牛舎の外から吹雪の音が聞こえる。
建物が雪の重みで軋み、シャトじいじが蹄を鳴らした。ドトウはシャトじいじと向かい合う形で、彼の目を見つめていた。
「大丈夫ですよシャトじいじ。少しの雪くらいで壊れたりしませんから」
ドトウは笑いながら言って、そっとシャトじいじの背中を撫でた。
シャトじいじは「そういうものか?」とでも言いたげに横目でドトウの目を見返す。
ドトウはシャトじいじの不安を和らげるように微笑む。
「……この大雪が晴れて輸送用のトラックがきたら、お別れです。学者さん達が、すごくステキな場所を用意してくれるそうですよ!」
ドトウは笑顔でシャトじいじに語りかける。
「病気や怪我になっても、すぐに診てもらえます。美味しいご飯もいっぱい、いっぱい食べられます。きっと幸せになれますよ~」
シャトじいじはしばらく押し黙るようにして、何かを言いたそうにしていたが。ドトウは敢えて気づかないフリをして続けた。
「……もしかしたら、シャトじいじは世紀の大発見になるかもしれませんよっ!! そしたら、私やタイキさんは第一発見者として歴史に名を残しちゃうかもしれませんっ」
ドトウは冗談っぽく笑って、シャトじいじの首に抱きついた。シャトじいじは抵抗もせず、ただいつも以上にそのハグを優しく受け止めてくれているような気がした。
「そしたらオペラオーさんも、あのラクダさんの事を探し始めますよ。案外、負けず嫌いですから~。そしたら、シャトじいじも一人じゃなくなって、それで……それで……」
ドトウは腕の力を弱める。ドトウは、申し訳なさそうな顔で俯いていた。
「……貴方の知る『メイショウドトウ』は、一体どんな方でしたか?」
ウマ娘の伝承からしてドトウと同じ名前で魂を継ぐ存在が、シャトじいじの元居た世界に存在するとしても不思議はない。
もしそうなら「タイキシャトルといつまでも一緒に、穏やかに過ごしていたい」という近頃常々抱いていたドトウの思念が、別世界のタイキシャトル――シャトじいじを偶然にもこの世界に引き寄せてしまったのではないだろうか。
このシャトじいじも別世界の『メイショウドトウ』と一緒に暮らしていたいと、そういう風に思い浮かべていたのではないか。
雪の日に異なる世界の者が引き合わされる現象を前提に、それで自分達が巡り合った事への説明がつく。
しかし、だとすれば。シャトじいじは帰るべき場所も定まってない状態で、右も左もワケもわからずに突然この世界に来てしまったのはドトウのせいになる。
ドトウはシャトじいじを、元の世界に帰す方法を知らない。分からない。
「……私は、貴方の想っている『メイショウドトウ』とは違う人なんです……本当に、ごめんなさい……」
ドトウはシャトじいじの首に顔をうずめる形で泣き崩れた。今回ばかりは"ドジ"の一言で済まされるレベルの事柄ではなかった。
自分のせいで、自分がシャトじいじをこの世界に連れ込んでしまった。
そんな事をしでかした自分は、シャトじいじとは一緒にはいられない。いてはならない。
シャトじいじが生きるべき場所は、本来ここじゃない。せめて、恵まれた環境に彼を送り出すべきだ。
ドトウは自分の気持ちがぐしゃぐしゃになってどうしようもなく苦しくて、涙が止まらなかった。
吹雪の音と、シャトじいじの蹄が鳴らす音だけが聞こえる。
シャトじいじはドトウにずっと抱きしめられていた。自分か、あるいは親しい友人の孫をあやしているかのように。
シャトじいじは静かに瞳を閉じて、何も言わなかった。まるで、彼もようやく全てを悟ったかのように。
それでも、シャトじいじはドトウの傍を離れようとしなかった。ただ、黙ってドトウが泣き止むまでそばに寄り添ってくれた。
――どんがらがっしゃん。
しばらくして、何か大きな物が倒れる音がした。シャトじいじとドトウはびっくりして周囲を見回す。
……牛舎が破損したりはしていないようだ。だが、シャトじいじとドトウは同時に異変を感じ取った。
外だ。何やら強い力によって吹き飛ばされるような激しい風。そして、動物の嘶きと何かが猛スピードで走る足音。
シャトじいじとドトウはお互いに顔を見合わせた。
ドトウは、少し不安げな表情でシャトじいじの目を見る。
「……様子を見に行ってきます」
シャトじいじは「オレも連れて行け」と言いたげに、コフコフと咳き込むように嘶く。
「ご心配なさらず、すぐに戻ってきますよ」
ドトウはシャトじいじの鼻面を軽く撫でてから、外へ出た。
外は猛烈なブリザードに見舞われていて、視界が真っ白に染まっていた。そんな中、大きな音がした丘の方を見る。
すると、仔牛用の個別厩舎……その一つが、雪の重みに耐えかねて倒壊していた。
「ドトウさん!」
牧場主の旦那さんや奥さん達も事態に気づいたのか。ドトウの名前を叫びながら駆け寄ってきた。そして個別厩舎が倒壊している光景を見て、絶句した。
ドトウを含めた三人は急いで個別厩舎へ駆け寄る。慎重に崩落現場を覗き込み、中に仔牛が挟み込まれていないか確かめる。
「……おらん」
生きた仔牛どころか、死体もない。倒壊した瓦礫と、押し流された雪があるだけだ。
ドトウは胸騒ぎがして、慌てて動物の嘶きが聞こえた方向を見やる。
そこには雪上を必死に走る、一匹の仔牛の影があった。
「追いかけてきます!」
「いかんて! んな吹雪ン中追いかけっこまわすと遭難すっぞ!!」
ドトウは迷わず叫ぶ。旦那さんや奥さんは止めようとするが、それでもドトウはその影を追いかけた。
このまま放っておく事はできなかった。あんな小さな仔も助ける事が出来なければ、自分は本当に自分が許せなくなる。
ドトウは一心不乱に、全力疾走で逃げる仔を追った。旦那さんと奥さんの制止する声が背後から聞こえた気がしたが、それでも止まれなかった。
この猛吹雪の中、ドトウは仔の足跡を見つけ、見失わないよう追う事に集中した。
「さ、寒い……」
寒さで体が冷え、ドトウは震えた。こんなに本気で走ったのはいつぶりだろうか。
もう、自分がどの辺りを走っているかもよく分からない。もし、このまま自分が仔牛を見失ったら。この吹雪の中で仔牛が死んでしまったら。その考えがドトウの頭から離れない。
――えーん、えーん……。
木々の合間をすり抜ける吹雪の音が、子供の泣き声のように聞こえる。いつの間にか山林に踏み入っていたらしい。
ドトウは一旦立ち止まり、向かう先に崖が無いか確かめるように足元を見回す。
相変わらず、怯えて必死に走り抜けたような足跡が続いている。しかし、途中でふと何事かあったのか、足跡が落ち着きを取り戻したかのように……足跡の歩幅が小さくなっていた。
いや、歩幅が小さくなっているだけではない。数が、増えてる。
さっきまで一匹であろう足跡が、明らかに二匹分のものになっている。しかも片方は大人の牛の足跡ではないかとドトウは感じ取った。
「…………母牛……?」
逃げ出した仔牛の母親は、ついこの間にお役目を終えて送り出されていた事を思い出す。
……ドトウは、このまま引き返すべきかとも思った。仔牛にとって、母親と一緒に別の世界で暮らせた方がいっそ幸せなのではないかと、仔牛の本来の未来から目を逸らすようにして、そんな事も考えた。
――えーん、えーん……。
だが、もし絵本に書いてあったように『別々の世界で離れ離れ』という悲しい結末が待ち構えていたとしたら……。
吹雪の音が、まさしく誰かの泣き声のように聞こえて、ドトウの心が揺れ動く。
ドトウは、先が見えない雪のカーテンに向けて再び走り出した。
一方で、タイキシャトルはドトウが仔牛を追いかけたという話を数分遅れで牧場主の旦那さん達から聞いた。
「ワッツ!? ドトウ一人で!?」
タイキシャトルが思わず大きな声で驚くと、すぐにどこへ向かったかを教えてもらおうとする。
「いかんて! あんたも行く気かい!」
奥さんがタイキシャトルを必死に止めた。制止されると、タイキシャトルぐっと我慢するように唇を噛む。
どうにもならない気持ちがタイキシャトルを襲っている。
「ドトウさんなら大丈夫よ、きっと。だから、タイキさんは牛舎の牛達を落ち着けておいて。こっちは仔牛達を丈夫な建物に避難させるから……」
そういう風に奥さんになだめられた。
タイキシャトルは渋々、牛舎の方へ入り込む。個別の寝床からシャトじいじが顔を出して、唇を噛み締めているタイキシャトルを出迎えた。
『お前はドトウを放っておいて何をしているのだ?』
「…………」
タイキシャトルは、ドトウの考察を聞いてからシャトじいじと自分は近しい存在なのだと理解した。理解してしまえば、彼の言いたい事が今まで以上に頭の中に思い浮かぶ。
『もしこのままドトウが遭難して戻って来なかったら、お前は一生後悔する事になるぞ』
……あるいは自分自身が考えている事を、シャトじいじを通して自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。
どちらにしても、それが自分の心を揺さぶった事は間違いない。
タイキシャトルはシャトじいじと真正面から向き合う。
「……シャトじいじ。だったら、ワタシ、どうしたらいいデスカ……?」
タイキは、シャトじいじに自分の感情をぶつけた。
まるで幼い子供のような態度だった。しかし、それでもシャトじいじはじっと聞いてくれた。
昔、トレセン学園時代にタイキシャトルは何かと落ち込んでいたドトウをよく励ましていた事がある。
タイキシャトルにとって落ち込んでいる学友を励ますのは当然の事だったが、そんなドトウとのやり取りの中では一際思い出に残った出来事があった。
「パパ、ママ……
それはタイキシャトルが久々に両親と会う予定だった日、両親には突然の仕事が舞い込んでしまって結局会う事は出来なくなった。
「もう、
タイキシャトルはその容姿からは『頼り甲斐のある明るいお姉さん』といった雰囲気だが、それに反してとても寂しがり屋なウマ娘だった。大好きな家族と会えなかったら、一日中落ち込んでしまいそうになるくらいには。
「あ、あの……えっと。……隣、いいですか?」
「ドトウ……ぐすっ。オフコース」
ベンチにずっと座ったまま落ち込んで泣いているタイキシャトルの隣に、ドトウはおずおずと座り込む。
「ぐすっ……」
「…………」
「……パパとママに会えなくなりマシタ。約束してたけど、お仕事で……」
「…………」
ドトウは、自分が励ましてもらった時のようにタイキへ慰めの言葉をかけようとしたが、言葉が見つからないらしい。
「ぐすっ……ソーリー。もっと違うトークにしまショウ!」
その様子を見て、タイキシャトルも悲しみを堪えて話題を変えようとする。しかし。
「……ち、違うんです。私、その……っ……うっ、うぅっ――うわぁぁぁぁぁぁぁん! ごめんなさぁぁぁーーーい!」
その途端、ドトウは大声で泣き出した。
「ドトウ!?
タイキシャトルはドトウが泣き出した事に大いに驚く。
「ひぐ、ひっぐ。タイキさん、ツライのに……! なにも、できなくて、わ、私……っ! ほん、ほんとは……もっと……ひっぐ……! いっぱい、してあげたいのに……!」
そして、その理由を聞いて更に驚かされた。
「oh……そんなふうに……ドトウ」
……そんなドトウの言葉を聞いていると、自然とタイキシャトルの涙は止まっていた
「ワタシ……悲しいけど、嬉しいデス。ドトウが傍にいると、あったっかくなりマス」
「えぐっ……えっぐ……でも、でも……」
タイキシャトルが泣き止んだ代わりに、今度はドトウが涙をポロポロと流している。
「マイ・ディアー。目を閉じてくだサイ」
「…………?」
顔を差し出すように目を閉じたドトウの頬や目の周りを、タイキシャトルはハンカチで優しく拭う。
「あ……涙……拭いてくれたんですか……?」
「ワタシたち、泣き虫ですカラ。2人で涙を拭くのがいいと思いマス」
そういって、「おかげさまでもう大丈夫」とばかりに快活に笑ってみせる。
「た、タイキさん……。ぐすっ……そうですね……じゃあ、今度は私の番ですね……!」
「サンクス、ドトウ……サンクス♪」
今度はタイキシャトルの方から目を瞑り、ドトウは目の回りや頬に残った涙の痕を綺麗に拭ってくれた……。
タイキが誰かを励ます側でなく、誰かに励まされた側になった。一際印象に残ったその出来事をシャトじいじに打ち明けてから、タイキシャトルは自分の気持ちを吐露する。
「ワタシは、ただ……あの時から、心に決めてマシタ……『ドトウと、一緒に居たい』って……『この子の力にナリタイ』って……なのに、近頃ではドトウの悩みをどうにもしてアゲラレナイ……それどころか、アナタを元の世界に帰す方法だって、何の力にもなれなくて……」
タイキシャトルの口から次々と溢れ出る言葉を、一言一句逃さず、聞き届けてくれた。
それは幼子が悩ましい壁にブチ当たって、長く生きている祖父か祖母に智慧を求めるような話し合い方で。
「シャトじいじ……ワタシ、どうしたらいいデショウ? 今回も、ドトウを信じて、待つべきなのデショウカ? もし、もしも、カウルの時のように別の世界への道へ迷い込もうとしていたら……」
最後に、そんな問いかけをした。
お互いがしばらく考え込むかのように、沈黙が流れる。
やがて、シャトじいじは答えを出したようにウマ娘の女性、タイキシャトルへまっすぐに瞳を向けた。
『"お前自身"の考えに従えばいい。その気持ちが本物なら、容易く答えは出ているはずだろう』
タイキシャトルの頭の中に思い浮かんだ声音には、言外に何かを告げるかのような重みがあった。
その言葉を受けたタイキシャトルは、静かに目を閉じると……ふぅーっと大きく息を吐いた。
それから、覚悟を決めたように顔を上げ、シャトじいじが外に出られるように寝床の柵を取り外した。
「……共に、ドトウの……『メイショウドトウ』の元へ行きましょう」
タイキシャトルは、ドトウに伝えてなかった推論から"ある結論"に行き着く。それに一縷の望みをかけて、シャトじいじと一緒に牛舎の外へ出る事にした。
ドトウは、雪のカーテンを抜けて夜の雪景色の中に佇んでいた。
「ここは一体どこなんでしょう……」
何故だか、タイキシャトルと離れ離れになった悪夢を見た光景と似通ってる気がする。
――ぐすっ、お父さん、お母さん……。
そんな既視感に囚われていると、不意に子供の泣く声が耳に届いてきたような気がした。
やはり、木々を通り抜ける吹雪の風切りの音ではなかったのだ。
辺りを見渡しても、人影は見当たらない。気のせいかと思いかけたが、地面の雪には仔牛の足跡が彷徨うように刻まれている。
それを辿るようにドトウはゆっくりと歩みを進める。
すると、ドトウの探していた仔牛と、2歳くらいの若い牛を引き連れた子供のウマ娘が……あてもなく彷徨うように歩いているのを見つけた。
やがて女の子の方も、ドトウの存在に気づいたのか一旦泣き止んで、声をかけてくる。
「……お姉さん、だぁれ……?」
ドトウは、写真で見た……『10歳当時そのまま』のウマ娘の女の子を見て、自分の状況を理解する。
――あぁ、この子は……だったら、私は、もう……。
自分が元の世界へ戻る事は、もう叶わないのかもしれないと……ドトウは理解してしまった。
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シャトじいじ
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