「先生ってさ、会いたい人っている?」
それはある休日の事だった。アオは、動物達の検診を終えた獣医に対してそんな事を聞いた。
「なんだい、いきなり」
獣医は突然の質問に訝しげにしつつ、アオの顔をじっと見る。アオはその目線に、少しだけ得意げ胸を張り、答える。
「一年前に話したでしょ。あたしは死んだ人に会える方法を知っているんだ」
「一体何を……」
「死んでしまった人に、会いたい人がいたらあたしが会わせてあげてもいいよ!」
そういう風に自信満々に言う。傍から聞けばタチの悪い冗談でふざけているようにしか聞こえないだろう。しかし、事実だ。アオはあの現象を、誰かの為に有効活用してみせたい気持ちが日に日に強くなっていた。
命を救う事を生業とするこのお医者さん相手なら、喜んでくれるのではないかと思った。そんな思いが、また彼女を小さな役者として饒舌にしてみせた。
しかし、どうだろう。アオの予想に反して、獣医の表情は芳しくない。むしろ眉間に皺まで寄せて難しい顔をしている。
その様子に、アオは少し戸惑った。喜んでもらえると思って口にしただけに、戸惑いは大きかった。
やがて、獣医は重々しく口を開く。
「……興味がないね」
その声は、とても冷たかった。アオはびっくりして思わず固まる。そして、その言葉の意図を推し量ろうとして……何も分からず、困惑を浮かべた。
「冗談でも、あまりそういう事を言うもんじゃないよ」
諭すような言い方をする獣医。その物言いには、まさしく大人が子どもを叱る優しさがあった。
ただ、その優しさが今のアオには酷く痛かった。
それからというもの、アオは日中ずっとモヤモヤとした気持ちを持て余す。
「ドットさん。タイキさん。あの山林で起こる事、まだ信じてくれるよね?」
牧場に戻ってからも、その気持ちは晴れない。だから、つい厩務員の二人にあの不思議な空間の事を訊ねる。
「え? あの……会いたい人と会えるやつの事ですか?」
「そう。別世界の。もっといえば、死んだ人とかも含めて」
「YES。でしたら、ワタシ達もあの空間に踏み入った事アリマス。忘れもシマセン」
それを聞いて、確信する。やはり、あれはただの夢や幻なんかじゃない。
しかし、そうなるとますますモヤモヤしてくる。
「獣医の先生に叱られたんだ。会いたい人がいるなら、会わせてあげるって話したらさ」
もしかしたら、この二人になら自分の気持ちを分かってくれるかもしれないと期待してそう愚痴を話した。
しかし、それを聞いた二人は顔を見合わせる。アオはなんだか自分の方が間違っている事をしているのかと、落ち着かない気持ちにさせられる。
やがて、タイキシャトルの方が口を開いた。
「アオ。おばあちゃんとおじいちゃんにあれから何度会いマシタ?」
その言葉に、アオはすぐ答える。
「今年の初雪の時に『こっちは順調だよ。あたしもお父さんもお母さんも元気だよ』って短く伝えに行った一回限り」
「大好きなおばあちゃんとおじいちゃんなのに、雪が降ったら毎回会ったりしないのは、ナゼデス?」
問われて、アオは言葉に詰まる。
そんな事考えた事もないから。答えられないからではなく、言葉が紡げなかった。
沈黙したのを見て、タイキシャトルはさらに続ける。
「アオ。アナタは、なんとなくハザマ先生に叱られた理由はわかっているはずデス」
言われて、ドキリとする。
アオはどうして自分が叱られたのか、実は理解出来ている。ただ、それを認めてしまえば自分が得た素晴らしい"魔法"が無価値に思えて仕方がなかったからだ。
そんなアオの様子を見て、タイキシャトルはニッコリと笑ってみせる。
「大切な人に会いたい気持ちは、キットミンナ同じデス。デモ、それだけでない事をアオはワカッテイマス」
その優しい笑顔に釣られて、アオはぎこちなく微笑み返す。
けれど、その表情はまだどこか曇っていた。
自分自身の気持ちに整理がついていないからだろう。それを自覚しているからこそ、どうしてもタイキシャトルの言葉をそのまま受け止める事が出来ずにいた。
そして、そんな気持ちを引きずったまま今日の作業を終えると、ドトウが話しかけてきた。
「あの、アオさん……」
「……なに?」
ぶっきらぼうな返答。普段だったらこんな態度は取らないのだが、今日はどうにも声が短く出た。
しかしドトウはそれに臆する事もなく、話を続ける。
「この後、黒男先生が来ますから、私が代わりに山林での事をお話してもいいですか……?」
それを聞いて、驚いた顔をするアオ。
「ドットさんが叱られるだけ! あたしのせいでそんな風になるこたぁないよ!」
さすがに恩人が自分のせいで誰かから変人扱いされるのは避けたいアオだが、それに対してドトウは優しい笑みを返す。
「……いえ、思えば黒男先生も、"アオさんやシャトじいじを無事に元の世界に帰す事の力になってくれた一人"だというのに、私は今日までちゃんと説明する機会を逃していました……ですから、せめてもの誠意として黒男先生にあの出来事をきちんと説明しようかと思うんです」
そう言われて、アオは少し考えた。
……確かに、両親やドトウ達は山林の出来事を理解しているのに、先生には簡単な形で説明して仲間外れにしている気がしてならなかった。
皆の力でこの物語を大団円で迎えた以上……それは、やはりアオも少し申し訳ない気がした。
「……そもそも、なんであたしはあんなにモヤモヤしてたんだろう」
そう考えると、不思議と怒りがどうでもよくなった気がした。少なくとも、実物を見せない内に「信じろ」というのが変な話なのだから。大人を恨むのはお門違いな気がする。
診察を終えた先生とドトウを牛舎の中で遠巻きに見守りながら、そんな事を思った。
「あの、黒男先生。一年前にアオさんを何処で見つけたかの話ですが……」
ドトウがおずおずと切り出す。すると、先生は横目で彼女を見ながら、静かに言葉を返した。
「あぁ、覚えてるよ。山林で妙な異空間に迷い込んだんだろう?」
その話をまるで疑ってないような態度に、ドトウもアオも驚く。
「……疑ってないのですか?」
「こう見えても幽霊や宇宙人にも出会った事があるんでね」
……先生の話の方がよほど与太話かもしれない。しかし、アオやドトウを傷つけない為の親切な嘘だとも受け取れる。
なんにせよ、この先生はドトウ以上に大人だった。だが、そんな先生がアオに冷たい態度を取った事が不思議に思えてくる。
だからドトウは、言葉を選びつつその理由を先生に訊ねた……。
「……いいや、あの子に対して怒りを覚えたわけではない。どちらかといえば、自分自身に対する不甲斐なさを感じただけさ」
そう言って、先生は遠くを見るように目を薄める。
「どうして、ですか? 黒男先生は、動物さんにちゃんと向き合ってくれて、それでいて腕もすごい先生です。とっても素晴らしい、命を救う獣医さんなのに……」
思わず口を挟んだドトウに対し、先生は大笑いした。
「"とっても素晴らしい命を救う獣医"か! ハッハッハ……!」
何がそんなに面白いのか。当人にとってはそれが的外れだったとでもいうのか。先生は一頻り笑った後、静かに語る。
「私も『死んでしまった人に、会いたい人がいる』というわけさ。たくさんね。だが、死んだ人が生き返る事は無い。仮にそれが出来たとしても、それで死者が喜んでくれるとは限らない」
……その言葉が意味するところが、ドトウにはなんとなく分かった。アオも、その事は薄々理解しているはずだ。
「……黒男先生は、もし『死んだ人と会える力』があったとして。その力は無価値だと思いますか?」
その問いに、獣医はしばし黙る。そして彼は首を振った。
「いいや、無価値ではない。大いに価値があると私は思うよ。人によっては1億2億、それ以上を積んでも手に入れたい力だろう。けれど、それを手にするには相応の覚悟と責務が必要だと私は考えている」
そこまで言うと、先生は一度区切り、再び話し始める。
「私はね。アオくんの話を聞いて、自分の恩師にまた会いたいと思ってしまった。だが、先生なら眉間に皺を寄せて『人間が生きものの生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね』とでも言って私の事を叱るんじゃないかな」
……獣医が言う"先生"というのは、一体どんな人物なのだろう。いつも冷徹そうに見えるこの先生が、切ない目で語るのだからとても素晴らしい人物なのだろう。
「人生とは、いわばSL(蒸気機関車)のようなものだ。駅へ降りた人をこちらさんの都合で無理矢理同乗させるのも、具合が悪いってものさ」
獣医はフランケンシュタインのような見た目に似合わず、情緒的な表現をする。その話を聞いたドトウは、どこか腑に落ちた。
ドトウと先生のやり取りを見聞きしてアオが申し訳なさそうに縮こまっていると、付き添いでやってきていた獣医の娘さんが声をかけてきた。
「ちぇんちぇーは、ちょっと気難しいひちょだから気にしちゃダメなのよさ」
落ち込んでいるとみて、気にかけてくれているらしい。叱られたから落ち込んでいるというより自身の浅はかさを自覚していたわけだが、アオは思わず苦笑が浮かんだ。
「そういえばキミって何歳なの?」
「ハナもはぢやう21ちゃいの
そういうと、彼女は腰に手をあてて胸を張る。
……どうみてもアオより年下だが。たぶん小学生低学年、あるいは幼稚園児辺りじゃなかろうか。
しかし本人がそう言うのなら、深く突っ込む必要性もないだろう。
「おい、いくぞ」
娘さんを迎えにきたのか、アオと談笑している彼女の傍に寄ってきた。
それに気づいたアオは、ぺこりと頭を下げる。
「……この前は、先生の気持ちも考えず変な事言ってごめんなさい」
獣医はアオの態度を見て目を丸くする。
「聞いてただろう。私はキミに怒っていたわけではない」
獣医はハッキリとそうモノを言うが、しかし、アオは首を振る。
「ううん。あたし……不思議な魔法を身に着けて、ちょっと天狗になってたかもしれない。誰かの為に有効活用したいとも思ってたけど……それこそおこがましいかもしれない」
その謝罪を聞いて、黒男先生はフッと笑った。それは決して馬鹿にしたわけではなく、微笑ましいものを見るかのような眼差しだった。
それに気づいて、少し恥ずかしくなったのか。アオは頬を赤くして指で掻いた。
アオは、先生やその娘さんに向けて、自分の胸に思った事を言う。
「……シャトじいじをちゃんと適切に診察してくれた事もお礼を言いたいんだけどさ。先生のような"指標になる立派な人物"が居てくれれば、先日この力を乱用しようなんて息巻いた時みたいに、きっとあたしがバカやろうとした時に思い直すきっかけになると思うんだ。だから、私達の物語に『間 黒男』という先生が加わってくれていた事を、とても感謝してる」
「なんだい、今更改まって」
ずいぶんと大袈裟な物言いをするアオに、先生も思わず笑ってしまう。
だが、彼女が本当に伝えたかった事は、そんな堅苦しいものではなく、もっと単純な事だった。
「ドットさんやシャトじいじが円満な解決を迎えられたのは、間違いなく先生のおかげでもあったって事」
アオがそう伝えると、先生は頬を掻いた。
「私は他の家畜と同じように、あの動物の事を診察していただけなんだがな。しいて言えば、病気にならないように気を配っていた事くらいだ」
「そーよそーよ。ちぇんちぇーならちょちょいのちょいなのよさ」
そう言ってくれるふたりの言葉に、アオは笑顔を向けた。
この二人にも、最大限の敬意を。間違いなく、私達の物語をいい方向に導いてくれた。
「それでも……いや、だからさ、さっき話してた先生の話。もうちょっとあたしなりに考えてみるよ。相応の覚悟と責務、だっけ?」
そう言うと、獣医は目を細める。
「それじゃあ、またね。黒男先生。来年も、またあたしがバカやったら叱ってくれるかな? ドットさんもタイキさんも、お父さんもお母さんも優しすぎるもん」
「そもそも私に怒られないように気を付けたまえ」
アオはその言葉に後ろ頭を掻いて笑みを浮かべながら、手を振って別れる。
「アオさん。良いご縁でしたね」
一緒に傍に居たドトウが話しかける。彼女はアオのモヤモヤが晴れた様子をみて、安心したような笑みを見せていた。
その優しい言葉に、アオは思わず笑ってしまう。
「あの一年前の事でさ。ちょっと思った事があるんだよ」
「ドットさんに山林の事を教えた猫やきっかけになったカウルの事もそうだけど……ドットさんやタイキさんが元の世界に帰る道標になったウチのお父さんもお母さんも、シャトじいじが病気にならないように万事尽くしてくれた黒男先生も、もちろん、オペラオーさんや、タイキさんやドットさんも……誰一人欠けたら、あんな綺麗にハッピーエンドで終わらなかったんじゃないかな、ってさ」
ドトウはその話を聞いて、微妙な顔をする。
「え、なに。あたしなんか間違えてる!?」
アオがドトウの表情を見て思わず言い返すが、ドトウは当然が如く指摘を繰り出した。
「アオさん自身が抜けてますよ」
えっ、とアオは驚く。
「いや、あたしはシャトじいじとドットさんが幸せになった"ついで"みたいなもんで……」
アオは自分は卑下するようにそう言いかけるが、ドトウに人差し指を立てられて口を噤む。
そしてそのまま、ドトウは諭すようにゆっくりとした口調で話す。
「……"この物語の私やその人達にとって"は、アオさんが助かってハッピーエンドなんです。それでいいじゃないですか?」
それを聞いて、アオはまた「バカな事を言った」と自分の浅はかさを自覚した。
……自分達にとっての物語というものは、もはやそういうものなのだ。"史上最高のレースを紡ぐ物語"や"別世界で成し得なかった悲願を成し遂げる"などというのは、どこぞの誰かに任せよう。
今はただ、目の前にある幸せを。壊さないように。更につかみ取れるように。
その終わりが来るまで、大切に、大切に。
「まいでぃあー! ドトーウ!」
仕事を終えて、ドトウに駆け寄ってくるタイキシャトルの声が聞こえてくる。自由時間は、三人でよく何かをして遊ぶ。
「……今日はドットさんが『西の魔女が死んだ』って児童書を読み聞かせしてくれるんだっけ? おばあちゃん役はタイキさんで」
「はいっ。あの物語、ちょっと読み返したくなって……」
「あの物語の主人公のさ。後日談の小説、図書館から借りてきたんだけど……」
「えっ、あの小説続きあるんですか!?」
ドトウは、驚いた顔をしてアオの顔を見る。どうやら知らなかったとみえる。
「……それじゃあ、そっちの話は私が読み聞かせしていいかな。ちょっとやってみたいしっ!」
アオは嬉しそうに笑ってそう告げると、二人は快く承諾してくれた。
こんな幸せな日々が、いつまでも続いてほしい。
ドトウとタイキというトレセン学園の名優の間に入れた事を、アオは少しおこがましいと自覚せども、だから、感謝したいと思った。だから、努めたいと思った。
この平凡で、牧歌的で、幸せな物語を。
いつかどこかの誰かに心地よいものとして
「ドットさん、タイキさん」
「なんですか、アオさん?」
「ハイ! なんですかアオ!」
冷たい雪空の中でも暖かく優しさが続くこの物語の中で、今日も私達は生きている。
その暖かさが途絶えないように、これからもずっと。
「あたしは、貴女たちのような人に巡り合えて本当に幸せだよ。ありがとう」
非日常を乗り越えた彼女達が紡いだ、どこにでもありそうな、よくある小話。
けれど、とてもとても大切な、かけがえのない幸せな日常の物語。
いつか必ずそこに終わりが来るとしても。
もう、この三人はそれを恐れる事はないだろう。
あとがきのようなもの:
クロスオーバーじみたものになるのでブラックジャック先生の事はぼかし気味でしたが、思えばこの人も明確にハッピーエンドに導く事に助力してくれた一人だったな、と。
(『絶対シャトじいじは病死オチにしない』という意志表示の表現でブラックジャックを配置した意味は強いけれども)
クロスオーバータグをつけてない関係で出番は控えめにしていましたが、ただ、意図的に仲間外れにしたような感覚も尾を引いていたので。ここでキャラクターと手塚先生に敬意を現わす形で、彼題材のモノを一話書かせていただきました。
読者作者の認識の外でドトウ達の幸せな生活は続いていくのでしょうが、それはそれでいつかアオがそれを私達に小説という形で詠渡してくれるのかもしれません。
まぁ、それがいつになるかは分かりませんが……。
ともかく、脇役たちにスポットライトを当て続けた番外編もおそらくここで終わりです。
(実馬のドトウおじいちゃんがなんか可愛い行動してたらこっちのドットさんも似たような行動取った話書くかもしれないけど)
ここまで読んでいただきありがとうございました。
続編の『詠渡しの碧』でまたお会いしましょう。
【挿絵表示】
《Thank you for reading this to the end.》