、どうしても切り捨てられなかった。
(だがこういうのは経験上、放っとくと碌なことにならねェ)
パウリーは内心で呟く。彼の言う経験とは数え切れないほどの造船経験のことだ。図面も材質も工程も問題ない。だが違和感がある。そういう時は決まってどこかに綻びがあるのだ。そしてそれを放っておくと、どこかで破綻する。
(……わからねェことが多過ぎる)
ふう、と息を溢すパウリー。堂々巡りだ。答えに至るにはピースが足りない。そしてそれは他の者も同じだろう。
僅かな沈黙が流れる。そんな中、呟いたのはルルだ。
「おれは案外……世界政府の仕業じゃねェかと思ってる」
「……いきなり何じゃ」
僅かに困惑を滲ませながらカクが問う。いや、とルルは首を振った。
「根拠がないわけじゃない。前々からアイスバーグさんのところに政府から役人が来てただろう?」
『コーギーか』
ルッチが頷く。コーギー──頻繁にウォーターセブンを訪れる世界政府の役人だ。アイスバーグは迷惑そうに毎回対応しているのだが、それでも諦めずに訪問を続けている人物である。
アイスバーグとコーギーの話について中身を知る者は誰もいない。だがあれだけ足繁く通ってくるのだ。何かがあると想像するのは容易い。
「だがあの腹で暗殺はねェだろ」
コーギーの姿を思い出すパウリー。お世辞にもスマートとは言えない体型のあの男が暗殺などということをできるように思えなかった。
そしてそれはルルの方も同じであったらしい。頷きつつ、しかし、と言葉を紡ぐ。
「世界政府だぞ?」
「……どういう意味だ」
「──“CP9”だ」
聞き慣れない名前に眉を顰めた者が自分を含めて三人。少なくとも、パウリーにはそう見えた。
それはルッチとカクの二人だ。対し、タイルストンは──
「おお、ルル。お前もそう思うか?」
「ああ。やっぱりそれしかねェだろう」
何故か自分たちとは違う反応を示していた。腕を組んで何度も頷いている。
「……CP9などただの噂話じゃろう?」
「だが奴らは実体のない暗殺集団って話だ。案外馬鹿にできねェかもしれん」
「ああ、おれたちはそう聞いたぞ」
『どこで聞いたんだ?』
タイルストンに対するルッチの問いかけ。そこに若干呆れのニュアンスを感じるのは気のせいではないだろう。多分。
そしてその問いに対し、当然のように応じるのはタイルストンである。
「ああ、この間ブルーノの酒場でココロのばーさんに聞いた」
「噂じゃねェか!」
「思いっ切り与太話じゃな」
『くだらないッポー』
三者三様に呆れた返事をするパウリーたち。うーむ、と噂話を信じる二人が腕を組んだところで。
「少し、よろしいですか?」
アイスバーグが身を休める一室。その扉が開き、秘書のカリファが姿を見せる。ああ、と声を上げたのはパウリーだ。
「すまねェ。うるさかったか?」
「少しはそれもあるけど……それよりも、アイスバーグさんから言伝が」
「なんだ?」
全員が疑問を浮かべる。ええ、とカリファが頷いた。
「──パウリー。あなたに大事な話があると」
◇◇◇
張り詰めた空気は嫌いではないと、そんなことをモルガンズは思う。
人は感情の生き物だ。どれほど冷静になろうと努め、振る舞おうとその本質は変わらない。そもそもその『冷静になる』という意思自体、感情を起点とするのだから当たり前だ。
人は合理的であり非合理的だ。だからこそ世界とは面白く、彼の興味を惹きつける。そして彼はその経験から知っていた。
──群集は、ある種の予知能力を持っている。
彼らは“匂い”に敏感だ。それは英雄の匂いかもしれない。大悪党の匂いかもしれない。事件の匂いかもしれない。幸福の、不幸の、商機の、転落の──ありとあらゆる“匂い”を彼らは感じ取る。
故にこそ、島全体を覆うような張り詰めた空気は一つのことをモルガンズに確信させる。
そう、即ち。
──今日ここで、『何か』が起こる。
そんな、確信を。
だからこそ彼は、『そこ』にいた。
ウォーターセブンが誇る造船会社“ガレーラ・カンパニー”本社、その一角。本来なら資材を積み上げるための空間にいくつもの椅子が乱雑に並べられている。
そこに座るのはほとんどが職人たちであり、それぞれが得物を持って待機していた。時々見回りから帰って来る者がおり、入れ替わることも繰り返している。
「──つまり、あの国で起こった紛争は第三者からすればくだらねェとしか言いようがねェことが切欠だったのさ」
そんな中、唯一と言ってもいい部外者が一人いた。鳥人間とでも評すべき容姿をしたその男はある意味世界でも有数の知名度を持つ人物だ。その知名度に比例してか、とても一言では表現できない評判を受ける男はその広間の一角で何やら周囲の職人たちと話し込んでいる。随分と上機嫌だ。
名をモルガンズ。“世界経済新聞社”の社長であり、“新聞王”とも呼ばれる一種の怪物だ。
「本当なのか? たかが贈り物の花の種類を間違えただけなんだろ?」
そのモルガンズの近くに座っていた職人の一人が首を傾げながらそんなことを問う。つい先程まで、彼らは部外者であるモルガンズに出ていくようにと告げていた。状況が状況だ。当たり前の判断である。
だが、いつの間にか職人たちは彼の言葉に聞き入って当然のように言葉を交わし合っている。出て行けと言っていた口で何の疑問も抱かずに会話をしているのだ。
「そのたかが、ってのが重要なところだな。いいか、贈り物ってのは文化だ。そして文化って概念ほど難しく、同時にややこしいものも存在しねェ。……恋人に花を送るのにも、鉄板ってもんがあるだろう?」
「あー……確かに」
「え、お前送る相手いんのか?」
「マジか。どこの誰だよ?」
「いつの間に……」
一定の緊張感は保ちつつ、しかしどこか明るさも忘れずに。そんな独特の空気がその一角では形成されている。
「ちなみにうちの新聞には季節の花とその花言葉も載せてるぞ。是非参考にしてくれ!」
「商売上手だな」
いくつもの笑い声が漏れる。その光景を冷静に見れる者がいれば、その状況の異様さに気付いただろうか。
アイスバーグの暗殺未遂とも言える大事件。そして想定されている犯人はあの大海賊“白ひげ”の大幹部。とてもじゃないが笑顔を浮かべる余裕などない状況のはずなのだ。しかし、モルガンズの周囲では確かに笑いが溢れていた。
「文化ってのは面白ェもんでなァ。同じ花でも色が違えば受け取る意味を変える。例えば今回の話では赤と白の花を間違えただけで大問題になっちまった」
「送る側は『親愛』と『潔白』の意味を込めて白い花を贈ったんだよな?」
「その通り! だが受け取った側は白い花を『死』と受け取った! 宣戦布告だな!」
クワハハハ、と笑うモルガンズ。そう、それが暇潰しにでもとモルガンズが話したとある国で起こった紛争、その始まりの物語の要約だ。相手に対し、互いに理解が足りなかった──それ故に起こった悲劇である。
「いやしかし、本当にそんなことで殺し合いにまで発展するのか? 『勘違いでしたすみません』で済みそうなもんだが」
「それで済まねェから面子なのさ。おれたちみてェな庶民ならともかく、貴族だの国王だのってのは面子が大事だ。頭を下げるのも軽々にはできねェのさ」
「面子と言われるとまァ……そうなのか」
「確かに『間違えましたすみません』って、言い換えれば『お前らの文化について知らなかった』って意味でもあるのか」
「あー……それは受け取り方によっちゃ普通に喧嘩売ってるように見えるな」
「クワハハハ! 飲み込みがいいじゃねェか! 流石は“ガレーラ・カンパニー”の職人たちだな! 頭が回る!」
手を叩いて賞賛するモルガンズ。それを聞き、職人たちも満更ではなさそうな表情だ。
──モルガンズという男は、言葉を操る一種の“怪物”である。
その本領、最大の力が発揮されるのは新聞という媒体だ。それによって彼は人を踊らせ、世界に“ビッグ・ニュース”を届けている。
だが、しかし。彼の力とはそれだけではない。
その口から紡がれる言葉にも、“怪物”たる力は確かに宿っているのだ。
別に何か贈り物をしたわけではない。金を払ったわけでもないし、特別な何かをしたわけでもない。しかし気付けば部外者たる彼は集団の中に溶け込んでいる。
ある種最も恐ろしい技術であり能力であるのだろう。相手にそう気付かせないということも含めて。
故にこそ、彼は新聞というメディアの“王”と呼ばれるのだから。
「……何をしておられるのですか?」
不意にそんな声がモルガンズの後ろから聞こえてきた。振り返ると、そこにいたのは眼鏡をかけた一人の女性だ。
名をカリファ。アイスバーグの秘書である人物である。
「危険であるため退去をお願いしているはずですが」
「そりゃお願いだろう? 聞くかどうかはこっちの判断だ」
カリファの言葉に対し、肩を竦めるモルガンズ。そんな彼に対し、カリファは眼鏡の位置を指で直しつつ冷静に言葉を紡いだ。
「確かに我々は警察ではありませんので、強制はできません。しかし何かがあった時、あなたの身の安全は保証しかねることはご了承頂きます」
「それは弁えてるさ。おれのことはまァ、その辺の看板かなんかだと思ってくれ」
「……看板の割にはよく喋るけどな」
一人の職人の呟きは、二人合わせてスルーした。
「……いいでしょう。ただ、邪魔はしないでください」
「勿論だ。……あァ、アイスバーグ氏はどうだ?」
「意識は戻りましたが、絶対安静です。命に別状はありませんが」
「そりゃ何よりだ。あのご婦人も報われる」
その言葉に、周囲の職人たちが少し気まずそうな表情で互いを見合わせる。彼らのお膝元たる場所で起こった暗殺未遂。そこで文字通り命懸けでアイスバーグを守った海兵に対し、感謝と申し訳なさを彼らも感じているのだ。
そしてそれはカリファも同じなのだろう。僅かに眉を寄せ、しかし、すぐにいつもの表情に戻る。
「いずれにせよ、警告はしました」
「あァ、ありがたく受け取っておく」
あくまで軽い口調で返すモルガンズ。そんな彼をカリファは数秒見つめていたが、切り替えるようにして一礼すると背を向けて去っていった。
そんなカリファの背を見送り、モルガンズは改めて周囲へ視線を送る。
(普通に考えるなら、ここまで厳重に待ち構えてるとこに襲撃かけるなんざ馬鹿のやることだ。だが……)
まず間違いなく、『何か』は起こる。そんな確信がモルガンズにはあった。
(こういう状況が一番面白ェ。やっぱ旦那方は持ってんなァ)
今や世界の話題、その中心にいる二人のことを思い浮かべる。このウォーターセブンで起こっている騒動にあの二人は直接的に関わっていない。だが、どういう巡り合わせか偶然立ち寄ったこの場所でこの大騒動だ。
本人たちにしてみれば迷惑極まりないだろう。だが、見ている側としてこれほど興味を惹かれるものもない。
どうなることか──笑みを浮かべるモルガンズだが、不意に彼の持つ電伝虫が鳴る。
「おっと、すまねェ。親愛なる社員からの連絡だ」
周囲にそう言葉を溢し、モルガンズは職人たちから離れた位置に移動する。そして──
「動いたか?」
『ああ。……始まったぞ』
ヒュウ、と口笛を吹くモルガンズ。
そして、彼が何かを口にしようとした瞬間。
──巨大な爆発音が、その声を掻き消した。
◇◇◇
ウォーターセブンを襲う“アクア・ラグナ”は紛うことなき大災害だ。しかし人間というものはたくましい。この島の住民たちはそれをやり過ごす術を覚えている。
「……人の気配がねェな」
周囲を見回しながらそんなことを口にするのはデュースだ。彼らが今歩いているのは裏町と呼ばれるエリアであるのだが、周囲に人の気配がない。
「避難してんだろ。デケェ高潮が来るって話だ」
対し、応じるのはエースだ。帽子を目深に被る彼はデュースの少し先をゆっくりと歩いている。
「街に人気がなくなるくらいの規模ってことか。相変わらず、“偉大なる航路”の天候ってのは底が見えねェ」
周囲を警戒しつつ、しかし人の気配がないが故に言葉もどこか軽い。
二人が歩いているのは水路の横を通る道路だ。昼間は水路にも道路にもそれなりに人がいたというのに、今は見る影もなかった。
そんな周囲から視線を切り、足を止めたデュースが前を歩く男に問う。
「まァ、おれたちにとっちゃこの方が都合もいい。……で、どうするんだ?」
「どうするって?」
エースは振り返らない。あのなァ、とデュースは言葉を続けた。
「海軍が大勢入ってきたのは見ただろ。あいつらの狙いはおれたちだ。退くなら早い方がいい」
「高潮で荒れた海の中を逃げるってのか?」
「海軍に囲まれた海とどっちが楽かって話だな」
一つ、息を吐く。どっちにせよリスクはあるが、デュースとしてはできる限り早急に島を脱出する方が良いと考えていた。時間は海軍の味方だ。こちらの味方ではない。
「……どうするかな」
エースの言葉には迷いがあった。あの革命軍のNo.2との激突からずっとこの調子だ。
「悩むなとは言わねェけどよ──」
言葉を探しつつ、口を開くデュース。しかしその言葉は途中で止まってしまう。
カツン、という乾いた音。
視線の先。道の向こうから歩いてくる人影があった。
「……あれは……」
その男は杖をつき、ゆっくりと道を歩いていた。だが杖の使い方が自身の体を支えるというものとは違う使い方であり、その動きからデュースは察する。
おそらく、盲目か──或いは、視力が極端に弱いか。そんな人物が水路の多いこのウォーターセブンを歩くのは随分と危険だ。
反射的に声を上げようとするデュース。だが、その前に。
「──あァ、これはどうも。いい夜ですねェ」
全身から汗が噴き出す。
本能。或いは勘。社会の裏側とも呼べる領域を生き抜いてきたからこそ備わった第六感が、デュースの中で警鐘を鳴らしていた。
「良くはねェだろう。デケェ高潮が来るって話だ」
「“アクア・ラグナ”。いやはや、人間ってのはちっぽけなもんだ。古代、大自然に神を見たってのも理解できる」
エースの言葉に対し、あくまで世間話であるかのような口調で男は語る。
「神、ね」
「おっと、失言でしたかねェ。世界の神といやァ、例の連中だ」
「……別に気にすんなよ。それを聞いたらからなんだってわけでもねェ」
言葉は穏やか。だが、空気は重く。
男が、足を止める。
「なァ、おっさん。──何者だ?」
エースのその言葉でデュースは理解した。最大限の警戒。そうするだけの圧を、この男が持っていることを。
「名乗るほどの者じゃありやせん」
男が、杖の柄を強く握る。
見えたのは、煌めくような白刃。
衝撃、音、最後に風。
それが、開戦の合図であった。
というわけでガレーラサイドのお話。
今の所全体的に政府側の思惑通りの流れですが、どうなることやらです。