いざ出陣。
式が終わって放課後になると、俺は勢い良く立ち上がった。
「惣中くん」
そんな俺を振り返って、平田君が声をかけてきた。
「このあと、何か用事があるのかな?」
「ああ、まあ、ちょっと…」
「そうなんだ。みんなで遊びに行こうという話しになっているんだけど、次の機会に誘ったほうが良いみたいだね」
初日から遊びに行くなんて、コミュ充さんたちはさすがというべきか。
ただしこちらをチラチラ見ている女子たちの雰囲気は、何となく微妙にも感じるが。
「あ、ありがとう、またこんどで」
「わかったよ」
俺なんかに気を使ってくれて、ホントにイケメンですね。
「もしよかったら、連絡先を交換できないかな?」
「ああ、もちろん!」
かくして平田君はアドレス帳登録第2号になった。
俺は席を離れる。女子たちからほっとした空気が流れたのは、決して俺の考えすぎじゃないはずだ。
☆~~☆
「神は死んだ…」
数分後、俺は図書館の前のベンチでうなだれていた。
俺の正面にそびえたつ、ものすごく大きくてお洒落なデザインの建物。
蔵書数万冊を誇る、エリート校にふさわしい評判の図書館だ。
その図書館の入り口には、「本日休館」という札が立っていた。
貴重な「ストランド・マガジン」コレクションが、この建物にあるのに…
「はーっ」
何度目かわからないため息ののち、俺は現実に帰ることにした。
顔を上げると、「本日休館」の前に女子生徒が立っていた。
小柄でグレーの髪をした美少女だ。無表情でじっと見ている。
そして踵を返すと、そのまま立ち去ってしまった。
入学初日から図書館にくるとは、相当の読書好きと思われる。後ろ姿を見送りながら、俺は同志に対して敬礼しそうになる右手をなんとか押さえつけた。
寮に戻る途中でコンビニの前を通りかかる。
入り口の前でしゃがんでいる男子生徒と目が合った。茶髪で顔立ちは良いが、無表情なのが印象的である。どうやら散乱しているゴミ箱を片付けているようだ。
彼が倒して散らかしてしまったのだろう。カバンでも引っかかったか?
俺を見上げた男子生徒が口を開いた。
「確か同じクラスの惣中だよな、九州出身の」
げ、同じクラスだ…誰だろう、まだ覚えていないんだ。
「ということは1のD?」
「そうだ、綾小路だ」
「すまない、まだ覚えてなくて」
「いや、いいんだ」
綾小路君はまったく表情が変わらない。喋り方も平坦だ。
俺は他人の表情を読むのは苦手なのだが、多分気を悪くはしていないと思う。
「ゴミ箱を倒してしまったんだろう、手伝おうか?」
「それは俺じゃない」
え?
「須藤だ。同じクラスの赤い髪のやつがやったんだ」
ああ、なんか自己紹介の途中で出ていった赤い髪は、須藤というのか。
俺の推理はまたも外れてしまった。
それにしても、自己紹介を拒否したやつを憶えていて、自己紹介に残ったやつを憶えていないなんて、本末転倒だ。
「ああ、それでどうして綾小路くんが?」
俺が疑問を口にすると、綾小路君はコンビニの軒先を見上げた。視線の先には監視カメラがあった。
まったく気が付かなかった。俺には観察力がほんとに無い。
「同じクラスだから、片付けておいたほうが良いと思ってな」
たしかに、このカメラは防犯用だろうけど、誰が何を見てるかわからないもんな。
俺も綾小路君の隣にしゃがんで手伝うことにした。
と言っても残り僅かだったので、あまり助けにはならないようだが。
「なあ、いいか?」
手を動かしながら、綾小路君が尋ねてきた。
「ん?」
「どうして手伝うんだ?」
「んー、成り行きというか、行きがかり上かな…」
俺の答えに、綾小路君はじっとこちらを見た。
「朝、バスで席を譲ったのも成り行きなのか?」
あのバスに乗ってたのか。
「まあ、成り行きと言えば成り行きだな」
「そうか」
話しが途切れた。
二人で黙々と片付けて、最後にゴミ箱を所定の位置に戻すと、とりあえず体裁は取り繕えた。
「おつかれさん」
俺がそう言うと、綾小路君は軽くうなずいた。
さて、コンビニのトイレで手を洗って、ついでに何か一つぐらい買ってもいいかな。
「…じゃあ俺は中で買い物してくるよ」
「そうか」
結構寡黙なタイプだな、綾小路君は。
ん?なにか言いたげなオーラを感じるけど。
「どうした?」
「…いや、なんでもない」
「…?じゃあまた明日」
俺はコンビニに入ると手を洗って、それから少し悩んでペットボトル入りミルクティーを買った。180ポイントだった。
寮はきれいな建物だった。
管理センターで最初にルームカードを受け取るときに、学生証端末が必要である。カバンから取り出して、はじめて着信通知に気がついた。
407号室のルームカードを受け取って、端末を急いで確認する。
櫛田さんからのチャットが来ていた。時刻は放課後すぐ。
あああ、やっちまった…
図書館に着くまでは、何度も端末を確認していたのに…
俺は急いで内容を確認した。
『同じクラスになれて嬉しいな、よろしくねっ』
メッセージのあとに、かわいいスタンプが貼ってあった。
ホッとした。
嬉しかった。
『返事遅くなってごめんなさい。俺も嬉しいです。よろしく』
と送り返した。
すぐ既読がついて「大丈夫!」のスタンプが送られてきた。
「ありがとう」のスタンプを送り返す。
個人的にメールやメッセージは電報を打ってるような気分になれる。ホントはもっと短文にしたいのだが、中学校時代にウザがられてしまって、自重するようにしている。
しかし、女子とこんなやり取りをする経験は、中学校時代には一度たりともなかった。
これが高校デビューの気分なのだろうか。
エレベーターにのって正面の備え付け鏡を見たとき。
自分のニヤケ顔の酷さに自分で引いてしまった。
部屋は1Kバストイレ付き。ベーカー街221Bの寝室ぐらいだろうか。こじんまりとしてきれいだ。
部屋の中央にダンボールが積んである。基本的な家電は備え付けがあるけど、持ち込める私物の分量はかなり制限されていた。おかげで本の大半は置いてこざるをえなかった。
制服から部屋着に着替えると片付けをする。帰りに寄ったスーパーとドラッグストアに無料商品があったので、生活必需品はそこから取った。入学無料キャンペーンなんだろうか?
ある程度目処が立った頃には、窓の外はもう暗くなっていた。さすが東京、日が暮れるのが早い。
ベッドに横になって休憩する。
部屋は静かでようやくホッとできた。
寝返りを打つと、デスクの上に置いたペットボトルが見える。
ふと気がついた。
綾小路君ともう少し話すべきだったのではないか…?
缶コーヒーか何か買って。コンビニの前で。
それなのに、用件終わってハイ終わり。
あああ、やっちまった…(本日2回目)
だから、なにか言いたげだったのか。
あー、今から連絡しようにも連絡先の交換もしてねえ!
あー、明日気まずいかも…どうしよう…
☆~~☆
賢明な読者諸兄にはすでにお察しのことと思うが、俺、惣中"写楽"高史は、名探偵シャーロック=ホームズに憧れる、ホームジアンである。
シャーロキアンではないのかって?
日本ではシャーロキアンという呼称が一般的だ。
これはアメリカ経由で入ってきているもので、本場イギリスではホームジアンという。
だがこれ以降は通例にならって、シャーロキアンにする。
念のために、シャーロック=ホームズとシャーロキアンについて、説明をしておこう。
知ってる人は3段落ほど飛ばしてもらって構わない。
シャーロック=ホームズとは、19世紀末のイギリスを舞台とした、探偵小説シリーズの主人公である。
作者はジョン=ワトソン、もといアーサー=コナン=ドイル卿。
もとは雑誌連載の小説だが、主人公ホームズの特異なキャラクターもあって、世界的なベストセラーとなった。
ホームズの特異なキャラクター像を示すエピソードといえば、恐るべき観察眼と推理力であろう。ホームズは初対面の人物が相手でも、些細な手がかりから職業や人物像を正確に把握する技能をもっている。
『バスカヴィル家の犬』の冒頭では、依頼人の医師モーティマーが忘れていったステッキから、その人となりを推理するくだりがある。そのなかで、ステッキについた些細な傷から、愛犬の大まかな犬種まで推定している。
ほかにも第一作『緋色の研究』では、初対面のワトソンがアフガニスタンでの従軍経験を持っていることを的中させているなど、数多くのエピソードがある。
シャーロキアンとは、このシリーズにハマりこんでしまった人々。
ホームズは実在の人物であり、小説に描かれていることは現実の出来事であったとみなしている。そしてシリーズの矛盾点を議論したり、ホームズの伝記を書いたりすることを趣味としているのである。興味のある方は、ぜひホームズの伝記を読んでいただきたい。『ホームズとワトソン:友情の研究』がおすすめだ。
ホームズファンやシャーロキアンの逸話は数多い。一度だけドイル卿はシリーズを終わらせるべく、ホームズの殉職をワトソンに回想させている。その話が雑誌に載るや、ロンドンではホームズの死を悼んで喪章をつける紳士が相次いだという。こういった人の生まれる土壌が、イギリスにはあるのだろう。
かく言う俺がホームズにドハマリしたのは、小学校6年のとき。有名な某テレビドラマ再放送を見て以来。
すっかり影響された俺は、ホームズを真似るべくいろいろとやってみた。例えば先に述べた観察力。もっとも、ただの一度も成功したことはない。
お察しの通り、中学時代はかなりイタい厨二病患者であった。高校では封印していきたいと思っている。
俺がホームズになれることは一生ないだろう。
しかし、できる限りホームズのようにいきていきたいとは思っている。
最近は、もともと歴史好きなのもあって、同時代のイギリスについて勉強している。いまだ高校1年生の俺は、シャーロキアンとしても1年生みたいなものであろうが。
自称シャーロキアンの厨二病症候群。
そんな俺の、実力至上主義の教室での物語は、まだ始まってもいない。