凱旋門賞に間に合わなかった……。
確か会社でミスをしでかした後、帰ってからベッドで布団をかぶり、「死にてぇ~!」って叫んでいたはずなのだが、気が付くと何やら目があけられない。本当に死んだのか?
俺のミスでみんなに迷惑をかけたのに、みんな嫌な顔せず総出で手伝ってくれたんだ。いい人たちだったのに恩も返せず死んでしまったのだとしたら、ほとほと申し訳ない。
しかし、死んだ割には体の感覚があるな。身をよじらすことが出来るようだ。
あっ、なんか万歳が出来た。うぇ~い。
って、うぇ~いじゃない。そんなことはどうでもいいんだ。もっと反省しなくては……。
と、反省しようと思っていたのだが、どうも万歳した方へと進んでいっている気がする。
なんか押し出されている?あれ?なんか手の感覚が変わったな。少しひんやりしている。
って、どんどん上に行っているぞ。あっ、顔が出たっぽい、光を感じる。と思ったら投げ出されたぞ。
目があいて、慣れてきたと思ったら、藁があって、何やら巨体が隣に寝そべっている。
って、これ馬じゃね?
首をもたげた母親らしき馬と目が合って、俺は畜生道に堕ちたことを悟った。
なんでやねん。
あれから、体をふかれたり、母馬から体をペロペロされたりと、されるがままだった俺だが、どうやら周りの人の反応からするに、斑点一つない綺麗な栗毛とのこと。母ちゃんも栗毛だが、ところどころ白い部分があるな。
そして、驚愕の事実が判明した。何やら尻の方を確認しているなと思ったら、俺は牝馬だった。前世で息子を使ってないのに、今生でも使うことすらできないとは……。そういう星の元で生まれたということだろう。きっとわたしは今、遠い眼をしているに違いない。
なんだかんだで、さっさと立つことが出来たのだが、思ったより早い立ち上がりだったらしい。周りの人が喜んでいた。そして、こっちだよと母の乳へと案内された。
なんだか複雑な気分になって母ちゃんを見つめたが、はよ飲めと促されたので、飲むことに……。ごちそうさまでした。
あれからしばらくたち、元気に母と柵の中を歩き回っています。
どうもわたしはとても小さいらしい。少しでもわたしが母親のそばを離れようものなら、母はすぐに駆けつけてくる。とても心配性なお母さんである。みんなからはイクノ姉さんと呼ばれているので、イクノ母さんと呼んでいる。しかし、この母、2秒に一回はわたしのことを見ているのではないだろうか。お世話する人すら寄せ付けない勢いである。もうぴったりベタベタだ。
おそらくサラブレッドなので、いつかは親離れするのだろうが、この様子では、わたしが連れて行かれる日に、一緒についてきそうである。
まぁ、先のことはいいだろう。その時のイクノ母さんに聞いてくれ。
さて、お肉にはなりたくないので、サラブレッドとして勝てるべく、今から走り回っておくことにしよう。いや、これも先のことか……。いや、母さん、ピッタリ付きすぎ。走りづらいよ。
そんなこんなで、毎日走り回っていたのだが、この体、なんだかすごくスタミナがあるっぽい。引退しているというのもあるだろうが、イクノ母さんはヘトヘトなのに、わたしはピンピンしていた。子供は風の子、元気な子で片づけていいものなのかね。まだ生まれて2か月経ったかぐらいなんだけど……。
そして相変わらずイクノ母さんはべったりで、いまだに乳飲め乳飲めと迫ってくる。一応イクノ母さんとは別に飼葉も食べてはいるんだけど、わたしが食べているとすごく不機嫌そうにこちらを見て、食べ終わったら、わたしの乳の方が上手いだろとばかりに、飲ませようとするのだ。まぁ、頂くことは頂くんだ。だって、頂くまでは放してくれないんだもん……。
またしばらく経って、今日は何やら人も馬もたくさんいる場所に連れてこられた。
入れ代わり立ち代わり、建物の中に入っては、出て行くのを繰り返している。
様子をうかがっていたが、やっぱりわたしたちほど、ぴったりくっついている親子はいないよイクノ母さん……。
そうこうしているうちにわたしの順番が来て、建物の扉が開いた。というか、わたしが最後だったようだ。後ろには誰もいなかった。
中に入ると、真剣そうな眼をした人たち、疲れたような人たちが集まっていた。なるほど、これは競り市だな。こうやって買われて、母親の元を巣立っていくのだろう。
説明を聞いて分かったことだが、父ちゃんの名前はメジロマックイーンというらしい。そして、いつもイクノ母さんと言っていたが、イクノディクタスというのが母の正式な名前のようだ。母方の父ちゃんはディクタスだそうだ。祖父さんも重要らしい。黄金配合再びと言っていたが、何のことやら……。
ちなみに、わたしの紹介は、280番イクノディクタスの1999と言われたので、思わず記号かよと思ってしまった。牧場の方ではいつもおチビちゃんとしか呼ばれていないのも名前がないせいだったようだ……。
そうして始まったわたしのセリは、わたしが小柄なこともあるのだろうか、なかなか一声目が上がらない。
ダメだったかと諦め、目を伏せたのだが、その様子を見たイクノ母さんがエキサイトした。
別に温厚なお母さんというわけではないのだが、わたしの娘に何してくれとんじゃとばかりに周りを睨みつけながら、嘶いた。
大丈夫、大丈夫だからと、母ちゃんを落ち着かせるのは大変だった。まぁ、格好良かったけど……。
イクノ母さんの嘶きが功を奏したのかは分からないが、ひとり、眼鏡をかけたおじさんがわたしを買ってくれた。800万円というのは高いのだろうか安いのだろうか。ありがたい。これで少なくともお肉からは少し遠ざかるだろう。
ただ、最後までイクノ母さんは周りにガンを飛ばしていた。もう大丈夫だってば……。
とうとうイクノ母さんとの別れの日がやってきた。
前よりはわたしも大きくなったのだが、それでもまだまだイクノ母さんより小さい。結構いっぱい食べているんだけどね。さすがに離乳は完了しています。言わせるな恥ずかしい。
そして、最後までイクノ母さんはベッタリでした。
馬運車が来て、さあ乗るぞという時まで、一緒だった。涙まで流してくれて、それだけ愛してくれたということだ。頑張ってくるよ。イクノ母さん……。
こうして生まれた牧場を離れて新天地へとわたしは向かうのだった。
さて、訓練?調教される?毎日を送っているわたしなのだが、名前が決まったようで、フロウレスというらしい。頭から尻尾の先まで綺麗な栗毛だそうで、そのスポットレスなところからフロウレスらしい。完全無欠みたいな意味だったような気がするが、まぁいいだろう。戦績が穴ぼこだらけにならないように頑張るだけだ。
そして、やはりどうやらわたしは他の馬と比べてもスタミナがすごいようだ。全然ばてない。これなら長距離で勝てる、みたいなことを言っていたから、長く走れるように走り方を研究しよう。
今日は、わたしのデビュー戦である。
日が昇りきらないうちにゲートに入ったから、早めのレースなのだろう。未勝利戦2000mという声が聞こえたから、まぁ、そんなものなのだろう。短い距離だ。
ゲートが開き、わたしは一番外側から跳び出した。ぐんぐん加速する。ハナは取った。
やっぱり走るのは気持ちがいい。
鞍上の兄ちゃんも景気よく押し出してくれる。走りやすい。
1000m60秒ジャスト。後ろも全然来ている音がしない。そのまま気持ちよく走る。
あぁ、もう終わりが見えてくる。まだまだ走れるのにと思いながら、ゴールした。
勝ち時計2分ジャスト。大差圧勝でのゴールだった。イクノ母さん、フロウレスはやりましたよ。
その後、何度か2000mのレースに出ては勝った。雨の日もあったし、馬場がちょっと重い日もあったけど、あまり関係なかったように思う。
そして今日は五月の半ばが過ぎたころ。大きな競馬場で、午後のレースに出ることになっているようだ。オークスというらしい。2400mで、今まで走った中では一番長いし、一緒に走る馬も多い。まぁ、走りきることには問題ないでしょう。
真ん中ぐらいのゲートから跳び出す。今日も足は軽い。馬場も良好だ。鞍上の兄ちゃんもいつもとかわらない。あとは気持ちよく走るだけ……。
1000mはやっぱり60秒ジャスト。やっぱりすぐ後ろには誰もいなさそうだ。まぁ、わたしはこのまま巡航速度を保つだけなんだけど……。
直線に入った。やっぱり後ろは全然来ない。そしてゴールはもう目の前。2400mもやっぱり短い気がする。
大歓声の中、鞍上の兄ちゃんにご苦労さんとばかりに首筋をポンポンと叩かれながら、わたしはなんとも言えない寂しさを噛みしめていた。同年代の頂点に立ったとか何とか言っていたから、思っていたよりずっとわたしは強いらしい。
ただ小さいは余計だ。それなりには食べているんだけど、340kgより大きくならないのだから仕方がないじゃないか……。
夏は久しぶりに故郷の牧場に帰ってくることが出来た。馬主さんの計らいらしい。イクノ母さんにも会えて、さらには妹にも会えた。しかしイクノ母さん、妹ほったらかして、わたしの方に駆け寄ってくるのはどうなの?もうそこまで小さくはないと思うんだけど……まぁ、嬉しいけどさ。イクノ母さんのグルーミングが止まりませんでした。
ごめんね妹よ。わたしがやってあげるから今は我慢してくれ。
さて、秋も深まった頃、またレースに出ることになった。菊花賞というらしい。3000mで、とうとう3000m台のレースである。1周半ぐらいのレースのようだ。
驚いたのは、わたしの周りには牡馬しかいなかったということだ。というか、わたしの紹介が、「55年ぶりの牝馬制覇なるか」だったので、あまり牝馬が勝てるレースではないのかもしれない。
雨が降る中でのレースは2回目だ。大外のゲートで開くのを待つ。よしっ、今日も絶好の跳び出しだ。
ハナを取ろうと加速したのだが、取れなかった。2頭ばかり、わたしよりすごい加速をかまして結構前に行ってしまった。わたしは4番手ぐらいから追いかける形に……。初めての感覚だ。こいつらとなら楽しめるかもしれない。
そう思っていたのだが、2分が経った時にはわたしは先頭を走っていた。先を走っていた2頭はバテたようで脚が鈍っていた。付き合ってられないと、外から抜かしていったのだが、だんだんと後ろの音が遠くなっていった。
3000mももうすぐ終わりだ。長く走れて満足だったが、やっぱり、わたしの圧勝だ。きっと長距離ではわたしの敵はいないのだろう。
おい実況、「世界レコード、世界レコードだ!鉄の女の娘が牡馬を蹴散らしたぞ!」って、イクノ母さんをなんて呼び方しているんだ。いい母さんだぞ……。そんなことを考えながら、口取り式を迎えたのだった。
菊花賞が終わって一か月ぐらいが経った頃だろうか。またレースに出ることとなった。
今回は3600mだそうで、2周も走れるようだ。今回もわたしのほかには牝馬はいないようで、あと、前回よりゲートに入る馬の数が少ない。今回は一番内側だ。ぶっちぎろうではないか。
「勝利ジョッキーインタビューです。おめでとうございます。」
「ありがとうございます。」
「まさに圧巻、世界レコードの圧勝劇でした。今のお気持ちをお聞かせください。」
「嬉しいは嬉しいのですが、負けるとは思っていませんでした。皆さんもそうでしょう?なにせ単勝1.0倍でしたし……。」
「レース中の手ごたえはいかがだったんですか?」
「いつも通りですよ。いつも通り良いので気持ちよく走らせることだけに注力しました。本当に精密機械ですよ。1000m60秒を常にキープするんですから。このペースを超えられなければ、彼女とは勝負にすらなりませんね。」
「レース後のフロウレスの様子はいかがだったのでしょうか?」
「さすがに長い距離を走っただけに息遣いが整うまで、時間がかかりましたが、それでも息の戻りが早いですし、息遣いがとても上手な馬ですよ。」
「なるほど、息遣いですか。そこらへんがこの大記録に現れているのかもしれませんね。ありがとうございます。最後にファンの皆さんに一言お願いします。」
「そうですね。次走が何になるかはわかりませんが、またフロウレスの精密機械っぷりを期待してもらえたらと思います。楽しみにしていてください。」
「ありがとうございました。勝利ジョッキーインタビューでした。」
「ありがとうございました。」
冬も故郷の牧場に帰ってこられた。馬主さんありがとう。
やっぱり、イクノ母さんは一目散に駆け寄ってきたけど、そろそろおなかが重いのかゆったりとした足取りだった。今年はどんな子だろうね。元気に生んでください。
イクノ母さんと一緒に食べて、一緒に歩いて、ゆったりとした年越しを過ごしたのだった。
桜の花がようやく開き始めたころ、またレースに出た。
3000mで菊花賞と同じ距離で、同年代以外の馬たちも参加するレースだったのだが、問題なく勝てた。まぁ、いつもと同じペースで走っていただけなんだけどね。
桜も完全に葉桜になったぐらいでもう一つレースに出た。
まぁ、3200mのレースで楽しかったが、圧勝でした。相変わらず牡馬だらけの中で、走ったけど、もはや気持ちよく走るだけで良いのかもしれない。
鞍上の兄ちゃんは「次は世界だ」と言っていたが、次のレースはどこなのだろうか……。
先のレースが終わって間もなく、飛行機に乗ることになった。
次は世界だというのはこのことだったらしい。
しかし、狭い。小柄なわたしで狭いのだから、普通の馬はもっと狭く感じるに違いない。
結構な時間飛行機に揺られ、降りられたと思ったら一週間ぐらい隔離された。
まぁ、病気のこととかいろいろあるのだろうさ。理解していますよ。ただ、ごはんも水も日本の方が美味しいかな。これも仕方ないか。
ようやく、走り回れるようになってからは、地面の新しい感覚を楽しんだ。
どうもこちらの馬場は、自然な地面に芝が生えたような感じらしい。あと、上がったり下がったりする道を走らされた。こちらもまぁ、問題ない。日本に無い感じなので面白かった。
そして迎えたレース当日、実況者が何かを言っているが、英語が早すぎて聞き取れない。
鞍上の兄ちゃんが言うには「今日は長いぞ」とのこと。「存分に走っていいぞ」とも言われたので、楽しもう。
2003年に220勝した名ジョッキーは、インタビューにて、あの時のゴールドカップのことを振り返ってこう語った。「あれは悪夢だった」と。
2001年に日本でアローキャリーに乗った日、別のレースで涼しく勝っていた小柄な馬のことは知っていた。
同年のラジオたんぱ杯2歳Sの時、間違いなくマチカネアカツキは良い馬だったが、追いすがることもできずに負けた。
2002年、11月30日、ステイヤーズSのワールドレコードをビデオで見たときは、もはや乾いた笑いしか出てこなかった。こんな牝馬がいてたまるかと。
そして、2003年、ワールドレコードを叩き出す精密機械がゴールドカップに参戦すると聞いた我々欧州のジョッキーたちは、間違いなく腹をくくった。
かの馬の枠順は中ほどだった。故に恥も外聞もなく我々は、妨害工作に打って出た。一度ハナを取られれば終わる。それほどまでに活路がなかったからだ。
我々は絶好のスタートを決め、同時に内の馬は外へ、外の馬は内へ寄せた。
しかし、分かっていたかのように1頭するりと抜け出てしまった。それがかの馬フロウレスだ。
しばらく直線ということもあるが、あの鞍上はやはり上手かった。妨害工作なんて予想していたのだろう。フロウレスを真っすぐ走らせて捕えさせなかったのだから……。
それからは何もできない。ただただ、かの馬が離れていくのを見ているだけ。
「ミスターダイノス、すまない。今日のレースは終わってしまった。」と、心の中でひたすら詫びたよ。
結果、2位入着したものの、何もできなかったことに打ちのめされたよ。あのレースがトラウマになったジョッキーは、何人いたことだろうか……。
正しく、あれは悪夢だった。
わたしにとって言えば、キャリアハイでリーディングジョッキーを取ったことを振り返ると、必ずあのレースは付いて回るんだ。
悪夢だろ?
カドラン賞?ははっ、フロウレスに挑戦しただけでも我々は勇者さ。
再びイクノ母さんのところに帰ってきた。今度は弟君が生まれていたよ。
わたしが先を行くと、とことこ後ろをついてきて可愛かった。と思ったら、さらに後ろからイクノ母さんもついてきていた。ちょっとしたカルガモの気分だった。弟君も頑張っていいお馬さんになるんだよ。
ところかわって、また飛行機に乗ったと思ったら、前回とはおそらく別の国についた。
また長いレースに出させてもらえるようだ。
当日、前回のレースにも出ていた馬が2頭ほどいた。
元気そうで何よりだったが、今日もぶっちぎってあげた。
ただ、馬場がやたら重くて今までで一番走りづらかったのは覚えている。終わった後にみんなへとへとになっていた。わたしとしてはへとへとになるほどではなかったんだけどね。う~む。
日本へ帰る飛行機かと思ったら、別の国に降り立った。
昼間と夜の気温の差がすごかった。あと、レースに出るまで、毎日のように取材というか報道関係者が訪れていた。
わたしは気にしなかったけど、ここまで多いとストレスで調子崩す馬もいるのではないだろうか。
わたしのことよりも、お世話してくれているお姉さんが対応もしなくてはならず、てんてこ舞いになっていた。
まぁ、問題なく勝った時に、ほっとしている様子が印象的だった。
お疲れ様です。
ようやく日本に帰ってきたのだが、今年はもう一つレースに出るらしい。
年末の大一番である有馬記念だそうで、去年も出られたそうなのだが、あの2周を走ったレースから一か月無かったみたいで、出走しないことにしたそうな。
当日、パドックをぐるぐる歩いていたのだが、よく見ると、みんな牡馬である。わたしの出るレースには、どうしてこんなにも牡馬が集中するのだろうか。まぁ、前回のレースで久々に牝馬に出会うことはできた。彼女はわたしに続いて2着だったが、基本的に牡馬だらけで競い合うことが多い。
いつものように跳び出したのだが、3頭でハナの取り合いになった。内外真ん中で、わたしは真ん中だった。もっとも、1100mを過ぎる前に外が垂れてきて、1300mを過ぎたあたりからはわたしが前に抜けた。
このままゴールだなと思ったら、なんと、後ろから迫ってくる音が聞こえた。とはいえ、わたしには、末脚とか、そういうのはないので、あぁ、とうとう負ける時が来たのかと思ったのだが、抜かれる前にゴールにたどり着いてしまった。
ちょっと冷っとしたので、誰が迫っていたのかを振り返ろうとしたら、黒い大きな馬体が隣まで来ていた。見上げるとギラギラした眼でこちらをにらんでおり、怖かったので、ゆっくり離れることに……妙な視線はしばらく離れることが無かった。
あぁ、びっくりした。
今年の冬は故郷に帰ることはなく、休んではトレーニングをしていた。なんでも一か月半後にあるレースを勝てば、日本にある3000m以上のでかいレースはすべて勝ったことになるらしい。
なるほど、いろんな国に行って、長い距離のレースを走っていたのも、わたしを長距離界の女王にするためだったそうだ。
そして、どうやらわたしは今年で引退するらしい。どこまでもタフなわたしを世界に見せつけてやろうじゃないかと言われた。
訓練のおっちゃんは、わたしよりずっと気合が入っていた。というか、背後に燃え上がる炎を幻視した気がする。
やっぱり今年も周りは牡馬だらけだった。
もうそういう運命なのかと割り切って走ることにした。
気分良く走れたのでまぁ良いでしょう。
また飛行機に乗って別の国へ。おそらく、ここは前に取材への対応が大変だった国だろう。
今回も大変なのだろうか。お姉さん頑張ってください。
なんと、前に2着だった牝馬がいるではないか。
いやぁ、なんかちょっと嬉しいかも。
元気だったか尋ねようと思ったのだが、気合が十分で、そんな雰囲気ではなさそうだった。
結局、彼女はわたしに続いて今回も2着になっていた。
勝った後も、残念ながら周りがわちゃわちゃしているうちに彼女はいなくなってしまった。
仲良くなりたかったんだけどな……。
もうしばらくここに滞在するらしい。
一月後にもう一つレースがあるようだ。
少々忙しない気もするが大丈夫だろう。いや、文句を言わせてもらうならば、もう少しおいしいお水が飲みたい。故郷の水は強いということか。
この国での最後のレースだから頑張ってねとお姉さんに首をなでられた。
大丈夫。問題なく勝利しますよ。
彼女の海外遠征に常に同行した厩務員は、このようにインタビューに答えている。
小さくて、眼はクリっとした可愛いお姫様みたいな感じなんですよ、見た目は。
でも、お世話しているとわかるのですが、なんとなく包み込んでくれるような、安心感のある雰囲気がするんですよね。なんて言うんでしょう……年上の男性みたいな。
特に感じたのは、メルボルンカップやシドニーカップ、アデレードカップに出たときのオーストラリア遠征の時です。
ゴールドカップやカドラン賞で注目を浴びちゃって、取材陣が殺到したんですよ。
お世話に対応にバタバタしちゃって、調教師の先生に怒られても仕方がないぐらいにわたしはパニックになっていました。
でも、そんなとき、彼女をふと見たら、彼女の眼は優しく語りかけてくるような、そんな感じだったんです。
大丈夫、大丈夫だから、落ち着きなって……。
こんなにも小さくて、こんなにもかわいいのに、もう包み込まれた感じがしちゃって……。
だめっ……思い出したら泣けてきちゃった。
とにかく彼女から年上の男の人のような包容力を感じてしまいました。今思うと、ホースセラピーを受けていたようにも感じます。
ほんと、かわいくて、やさしくて、かっこいい馬でした。
レース?そんなものいつも通り負けるわけがないじゃないですか。厩務員であるわたしのことを心配するぐらいに余裕があるんですよ?
たぶんアデレードカップの時ぐらいですかね。オーストラリア遠征で彼女の厩務員としてしっかり仕事をできたのは。
嬉しかったなぁ、レースが終わった後、関係者が集まった中で、わたしにだけ、胸に飛び込んできてくれたんですから……。
繫殖牝馬としては、彼に取られちゃっていますけど、心の夫婦はわたしだと思っています。
そこは絶対に譲りません。……略
以後、ひたすらにフロウレスへの愛が語られただけなので割愛させていただく。
夏、今回もイクノ母さんに会いに行くことが出来た。馬主さんには感謝しかない。
おそらく、今年引退したら、もうここへ来られることはないのだろう。
故郷ではなく別の場所で繫殖牝馬になることが決定しているようだ。なんか馬主さん同士でやり取りがあったそうな……。
寂しそうな様子を感じ取ったのか、イクノ母さんは、ずっとそばにいてくれた。
ありがとう。元気でね。
また飛行機に乗って移動した。たぶん、あの一番走りづらかったレースをした国だと思う。
ただ、あの時とは比較にならないぐらいに今日は人がいっぱいいた。そんなにすごいレースなのかな?
訓練のおっちゃん、いつも先生と呼ばれて偉いようなのだが、なんだかすごく緊張していた。いつもの貫禄はどこへやら……。
2400mで短いだろうが、わたしなら勝てるって、そう言いながら撫でてくれた。
ただ、まぁ、そんな震えながら首をなでられてもね……。
日本競馬の悲願が達成された日。その取材で、彼女の調教師は語ってくれた。
わたしはね。フロウレスに惚れ込んでしまった一人です。本当にうちの厩舎に預けてくれたことを感謝してもし足りないぐらいです。
そして、彼女に入れ込みすぎてしまったと言ってもいい。何度か妻と喧嘩になったほどです。このフロウレスの名を汚さないようにずっと気を配っていました。
今までのローテーションを見てもらえればわかると思いますが、彼女は2600m以上で戦うのがベストだと思います。この距離で彼女より速い馬は今後出てくるかどうかは疑わしいです。逆に言えば、これ以上距離を短くするとリスクを負うことになります。有馬記念で冷っとさせられたように……。
2歳馬たちは体が出来上がっていないからこそ、2000mは勝負できました。
牝馬クラシックを取らせてあげたかったからこそ、一番長いオークスを選びましたし、勝てると確信して菊花賞に送り込みました。あとは全部彼女の距離で勝負をしてきたつもりです。ですから、やはり、去年の有馬記念だけは、勇み足が過ぎたなと言わざるを得ません。もう少しで彼女の名を汚すところでした。
しかし、こう言えてしまうほどに、彼女のペースを保つ力、息の長さは凄まじいものがある、絶対的なものがあるということなのです。
だとしたら、リスクを負ってまで2400mの凱旋門賞に出したのはなぜかということになります。
もちろん、わたし自身の凱旋門賞を取るという夢を追ったという部分が無いかと言われたら、無いとは言えません。
しかし、精密機械たる彼女がいつものペースを保って走りきるなら、確実に勝てるというのも正直な気持ちでした。どんな欧州馬場であろうと、彼女の息が持つことは、ゴールドカップやカドラン賞で証明済みです。2400mなんて彼女にとっては道半ばもいいところですよ。
そして、凱旋門賞の歴代優勝タイムを見てみますと、パントレセレブルですら24秒台に到達したところです。25秒台ですらシンダーしかいません。
つまり、彼女を万全の状態で送り出すことさえできれば勝てる、それだけは確信していました。
しかし、困ったことが一つだけありました。
彼女の万全の状態とはどういう状態なのかということです。
彼女は精密機械のように毎レース1000m60秒を叩き出します。実のところ、わたしを含め、厩務員たちも彼女の調子が悪いと思える状態を見たことが無いのです。さらに言えば、彼女の調子が良いとはどういった状態なのかというのも、恥ずかしながらよく分かりません。
馬体?牡馬に劣らず筋肉質であることを除けば、とても小柄で軽いのが彼女ですよ。馬体で判断するならば、心配しか出てきません。特に大きい牡馬との接触なんて考えたくもない。
普段と変わらず、好不調の波があるのかもわからないまま、彼女は精密機械のように走り続けるんです。
故に、わたしは当日震えていました。やはり、彼女の調子が良いのかがさっぱり分からなかったのです。
彼女だって馬です。生き物です。今日がその精密機械が狂う日だとしてもおかしくないわけです。
でもね。彼女を撫でに行ったら、なんでそんなに震えているんだとばかりに不思議そうな顔をするわけですよ。
そこで確信しましたね。今日は勝てるって。いつも通りだって。
彼女がバゴに6馬身差の一着を決めたとき、わたしはきっと良い顔をしていたと思いますよ。どこかに写真とか映像はないですかね?
満面の笑み浮かべ、今まさに彼は勝利の美酒に酔っていたのだろう。
後日、取材班が関係者たちを映した映像を確認してみると、喜びを爆発させる関係者たちの中で、一人だけ「どうだ見たか」とばかりに右手を握り込んだ調教師の姿が映っていた。
きっとどこかの写真コンテストに持っていけば、最優秀賞を取れたに違いない。
前回の短いレースから一か月もしないうちにもう一つレースに出た。
この国での最後のレースだと言われたけど、まぁ足元が酷かった。今までで一番足元が緩くて、ダートコースを走っているみたいだった。
問題なく勝ったら、ダートレースもいけるのではと調教師のおっちゃんたちが話し合っていたけど、まぁ、今年で引退するし、出ることはないでしょう。
日本に戻ってきてまたしばらくすると、また飛行機に乗っての移動となった。
着いたのは初めて訪れる国だったように思う。
そして、これがわたしの最後のレースだそうだ。有馬記念は去年も走ったから、今年はこっちにしたそうで、2400mだけど、前と同じように走れば勝てるらしい。
最後だし、いつもより速いペースにしようかと思ったけど……まぁ、いっか。
香港ヴァーズが終え、また、彼女の引退式も終えた馬主は、インタビューでこう答えた。
あぁ、フロウレスですか。本当は彼女を購入する気はなかったんですよ。セリで見たときは、本当に小さくてね……。いくらメジロマックイーンとイクノディクタスの黄金配合とはいえ、キソジクイーンの戦績は芳しくなかったわけですから……。あの場にいた人達は、やはり、入札する気はなかったと思いますよ。
まぁ、主取りかと思って眺めていたら、件の仔馬が残念そうに俯いたわけですよ。
やけに人間臭い仔馬だとは思いました。少しかわいそうにも思いましたが、こちらもビジネスですからね。情で購入するわけにもいかないじゃないですか。
びっくりしたのはその後ですね。イクノディクタスがそれはもうすごく怒って嘶いたわけです。まさにディクタスの血を感じさせるものでした。我が子のためとはいえ、ここまで怒るのはただ事じゃないとは思いました。ただ、やっぱりこれぐらいだと、購入することはなかったと思います。
購入を決めたのは、その仔馬が、イクノディクタスを宥めたのを見たからでした。
すごくないですか?普通、親馬が怒っていたら、仔馬も委縮しそうなに、逆に宥めにかかるなんて見たことがありませんでした。
まぁ、それでも走るとは思わなかったので、開始価格に少し上乗せ程度で購入させてもらいましたけどね。今となっては、破格で購入したと言わざるを得ません。たぶん主取りを除いて、メジロマックイーン産駒で一番安かったと思います。
手がかからないことは、生産牧場の方から聞いていたのですが、本当に手がかからなかったようで、とんとん拍子で調教は進んだみたいです。まぁ、イクノディクタスと早くに別れさせてしまったのは少しかわいそうなことをしたなとは思っています。もっとも、だからこそ、機会があるごとに短くても一緒にしてあげたわけですが……。
そして、厩舎に預けてしばらくしたら、お礼の電話が来ました。こんな素晴らしい素質馬を預けてくれてありがとうございますって。どういうことかと思いました。あの小さい牝馬のどこをどう見たら素晴らしい素質馬だと言えるのかが不思議でなりませんでした。だから、思い切って見に行きましたよ。
そうしたらびっくりしました。確かに小柄なところに変化はありませんでした。しかし、牡馬を思わせるような引き締まった体で、併せ馬たちを次々に置き去りにしていくんですよ。我が目を疑うという経験を初めてしましたね。
調教師の先生からは、強い、息が長いと聞かされましたからね。どのレースに出るかについてはわたしもロマンを追い求めさせてもらいました。3000mを超える日本の重賞は全部取ったと思いますし、海外含め、3000mを超えるG1競走は、すべて勝ち取ったんじゃないでしょうか。遠征費用も掛かりましたが、あの大差での勝利をみれば、全て吹き飛びますよ。
わたしの愛馬が最強なんだってね。
レーティングにも表れているでしょう?
引退後ですか?もちろん繁殖牝馬として大事にしますよ。
もっとも、もうすでに種付けさせてくれと頭を下げられているので、相手は決まっていますがね。まぁ、わたしもちょっと見てみたいものがありまして合意させてもらった感じです。
彼女の産駒を楽しみにしていてください。
はてさて、無事に引退して、どこかの牧場で新しい生活を送ることになったのだが、やはり、イクノ母さんとは違う牧場だった。
それは仕方がないとあきらめもつくが、それよりも困ったことに、暇すぎた。
今までお世話してくれたお姉さんもいなくなり、どうも決まったお世話をする人を作らないことがルールなのか、毎日違う人が世話をしに来る。別に誰が来ても暴れたりはしないが、せめてもう少し仲良くなれるほどには関わる時間を増やして欲しかったりする。
そして、訓練が無いこともないが、運動程度で圧倒的に少ない。放牧中にあてがわれた柵の中で走り回るしか運動のやりようがない。
もっとも、走り回っていることを知ったのか、定期的に広々と走れる場所に案内してくれるようになった。まぁ、種付けするまでの間だけかもしれないが……。
なんだか今日は、仕切り越しに牡馬に背中を嗅がれるというよくわからないことをやらされた。牡馬というものは背中を嗅ぐと安心するのかね?好きなだけどうぞとしばらくじっとしていると牡馬君は連れていかれてしまったから、なんかのセラピーだったのかもしれない。
その後、お医者さんだろうか、お尻の方で何かごそごそやられたが、何が良しだったのだろうかよく分からなかった。
幾日が経ち、今日は車で移動することになった。
到着したのはこれまた大きな牧場だった。
そして、なんかまた牡馬がやってきて、背中を嗅がれた。というか、ここの牡馬君は鼻息が荒いな……。
しばらくして、割と広い部屋に入ると、おや、向こうの方にわたしを買ってくれた人がいるではないか。近づいていくと、どこに行くのかと紐を持ってくれていた人にびっくりされたが、無事に向かうことができて、撫でてもらえた。
撫でられていると、しっかりした子を産んでくれといわれたので、ようやく理解できた。
今日は種付けに来たようだ。なるほど、今日の牡馬の鼻息が荒かったのもそういうことだったのだ。
しばらく撫でられた後、元の場所に戻って待っていると、黒い牡馬君がやってきた。
背中を嗅がれた後、めっちゃすりすりしてくるもんだから、まぁ、お返しということでグルーミングをしてあげた。妹にしてあげていたから上手いはずである。
お気に召したのか、すごくうれしそうにしていた。
なんだかすっかりほっこりして、二人寄り添って、お互いにはみはみしていたんだが、周りの人たちが、相性が良すぎたかとか、交配はどうしようかと言い出したので、仕方がない。わたしを買ってくれた人に恩を返すべく、わたしから動くことにした。
結果、無事にことが終わり、元の牧場に戻るためにもお別れすることになった。
とはいえ、別れようとすると、やはり彼の方はわたしと別れるのが嫌なようで、紐を引っ張って引き離そうとするものならば、めっちゃ威嚇していた。
仕方がないので、宥めすかした。車の移動時間的にも2時間はかかっていないと思うからまた会えることを伝えると大人しくなった。もっとも連れてきてくれるかは牧場の人次第なのだが……。
結果的に、わたしの苦労は何だったのかと肩透かしを喰らった。
というのも、別れてまた車に乗るかと思いきや、今日からこの牧場に住むことになるようで、一つの馬房に案内された。
わたしを買ってくれた人と隣にまた別の人もいて、ウォーエンブレムを頼んだぞと言われた。なるほど、あの黒い馬は、ウォーエンブレム君というらしい。
しかし、頼むぞとはどういうことだろうか。ことは済んだし、これ以上何かするようなことがあるのだろうか……。
次の日、何を頼むのかがよく理解できた。
というのも、ウォーエンブレム君は、繁殖牝馬の好き嫌いが激しいようだ。
昨日ことに及んだ場所に連れていかれてみると、わたしより大きくて強そうな牝馬に対して嫌だ嫌だと種付けしようとしない彼がいた。
そして、わたしを見るや否や、わたしの方に近づいてきて、またはみはみをしてきた。
どうにかこうにか落ち着かせたのだが、相手の牝馬がいたたまれないだろうに……。
とりあえず、わたしがここに引っ越してきたこと、ウォーエンブレム君の子どもにみんな期待していること、これから来る牝馬たちに君が種付けをしてくれなければ、わたしはもうここにいられないだろうことなどを伝えた。
すると、彼は愕然とした様子で、しばらくわたしの周りをはみはみしながら回った後、待ちぼうけをくらっている彼女の方へ向かい、ことを成していた。
なんだかんだ、好みにうるさくてもアフターケアはするようで、割と紳士なウォーエンブレム君でした。まぁ、すぐにわたしのところに戻ってきてはみはみし始めたけど……。
というか、お世話係の諸君、わたしのことを拝むな。まぁ、今まで大変だったんだろうけどさ……。
こうして、交配のたびにごねる彼のもとに出向いては、彼がことに及ぶのを見守るということを繰り返した。というか、わたしが来ないと交配しないようなので、それはそれで困った君ではあったが、無事100回ぐらいは、ことを済ませられただろう。
おそらく、繁殖の時期が終わったのだろう。秋も本格化し始めた。
とはいえ、毎日、彼のところに出向くことに変わりはない。なんでも、わたしがいないとすこぶる機嫌が悪く、人や物に当たってしまうようだ。わたしといるとそんな様子を一切見せないというか、ずっとわたしのそばを離れないので、イクノ母さんを思い出す。まぁ、慣れているからいいかということで、ゆったりと過ごしていた。
冬も深まった頃、さすがに腹が重くて、運動がしづらくなってしまった。
彼もなんだかそわそわしているし……。大丈夫、安心しなさい。無事に生んで見せますよ。
……なんだか無事に生まれた。
お母さん想いの子なのかはよく分からなかったが、本当にすんなり生まれて、すぐに立ってくれるし、すぐに乳も飲むしで苦労がなかった。牡馬でした。
さすがに次の日に彼に会いには行けなかったが、遠くから嘶きが聞こえたので、無事に生まれたことを報告しておいた。
後で聞いたが、その日は一人なのに大人しかったそうな……。
しばらくして、彼に会いに行ったのだが、さすがに仔馬と牡馬を一緒にすることはできないようで、柵越しに挨拶をした。生まれた仔もそんなに物おじしない性格なのか、彼がいても気にならない様子。まぁ、彼のように大きくなってくれればと思う。
また繁殖の時期が来たようで、我が子も近くにいながら彼とことに及んだ……なんだこれ。
そして、今年も彼のお目付け役のような、促し役のようなそんなことを繰り返した。
夏が来て、そろそろ、我が子も巣立つ頃になるのだろう。わたしの時と同じように、セリに参加することとなった。
車で移動して、部屋に入っていく。517番だそうで、わたしの時に合わせたのだろうか、順番は最後だった。
なんだか紹介が恥ずかしかった。ウォーエンブレムの女房だとか、100頭以上と交配させた立役者とか……わたしの戦績だけで良かったのに。
我が子フロウレスの2006(栗毛)は、なんと、セリの価格は2000万スタート。
よかったね。わたしの時とは違って、みんな君に期待してくれているよ。お家に帰ったら、また一緒に訓練しようね。と語りかけると、我が子はこちらに顔を寄せてきた。
こうやって甘えてくるから、本当にかわいい。
結果的に2億4000万円で買ってくれたようだ。わたしを買ってくれた人も入札していたようだが、残念ながら別の人が落札していた。それにしても、わたしの30倍だ。すごいね。
9月を迎える頃には、我が子との別れがあった。
これからどんどん本格的に訓練していくようだ。まぁ、わたしが教えられることは教えたので、あとはお世話になる人の言うことをよく聞いて、頑張りなさい。
たいてい別れの時には、仔馬たちは嘶き続けるそうなのだが、我が子はむしろ、行ってきますと言ったような感じだった。頑張ってきなさい。
こうして何年が過ぎただろうか。どうやら彼は故郷に帰りたくなったようだ。
今年の種付けシーズンの最後の方は、もはや、わたしが何を言っても、ずっと私のところから離れなかった。
そうして、我が子との別れの後に、彼との別れをすることになった。
最後の前日、一緒に夜間放牧に出してくれたのは、きっと牧場の人たちの計らいに違いない。
はてさて、彼もいなくなったし、わたしはどうなることやらと考えていたのだが、なんと、わたしも飛行機に乗って移動することになった。
どこに行くのかと思いきや、降り立ってみると、彼がいるではないか……。
というか彼だけでなく、牝馬たちが控えていた。
なるほど、いつものことか。
どうも、この牝馬たちと交配しないと、まずいようだ。
彼自身は、わたしともう一度会えて喜んでいる。喜んでいるところ申し訳ないが、また説得するとしよう。
何日かかけて無事にことが済んだ。後で知ったが、あのままだと去勢されるところだったようだ。
こうしてわたしがまた帰ることとなり、彼に最後の別れを告げた。
本当に最後だということが分かったのか、涙を流していた。彼はイクノ母さんと同じように涙を流してくれた。
あぁなるほど、きっとわたしにできることはやりきったのだろう。
何の因果か分からないが、畜生道に堕ち、肉にならないように頑張ってきた。
繁殖牝馬にもなり、彼を助けてきたと思う。そして、彼が故郷で余生を過ごすことができるように最後の手伝いができた。これがきっとわたしが馬となった理由なのだろう。
彼を助けてくれとの願いによって、わたしは彼と巡り合うことになったのだと思う。
飛行機の中で、草を食みながら、わたしはそんなことを考えていた。
あれから生んで、教えてまた生んでを繰り返した。
なぜか毎回異なるの牡馬と交配したのだが、理由があったのだろうか。
ちなみに最後の子のお父さんは、後で知ったが、三冠馬のお父さんを持つ三冠馬だったらしい。ただ、どうも足元があまり強くなかったようで、わたしが選ばれたようだ。
というのも、わたしが頑丈だからか、わたしの仔達は総じて足元が強いみたいだ。
そういえば、ついぞ、ウォーエンブレム君との仔以外には、牝馬が生まれなかった。もっとも、彼女たちは、サンデーサイレンスとかいう牡馬の血を薄めるのに一役買っているそうだ。
今年も生まれた我が子に走り方を教えながら、何年か前に亡くなった彼のことを偲んでいる。
わたしはまだ元気です。
日本が世界に誇る名牝が亡くなった。37歳の大往生だった。
生涯成績は19戦19勝、多くの国を渡り歩いての、この生涯無敗、連勝記録は、他に類を見ない。今後このような馬が出てくるのだろうか……。
出てくるとしたら、きっと彼女の血筋からに違いない。そう考えてしまうのはわたしだけではないはずだ。
お墓は、彼女の母の墓の隣に一つ、そして、彼女の夫の墓の隣に一つ作られるようだ。
イクノディクタスもウォーエンブレムも彼女に首ったけだったことから、すぐそばにおいてあげるのが正解だろう。
馬体は最後まで若々しいままだったそうだ。これもイクノディクタスに似たのだろう。前日も元気に走り回っていたと言う。
いつもの時間になっても起きない彼女の眠った姿を見て、職員たちは手を合わせたそうだ。
冥福を祈りながら、きっと彼女の活躍が頭をよぎったに違いない。
天性のステイヤー、日本調教馬として初の凱旋門賞馬、産駒の勝ち上がり率100%。
彼女を称える言葉は数多あれど、やはり、彼女と言えば、この言葉だ。
「精密機械」
生涯狂うことが無かった1000m60秒という彼女の走り。
30年以上たった今でも色褪せることのない伝説である。
「フロウレス」
その名の通り、欠けたるところのなかった牝馬だ。
小柄な馬体、綺麗な栗毛、どんな馬場でも魅せる力強い走り。
目を閉じれば鮮明に浮かんでくる彼女の姿に今しばらく身を委ねたいと思う。
名前 フロウレス 牝馬 栗毛 340kg
生年月日 1999年5月1日
父:メジロマックイーン
母:イクノディクタス
レース ローテーション
・2001年 10月7日 2歳未勝利 2000m タイム2:00.0 賞金510万 大差11馬身
・2001年 12月2日 エリカ賞(500万下) 2000m タイム2:00.0 賞金1028万 大差13馬身
・2001年 12月22日 ラジオたんぱ杯2歳S(G3) 2000m タイム2:00.0 賞金3258.8万 大差20馬身
・2002年 4月21日 サンスポ賞フローラS(G2) 2000m タイム2:00.0 賞金5309.2万 大差24馬身
・2002年 5月19日 優駿牝馬(G1) 2400m タイム2:24.0 賞金12,653.3万 大差22馬身
・2002年 10月20日 菊花賞(G1) 3000m タイム3:00.0 賞金15,435.0万 大差35馬身
・2002年 11月30日 ステイヤーズS(G2) 3600m タイム3:36.0 賞金6,484.0万 大差57馬身
・2003年 3月23日 阪神大賞典(G2) 3000m タイム3:00.0 賞金6,510.6万 大差35馬身
・2003年 5月4日 天皇賞(春)(G1) 3200m タイム3:12.0 賞金13,590.6万 大差35馬身
・2003年 6月19日 ゴールドカップ(G1) 4014.224m タイム4:01.4 賞金3,930.4万 大差112馬身
・2003年 10月5日 カドラン賞(G1) 4000m タイム4:00.0 賞金1,852.3万 大差225馬身
・2003年 11月4日 メルボルンカップ(G1) 3200m タイム3:12.0 賞金25,979.2万 大差47馬身
・2003年 12月28日 有馬記念(G1) 2500m タイム2:30.0 賞金18,281.4万 3馬身差
・2004年 2月15日 ダイヤモンドS(G3) 3400m タイム3:24.0 賞金4,339.9万 大差47馬身
・2004年 4月17日 シドニーカップ(G1) 3200m タイム3:12.0 賞金3,603.1万 大差55馬身
・2004年 5月17日 アデレードカップ(G1) 3200m タイム3:12.0 賞金3254.5万 大差93馬身
・2004年 10月3日 凱旋門賞(G1) 2400m タイム2:24.0 賞金12,436.0万 6馬身差
・2004年 10月24日 ロイヤルオーク賞(G1) 3100m タイム3:06.0 賞金1,554.5万 大差137馬身
・2004年 12月12日 香港ヴァーズ(G1) 2400m タイム2:24.0 賞金19,448.6万 大差35馬身
獲得賞金 154,689.5万 19戦19勝
2002年最優秀3歳牝馬、最優秀父内国産馬
2003年最優秀4歳以上牝馬、最優秀父内国産馬、年度代表馬
2004年最優秀4歳以上牝馬、最優秀父内国産馬、年度代表馬
カルティエ賞
2003年 最優秀ステイヤー
2004年 最優秀ステイヤー 最優秀古馬 年度代表馬
WBRR
2003年 139ポンド
2004年 139ポンド
産駒一覧
・2006 牡馬 父ウォーエンブレム
・2007 牝馬 父ウォーエンブレム
・2008 牝馬 父ウォーエンブレム
・2009 牝馬 父ウォーエンブレム
・2010 牡馬 父ウォーエンブレム
・2011 牝馬 父ウォーエンブレム
・2012 牝馬 父ウォーエンブレム
・2013 牡馬 父ウォーエンブレム
・2014 牝馬 父ウォーエンブレム
・2015 牝馬 父ウォーエンブレム
・2016 牡馬 父ウォーエンブレム
・2017 牡馬 父ナカヤマフェスタ
・2018 牡馬 父フェノーメノ
・2019 牡馬 父ディープインパクト
・2020 牡馬 父レインボーライン
・2021 牡馬 父ルーラーシップ
・2022 牡馬 父インディチャンプ
・2023 牡馬 父エピファネイア
・2024 牡馬 父キタサンブラック
・2025 牡馬 父コントレイル
ウォーエンブレム、イクノディクタス、凱旋門賞制覇、長距離の強い馬……。
わたしの好きな要素を詰め込んだら、こんな感じになってしまいました。
1000m60秒で走破すれば凱旋門賞に勝てるじゃんというところから、本作の構想はスタートしています。
好きな牝馬を合わせられる年代も見つけてキタコレ!と思って書き始めると、1999年から2000年代前半では、1000m60秒だと中距離以上のほぼすべてのレースに勝てることになってしまい、もう少し勝ったり負けたりを期待していた2歳3歳戦がすべて頓挫しました。だったらもう突き抜けるところまで突き抜けてやれとぶっ込んだしだいです。
海外レースの賞金は、賞金総額しか見当たらなかったり、ラップタイムなど、レース展開などがほとんど見つからなかったので、割合で計算したり、動画サイトに残っているレースのタイムを計ってみたりといろいろやってみました。
これは調べるのに疲れるというのが、わたしの素直な思い……。
対して日本の競馬は、競馬サイトで一発ですね。すごく親切でした。
何はともあれ、競馬系、ウマ娘関連でやりたいことは大体できたので、他の作品に集中することにします。
文章に関しては鋼メンタルなので、感想などは、非難、ご指摘を含め、お気軽にどうぞ。
感想欄を読む方が不快になるような内容じゃなければなんだも大丈夫です。
それでは長々と読んでいただきありがとうございました。