今日は娘の誕生日だ。
仕事帰り。刺さるような寒さの街を俺は歩く。
「もうアイツも11か・・・」
娘の歳の感慨深さに無意識に独り言をつぶやく。
11。俺が前の"仕事"から足を洗ったのが14年前だからその3つ下の数字。
最初は猫のように小さかったマリアも、これからは大人になる準備をするってタイミングなのか。
「お、そうだ。何かプレゼントを買って帰らないと」
帰る途中に、おもちゃ屋の看板が目についたので中に入る。
扉を開けた時のベルの音の次に、カウンターにいる髭面の男が手を振って挨拶をする。
「おぉ、アランじゃないか!いらっしゃい!今日は何かおもちゃで遊ぶんですかい?」
「なわけ無いだろ。娘の誕生日だよ」
「そうかぁ~。ならこれはどうだい?最近流行りのウサギのお人形~」
店主はウサギの人形を手に取る。
「流行らないだろ。そんな地味なの」
なんの変哲も無い。無個性なウサギ。だがその無個性さが、カートゥーンの中に登場する個性だらけのウサギとは違うキュートさを感じた。
「ガキの趣味はわからなくてな。とりあえずそれにするよ」
そう言いアレンが財布から金を出そうとすると、店長が感慨深い声色で語る。
「しかしなぁ。お前さんが子供を持つとはね。酒に溺れたヒットマンだったお前が・・・」
「いい加減その話はもうしない!あの時の俺はどうかしてたの!」
そう。俺は娘が産まれるまでは殺し屋だった。
20代の頃、俺は自分の中の邪悪を持て余していた。
他人への悪意、そして暴力を振るいたいという漆黒の衝動。それを満たすために殺し屋の世界に入った。
確かに天職ではあった。悪意と暴力の発散でお金が手に入る。こんな楽な仕事は無いさと思いながら、家の中で酒に浸って生きていた。
それが変わったのはエミリーが目の前に現れてからだ。
バーの中で青のネオンに照らされていた君の横顔を見た時から、俺の世界の色は変わったんだ。
人間の心の中に愛がある事を知った。そしてそれは誰の心の中にだって。最初からあるんだって事を。
そして俺は殺しから手を引く事を決意した。
娘のため。妻のため。そして自分のために。その決断をした。
「娘によろしくなぁ~」
店主の声を背後で感じながら、扉を開けて外へ出る。
意外とサイズの大きいウサちゃんだ。紙袋を持つ両手が塞がっている。
こんな事でしか愛を示せないが、これでマリアが笑顔になってくれると良いんだが。
金髪のロングヘアーを持った少女がぬいぐるみに抱きつく姿をつい夢想してしまう。
娘ももう11になる。そろそろ人生に関する色んな事を教えてあげないとな。
ふと時間を気にして街の時計台に目をやると、6時30分ちょうどを指していた。
まずい。もう誕生日パーティが始まる。急がなくては。
そう思い、いつも時間が足りない時に利用する人気の無い路地裏を使って近道をする事にした。
人の全く通らない路地裏。いつも通りの静寂。
その中央に差し掛かった時、背中に何か熱い感覚がした。
熱が集中しているような。背中にだけ熱湯をかけられている気分。
それは次第に痛覚へと変化していく。
「刺された」
その感覚を理解した時には手遅れだった。
腹を貫通したナイフが紙袋に血を浸透させていき、白かったウサギのぬいぐるみの体が、徐々に真紅に染まっていくのが見えた。
そして力を失い倒れていく自分の体。
生死を彷徨う体験をしたからわかる。これはもう助からない。
路地裏の壁に倒れ込むと、目についたのは知らない男。
年齢は20行くか行かないかだろうか。服もボロボロに汚れている。
「・・・誰だ?」
かすれた声で男に聴く。
すると、わなわなと震えながら男は溜めた言葉を一気に吐き出すように怒号を上げる。
「お前が殺した夫婦の息子だよ!14年前の!」
14年前?
理解できない。という目をしていると、男は怒りと悲哀を交互に行き来するような声で”あの時”の詳細を語る。
「忘れたのか!俺はあの時クローゼットに隠れていた!と父と母に泣きながらお願いをされて!」
アランの瞳孔がハッと開く。そしてその時全てを理解した。
「そしたら5分後にお前はやってきた。両親を滅多刺しにした!俺はただクローゼットの隙間からそれを見ているしか無かった!」
あの時のターゲットの子供か。
「俺はアンタを殺すことだけを考えて生きてきたんだ!」
俺の、最後の仕事の・・・
アランは忘れていた自分の罪の全てを思い出していた。
他人から傷つけられた事は忘れていないのに、他人を傷つけた事は忘れてしまう。
それを”無かった事”にしてしまう。
そんな自分という生き物の都合の良さに、この時になってようやく気づいた。
せめて、彼にだけはちゃんと謝らないと。
「そうか・・・すまない・・・」
「・・・全部。俺のせいだ・・・」
アランのかすれるような弱々しい言葉。
「すまないって。なんで謝るんだよ!」
思いもよらぬアランの謝罪の言葉に男は激怒する。
しかし、怒りに満ちた男の態度が、徐々にわなわなとした態度に変わっていく。
刺されたアランのスーツの脇から出てきたのは、血に濡れた家族写真。写真の3人は満面の笑顔だった。
その家族写真が、アランの改心と、謝罪の言葉が真実であることを、男に理解させた。
「お前は悪いヤツで、そんなお前を殺しに来たんだ!俺は・・・俺は・・・悪いやつをやっつけに来たのに・・・どうしてなんだ・・・どうしてすまないなんて・・・お願いだからいい人になんてならないでくれ・・・パパ・・・ママ・・・助けてよ・・・」
怒りに満ちた口調は、涙声になっていき、最後には哀しみに満ちた声色へと変化していった。
薄れゆく意識の中で、アランは罪の意識を思い出す。
あぁ、終わってなかったんだ。
俺の中では過去なんて既に精算したと思っていた。
改心した次点で過去も精算できたと思いこんでしまったんだ。
ちゃんと謝るべきだった。どんなに自分の立場が危ぶまれても、それは謝るべき事だったんだ。
「すまないな。マリア。エミリー・・・」
もう周りには誰も居ない。あの男もどこかに消え去って行った。
ふと、空を見る。
すると、空気の中でふわふわ漂うような穏やかな雪が体に降ってきた。
手のひらに雪の結晶が一つづつ落ちていくのを感じながら、白い視界の中で、自分の意識は暗黒の中に封鎖されていった。
「あっ。雪積もってる~!」
マリアが家の窓を開ける。
「こ~ら!ダメでしょ?暖房は節約しなきゃなんだから!」
「でもお父さんのために雪だるま作ってあげた~い!」
「ん~それは許しちゃう!」
それから家の中でマリアは退屈そうに時計を見る。
「ところでパパの帰り遅いわねぇ」
「雪で交通が止まっちゃったのかしら、でも良いじゃない。こんなに雪が降って、誕生日をやるのにこんなにちょうどいい夜はそんなに無いわよ」
「じゃあお父さんが来る前にハッピーバースデーの歌の練習でもしようよ!」
「それはいいわね!」
家に響き渡るハッピーバースデーの歌。机の上には11本のロウソクの付いたケーキが乗っていた。
雪が万物を白く染めている。
家も。庭も。電灯も。庭にある雪だるまの大きい手袋にも。
そして1人の男も、誰にも知られずにその体を純白の雪化粧に彩られていった。
その雪は彼以外の全ての人間にとっては祝いの白だったが、彼にとってだけはそれは涙に他ならなかった。