「……ラクダさん。ラクダさんのお名前はなんというのですか?」
具合の悪いトレーナーとスタッフを受け入れ、事態が一段落してドトウは新しく現れた不思議な生き物に名前を訊ねる。しかしその生き物は目をぱちくりさせるだけで何も答えない。
「やはりこの子も人間の言葉を話せる様子はアリマセン」
「だが、ボクの呼びかけには応えてくれた。きっと悪い子ではないはずさ!!」
テイエムオペラオーはそう言って、胸を張る。
ドトウは、その子が夢で見ていた『凄く悪そうなヤツ』と姿形が似ていたからいささか警戒していたが……ドトウに対して特に喧嘩を売ってくる素振りもなかった。
「……そうかもしれません。きっと悪い子ではない、とは思います……」
オペラオーの言う通りだと、自分に言い聞かせるようにいった。
ともかく、オペラオーのトレーナーさんを運ぶのを手伝ってくれたお礼とばかりに、飼料のにんじんを一つ差し出してみるタイキシャトル。
「シャトじいじが好きなのだから、お仲間さんもきっと大好物のはずです!!」
その生き物は差し出されたにんじんを鼻を押し付けるようにしてすんすんと嗅ぐが、それを口に入れる事はなかった。
「……あれ、もしかして嫌いデス?」
首を傾げるタイキシャトル。その様子を横から眺めていたドトウは食べない理由が分かった。
「あのぅ……一つ、思い当たる事がぁ……」
ドトウは台所で細切りにしてきたにんじんを桶に入れ、それを新しく現れた動物の目の前に差し出すドトウ。
その生き物は、まるでにんじんを舐めるかのように口を近づけてくる。
そうしてにんじんを口に入れた瞬間、目を閉じて味を確かめるようにモグモグと動かした。
それが美味しかったのだろう。満足げな様子で、また細切りのにんじんを食べている。
「ワンダフル! 丸々一本より、細切りにした方が好きなのデスネ!」
生き物が美味しそうに食べているのを嬉しそうに眺めるタイキシャトル。
「よくわかったね、ドトウ。この子が細切りの方が好きだって」
テイエムオペラオーも感心した声でいう。彼女にそう言われて、ドトウは恥ずかしがって俯いてしまう。
「えぇっと……牛さんにも細切りやペースト状のしか食べない子がいますから~……」
そういう知識も牧場生活で身につけた賜物であろうか。
「そういうものなのか。丸々一本の方が食べごたえもありそうだけれど」
テイエムオペラオーがにんじんを与えながらそう考えるが、ドトウもそれについて一言呟いた。
「……やたら高級なお肉より、普段食べているお肉に近い方がより美味しいと感じる人は、大勢いますから……」
細切りの方が好きそうだという考えに至ったのは、先日見た番組の様子とこのラクダみたいな生き物の様子が重なったせいもあった。
そういうドトウの説明を聞いて少し目を丸くしてから、くすりとした笑顔をラクダのような生き物に向けるテイエムオペラオー。
「ボク達は案外似ているのかもしれない」
「…………」
ラクダのような生き物は相変わらず眠そうな顔をして、当然の如く人間の言葉も話さない。だが、それでもオペラオーにはなんとなくこの子の気持ちが分かる気がしていた。
オペラオーはふと吹雪の向こうを見る。その視線の先には相変わらずの優美な大自然による、白い銀世界が広がっている。
「実は、この牧場が取材先に選ばれたのはボクが『ここに行きたい』ってお願いしたのもあるんだ」
テイエムオペラオーはそういって、少し真剣な顔でドトウとタイキの方に向き直る。
その様子に二人は不思議に思い、耳を傾けた。
「オペラオーさんがお願いした、ですか?」
「牛さんに興味アリマシタ?」
二人の質問に対して、にこりと微笑む。
「もちろん、それもある。純粋に牧畜業がどんなものか知りたくもあった。けれど、一番の理由は君たち二人に会いたくなったんだ」
それは、二人には予想外の言葉だった。ドトウとタイキは揃ってきょとんとした表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせてしまう。やがてタイキはにっこりと笑顔を浮かべ、ドトウの頬にはじわじわと赤みが差していく。
そんな二人を見て、テイエムオペラオーは真剣な顔をする。先刻言い淀んだ事を改めて伝えるかのように。
「……ボクのトレーナーがよく言ってたからね。『人間でもウマ娘でも、会えるときに会っておかなアカン』って」
そう言って、オペラーはラクダのような生き物の背中を撫でる。生き物は返事をするように鳴き声を上げた。
「だから、ボクも積極的に会いに行く事にしたんだ。トレーナーにも、君たちにも」
テイエムオペラオーは真剣な顔を崩して、にこやかな笑みを浮かべてそう言った。
「ありがとう。不思議な生き物クン。キミのおかげで、トレーナーを上手く運べたよ」
テイエムオペラオーはラクダのような生き物へお礼を述べ、その生き物も眠たそうに首を小さく縦に振る。
「キミはトレーナーの方を乗せたいという素振りをしていたけど、男の人だから重たくはなかったかい?」
「…………」
オペラオーの問いに、ラクダのような生き物は相変わらず何も答えない。彼は意味ありげにオペラオーの顔を見つめるだけだった。今までオペラオーの語っていた事に何か興味を引く事があったのか、はたまた単に眠たくてぼーっとしてるだけなのかは判然としない。
だがその様子を眺めていて、ドトウは思った。
「ラクダさん……真面目で、おとなしい子なんですね」
一見してその表情からは間が抜けているようにも見えるが、本質的にはその逆で利口かつ風格も兼ね揃えている事がドトウにも伝わってきた。
ドトウは夢の中に現れた"その子"の影にずっと怯えていたが、実際に対面してみたら案外仲良く暮らしていけるもしれない。
「ラクダさん。貴方も、おうちに帰る道が分からず迷ってしまわれたのですか? もしそうなら、シャトじいじのように――」
ドトウは一緒に暮らす事を提案するように語りかけていたが、その途中で目の前の生き物が眠たそうな目でじっとドトウを見つめている事に気がついた。
『自分には帰るべき場所がある』
そう言わんばかりに、眠たそうに見える彼の目は確信めいた眼差しをしていた。ドトウは思わず口を閉ざしてしまう。
この子は、自分の意思を持っているのだ。そして自分が何処に居るべきなのかを理解している。
そういう印象を抱いたのは正しかったのか、彼はドトウの誘いに応じる事なく白い銀世界の方へ向き返る。
「また会いマショウ! ラクダさん! 美味しいにんじん、細切りにしてオマチシテオリマース!」
去っていく彼に対して、別れの言葉を投げかけるタイキシャトル。ラクダに似た生き物は振り返らずに、ゆっくりと尻尾を振った。
チロチロとした粉が吹雪く中、彼の姿を覆い隠す形で突風が起きる。それは一瞬の事であった。巻き上げられた雪が霧散してしまえば、そこにラクダのような生き物の姿はすでになかった。
「……やっぱり…………」
ドトウは、牧場主の奥さんから聞いた御伽噺を再び思い返していた。
あれから体調不良になった二人は宿舎で少し休み症状が改善され、スタックから抜け出せた車でホテルの方に帰っていった。
帰りの道中、時間潰しにドトウとオペラオーは話を交えていた。
「……この地方には、不思議な御伽噺があるそうですぅ」
「御伽噺?」
「えぇ、とはいってもぉ……子供に吹雪の日に出歩かないように言い聞かせる為の言い伝えみたいですがぁ……」
そう前置いてから、ドトウは地域に伝わる御伽噺をオペラオーに話し始めた。
たとえ会いたかった者だとしても、決してその者について行ってはいけないよ。
その者について行けば別の世界に辿り着いてしまうから。
たとえ会いたくなったとしても、決して吹雪の日に外に出てはいけないよ。
ドトウの御伽噺を要約すればそういった内容になる。
「……ラクダさんも、その別の世界から来たのでしょうか……」
ドトウは疑問を口にする。テイエムオペラオーはそれに対して少し考え込んでから、ドトウにこう言った。
「怖いかい?」
「え?」
「ドトウは最初、あの子に対して怯えたようにしていた。それが何となく気にかかったんだ」
テイエムオペラオーに指摘されて、ドトウは改めて考え込む。しかしそれについての答えはもう出ている。
「……怖くありません。だって、素直で良い子だと分かりましたから」
ドトウは自分の思いをそのままに語る。
テイエムオペラオーの言う通り、最初は夢に出てくる生物と瓜二つのシルエットだった彼に対して恐れを抱いていた。だが今は、そうではない。恐怖という感情は既にない。……だから、もう一度あの夢を見ても「あの名前の子はそんな風に悪い子ではない」と思えるはずだ。
「……そうかい。なら、ボクも安心したよ」
ドトウの言葉を受けて、テイエムオペラオーは笑んだ声色でそう言った。何故彼女が安心したのかは、ドトウには分からなかったが。
そして、その夜。ドトウは牛舎で、シャトじいじに話しかけていた。
「今日は本当に色々ありましたねぇ」
いつもと変わらない穏やかな声で語りかけながら、ドトウは牧草を食べ終えたシャトじいじの身体をブラシで擦る。
そんなドトウの姿を、シャトじいじはじっと見つめていた。
「シャトじいじは、別の世界からやってこられたんですかぁ?」
そう訊ねても、シャトじいじはそれについてよく分かってないように軽く首を傾げた。やはり言葉が通じない以上、意思疎通は完璧とはいかない。
だが、ドトウはそれでも良かった。今すぐに別れが来るわけでもなさそうだというのが分かっただけでも。
――「……ボクのトレーナーがよく言ってたからね。『人間でもウマ娘でも、会えるときに会っておかなアカン』って」
「…………」
ドトウはシャトじいじの体を洗い終わると、彼の首を手を回すように抱きしめた。
「また、会いましょうね。シャトじいじ」
そう語りかけてから、ドトウはシャトじいじの首元に頬ずりする。彼の体毛が心地良く感じられる。その温もりがとても懐かしく思えて、ドトウはしばらくそのままの体勢になっていた。
「……やっぱり懐いてマス……」
後ろから視線を感じる。牛たちの世話を終えてきたタイキシャトルが呼びにきたようだ。ドトウはそっとシャトじいじから離れると、タイキシャトルの方に向かう。
するとタイキシャトルは腕を組んでむっつりとした表情から、笑顔になって大きく腕を広げた。自分も抱き締めろという事だろう。
素直に抱き締めると、ぎゅうと強く抱き締め返される感触。暖かくて気持ちが良い。
「今日はお互いきっとグッドな夢が見られマス! また明日から、牛さんやシャトじいじ達を牧場主さん達と一緒にお世話シマショウ!」
ドトウは彼女の言葉に静かに頷きながら、ゆっくりと呼吸をする。
タイキシャトルの匂い。優しい太陽の光のような、それでいて何処か力強い。まるで陽だまりの中にいるような感覚がする。
――いつまでもこんな日が続けばいいのに。
シャトじいじと一緒にいられるのも、タイキシャトルと一緒にいられるのも、いつしかは終わりがある。
……そう理解しつつも、ドトウはただ願わずにはいられなかった。