whiter than white(PSYCHO-PASS) 作:鈴夢
※※Warning
前回の話と同じく
今回も劇場版最新作を匂わせる描写があります。
ネタバレNGの方はご注意ください。
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―――同時刻 首都高速道路
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雪は徐々に雨へと変わりつつある。
ライトアップされた都心の建造物群や庁舎は雨に濡れて妖しく光っていた。あっという間に積もっていた雪は生温い雨の温度で溶けていき、やはり都心での雪景色は夢の夢だった。
雨がふりしきる首都高速道路。外務省の車両を走らせる花城。
外はまだ闇に深け、艶やかな夜の景色が確認できる。
するとその時。発信者不明の通話が花城の元に繋がった―――
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「―――はい。どちら様?」
不思議とハンドルを握る手に力が籠る。このタイミングでの匿名の発信者、花城は警戒していた。
『前置きは無しにしましょう、外務省さん。……取引だ。』
"梓澤廣一"
直感で直ぐに分かった相手。
冷静沈着、低い声色。喜怒哀楽も何も感じないその声の持ち主。
「…応じるとでも?」
『あなたは見る目がある。素晴らしい部下をスカウトした。俺と同じでね。』
「舞白は飼い主を決して間違えない頭の良い子よ。」
皮肉混じりの言葉を放つ花城。
前置きは無しといいつつ口数の多い相手。何となく口車に乗せられるような、弄ばれるような相手の調子。自然と表情も曇っていく。
『―――過去に飼い犬に手を噛まれた経験があるあなたにとって、絶対的な信頼を置ける彼女はさぞ良い手駒でしょう。』
「何が言いたいの?挑発なら一切効かないわ。」
まるで全てを知っているかのような口ぶり。花城は脳裏に過去の事件を浮かばせる。
『良い話をしようじゃないか。花城フレデリカ。』
男は画面越しに不敵な笑みを浮かべていた―――
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―――地下駐車場
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駐車場端のコンクリートで造られた階段に腰掛ける慎導。その表情は真剣そのもので微かに疲れの色も感じ取れる。気だるそうに頭を抱え溜息を漏らす。そしてデバイスの先のイグナトフに口を開いた。
「――炯。今から梓澤をトレースしてみる。」
『分かった。ザイルを離すなよ。』
「ああ。決して離さない。」
『潜りすぎるな。絶対に。』
ザイルを握る人間が傍にいない中でのメンタルトレース。下手をすれば潜りすぎて戻って来れない可能性も否めない。しかし今こそ"あの男"を探る。梓澤廣一と言う人間がどんなものか。
「――はぁー……
――"雨が降っている――"」
ノイズ混じりの雨音が脳内に犇めく。
息を吐き、そっと瞼を閉じ、精神を研ぎ澄ませる―――
目の前に立ち、こちらをじっと見据える男が現れた。その顔は心情を読み取れないほど無に近く、瞳には哀しみすら浮かばれる。
梓澤廣一
あの男は一体何者―――
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雨が降っている―――
―――雨が降っている
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「((……ッ……父さん?))」
モノクロに染る過去の世界。
父の愛車の後部座席から見える景色。
助手席には幼い頃の自分。そして運転席に座るのは間違いなく父の姿だった。車のエンジン音だけが響く空間。
するとその直後、篤志のデバイスが鳴り響く―――
『どうもです。慎導さん。』
「"廣一"君か。遅れて悪いな」
『もしかして、お子さんとご一緒ですか?お邪魔だったり……』
助手席に座る幼い頃の慎導。
父親の篤志は口元に人差し指を添え"しーーっ"とジェスチャーを見せる。
「いや、私一人だよ。」
「((俺の記憶。梓澤が求めるものと……なんの関係が?))」
父親と関わりのあった梓澤廣一の事実。
後部座席から父親に手を伸ばしたその時、目の前の映像がコマ送りになるような現象が現れる。
車は真っ直ぐと一直線に走り続け、ノナタワー内部へと切り替わる。
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手を繋ぐ親子の姿。
それを後ろから追う慎導。
この場所が一体何処なのか……覚えは無い。
ノナタワーのどこかに隠された不思議な空間、なのだろうか?
親子は手を握りあったまま円盤型の大きな扉の先へと足を踏み入れる。
「―――お前を守るには……これしかない。」
地下施設に広がる異空間。
しかし黒いモヤがかかって全貌はハッキリと見えない。
「お前の記憶を封印する――」
「((記憶を……封印……))」
幼い自分は目の前の光景に目を奪われているのか一切動きを見せない。ただただ父親の手を強く握り締め、その光景に圧倒されているのか言葉さえ放たない。
「"彼らはそこに。みんな静かに立っている。――ぐっしょりと雨に濡れて……いつまでもひとつ所に"彼ら"は静かに集まっている。"」
篤志はとある小説の一文を口にし、傍らの息子に語りかけるように片膝を着く。
「"もしも100年が一瞬の間に経ったとしてもなんの不思議もないだろう。"」
そっと息子に手を伸ばし、包み込むように抱擁する。
「"……雨が降っている……雨が降っている。雨は蕭々と降っている……"」
篤志の胸に頬を寄せ、心臓の上に耳をつける幼い自分。その瞳は色をなくしているようにも見えた。
それをじっと、遠くから見据える人物。
獣の頭に覆われた人物……顔は見えない。
あれは誰なんだ――
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再び場面が切り替わる。
変わらず世界はモノクロだった。
「―――灼……無茶はやめるんだ。」
過去のイグナトフの姿がそこにあった。
髪色は彼の兄と同じ金の美しい色をしていた。
そしてその向かいに立つ過去の自分。背しか見えないがそれは微かに丸まっており弱々しさを感じてしまう。
「車に乗れば……父さんにメンタルトレースできると思ったのに何も視えない。何も分からないんだ……」
「いい事とは思えない。」
「忘れたくないんだ。あの時のことを。」
"あの時のこと―――"
2年前、2人の身に起こった出来事。
忘れるはずもない、今も尚追い続けている出来事。
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見覚えのある車。
駐車場の片隅に停められたその車。
運転席の側面の窓は小さな穴が空き、鮮血が飛び散っていた。
握られた銃。撃ち抜かれた頭。助手席には父と母、そして自分が写る家族写真が置かれていた。
慎導篤志、父は自害したのだ。理由は"分からない"。
そしてその時。あの人……常守朱は自分に言葉を投げかけた。
"真実"を見つけなさい、と――
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「灼。俺も居るんだ。俺たち"ふたり"でやろう。」
「――ああ。"真実"を突き止めよう。」
互いの瞳に龍った、か細い白金のような感情の輝線。
哀しみや絶望。苦しみ、嫌悪……それを打ち消すかのように2人の瞳には光が宿っていた。
「"俺は刑事になる"」
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「灼は潜るのが好きか?」
「うん。多分……」
プールサイドで肩を並べる慎導親子。
幼い息子に微笑みかけ、柔らかく温厚な口調であることを告げる。
「"アンテザード"にはなるなよ?」
「あんて……ざーど?」
「命綱無しで潜るダイバーの事だ。お前は決して、孤独を選んではいけない。必ず誰かに命綱を握ってもらいなさい。」
「――分かったよ。父さん。」
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「本当に…息子さんは奥さんの死に立ち会ったのですか?」
「何か問題が?」
「言い難いのですが……こんなケースは初めてで……。」
「どういう事です?」
「通常一時的に色相が曇り、やがて回復するのですか――」
実の母親の死。
そして息子の異変を告げる医師。
肉親の死を目の前にしたにも関わらず息子の色相はクリアカラー。その結果を目の前に、篤志に向けて医師は戸惑いながらも続けて言葉を放った。
「息子さんの場合。"色相そのものに全く変化がない"んです。」
「……色相に……変化がない……」
医師の台詞に体を固まらせる篤志。
"まさか"と。心当たりのあるその現象に苦しげに表情を歪めた。
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場面は再び父親の運転する車内へ。今度は助手席に知らない誰かが乗っていた。
しかし助手席に座る人物の顔は見えない。姿からして年老いた男性だろう。父親との様子を見る限り関係性は浅いものでは無さそうだった。
「――"免罪体質者"か。」
「はい。オフライン検査をした結果、全て該当しました。」
「シビュラに見つかるのも時間の問題だ。」
「御協力ありがとうございます。"コングレスマンのあなた"にしか頼めなかった。」
「構わないさ。」
助手席の男は妙に威厳と落ち着きを加えた声で篤志に言葉を返す。そして直ぐ、男は懐から何かを取り出すと篤志にそれを手渡す。
後部座席からハッキリとは確認は出来ないが1枚の写真を手渡したようだ。篤志はハンドルに手を添えたまま片手でそれを挟むとじっと見据える。
「――この子は?」
「君にこの娘の情報を渡しておこう。」
「……?」
男の意図が読めない篤志はただただ写真を眺めているだけだった。そんな不思議そうな様子を見せる篤志に男は再び口を開く。
「歳は灼君と同じはずだ。」
「……一体この少女が何なんです?灼と何か関係が?」
「この娘は―――灼君と同じ――――」
篤志の問に答える男。
しかし何故かノイズのような音が鼓膜を叩き何を話しているのか分からなかった。
ただ父はハッキリと言った。助手席に座る人物は"コングレスマン"だと。そして何故かその人物と関わりのある父。その男が手渡した写真。映る"少女"とやら――。
幼い頃の自分は後部座席でそれをじっと眺めているだけだった。
慎導は隣に座る幼き頃の自分に視線を落とす。子供ながらにして妙に落ち着いている自分の姿を。ただただ真っ直ぐと向かう先を見据える姿を。
そして再び、車はノナタワーへと走り向かう―――
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「――灼。これがシビュラシステムだ。この世界の真実だ。」
トレース直後に見た異空間。
自分は再び訪れたその場所に訪れていた。
さっきは黒いモヤが掛かり、"シビュラシステムの正体"というものが何なのか分からなかった。
しかし今回は違う。自分の目の前にそれはハッキリと現れる。
人間の脳がひとつひとつ箱に収められていた。水槽に浮かぶ脳。辺り一面にそれは収められており、いったい幾つあるのかさえ想像できない。
無数の小さな正方形の水槽に収められた人間の"脳"―――あれが"シビュラシステム"の正体だと……
「灼。お前にはあれになる資格がある。ただし"人ではなくなり父さんとはもう暮らせない。"」
「嫌だ……嫌だよ!父さん!」
父の手を強く握り、必死に拒否する幼い自分。その時の感覚がだんだんと蘇ってくるのだ。
恐怖に戦く、蒼く曇っていく顔色。必死に懇願するように父の手を更に力強く握る。その幼子の背後で、自分は目の前に広がるシビュラシステムの真実を見据える。
自分は知っていたんだ。この目で―――
「((俺は"見たんだ"。シビュラシステムを――))」
その空間の先に佇む、獣の頭をした人物。
今まで何度も潜った時、必ずその人物は何かを自分に暗示するかのように現れていたのだ。
「……どうか一人の人間として。"慎導灼"として生きてくれ。」
獣の頭を被った人物の顔が露わになる。
それは"慎導篤志"だったのだ。
「どうか……生きてくれ……。灼。」
父の手が自分の頬へと伸びる。
穏やかに微笑んでいるように見えるのに、目には哀しみの色が映っているように見えた。
「灼……真実を―――」
「!?父さん!!!」
視界の先にいた父は消えた。
そして代わりに、真横に人の気配を感じる。
「((―――梓澤ッ……!))」
自分の隣で同じ光景を見据える梓澤。
法悦の笑みを浮かべているも感情は一切読めない。ただただ無言でそれを見続ける男の姿は異様なものだった。
「((……梓澤廣一…………あなたの目的は―――))」
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音を立てて海面に落ちるような感覚。
冷たい水に体は覆われ、海鳴りの音が遠くへ遠くへと聴こえる。
「((――まずい……潜り過ぎた――――――))」
深く―――深く―――
真っ暗な底に堕ちていく―――
現実世界から切り離されるような不思議な感覚―――
光は失われ、手を伸ばしてもそこには誰もいない。
ザイルパートナーであるイグナトフの姿も……誰もいない。
「((誰か…………手を―――))」
指の先まで伸ばし続ける。
ふと意識が手放されそうになったその瞬間。手を伸ばす先に再び白い光が現れる。
そして同時に、水中音の籠った音とともに女性の声が鼓膜を叩く。
『―――みんな静かに立っている。ぐっしょりと雨に濡れて、いつまでもひとつ所に"彼ら"は静かに集まっている―――』
落ち着いた声色。姿は見えないが澄んだ透明の声が幼子に本読みをするようなトーンで言葉を続ける。
「((この声……誰…………聞いたこと……))」
聞き覚えのある柔い声。
しかし今度は打って変わって男性の声へと変化していく。
艶っぽい妖しい声色。
まるで美しい風貌の男性が想像されるような神秘的な声だった。
堕ちていく最中、慎導は瞼をゆっくりと持ち上げる。自分に手を伸ばす人物が薄らと視えたのだ。
「((あれは……舞白さん……?じゃない……。――同じ白銀の髪を持つ……男―――))」
以前、舞白をトレースした時に感じた気配。
彼女の背後に付きまとうように現れた"白銀の男"。その人物も同じように本の一節をていねいに読み上げるように台詞を零した。
『もしも100年が一瞬の間に経ったとしてもなんの不思議もないだろう―――』
「((舞白さん……そして彼女の背後にいた男…………この声は―――))」
その男は口元に妖艶な笑みを浮かべ、細く華奢な指を伸ばした。
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「雨が降っている……雨が降っている。雨は蕭々と降っている。」
「ぅ…………あ……」
メンタルトレースから醒める慎導。虚ろな目で声の持ち主である人物にゆっくりと視線を向ける。ぼんやりと歪む視界。微かに映る白銀の髪の女性。その人物は慎導の頭を膝に乗せ、じっと見下ろしていた。
「ぐ……」
「慎導監視官……慎導監視官?」
「なんで……あなたが……」
「よかった、間に合ったみたいですね。」
ホッと安堵のため息を漏らす。
視界の歪みは消え、自分を見下ろすその人物が宜野座舞白だと気づく。
「雨は止んだ……雨は止んだんです。」
「っ!?」
彼女が口にした台詞に大きく目を見開く。
まるでその場に父やイグナトフが居るようだった。"その言葉はその2人からしか発せられたことの無い一文"。それを何故、彼女が口にしているのか訳が分からなかった。
「大丈夫ですか?」
「あっ……いや……大丈夫。それよりなぜ……あなたがその言葉を……。」
ぼんやりする頭を抱えながらゆっくりと体を起こす慎導。舞白もその場に座り直すと微笑を浮かべその問いに答えることに。
「三好達治の"大阿蘇"ですよ。私、本を読むのが趣味なので……」
「そういう意味じゃないです。それを口にしたあなたは……何を――」
慎導の追求を誤魔化すように舞白は人差し指を立て彼の口元に添える。その行動にハッと肩を揺らすと真剣な彼女の眼差しに心奪われるようだった。
「命綱です。"孤独を選んじゃいけない。あなたの命綱は絶対に離さない"――」
父の言葉だ。
今目の前にいる白銀の女性は間違いなく父と同じ台詞を口にしているのだ。
「舞白さん。あなたは……、あなたは本当に―――」
刹那、慎導のデバイスが鳴り響き言葉を遮る。
相手はザイルパートナーのイグナトフだった。
『大丈夫か!?灼!』
「炯…」
『よかった、間に合ったみたいだな。』
「間に合ったって…どういうこと?」
『霜月課長はお前と行動を共にするように舞白さんに指示を出したんだ。……それで、お前が潜り過ぎた可能性を考えて俺が彼女に助けを求めた。』
「………ん」
慎導の視線が傍らの舞白に向けられる。
彼女は変わらず薄らと笑みを浮かべ視線を落とす。
多くを語ろうとしない、まるで隠そうともしている彼女の様子。慎導は聞きたいことを心の中に収め、デバイスに映るイグナトフへと視線を移した。
「ありがとう。炯の判断と舞白さんの行動で俺は命綱を握り返すことが出来た。」
『全く。お前は相変わらず無茶ばかり。あれだけザイルを手放すなと言っただろう?』
「ごめんごめん。……それと、潜って分かったことがあるんだ。」
舞白の視線とイグナトフの視線が慎導へと集中する。
「―――梓澤のゲームの終わらせ方が分かった。」
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―――首都高速道路
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「我々は犯罪者と取引はしないわ。」
『犯罪者かどうかを決めるのはシビュラだ。俺はアンタらが欲しい"ネタ"を山ほど持ってる。』
「必死ね?」
『とてもいい取引だよ?簡単な事さ。――脱出の手伝いをして欲しい。』
まさかこの状況で"脱出の手伝い"を求められるとは。有り得ない。そもそもこの男を捕らえるために刑事課と行動課が共同捜査を実施するほどに大きな事案だ。
この男の余裕気な発言、馬鹿にされているとしか思えない。
「"不可能"よ。それにうちの部下を上手いように使ったあなたに、私は心底怒りがあるわ。」
『上手いように……って、彼女自身が選択したことだよ?それに俺は直接誰かを傷つけたことの無い善良な市民さ。で、あんたらの本命はオレじゃないだろう?』
「……聞く限り、大した相手じゃなさそうね。」
『ビフロストだけじゃない。"海外に残るピースブレイカーの残党"。その情報を全て渡す。』
「…………」
喉から手が出るほど欲しい情報。嘘か誠かは分からない。だがピースブレイカーというワードを耳にするだけで花城は心が揺らいでしまう。
『彼らが存在する限り再び国内テロが起こる。行動課がしてきた全てが無駄になるだろう。――それに、あなたが復讐したい相手のハズだ。』
「……何が言いたいの。」
『上官に恩師……その次は……あなたの可愛い部下が犠牲になるかもしれない。』
「――ッ……」
無意識にハンドルを握る手に力が入る。
足元は忿怒にふるえ、目尻は険しく釣り上がる。
体全体が怒りに震えているようだった。
怒りの感情の他にも心の中を掻きむしられるような激しい焦燥を感じる。
唇に滲む赤い血。
苦しげに眉を寄せ、花城はついに口を開いた。
「――逃亡先の希望は……?」
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――地下駐車場
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メンタルトレースのダメージを受け、未だに調子が戻らない慎導。傍らに腰を下ろし、その横では心配そうな面持ちで彼の様子を伺う舞白。
長い沈黙が続いていたその時、2人のデバイスが同時に鳴り始める。
『課長、監視官、舞白さん。梓澤が外の誰かに連絡をとっています。内容は聞き取れません。』
雛河の声。
そして通信は全員に繋がれていた。
『外部?仲間が外にいるの?』
『それが……発信先の特定はできなくて。どうにか探ってはいますが妨害されています。』
『チッ!!何なのよ本当に!せっかくここまで来たのに……外から増援なんてされたらキリがないわ。』
霜月の悲痛な言葉と声。
まさか他にも仲間がいたなんて、と表情を歪ませている光景がデバイス越しで確認できた。オーバーなリアクションだが気持ちは十分に分かる。次から次へと起こるトラブルに頭を抱えるのは当たり前だった。
するとその時、普段よりも落ち着いたトーンで舞白が口を開く。
「――その相手は花城課長だと思う。」
『はぁ?どういうこと?』
「あくまで憶測に過ぎないけど……心当たりがあるの。」
『心当たり?説明しなさい、舞白。』
全員の視線が舞白へと傾く。
半ば申し訳なさそうな表情で眉を顰め、小さく息を漏らした。
「……梓澤は何かと引き換えに自分に優位になる交渉してると思う。このビルからの脱出、最悪国外逃亡も有り得る。少なくともピースブレイカーの残党を雇っている時点で私はその可能性は考えた事があるの。」
『まさか……引き換えって…ピースブレイカーの情報?』
「うん。その可能性が高い。それを聞き入れる可能性があるのは課長しかいない。」
梓澤の最終手段、最後の手札だろう。
自分の握っている情報と引き換えに駆け引きを行っている。もしそれがピースブレイカーに関わることであれば課長の花城は受け入れる可能性は十分にある。
予想外の横槍の可能性に全員が絶望の淵に立たされる。
「そっちは……ッ……任せてください。舞白さんと一緒に対応にあたります。…う…ッ…」
『大丈夫か?灼』
「平気。少し休めば……。……ッ……」
腕で口を覆い咳き込む慎導。そんな彼の背中を摩り、指揮官である霜月の言葉を黙って待ち続ける。
『任せていいのね?慎導監視官。』
「……はい。」
躊躇なく返事をする慎導。対し霜月は固唾を吞んでいるような真剣な色が表れていた。
その瞳はデバイス越しの舞白に向けられ、落ち着いた真剣な声で向き合う。
『舞白。あんたは花城側……外務省の人間。それに彼女は上司でもある。相反する慎導監視官と行動を共にするということは……分かってるわよね?』
はっきりと口にはしない。ただ霜月が言いたいことは分かる。"裏切るな"と。遠回しに言われている気分だった。
親友と言えど省庁や上官の都合が絡んでいるこの件に関して、さすがの霜月も警戒心を張り巡らせていたのだった。
「大丈夫。私と慎導監視官は同じ事を考えてる。目的は同じだよ。」
「……舞白さん。」
突っ伏していた頭を持ち上げ、真横の舞白を見上げる。
ひょうきんな天真爛漫な少女らしい面影はなく、ただただ真剣そのものの顔をしていた。
彼女の瞳はまるで白雨打たれたかのような艶を放っていた。その奥底から嘘偽りは感じられない。澄んだ真実の瞳を目の前に慎導は決意の視線を向けると小さく頷く。
「俺たちで梓澤廣一を必ず捕まえてみせます。」
「はい。必ず――」
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雨が降っている――
――雨が降っている――
雨の中に馬がたつてゐる
一頭二頭仔馬をまじへた馬の群れが 雨の中にたつてゐる
雨は蕭々しょうしょうと降つてゐる
馬は草をたべてゐる
尻尾も背中も鬣たてがみも ぐつしよりと濡れそぼつて
彼らは草をたべてゐる
草をたべてゐる
あるものはまた草もたべずに きよとんとしてうなじを垂れてたつてゐる
雨は降つてゐる 蕭々と降つてゐる
山は煙をあげてゐる
中岳の頂きから うすら黄ろい 重つ苦しい噴煙が濛々とあがつてゐる
空いちめんの雨雲と
やがてそれはけぢめもなしにつづいてゐる
馬は草をたべてゐる
艸千里浜くさせんりはまのとある丘の
雨に洗はれた青草を 彼らはいつしんにたべてゐる
たべてゐる
彼らはそこにみんな静かにたつてゐる
ぐつしよりと雨に濡れて いつまでもひとつところに 彼らは静かに集つてゐる
もしも百年が この一瞬の間にたつたとしても 何の不思議もないだらう
雨が降つてゐる 雨が降つてゐる
雨は蕭々と降つてゐる――
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