翌朝。教室に駆け込みセーフ。
おかげで綾小路君に昨日の話しをしそびれてしまった。
寝過ごしてしまった。綾小路君に何と言ったものか悩んでいたせいで、眠りが浅かったらしい。
しかし同じクラスだ、時間は後でも取れるだろう。
午前中ずっと眠かったが、授業は案内がほとんどだったで、なんとか起きていられた。
「はぁ~~っ」
昼休み。
授業終了とともに、机にうつ伏せて寝る。眠気のピークだ。
綾小路君に話しかけないといけないのに、でもちょっと休憩。
………
……
!
はっと気がついた。いつの間にか寝ていたらしい。
時計を見る。寝ていたのは、ほんの10分ぐらいだった。
綾小路君は?
振り返ると席は空いていた。クラスには数人しか残っていない。
しまった、出遅れた。
俺は財布を手にすると教室を飛び出した。
学食はとても混雑していた。
ここに綾小路君がいたとしても、見つけるのは難しそうだ。
売店かコンビニに行ったのだろうか。
時間も少ないことだし、俺はそのまま日替わり定食を食べることにした。
食べていると校内放送が流れた。
「本日、午後5時より、第一体育館の方にて、部活動の説明会を開催いたします」
部活動か。
身長180センチでガッチリ(かつポッチャリ)した体格の俺だが、水泳以外のスポーツはほとんどダメである。あとは中学生の時に習っていた合気道ぐらいか。本当はバリツを習いたかったが、バリツそのものの正体が今でも諸説紛々なので、世に流通している合気道を選択したのだ。いずれにせよ、水泳でも合気道でも、部に属してトレーニングを続けるという気はない。
できれば、中学時代に属していた図書委員会か図書部、あるいは歴史部みたいな部があれば良いのだが。
入学案内を見たところ、委員会らしものは生徒会があるのみで、図書館も教員職員が管理しているようだ。部活動のリストにも、図書部、歴史部はなかった。
それでも出るだけは出てみよう。
教室に戻ると、綾小路君はすでに戻っていた。そして隣席の黒髪ロングの女子と話している。様子をうかがったが、話しも弾んでいるようだし、邪魔をするのも申し訳ない。また後にしよう。あの女子生徒、名前なんだったっけ、自己紹介のときの記憶がまったくない…
放課後になっても、綾小路君は相変わらず、黒髪女子と仲睦まじ気に話しをしていた。
「惣中くん、いいかな?」
前の席から話しかけられた。平田君だ。
今日もイケメンだ。穏やかな微笑を浮かべている。
「綾小路くんに用?それとも堀北さん?」
「堀北さん?」
「綾小路くんと話ししている女子だよ」
「そうか、実は人の名前と顔を憶えるのが苦手で…」
「堀北さんは自己紹介のときに居なかったからね」
「なるほど」
堀北さんは、退室していった猛者たちの一人だったのか。
俺は少し迷ったが結局、平田君にゴミ箱エピソードを話した。
恥ずかしかったが、いろいろ悩んでいることも告げた。
「そういうことなら、明日の昼食でも誘ったほうがいいかもね」
こともなげに平田君が答えてくれた。
よし。コミュ充筆頭が言うなら、間違いない。
「実は、綾小路くんは、堀北さん以外の人と話していないようなんだ。ちょっと心配でね」
まだ二日目だし、それを言うなら俺も平田君、櫛田さん、綾小路君としか話していないが…
「惣中くんが綾小路くんを誘ってくれれば、綾小路くんもきっかけができると思ってるんだ。もしよかったら、お願いできるかな」
人の心配とはさすがだなあ。
「お願いされるようなことじゃないけど、やってみるよ」
「ありがとう」
「あっ…」
平田君と話しをしているうちに、綾小路君は堀北さんと連れ立って、教室を出ていってしまった。声をかけられなかった。約束か用事があったのだろう。
「平田くん、早く行こうっ」
平田君の隣席である軽井沢さんが平田君に腕を組んできた。
「待たせてゴメンね、軽井沢さん」
「良いけど、部活動紹介もう始まるよ?」
ちらっとこちらを見る軽井沢さん。アンタのせいで遅れたという抗議だろうか。
「そうだね。惣中くんはこれから部活動紹介にいくのかな?」
「うん、そのつもりだけど」
「僕たちと一緒にどうかな?」
「ああ、うん」
こちらに向けられる視線が強くなったような気がするけど、とりあえず無視。
急いで支度をすると、平田一行の最後尾をついていくことになった。
「ねえ」
声をかけてきた女子は隣の席の松下さんだ。軽井沢さんと似てギャルっぽいオシャレな女子だ。
「惣中くん、九州なんでしょ、どんなところなの?」
どんなところとは答えに困る。
「やっぱり暑いの?」
それなら答えやすい。
「暑いよ。蒸し暑い。この季節でも日焼けする」
「そうなんだ、日焼け嫌だなー」
篠原さんが会話に入ってきた。軽井沢さんの前の席で、篠原さんも気が強そうな女子だ。
「でも、おいどんは無いよね、いくら九州でも」
「え、言わないの?」
松下さんの慰め?に、篠原さんが素で驚いている。
「あれ、時代劇でしょ?」
「男子のいうこと、テキトーそうだもんね」
「俺の地元では言わなかったけど、他所はどうかな」
「そうなんだ、惣中くん、最後のあれ、なんて言ったの?」
「そぎゃんこつば言わんですたい?」
「そう、それ」
「そんなことは言わないよ、だけど」
「たいって言うんだ、バカウケしてたよね」
「実際はほとんど使わないけどね」
「私、聞き取れなかったし」
会話をしながら実は腋下に汗をかいているのは秘密である。
中学時代を思い出す。彼女たちに似たタイプの女子たちに毛嫌いされて、陰口をさんざん叩かれた。
この手の女子たちは、会話の選択肢を誤ると豹変する。回避したいものだ。
この後も幸い地雷を踏み抜かずに、無事に体育館に到着した。
体育館の入り口でプログラムの紙を受け取ると、女子たちは「それじゃ」と言い残して、平田君を引っぱるように前の方に行ってしまった。一緒に行くとは、「会場まで」一緒に行くを意味しているようだった。寂しい気分になると同時に、ホッとしたのも事実だ。
部活動紹介だが、特に入りたい部は無かった。
水泳部の男子は特にガチっぽかったので、予定通り見送ることにした。
最後に登壇した生徒会長は迫力があった。司会をしていた生徒会の橘先輩は可愛かった。
印象に残ったのはその3つだった。
もうひとつ。
綾小路君は説明会場にいた。赤髪の須藤とその他男子たちと談笑していた。
邪魔をするのも悪いので、俺は自分の用事を片付けることにしよう。
☆~~☆
時は来た。それだけだ。
昨日見事に敗れさってしまった図書館に、俺は再び挑んだ。
もちろん今日は開館している。
エントランスを抜けて、本の王国に入る。
いろいろ見て回りたいが、当然まずはまっすぐ英文学コーナーに向かう。
俺は書棚にきっちと並べられた正典に対面した。
文庫版シリーズが1種類……だけ、だと!?
ありえない、ありえない。
普通の図書館なら近くにおいてある、シャーロキアンたちのエッセイ本もない。
ドイル卿の他の作品もない、伝記すら無いぞ。
これはクレームものだ。ストランド・マガジンはどこにある?
これほど何もないのであれば、勉強できないでは無いか!
シャーロキアンから資料を、女性から幻想を奪うものに災いあれ。
マジ許すまじ東京都高度育…ん?
棚と棚の間の柱に張り紙があることに気がついた。
『シャーロック・ホームズ関連図書は、分館に移動しました』
…
マジすみませんでした。
ちょっと落ち着こう俺。
別館は図書館から渡り廊下で進んだ、すぐ近くにあった。
こちらはレンガっぽくてレトロ感がでている。旧図書館なのかもしれない。
カウンターと奥の事務室に職員がいるだけで、あとは中央ホールのテーブルに生徒が2人勉強中のようだ。目的地はすでに図書館の案内板で把握済みである。
「ああ…」
そして俺の目の前に広がる棚を埋め尽くす正典、関連本。映画のパンフレットまで並んでいる。
壁にあるガラスケースに入っているのは、ストランド・マガジン、その横には明治時代に翻訳されたもの。
コーナーの一角は小スペースになっていて、図書検索用端末のパソコン、ライティングデスク2台、丸テーブルに椅子5つ、壁際にはソファベンチまである。
大きな窓から陽は当たらないが、明るく静かな、まるで聖地のような場所。
「ああ…」
言葉にならない高揚感。
俺はカバンを丸テーブル置くと、本を手当たり次第に抜いては飛ばし読みを繰り返した。
もちろん短時間でこの膨大な量の本に目を通すなんて不可能である。俺は適当なところで飛ばし読みをうやめて、パソコンに向かった。座席は壁を背にした不思議な配置だ。なんでヘッドホンがついてるんだろ。
パソコンには「ID:221B」のラベルが貼っている。細かい芸がうれしい。電源を入れて起動する。
画面が表示されて俺は小躍りした。そこには本のリストだけでなく、映画やドラマ、演劇といった動画もたくさん含まれていたからだ。登場人物が犬である名作アニメもあった。犬つながりかどうかはわからないが、薔薇乙女アニメの探偵人形劇も含まれている。さすがに、ゲームの類はないが、ゲームのプレイ動画まである。
「ここで暮らしたい…」
思わず独り言が出てしまった。
備え付けのヘッドホンをかぶる。俺の原点であるTVシリーズの日本公共放送初回版を選んで再生した。
そして別館の閉館が告げられる19時まで、俺はホームズの世界に浸りきった。