「大丈夫、いたって健康ですよ」
去年からお世話になっているかかりつけ医の鎬紅葉先生の言葉を聞いて内心安堵の息を吐く。
「ありがとうございました。いつも通りに診断書をお願いします」
「はい、わかりました。どうぞお大事に」
診察室を退室した俺は支払い窓口前に座ると改めて安堵の息を吐く。
これは前世の不健康だった俺の経験則とも言えるのだが『痛くない=病気や怪我じゃない』、『痛くない=病気や怪我が治った』わけじゃないのだ。
例えばスポーツ選手がちょっとした怪我で休んでいたが、痛みが無くなったから練習を再開した結果より怪我を悪化させてしまう……なんて事が起こる。
なので素人が怪我や病気を簡単に判断してはいけないのだ。
しかし鎬先生は若いのに凄い優秀だな。身体もしっかり鍛え込んでるみたいだから、スポーツや格闘技に対する理解もしてくれる。いい主治医に巡り会えたもんだよ。
こんな風に健康を気にしている俺がプロレスをやってるのはどうなんだと思うが、俺が叩き出すエンゲル係数を考えると一般的なサラリーマンの給料じゃ到底無理なんだ。
他にも身体能力的にコンタクトスポーツは事故が起きそうだから無理。プロレス以外の格闘技はありっちゃありだけど……多分プロレスほど楽しくはないだろうなぁ。
「三浦さ~ん、三浦良意さ~ん」
「は~い」
さて、領収書と診断書をちゃんと貰わないとな。面倒だけど猪狩さんが経費で落としてくれるって言ってるしね。
◆
side:鎬紅葉
「おっ?それは例の少年のカルテか?」
「……藻木か」
束の間の休憩時間に三浦君のカルテを見ていると、不意に友人の藻木研一郎(もぎ けんいちろう)が話しかけてきた。
「う~ん、何度見てもとんでもない骨密度に筋密度の数値だな。脂の乗りきった超一流のアスリートならまだわかるけど、これでまだ成長途上の若者だってんだから人体は不思議なものだよ」
たしかにこれほどの筋密度と骨密度も驚きだが、それ以上に私が驚いているのは筋繊維のバランスだ。私が思い描いていた理想的な肉体……その肉体の筋繊維バランスに酷似しているのだ。
理想的な筋繊維バランスを保持しており、その上で私の想定を超える筋密度や骨密度に身長までをも持っている。しかも身長に至っては成長途上なのだ。そんな彼は陳腐な表現となってしまうが超人と言えるだろう。
「そういえば鎬、あれはどうすんだ?」
「あれとは?」
「あれだよあれ、『理想的な肉体は医学的見地に基づいた科学的トレーニングで造れる』ってやつ」
私は格闘家や武術家が我等が最も人体に精通していると我が物顔でいるのが我慢ならなかった。
故に藻木の言う通りに計画的にトレーニングを積んで肉体が完成した暁には、彼等の鼻を明かすつもりだったのだ。……『彼』に出会うまでは。
「……それは白紙だな」
「えっ?マジで?理由は?」
私は手にしていたカルテを軽く振ってみせる。
「なるほどなぁ、天才には敵わんかぁ」
「大抵の者等には勝てる肉体は造れるだろう。だが当初の目的は果たせず『凡人でも辿り着ける領域の理想的な肉体は~』となってしまうだろうな」
やる前から敗北を認める。我が人生で初めての経験。だが思いの外スッキリした心持ちなのが不思議だ。
「そっかぁ……じゃあトレーニングは止めちまうのか?」
「いや、続ける。トレーニングを通じて人体への理解を深めるのは、次なる私の目的に沿っているからな」
「次の目的ィ?」
首を傾げる藻木に私は不敵に笑って答える。
「例え天性の肉体を持っていても辿り着けない、我々だけが辿り着ける到達点……世界一の名医に、な」
そう言うと藻木は大笑いした。
「おいおい、そんなに笑うことはないだろう?」
「あっはっはっはっ!いや、すまんすまん……あぁ、安心した」
「安心?」
「あぁ、研修医時代からお前は手技を完璧にこなしてたが、患者を見ている様には見えなかった。けどここ最近のお前はちゃんと患者と向き合っている様に見えるんだ。だから安心したって言ったんだよ」
確かに藻木の言う通りに過去の私は患者を……他人を見ようとはしていなかった。それは言い訳のしようもない事実だ。
「心配を掛けてしまったかな?」
「まぁな。けど、もう大丈夫なんだろ?」
「あぁ」
差し出された藻木の手を自然に取り握手を交わす。この時、私は本当の意味で藻木と友人になれた気がした。
「藻木、すまないが手伝ってくれ。1週間後の手術について検討しなおしたい」
「えっと、確か足を切り落とす予定だったやつか?」
「あぁ、切り落とさずに残せないかどうかをな」
術後の肉体の経過を考えれば切り落とすのがベスト……以前の私はそう考えていたが、今の私は患者の心情を考えて残す手術にしたいと思っている。
我ながら変わったと思うが……悪くないと思える変化だ。
これで本日の投稿は終わりです。
また来週お会いしましょう。