私はサイファーポールの一員として長らく勤め、現場を退いたあとは教官として後続の育成に携わってきた。育て上げたエージェントは数知れず、教官としてもベテランと言っていい。
そんな俺の下に、現CP9の司令長官から少し変わった仕事が回ってきた。なんでも、息子に六式を披露してほしいということらしい。
初めに聞いた時は演舞と勘違いしていないかとか、見世物にするようなものではないなどと呆れた気持ちも抱いた。のちにCP9長官の座を譲るつもりである息子に、六式を実際に見せておきたいとのことだ。
まぁ、コネ云々に関してはいい。そういう人事があることもよく知っているし、所詮上の立場になるにはコネや金が必要だということも知っている。
いまさら不平等だと文句を垂れるような歳でもない。むしろ六式を披露するだけで、出張費込みの特別手当がでるのなら、普段の教官の仕事より楽なぐらいだとそう感じて話を受けた。
「本日はよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
だが実際に出向いてみるとCP9長官の息子……スパンダム殿は、思ったより印象のよい相手だった。偉ぶったりすることもなく口調も丁寧で、穏やかな微笑み。そしてなにより、スーツをジャケットまでしっかり着ているせいで少し分かり辛いが、首回りなどを見る限りなかなかに鍛えているように感じられた。
さすがに六式使い……後の超人候補ともいえる、生徒たちと比べれば劣るのだろうが、それでも並の海兵などよりはよっぽど鍛えているように思えた。
なるほど、おそらくかなり武芸に精通した方なのだろう。だからこそ、幹部候補という前線から遠い立場ながら、六式に興味をもってその目で見てみたいと感じたわけだ。
これならば、今日見た六式をなんらかの形で今後の糧としてくれるだろうと思えるし、こちらとしても披露のし甲斐があるというものだ。
印象が良かったことで気分も上がった私は、スパンダム殿に解説を交えつつ六式を一通り披露した。
「……といった感じになります」
「なるほど、ありがとうございました。勉強になりました」
そう告げて頭を下げるスパンダム殿……本来であれば、ここで私の仕事は終了なのだが、気分が乗っていた私はスパンダム殿にある提案をした。
「まだ時間もありますし、よろしければ軽く訓練を行ってみませんか? スパンダム殿は相当鍛えているご様子ですし、もしかしたら習得できる可能性もあるかもしれませんよ」
「あ~なるほど……お申し出はありがたいのですが……」
少し指導を行おうと提案する私に対して、スパンダム殿は少し迷うような表情を浮かべた。どうもこちらに遠慮している感じだった。
「遠慮する必要はありませんよ。これまで多くの者を育ててきましたし、指導には多少自信があります」
「ははは、なるほど……」
穏やかな会話だったと思う。その会話の中で苦笑を浮かべたスパンダム殿は、少し沈黙したあとで……ほんの僅かに目を細めた。
その直後……私は頽れ、床に両膝をついていた。
「……え?」
思わずそんな声が口から零れ落ちた。何が起きたのか理解できなかった。立てない、足に力が入らない。いや、それどころか、全身から大量の汗が噴き出している。
混乱した頭のまま前方のスパンダム殿に視線を向け目が合った瞬間――『己の首が飛んだかのように感じた』。
「――ッ!?」
理解、してしまった。ほんの一瞬、目が合っただけで……目の前にいる存在が、こちらなど遥かに超越した『理外のバケモノ』であるということを。
別にスパンダム殿は臨戦態勢になったわけでもないし、ましてやこちらに殺気や覇気を飛ばしたわけでもない。ほんの少し、いままで抑えていたであろう気配を表に出しただけだ。
例えるなら穏やかに寝ころんでいた獅子が、欠伸をした程度であり、こちらに敵意など欠片も向けてはいない。だが、開いた口に生え揃った鋭利な牙を見て、こちらが理解しただけなのだ。
目の前の存在は自分など簡単に始末できるほどの、圧倒的な強者なのだと……本能で、魂で、痛いほどに理解した。
超人とは、普通の人間とはかけ離れた強大な力を持つ者を指す言葉だ。私は六式を修め、超人となった自覚と自信があった。
老いて前線を退いてもなお、己が高い場所に立っていると、そう感じていた。いや、信じていた。
ああ、そうだ。私は超人なのだろう、間違いなく超人だ。
だが、本物のバケモノから見れば超人などしょせん人の括り、少しの個体差程度の差しかないのだ。目の前のコレを強者と呼ぶのであれば、私は間違いなく弱者でしかない。
あぁ、駄目だ。コレは……駄目だ。なにもかもを塗りつぶすかのような、圧倒的な力の化身。なまじ私に一般人より優れた力があるからこそ、いやがおうにもこのバケモノの強大さを理解できてしまう。
ロクに呼吸も出来ずにガタガタを震えていた私を正気に戻したのは、ポンと軽く肩に置かれた手だった。
「……あっ……え?」
ゆっくりと視線を向けると、いっそ寒気がするほどに穏やかな微笑みを浮かべたスパンダム殿が居た。
「申し出はとてもありがたいですが、貴方もお疲れのようですし、そのお話はまたの機会があればということで」
「……は、はい」
「今日は本当にありがとうございました。父には私から伝えておきますので、もう帰っていただいても大丈夫ですよ」
その言葉は私にとって本当に救いであり、スパンダム殿が気配を引っ込めたことも相まって、荒い呼吸を繰り返しながら何度も頷き、そのまま逃げるように鍛錬場を後にした。
あれ以上あの空間に居れば、私はきっと折れていた。床に頭を擦り付けながら、どうか殺さないでくださいと泣いていただろう……『相手には敵意の欠片すらないのに』……。
本当にアレはなんだったのだろうか? いったいなにをどうすれば、あのようなバケモノが誕生する?
ただそこに存在しているだけで、周囲を押しつぶすかのようなプレッシャー。
生物としての格そのものが根底から違うような……。
理解できなかったし、理解したくもなかった。ただ、今日という日のことをいますぐにでも忘れてしまいたかった。
だが、当然忘れることなどできず、私は帰りの船の中の一室で、まるで幼子のように恐怖に震え続けていた。