第二十四話 水の都の一番長い日⑪
「──わかりました。任せてください」
覚悟の込められた言葉であった。その言葉を聞き、ああ、と安心した様子で頼み事をした男は頷く。
「くれぐれも無理をするなよ」
「はい。わかっています」
念を押すのは恩人であり師匠であり尊敬する上司──アイスバーグだ。その言葉に、改めてパウリーは頷きを返す。
「すまんな。……こんなもんを背負わせて」
「いえ、おれは頼ってもらえて嬉しいですよ」
アイスバーグには『何か』がある。それはつい先程までの職長たちとの会話でもわかっていたことだ。そしてやはり、『何か』はあったらしい。
だが──
「……やっぱり、内容については?」
「知らねェ方がいい。……知るべきじゃねェ」
ある意味、アイスバーグのその言葉は裏切りと呼んでもいいのかもしれない。信頼する相手に頼み事をしながら、それでも全てを明かさないというのだから。
「お前の身を危険に晒しておいて虫が良い話だと思ってる。だが……」
「──水臭いですよ、アイスバーグさん」
迷いと共に、それでも覚悟を込めて告げるアイスバーグの言葉を遮り、パウリーは言う。
「おれァあなたに憧れて船大工になったんだ。どうしようもねェおれを一人前の船大工にして、それだけじゃなくこうして信頼までしてくれてる。……なら、それでいい」
何を迷うのかと、パウリーはむしろそんな風に思っていた。アイスバーグに憧れ、彼の下で様々なことを学んだ。その恩は一生を掛けても返し切れないほどだというのに。
「大船に乗ったつもりで、どーんと任せてください」
自身の胸に拳を当て、パウリーはそう言い切った。そんな姿を見て、アイスバーグは小さく笑みを浮かべる。
「ああ、そうさせて貰おう。……ありがとう」
その言葉に、もう一度力強くパウリーは頷く。そのまま立ち上がると、パウリーは部屋を出て行こうとする。やるべきことが定まった以上、長居をするべきではない。
「では、これで」
「ああ。……気を付けろ」
「それはアイスバーグさんも──いや、あいつらがいるから大丈夫ですね」
あいつら、とパウリーが呼ぶのは彼の同僚でもある職長たちだ。彼らの実力について、パウリーは誰よりも知っている。故に自分一人が抜けたところで何の心配もない。
「ああ、そうだな。いい部下を持ったもんだ」
「そりゃアイスバーグさんの人徳ですよ」
いつも通りの、軽い口調での会話。それを最後に、パウリーは部屋を出る。
『話は終わったのか?』
「ああ。……悪ィが、少し外す。急用ができた。ここを任せてもいいか?」
扉から離れた位置に集まっていた四人のうち、ルッチの問いに対してそう応じる。頷いたのはカクだ。
「まァ、四人も居れば十分じゃろう」
「悪ィな」
そして、パウリーは歩を進める。そんな中、思い浮かべるのはアイスバーグの言葉だ。
“なァ、パウリー。……お前にだけは言っておこうと思う”
深刻な表情で、アイスバーグは切り出した。
“おれが狙われた理由について……心当たりがある”
流石に驚いた。当初、彼は心当たりはないと言っていたのだから。
どんなものか、とは当然聞いた。だがその問いに対し、アイスバーグは首を横に振る。
“……すまん”
苦渋の表情であった。そこに込められていた想いは、どれほどのものか。
命を狙われ、それでもなお明かせぬ“何か”。
成功者であり、ある種この都市の王であるアイスバーグが抱える“秘密”。
気にならないかと言えば嘘になる。だがそれ以上に、今は頼られたという事実が嬉しい。
故にこそ、彼は己の役目を果たしに行くのだ。
「パウリーさん? どこへ?」
「ん? ああ、ちょっとな」
目的の部屋の前で職人たちに声をかけられた。パウリーは言葉を続ける。
「頼まれごとだ」
「ああ、成程。どうぞ」
「すまねェな」
職人たちはこの“ガレーラ・カンパニー”の至る所で待機している。当然、アイスバーグの私室の前にも何名もの職人たちがいた。
そんな彼らの了承を得、部屋に入る。扉を閉め、パウリーは葉巻の煙を一度静かに吐き出した。
「……よし」
呟き、歩き出す。
目的は、部屋の中央に隠されたアイスバーグの“秘密”。
──その、ダミーだ。
◇◇◇
ウォーター・セブンの象徴とも言える存在──“海列車”。荒れ狂う“偉大なる航路”をも突き進むその列車も、“アクア・ラグナ”は越えられない。故にその時期だけはその動きを止めることになる。
だが、人の営みというのは止めることができない。故に海列車もギリギリまでは運行しており、そして今し方到着した海列車が今夜最後の便であった。
統率の取れた動きにより、続々と列車を降りては駅の外へと歩みを進める者たち。
──不夜島、“エニエス・ロビー”が抱える戦力。
世界政府が誇る三大機関のうちの一つが抱える戦力が、ここへ集結しつつあった。
「チャパパー。とんでもねェ数だー」
「壮観だねェ! 良〜ィ景色だ! よよいっ!」
そんな光景を、駅の片隅から見守るいくつかの影。
存在しない諜報機関──CP9。
掲げる“正義”の下に殺人さえも行う、世界政府の刃。
「……どうにもスッキリしねェな」
フクロウとクマドリが目に映る光景に対して言葉を溢す側で、ポツリと呟くのはジャブラだ。その瞳には疑心が宿っている。
任務に文句があるわけではない。“火拳”という大物、“叛逆者”二人の存在、五年をかけた同僚たちによる潜入任務の決着──どれも無視できることではないのだから。故にそこに不満はないし、むしろ強力な力を持つ者と戦える機会については喜びすら感じているぐらいだ。
だからこそ、問題はそこではない。
(……あの海兵)
海軍本部中将、ヴェルゴ。
調べても裏はなく、品行方正な海兵の鑑としか言いようがない評判しか聞こえてこなかった。CPとは縄張り争いという意味で敵対し易い海兵だというのに、その立ち振る舞いも紳士的。
普通ならそれで終わってもいい。だが、その口から紡がれた言葉にどうも違和感がある。
(海兵ってのは外道を相手にすんのが仕事だ。朱に染まればってわけじゃねェが、どうしても思考がそっちに引っ張られる)
これは本人の性格や善悪の問題というわけではない。ある種の職業病だ。“正義”を掲げ、秩序を重んじ、弱き者のために戦う。それは即ち敵対者はそのいずれか、或いは全てを否定するということになる。
──“敵を知り、己を知れば百戦危うからず”。
それを口にした者が生きた時代は遥か昔。だが未だその言葉が生き残り、多くの者が参考にしているということはそれだけこの言葉に真理が宿るということを意味している。
(理解の放棄ってのは馬鹿のすることだ。海賊の相手をする以上、連中が何をするかについて理解の必要はある。……そこに共感を得ちまった結果、染まっちまうような馬鹿もいるが)
たまに現れてしまうのだ。理解のみで留めることができず、染まってしまう者が。
(だがどうもそうは見えねェ)
あれは理解からくる言動ではない。いや、理解はしているのだろう。だがその角度が違う。外から理解するのではなく、内側から理解しているかのような。そんな思考の仕方に見えた。
「……どいつもこいつも」
息を吐く。きな臭いことばかりであるのは日常だが、こういう鉄火場で不可解なものがあるのはやりにくい。
本来なら、上官である人物にその辺りの舵取りを投げたいところだが──
「グズグズしてんじゃねェ! さっさと動け! 友軍の援軍だ! 時間をかければおれたちの仲間が死んじまうぞ!?」
離れた場所で声を張り上げる人物を一瞥し、また吐息。前半は本音だろうが、後半は怪しい。今回の作戦に際し、随分と綺麗な青写真を描いているらしい。
正直、戦闘能力は持っている刀を除けば皆無も皆無なのだから“エニエス・ロビー”で大人しくしておいて欲しいものだが、わざわざそれを進言するほどのこともないのでジャブラは黙っている。
「おい、お前らも行くぞ」
そしてその人物──スパンダムがこちらへ視線を向けた。CP9の暗殺者三人が、自身の体に僅かに力を入れる。
空気が、変わる。
それに僅かでも気付けたのは、この場の者たちでも一部の者だけであっただろう。特別な何かをしたわけではない。だが、この一瞬で彼らは“切り替わった”。
世界政府の影なる刃。血を以て秩序を保つ存在に。
「──ターゲットは?」
内容も、動きも。既に列車内で確認済みだ。故にこれはただの儀式。
「変更なしだ」
やることは変わっていないという、そのための確認。
無数の金属音が響き、軍靴の音が響き渡る。
不要な声はなく、各指揮官たちの指示に応じる声だけが響くのみ。
任務は、既に戦闘中であるヴェルゴ中将の援護。
ターゲットは、“神への大逆人”二名。彼らを匿った“フランキー一家”なるアウトローたち。そして突如現れた、“革命軍”のNo.2。
そこに付随するであろう、世界政府の敵全て。
「……やれやれ」
駅を出たジャブラの頬に、冷たい雫が触れる。
降り注ぐ雨の中。
遠くで、大きな爆発音が聞こえた。
◇◇◇
その二人は、確かに強大な力を持っていた。
世界に名を轟かせる“新時代の英雄”が一角にして、“神への大逆人”となったモンキー・D・ルフィ。
世界の秩序たる存在である世界政府を真っ向から否定し、打ち倒さんとする組織“革命軍”がNo.2、参謀総長サボ。
おそらく、一対一で万全の彼らと正面から戦える者はそれだけで名を上げることも可能だろう。事実、この場において個人として対抗できるのはヴェルゴ中将のみしか海軍側にはいない。
だが、所詮は個人。そして何よりも状況がその強みを潰していた。
「ぐあッ!」
「タマゴ!? クソ、下がれ!」
「フランキーハウスに運び込むんだ!」
遠くからの銃撃。盾を持ち、フランキー一家特製の鎧を装備していても無敵というわけではない。いつかは限界が来る。
相手は海軍。無法者の相手を専門とする集団だ。こういう状況はある種得意でもある。
「ぐあッ!?」
ザンバイがその右肩を撃ち抜かれ、悲鳴を上げる。声を張り上げながら周囲に指示を出し続ける彼は海軍の目から見てもリーダー格と写っていたのだ。故に優先して狙われた。
「ザンバイ!」
「くそ次々と……!」
彼らフランキー一家はガラクタを集めて即席の防壁を築いている。だがそんなものは気休めだ。それ以上の防壁を想定する海軍の前に、長く持ち堪えることができるものではない。
「…………ッ」
その防壁の奥で、ウタは両手を握り締めながらその状況を見つめていた。
サボの到着により、状況は僅かに押し返すことができている。突然の援軍による混乱と、その援軍の強力な戦闘能力に海軍にも動揺があるのだ。
だが、徐々にそれも落ち着きつつある。この場に現れたのが彼一人であり、そして以前状況が海軍側にとって圧倒的に有利であるという事実。破綻の時は近付いていた。
“籠城ってのは、援軍が来るって前提条件があってのもんだ。それがない籠城は必ず落ちる。ついでに言うなら、落ちるまでに時間がかかればかかるほど後が悲惨になるもんだ”
思い返すのは、“全ての海兵を育てた男”と呼ばれた人物による講義の内容だ。あの時はこちらが攻める側であることを前提として話を聞いていたし、実際に自身の縄張りに籠城する海賊との戦いでその厄介さと結末についても経験した。
だが、まさか。自分がその籠城側になるとは想像もしていなかった。
(……このままじゃ)
状況がどんどんまずい方向へ進んでいることをウタは理解している。だが、それを覆す手段を持っていないのもまた事実。
いや──あるにはあるのだ。
ウタの持つ悪魔の実の能力。“ウタウタ”の力によって、この場の全てを制圧する。それができるだけの力が彼女にはあるのだから。
だが、できない。
この戦場にその歌声が響くことはないということを、誰よりも彼女は知っていた。
「────」
心に体が。或いは体に心が追いつかない。胸の奥底、腹の奥底。自分自身の深いところから溢れ出す『何か』が、ずっとその身を縛り続けている。
「────!!」
絶叫の如き咆哮が、戦場の中で響き渡る。
海軍が“パシフィスタ”──“平和主義者”と呼ぶその人間兵器を、モンキー・D・ルフィが完全に沈黙させていた。
その光景に、海兵たちの足が僅かに後退する。だが、ウタは。
「……ルフィ……」
その背中を前に、涙が溢れそうになるのを堪えることしかできない。
──どうして、私はあの人の隣にいないのだろう。
何故、こんなところで蹲っているのだろう。
弱いからだ。わかっている。どうしようもなく、ウタという存在が弱いからなのだと。
だから戦えなくなった。だから歌えなくなった。だから“正義”を見失った。
今までの自分が何だったのか。
今までの自分はどうやって立っていたのか。
そんなことさえも、わからなくなった。
強い風が吹く。身を裂くような強い風。その風が、一つの“想い”を導いた。
それは、とある少女の“憧憬”。
「…………あ……」
まるで導かれるように、その帽子がウタの手元へと舞い降りる。
それは、どこにでもある海兵帽であり。
──しかし、一つしかないもの。
“どうするの?”
幼き声。それはあの悪夢で聞いた声。
きっとそれは幻聴であるのだと思う。だが、振り払うことができない。
「……どうしたら……」
いや、違う。
私は──今まで。
どうやって、生きていたのだろう?
どうしようもない袋小路。未だ“歌姫”はその歩みを止めたまま。
だが、世界は彼女を待ってはくれない。
「おい、海兵の奴らが」
不意にフランキー一家の者たちが声を上げた。見れば、海兵たちが徐々に後方へと退避を始めている。
何故か、という疑問の回答はすぐにわかった。別の者が声を上げる。
「おい! 海を見てみろ!」
反射的に海の方へと視線を向ける。空が黒くなり、海が荒れ始めていたのはわかっていた。この後に“アクア・ラグナ”という高潮が来るということも。
だが、そこに広がっていた光景はその想定を大きく上回る。
海が、干上がっていた。
全ての海水が──まるで、根刮ぎ吸い上げられてしまったかのような。
まるでそれは、この世の終わりであるかのようで。
これから来る強大な“何か”の力を、無言で訴えているようだった。
「……こんなの見たことねェ……」
「何が来るんだ……?」
長くこのウォーターセブンで暮らすフランキー一家の者たちでさえ、言葉を失っている。
──異常な何かが、起こっている。
いや──起ころうとしているのか。
……ただ、一人。この状況に勝機を見出す者がいた。
「──チャンスだ」
全てを飲み込む大自然の脅威を前に。
状況が、更に変化する。
個人的に色々あって随分遅くなりましたすみません……。
とりあえず30分刻みくらいでこのお話含めて三話分一気に投稿します。