不思議な出会い
日の出が弱々しく朝の光を地上に落としている午前5時。
宿舎から、目覚め時計の音のけたたましいほど鳴り響いた。
厩務員のウマ娘が眠い目をこすりながら大きなあくびをしながら起き上がる。
まだ薄暗い空には、雲一つなく澄み渡っている。今日も快晴だった。
その厩務員の名は、メイショウドトウ。
あの覇王と呼ばれたテイエムオペラオーに追随する実力を持つウマ娘であり、その世代を彩った一人である。
そんな彼女も中央トレセン学園を卒業してからは、走る事から距離を置いた。今では後輩達の走りが見られる事を毎日楽しみに、テレビ越しに見守る立場にある。
(……とはいえ、夜更かしになっちゃいました……)
昨晩は、大規模なライブに夢中になりすぎて寝る時間が遅くなりかけた。
いい加減、牧場の生活習慣に慣らしていかなければならないというのに。そう思いながらも、メイショウドトウは寝巻きをもそもそと脱ぎながら、宿舎の共同洗面所に向かった。
「オハヨゴザイマス! ドトウ!」
ハキハキとした、訛りのある日本語がメイショウドトウに向けられる。メイショウドトウと同じ牧場で働いているウマ娘のものだった。
「タイキさん、おはようございます~……」
洗面所に居た先客は同じ牧場で働く同僚。タイキシャトル。彼女も中央トレセン学園で活躍していたウマ娘だ。
お互いレースからは引退して、今はこうして同じ牧場で働きながら過ごしている。
彼女たちが働き先に選んだ牧場は、老夫婦が1組いるだけの小さな牧場だ。
だが質の良い乳牛を育てており、地元の人々に愛されている牧場でもある。
二人ともこの牧場を選んだ理由は、テレビニュースで取り上げられていた内容に端を発する。
卒業が差し迫っていたある日、二人はたまたま見たニュース番組の中で紹介された牧場の映像を見て心を打たれたものだ。
その牧場では、人よりもずっと大きな乳牛が丁寧に育てられていて搾りたての牛乳を使ったアイスクリームやヨーグルトなどの乳製品が作られている。
そして何より驚いた事は、そんな乳牛達を優しく見守りながら世話をするたった二人の老人の姿だった。
彼らは人間であり、年を取ってもいるのに、人より大きな体躯をした牛達に愛情を持って接している。
大変ではないのだろうか。タイキやドトウと同じく、レポーターもそう思ったのか牧場主にこうインタビューを投げかける。
『大変な事も多いでしょう? お二人ではやる事も多くて……』
すると、老人達は寂しそうに答えるのだ。
『いやぁ、そんでも人が来んけ。二人でやるしかなかべ』
自分達以外に誰もいない牧場で、ただ黙々と仕事をする老人達。
その姿を見たとき、ドトウの胸にこみ上げてくるものがあった。タイキシャトルもそうであったのだろう。
「決めました! ワタシ、卒業したらここで働きマス!」
「えぇ~!?」
突然タイキがそう言い出した時はさすがにドトウも驚きはしたが、すぐに彼女の考えに納得した。自分もまた同じ気持ちになっていたからだ。
それからは早かった。二人揃って周囲によくよく相談し、牧場主である老夫婦の元にも話を打ち明けた。
当初は老夫婦は驚いていたが、ウマ娘は力が強いというのもあって快く受け入れてくれた。そして、今に至る。
最初は慣れない仕事も多かったが、今では大分慣れてきた。
まだ朝露が残る中、ドトウはゆっくりと歩く。朝日はまだ完全には昇っていない時間帯なので、空気はひんやりとしている。
牛舎の中は静まり返っていて、自分の足音だけが木霊する。
「お、おはようございます~……?」
ドトウは牛舎の中に入っていく。中では、牛達がまだ静かに眠っていた。
その様子に安心しながらも、ドトウは牛達の健康状態を確認するために一頭ずつ声をかけていく。
その中で、雌牛の一頭が目を覚ます。彼女はドトウの姿を捉えると、嬉しそうに鳴いて尻尾を振った。ドトウもまた、笑みを浮かべながら彼女に近寄って頭を撫でる。
ドトウはこの牛達を気に入っていた。どれも優しい性格をしており、ドトウが近くにいても怖がったりせずむしろ甘えてきてくれるからだ。
ふと、ドトウは牛の背中に何かが付いている事に気づく。それは毛糸玉のような白い物体だった。
それを取ろうと手を伸ばすと、その物体がぴょんと跳ねる。思わずドトウは驚いて手を離してしまう。
だが地面に落ちた瞬間、再び跳躍してドトウの足元に着地してきた。
まるでゴムボールのような動きにドトウは困惑するが、すぐにそれが見慣れた動物である事がわかった。
「な、なんだ。ね、ねこさんでしたかぁ~……」
猫だ。それも、かなり大きい。筋肉質だ。
ドトウはその猫の体つきのよさに圧倒されつつも、恐る恐るといった感じに猫に手を伸ばし、抱き上げようとする。
しかし、やはり警戒心が強いのか逃げられてしまった。
「……いじめたりしませんよー?」
ドトウがそうは言っても、猫はドトウをじっと見つめるばかり。
牛に踏み潰されてはかわいそうだ。首輪もないし、きっと野良猫なのだろう。
ドトウはそう思いながら、どうしたものかと困った顔をしていた。
「また入り込んだか」
背後から人の気配がした。牧場主の旦那さんだ。
彼は呆れたように笑いながら、猫がいても気にせず牛の世話を始める。
「また、ですか?」
「あぁ、寒い時期になるとこういう野良猫とか野良犬とかが一匹くらいは入り込んでくる。牛舎は外よりなんぼも暖かいかんね」
彼の口振りからして、この猫がここにくるのは初めてではないらしい。
牛達がパニックを起こさないのも、その逆に猫が堂々と牛の背中で暖を取っていたのもそのためだろう。
ドトウは「野良猫もたくましく生きてるんだなぁ」と思いながらも、旦那さん一人に働かせている事に気が付き慌てて牛の世話に戻ることにした。
牛達が起き出せば、今度は餌の準備をしなくてはならない。
ドトウは餌箱を開けて、牛達に飼い葉を与える準備をする。その間に、旦那さんは牛達に水を飲ませていた。
牛達は毎日よく食べる。人間よりもたくさん食べる。牧場の乳牛達は、その体格もあってとても大食いなのだ。
この辺において、ウマ娘であるドトウの力持ちさがとても役立つ。ドトウは飼い葉がたっぷり入った大きな籠を抱えると、軽々と持ち上げて牛舎の中に運んでいく。
ドトウの仕事は主に餌運びと清掃だ。知識がいる事は、旦那さんの手伝いをする形で覚えていく。
やがて朝日が完全に昇りきると、放牧の準備が始まる。
「おさんぽのおじかんでーす」
牛舎から出てきた牛はそれぞれが広がって、のんびりと草を食んでいる。
ドトウが様子を観察しに近寄ると、牛達は穏やかな表情で彼女を迎え入れた。そして、優しく頭を擦り付けてくる。
「わ、わわわ……」
対して、ドトウは耳をくるくると回していた。立派な牛達に囲まれ、身動きが取れない状態になっていた。
旦那さん曰く、こういう『動物に懐かれる』というのは天性の才能だ。彼は、ドトウはそういう才能があるのだと語る。
確かにドトウはおっとりとしていて動物に好かれやすい部分はあるかもしれない。
(そうはいっても~……)
だがドトウはどうにもその才を持て余している部分があった。今現在進行系で、牛達にもみくちゃにされている。
なんとか抜け出したいのだが、その度に牛達はドトウを捕まえてしまうのだった。
これも好かれているのか。それとも舐められているのか。いまいち判断がつかない。
そんなこんなで牧場の日々は過ぎていく。
そして雪がしんしんと降る日、ドトウは雪かきをしていた。
タイキは暖房に使う為の薪割りをしている。彼女は力があるのでこういった力仕事には向いていた。
一方で、ドトウは鼻先をピンク色に染めてぶるぶると震えていた。
いくらウマ娘の体でも、寒いものは寒い。ドトウは白い息を吐いて作業を続ける。
「ドトウ、大丈夫デスカ?」
そんな、タイキが声をかけてきた。ドトウは心配をかけまいと笑顔を作る。
「だ、だいじょうぶですよ~……」
しかし強がってはいるものの、その体は小刻みに震えている。
「部屋に戻って一枚多く着て、暖まってくるといいデス! その間の作業は、ワタシがやります!」
彼女の提案に、ドトウは申し訳なさそうにしながらコクリとうなずく。
一旦屋内に戻ったドトウは暖炉で暖まりながら、世話用の道具を準備していた旦那さんと一緒に天気予報を見る。
『今日は昼からは吹雪になるでしょう。外出は控えてください』
そのような内容が、テレビ画面に表示されていた。
「いつもより手早く済ませようかね」
「はい~」
旦那さんの指示に従い、ドトウは厚着の上にコートを重ねた状態で牛舎へ向かう。
扉を開けると、ひんやりとした空気がドトウの肌を撫でた。思わず、ドトウは身を震わせる。
(そういえばあの野良猫さん、牛舎にいるんでしょうか……)
ドトウはふと、いつも牧場の敷地内に入ってきている猫の事を思い出した。昼頃から吹雪らしいから、もしかしたら牛舎に避難しているかもしれない。
そんな考えを抱きながら牛舎の中に入ったドトウだが、猫はいなかった。
(あれ……?)
「ドトウ、どうしたんデス?」
「い、いえ。猫さんがいないのでちょっと気になって……」
どこかに隠れているのだろうか。ドトウは首を傾げながら辺りを見回す。
しかし、やはりいない。どこにいったのだろう。ドトウは少しばかり気になった。
とはいえ、牛達の世話がある以上ゆっくり探し回るわけにもいかない。今は目の前の仕事を優先させなくては。
ドトウは多めの餌を桶に入れて、掃除を始める。やがて時間が経ち、吹雪が牛舎に入り込まないように戸締まりをしっかりと……。
(やっぱり猫さんいませんでした……)
外に出る頃にはすっかり昼頃になっていた。結局、猫の姿は見つけられなかった。
ドトウは残念に思いながらも、予報通り吹雪きになりかけていた。視界が真っ白で、10m先が見えない。
「ドトウ、ワタシ達も中に入りマショウ!」
タイキの声を聞いて、ドトウは旦那さん達と一緒に宿舎の方へ駆け込もうとする。
宿舎の前に辿り着いてドトウは急いで扉に入ろうとしたが、吹雪の中から声が聞こえた。
猫の声だ。それも、聞いたことがあるような気がする。
ドトウは咄嵯に振り返った。しかし声は聞こえど、その姿は見えない。
「ドトウ? どうしたんデス」
不思議そうな表情でタイキが尋ねてくる。ドトウは返事をする余裕もなく、必死に目を凝らして辺りを探っていた。
やがて、雪の中に動く影を見つける。しかも猫や人よりも断然大きい。その大きさから、牧場で飼っている雌牛の一匹と思われた。
「牛さんが一匹逃げちゃってるかもしれません~!!」
「そんな馬鹿な」
牛舎の扉を閉める前、全頭いる事を旦那さんも確認した。何かの拍子に壁を蹴破って出てきたとしても、何も聞こえてこないはずは……。
ならばあの影なんだ?
そう思った瞬間、吹雪の向こうからヤギとも牛ともつかぬ獣の嘶きがけたたましく響いた。
それは雄叫びか。あるいは威嚇なのか。判別がつかない。
ただ一つだけ言える事は、その声がとても低く、ドトウもタイキも今まで聞いた事もないものだった事だ。
……もしかして熊? 猪?
「み、見に行きましょうっ……!」
「イエース!」
ドトウがそんな事を提案した。タイキシャトルもそれに頷く。
「えぇ、でも熊やったら危険じゃ……」
旦那さんは心配そうな顔でそう言った。だが、万が一に牛が逃げたのなら連れ帰ってあげねばならないし、熊や猪でも確認してから逃げるくらいはなんとかなるという自信もあった。
「だいじょうぶです~、こうみえてもウマ娘ですから……」
ドトウはそう言って、吹雪の中に飛び込んだ。タイキがそれに続く。
数秒程走った後、彼女は後ろを振り返る。もう吹雪のせいで宿舎の建物が見えなくなっていた。
「夕方過ぎたらもっと酷くなるらしいデス……!」
そうなると今のうちに、あの巨大な生物の正体を確認しなくてはならない。
ドトウ達は慎重に足を進めて、謎の生物の鳴き声がした場所に向かう。
ドトウとタイキは、牧場主の奥さんからこの地方に伝わる御伽噺を思い出していた。
――吹雪いている日に、外に出てはいけないよ。そこは違う世界と繋がっているからね。
それは吹雪の日に出歩こうとする子どもを戒めるようなよくある創り話。恐ろしい見た目の化け物に出会ってしまうだとか、気に入られると子どもは連れ去られてしまうだとか、そういう話である。
森を歩くと天狗に連れ去られるとか、夜出歩くと幽霊に地獄へ連れて行かれるとか、それと似た感じのただの御伽噺だ。
しかし、目の前にはそんな御伽噺を思い出させる光景が広がっていた。
吹雪の中に、大型の動物がいたのだ。
それは牛でもない、熊でもない。ドトウやタイキが見た事もない生き物だった。
「……UMA(未確認生命体)……?」
そこには長い首をした動物がいた。牛の体に、アルパカの頭がついたような。
……その背中にいつもの野良猫がふんぞり返るように丸まっていた。