whiter than white(PSYCHO-PASS) 作:鈴夢
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4人で語らい、気づけば40分が経過していた。すると、舞子は状況を見計らって、夫へと声をかける。
「…お手洗いに行ってもいい?」
「あぁ、勿論だ。
――少し席を外させて…」
「よかったら私も行きたいし、私と一緒に行きましょ?」
舞白ら席を立ち上がると、同じく舞子もイグナトフに支えられ、ゆっくりと席を立つ。すると慣れたように、舞白は舞子の半歩先に立つと自分の左腕を、舞子が掴みやすい位置につける。
「肘、掴んでください。」
「…ありがとう」
手馴れた誘導に、イグナトフは何も伝えることはないと察すると、2人の背中を見送る。そして再び腰を下ろせば、宜野座に視線を戻す。
「驚いた。視覚障害者の誘導方法を知っているとは」
「素は"あけすけ"で大雑把な人間にも見えるが、何でも知ってる常識人だ。実際、頭のキレの良さは俺よりも良い」
天真爛漫で童心を忘れないような快活な人物ではあるが、宜野座の言う通り、何だかんだで常識人。それはイグナトフも微かに感じている事だった。何も考えていないようで、しかし所作の一つ一つに育ちの良さを感じていた。
イグナトフはコーヒーに口をつけると、カップをテーブルに戻し、宜野座へと視線を向ける。2人になった貴重なタイミングで、何となく気になっていたことを口にする。
「奥様は歳も一回りも離れて、それに病を抱えてる。そして外務省の過酷な職務。…心配にはならないのですか?」
外務省行動課。公安局刑事課よりも過酷で危険だということはイグナトフ本人も理解していた。唯一、国内で銃火器の携帯を許され、メインは国外の危険な任務。行動課に関しての情報はそれくらいしか掴んでいないものの、自分と同い年、そして女性という立場で危険な任務を日々担う…。
舞子もかつては徴兵され、危険な戦地へと赴いていた。しかし、それは勿論、当の本人も夫であるイグナトフも自ら進んで希望していた訳では無い。
しかし、目の前の夫婦はそれを容認。いつか突然死ぬかもしれない危険な状況に互いに身を置くのは理解し難い事だった。
宜野座はイグナトフの率直な質問に口角に弧を描く。フッとした笑みを相手に向けると、手元のコーヒーカップにそっと手を添える。
「もう、その次元は越えたさ。俺が止めたところで、あいつは大人しくじっとするような奴じゃない。」
「……死と隣り合わせでも、ですか?」
生温くなったコーヒーに口をつけると、宜野座はふと昔のことを思い出した。
昔から曲がらない性格の舞白。槙島によって親友を爆弾でバラバラに殺された事。シーアンで再会した時、互いに銃口を向けあったこと。兄に必死に食いつく姿、ボロボロに傷ついても諦めない根性。自分が正しいと思うこと、諦めたくないことは、どんなに自分が止めても彼女は決して聞き入れなかった。
実際、それで何度も死にかけたこともある。それによって腕を失い、病も悪化し、5年生存率は低いとも医者からハッキリと言われていた。
自分は、彼女が"成すべきこと"を実行できるように信じ続けること、必要であれば自分が救いあげる――
「俺は、妻に銃口を向けたこともある。…信じ続けることが怖くなって、いっその事、自分の手で殺してしまおうかと、手をかけそうになったこともある。」
「……………」
思いがけない言葉に慮外し、眉を微かに顰める。
「言葉の通り、妻は毎日が死と隣り合わせだ。…毎日、妻と顔を合わせる度"今日も生きてる"と、密かに安堵してる。」
視線をコーヒーカップに落とすと、何か思いに耽けるよつな、無表情に近い顔をしていた。幼少期から知る舞白の姿は、決して宜野座の頭の中で霞むことはなかった。どんな時も、無邪気に、天真爛漫に笑うその姿は、負の感情を掻き消す。
コーヒーカップから再びイグナトフへと視線を向ける。
「勘違いはして欲しくない。俺も妻も、生きることを諦めているわけじゃない。…ただ、俺は――」
ギュッと膝に置いていた拳に力が入る――
「――いつか、その寿命が訪れた時、…悔やむこと無く死んで欲しい。成すべきことを果たせたと。俺はそう思ってる。…"そう思うようにしている"――」
無常を見ぬいた隠者のような心の様子を浮かべる。吹っ切ったような、諦めに近いような、哀し気な表情。
"そう思うようにしている"
恐らく、目の前のこの男の本心では無い。イグナトフはそれを分かっていた。
同性だからだろうか?同じように、病を患う妻を。過去に悲惨な経験を持つ、同じような境遇を持っているからなのかは分からない。しかし、彼の目は見れば分かる。どうしようも無い程に、心の髄にまで怯えを持っている気がしていた。
「……そう…ですか。」
何も言えるような立場では無い。今後、これ以上相手に踏み込むこともないだろうし、馴れ合うこともない。自分が"それ"を口にする必要性はないだろう。そして、彼にとって、きっと禁句だ。
イグナトフもコーヒーに口をつければ、この事について、それ以上聞き出すことは止めておこうと、思いを胸の中にしまう。
何となく重苦しい雰囲気なった事に、宜野座は小さく笑みを零せば、話題を転換しようと再び口を開く。
「にしても、この時期に丸一日休みとは…刑事課の人手不足は解消か?」
「……刑事課の人手不足は慢性的だと聞いてます。例外なく、今も人手不足は深刻…」
宜野座は相手の誤魔化すような表情に気づくと、面白そうにクスッと笑えば、少し鎌を掛けてやろうと企む。
「あの"霜月課長"を困らせる新任監視官。企業、各省庁からクレームが絶えないらしいが…、さては何かやらかしたか?」
宜野座の予想外な言葉に、コーヒーを喉に詰まらせ、噎せ返るイグナトフ。"失礼…"と呟き、ハンカチで口元を隠すと、その表情は深刻だった。
「その様子だと、"停職命令"だな」
「……((…何故分かった…))」
「俺が監視官だった頃、頭に血が昇ると無茶をする同僚がいてな。…あまり無茶をするなよ?先輩からの助言だ、…後で後悔するのは自分だからな」
宜野座の余裕気な、全てを見透かすようなその表情に、ほんの少しだけ"イラッ"とした様子を向けるイグナトフ。実際、体術でも力の差は歴然だった事を思い出すと、余計にその気持ちは膨れ上がる。
その瞬間、カフェの出入口の方から舞白達の姿が現れたことに気づいた宜野座。最後の最後にと、イグナトフに言葉を放つ。
「薬師寺の関係者への襲撃、裏にいるのは廃棄区画の人間。…事は政治絡みだ、あまり無茶をして、霜月を困らせるなよ?お前の相棒にもよく言っておくべきだ。」
"裏にいるのは廃棄区画の人間"
そのワードに、イグナトフは不服そうに眉を寄せ、宜野座に挑むような睨みをきかせる。
「この都知事選、まさか外務省も噛んで……」
「言っただろう?"国内の事案はお前達の仕事"だと。それに、そこまで手を回す余裕なんてないさ。…もし、それに手を回しているとすれば…」
近づいてくる舞白に視線を向けると、それに気づいたイグナトフは振り返る。
「数年前、妻が単独で茗荷谷の廃棄区画に入ったことがあってな。もし行き詰ったら頼ればいい……とは言っても、あと少しでこちらも忙しくなるから何とも言えないが…」
"もしくは、既に霜月に情報を流したか…"と呟く。
「……だからあの時…"榎宮"は――」
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"たった1人でこの場所に現れて、屈強な男たちをなぎ倒した"狼のような女"。あれは君たちのお仲間かい?"
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榎宮は確かにそう言っていた。
間違いない、狼のような女は――
「お待たせ〜!ちょっと女子トークしてて遅くなっちゃった」
"宜野座舞白"
…一体、どこまで、彼女は知り尽くしているのかと。爛漫な笑顔からは想像できない計り知れない彼女の顔の多さに、イグナトフは息を飲む。
舞白と舞子がテーブルへと戻ると、舞子は嬉しそうにイグナトフの腕を掴む。
「ねぇ、あなた。今度は我が家に2人を招待したいの」
ウキウキと、声が跳ねる舞子。
どうやら舞白と、この短時間の間で、より親密な関係性になれたらしい。
「舞子さん、料理で一切フードプリンター使わないんだって!得意な郷土料理、今度作ってくれるって約束したの」
視覚障害があるにもかかわらず、自宅では故郷の味を作るために、一切フードプリンターに頼らないらしい。ぜひまた今度、自宅に招きたいと舞子からの提案だった。
「それに、イグナトフさんには貸しがあるので…。忘れてませんよね?小宮カリナのサイン♪」
「…………」
霜月への口封じ。そして新たに、襲撃を助けたという貸しがあった。イグナトフは内心、"きっとサインの事など忘れているだろう"と考えていたが、どうやらしっかりと覚えていたようだった。
「それは楽しみだな。仕事が落ち着いたら、ぜひお邪魔させてもらおう」
「なっ……」
ニヤッと、舞白の言葉にも乗っかる宜野座に、イグナトフはキッと睨みつける。しかし、ここでもし強く言い返せば、もはや停職中だとバレてしまっている相手に、何を言われるか分からない。宜野座がそんなことを意地悪く言うはずは無いが、イグナトフは警戒している様子だった。
「決まりね?連絡先も交換したし、予定がわかり次第、いつでも待ってます。」
しかしその反面、舞子の嬉しそうな様子にイグナトフは肯定的な思いも浮かべていた。こんなに嬉しそうな妻を、そして友人さえ居なかった妻が、連絡先まで交換したと話しているのだ。
目の前の2人が、外務省の人間だからと言っても、この時間でどんな人物なのか、ある程度理解出来ていた。多少危険な匂いはするものの、根は普通の人間。それに、自分たち夫婦にとっては、恩人と言っても過言では無いのだ。
妻の嬉しそうなその姿が、全てを物語っていた――
「これからも、よろしくお願いします。宜野座舞白さん、伸元さん。」
屈託のない笑顔。
宜野座と舞白は顔を見合せ、互いに笑みを浮かべていた。
宜野座もまた、舞白にとって大切な友人ができたと考えていた。
少しでも、それが彼女の生きる糧になれば。ただ、危険な任務に追われ続ける日々だけでなく、彼女らしい、普通の人間らしく過ごせられるようにと、心の底から思っていたのだった。
滅多にないであろうこの奇跡、出会い。
それが4人にとって、千載一遇の幸運であってほしいと。
「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し、此処で逢うたが百年目。ですね?」
舞白の右手が、舞子の手を優しく包む――
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