whiter than white(PSYCHO-PASS)   作:鈴夢

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whiter than white

 

 

 

 

 

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公安局ビル襲撃事件から約2ヶ月――

――所沢矯正保護センター

 

 

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2年前の事件をきっかけに長らく収監中の常守朱。

舞白と同じく、窓ひとつない部屋で過ごしていた。

 

いつもと変わらない景色、いつもと変わらない紅茶の味。そんな彼女はソファに腰掛けマグカップを片手に天井を見上げていた。

 

 

気掛かりなのは同じく収監されている舞白の事だった。収監されたその日に、常守はその事実を把握していた。

 

舞白の収監。事件に乗じて強行されたその行いに当初は苛立ちを見せていたが"意外"なシビュラのその選択と行動に憎みきることは出来なかった。

 

彼らなら更に横暴な強硬手段を取っていた可能性は十分に考えていた。自分たちの知らないところで舞白の脳髄を取り出していた可能性だって有りうる。かつて、槙島聖護を極秘に手に掛けようとしていた彼らなのだから――

 

 

 

 

 

 

『御機嫌よう。常守朱。』

「……どうしたの?いきなり。」

 

突如始まるシビュラとの会話。

常守はゆっくりと頭を起こし真正面に視線を向ける。

 

 

『あなたと話したい事があります。』

「珍しい。……その話って、もしかして宜野座舞白の事?」

『はい。その通りです。』

 

常守の予想は的中した。

何故かは分からない。ただシビュラの求めている対話を何となく予測していた。

 

 

『――宜野座舞白。彼女はあなたにとって"どのような人間"ですか。』

「唐突ね?何を企んでいるの?」

『何も。ただ、あなたに"再確認"したいのです。』

 

淡々と機械的な抑揚のない声色で彼らは問いかける。

"宜野座舞白"という存在は、常守朱にとって何者なのか。

 

それはまるで"この世界にとって彼女がどこまで有益になるか、もしくはその逆か"――常守朱自身の見解を見極めようとするシビュラの台詞に微かに常守にも緊張の色が浮かぶ。

 

 

 

 

 

「"従来の人類の規範に収まらずイレギュラーな人格の持ち主。いたずらに他者に共感することも情に流されることも無く、人間の行動を外側の観点から俯瞰し裁定できる才能を持っている。計り知れないパーソナリティ、免罪体質。"――――

 

なんて、分かりきった答えをあなた達は求めていないわね。」

 

『――愚問です。』

 

"そんなことは誰しもが分かっている"、下らない答えだと言われているような返しに常守は微かに余裕を込めた笑みを見せた。

 

 

「彼女は……そうね。精神面でも肉体面でも並外れた力を持ってる。知能も高くコミュニケーション力も高い。物事を本質的に捉える洞察力に秀でて、長期的な視点で考えることが出来る。」

『"賢者"が兼ね揃えている一般的な思考能力。という事ですね。』

「ええ。」

『…………』

「だけど同時に"愚者"の面も持っている。私はそう考えてるわ。――そして私と同じ答えを出すのは彼女の唯一の血縁者である狡噛慎也。きっと彼も同じ事を言うでしょうね。」

 

 

マグカップを口元へと運び喉を潤す。喉を伝う紅茶の味がやけに濃く感じていた。ふと彼の名前が出たことに自分自身も驚いていた。しかし、咄嗟に出たその言葉こそが本音なのだろう。

 

きっと狡噛慎也も同じことを口にするはずだ。

 

 

『――愚者はその名の通り"愚か者"。通常の知性や理性を備えていないために、劣等な者として一般に排除の対象となる存在――彼女はそうであると?』

 

「いいえ。通常の思考回路を経ない言動と行為が有るからこそ、かえって理性に隠蔽されることなく人間本来の"霊能"、弾力的な"発想"、強力な"挑発力"を発揮することができる。愚者は世の中の道徳律にしばられることなく愚行を容認され、窒息状態にある日常的理性を解放する。……私はそれが言いたかったのよ。」

 

『――成程。』

 

 

機械的な"成程"という言葉に微細な彼らの本音が聞こえてくる。まだ半ば納得していないような一言に対し、常守は悪魔的といえるような挑んだ表情を眼に浮かべ、彼らに言葉を尖らせる。

 

 

 

「そして彼女は何より"清廉潔白"で白よりも白い。誠実無実な聖人でもあり同時に罪人にも成り代われる存在。」

『…………』

「これが私の答えよ。私にとって、彼女はどこまでも白い"普通"の女の子。彼女の天真爛漫な笑顔を見れば分かるでしょう?あの裏に、普通の少女らしい秘密も隠し持ってる。"普通"なのよ――

 

 

誰も知りえない。計り知れない。どんな膨大な計算をして彼女をプロファイルしたとしても未知数の可能性を秘めている。聖人であって罪人、普通であって異常。誰もその彼女の白さを追求することはできない。そういうことでしょう?シビュラシステム。」

 

 

『――面白い。』

 

 

間を置いて彼らはそう答えた。

その機械的な声の裏で、僅かな感情が垣間見える気もした。

 

 

「……私に対しての問いはそれだけ?」

 

『いえ。後は慎導灼について。――慎導灼が我々の外で生きていくことを予想していたのですか?』

「さあ、それは彼次第だった――」

 

 

次々と投げかけられる彼らの問い。

先程と変わらず、常守はそのままの意見を口にした。

 

 

「ところで、彼のオプションは検討したの?」

『システムを一般公開する際、彼"ら"を橋渡しとする件は検討済です。』

「私が言っているのは"法が彼の命を保証するということ"。同じようにシステムが公開された時、法があなた達を守るはずよ?同時に縛りもすると思うけど――――"彼ら"……?」

 

 

自分の意見を述べたあと、ふとシビュラの発した言葉に疑問を浮かべる。言葉の辻褄にズレが生じた感覚に常守は不思議そうに微かに首を傾げた。

 

 

 

『――常守朱。これより、あなたの望みとは別にある程度の自由を与えられることになりました。』

「……え?」

『同時にあなたが思う宜野座舞白の見解を聞き、彼女に対する膨大な再計算がたった今終了しました。我々はあなた達の行く末を信じてみようと思います――』

 

 

 

 

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――二十四節気 七十二候

――――――"桜始開"

 

 

 

 

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満開の桜が雲ひとつなく晴れ上がった空を背景に、時折花びらを散らせてくる。枝々に桜の花が白い渦のように咲き溢れるその光景はまるで夢物語の中に居るようだった。

 

 

 

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「――奇遇だな。」

「アレっ……宜野座さん。」

 

 

 

ホログラムではなく、本物の花を取り扱う貴重な小さな花屋。郊外に佇むその店でたまたま再会を果たしたのは宜野座伸元と慎導灼だった。

 

相変わらず矯正された美しい宜野座の姿に慎導は不覚にも見惚れてしまうほどだ。……何故だろうか、心做しかその表情は穏やかだった。その表情が彼の美しい顔をより際立たせているのかもしれない。

 

 

「お久しぶりです。お変わりなさそうで良かった。」

「君もな。」

 

スーツにトレンチコート。義手を覆う革のグローブ。その腕に抱かれていたのは可愛らしい色でまとめられた花束だった。

 

 

「へぇ〜!桜にスイートピーにバラ……フリージア。可愛らしい花束ですね。」

「久しぶりに部屋に飾ろうと思ってね。"妻"が好きなんだ。」

 

宜野座の言葉に目をまん丸と大きく見開き、頬を綻ばせる慎導。全てを理解した慎導は徐々に嬉しさを顔一面に浮かばせた。

 

 

「そういえば"今日"でしたね。」

「……ああ。そうなんだ。」

 

 

宜野座の表情が明るい期待に彩られる。その表情は初めて目にしたものだった。この人がまさかこんな柔らかな表情を見せるなんて。

 

世の中にこれ以上嬉しそうな表情はあるまいと思われるほど、ぱっと顔を輝かす。

 

 

 

 

「ところで、君も花を?」

「ああ〜、はい!相棒の家に行くので奥さんに手土産にっと……。そうだ!良かったらこの後、少しだけ歩きません?時間が大丈夫であれば――

 

 

 

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桜舞う小道を2人は肩を並べて歩く。

郊外ということもあり人気も少なく、伸び伸びと2人は語り合っていた。

 

 

 

「――刑事の息子が今は外務省にって…どんな感じなんですか?」

「親父の気持ちが分かったよ。あの人も刑事であり続ける為、執行官になった。もう引退して、今は気楽に過ごしてるがな?」

「……目的と立場……どちらの為でしょう?」

「目的さ。立場を守る人間にろくな奴はいない。――昔の俺だ。」

 

 

慎導はチラッと横目で彼の顔を確認した。ほんの少しだけ、過去を疎むような微かな陰に感づく。

しかし慎導は真っ直ぐと自分の気持を口にした。

 

 

「だけど今のあなたは違います。奥様とお父さんの為に、その目的の為にあなたは行動してる。その結果がきっと今に繋がったんです。大切なのは今あなたがどう考えているかですよ。」

「……さすが特Aメンタリスト。説得力があるな。」

「へへへ〜、そうですかね……?」

 

片手を後頭部に当て、呑気に笑みをこぼす。

 

 

「君も目的を失うなよ?」

「大丈夫です。」

 

宜野座は足を止め、彼の顔を見据えた。"大丈夫"と口にした彼の表情。そこには芯の通った凛とした色が浮かぶ。

 

 

「――最初に会った時よりいい顔だ。」

「宜野座さんこそ、とてもいい顔をされていますよ。」

 

 

向かい合う2人。互いに視線を向け合う2人の姿が桜舞う吹雪に揺れていた。

 

 

 

「……あ、そうだ。もう1つ教えてください。」

「ん?」

 

 

「舞白さんは……宜野座さんにとってどんな人物なんです?」

 

あえて夫婦としてでなく"舞白と宜野座"という固有名詞で問う。慎導は知りたかった。狡噛舞白という人物をそばで見てきた彼にら一体彼女はどう映っているのか。

 

そんな彼の言葉の意味を理解した宜野座は朗らかで穏やかな笑みを零し、どこか恥ずかしそうな、むず痒い感情を露わにしたような……形容できない程に"愛おしい"と表しているような表情を向けた。

 

 

 

「――"海"。……海のような女性だ。」

 

 

宜野座の脳裏に浜辺に佇む舞白の姿が思い浮かぶ。

 

 

「……海……ですか。」

 

 

宜野座の優しい声。その声色から読み取れるもの、間違いなく彼は本心でそう口にしている。

 

「色んな意味で汲み取れますね。…だけど…なんだか分かる気もします。」

 

 

海のような人。世間一般的にもよく使われるような例えだ。だが、宜野座が言う"海のような――"というのはそのようなよくある一般的な意味では無さそうだった。

 

広く続く地平線、海は時に荒く、優しく、全てを覆う力さえも持つ。朝の海、昼の海、夜の海。月明かりに照らされた海、透き通った青い海、白海―――

 

大昔の有名な映画に"女の心は海のように秘密がいっぱい"なんて台詞もある。

 

様々な彼女の姿が想像できた。

 

 

 

慎導はそんな宜野座を見つめ、ほんの一瞬その視線を落とすも直ぐに笑みを浮かべ口を開く。

 

 

 

「また、奥様に会えることを楽しみにしてます。……"舞白さん"に宜しくお伝えください。」

「ああ。分かった。」

 

 

そうして2人は別方向へと踵を返す。

桜の匂いが漂う小道。

爽やかな風が2人を纏う―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「"志恩"。これからどうするの?」

 

都内の病院の庭を散歩する2人。

六合塚が乗る車椅子を押す唐之杜の姿がそこにはあった。

 

犯罪係数――サイコパス良化により社会復帰を果たした唐之杜。公安局ビルの事件において重傷を負っていたがその生命は仲間たちによって繋がれ、何事もなく良好に過ごしていた。

 

 

「…とりあえず新しい家を探せって。もう面倒くさくて……」

「私のマンション、部屋余ってるわ。駅近で…しかも共有の自動運転車付き。」

「それって便利なの?」

「住めばわかるわよ。」

 

 

唐之杜は六合塚に顔を近づけ、2人は互いに視線を向け合う。喜び、しあわせを分かち合う2人の姿はとても美しかった。

 

 

 

 

 

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時同じくして公安局ビル、刑事課一係オフィス。

 

オフィスから見える外の景色も、晴れ晴れと雲ひとつない青空が広がっており、オフィスには明るい陽の光が差し込んでいた。

 

 

 

 

 

「――趣味悪ぃオルゴールだな?」

 

廿六木がコーヒー片手に如月のデスクへと歩み寄ったその時。彼女のデスクの傍らに置かれていた彼曰く"趣味の悪い"オルゴールに悪態をつく。

 

しかし、それを如月にプレゼントした男は廿六木に怒鳴りかかった。

 

 

 

「天さん!殺すぞ!」

「あぁん!?なんでお前がキレるんだよ?入江!」

「朝からうるさい!2人とも!!仕事しなさい!」

 

微かに頬を赤らめる如月。

平和で賑やかないつもと変わらないそんな光景に傍らで仕事をこなしていた雛河が落ち着いた口調で彼らに言葉を放つ。

 

 

 

 

「まあまあ……皆さん。今日は"刑事課再編人事"の発表ですよ?」

 

雛河の台詞に"思い出した!"と言わんばかりに視線を向け合う3人。

 

 

「ついに人事の時期かぁ〜……なんかよぉ、可愛い姉ちゃんとか入ってこねぇの?課長をはじめ、おっかねぇ女ばっか――」

「――入江。」

「なっ!違うって!真緒ちゃん!真緒ちゃんは別だっての!」

 

 

 

「再編人事ったって、一係も二係も三係も誰も死んでねぇし大して変わんないだろ?」

「まあ……確かにそうですけど……」

「あ?なんだヲタク小僧。実は再編人事の裏情報、既に握ってんじゃねえだろうな?」

「さすがにそこまではっ……離してくださいよ!廿六木さんっ!」

 

ガミガミと揉め合う如月と入江。

廿六木に雑に絡まれる雛河。

 

 

 

 

"実に平和で穏やかな日常――"

 

 

 

 

 

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霜月の座る対面側に2人の男性の姿があった。

 

 

 

「は……ぁ……あ……あ」

 

 

目の前の光景に開いた口が塞がらない霜月課長の姿。公安局ビル内の会議室に呼ばれたと思えば、思いがけない人物の登場に唖然としていた。

 

 

 

「霜月君、君に紹介しよう――法斑静火君、公安局の新局長だ。」

「……はい?」

「総理の承認済みだ。上手くやってくれよ?お互い優秀さは折り紙付きだ。」

 

厚生省人事部門の関係者だろうか。年老いた男性が傍らの男性に視線を送りにこやかに微笑む。霜月の荒れ狂った心情などその男性に分かるはずもなく、淡々と説明をされると、更に霜月の表情は固まっていく。

 

 

 

「――よろしく頼みます。霜月課長。」

 

 

スーツを着こなし、上品な雰囲気を纏った眉目秀麗な男性。

その人物は紹介の通り"法斑静火"。相変わらず読めない表情を浮かべており、霜月とは正反対の落ち着きを見せていた。

 

 

「こんな人材が厚生省に居たとはね?シビュラ適性も完璧だ!」

 

「…ぁあ………あ……」

 

驚きのあまり言葉が出てこない。情けなく声にならない音を口から出しているような状況だ。

 

 

 

「早速ですが、刑事課の人員補充の観点からあなたにも補佐と新たに統括監視官をつけることにしました、課長。」

「へっ?ほ、補佐?と……と、統括……」

「収監中の"常守朱"。彼女は法廷執行官として――」

「……はっ……はぁ…?」

「そして同じく収監中の"宜野座舞白"。彼女は刑事課統括監視官として。両名とも来月付けで任につけます。」

 

 

法斑は霜月の動揺とは裏腹に穏やかに頬を緩ませていた。至って冷静で落ち着いた様子。やけに柔らかな落ち着いた口調が逆に気味が悪いほどに……

 

 

そんなこんなで全てを理解した霜月。彼女は大きな口を開けたまま素っ頓狂な形相で声を漏らす。

 

 

 

「はぁ……ッ……あぁあ……っ……」

 

 

 

予測不可能だった、色んな意味での"最悪"なパターン。

 

来月からの日常を想像しただけで目眩を起こしてしまいそうだ。あの2人が再び、しかもセットで戻ってくるなんて……頭が痛い。

 

 

法斑はそんな彼女の目の前で何ともはなしに無心な微笑みらしいものを浮かべていたのだった――

 

 

 

 

 

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――所沢矯正保護センター

 

 

 

 

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以前は殺風景だった隔離室。

しかし日が経った今、その部屋は様変わりしていた。

 

 

無数の書物があちらこちらに積み重ねられ、まるで書物が保管されている倉庫のような状況だ。独特な古書の紙の匂いとコーヒーの香りが漂う室内。今の彼女にとってそれが精神安定剤のようなものだった。

 

 

その部屋の一角に白銀の少女は本を片手に座っていた。壁に背を預け、ペラペラと紙を捲りあげていく。その"捲る音"が響く度、彼女の精神がチューニングされていく。

 

 

 

 

 

 

「―― "子たちよ。わたしたちは言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実とをもって愛し合おうではないか。 」

 

 

聖書の一文――

 

 

「それによって、わたしたちが真理から出たものであることがわかる。そして、神のみまえに心を安んじていよう。 …なぜなら、たといわたしたちの心に責められるようなことがあっても、神はわたしたちの心よりも大いなるかたであって、すべてをご存じだからである。 "」

 

 

紙が擦れる度に、独特な香りが鼻を突く――

 

 

「"そしてあなたは、私たちの証が真実である事を知っています"――」

 

 

――新約聖書 ヨハネの手紙。

 

舞白は分厚い聖書を閉じ、それを抱き留め天井を見上げた。何度見上げても変わらない無機質な天井の色。舞白は瞼を閉じ、再び口を開く。

 

 

 

 

 

 

「――"精神的な調律……チューニングみたいなもの。調律する際、大事なのは紙に指で触れている感覚や、本をペラペラめくった時、瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。"………」

 

 

嫌に耳に残っている彼の言葉。彼の言葉もまた、聖書のように人々の心を深く捉え、社会や文化あるいは思想の形成に多大な影響を与えているようだった。

 

"大いなる遺産、世界の古典"とまでは言わないが、それに近い言葉を何度も彼に投げ掛けられてきた。

 

"あの男は死んでいるのに"、第二の人格のように現れる彼は恐ろしくも、時に心の拠り所のようなものにも感じていた。親友を殺した天敵なのに、兄と共に復讐を果たした人物でもあるのに――私を何度も陥れ、死へと導こうとしている悪魔なのに、それでも切り離せない槙島聖護という人間。

 

 

「…………」

 

ふと自身の白銀の髪の毛に触れ、小さく息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――っ……」

 

 

 

 

 

 

 

刹那、固く閉ざされた扉の先で気配を感じた。

長らく感じていなかった人の気配。

 

 

 

舞白は視線を前に向け、ゆっくりと立ち上がり扉をじっと見据えた。

 

 

 

そして扉が開かれた時、現れた人物を目の前に彼女の顔に色彩が戻った。

 

 

 

 

 

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薄暗い通路に2人の足音が響き渡る。

2人の両隣には隔離された人々の姿があった。

 

 

 

彼女たちはそんな彼らに目を向けることなく、真っ直ぐと前へ前へと歩き続ける――

 

 

 

 

「――そういえば髪、切ったのね?」

 

唐突に常守は舞白の変化した容姿について言葉を投げかける。その言葉に舞白は恥ずかしそうに笑みを零し、クルクルと髪の毛を指で搦めとった。

 

 

「何故か突然切りたくなってしまって……ここまで短くしたのは海外に居た時ぶりです。」

「似合ってるわ。」

「ありがとうございます。」

 

綺麗に切り揃えられた肩にギリギリ振れる程の長さの髪の毛。無造作に跳ねる毛先を整えるように手で伸ばしどこか恥ずかしそうな様子だ。

 

 

他愛のない話。

しかし舞白にとって、そんなくだらない話が今は心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

響き続ける2人の足音。

そしてついに目の前に光溢れる扉が現れた。

 

扉を目の前に立ち止まる2人。久しぶりの外の世界。まるで異次元に続いているのでは無いのか?なんて思うほどにその光は幻想的だった。

 

そして常守の手がゆっくりと舞白の無機質な右腕を優しく掴む。その行動にふと目を大きく開き、隣の常守へと視線を向ける。

 

 

 

 

「舞白ちゃん。」

「…はい?朱さん。」

「ありがとう。それと…ごめんなさい。」

 

常守の突然の言葉。

それに対し、舞白はどこか気まずそうに視線を僅かに落とした。

 

「8年前、舞白ちゃんと出会って…それから何度もあなたに救われて……そしてたくさん傷つけてきた。火中の栗を拾わせてばかりだった……」

「…そんな事ないです。やめてください……」

 

落としていた視線を直ぐに常守へと戻す。その瞳は力強く、彼女の兄の雰囲気を漂わせる凛とした切れ長の瞳に吸い込まれてしまいそうだった。

 

 

「"朱さんの信念は正しかった。胸を張ってそう言える日が必ず来る"と。私はその日が来るまでそばにいると、2年前……その時からずっと誓ってるんです。」

 

「―――ッ……」

 

 

舞白の言葉に微かに反応を見せる常守。

聞き覚えのある言葉に、何故か泣いてしまいそうだった。

 

"やっぱり兄妹だ"と。

微かに感じる狡噛慎也の面影に不思議な気持ちが込み上げてくるようだった。

 

 

 

 

「―――狡噛さん。そして舞白ちゃん。あなた達"兄妹"に出会えてよかった。」

「私も常守朱さんに出会えてよかったです。」

 

 

8年前、初めて出会った日のことを思い出す。

あの時はお互い"こんな事になるなんて"……誰が予想できただろうか。

 

だけど後悔はない。お互いの出会いに感謝していた。

 

2人は互いに笑顔を向け、その後再び真剣な瞳で見つめ合う。

 

 

 

 

「―――きっと、私たちにはまだ想像しえない事が起こるかもしれない。」

「はい。」

「だけど、あなたが居るから大丈夫。」

「私もです。朱さんが居なかったら今頃私はこの世に居ませんし?」

「またそんな事言って…………それは違うわ。」

 

真剣な表情が変化する。

春雨の後の日射しを思わせる、柔らかな笑を零した。

 

 

 

「あなたの選択が、あなた自身の行動が今の舞白ちゃんを導いた。他人の力じゃない。清廉潔白で、誠実で無実なあなただからこそ――今があるの。」

 

 

常守は舞白から手を離し、1歩前へと進む。

光溢れる扉に照らされる常守はどこか神のように神々しくも感じた。

 

 

 

 

「行きましょう?舞白ちゃん。」

 

 

「―――はい。朱さん。」

 

 

舞白は後を追うように足を踏み出す。

そして扉は開かれ、柔らかく穏やかな光が2人を包み込んだ――。

 

 

 

 

 

 

 

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地にも空にものどかに春の光りが動く。

 

頭上高く白黄色を帯びた無限の天空。

 

柔く甘い風が吹くと、雪のように花びらが降ってきた。

 

 

 

そして花びらが舞い落ちる中、舞白と常守の瞳に2人の人物の姿が映し出される。その2人は傍らに停められたそれぞれの車の近くに立っており、現れた舞白と常守を見据える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――迎えに来た。」

 

 

穏やかな声色で狡噛はその言葉を放った。

 

 

「……………………。」

 

 

言葉は発さずとも、その傍らで落ちつきはらったような目で2人を眺める宜野座。感情の乱れを感じさせない、穏やかな視線だった。

 

 

「ッ……」

「……」

 

 

ハッとした表情を無意識に浮かべる舞白と常守。

 

その後に常守は口元に弧を描き、宜野座も変わらず穏やかに微笑んでいた。

 

しかし狡噛兄妹はそれぞれ微かに俯き、同時に言葉を放つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「すまん。」

「ごめんなさい。」

 

 

狡噛は常守に、舞白は宜野座に―――だろうか。

同時に謝罪を述べる兄妹に思わず常守と宜野座は困ったような笑みをこぼしていた。

 

 

「どうして謝るんですか?2人とも。」

「"兄妹"揃って一声がそれか?」

 

 

「「…………」」

 

 

視線を落としていた2人は無意識に視線を合わせ小さく微笑む。久しぶりの再開に4人の顔は喜びの色を浮かばせていた。

優しい春の風がさわさわと揺れ、徐々に4人の心を解きほぐしていく。

 

 

 

 

「……あー……お兄ちゃんと伸元さんの顔みたらお腹空いてきたかも。」

「私も。なんだかお腹空きました。」

 

 

女子2人の脳天気な台詞と呑気な笑顔。2人は施設入り口の階段を降り、狡噛と宜野座へと歩み寄る。

 

 

「いきなりメシの話か?」

「何か奢ってください。」

「――了解だ。」

 

 

 

 

 

「体調は?どこも変わりないか?」

「大丈夫。私は元気だよ?」

「――良かった。本当に……」

 

 

 

 

常守と狡噛、舞白と宜野座。

自然と向かい合う2人に蟠りなど無くなっていた。

 

 

互いに結ばれた強い絆。どんなに距離や時間が経とうとも、それが切り離されることは無かった。

 

 

 

 

「―――宜野座さん。お元気そうで良かったです。」

「"あなた"も。……無事でよかった。」

「お陰様で。ピンピンしてますよ?体は昔から丈夫なので。」

 

常守と宜野座。

"あなた"と呼ぶその関係性から特別な信頼感を感じる。

 

 

 

「久しぶりにハグでもするか?」

「やめてよー…もう子供じゃないし。それにお兄ちゃんの口から"ハグ"なんて……笑っちゃう。」

「その役割は…兄貴の俺よりもギノが適任か――」

「お兄ちゃんこそ、私の事ハグしてる場合じゃ無いでしょ?」

「お前な……」

 

 

狡噛兄妹。言わずともここまで強靭な精神で共に乗り越えてきた兄妹。そこには絶対的な血の繋がりがあった。そしてそれ以上に何者にも阻むことの出来ない兄妹だけの強い思いがあった。

 

 

 

ニコニコと天真爛漫に微笑む少女。

久しぶりの再会に、一旦落ち着いた4人の空気を飲み込み嬉しそうに頬を綻ばせ、舞白は宜野座の真横に立つと彼の無機質な左手を掴んだ。

 

 

 

「施設退所祝いに、今夜は我が家でご飯会しません?……あ、もしお邪魔じゃなければ……」

「舞白……だからお前―――」

「ふふっ。せっかくだからお邪魔させてもらおうかな?」

 

常守は舞白の提案に快く頷く。狡噛も舞白の半ば呆れたような息を吐くもその表情は心做しか穏やかだった。

 

 

「ではそういう事で!ご飯はウチの一流シェフにお任せ下さい。ね?伸元さん。」

「そうだな?得意の人参を使った料理を……」

「あー……やっぱり…なし。」

 

 

 

振幅する笑いの響きの中で、舞白は無邪気な子供らしい表情を顔一面に溢れさせていた。

 

 

 

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数年の沈痛な出来事を払拭するかのように4人は晴れやかな面持ちだった。

 

 

そしてまた、ここから新しい道が切り開かれる。

それぞれがそれぞれの成すべきことのために――

 

 

 

 

 

 

 

 

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"――今まで失くしたものも多い。だが…お前はそれでも進み続けるんだろう。"

 

彼の言葉に心臓が更に強く波打つ。

静まって欲しいと胸に手を当てるも静まらない。

 

 

"お前が傷つく姿は……もう見たくない"

 

彼はそっと手に触れ、優しく握った。

 

 

 

 

 

"今度は決して離れない。離さない。"

 

躓いても、どんな苦難が待ち伏せしていても。

互いに信じる。時が過ぎてもふたりの間を繋ぐ赫く強い糸を命綱に、

 

辿り着く真実が例え冷酷でも。

 

 

 

 

"そのままのお前を―――"

 

 

 

 

 

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"色んなきっかけを知る度に、手繰り寄せる度に私は知る。……完璧に分かり合えることなんてない事実―――"

 

 

だけどそれでも良かった。私はここにいるのだから。

 

 

"ただひたすらに駆け抜ける。奇跡は待たない、期待しない。……今まで選んできた道を信じて、私は踏み締めて行くの。"

 

 

無駄な甘さは棄ててきた。

覚悟は決めたのだ。

終わりに向かうまで、止まることは無い。

 

 

 

"そのままの私を―――"

 

 

 

 

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"怖いだろう、震えているだろう?

全てを食いつくそうとする獣に。"

 

"孤独を選ぶな。閉じこもるな。……また戦うために。"

 

 

 

広がる青空を疎ましいほどに、今いる現在の姿を嫌っても

 

微かに差す眩しい陽の光に涙が出そうだった。

 

 

 

 

"今度は絶対離さない。―――"

 

 

 

 

"償わせてやるんだ。全てを食い尽くそうとする獣に。"

 

"……ずっと……俺たちは運命共同体だ。"

 

 

 

 

共に行こう―――

 

 

 

 

―――"red strand"

 

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