牧場暮らしのドットさん【連載完結】   作:稗田之蛙

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見えてきた岐路

 牧場のかかりつけの獣医は、牧場によく来てくれるお医者さんだ。

 フランケンシュタインみたいに顔に大きな縫い目があって、見た目はとても怖いけれど。動物と接する態度から、本当は優しい人なのだとドトウは知っている。

 時々ついてくる幼稚園児くらいの娘さんが「ちぇんちぇーはすっごいおいしゃさんなのよさ!」だとか、よくドトウやタイキに自慢してくる。その様子から親子仲は良好なのだろう。

 

 ……先生の人柄についてはさておいて。

「黒男先生、シャトじいじについて何か情報はありましたか……?」

 ドトウは牛達の検診に来た先生に、シャトじいじが何であるかを再び訊ねた。

 以前、シャトじいじが一体何の動物か質問した事がある。その時は先生ですらよく分からず、結局は謎のまま終わってしまった。

 その代わりとして、先生は獣医や専門家に聞いて回ってくれていたらしい。

「一応、おえらい学者サマにも彼の写真を見せたのだけれどね……」

 先生は、頭をポリポリとかいた。どうも、あまり納得のいかない話のようだ。

「どうかしたんですか……?」

「作り物の写真だと一蹴されたよ。だが私の話だけでは信じなかった癖に、番組で動く姿が取り上げられた途端『新種の生き物だ!』と躍起になってなさる。おえらがたっていうのは、まったく……」

 そういえば、オペラオーにシャトじいじの飼い主の捜索を頼んでもいた。それもついに全国放送されたようで、牧場への見学が牛ではなくシャトじいじを目当てに来る人がちらほらと見かけるようになってきた。

「……やっぱり、飼い主らしき人は見つかってないんですよね」

 ドトウは、残念そうに言った。先生はドトウが用意したコーヒーを飲みながら、ドトウに諭すように告げる。

「むしろ、今となっては『自分こそが飼い主だ!』なんて嘯いて連れ去る輩すら出てきても不思議ではないだろうね」

 ドトウは、その言葉を聞いてゾッとした。本当の飼い主の元に帰すのなら喜んで見送る事が出来るが、ウソをついて引き取る人が何をするかなんて考えたくもない。

「そ、そ、そ、それじゃあ……私は一体どうすれば……」

 ドトウは、震えた声で恐る恐る質問する。

「…………醤油」

「へ?」

「まずは醤油とコーヒーを取り替えてくれ」

 先生が飲んでいたのは、ドトウがコーヒーと間違えて出した醤油だった。

「ご、ご、ごごごご、ごめんなさい~~~~!!!!!」

 相変わらずドトウのこの手のドジ癖は変わらない。慌てて謝ると、先生は「大丈夫。ウチの子も似たような事をするから慣れてる」と苦笑いを浮かべていた。

 

 改めてコーヒーを口に運びながら、先生はまずは簡単な事から説明を始めた。

「シャトじいじは、哺乳類なのはほぼ確実だろう。それならば当然、雌雄がある。繁殖するのに数も必要だ。だけれどこんな動物の目撃例は無い。まるで、彼だけが特別な存在のように」

「その、じゃあ、野生の動物が突然変異したのがシャトじいじって事は?」

「それは無いだろうな。旦那さんもいってたが、人間に飼われてた形跡がある。なによりこの地域の気候じゃ野生の動物はあそこまで長生き出来ない。よほど大事にされてきた証拠さ」

 黒男先生は、そう断言した。ドトウは、そんな話を聞きながらも、先日のカウルの事やシャトじいじが現れた日の事を思い返す。

 ――やっぱり、シャトじいじは別の世界からきたんだ……。

 そんな事を目の前の先生に言えば正気を疑われるからとても言えたものでないが。

 ……だとしたら、ずっと牧場で飼う事になるのだろうか?

「…………もし」

 ドトウは、胸の内に秘めていた思いを噴き出すように、ぽつりと呟いた。

「もしも、飼い主が見つからなかったら! 私達がずっと世話を続けてもいいんでしょうかっ?!」

 正直な話、ドトウはシャトじいじと一緒に居たかった。これにはカウルの件も大きく関係しているかもしれない。

 目を輝かせてそう訊ねてくるドトウを目の前に、先生は難しい顔で顎に手を当てた。しばらく考え込むような仕草をして、やがてゆっくりと口を開く。

「……餌代も世話の手間も掛かるだろう?」

「大丈夫です! いざとなれば、私の給料から天引きしてもらっても構いませんし、世話も全部私がっ!!」

 勢いよく答えるドトウに、先生はますます難しい顔をした。

 先生は、コーヒーをぐいっと飲み干してから、真剣な顔でドトウを見つめる。

「――では、病気になったら?」

 そう言われ、ドトウは言葉を詰まらせた。

「病気か怪我をした時、誰に治療を頼む? 私だって、彼に対しては間に合わせの健康診断が精一杯だ」

 先生は、鋭い眼差しをドトウに向けた。

 確かに、知識が全くない動物が病気になったらどうしようもない。高齢だとも聞いている。

 でも、それでも、シャトじいじを誰かに任せるのだけは嫌だった。

 何か言わなくてはと思うが、言葉が出てこない。

「……知り合いの、信頼出来る学者さん達がね。シャトじいじの事を研究と観察の為に引き取りたいといっていた。そういう環境なら、万が一病気になっても治せるんじゃあないかと私は思っている」

 先生は、ドトウの気持ちを知ってか知らずか、淡々と言葉を続けた。

 ドトウは、何も言い返せなかった。先生の言う事は正しい。

「……元の飼い主なら、あの動物に関して十二分の知識を持っているかもしれないが」

 先生は、まるでもう一つの選択肢を提示するように付け加えて。

 

 ドトウは、俯いて黙り込んでしまった。その様子を見かねてか、先生は話題を変えるように静かに語り始めた。

「ずっと昔、この牧場にもお子さんがいてね」

 先生は、懐かしそうな目をしながら窓の外を眺める。ドトウは、その話に耳を傾ける。

「ずいぶん快活なウマ娘の子だった。将来はお父さんとお母さんみたいに、自分も牛達のお世話をするんだと張り切っていてね」

 先生は、遠い昔の思い出を語っているようだった。ドトウは「旦那さん達、お子さんいたんだ……」と、意外に思った。今まで子供が居たという話は聞いた事がなかったからだ。

 先生の話は続く。

「キミのように、動物が好きなお嬢さんだったよ」

 先生はドトウを横目で見ながらそう言った。

 ドトウは『動物好き』といわれて微妙な照れ臭さを覚える。

 だが先生は、やがて少し寂しげな表情を浮かべながら、ぽつぽつと語り続けた。

「その子は幼かった。屠畜に出す動物を哀れんで、その動物を逃がす為に手綱で引き連れて何処かへ行ってしまった。なんの因果か、猛吹雪の日にね。それ以来、この牧場へは帰ってきていない。……きっと、もう二度と会う事は無いだろう」

 ドトウは、先生の言葉の意味を理解するのに数秒を要した。

「それって……」

「……まぁ、そういう事だ。だから、くれぐれも血迷った事はしないでくれよ。キミなら心配ないとは思うが」

 先生はそう言って話を締めくくると、鞄を持って部屋を出て行った。

 一人残されたドトウは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 ――シャトじいじ……。

 

 ドトウは、自分の胸に問いかけた。

 先生の勧め通り『ちゃんとした設備があるところで、余生を送らせる』べきなのか。

 ずっとこのまま『ここで暮らす』べきなのか。

 それとも……シャトじいじを『元の世界に帰らせる』べきなのか。

 

 シャトじいじの年齢を考えれば、悠長に構えている時間はそう長くない。

 ……近い内に、どれかを決断しなければ。

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