家畜の放牧作業においては、動物の力を借りる事もある。
ウェルシュ・コーギーという犬種は、牛追い犬としても使われるため、牧畜には頼もしい存在だ。
「ウェルさん……追いつけないようになってきましたね」
だが、彼らとて老いには勝てない。若い牛が有り余る活力を振り撒くように走るのに対し、牧畜犬のウェルはよたよたと歩く。落ち着いた牛達ならともかく、この牧場の牧畜犬も若い牛にはもう追いつけない年齢となっていた。
若い牛相手にはもう厳しいかもしれない。寂しそうにその光景を眺めるドトウ。
そんな時、タイキの声が響いた。
「シャトじいじ! 一緒にオネガイシマース!」
すると、シャトじいじはタイキに併せて歩き出した。……動作自体はのっそりしているのだが“速い”。
群れから離れすぎた若い牛の前に行き、シャトじいじは歯茎を剥き出しにするようにして威嚇する。タイキシャトルも人差し指で唇を開いて「いー」と同じような口にしようとしている。
……主にシャトじいじの威嚇に反応したのか、若い牛は慌てて群れに引き返していく。
タイキシャトルは、ドトウの方を向き直りながら言った。
「イエース! 共同作戦、成功デス!!」
彼女はシャトじいじに向かって、ニッコリ笑いながら親指を立てた。ドトウは動揺に目を丸くする。
「タイキさん、いつの間に教え込んだんですか……?」
ドトウはそう尋ねると、タイキは笑顔のまま首を横に振る。
「何も教えてマセン。ただ、簡単な言葉やジェスチャーなら伝わる気がシマシタ」
そんなものだろうか。ドトウは不思議に思いながらも、シャトじいじの方を見た。
彼は「やれやれ」と言わんばかりに、尻尾を下げてよたよたと水飲み場の方に戻っていく。
基本的に家畜全般は思った以上に人間と意思疎通が出来たりするのだが……あの動物は、なかなか賢いらしい。
ドトウは、仕事を終えて一休みするウェルさんをいたわるように撫でる。
「がんばりましたねー」
そう言いながら彼を優しく労うと、ウェルは目を細めて嬉しそうな鳴き声を漏らして尻尾をぶんぶんと振っている。……こっちもこっちで、ドトウの言葉が分かってる気がする。
しばらくウェルの頭を撫でていると、タイキシャトルがドトウの肩に「コツン」と軽い頭突きをしてきた。
「……タイキさんもがんばりましたね」
同じように彼女の頭を撫でてやると、彼女も満面の笑みを浮かべて尻尾をぶんぶんと振った。
その日は牧場の事を老夫婦に任せて、タイキとドトウは町にやってきた。日常生活に必要な食材や道具など、その買い出しである。
「タイキさん、今日は何を食べたいんですか~?」
マーケットでカートを押しながら、ドトウは尋ねた。
彼女が持つ買い物かごの中には、すでに卵や鶏肉といった生鮮食品が入っている。
タイキシャトルは、店内をキョロキョロと見回している。今日の彼女の服装は、厩務員の制服ではなく私服だった。その服装はチェック柄のシャツにジーンズ姿。
……こういうラフでボーイッシュな格好も似合うから羨ましい。
ドトウはそんな事を思った。自分はというと、白のセーターに花柄のスカート。
正直言って、あまりファッションには詳しくない。なので、タイキシャトルのようにお洒落をする事が出来ないのだ。
それでも、せめて少しでもオシャレに見えるように……と、学園に居た時よりも少し長くなった髪をまとめたりはしていた。
「ドトウ、髪は前みたいに切ったりはしないのデスカ?」
タイキが、ドトウの束ねられた髪を指差した。
以前まで肩に届かないくらいに整えられていたドトウの髪は、今は背中にも届くくらいに後ろでまとめられている。
「あぁ、これですか? ちょっと、伸ばしてみようと思って」
ドトウはそう言うと、自分の髪を手櫛で軽く解いてみせる。
「髪を伸ばしてる理由あるのです?」
タイキが首を傾げながら問うと、ドトウは小さく笑う。
「……奥さんの若い頃の写真見せてもらったんですが、あぁいう髪型もいいなぁ、って……」
ドトウは苦笑いしながら言った。
牧場で働きだしてそこまで長い月日は経っていないが、ドトウもタイキも旦那さんや奥さんとの仲は良好だ。
だから牧場の知識はもちろん、彼らの昔話についても色々聞く事がある。
特に、同じ女性として奥さんの話を聞く機会は多かった。その話を聞いているうちに……ふと自分も、あんな風になりたいと思う昔話があった。
「あの人ったら『お前の長い髪に惚れたー!』っつっで、プロポーズしてきてさ……私ゃ牛の世話で忙しいっづーのに」
奥さんがニコニコとしながら、まんざらでもない顔で語っていたのを思い出す。旦那さんは聞いてないフリして明後日の方を向いていたが。やたら気恥ずかしそうに。
ドトウはその話を聞いた時から、いつかは自分にもそんな出会いが訪れるんじゃないか……と心の内で期待してる部分があった。
そういう事を打ち明けると、タイキシャトルは驚いたように声を出した。
「トレーナーさんとは、失恋したんデスか!?」
呆気に取られて柱にぶつかるドトウ。
「い、いえ……トレーナーさんとは教員と教え子の関係で、そのぉ~……」
トレーナーとはタイキが思っているような関係ではないと、ドトウは身振り手振りで慌ててそう訂正する。
……もっとも、電話番号は教え合って“良き友人付き合い”を続けているのは確かだ。後進の事についてはテレビで見守ったり、精神面などは教え子だった立場から出来る限りアドバイスしたりもする。
「それなら良かったデス!」
トレーナーとの仲が相変わらず良好と分かって、タイキは嬉しそうにした。
「えっと……まぁ、と、とにかく! 若い頃の奥さんの真似をして伸ばしてみようかなー、なんて……ちょっとだけ思ってるわけでしてぇー……」
ドトウはそう言いながら頬を掻く。タイキシャトルは目を輝かせて何度もコクコクと首を縦に振った。
「ドトウなら、きっと良い旦那さんを見つけられマス! ワタシが保証します!!」
「そうですか……?」
ハッキリそう断言されると、なんだか気恥ずかしい。
「イエス! ワタシが男の子なら、きっと今すぐにでもドトウにプロポーズしてます! I love you!!」
また柱にぶつかるドトウ。今度は強めに額をぶつけて悶絶する。
タイキの言葉を真に受けているわけではないのだが、やはり言われ慣れていない言葉なのでどうしても照れてしまう。たぶん彼女なりに褒めてくれているのだとは思うが。
「……ありがとございます~……」
ドトウは痛みや恥ずかしさやらで火照る顔を押さえながら、なんとかそれだけを口にした。
それから二人は、必要な食材を買い集めた。卵や鶏肉など、料理の食材に使いやすいものをいくらか入れていく。
「ウェルへのご褒美、これがよさそうデス!」
「ジャーキー、老犬用のがいいですね」
「高級にんじんもお忘れなく!!」
「……あぁ、シャトじいじさんにあげてましたもんねぇ」
ドトウはそれらを吟味しながら買い物かごに入れていった。
一通り買い終えたのでレジに向かうと、ちょうどお客が居なかったのでそのまま店員のおばちゃんに会計をしてもらう。
そして会計が終わり、買ったものをそれぞれエコバッグに詰め終えると、マーケットを出ようとした。
「……お洋服のお店?」
ドトウが足を止めたのは、マーケット内に構えられた衣類専門店だった。
店内には所狭しと服や靴などが並んでいた。ドトウの目に止まったのは、コートだ。
(これ、着心地良さそう……)
値札を見る限りそこまで高くはない。試着してみても良いかもしれないと思い、タイキと一緒に店内へ入ってみた。
中には何人かの店員が居る。
「ハーイ!」
タイキが元気よく挨拶すると、みんな笑顔で返してくれた。
ドトウはぺこりと頭を下げてから、タイキと共にハンガーラックに掛かった商品を見始めた。
どれも可愛らしいデザインで、見ているだけで楽しい気分になる。
(……花柄のロングコート……欲しいけど、『おばさん臭い』って言われそう……)
心の中で葛藤しながらドトウは物色を続ける。ドトウの服装の好みはどちらかというと「カジュアル」なものだが、たまにそれがドトウの実年齢からは外れたものだったりする。
ドトウは、学園に通っていた頃よりも少し大人びた自分になりたかった。先の髪を伸ばし始めた話もそうである。
(やっぱり、背伸びしちゃダメかなぁ……)
あまり大人っぽい衣類を意識しても、似合わなくて逆効果だろう。
そうやってドトウが悩んでいると、横から声が掛けられる。タイキだった。
「ドトウ、これなんか似合いそうデスヨ?」
タイキが指差したのは、黒一色のロングコートだった。ストイックな容姿のマンハッタンカフェや樫本理事長代理が着れば、すごく似合いそうな気がする。
しかしそれが自分に似合うかどうかといえば、自信がない。
「ほら、この帽子と一緒に!」
大きめの黒帽子。ベレー帽だろうか。コートと帽子をタイキに持たされて促されるまま、試着室へ入った。
……タイキの指定した二つを併せて着てみると、なかなか悪くない。
鏡を見てみると、髪が少し長くなった事もあってモダンチックな大人の女性になったような気もする。
あえて凛々しく表情を取り繕っていれば、先に挙げた二人のように威厳をまとった雰囲気も出せそうだ。
(……これは、いいかも、です……)
普段とは違う自分になれているような感覚を得て、ドトウは凛々しく取り繕っていた頬が緩んだ。
それに、タイキが選んでくれたものなのだから、きっと自分にも良く似合っているに違いない。
そう信じて、ドトウは試着室を出るなりレジへ向かった。
ドトウは先ほどよりも軽い足取りで、タイキはそんなドトウの様子を微笑ましく思いながら、二人はマーケットを後にした。
買い物を終え、帰路に着く。
帰りのバスの中、ふとドトウはタイキに訊ねた。
「タイキさんの選んでくれた服、びっくりしましたぁ。今まで選んだ事のない服装だったので……」
それに対してタイキは笑顔で言いのけた。
「シャトじいじとお揃いデス!!」
「え……」
……いや、まぁ、確かにあの一色ロングコートという点では、シャトじいじと同じなのだが。
タイキはニコニコしながら続ける。
「シャトじいじと一緒にお散歩する機会があるなら、きっとステキにナリマス! モダンなドトウに、モダンなシャトじいじ! まるで絵画のモデルのようです!」
無邪気にそう言うタイキに対して、ドトウは曖昧な笑みを浮かべるしかできなかった。
だが同時に、タイキに言われた事を心の中で反すうしてみる。
(……絵画のモデル、かぁ……)
ドトウは、シャトじいじと出歩く自分の姿を想像してみた。
シャトじいじに手綱をつけて、ドトウが彼と歩いていく。
道行く人は、きっとみんなシャトじいじの事を目で追うだろう。
見た事もない動物であるという事もあるが、彼の雄々しい体躯自体が人を惹きつけるからだ。
それはどんなに羨望の眼差しを受けるのだろうか。
……そして、その横に自分が並んで歩いている。
(…………)
それはそれで、想像しているだけで楽しい気分になるのだが。“今のメイショウドトウ”にとっては何か足りない気がした。
「タイキさん」
「ハイ?」
ドトウの呼びかけに、タイキは不思議そうに首を傾げた。
「タイキさんのコート、今度選んでみましょっか。じいじさんや、私と一緒のやつ」
……タイキは少しびっくりしたような顔になって。それから嬉しそうに笑って、元気よく返事をした。
「ハイ! 機会があれば、旦那さんや、奥さんも一緒に歩きましょ! ウェルも一緒に!」
「じゃあ、他の厩務員さんが来るまでがんばらないとですね~」
そんな風に、バスの中で二人は笑いあった。