1年間と言う期間を通して執筆させていただきましたが、私としてはかなりのチャレンジでした。何しろ女の子の主人公を描くのはこれが初めてでしたし、プリキュアっていう設定で書いたのも何もかもが・・・。
まだまだ文才が稚拙でもっとこうすればいいところだらけではありますが、最後までお付き合いくださった読者の皆様本当にありがとうございます。
本編の付けたしとして、のちほど登場人物紹介や用語解説なども載せるつもりです。
それでは、ディアブロスプリキュア最終回・・・お楽しみください。
東京都 黒薔薇町
止めどなく溢れ出る紅色の魔力光。
我が身以上に大切に思っていた掛け替えのない使い魔(かぞく)を目の前で殺された事に対するベリアルの激しい怒り、憎しみが全て魔力へと変わっている。
周囲へと放散されるそれは実に刺々しいもので、波動でさえ肌に触れただけで痺れを感じてしまうほどだった。
(何と言う……激しくも強い思念……なるほど。これがあの魔王ヴァンデイン・ベリアルの娘か)
北欧の主神オーディンは、ベリアルが生来備わった潜在的な巨大な力に思わず目を凝らす。それとともに一歩間違えれば容易く世界すらも滅ぼしかねない危うさを憂慮した。
「リリスちゃん……」
ウィッチが怒りに満ちた親友を傍で見守っていると、ベリアルはおもむろに動かなくなったレイを手に抱え立ち上がった。そして直ぐオーディンの元へ向かった。
「この子をお願いするわ」
ベリアルは二度と動く事のない使い魔をオーディンへと手渡す。これに対しオーディンは難しい顔でベリアルへ問う。
「どうするつもりじゃ? 言っとくが、刺し違えなどは無意味……」
「誰がそんなことするって言ったのかしら」
オーディンが言い切る前に、ベリアルはきっぱりと彼の推察を否定する。
「あいつはレイを殺した。その罪は万死に値するわ。だけどあいつと刺し違えたところでその事に意味など無い。レイが命を懸けて私を守ってくれたのなら、私も守ってみせるわよ。あの子の思いを……」
今、自分が果たすべき事は復讐の為の戦いではない。そう自分や周囲に言い聞かせると、ベリアルは圧倒的な強さと巨体で全勢力の力を削ぐ怪物――カオス・エンペラー・ドラゴンを見上げる。
やがて、ディアブロスプリキュアのメンバーが彼女の元へと集まった。カタルシスを除く正規メンバーの顔を一人一人確かめ、臍を固めたベリアルはおもむろに口にする。
「みんなで、あの中に突入するわよ」
言うと、ベリアルはカオス・エンペラー・ドラゴンの弱点でもある暗黒球体【ゲヘナ】を指さした。連合軍と敵のパワーバランスは天と地ほどに隔たっている事は既に証明済み。ならば、形勢逆転を賭けた大勝負に出る必要があるとベリアルは直感。一見ギャンブル性の高い一か八かの作戦を提案した。
「確かにあそこがあいつの弱点なら、そうするべきね」
「奴を倒せるとしたらそれしか手は無い、か」
「正直ちょっと中に入るのは怖いですけど……リリスちゃんと一緒ならはるかはどこまでだって行きます!!」
「だとしたら、この状況でどうやって中に入るかが問題だよ」
メンバー全員がベリアルの作戦を受け入れ、共にゲヘナ内部へ突入する決意を示してくれた。セキュリティキーパーは傍若無人に暴れ回るカオス・エンペラー・ドラゴンが手に抱えるゲヘナを見上げながら、突入の機会を窺っていたとき――状況が一変する。
ディアブロスプリキュアの意図を読み取ったカタルシスや三大幹部、他の勢力の勇士たちが挙ってカオス・エンペラー・ドラゴンへの総攻撃を再開。ディアブロスプリキュアのメンバーを全力で援護しようと躍起になる。
「外は俺たちに任せろ!!」
「お主たちは内側から奴を!!」
「カタルシスさん……皆さん……!」
「行こう、リリス。レイの為にも」
レイと同じく命を懸けて戦う勇士たちの思い、そしてレイが死に際ベリアルへと託した思いを無駄にしない為にも即座に行動に移る必要があった。
ベリアルの合図でウィッチ、ケルビム、バスターナイト、セキュリティキーパーらディアブロスプリキュアの五人はゲヘナ突入作戦を敢行。
ゲヘナへと向かう際、カオス・エンペラー・ドラゴンは七つの頭部を飛んでくる五人へと向け、パーガトリアルフレイムを放ち攻撃してきた。
当たればひとたまりもない強力無比な邪炎を必死に躱すベリアルたち。
「全員の力を合わせるのよ!!」
「「「「はい(ええ)(ああ)!!」」」」
五人は横一列に並ぶと手を結び、突入のタイミングを計る。心をひとつに、五人の力は繋がった手を通じて全身へと行き届き――やがて神々しく光り輝いた。
「「「「「はあああああああああああああ」」」」」
大きく声を上げ、暗黒球体【ゲヘナ】目掛けて渾身の力で体当たり。
その結果――衝突時に歪んだゲヘナに亀裂が入り、穴が開いた。ディアブロスプリキュアはその穴を通じて内部へ侵入。彼らの侵入と同時にゲヘナは何事も無く修復された。
どうにかゲヘナへの突入に成功したメンバーは周り一帯を見渡した。
球体の中は洞窟のような構造をしており、左右には岩場のように盛りあがった箇所が見受けられる。
だがそこは決して長居したくなる様な場所ではなかった。現に入った直後から、五人は本能的な恐怖から冷や汗が止まらなかった。
「ここがカオス・エンペラー・ドラゴンの本体?」
「ハヒ……とんでもなくデンジャラスで不気味です!」
すると不意に、セキュリティキーパーが眼前に見えたものを注視する。
「あれは……」
少し距離があったのでベリアルたちは洞窟内部のような細長い空間を移動する。
やがて見つけたのは、ドクドク……と、不気味に脈を打っている脳髄のような巨大な器官だった。
ベリアルたちは思わず固唾を飲むと、太いパイプの様な神経と幾重にも繋がっているそれを凝視する。
「間違いないわ。ここがカオス・エンペラー・ドラゴンの中枢……」
「と言う事は、これが奴を制御する器官と言う事か」
『ふふふ……ははははは……キュアベリアルとその仲間たちよ、よくぞここまで辿り着いた』
「ハ、ハヒ!? 何ですか今の声!?」
突然の声に反射的にたじろぐ面々。
すると、眼前にある脳髄状の器官が突如強い光を帯びる。直後、バリンという音を立て中から顔を出したのは意外な人物だった。
「あ、あんたは……!!」
「ホセア!!」
器官から出て来たのは、洗礼教会の大司祭にして全ての黒幕たる者、ホセア。天界における戦いで他の幹部たちが戦死した中で唯一生き残り、その後姿を眩ませ消息を絶っていた。
そして今、カオス・エンペラー・ドラゴンのゲヘナ中枢において、ベリアルたちの前に何の前触れも無く現れた。
地に下りたった際、ホセアはベリアルたちを前に不敵な笑みを浮かべる。
「くっ……なぜ貴様がここに!?」
これまでの経緯もあり、感情的に声を荒立ててしまったバスターナイト。そんな彼に対し、ホセアは口元を歪める。
「ふふふ……愚か者よ、まだ解らぬのか?」
「ホセア! さてはあなたがカオス・エンペラー・ドラゴンの?」
「「「「え(何)!?」」」」
直感でケルビムがそう問いかけた事に驚愕するベリアルたち。ホセアはかぶりを振る事なく、彼女の言葉を肯定した。
「その通りだ、キュアケルビム。私こそがカオス・エンペラー・ドラゴンの意志細胞。【カオス・エンペラー・ドラゴン】トハ即チ、コノ私ナノダ」
「声が……!!」
段々とホセアの声からカオス・エンペラー・ドラゴンの声へと変わっていった。
ホセアの声色を変声機を使って変えたかの様な低い声で、一つ一つの声色が重くなったそれはベリアルたちに知られざる真実を語り出す。
『一千万年ノ長キ年月……次元ノ狭間ニテ、天界・悪魔界・堕天使界・冥界、ソシテ人間界ヲ我ガ分身デアル〝クリーチャー〟ヲ通ジテ秘カニ監視シ、争イノ種ヲ撒イテキタ』
「ハヒ! クリーチャーが……あなたの分身ですって!?」
「カタルシスやイフリートがそうだと言うの? でも彼らには明確な意志がある! 紛れも無く確固たる『個』があったわ!」
『三大勢力ノ戦イヲ煽リ、ソレヲ滅ボス為ニ生ミ出サレタ存在……ソレガ〝クリーチャー〟ダ。長イ年月ヲカケテ自我ニ目覚メ、我ガ思惑トハ異ナル行動ヲ取ルヨウニナッタ。タダソレダケノ事ヨ』
「どうしてこんな……世界を滅ぼそうなどとお考えになったんですか!?」
率直に気になった事をウィッチが尋ねると、カオス・エンペラー・ドラゴンは器であるホセアを通じ、歪めた口元を動かし答える。
『カツテノ大戦ニヨリ、我ガ肉体ハ大天使キュアミカエルノ捨テ身ノ攻撃ヲ受ケ一度ハ滅ボサレタ。ダガ幸イカナ完全ニ浄化サレル事ハ免レタ。我ハ、次元ノ狭間ニ封印サレル既ニ魂ノ一部ヲ分離サセタ。ソシテ再ビコノ世界ニ復活スル為ニ必要ナ依リ代――我ガ器トナッテ動ク忠実ナ宿主ヲ探シ続ケタ』
「その器って言うのが……ホセアだというの!?」
『イカニモ。時間ハカカッタガ、オ陰デ我ハ今ココニ完全ナ力ヲ取リ戻スコトガ出来タ。オ前タチノ争イ合ウ怒リト憎シミ、悲シミ、恐怖、孤独ナドノ負ノ感情カラ生マレ出デルエントロピーヲ糧トシテ、我ハ成長シテキタ』
「エントロピーを糧に?」
『ソウダ。悪魔ト天使、堕天使、ソシテ人間。一千万年ニ及ブ戦イノ歴史ハ我ヲ復活サセルニ十分ナエネルギーヲ作リ出シテクレタ。我ハヨリ効率的ニエントロピーヲ集メル為、自ラノ細胞ヲ無数ニ分裂サセタ』
「まさか、クリーチャーはその為に?」
クリーチャーの本当の役割に気づいたセキュリティキーパーからの問いかけを受け、カオス・エンペラー・ドラゴンは不敵に笑うと、ある質問をベリアルへとぶつける。
『キュアベリアル……貴様ハ気付イテイタハズダ。言ッテミロ、何故コレホドノ長キ年月戦イヲ止メル事ガ出来ナカッタ?』
「それは……」
思わず口籠ってしまった。そんなベリアルを見て鼻で笑ったカオス・エンペラー・ドラゴンは、ケルビムに同様の質問を振った。
『キュアケルビム。貴様ハドウダ? ナゼ嘗テノ様ナ戦ガ起キ、今ナオ規模ハ違エド戦イノ連鎖ハ続イテイル?』
哲学的な問いかけだった。ケルビムは難しい表情を浮かべながら、自分なりの答えを導き出し――やおら答える。
「……平和のためよ」
その頃、ゲヘナの外では相変わらずの激しい戦闘が続いていた。
「ええい! ビクともしねぇ!! こっちの被害はどうなってる!?」
「わからん! オーディン殿のお陰で大きな被害は出ていないが、敵に攻撃が与えられない内にこちらの力は尽きるぞ!!」
全勢力の力を合わせても、やはりカオス・エンペラー・ドラゴンの力は規格外であり、攻撃をすればするほど力は増大し、どれだけの傷を負っても瞬時に再生する。正に常識と言う概念すら超越した怪物である。
嘗ての大戦の時と同様に、カオス・エンペラー・ドラゴンは自らが絶対の存在であるかの如く力を振る舞い、咆哮を上げ歯向かう者を尻込みさせる。
「怯むな!! プリキュアたちが中で戦ってるんだ! こちらも攻撃を続けるんだ!!」
カタルシスの激励を受け、連合軍は休まず攻撃をし続ける。
この終わりなき戦いの先に待つものとは生か、それとも死か…………。
『平和ダト?』
ゲヘナ内部で続く善と悪の権化による対話。
ケルビムから答えを聞かされると、カオス・エンペラー・ドラゴンは想定していた以上の稚拙な答えに笑いが止まらなかった。
『愚カナ。平和ノタメニ終ワリ無キ戦イヲ続ケルトハナ。戦イニ勝利スルシカ平和ヘノ道ハ築ケヌカ。何カヲ護ル為ニ力ヲ振ルウ事ハ平和ノ為ノ正義ダト考エテイルノナラ、ソレハ大キナ過チダ。力ヲ以ッテ為セルノハ破壊ノミナノダ』
「そんな事……あんたに言われたくないわよ!」
つい声を荒らげてしまうベリアルだが、カオス・エンペラー・ドラゴンはすかさず彼女に向かって別の教唆を掛けてきた。
『本心ヲ言ッテミロ、キュアベリアル。プリキュアデアル以前ニ、貴様ハ悪魔。争イノ無イ世界――欲望ノ存在シナイ世界デ生キテイク事ナド出来ヌ』
「君、思ったよりうだうだとうるさいね」
「これ以上貴様の教唆に付き合うつもりはない。叩き潰してくれる!!」
カオス・エンペラー・ドラゴンとの対話に嫌気が差し、セキュリティキーパーとバスターナイトが飛びかかろうとした――次の瞬間。
何処からともなく紫色の不気味な触手が幾重にも伸びて来たと思えば、バスターナイトとセキュリティキーパーへと襲い掛かったのだ。
「な、なに!?」
「くっ……!!」
瞬く間に触手はバスターナイトとセキュリティキーパーの体を拘束。四肢の自由を完全に奪った。
「サっ君!!」
「春人さん!!」
「二人とも、すぐに助けるから!!」
と、バスターナイトたちを助けようとした矢先。ベリアルとウィッチ、ケルビムの三人にも同様の触手が襲い掛かった。
「きゃああ!!」
「何よこれ!?」
「動けません……!!」
完全に触手によって動きを封じられてしまった。
ディアブロスプリキュア全員を一網打尽にしたカオス・エンペラー・ドラゴンは、無様な姿となった彼らを嘲笑する。
『フフフフフ……キュアベリアルヨ、貴様モ仲間トモドモ我ニ同化スルガヨイ。自分ノ本性ヲ素直ニ認メルノダ』
「本性ですって!?」
『ナゼ自分ヲ誤魔化ス? ソノ名ニ関シタ接頭語ガソンナニ重荷カ、キュアベリアル?』
指摘を受けると、ベリアルは苦々しい表情を浮かべる。プリキュアの名は地上の全ての愛と正義、命を守る『戦士』である事の証――ベリアルを始めすべてのプリキュアが共通の接頭語を名に持っている。
カオス・エンペラー・ドラゴンはベリアルをプリキュアとしてではなく、一介の悪魔として見ていた。ゆえに無意識にプリキュアらしく振る舞おうとするベリアルに揺さぶりをかけ、彼女の戦意を削ごうと考えた。
この目論みは功を奏したようで、ベリアルは言われるがまま抵抗する事も出来なくなってしまった。
「くっ……」
「おのれ……!」
「ホセア……いや、カオス・エンペラー・ドラゴン!!」
抵抗の意志を削ぎ落されるベリアルとは裏腹に、セキュリティキーパーとバスターナイト、ケルビムの三人は怒りの感情を抱きながら触手から抜け出そうと激しく露骨な抵抗の姿勢を示した。
『ソウダ。モット怒レ……憎シミノ心ヲ増大サセロ』
カオス・エンペラー・ドラゴンにとって負の感情から生まれるエントロピーは糧そのもの。正に三人のしている行為は彼にとって格好の餌だった。
怒りに反応して、三人の身体に巻き付いた紫色の触手が徐々に全身へと伸びていく。その様を見たウィッチとベリアルはハッとなり、声を荒らげる。
「皆さん!!」
「やめなさい、カオス・エンペラー・ドラゴン!!」
『フフフフフフ。ハハハハハハ』
二人を嘲笑いながら、カオス・エンパラー・ドラゴンは触手に呑まれゆく三人の姿を傍観する。
「ぐおおおおおおおおおおおお」
「ぐああああああああああああ」
「うわあああああああああああ」
顔表面にまで触手が及ぶと、三人の意識は完全に消えカオス・エンペラー・ドラゴンの意識へと強制的に同化されてしまった。
「サっ君!! テミス!! 春人!!」
「そんな……なんてひどい事を……」
瞳から意識という輝きを失い変わり果てた三人の姿を見て、ウィッチは悲しみに打ちひしがれる。その隣で、ベリアルは苦い顔を浮かべ何もできない状況に強い苛立ちを覚える。
カオス・エンペラー・ドラゴンは終始嘲笑をし続け、ベリアルを前に言ってくる。
『フフフ……アノ三人ノ姿ヲ見ルガイイ、キュアベリアル。生キ物ノ本能ニ忠実ナコノ無様ナ姿ヲ。キュアベリアルヨ、ナゼ認メヌ? 悪意トハ即チ鏡ニ映ッタオ前ノ姿ソノモノ。ソノ胸ニ輝ク重荷サエナケレバ、オ前ノ本性ハ悪魔。飽クナキ欲望ニ身ヲ浸ス卑シキ存在。悪魔モ人間モ何ラ変ワルトコロハ無イ』
「リリスちゃん……」
どんどん追い詰められていくベリアルと、それを憂慮するウィッチ。今やこの場は完全にカオス・エンペラー・ドラゴンのテリトリーと化している。
『コノ戦イヲ見ロ。平和ヲ愛スル為ダト? ナラバ、何故戦イヲ止メヨウトシナイ? ナゼ争イ続ケル? 今ヤ我ニ向ケラレタ無数ノ怒リト憎シミハ、我ニ更ナルエネルギーヲ与エルノダ』
「黙りなさい……」
『貴様タチガ戦イ続ケル限リ、我ノ力ハ増大シ続ケル』
「黙れって言ってるのよ!!」
これまでに蓄積された諸々の感情が一気に爆発。激昂したベリアルは、カイゼルゲシュタルトの力を解放して体に巻き付いた触手を焼き切ろうとする。
だが結局それは叶わなかった。それどころか、怒った際に放った波動ですらホセアの姿を模ったカオス・エンペラー・ドラゴンには届かない。
無駄に力を消費するだけに終わったベリアルを嘲笑い、カオス・エンペラー・ドラゴンは断言する。
『憎シミガアル限リ、我ヲ倒ス事ハ永劫叶ワヌノダ』
「っ……」
『言エ、キュアベリアル。貴様ノ本心ヲ言ッテミロ』
問いかけにベリアルは応じようとせず、口籠って沈黙を守り抜こうとする。それを承知の上でカオス・エンペラー・ドラゴンは更なる揺さぶりをかけてくる。
『争イコソガ貴様ノ生キ方ノハズダ。イツマデモ戦イ続ケタイ。貴様ハ戦イガ大好キナノダ』
「それは違います!!」
真っ先に否定したのはベリアルではなく、彼女の親友であるウィッチだった。
驚愕の表情を浮かべウィッチを見つめるベリアル。カオス・エンペラー・ドラゴンもまた彼女への興味関心を抱いた。
『ホウ……貴様ハ、キュアベリアルト接触シタ人間ノ中デ最モ親シイ存在。ソシテ、プリキュアノ力ヲ手ニシタ存在』
カオス・エンペラー・ドラゴンからの関心を向けられる中、ウィッチはベリアルを弁護するために自分が見続けてきた『悪原リリス』という一人の少女について熱く語り出す。
「あなたのおっしゃる通りリリスちゃんは悪魔、それは間違いありません。ですが、リリスちゃんは悪魔ですけどとっても優しい女の子なんです! とっても強くて、だけどとっても繊細で、とっても辛い目にも遭ってきました! それでも、リリスちゃんはプリキュアとしてみんなの為に今まで戦って来たんです!! 家族を奪った教会への復讐という私的な目的の先に見えた光を――リリスちゃんは戦いを通じて、私たちと過ごした時間を通じて知ったんです!! 今のリリスちゃんはもう、昔とは違います!! リリスちゃんこそ、ベルーダ博士が選んだ混迷する世界を救うたったひとつの希望なんです!!」
「はるか……」
親友の言葉一つ一つにベリアルは胸を強く打たれる。対して、カオス・エンペラー・ドラゴンはつまらなそうに鼻で笑うだけ。
『ドウ足掻コウト、オ前タチニモウ手ハ残サレテイナイ。スベテハ我ト融合シ、新シイ時代ヲ迎エルノダ』
「あんたの言う新しい時代って、何も存在しない【虚無】って事でしょ? 私たちはそんなもの必要としていないわ!!」
『愚カナ。何物モ存在シナケレバ、争イハ消エ憎シミハ失イ老イルコトモナク死ヲ恐レル必要モナクナルノダゾ。全テノ生命体ノ時ハ止マリ、平穏ナル『永遠ノ楽園』ガ誕生スル。コレヲナゼ享受シヨウトシナイ? ナゼ抗オウトスル?』
「確かにその発想だけなら、なんて素晴らしい世界なんでしょうねって思いたくなるわ。だけどあんたのそれもまた私から言わせればただの幻想よ!」
『善意ニヨル主張ヲ真ッ向カラ否定スルカ。ヤハリ貴様ノ本性ハ悪魔ナノダ』
「何が善意よ……何が新しい時代よ……あんたのやってる事こそ独善の極みじゃない!! 独りよがりな善意の為に一体どれだけの血が流れたと思ってるの!? 何人の悪魔や天使、堕天使、クリーチャー、私の両親、それにレイがあんたの下らない幻想の犠牲になったと思ってるの!!」
『気ノ毒ナモノダ』
「それで済ますつもりなの?」
『済マスシカアルマイ』
「聞き逃さなかったわよ今の言葉……ふざけるのも大概にしなさい!!」
怒りエネルギーが頂点に達した。瞬間、ベリアルの体に纏わりついていた触手が全て弾け飛んだ。
紅色に輝く魔力光を伴い全身に力を滾らせるベリアルを見ながら、カオス・エンペラー・ドラゴンは口元を歪める。
『オモシロイ。我ヲ倒シテミセヨ、キュアベリアル』
「はあああああああああああああ」
カイゼルゲシュタルト状態で、渾身の力を込めて憎きカオス・エンペラー・ドラゴン目掛け波動を放つ。
敵は既のところでこれを躱し、放たれた波動は顔面横を通り過ぎた。ベリアルの思いの丈ですら、無情なカオス・エンペラー・ドラゴンには届かなかった。
『愚カ者メ。貴様モ我ト同化セヨ』
途端に触手がベリアルへと迫り、一度は拘束から逃れた彼女の体を再び捕える。
「きやああああああ」
「リリスちゃん!!」
ベリアルを捕えたと同時に、ウィッチの全身を覆っていた触手が急速に侵食を始め彼女の顔の部分にまで及び始めた。
「イヤです……イヤです!! なりたくない、こんな……こんな酷いヤツと……同じになんて……」
全てを破壊し虚無を生み出そうとする最悪の存在と同化する事に嫌悪し、また純粋に恐怖するウィッチの意識は程なく触手によって取りこまれた。
「はる……か……」
親友一人でさえ救う事も出来ぬまま、ベリアルは抵抗すら出来ない状態で顔まで迫ってくる触手に少しずつ意識を侵食されていく。
『キュアベリアル、貴様ノ温イ正義感ニハ反吐ガ出ソウダ。全テノ生命体ヨ、ソノ正義感ヲ翳シテ我ト戦ウガヨイ。一体ドレダケノ犠牲ガ出ルカナ?』
徹底的にベリアルのプリキュアらしき振る舞いを否定し続けるカオス・エンペラー・ドラゴン。今すぐにでもこいつを殺してやりたいと思いながらも、何もできない状況にベリアルは途方もない絶望を抱く。
『見セテヤロウ、キュアベリアル。本当ノ破壊ヲ……知ルガイイ。滅亡ニヨル祝福ヲ……』
言うと、ホセアの姿を借りたカオス・エンペラー・ドラゴンは踵を返して再び中枢機関との融合を行いひとつとなった。
その間にベリアルの意識は徐々に薄れ、とうとう力なく瞼を閉じた瞬間、その意識をカオス・エンペラー・ドラゴンによって完全に取りこまれてしまった。
*
カオス・エンペラー・ドラゴンによって意識を取りこまれたベリアルたち。
あの後、ベリアルは一人暗く深淵の見えない空間をゆっくり落ちていく感覚を体感しながら、カオス・エンペラー・ドラゴンの意識に飲まれようとしていた。
(どうして……滅亡が祝福だなんて……)
辛うじて意識を保っているがそれも直に限界を迎えようとしている中、ベリアルは薄れゆく自我で到底理解し難いカオス・エンペラー・ドラゴンの考えを思案し続ける。だが、どれだけ考えたところで決して共感できない。そんな彼女の意識にカオス・エンペラー・ドラゴンの意志はおもむろに呼びかける。
――隆盛ヲ極メ、未来ヲ見通ス科学ヲ手ニ入レタ知的生命ハ時ヲ超エテ、永遠不滅ノ真理ヲ探シ求メタ。傲慢極マリナイトハ思ワヌカ。
――ソシテ、時ノ果テノ未来ヲ計算シ結論ニ至ッタノダ。永遠ナド存在シナイト。宇宙ハ有限デアリ、全テハ滅ビ、消エテイク。ナラバ生命ハ皆等シク滅ビノ更ニソノ果テニ安息ト栄光ヲ見出スシカナイノダ。
(私はそんな戯言、ぜったいに認めない)
――ソレハ欺瞞デアルゾ、キュアベリアル。命トハ恐怖ノ連続。ソコカラノ解放ト常シエノ安息ハアラユル理性ニトッテノ宿願ナノダ。
(違う!)
――心ノ声ニ耳ヲ傾ケロ。向キ合ウノダ。自ラノ偽ラザル願望ト。
闇に堕ちる魂。その魂を誘う幻惑の声。カオス・エンペラー・ドラゴンはかねてより地球に文明が栄える以前から、知的生命が活動する宇宙の星々を渡り歩いては、その隆盛の果てを目の当たりにしてきた。そう、カオス・エンペラー・ドラゴンが終焉を齎すのではない。カオス・エンペラー・ドラゴンによって文明が終焉という名の完成に至るのだ。この逆説的とも言える論理をベリアルはゆめゆめ認めようとしない。当然だ――それを認める事はすなわち、今までの自分の行いそのものを完膚なきまでに否定する事と同義であるのだから。
しかし、どんなに彼女自身の理性がそれを否定してもカオス・エンペラー・ドラゴンは知っている。そして付け入るのだ。彼女の精神の隙間にある心の闇へと。
――最モ古イ記憶デサエモ、オ前ハ恐怖ト絶望ノ虜デアッタ。
――十年前ノアノトキ、オ前ハ祈ッタハズダ。モウ嫌ダ……何モカモ終ワッテホシイト。
(私は……でも……)
――オ前ノ人生デ培ッテ来タモノ。ソレハ怒リト屈辱。ソシテ、逃ゲ場ノナイ閉塞感。ダカラコソ常ニ待チ望ンデキタハズダ。イツカ、スベテカラ解放サレルノヲ。
朦朧とする意識が不意に覚醒した。閉ざされた視界が開け、ベリアルの目の前に広がってきた光景――デーモンパージによって炎に飲まれる悪魔界。煌々と燃え盛る炎の音とともに、悪魔たちのおぞましい悲鳴がベリアルの耳に飛び込んでくる。
「これは……」
そのとき、ベリアルの瞳に数人の人影が現れた。まるで亡霊の様な雰囲気を漂わせながら近づいてくるのは命を賭して自らを生かした両親と、エレミアによって命を奪われた小悪魔ギャレットだった。
――キュアベリアルヨ、オ前ハ覚エテイル筈ダ。勇猛果敢ニ使命ヲ全ウシタ彼ラノコトヲ。
「お父さま……お母さま……ギャレット……!」
震える声で眼前に立ち尽くす三人を見ながら、後ずさるベリアル。そんな彼女にまるで恨み節でも話すかのように三人は口々に言う。
「リリスよ、私は命を捨ててまでこの国の為、お前の為に戦った。何故仇を討ってくれない? なぜ、おまえはその命を捧げない」
「やめてくださいお父様!」
「そうまでしてあなたは生き残りたいの? あの人間たちと? 私をこんな姿にしておきながら?」
「お母様、違うんです……!」
「ひどいよお姉ちゃん。あのとき、ぼくらは何のために死ななきゃいけなかったの?」
「ギャレットもやめてってば!! 私は何も悪くないのよ!!」
彼女の精神に入り込む身内からの呪言。聞くに堪えず耳を抑える彼女だが、彼らが放つ言葉は直接ベリアルの頭の中へ入り込み、延々とこだまし続けた。
――アノ日、多クノ悪魔ガ命ヲ散ラシタ。ソノ系譜ノ最後ニ居ルノガオ前ダ、キュアベリアル。彼ラノ声ニ答エ、決着ヲツケルベキ時ナノダ。
「違う……私達は好きで戦いたかったわけじゃない。自分達の平穏の為に理不尽な運命に立ち向かったのよ。誰もこんな運命を受け入れる為に死んだんじゃないのよ!」
どこまで卑劣に、ベリアルの精神を追い詰め続ける。カオス・エンペラー・ドラゴンは急速に自我を失い壊れつつある彼女に、自分がどのような経緯で生まれたのかという話を交えて、更なる追い打ちを加える。
――数多ノ世界デ栄華ヲ極メタ文明ガイズレハ辿リ着ク禁断ノ領域。ソノ扉ヲ押シ開イタトキ、我ハ産声ヲ上ゲタ。
――我ヲ生ミ出スノニ至ッタ文明ハソノ帰路ヲ踏ミ越エタ時点デ破滅ヲ運命ヅケラレテイルノダ。アトハ、ソノ滅ビヲドノヨウニ享受スルカ。
――最後マデ毅然ト誇リ高クアルベキトハ思ワヌカ、キュアベリアルヨ。
「私たちはただ……破滅する為だけに文明を築いてきたと……」
――ダガソレハ悲観スル事デハナイ。有限ノ宇宙ニ於イテ、ソレハ当然ノ帰結ナノダ。ダカラコソ霊長ノ精神ハ死ヲ超エタ先ノ果テ。滅ビノ向コウ側ノ領域ヲ探究セネバナラヌノダ。
――オ前タチノ長キ旅路ハ、自ラノ滅ビト向キ合ウタメノ運命ダッタ。
――黙示録ノ獣トハ飽クナキ繁栄ヲ求メタ傲慢ヘノ罰。コレヲ乗リ越エル為ニハ、ヨリ大イナルモノヘノ献身ヲ以ッテ人ト言ウ種ニ魂ヲ浄化スルシカナイ。
「どうしてこんなものを私に見せるの……あんたは私に何をさせたいの……」
見たくもない光景を見せられ、聞きたくもない批判を浴びせられ、精神的に摩耗し切ったベリアルは弱々しい声でそう問いかける。
――オ前ヲスベテノ苦シミカラ解放スル為ダ。
――苦痛ノ為ノ命ナド我々ハ認メナイ。滅ビニ至ル道ハ安ラカデアルベキダ。
――称エヨ、終焉ノ翼ヲ。唱エヨ、混沌ノ御名ヲ。ソシテ求メヨ、勝利ト祝福ヲ。
……………………
………………
…………
……
≒
「っ!」
気がつくと、ベリアルはなぜかベッドの上で横になっていた。
よく見るとそれは自分の部屋のベッドであり、周りを見渡すと住み慣れた家の自室の風景が広がっていた。
先程まで悪夢の様な幻惑とカオス・エンペラー・ドラゴンの教唆に精神を呑まれそうになったはず。そう思いながらふと窓の外を覗くと、
「これは……」
窓の外には傍若無人と暴れ回るカオス・エンペラー・ドラゴンの姿があり、口から吐く炎は大地の全てを焦がし、七つの冠から解き放たれ世界へと降り注ぐ破滅の光は全てを消滅させてしまう。
おぞましい光景を前に愕然とするベリアル。
すると途端に景色が変わり、ベリアルの目の前に広がって来たのは草木一本も生えぬ枯れ果てた砂漠と、それに埋もれた街の姿だった。
「リリスちゃん!」
そのとき、後ろから親友の声がした。
振り返るとウィッチを始め、カオス・エンペラー・ドラゴンに取りこまれたメンバー全員が一緒だった。
「みんな!」
仲間たちの無事な姿に安堵するベリアル。ウィッチたちは駆け足でベリアルの元へ近付いた。
「無事だったのねリリス!」
「お怪我とかありませんか?」
「私は大丈夫。それより、ここは……」
「わからないんだ。どうやらオレたちは、カオス・エンペラー・ドラゴンの意識に取りこまれてしまったらしい」
「だとしても、これは一体何なんだろうね」
見渡す限りの砂漠。かつて砂漠があった場所には文明と呼べるものがあり、人間を始めとする多種多様な生物が共存を図っていた。
しかしそれが突如現れた一匹のドラゴンによって全て覆された。
万物を破壊し尽くされた何もない世界。静寂にして、憎しみや悲しみの生まれない平穏な世界。この状態こそが、カオス・エンペラー・ドラゴンやホセアの言う所の【永遠の楽園】とするならば、ベリアルたちが率直に思った事は。
「これが、奴の言っていた永遠の楽園なのかしらね……」
「こんな何もない世界が楽園なんて、どうかしてますよ」
全てが失われた世界。生き物という存在そのものを拒絶された世界。それがこれほどまでに寂しく、虚しいものだとは思わなかった。
常人の感覚からはとても理解できないカオス・エンペラー・ドラゴンの歪んだ幻想に、改めて強い嫌悪感を抱いた――その直後。
『忌々シキ恐レヲ知ラヌ者ドモヨ』
何処からか、カオス・エンペラー・ドラゴンの声が聞こえてきた。
刹那、瞬く間に空が暗黒に包まれる。見上げれば、妖しく紅く光る瞳が浮かび上がり、雲は左方向に渦を巻いている。
『愚カ者ドモヨ。未ダ解ラヌノカ。世界ハ、コノ宇宙ノ理(ことわり)ハ、コノカオス・エンペラー・ドラゴンノモノダ。案ズルコトハ無イ。貴様達モスグニ永遠ノ楽園ヲ受ケ入レル事ガ出来ルヨウニナル。我ト同化スル事デナ』
あれだけの精神的苦痛を強いながらも完全にその自我を失っていないベリアルたちを今度こそ取りこみ自らと同化させる為、カオス・エンペラー・ドラゴンは意識の中でもがく彼らを黒い渦で吸い上げようとする。
「「「「「うわああああああ」」」」」
意識の中では変身して戦うことすら叶わない。戦う術を奪われたベリアルたちにはどうする事も出来ない。
『莫迦ナ奴ラメ。大人シクシテイレバ我ノ中デ生キテイケタモノヲ――――止メダ』
「レイ……レイィィィィ!!」
いついかなる時も、ベリアルの心にはレイの存在があった。自分を守って死んでいった彼の思いを何ひとつ果せぬまま同化されてしまう事を心底悔しく思い、それでもなお最後の最後まで最も大切なものの名を叫ぶ。
もはや打つ手なし――誰もがそう諦めかけたときだった。
ゲヘナの外で、ベリアルからレイを託されたオーディンは予想外の出来事に直面する。
「こ、これは!? 何が起こっておるんじゃ!!」
ある程度の事象を予測できる北欧の主神の力を以ってしても予知できなかった事態だった。息を失くしたレイの身体から、神々しい光が漏れ出したのだ。そればかりか、漏れ出た光はゲヘナ目掛けて飛んで行き、固い膜を突き破って内部へと侵入した。
やがて渦の中から一筋の光が土壇場のベリアルたちの元へ差し込んだ。
「なに?」
「あ!」
暗雲が晴れた瞬間、空には一つ一つが神秘と言う名の輝きを放つ無数の発光体が群がっていた。頭上を仰ぎ見るベリアルたちはその光に目を奪われる。
「この光は……」
すると、光の中から現れたのはハート形のエンブレムをコスチュームの何処かしらに刻んだ聖なる女性戦士たち。一目見て、それが過去に地球上で正義を守る為に悪と戦って来た歴代のプリキュアたちであると分かった。
「プリキュアだ。過去にドクターベルーダが選出したプリキュアたちがオレたちを助けてくれたんだ」
『フフフ……本当にそれだけかなイケメン王子?』
「この声は!!」
「レイ!? レイなの!!」
伝説のプリキュアたちに混じって、ベリアルたちの真上方向に浮かぶ光からはレイの声がする。光はおもむろに生前時のレイの姿を模り、彼女たちとの対話をし易くした。
『リリス様』
「レイ……!」
奇跡を目の当たりにしたベリアルは死んだはずの使い魔がこうして自分の前に現れた事に感服し、言葉を失う。
レイは魂だけとなっても、生前と変わらずベリアルを守ろうとしていたのだ。
『カオス・エンペラー・ドラゴンの攻撃で私の肉体は生を失いました。しかし、肉体の生は終わってもその心は常にリリス様と共にあるのです』
「レイ……そうよね、あなたはずっと前から私を守ってきてくれたのよね。ずっと、ずっと……なのに私は、あなたに何もしてあげられないで」
今になって、レイの存在がどれほど自分を支えていたかを実感する。思えば日常でも戦いでも常にレイが側に居てくれた。常にレイの力を借りていた。今のベリアルがこうしていられるのもレイが支えとなってくれたから。だからこそ、あのときレイを助けられなかった事と、いつだって彼に助けられてばかりだった事がとても情けなく思えてならず、ベリアルは深く内省しながら大粒の涙を流す。
『泣いている暇などありません、悪原リリス。いえ、キュアベリアル』
『混沌に包まれたこの世界を救う為に、今こそ立ち上がるのです』
そんな彼女を激励する歴代のプリキュアたち。そのうちの一人、ケルビムの先祖にして一千年前にカオス・エンペラー・ドラゴンを封じた大天使――キュアミカエルがベリアルを鼓舞させる言葉を掛けて来た。
「立ち上がるって……あんなバケモノ相手に勝てる自信なんて……」
『なぜ、私があのときリリス様を庇って死んだのか分かりますか?』
不意にレイがベリアルへと尋ねてきた。
急な問いかけに思わず面を食らったような様子のベリアル。レイはそんな彼女に真顔でこう言葉を紡ぐ。
『私は決して犬死をしたとは欠片も思っておりません。むしろ、この死を喜んで受け入れているくらいです』
「どういう事よ? 死んじゃったら何にも意味なんて……!」
『逆ですよ。死んだからこそ意味があるんです。死は希望なのです。死の一つ一つが世界を発展させてきたのです。歴史を紐解いてもそれは一目瞭然。現代の世界とは私を始め、ここにおられる歴代のプリキュア、その他すべての生物の死屍累累の屍の上に成り立っております。誰しも革新的な発展による恩恵を受けたいが為に何かしらの犠牲があっても仕方がないと思っているはずです。しかし、その犠牲が自分や家族であると分かった途端にこう言うです――〝話が違う!〟と。何で自分がこんな目に遭わなければいけないんだ、誰のせいだ、誰が悪いんだ、誰を吊し上げればいいんだ!』
熱の籠ったレイの弁舌にベリアルはふと思った。まるでこれは、自分へと向けられている説教そのものであると。何せ彼が言うことはすべて、悪原リリスが生まれて十四年の間に経験してきた事を如実に物語っていたのだから。
直後、熱の冷めぬうちにレイが強い語気でベリアルへと言い放つ。
『教えて上げますリリス様、訴えたいなら犠牲を伴う世界のシステムを作った神を訴えてください! あなたのご両親や私を救えなかったのは犠牲の上に成り立つシステムを許容する世界の在り方そのものなんです!!』
「だから、私もあいつみたいに世界を壊せと言うの? そんなこと……できるわけないじゃない!!」
『だったらせめて犠牲になった者たちの為にも強く生きろ!! 生きて、誰も犠牲にならなくて済む新しい世界の在り方を作ってください!! それが、私やこの場に居合わせたプリキュアたちの共通の願いなんですよ』
犠牲を伴う世界で、新たな時代の礎となる為に犠牲となった者たちの気持ちが凝縮されたレイの最初で最後の懇願。どうして死人となってまで自分たちの前に現れ、このような言葉を送ったのか――その意味をベリアルたちはしかと受け止め、彼らの願いを無下にしてはいけないと思った。
そうして彼らがレイの送ったメッセージを受け入れたのを確認すると、プリキュアたちは破顔一笑し安堵。レイもまた柔らかい笑みを浮かべ、大好きなベリアルを見ながら語りかける。
『あなたならば、私の死を決して無駄にはしないと信じています。忘れないで下さいリリス様……死こそが希望なのです』
瞬間、強い光が辺り一帯を包み込んだ。
彼らの助力を受けたベリアルたちの意識は、程なくカオス・エンペラー・ドラゴンの支配から離れるのだった。
*
カオス・エンペラー・ドラゴン 暗黒球体ゲヘナ・中枢
『コレハ……』
カオス・エンペラー・ドラゴンも予想だにしなかった展開だった。
触手によって意識を奪われたはずのベリアルたちが、次々と意識を取り戻し復活を遂げた。全身を覆い尽くしていた触手の呪縛から容易く抜け出したのだ。
触手から解放された際、ベリアルたちは自らの意思で手足を動かせる事、頭で考えられる事を確かめ合う。
「ハヒ……はるかたち……生きてます?」
「生きてるよ。ちゃんとね」
「レイや歴代のプリキュアの力が、私たちを解放してくれたのね」
「リリス、大丈夫かい?」
「うん」
このとき、ベリアルはレイが言っていたあの言葉をもう一度思い出す。
『死こそが希望なのです――――』
(ありがとう――レイ。そうよ、私たちの過ちに慰めなんてない! そんなものすべていい訳よ! 諦めればすべてがウソになる! 救いなど無くていい! この命がどんなにちっぽけで惨めでも、死んでいったみんなが信じていたものを裏切るくらいなら……私は!!)
だがそのとき、脳髄状の中枢臓器が激しく脈を打ち出した。同時にカオス・エンペラー・ドラゴンが怒りの感情を露わにする。
『オノレ……オノレ……我ニ逆ラウ事ナド断ジテ許サンゾ!』
バリンと、膜を突き破って現れたカオス・エンペラー・ドラゴンはホセアの体を使い、ベリアルに向かって剣を突き立て勢いよく迫った。
『ウオオオオオオオオオ』
「リリスちゃん!!」
咄嗟にハイプリエステスワンドの先から、ウィッチは魔法弾を放った。
『グオオオオオオオオオ』
怒りに我を忘れたカオス・エンペラー・ドラゴンはウィッチの攻撃に対する防御が間に合わなかった。
直撃を喰らったホセアの肉体は地面に落ちた瞬間、バラバラに砕け散った。残ったのは機械仕掛けのような体の残骸、それを動かしていた容器に入った脳細胞だけだった。
『バ……カナ……』
ホセアという器を破壊された事で、カオス・エンペラー・ドラゴンの意志細胞は完全に消滅し機能を停止する。
その消滅に伴い、暗黒球体ゲヘナも破裂して崩壊。意識を司っていたホセアがゲヘナにいるうちは制御が出来ていたカオス・エンペラー・ドラゴンもすっかり我を失い暴走。ただいたずらに邪炎を吐きまくって暴れ回るだけの獣と化す。
「どうなってるんだ!?」
「操る者がいなくなって、暴走してるのか?」
制御が効かないものほど迷惑な存在は無い。どちらにせよ、早く倒さなければ暴走によって世界の破滅を招いてしまう。
暴れ続けるカオス・エンペラー・ドラゴンを見ながら、ベリアルが心に思った事はひとつ――レイから教わったあの言葉の意味を理解し実行に移すこと。
(死こそ希望……レイ、私やってみるわ。どこまで出来るかわからないけど、私が――プリキュアとしてこの世界の為に出来ることをする)
彼女がそう決意を固めた瞬間、胸の鼓動に乗せて体から目に見えない波動が世界中へと拡散する。
カオスピースフルとその後出現したカオス・エンペラー・ドラゴンの攻撃によって地球は半壊状態に陥り、辛うじてこの危機から生き残った者たちは地下等に身を潜め肩を寄せ合っていた。
そんな肩身の狭い思いをしている彼らへと向けられたベリアルからのメッセージは、エントロピーを生み出し続ける彼らから恐怖を取り除き、絶望を希望へと変えてゆく。やがて子供を端にして、全人類はいつの間にか出現した奇跡のアイテム――ミラクルライトを手に取り、天高く掲げると希望の光をベリアルの元へと送り届ける。
世界中から送られてくる無数の光がベリアルの体へと注がれる。ベリアルはその光を受けながら、力を蓄える。
「この光は……」
「包み込んでいく……リリスちゃんを優しい光が包み込んでいきます!!」
「いや、光だけじゃないよ」
そうセキュリティキーパーが指摘すると、破断された空間の裂け目と地底から光とは対になるもの――闇もまた彼女へと吸い寄せられるように集まっていた。
これを見て、ウィッチは自分たちが為すべきことを瞬時に理解し皆へと呼びかける。
「皆さん、リリスちゃんに私たちが持つ光と闇を両方注ぎ込みましょう!!」
「よっしゃ、わかったぜ嬢ちゃん!!」
「こうなりゃやけくそだ!!」
「オレたちの光と闇、全部もってけ泥棒!」
連合軍を構成するすべての勢力は、自らの心の中にある『光』と対を為す『闇』を一縷の希望に変えてベリアルへと分け与える。
そうして世界中の光と闇を集めた事で、ベリアルは聖と魔――隔たれていた二つの境界を容易く取り払い、あらゆる生命を超越した姿となるのだ。
光と闇のエネルギーを偏りなく受け取った事でベリアルのコスチュームは白と黒を基調としたツートンカラーへと変化し、背中の翼は無くなった代わりにマントを身に纏う。髪の毛は下ろした状態で、後頭部に使い魔レイの姿を模った髪飾りを付ける。
「全ての魂は光を誘い、全ての魂は闇を導く。やがて光と闇の魂はカオスの光を創り出す」
言うと、キュアベリアルは新たな姿へと変貌した自らの姿で語気強く口上を述べる。
「理(ことわり)の涯(はて)に立つ無二なる力! キュアベリアル・トランスツェンディーレン!」
悪原リリスが、キュアベリアルが進化の過程で辿り着いた最終形態。ゲシュタルトチェンジとは異なる方法で光と闇の境界を超克し、聖魔混合を可能とした究極の姿こそトランスツェンディーレン――【超越者】なのである。
オーディンは圧倒的にして神にも等しい絶対的なオーラを全身から放つベリアルの勇ましい姿に唖然としながらも思わず口元を緩める。
「これが……光と闇を超越したプリキュアの姿。やはり、ベルーダ氏の目に狂いは無かったようじゃ」
ベルーダの選択に間違いなどなかったと、改めて確信する事が出来た。悪原リリスこそ、有史以来最も混迷する世界を救い新たな歴史を切り開く唯一無二の存在――そして今、全世界の生命体が彼女へと希望を託したのである。
トランスツェンディーレンの力を肌で感じるベリアルは、未だ暴走し続けるカオス・エンペラー・ドラゴンを見据える。すると彼女に気付いたのか、カオス・エンペラー・ドラゴンがベリアルに対し邪炎を放った。
刹那、ベリアルは左手に出現させた魔法陣で邪炎を容易く防御。あろう事か邪炎をそっくりそのままカオス・エンペラー・ドラゴンへと跳ね返した。
自らの炎によってカオス・エンペラー・ドラゴンがダメージを負いもがき苦しむ。一瞬の間隙を突く為、ベリアルは聖なる浄化の光を掌に収束し、それを超高速で連射する。
「ディバイン・アトーメント!!」
正に怒涛の攻撃。
暴走するカオス・エンペラー・ドラゴンを圧倒する絶大な力。戦いを間近で見守る連合軍と、テレビモニターを通じて見ていた人々は感嘆の声を上げる。
「はああああああああああああああああ」
更なる追い打ちをかけようと、ベリアルは左右の掌を合わせ、天上に向けて全身に迸る闇のエネルギーを放った。
「ダークロード・ネメシス!!」
雲を突き破って放たれた闇の力が、破壊の稲妻となって地上のカオス・エンペラー・ドラゴンへと降り注ぐ。稲妻は複数へ枝分かれし、カオス・エンペラー・ドラゴンの四肢及び主要な部位の動きを完全に封じ込める。
「おおおおお」
「抑えたわ!」
「リリスちゃん!!」
「止めよ」
頃合いと見て、ベリアルは左手を数回に分けて十字に動かす。
するとその作用で亜空間へと繋がるゲートが開かれ、超越した今の姿だからこそ使える究極の武器を召喚する。それこそ、彼女が最も信頼を寄せる使い魔の魂を模って作られた究極にして最強の剣(つるぎ)。その名も――
「究極戦刃(きゅうきょくせんじん)レイバルムンク!!」
ベリアルの身の丈よりも若干巨大で、刀身はドラゴンの翼を閉じたような剣と言うよりも盾に近い形状をしている。戦刃には絶大な力が込められており、並みの者や一介のプリキュアでは決して振る事も受け止める事すら叶わない。すべてを超越した力を内包する今のベリアルだからこそ使う事を許された禁断のアイテム。
秘めたるパワーを内包した剣を天に翳し、ベリアルはおもむろに一振りする。
刹那、たった一振りでありながら七つあるカオス・エンペラー・ドラゴンの首のうちの三つが瞬く間に吹き飛び、体中を引き裂いた。
「カオス・エンペラー・ドラゴン……この世を破壊し終焉を告げるもの。あなたは、決定的に間違っている。たとえ全ての命の時間を止めこの世を無にしたところで、永遠の楽園など決して訪れない。あなたの望む世界には恐怖という感情は存在しないかもしれない。だけど、死の無い世界では人はそれを退けて希望を探す事をしないわ。人はただ生きるだけでも歩み続けるけど、それは恐怖を退けて歩み続ける事とはまるで違う。だから人はその歩みに特別な名前をつけるの――〝勇気〟と。全ての命は生きる為にある。全ての命は後世へと受け継がれていく――命の繋がりがあるからこそ、そこに新たな歴史が刻まれるのよ!!」
語気強く物申してから、ベリアルは大きく剣を構える。
全世界の者たちが注目を集める中、頃合いを見計らったベリアルはカオス・エンペラー・ドラゴンへと接近。渾身の思いを込めて一撃必殺の技を叩き込む。
「プリキュア・ソード・オブ・ルイン!!」
レイバルムンクに触れたもの全てを消し去る究極必殺技。ベリアルの一撃が決まると、カオス・エンペラー・ドラゴンは断末魔の悲鳴を上げ、斬られた直後に発生した黒い波動に全てを飲み込まれた。
この瞬間、トランスツェンディーレンは怒涛の攻撃で敵を消去すると同時に過ぎた戦闘時間を取り戻す能力を発動する。これにより、カオス・エンペラー・ドラゴンによって跡形も無く破壊された世界は急速に修復されていき、元通りの姿へと復元した。
今ここに世界は救われた。
カオス・エンペラー・ドラゴンの完全消滅を享受した全生命は、歓喜の声を上げこの瞬間を祝った。
戦いを終えたベリアルは、トランスツェンディーレンの姿を維持したまま一旦地上へと降り、仲間たちと合流する。
何事も無かったかのように元通りとなった世界はとても美しく、穏やかな時を醸し出している。
横一列に並んだディアブロスプリキュアのメンバーは勝利を称えるかの如く地平線の彼方より上がる朝陽を見ながら感慨に耽る。
「終わったのね」
「はい、終わったんです」
「カオス・エンペラー・ドラゴンは完全に消滅した」
「あたしたちの勝利ね!!」
「世界は救われました――」
「レイさんを始め、すべての命の思いがリリスさんに届いたからこそ勝てたんです」
「使い魔レイ……自らの命を投げ打ってまで、最後まで主を思い続け戦った勇敢な命があった事を僕は決して忘れはしない」
各々が今回の戦いを終えての所感を述べる。
ベリアルはもう一度自分に立ち上がる切っ掛けを与えてくれたレイの魂が、自分の体に確かに溶け込んだ事を再確認し、薄ら涙を浮かべた。
◇
こうして、洗礼教会との戦いは終わりを迎えて十二月の慌ただしさと一緒に色んなことが急ぎ足で過ぎて行って……。
神林春人は事件の後、再びロンドンへと戻った。それに伴い洗礼教会対策課――警視庁公安部特別分室も役目を終え、活動を休止した。
教会の襲撃を受け破壊された天界を復興すると共に、それまで杜撰だったシステムの根本的な見直しを行う為、当面はオーディンを主導として、オルディネス亡きあとに世界の楔となったベルーダの意志と協力を誓った。
カタルシスもまた多くの天使たちからの推薦もあり、自らの力の正しい使い所を考えた末に、天界守護代の新たな警備隊長として手腕を振るう事となった。
戦いが終わってもなお、テミス・フローレンスは人間界に留まる意思を示してくれた。そして、そうこうしている間に一年と言う月日は瞬く間に過ぎて行った……。
≡
黒薔薇町 悪原家
雪解けが垣間見える三月の終わり頃、悪原家のリビングにて集まったリリスとはるか、テミスは――
「紅茶淹れるわ。ゆっくりしてって」
「あ、手伝います!!」
「私も」
はるかとテミスが言うと、リリスは穏やかな表情で首を横に振った。
「平気よ。座ってて」
三人は紅茶と御茶請けを適当につまみながら、これまでの経緯やその後の生活がどう変わったかを話していた。
すると、テミスが紅茶を飲んでいるリリスにややバツの悪そうな顔で尋ねる。
「リリス。もう一人には慣れた?」
戦いからまる三か月。それまでのリリスの生活はレイが居なくなったという一点だけを除けば何ひとつ変わっていない。比較的平穏な日常が続いている。
テミスからの問いかけに、リリスは紅茶のお代わりを注ぎながら、「そうね……」とおもむろに呟く。
「ちょっと五月蠅かったけど、いつも私の傍にいてくれたあの子がいない生活がどれほど空虚なものかっていうのは嫌でも思い知らされたわ。でもいい加減うじうじするのは止めようと思って」
「やっぱりレイさんが居ないのは寂しいですよね? リリスちゃん……辛くありませんか?」
「寂しいし、辛くないと言ったら絶対ウソになる。だけど今の私にはあなたたちがいるから」
破顔一笑するリリス。しかし明らかに無理をしている事は、はるかとテミスにはお見通しだった。
「結局のところ、やっぱり私が一番ダメダメだったのよ。レイの事、もっと早くに気付いてあげられたらよかった。過ぎた事を後悔しても仕方がない。だからせめて私がちゃんとした大人になることができれば、あの子もきっと喜んでくれるはず」
普段から大人びた性格のリリスだが、これまでとは明らかに異なる雰囲気を醸し出す彼女に思わず口籠るはるかとテミス。それを見たリリスは慌てて弁明する。
「あら、ごめんなさい。少し勝手に喋りすぎたわね」
「あ、うんうん!」
「リリスちゃん、いつも以上に何だか大人っぽく見えたものですから」
「多分……あの子の影響かもしれないわね」
自分の胸に手を当てると、そこにいつでもレイがいると感じ思いに耽る。
「そうですよね。レイさんの思いと力はリリスちゃんの中に溶けたんですもんね」
はるかが問いかけた直後、リリスの双眸に薄ら水滴が浮かんだ。これには思わずはるかとテミスも驚き身を乗り出した。
「リリスちゃん?!」
「大丈夫?」
「ごめん……なんでもない……なんでもないわ……あの子が逝って以来、どうも涙脆くていけないわね!」
大切なものを失った際の傷は完全には癒えていない。しかし、ここで涙を見せる事は自分が強い大人になり切れていない証拠だと思った。リリスは必死に悲壮を堪えようとし、笑顔を取り繕いながら涙を拭う。
「そう言えばレイってば昔からかなり涙脆かったわね。一緒に映画観てるときなんか、いっつも私よりも先に号泣して……」
等と言って気持ちを逸らそうとするリリス。
そんな目の前の彼女のやせ我慢する様子を見かねると、はるかとテミスは顔を見合わせてからおもむろに椅子から立ち上がった。
「はるか? テミス?」
二人の真意が分かりかねるリリス。怪訝そうな顔で見つめていると、はるかはリリスの左頬に優しく手を添え、テミスは後ろからリリスの両肩に手を乗せた。
「泣いても、いいと思うわよ」
「お別れは悲しいですもん。そんなに無理して、急いで強くなる必要なんてありません」
「!!」
「今いるのは私たちだけ。朔夜君や他の使い魔たちは見てないから」
「私たちが付いてます。天国のレイさんも、心配したりしないですから」
二人の優しさ、温もりが本当に嬉しく思えた瞬間だった。親友だからこそ心配をかけたくまいと虚栄を張っていたが、はるかとテミスの前でそんな演技をする必要は一切無かったのだ。
自分を偽る必要などない。悪原リリスは、ありのままに素の自分を曝け出してもいいと心から思える事が出来たのだ。
「ううう……ううぅ……う…うわあああああああああああああああ!! あああああああああああああああああ!!」
抑えられていた感情が一気に溢れ爆発。甲高い声を上げ大粒の涙を零すリリスは、テミスに支えられながらはるかの胸の中で泣きに泣いた。
――それはきっと、本当に小さな願い。
――叶える事が出来なかった思いがあって、掌に残った今があって、どんなに泣いても、悲しんでも過去は帰ってこないけど。
――だけど、未来を作っていける。思いを貫く力がある。空を駆け抜ける翼があるから。私たちはきっと……
◇
黒薔薇町 くろばら高台 霊園地
季節は春――洗礼教会との戦いから一年が経過した。
中学三年生へと進学した悪原リリスは、婚約者の十六夜朔夜と一緒に墓参りにやってきた。
そこにはリリスの両親、そしてレイの魂が眠っている。
喪服姿の二人は、三体の霊魂の名が刻まれた墓に献花。天界システムの修繕によって祈りを捧げる事が出来るようになった二人は静かに手を合わせ、死者たちの冥福を祈る。
やがて、祈り終えたリリスがおもむろに口を開いた。
「サっ君……私ね、子供が生まれたら男の子でも女の子でも絶対につけたい名前があるんだ」
「なんだい?」
優しく問いかける朔夜に、リリスの答えは――。
「【レイ】。いい名前でしょ?」
これには朔夜も少し驚いた顔を浮かべたが、すぐさま彼女の考えに同意する。
「ああ。そうだね」
二人は同じ場所で同じ空を仰ぎ見る。自然とその手は繋がれ、澄み渡った空はこれからの二人の未来を祝福しているかのようだった。
◇
戦いから十数年後――
紆余曲折を経て平穏を勝ち得た悪原リリスは十六夜朔夜と結ばれた。
彼らは共に力を合わせ一度は洗礼教会によって滅ぼされ荒野となった悪魔界を少しずつ修復させていき、十年という歳月を掛けてその復興に成功した。
そして、生まれ変わったこの悪魔の大地に今――リリスと朔夜の血を受け継ぎ生まれた子供がいた。
≡
悪魔界――
悪魔領中心部 ベリアル家屋敷「ノーチェス」
紅色のショートヘアが特徴的な朔夜似の顔立ちの美少年が庭先で一人日向ごっこをしながら微睡んでいると、
「レイ――――起きてる、レイ?」
不意に傍で名前を呼ばれる。
おもむろに瞼を開けると、傍らに立っていたのは少年・レイこと、本名【ディアブロス・ブレイブレイ・オブ・ザ・ベリアル(Diablos Brave Ray of the Belial)】。
そして、彼の母親であり現悪魔界を統治する女王【ディアブロス・ブラッドリリス・オブ・ザ・ベリアル】。子供時代とは一線を画す大人の美貌を持ち、その言動もまたかなり落ち着いていた。彼女は自らの子に嘗ての最愛の使い魔である名とともに〝勇気〟という意味を持たせた。
「また日向ぼっこ中にお昼寝? あなたも好きよね」
「母上……なにやら、長き夢を見ていた様な心持が致します」
「良い夢だった?」
そう問われると、レイはゆっくりと体を起こし穏やかな顔で答える。
「わかりませぬ。ですが、心はとても穏やかであります」
レイの答えを聞いて安心したリリスは破顔一笑。
すると、一匹のモンシロチョウが彼らの元へ飛んできた。リリスの前を通り過ぎたそれはレイの辺りを浮遊。そっとレイが小指を差し出すと、チョウが止まった。
二人は一匹の蝶に心癒されながら、悠久なる平穏を噛みしめ合うのであった。
おわり
一年間本当にありがとうございました!