……いったいどうしてこうなった。俺がなにをした? ここに来てから何度も己に問いかけたが、答えなど返ってこない。
幼少の頃から厳しい訓練を積み、世界政府の諜報機関であるCP9に所属し、ずっと世界政府の役人として働いてきた。
天才ロブ・ルッチにも匹敵すると高い評価も受け、重要な任務も任されるようになり、順風満帆に生きていたはずだったのに……どうして?
全てが狂ったのはあの日、東の海での出来事。重要品の護送任務でのことだった。楽な仕事だと思っていた。そもそも政府の船に喧嘩を売る馬鹿なんてそうはいねぇ。それに仮に海賊が仕掛けてきたとしても、最弱の海とも呼ばれる東の海に居る海賊なんて俺の相手ではないと、そう思っていた。
だが、そこに現れたのはグランドラインでも名の知れた海賊であり、あの鷹の目のライバルとも評される赤髪海賊団だった。
なぜこんな場所に? どうして? なんの狙いで? 問う間もなく戦いは始まり、俺も必死に応戦したが力及ばず敗れて気を失った。
そして、目覚めた俺に待ち受けていたのは任務失敗の責任……ではなく、赤髪海賊団との内通の疑いによる捕縛と投獄だった。
傷で痛む体で「違う」と何度も叫んだ。だが、その声が聞き届けられることは無かった。本来はグランドラインに居るはずの赤髪海賊団が護送のタイミングで東の海に居たのは、俺が情報を流したせいだと、そう告げられ容赦なくインペルダウンに叩き込まれた。
そして俺に待ち受けていたのは厳しい拷問だった。地獄のような痛みを、苦しみを味わった……だが、それでも、どうすることも出来ない。
俺は内通なんてしていないんだ。どれだけ痛めつけられたとしても、吐ける情報なんてそもそも持ってなどいない。誰にも信じてもらえず、助かる術も持たず、ただ泣き喚き救いを求めることしかできない。
……ここは、まさに……地獄だった。
インペルダウンレベル4の最奥と言っていい場所にある機密性の高い特別独房。焦熱地獄と称されるレベル4ではあるが、ここは職員の生活圏と同じく耐熱壁で囲まれているため、血の池の灼熱は感じない。
ロクに窓すらならなく、常に最低一人以上の看守が監視についているこの独房が、いまの俺が居る地獄だった。
すでに数日の拷問により、俺の心はすり減り切っていた。誰にもなにも信じてもらえない、逃げ出すことも出来ない、目覚めればすぐに拷問室に連れていかれて……また辛く苦しい拷問を受けることになる。
ああ、どうして、こうなってしまったんだ。俺はなにも、罪なんて犯していないのに……どうして、世界はこんなにも残酷で、これほどに理不尽なんだ。
俺の目が覚めたことに気付いた看守が独房に近づいてくる。ああ、また連れていかれて拷問が始まる。
「……誰でもいい……助けてくれ」
絞り出すように口からこぼれた言葉、弱り切った俺の姿を見て、看守はニヤニヤと楽し気な笑みを浮かべながら口を開く。
「へへへ、そんなに助かりたいなら、太――ッ!?」
「必要ない。そもそもソイツは罪など犯していない」
言葉の途中で看守は横に殴り飛ばされ、そのまま壁にぶつかって気を失った。予想外の出来事に唖然とする俺の目に、見覚えのある顔が映った。
「しまったな。あまりに不快な笑い声でつい殴ってしまった。苛立っていたとはいえ、短絡的な行動は反省するべきだな」
「……スパンダム……長官?」
そこに居たのは、半年前にCP9の司令長官として就任したスパンダム長官だった。俺は丁度任務に向かうタイミングだったこともあり、本当に挨拶だけしか交わしていないが、なんとも独特の凄みのある方だとは思っていた。
だが、どうしてここに長官が? そんな疑問が頭に浮かぶのとほぼ同時に、長官は俺の方を見て苦笑する。
「災難だったな。さあ、帰るぞ」
そういうや否や、長官は独房の扉をまるで紙のように引きちぎり、混乱している俺の下まで近づいてきて、俺の手に嵌められていた手枷に手を伸ばし、バキッという音が聞こえたと思えば手枷は粉々に……は? いや、待って、これ海楼石……え? 素手? 素手で砕いた?
「歩けるか?」
「……え? あ、あぁ……だが……」
「問題ない、話は付けてある。付いてこい」
「わ、分かった……あっ、いえ、分かりました」
「別に敬語は使わなくていい。さっ、行くぞ」
状況についていけない俺ではあったが、長官の言葉に従いその背に続く。その際にふと、不思議な安心感を覚えた。
先ほどまで、震え嘆いていたはずなのに、なぜかいまは酷く心が落ち着いているように感じられた。
そして長官に続いてレベル4のフロアを歩いていると、ふと奇妙な光景が目に映る。通路の端で巨体を小さく丸めてガタガタと震えながら伏せているのは、このフロアを警邏している獄卒獣だ。そう、あの地獄の番人と畏れられる獄卒獣が、子犬のように震えていた。
それだけではない、レベル4で巨大な薪を運ぶ強制労働を行っている凶悪な囚人や、看守や牢番といった者たちも、一様に視線を俯かせ体を微かに震わせていた。
本来なら看守の怒号や囚人の叫び声が響くこのレベル4が、異常なほどの静寂に包まれていた。
その理由はすぐに察することができた。そう、『恐れている』のだ。凄まじい怒りと桁外れのプレッシャーを放ちながら、俺の前を悠然と歩く長官……そのあまりにも圧倒的な力を肌で感じて怯えている。
どうか、この絶対者の怒りの矛先が自分に向きませんようにと、視線を外し、祈るように体を震わせている。この地獄と言っていい監獄全体がいま、ただ歩いているだけの長官に怯えていた。
「……すげぇ」
思わずそんな言葉がこぼれた。そして、同時に先ほどから感じている異様な安心感の正体も理解できた。いま、前を歩く長官のあまりにも隔絶した力を肌で感じているからこそ、俺は安堵しているのだ。
前を歩く長官の堂々とした背は、天を突くほどに巨大に見え、その背の後ろに居ることがどれだけ安全であるかを、俺の本能が理解していた。
いまの俺は、長官の庇護下にあり、それがまるで世界で一番安全な場所にいるかのような安心感を俺に与えてくれていた。
……すげぇ……すげぇ……なんて人だ……なんて……圧倒的な存在なんだ。
ここは、インペルダウンは俺にとって間違いなく地獄だった。どうすることも出来ず、ただ泣き喚き助けを乞うことしかできない、絶望的な場所だった。
だが、どうだ? その地獄はいま、たったひとりの男に屈服している。俺が絶望するしかなかった地獄を、長官はただ歩くだけで踏みつぶし圧倒している。
正直、憧れる。俺もこんな風になりてぇと、心からそう思えるほどに、長官は強く偉大な存在に感じられた。そして、そんな長官が先ほど「ソイツは罪など犯していない」とそう断言してくれたこと、ここまで迎えに来てくれたことが……嬉しくてしょうがなかった。
誰にも信じてもらえず、地獄で苦しむだけだった俺にとって、長官はまさに救世主と呼べる存在だ。俺はいつしか、体の痛みも忘れ、前を歩く長官の偉大な背を見つめ続けていた。
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しばらく歩き、インペルダウンの入り口まで上がってくると、そこには監獄署長であるマゼランがおり、長官の姿を見ると敬礼を行った。
「船を用意してあります。医者の手配も……この度は、失礼いたしました」
そう告げて深く頭を下げるマゼランを見て、長官は深くため息を吐く。すると、先ほどまで感じていた凄まじい怒りの気配が消えていくのを感じた。
気配を完全に抑え込んだあとで、長官は頭を下げるマゼランに声をかける。
「……いえ、今回の誤認逮捕に関しては、貴方たち監獄側に責任はありません。こちらこそ、苛立って貴方の部下たちを威圧するような大人げない真似をして、申し訳ありませんでした。それと、特別独房の扉を壊して看守を気絶させてしまったことに関しても、重ねて謝罪します」
「いえ、部下を思えばのこととあれば責めることなど出来ません。スパンダム殿は、部下思いなのですね」
「どうでしょうね? 少なくとも、今回の件にすぐに気付いて手を打てなかったのは私の責任でしょう」
「……今回はお互いによい出会いとは言えませんでしたが、部署は違えど同じ世界政府に属する者として、確執などは残さず今後もよい関係でいられたらと思います」
「ええ、こちらこそ。司法の島の実質的なトップということもあり、今後お会いする機会も多いでしょう。その際は、どうかよろしくお願いします」
顔を上げたマゼランと軽く微笑み合って握手を交わしたあと、長官は俺に船に乗るように促した。その言葉に従って船に乗ると、マゼランが手配していたであろう医者によって拷問などで負った傷を治療され、船室のベッドに寝かされた。
すると、緊張が抜けたせいか少し前まで眠っていたはずなのに、あっという間に睡魔が襲ってきて、俺の意識はまどろみに沈んでいった。
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微かな揺れを感じて目を開けると、そこは船室だった。一瞬目が覚めたらまた独房に戻っているのではないかという恐怖が湧いてきたが、すぐ近くの椅子に座り本を読んでいる長官の姿を見てホッと息を吐いた。
「……傷は痛むか?」
「いや、問題ねぇ」
鈍い痛みはあるがそれでも、しっかり治療を施されているので大した痛みは無い。ああ、俺は本当にあの地獄から脱することができたんだと、そう安堵すると共に、ほぼ無意識に長官に口を開いていた。
「長官、俺は……内通なんてしてねぇ」
「ああ、そうだろうな」
「信じて、くれるんだな?」
「信じるもなにも、それが事実だ」
何の迷いもなく淡々と告げられたその言葉が、どうしようもなく嬉しくて目の奥が熱くなる。必死に無罪を訴えても、誰も聞く耳なんて持ってくれなかった。
だけど、長官は一切の迷いも疑いもなく、俺の言葉を肯定してくれた。それが嬉しくて、たまらなかった。
「……ああ、くそっ……」
「……」
どうも感情が上手くコントロールできない。長官が俺を信じてくれたことも、わざわざ俺を迎えに単身でインペルダウンまで来てくれたことも、どうしようもなく嬉しくて、安堵して……目から涙が零れ落ちて止まらなかった。
それに対して長官はなにも言うことはなく、ただ無言で本に視線を落とす。その気遣いがありがたくて、俺はしばらく声を押し殺して泣き続けた。
どのぐらいそうしていただろうか、しばらく泣いたおかげで頭がスッキリしたあとは、長官に対して申し訳ない気持ちが湧き上がってきた。
「……長官、すまねぇ」
「うん?」
「任務でヘマして、俺のせいでCP9の不敗神話にも傷が……」
「馬鹿か?」
「え?」
「お前が任務に手を抜いたりでもしたわけでないのなら、失敗の責任がお前にあるわけがないだろう。そういうのは上司の領分だ。だいたい、赤髪海賊団なんて大物がグランドラインから東の海に移動しているという情報を把握して現場に伝達できてなかった俺や上の責任によるところが大きい」
長官は相変わらず淡々とした口調で語る。お前に任務失敗の責などありはしないと、そういう責を被るのは己の役目だと、当たり前のように……。
そしてそこで言葉を区切ったあとで、苦笑しながら言葉を続ける。
「……そもそも、あらゆる備えをしていたとしても、誰でも失敗する時はある。不敗神話なんてのは、創設からいままでの間、たまたま上手くいってただけか、大方今回の件のように馬鹿げた言いがかりで揉み潰したりしてたんだろうさ」
「……アンタが失敗するところなんて、想像できねぇけどな」
「俺も失敗はするぞ? なんなら、さっきお前の目の前でしたばっかりだ」
「うん?」
「看守を殴り飛ばした。おかげで、事後報告の書類が増えたな」
そういえば、そんなことしてたな。だがそれを失敗だというのであれば、それはそもそも俺が不甲斐なかったのが原因だ。
「それは、そもそも――」
「だがまぁ、笑い声がムカついたからな。仕方ないな」
「……」
「どうした?」
「いや……はは、そうだな。俺も独房で、聞くたびにイラついてたことを思い出しただけだ」
長官は俺が原因だとなんて思ってないみたいで、あの看守の笑い方が悪いとあっさり言ってのけた。それがなんだかおもしろくて、つい笑ってしまった。
「……なぁ、長官? 頼みがあるんだ」
「なんだ?」
「戻ったら、俺を鍛えなおしてくれねぇか? もうこんな、情けねぇ姿を晒さないようになりてぇんだ」
一時期は絶望した。もう二度と諜報員として戦いたいなんて考えられなくなってても不思議ではなかった。だが、インペルダウンで受けた苦痛や絶望以上に……俺は長官に、この人に憧れた。
恐怖なんかはいつの間にか消え去って、この偉大な男の下で働きたいと、そういう気持ちが湧き上がってきた。
そんな俺の言葉を聞いて、長官はふっと笑みを浮かべてから呟いた。
「……怪我を治してから、な」
俺はこの人のデカい背中に付いていこうと、この瞬間本当に強く心に誓った。
****
エニエスロビーに戻ってくると、桟橋には見知った顔……ジャブラの姿があった。ジャブラは俺たちを見ると、駆け寄ってきて長官に声をかける。
「長官! フィズは……」
「問題ない。上には話を付けてある。今後同様の罪に問われるようなことはない」
「そうか……」
ジャブラは長官の言葉にホッと息を吐いたあと、俺に気付いたのか気まずそうに視線を逸らす。するとそのタイミングで長官が俺の方を向いて口を開いた。
「フィズ、お前はとりあえず傷が治るまでは出勤せず療養だ。医者から完治の証明が出るまでは、職務につくことを禁じる。早く現職復帰したいのであれば、治療に専念しろ」
「ああ、了解だ」
「それと、お前には見舞金という名目で今回の件に対する慰謝料……それと、口止め料が支払われる。書類を用意しておくから、復帰したら受け取りのサインをしろ」
「いや、俺は別にそんなのは……」
「上を絶対に許せないとでも言うわけでなければ、くだらない確執を残さないためにも受け取っておけ。上としてはそれで手打ちにしたいんだろうさ」
「……なるほど、了解だ」
正直もう上なんて割とどうでもいいと思っているので、見舞金なんてのは必要なかったが、長官が受け取れというなら俺はそれに従うだけだ。
そして長官はいくつかの伝達をしたあとで俺とジャブラに背を向けて去っていこうとして、途中で振り返って口を開いた。
「……ああ、そうだ。ジャブラにも礼を言っておけ、泣きながら俺に頭を下げてお前を助けてくれと頼み込んできていたからな」
「なっ!? おいっ、長官!!」
慌てた様子でジャブラが抗議の声を上げようとするが、その時にはもう長官は僅かな音すら出さない完璧な剃で姿を消していた。
そしてなんとも気まずそうな表情を浮かべるジャブラを見て、俺は思わず口元に笑みを浮かべた。
「ほぅ~ジャブラ、お前、そんなことしてたのか?」
「は? うるせぇ! ギャサリンに振られた上に、任務でヘマまでかました馬鹿なお前が哀れだっただけだ!」
「あ? 告白すら出来ねぇ、奥手狼がなに馬鹿なこと言ってやがる」
「……ケッ」
「……チッ」
互いに悪態をついて顔を逸らす。コイツとは昔からそうだ。どうもしょっちゅう喧嘩になる……が、不思議と酒や女の趣味は……合うんだよな。
なんとも言えない気まずい沈黙の中で、俺は顔を逸らしたままで小さく呟く。
「……ジャブラ」
「あん?」
「……ありがとよ」
「……けっ……さっさと治して復帰しろよ。テメェのムカつく嫌味も、聞けねぇとそれはそれで退屈だからな」
だがまぁ、この関係も……悪くはないか……。
スパンダム:狂パンダではあるが、今回はちょっと苛立ち過ぎていたと自分でも思っているため反省。マゼランにはキッチリ謝罪した。
マゼラン:狂パンダの凄まじい圧にはかなり緊張していたが、状況や行動を見る限り部下思いの人物ということで、個人的には高評価。互いに三大機関のトップ同士ということもあり、友好な関係を築きたいと考えている。
フィズ:地獄から救い出されたれた影響もあり、狂パンダに心酔、強い憧れを抱くようになる。とりあえず一刻も早く復帰して、狂パンダの下で頑張りたいと思っている。ポチとは違い狂気ではなく純粋に強者かつできた上司への憧れの感情。
ジャブラ:宣言通りフィズを連れ帰ってくれた狂パンダに心から感謝している。フィズのことも本当に心配していたが、直接会うと気恥ずかしさでそういう態度はとれない。
ツンデレ属性も備えているとは、やはりコイツがヒロインでは?
看守:殴り飛ばされたが、そのおかげで太陽神ニカのことを口にしなかったので、ある意味狂パンダは命の恩人かもしれない。