ドトウが自身の置かれた状況をより深く理解する為には、まず手始めにこの幼いウマ娘の生涯を知る必要があった。
彼女は『アオ』。ウマ娘の幼名・愛称としては、人間でいえば山田花子・田中太郎くらいありふれた名前だと思う。
アオは、ドトウのよく知る牧場主の旦那さんと奥さんの間に産まれた一人娘。彼女は快活で、動物好きなウマ娘だった。
牧場の仕事を幼いながらによく手伝い、それゆえに動物にもよく懐かれた。無論、そうでない動物もたまにいたが。それは彼女曰く"ウマが合わない"というだけの話らしい。
素朴だけど恵まれた環境に囲まれて、特に不自由もなくすくすくと育った。
しかし彼女が五歳の頃、大好きだった祖母と祖父が相次いで居なくなった。アオにとって詳しい理由はよく分からなかったが、致し方ない事だったと聞かされている。
「なぜ、想い合ってる者同士でいつまでも一緒に居られないのだろう」
アオは幼いながらに、大切な存在を失ってそんな事を考えるようになった。
そんなある日の事、山林で遊んでいる最中に突然の悪天候に見舞われて道に迷ってしまった。
あてもなく彷徨い続けていると、つい先日にトラックで"別の牧場に運ばれていった"はずの乳牛と出会った。
物心ついた頃からお世話をしていたその動物を、アオは一番に溺愛していた。だからこそ再会出来た事に喜んだ。
乳牛は、アオが迷子になっている事を悟ったのか、「ついておいで」と言わんばかりに山林の中を先導して歩き始めた。
その導きに従って歩いていくと、やがてアオが住む牧場へ辿り着いた。まるで絵本の中みたいな出来事だったが、そんな事よりもまた会えて嬉しいという気持ちでいっぱいになった。
道案内をしてくれたお礼も兼ねて乳牛にひとしきりの抱擁を終えると、乳牛はまた雪景色に消えて行ってしまった。
そしてこの出来事を経て、アオは気づいたのだ。もしかして絵本に書いてあった通り、雪の日には魔法みたいな出来事が起こせるんじゃないかと。
雪の日が来る度に、こっそりと牧場を抜け出して何度も何度もそれを試した。最初の内は条件が悪かったのか全く成功しなかったけれど、回数を重ねる内に『降っている雪が多ければ多いほど』、そして何より重要なのが『お互いに想い合っている者同士ほど』、その魔法のような出来事が成立するという事を理解した。
「…………それが、あの部屋にあったノートに書きこんでいた記録ですか? なついていた仔、丸とか……」
アオの身の上を聞き出している途中、ドトウは訊ねた。
「そうだよ。あたしのノートを読んだんだね。えっと……」
名前を知らないからか、言葉が詰まるアオ。
「私の名前はメイショウドトウと申します~。……これでも、大きなレースで走った事がありますが、聞いた事ありませんか?」
「ぜんぜん。聞いた事ない」
ドトウはなんとなく、アオがどれくらいの年月この空間に囚われていたのか察しがついた。もしくは、単にドトウがこの子のアウトオブ眼中だったか。どちらにせよ気が滅入る話だが。
彼女の事を聞き出している合間も元の場所へ戻れないかドトウは彼女達と共に彷徨い歩いた。数分か、数十分か、数時間か。もしかしたらそれ以上かもしれない。歩いても歩いても、同じような雪景色の中で、自分達以外に人はいないような気すら感じてしまうほどに変化のない世界だ。
……いや、もはやそれは気のせいではないのだろう。時間の感覚も、すでにぐちゃぐちゃになりかけている。
果たして今は昼なのか夜なのか。元の世界では何年経ったのか、それとも何秒たりとも経ってないのか。この空間に時間なんて概念自体があるのかさえ疑わしい。
「……ドトウのお姉さんは、お母さんやお父さんは好き?」
不意にアオの方からそう訊ねてきた。ドトウは、その質問には迷う事なく答えられる。
「えぇ、大好きですよ~。ドジな私なんかにもとっても優しくて……本当に感謝しています~」
その言葉に嘘はない。両親には優しさと愛情を受けて育てられたという信頼がある。
アオは続けて言う。
「……そっか。なら、いつか戻れると思うよ」
それを聞いて、ドトウは表情をきょとんとさせた。
「わざわざ雪の日に探しに来てくれればの話だけど」
そういって、アオは顔を俯けた。ドトウは相手の思惑を察して、その俯いた彼女の頭を手のひらでそっと撫でる。
「幼稚園の時に会えなくなったお友達が呼べたのに、お父さんとお母さんが呼べなかったから、"自分は両親からは想われてない"と思っているんですよね……」
アオは小さく頷いて、悔しそうにぽろぽろと涙を流し始める。心配そうに耳を絞る牛たち。ドトウは「やっぱり」というような表情してから、そのまま頭を撫で続けた。
たぶん、この子にとって≪異なる世界の者同士が引き合わされる現象≫は"魔法"だったのだろう。寒空の中に生じる、暖かくて優しい魔法。想い合う者同士なら、きっと素敵な奇跡が起こると信じていたのだ。
しかし、その魔法を起こす為に何度も失敗を繰り返す内に、『たった一つの齟齬』が生じていた。実行に移すまで、この子はそれに気づけてなかった。
「……『同じ世界の人は、大好きな人でも呼び寄せられない』みたいですね。そうじゃなかったら、私は雪の日が来る毎にお父さんとお母さん……それ以外にもトレーナーさんやオペラオーさんとか、いっぱいの人を遠くから呼び寄せて、飛行機代が大変な事になっちゃいそうです~」
ドトウは、笑いながら冗談半分にそう言った。アオが誤解していたであろう認識の齟齬を指摘する事も兼ねて。
アオが失踪した理由は大人からしたら幼稚なものに映るのだろうが、彼女自身にとっては切実な事だった。ただ単に「両親から愛されていない」と勘違いした事が切っ掛けなんだろう。そして十歳になって『屠畜』の概念を理解し、もうすぐ殺される牛を逃がす事も兼ねて、大好きなおばあちゃんとおじいちゃんの元へ避難する事を決意し――きっと、「ついてきてはダメだ」とちゃんと諭されても足跡を辿ってこっそりついていって――そしてそれっきり、この『はざまの空間』にずっと囚われているんだろう。
「……大丈夫、貴方はきっとすぐに戻れますよ」
「嘘!!! あたしはずっとずっとここで彷徨ってるのに、どうしてそんな事言えるの!?」
ドトウはアオの頭を再び撫でて優しい声色で言うが、それに対してアオの声から怒りが伝わってくる。牛たちは不安そうにしながら二人の事を見守る。
「お父さんとお母さんがあたしの事を想っているのなら、雪の日でもあたしの事を探してたのなら、とっくにここから出られたはずだよ!!」
彼女は感情的になって、その言葉には悲痛さと悔しさが込められているような言い方だった。
「……でも、そうじゃないでしょ……?」
向き合いたくもない想像を吐き出し終えて彼女は落ち込む。それに対して、ドトウはゆっくりと、事実を言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「……アオさんは、『お父さんとお母さんに会いたくない』って思っていますよね」
アオはその言葉を聞いて一瞬肩を震わせた。
「それは自分が愛されてないと誤解しているから。そうでなくとも、戻れば傍らにいる牛さんが殺されてしまうから。心のどこかで、お父さんとお母さんのいる場所へ戻りたくない。……そう考えていませんか?」
ドトウの語り方はもはや確信に近かった。アオの心を雁字搦めにする形で絡まった糸を丁寧に紐解くように、ドトウは言葉を紡ぐ。
「娘の事を大事に思ってなかったら、貴方のお部屋にあったあんなたくさんの本を、何年も、あるいは何十年も大事に保管しておいたりしないと思います……まるで、いつか戻ってくると信じてるみたいに……」
牧場主さん達の人柄を見ればドトウはそれが理解出来た。ドトウも自分の両親の事が大好きだから、大切に育てられたから、親の気持ちが大人になった今だからこそよく分かる。
「二年近く大事にお世話した仔牛さんや、何年も愛情を込めて育てていた乳牛さんが殺される事が受け入れられないのも、よく分かります」
「……大人のクセに、何でそんなに分かった風に言えるの? ハンバーグが作られる過程で牛が一匹死ぬくらい、なんとでもないって思ってるんでしょ」
動物の生死が関わる問題だからか、彼女の反発はとても刺々しく感じた。しかし同時に弱々しく震えているようにも聞こえる。
「……私は、厩務員として働いています。ですが、貴方と同じように動物さんの死に対して違和感を抱いていました。悲しくて、寂しくて、ちゃんとしたお別れも言えずに、目を逸らしてしまうくらいには」
その言葉を聞いて、アオは押し黙る。
「でも、何かを糧に生きていく以上は、動物を人間のサイクルに組み込む以上は、ちゃんと向き合っていかなければならないんです。だから出来る限りの愛情をもってお世話をしたり、病気にならないように気を配ったり……それで、ごはんを食べる時は、ちゃんと『いただきます』って……それが全て出来ている貴方のお母さんやお父さんが、動物が死ぬ事を『なんとでもない』なんて思っているはずがありません」
ドトウは諭すように言う。その目は真っ直ぐと何かに向き合うようなもので、そして穏やかだった。
「……他の牧場の方々も、うぅん、"動物に関わる大勢の人"が……きっとそうなのだと私は信じております」
同じ厩務員のタイキシャトルはもちろん、獣医の先生だって動物と向き合えているに違いない。警察官や保健所の人だって、動物が脱走した時は真摯に対応してくれる。それ以外にも、ドトウの知らない大勢の人達が動物と向き合っているのだろう。
……シャトじいじがあのように高齢になるまで生きている事こそが、"人が動物と向き合っている事の一つの証左"だと捉えている。
アオは俯きながら、唇を噛み締める。彼女が言葉を発するまでは時間が必要だった。その間も牛達はじっと待っていた。
しばらくして、ようやく口を開く。ぽつりぽつりと呟いた。
「……今更、戻りたいって思っても……きっと、あたしの事なんて……」
だが、そんなネガティブな考えはすぐに否定される。
――。――。
「…………」
アオと牛達は、何かにつられるようにして雪景色の中を振り向いた。
「……呼んでる」
その声は先程までとは打って変わって、喜びと嬉しさが入り混じった困惑の声だった。俯いていた顔からは悲しみの表情が抜け落ちていて、期待をもって雪景色を見つめているようだ。
アオは牛達を見つめてから、一旦考え込むように目を瞑る。それからゆっくりと瞼を開いた時、彼女の表情は変わっていた。不安げな様子はもう微塵も無い。ただ決意を固めた表情だけがあった。
「……みんなで帰ろう!」
彼女は、牛達に力強くそう言い放った。そして、ドトウの手を握る。
「もちろん、ドトウさんも!!」
ドトウはそんな彼女を見てニコリと微笑むと、ゆっくりと頷いた。
二人と二匹は、雪景色の中を真っすぐに走る。彷徨い歩いている時とは違い、目的を持って走り始めたからか自然と息が上がるスピードになった。
「……ドトウさん、さっきはごめんなさい」
「ううん、だいじょうぶですっ! 私の方こそもちょっと強く言いすぎちゃいましたし……」
ドトウは申し訳なさそうな表情すれば、今度はアオの方がドトウを励ますようにニコリと笑う。
「ウチの牧場で働いてるんでしょ? 帰ってからあたしが何か間違ってる事をやらかしたら、さっきみたいにビシッと言ってよ!」
それを聞いて、ドトウは頬を緩ませる。アオは無邪気に笑うと、ドトウの手を引いて駆け出した。牛たちも、天気のいい日の原っぱで追いかけっこをするように彼女に着いてくる。
「あたし、一人っ子だったからお姉さんか妹が欲しかったんだ。ドトウさん、もしさ――」
アオが握っていたはずの手は、いつの間にか離されていた。新しいこの出会いを決して離さないように、ぎゅっと握っていたはずなのに。
「……ドトウ?」
彼女の姿はもうそこにはなかった。まるで手のひらの中の雪粒のように消えてしまった。
周囲を見回せば、相変わらずの二匹の牛。そして、アオの目の前には年老いた男女の姿。
「……アオ」
……男性は心配そうにこちらを見ている。女性は涙ぐみながらも笑顔を作ってくれている。二人は懐かしさを感じているのか、口元が綻んでいる。
「……お父さん? お母さん?」
すると男性と女性はゆっくりと頷いてくれた。二人の笑顔には覚えがある。同じ顔をしていた。懐かしい、家族の表情だ。
その二人が自分の両親だと分かった瞬間、アオは胸が締め付けられるような感情を覚える。それと同時に視界が潤んでいくのを感じた。いつもの日常に戻ったような安心感を覚えたのかもしれない。あるいは浦島太郎の如く時間を跳躍しての再会という非日常体験によって、自分の感情が一時的に高ぶったのかもしれない。いずれにせよ、涙が零れたのは事実だった。
涙を手の甲で拭いながら、精一杯笑顔を作ろうとする。しかし、溢れる想いが止まらない。堰を切ったかのように溢れ出す。それでも、必死になって、二人に訴えかけるように声を絞り出した。
「お母さん、お父さん、ドトウさんが、"ドトウさんが取り残された"っ……!!!」
更新⇒同日内
アンケートによるプロット変更はなし。
あくまでそれぞれの「望み」の投票を。
シャトじいじ
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この物語ではドトウと一緒に過ごしてほしい
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この物語では元の世界で暮らしてほしい