弱者の語る正義に意味も価値もない。それは、私が幼くして理解した世界の真理だった。
私はグランドラインの小さな島で生まれ育った。立派な父と優しい母、仲のいい友達もいて幸せに日々を過ごしていた。
その島には、小さ目の海軍基地があり町で海兵を見かける機会も多かった。
幼い頃の私は海兵に対して憧れを抱いていた。「この島の人々は我々の正義にかけて守ってみせる」と語るその姿を頼もしく感じたし、掲げる正義を尊くて素晴らしいものだと信じていた。
大きくなったら私も海兵になりたいなんて、父や母に語った日のことが懐かしい。
だけど、そんな私の幸せは、漠然と思い描いていた未来は……本当にあっさりと壊れてしまった。
ある時島に海賊が攻めてきた。目的はもちろん略奪……小さいとはいえ海軍基地のある島に攻め込んでくるなんて、馬鹿な海賊たちだと……初めは町の人たちも笑っていた。
だけど、それはすぐに悲鳴に変わった。その理由は呆れるぐらいに単純だ。その攻め込んできた海賊が、この島に居る海兵たちよりずっと強かったと、ただそれだけの話だ。
町は瞬く間に火の海に変わり、私の両親を含めてほとんどの住人が殺された。私は母が咄嗟の機転で、床下の小さな保管庫に隠してくれたおかげで生き延びた。
果たしてどれぐらいの時間、暗い保管庫の中で体を小さくして震えていただろうか? 海賊たちだって馬鹿じゃない。
暴れ続けていれば海軍の援軍が来ることぐらい理解しており、町をある程度破壊して略奪を終えるとさっさと引き上げていった。
音が聞こえなくなってから私が保管庫から外に出て最初に見たのは、切り殺された両親の死体。次に見たのは、仲の良かった友達や知り合いの死体……フラフラと当てもなく彷徨って最後に見たのは、幼い私に「この島の人々を守る」と語った海兵の死体だった。
……結局……そうなんだ。いくら口で、立派なことを語ろうとも、そこに力が伴わなければ意味など無いのだ。
弱者の語る正義は、強者によって踏みつぶされるだけの無価値なもの……力なき者に、正義を語る資格なんてない。
とめどなく流れる涙を拭うこともなく、幼い私は地獄と言っていい光景を見続けていた。
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その後私は、孤児として世界政府の施設に引き取られた。そこは一種の養成施設も兼ねており、様々な教育を受けることができた。
私は自ら希望して、戦闘訓練を積極的に行った。幸い私には才能があったようで、それなりに期待され、数年の後には更に高度な戦闘訓練が受けられる場所……将来の特級エージェントを育成する島に招かれるまでになった。
その頃の私の心には大きな野望があった。弱者の語る正義に価値は無い……だから、私がなってやると、そう思っていた。
圧倒的な力を持った存在に、真なる絶対正義の体現者にと……そんな野望を……。
だけど、現実はどこまでも残酷に私を打ちのめした。たしかに私には才能があった。それは間違いない……なんなら、天才と呼ばれてもよかったかもしれない……そこが、世界政府という世界最大規模の組織の養成機関でなかったのなら。
初めは順調だった。いままでより桁違いに過酷な鍛錬にもしっかりついていけたし、六式と呼ばれる技術も少しずつではあるが確実に習得の兆しは見えていた。
六式を修め超人と呼ばれるようになれると……そう思っていた。だけど、このグアンハオという島に来て、数年が経つ頃には、いやがおうにも理解できてしまった。
『真に選ばれし者たちとの差』というものを……。
そう、いつしか気が付いた。明らかに、私たちとは進むペースが違う者たちがいることに……。
私が一歩進む間に彼らは二歩も三歩も進む。私が五歩進む頃には、その差は歴然と言っていいレベルにまで広がる。超人になりうる者たち、選ばれし才能、そのどれもが私の肩に重くのしかかった。
認めたくはなかった。私が彼らの領域には届かないのだと、認めたくなかった、才能があると……しょせん程度のレベルでしかないことを……。
だが、そんな僅かなプライドも、真の天才によって粉々にされた。稀代の天才と呼ばれるロブ・ルッチ……彼はまた、選ばれし者たちの中でも別格の存在だった。
絶対に私では勝てないと、そう理解した瞬間、私の心は折れてしまった。
弱者の語る正義に価値も意味もない……そして私は、正義を語る資格を持たない側だった。
結局私は三式を修めたところで、振るい落としによって訓練を打ち切られサイファーポールへの配属が決定した。仕方のないことだと思う。毎年新しい候補生はやってくるのだ。半端な才能をいつまでも鍛え続ける意味はない。
配属先が決まり、正式にCP5の一員となるころには、かつて私の中にあったはずの野望や熱意は燃え尽き、残っていたのは僅かな燃えカスだけだった。
CP5としての日々はそれなりに順調だった。腐っても三式使いである私は、CP5内では十分過ぎるほどの実力があり重宝されていた。
戦闘力で私を越えるのは、四式使いの先輩ぐらいだ。まぁ、この先輩は自尊心が高いというか、なんというか下を見て優越感に浸るようなところがあるので、個人的には好感の持てない相手ではあったが……。
まぁ、そんな風にほどほどに日々を生きていると、主官よりある指示を言い渡された。長い話を要約するとコネ採用で入ってくる相手の小隊に所属し、任務をこなせというものだった。
早い話がコネ採用の相手の実績作りを手伝えと、そんな感じだ。主官もかなり高齢で退職が囁かれていたので、次期主官候補だろうと予想はできた。
先輩は、なんというかコネ採用という部分に露骨に嫌悪感を抱いているようだったが、私としてはそこまで嫌とは思わなかった。
所詮世の中はそんなものだ。コネ人事である程度上の地位が約束された人物なんて、世界政府にも海軍にもいくらでもいる。私の日々に大きな影響があるわけでもないと、そう思っていた。
そうしてやってきたスパンダムという名の新隊長は、思った以上に鍛えているようで、体幹はかなりしっかりしているように感じられた。
凄みのような、戦える者の雰囲気は感じないのでスポーツかなにかをやっていたのかもしれない。少なくとも、想像よりはずっと動けそうな相手だと思った。
少なくともこれだけしっかり自分の肉体を鍛えているということは、それなりに努力家ではあるのだろうし、私個人としての印象はよかった。
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簡単な任務のはずだった。新人の隊長の指揮下での海賊の掃討作戦。海賊の規模は小さく、それこそ私ひとりでも十分に壊滅させられる程度のレベルのはずだった。
そう、コネ採用の実績作りという側面の強い任務のはずだった。
実際当初は思惑通り進んでいた。海賊の居場所は簡単に掴めたし、戦闘もスムーズに進んでいた。ただひとつ、その海賊団の船長の強さだけが大きな誤算だった。
「はーはっはは! どうした政府の犬ども! この程度か!!」
大きなダメージを負った先輩が倒れ、海賊の船長は勝利を確信したかのような笑みを浮かべる。私も足に力が入らず片膝をついて、肩で大きく息をしていた。
この船長だけ、他の海賊とはレベルが違い過ぎる。億も越えない海賊で、これほどの力を有しているとは、予想外過ぎた。
特に、手や体が黒くなる力……おそらく悪魔の実の能力だと思うが、それがあまりにも厄介だった。その状態になると先輩の指銃も私の嵐脚もまったくダメージを与えることができなかった。
正直もう、打つ手がない……私の持ちうる手札にあの鉄壁の防御を貫く術はなく、船長の男が剣を振りかぶるのが、まるでスローモーションのように見えた。
……あぁ、いままでと何も変わらない。私は弱くて、降りかかる理不尽に対してなにもできず蹂躙されるだけ。
幼い頃、海賊に町を焼かれた時から……結局、なにも変わってないじゃないか……。
心の中が絶望に染まり、私に向けて無慈悲な死の刃が振り下ろされた。
だが、その刃が私の体に届くことは無かった。スッと刃の軌道上に一本の指が差し込まれたかと思うと……男が振り下ろしていた剣は、まるでガラスでできているかのように容易く砕けた。
「――なっ!?」
男の驚愕した声が聞こえると共に、私の前に隊長が立つ。黒いスーツに包まれたその背は、最初に見た時よりもはるかに大きいような、そんな気がした。
「た、隊長?」
「……下がっていろ、あとは俺がやる」
呟いた私の言葉に、淡々とした声が聞こえた直後――空気が変わった。
まるで空気全てが鉛に変わったかのような、意識しなければ呼吸するのすら難しいほどの、全身が押しつぶされそうな凄まじい重圧。
それを誰が発しているのかは、すぐに理解することができた。
思った以上にしっかり鍛えている? 違う、これは、そんなレベルじゃない。
凄みのような戦える者の雰囲気は感じない? 違う、それはただ隊長が気配を抑えていただけ。
ほんの一瞬で理解した。私だけじゃない、青ざめた顔をしている海賊の男も……体が、本能が、魂が即座に理解した。
いまこの場において、強者と呼べる存在はただひとり、隊長だけ。私も男も、隊長がその気になれば、虫けらのように踏みつぶせる弱者でしかない。
ただ立っているだけで、空間が軋んでいるのではないかと思うような、他を隔絶した圧倒的な力の化身。それが目の前に佇む隊長だ。
ほんの少し抑えていた気配を表に出しただけで空間を支配した隊長は、静かな声で告げた。
「闇の正義を、執行する」
瞬間――全身が総毛立った。まるで落雷にでも打たれたかのような衝撃が、私の体を駆け巡った。
弱者の語る正義に価値も意味もない……なら、『圧倒的な強者が語る正義』には、どれほどの価値があり、どれほどの意味があるのだろうか?
分からない。だけど、理解した。いま目の前に存在しているのが、私の夢見た理想……あらゆる理不尽を、あらゆる不条理を粉砕する絶対正義の化身。
顔が熱い、胸が高鳴り、目からは涙が流れてくる。私が辿り着けなかった頂に立つその背は、あまりにも力強く、どうしようもないほど眩しかった。
そして私の目の前で、隊長は闇の正義を執行する。
海賊の男は両手を交差させその手を黒く染める。先輩や私が歯が立たなかったあの力だ。それに対して、隊長は人差し指を立て……。
「指銃」
そう一言呟き、それですべてが終わった。
交差させた腕、男の体、その背にあった船の帆柱……そのすべてにコインのような大きさの穴が開いていた。まるで、隊長が指さした先の空間が削り取られたかのような、そんな光景だった。
これが、指銃? なんて、なんて、凄い……なんて圧倒的な……。
ドクドクとうるさいぐらいに心臓が脈打つ。そして同時に、心の中に残った微かな理性が訴えてくる。「それ以上見てはいけない」と……。
強すぎる光は目を焼く――分かっている。私にとって、隊長という光は、あまりにも強すぎる。これ以上隊長を見続ければ、私は狂ってしまうだろう。
ソレが分かっていたからこそ私は、心の中に微かに残った理性を己の意思で消し飛ばし、隊長の背を見続けた。
そんな私の視線を受けながら、隊長はゆっくりと振り返りながら告げた。
「任務完了だ。遺体は船長のものだけあればいいだろう、それ以外は船ごと沈めて帰るぞ」
「……は、はい」
高鳴る胸の鼓動を感じながら、私の心には強い決意と渇望が宿った。強くなりたい、私が焦がれる絶対正義の化身の傍に居るために、強くなりたい。
そのためなら――なにを犠牲にしてもかまわない。私にとっての絶対は、隊長だけでいい。
その日、私の心は……昼の空を塗りつぶすほどに輝く漆黒の太陽に焼かれ――自ら望んで、心に狂気を宿した。