なんでもない日。
牧場で暮らしているドットさんは、その日、食材やお菓子の買い出しを終えて帰路についていた。
秋の空はすっかり暗くなり、ぽつりぽつりと星が瞬いている。吐く息は白く、吸い込む空気の冷たさにはっとさせられる。
(今日のお買い物は、これで終わり……)
そんな事を考えながら、彼女は牧場のある方角へ向かって歩く。
既に辺りは真っ暗で、街灯だけが道を照らしている。時刻は午後七時を過ぎており、人通りは少ない。
彼女が歩いている道は一本道の舗装道路だが、両脇に木々が並んでいるせいで見通しが悪い。車が通る事など滅多に無いので、危険は無い筈だ。
ただ、夜道に一人で帰るというのは少し怖い。今日はハロウィンの夜という事もあって、何かお化けが出て来そうだ。
(……こういう時にシャトじいじが居てくれればぁ……)
そんな考えが頭を過るが、彼が居たとしてもわざわざ連れ出すような用事でもない。
そんな風に思いながら歩いていたら、ふと、前方に人影が見えた。
こんな時間にこんな場所で人と出くわすなんて珍しい。そう思って目を凝らしてみると、どうやら相手は子供のようだった。
背丈は小学生高学年くらいだろうか。女の子だ。
少女はこちらに背を向けており、顔はよく見えない。
けれど、その後ろ姿に見覚えがあった。牧場の、雇い主のお子さん。きっとあの子に違いないと、そう思った。
ドトウは小走り気味に少女へ駆け寄る。
「アオさん。こんな時間にどうしてここに~……?」
そして、驚かせないように声をかけたところで――少女がくるりと振り返った。
少女の姿を見て、ドトウは思わず息を呑む。
何故なら、よく似てはいるが……瞳の色が全く違い、別人とすぐ分かったからだ。
「ご、ごめんなさい。知り合いに似ていて……」
ドトウは咄嗟に謝罪した。しかし、目の前の人物はドトウの困惑した顔を見るやいなや、くすりと笑い始めた。
そして、ドトウの顔をじっと見つめながら、愉快そうに言う。
「トリック? オアトリート?」
悪戯っぽく訊ねられて、ドトウは一瞬きょとんとする。それから、ようやく相手が何を言っていたのか理解した。
ハロウィンである今日、子供達がよく口にする言葉だ。
そういえば、とドトウは思う。確か、今日は近所の子達が仮装して家々を訪ねていたっけか。大人達は微笑ましく見守っていたが、この子もそうなのだろう。
そこまで考えてから、ドトウは改めて相手の姿を見た。
まず目を引くのは、鮮やかな橙色の髪の毛。綺麗な髪質だがボサボサと生え散らかしていて、まるで野生児を思わせる。頭の上からはウマ耳が生えていて、時折ぴこぴこと動いていた。牧場のお子さんよりも大きいだろうか?
着ている服は見るからに安っぽくて、お世辞にも綺麗とは言えないものだった。靴もボロボロで、靴下に至っては履いていないように見える。肌は土埃で汚れており、全体的に薄汚さを感じる姿だった。
でも、不思議と嫌な感じはしない。むしろ、可愛らしいとさえ思う。
特に、くりっとした大きな瞳を見ていると、なんだか心が温まる気がした。
「ハロウィンの仮装、よくできていますねぇ。お菓子を、どうぞ~」
その装いが「やむにやまれぬ事情があって」というわけでもなさそうな雰囲気だったのを察して。ドトウは相手の衣装を褒めながら、買い物袋からクッキーを取り出した。
すると、少女は目を輝かせ、嬉しそうに受け取る。
そして、ドトウがくれたお菓子をまじまじと見つめてから、おもむろに食べ始めた。
余程お腹が空いていたのか、一口食べる度に幸せそうな表情を浮かべている。
その様子があまりにもハロウィンでお菓子を与えた側冥利に尽きて、つい笑みがこぼれてしまう。
(喜んでもらえて嬉しいです……)
そんな事を考えているうちに、ドトウは自然と少女に話しかけていた。
「でも、こんな時間にどうしたんですか~……? もう夜遅いですよ」
ドトウの問いかけに、少女は一瞬手を止める。
けれどもすぐにまたもぐもぐと口を動かし始め、やがてごくりと飲み込んだ後に口を開いた。
「実は迷子になっちゃって、気が付いたらここにいたんだ」
「え……!? 大変じゃないですかぁ!」
少女の答えを聞いて、ドトウは驚く。
こんな夜道の中で一人きりだなんて……危ない事この上ない。
「お家はどこですかぁ? お名前言えますか?」
心配になったドトウは、矢継ぎ早に質問する。
「うん。ここからちょっと森に進んだところにあるんだ」
けれど、彼女の不安をよそに、少女はあっけらかんとした様子で答えた。
その気楽な様子を見る限りでは、とても困っているようには見えない。
「名前はラクーンドッグ」
ウマ娘らしい、横文字の名前。
とりあえず、年上として彼女は送り届けてあげた方がいいだろう。そう思い、ドトウは提案する事にした。
「もう真っ暗ですし、私と一緒に帰りませんか……?」
少女は首を縦に振る。そして、二人は並んで歩き出した。
ぽつりぽつりと街灯が並ぶ舗装道路を歩く。辺りは既に暗く、人通りも少ない。木々に囲まれた道を照らすのは少ない街灯と月明かりだけだ。
そんな中、二人の足音が静かに響く。
しばらくの間無言が続いた後、不意に少女が話しかけてきた。
「ねえ、お姉ちゃんの名前は何ていうの?」
「……へ? あ、私は、メイショウドトウっていいますぅ……」
急に話しかけられたので少し驚いたものの、ドトウはすぐに答える。
それから、相手が名乗ってくれたのだから自分も名乗らないわけにはいかないと思い直し、自己紹介を続けた。
「えっと、牧場の厩務員で。牧場で住み込みで働いています~」
そう言いつつ、自身の仕事内容について説明する。
「普段はお掃除したり、牛さん達のお世話をしたりしてますねぇ。あ、あと、ヤギさんとかのお世話もしてて……」
ドトウはにこやかに微笑んだ。すると、少女もつられて笑顔になる。
「野生の動物とかに気苦労してない?」
その問いに、ドトウは少し考え込む。
確かに、牧場の飼料を狙って鹿が侵入してくる事はたまにある。野良猫だって牛の背に乗って暖を取ってるし、屋内に侵入した狸や狐が配膳している料理をこっそり盗み食いしている事だってあった。
「確かに……気苦労はしている、かも……?」
けれども、動物たちはそれぞれ生きる事に頑張っていて、なおかつ愛嬌があるのだ。
だから憎々しく思っているわけではないが……それだけにどう表現していいかドトウは困る。考え込むあまり、ウマ耳をせわしなくくるくる回した。
そんな微妙な反応を見た少女は、くすりと笑いつつ言った。
「やっぱりそうなんだね」
どうにも少女の反応を見るに、思案している事を含めて伝わったらしい。
ドトウは恥ずかしそうに頭を掻く。
「……どうしても、嫌いになれないんですよね。みんな、一生懸命生きてますから……」
それを聞いて、今度は少女が苦笑する。
「また餌を食べにくるかもよ? 牛さんやヤギさんを驚かしたりするかもしれないよ?」
たぶん、そうだろう。牧場で家畜を飼育している以上、野生の生物には遭遇するかもしれない。
リアルな問題として、牧場で飼うわけにもいかないのだ。場合によっては人畜共通の病気が感染するかもしれない。
「……でも、やっぱり嫌いになれないです。野生の動物さんとも、仲良くやれれば、いいなぁ。って……」
そういう風に、しみじみと呟いた。厩務員として考えなきゃいけない事と、ドトウ個人の好き嫌いは別だ。
「……そうだね。私もそう思うよ」
そう言ってから、また歩き始める。
心なしか先程よりも足取りが軽くなっているように見えた。
またしばらく歩いたところで、ふと少女が立ち止まる。
「どうしました?」
不思議に思ってドトウが問いかけると、彼女はゆっくりと口を開いた。
「おうちについた」
周囲を見渡しても、あるのは木ばかりである。どう見ても民家らしきものなど無いように見えるのだが。
「えっ? おうちってどこにありますかぁ?」
それでも一応訊ねてみる。もしかしたら、自分の知らない場所に家があるのかもしれないからだ。
だが、その質問について返事は来ない。代わりに、一言だけ返ってきた。
「化かすのやーめた!!」
それは呆れたような……されど、たいそう嬉しそうな声色だった。
ドトウは周囲を見回している視線を目の前に戻すが、少女の姿はない。しかし足元で何かが動く気配がした。
視線を落とすと、そこには一匹の狸がいた。
くりっとした大きな瞳でこちらを見上げている。周囲には……やはり誰もいない。
あの子はどこに? ドトウがそんな事を考えていると、足元の狸がぴょんと跳ねたかと思うと、あっという間に走り去ってしまった。
後に残されたのは、呆然と立ち尽くすドトウだけ。
「あれぇ……さっきの子はどこに行ったんですか……?」
戸惑いながら呟く。迷子になったかもしれないと小一時間探し回ってみたが、結局見つからなかった……。
「ドトウ……ずいぶんと遅かったデスネ……」
牧場に帰り着くと、出迎えてくれたタイキシャトルが心配そうに話しかけてきた。
どうやらかなり心配させてしまったようだ。申し訳なく思いつつ、事情を話す事にした。
「……実は、迷子らしき子とはぐれてしまって~……」
それを聞いたタイキシャトルの表情が曇る。
「Oh my God! それは一大事デス!」
思わず叫んだ後、すぐに考え込んだ。それから少し経って、再び口を開く。
「とりあえず、その子の特徴を教えてくれマスカ?」
聞かれたので、ドトウは自分の分かる限りの事を説明した。
背丈は――牧場のお子さんとほとんど同じ見た目であった事。ただ、眼の色が違って、耳が大きかった。それと尻尾も変わった形だった。
それを聞いて、タイキシャトルは少し考え込む。
「……フムフム、その子のお名前は?」
「ラクーンドッグ」
「……What's?」
タイキシャトルは思わず聞き返した。
「ラクーンドッグって言ってました」
対するドトウは至って真面目に答える。冗談でも何でもないという風に。
しばしの間沈黙が流れた。
「…………タヌキ」
「へ?」
やがて、タイキシャトルがポツリと呟いた言葉に、ドトウがきょとんとする。
「ラクーンドッグは、日本語で『狸』デス」
そう言うと、彼女はおもむろにしゃがみ込み、地面に絵を描き始めた。
デフォルメが効いた可愛らしいイラストだ。描かれている動物が何なのかはすぐに分かった。
「……あ」
ドトウは思わず声が出た。耳も、尻尾の形も、その子の特徴と一致している。
ドトウの顔が真っ青に染まった。思い違いでなければ、自分は本物の狸と話していた事になるのだ。それも人語を喋る化け狸と。
とんでもない事態に遭遇したのではないかと思い至ったのである。
そんなドトウを見て、タイキシャトルが声をかけた。
「大丈夫デスヨ、ドトウ」
そして、肩にポンと手を置いた。
「UMA(未確認生物)と過ごして、しかも異世界を渡り歩いたのだから、今更デス」
それでもまた野良狸に化かされるのではないかとドトウは気が気でなかった。
後日、ドトウはハロウィンの飾りで使ったカボチャを料理に使い、夕食を作っていた。
「砂糖と塩を間違えてしまったけれど、これはこれで~……」
相変わらずドジってしまったが、カボチャ本来の甘味も併せてお菓子感覚で食べる分にはなかなか美味しい。
デザートとして何個かの小皿に分けて、先にテーブルの上に配膳しておいた。
「あー!!!!」
しばらくして叫び声が聞こえたかと思うと、ドタドタと音を立ててキッチンに誰かが走ってきた。
「ドットさん!! 狸が!! 狸が!! あたしの分のカボチャ食べてた!!!!」
入ってきたのは牧場のお子さん――アオである。息を切らせてまくし立てる彼女の手に乗った小皿には、食い荒らされたカボチャがあった。獣の歯形がついている。
「あらら~……」
また小動物が忍び込んだのだろうと思い、ドトウは屋内を見回ってみた。だが、それらしい姿は見当たらない。
「もう逃げちゃったよ! せっかく楽しみにしてたのに!」
よほどショックだったのか、アオはすっかり涙目になっている。
「わ、わたしの分のを食べていいですから~……」
慌てて宥めようとするドトウであったが、ふと硬いモノを踏んづけた感覚が足の裏に伝わった。少し痛い。
足元を見てみると、どんぐりがいくつも転がっていた。拾い上げてみる事にする。
虫食い痕もなく、立派な実であった。宝石のように綺麗である。
「どんぐりなんて食べられないよ~!」
アオが悔しさのあまり地団駄を踏む。
「……アク抜きをすれば食べられますよー。ゼリーみたいな食べ物にもできます~」
それを聞いた瞬間、泣きべそをかいていた顔がパッと明るくなる。
「……ほんと!?」
それを聞いて安心したのか、アオは笑顔になる。
「今度は一緒に食べましょうね~」
ドトウが声をかけると、彼女は大きく頷いた。
「…………でもなんでこんなところにいっぱいどんぐりが?」
アオが首を傾げた。ドトウはアオが持ってきたのではないとすると、誰が持ってきたのかなんとなく分かってしまった。
「……やっぱり、嫌いになれませんねぇ~」
ドトウは小さく微笑んだ。
牧場で暮らしている一日の、なんでもない日。