彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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原作開始前
1:彼女の名前はベアトリーゼ


 太陽の中に小さな影が生じて上甲板に何かが降り立った、次の瞬間。

 

 しなやかな影が激しく舞い踊り、甲板上に控えていた海賊達が瞬く間に数を減らしていった。吹き飛ぶ手足。千切れ飛ぶ頭。破砕された頭蓋から脳や目や舌が飛び散り、破壊された肉体から臓物と骨がまき散らされる。鮮血と肉片が周囲を赤く染め、肉塊のオブジェが転がっていく。

 

 海賊達が振るう剣戟も、放つ銃撃も、突き出す拳も、しなやかな影を捉えるどころか、カスることさえできず。ただただ一方的に蹂躙されてゆく。

 

 怒号と罵声は悲鳴と断末魔に変わり、甲板上は死の暴威に対する憤怒と発狂と恐怖と怯懦のるつぼと化した。

 しなやかな影は立ち向かう者も、逃げ出す者も、勇者も、臆病者も、男も女も、誰一人区別なく鎧袖一触に殺し、屠り、裂き、砕き、壊していく。

 

 それは一方的な狩りであり、一方的な処刑であり――

 虐殺だった。

 

「う、うぉおおおおおっ!!」

 海賊の頭目らしき中年男が恐怖と驚愕に顔を引きつらせながらも、己を鼓舞するように叫び、自らの両腕をイソギンチャクのような触手に変化させ、

「お、お、おおおれ、おれはニョロニョロの実を食った触手人間っ! 悪魔の実の能力者だっ! 泣く子もだま――」

 名乗り口上を語り終える前に一瞬で全ての両腕触手群を破壊され、

「るぅうううううううううううううううううううっ!?」

 奇怪な悲鳴を上げながら、その首を千切り飛ばされた。

 

 触手人間の何某の首が地面に落ちると同時に、黒い影も動きを停めた。

 戦闘騒音が絶え、穏やかな潮騒以外の何も聞こえない。

 

 唯一の生き残りは年幼い見習いの少年だけ。仲間の血肉を浴びて真っ赤に染まった少年は、腰を抜かして小便を漏らし、涙と鼻水を垂れ流し、ただただ震えながら、瞬く間に仲間達を皆殺しにした虐殺者を凝視していた。恐ろしすぎて目を離すことが出来なかったから。

 

 わずか一分ちょいで30余名の海賊を鏖殺し、甲板上を血肉の一色に塗り潰したというのに、虐殺者は返り血一つ浴びていない。血に触れている場所は殺戮現場に立つ靴裏だけだった。

 

 あまりにも無慈悲な大量殺人を終え、虐殺者は疎ましげに短外套のフードを下げる。

 血と臓物と屍からこぼれた排泄物の悪臭に晒される細面は、二十歳手前くらいの乙女の物。小麦色の肌。癖の強い夜色のミディアムヘア。物憂げな双眸に宿る暗紫色の瞳。長身を包む衣装はしなやかな体の線を強調するような暗橙色の皮革製タイトジャケットとスリムパンツ、メタル入りの黒いニーブーツにロンググローブ。そして、鈍色の短外套。

 

 腰に巻いた装具ベルトの銃やナイフを一切使わず、大量殺人を終えたアンニュイ乙女は、ふっくらとした唇から気だるげな吐息をこぼす。

 

 潮風に嬲られる夜色の髪の毛先と短外套の裾がゆらゆらと踊る中、夜色の瞳が唯一生き残った見習いを捉えた。

 瞬間。少年は凄まじい“気”を当てられ、少年は泡を吹いて失神する。

 

 アンニュイ乙女は『酔いどれ水夫』をスローテンポで口ずさみながら船楼へ向かって歩き出したところへ、腰のパウチに入れてある電伝虫が美女の声を伝えてきた。

 

『ビーゼ。制圧は終わった?』

「ん。甲板上にいた連中は殲滅した。約束通りガキは殺してない」

 ビーゼと愛称で呼ばれたアンニュイ乙女ベアトリーゼは電伝虫へ返事をしながら、海賊船に近づいてくる小型船に手を振った。

 

「これから船内の生き残りを始末しにいく」

 面倒臭そうに語りつつ、ベアトリーゼは血肉に染まった甲板を進み続ける。

「回収するのは……オタカラと食料、医薬品、あと……」

 

『肝心な物を忘れてるわよ、ビーゼ』

 電伝虫の向こうから慨嘆気味の声音が返ってくる。

『ログポースと航海日誌、それに海図。忘れないで』

 

 念を押すように美女は繰り返す。

『そのために彼らを狩ったの。きちんと回収してちょうだい』

「了解」

 ベアトリーゼは気だるげに“相棒”へ応じた。

「そっちも油断しないでよ、ロビン」

 

 

 

『そっちも油断しないでよ、ロビン』

「ええ。分かってるわ、ビーゼ」

 電伝虫の通信を切り、ニコ・ロビンは小さく溜息をこぼした。

 

 花咲く21歳。艶やかな黒髪。知性的な青い瞳。目鼻立ちの整った繊細な美貌。すらりとした細身ながら、出るべきところはくっきりと出ている優美な容姿。

 

 どこか煽情的な皮革製の着衣をまとうベアトリーゼと違い、ロビンは暗紫を基調にしたフレアシャツと革パンツ、編み上げのニーブーツ、顔を隠すようにツバ広のテンガロンハットを被り、暗緑色の外套を羽織っている。

 冒険(フィールドワーク)中の学士といった装いが良く似合う。

 

 チャーターした小型船の船長と船員達が唖然としていることに気付き、ロビンは見事な営業スマイルを湛えた。

「海賊はツレが無事に“無力化”しました。戦利品を回収しますから船を寄せてくださるかしら?」

 

「――っ! へ、へい! すぐにっ!」

 我に返った船長は茫然としている船員達に叱声を飛ばし、小型船を海賊船へ向けて進ませる。

 

 慌ただしく操船を始める船長達を隙なく窺いつつ、ロビンは思う。

 心配しなくても、私は誰も信用しないわ。貴女以外はね、ビーゼ。

 

 8歳の時、ロビンは故郷オハラを海軍に壊滅させられた。

 8歳の時、ロビンは母を、師を、親友を、同胞を虐殺された。

 8歳の時、ロビンは世界の敵にされた。

 

 オハラ唯一の生き残りであり、おそらくは世界で唯一の古代語解読者であるロビンは、世界政府から執拗に命を狙われ続け、海軍に『悪魔の子』という汚名と高額の賞金を科されていた。

 

 世界の敵意と悪意と殺意に晒され、幾度となく狙われ、幾度となく騙され、幾度となく裏切られ、幾度となく傷つけられても、ロビンは懸命に生き抜いてきた。

 

 泥水を啜り、残飯を漁り。他人を利用し、他人を騙し、他人を裏切って。己と他人の血反吐に塗れ、罵詈雑言と呪詛を浴びせられながらも、歯を食いしばって生き続けてきた。

 

 8歳で世界の敵にされて以来、たった一人で。

 

 誰も信じられず。

 

 誰も頼れず。

 

 誰からも助けられず。

 

 誰からも救われず。

 

 ロビンはたった一人で戦い続けてきた。

 愛する母、尊敬すべきオハラの考古学者達、心優しき巨人の親友、皆に託された想いと遺された願いを果たすために。

 

 ロビンはたった独りで世界を相手に戦い抜いてきた。

 ベアトリーゼに出会うまで。

 

       ○

 

 早々にぶっちゃけてしまえば――

 ベアトリーゼは転生者である。

 

 ただし、彼女には創作物(ワンピース)の世界に転生したという認識を抱ける程度の前世記憶しかなかった。虫食いと欠落の大きな前世記憶に加え、元より大傑作ワンピースをあまり嗜んでいなかったのか、原作知識はニワカにも劣るうろ覚え状態。

 

 ゆえに、ベアトリーゼにとってこの転生はワンピース世界への転生というより、異世界転生に等しい。

 

 そして、ベアトリーゼの転生はインセインモードだった。

 転生先は西の海に浮かぶ蛮地。国家の体を為しておらず世界政府が存在を無視し、海軍すら近づかず、周辺国家も見捨てた土地。数人のウォーロードが鎬を削り合う殺戮の荒野であった。

 

 その『酷さ』を創作物で例えるならば……

『FallOut』シリーズ世界のイカレたレイダーとヤベェミュータントしかいない無法地域だと思えばよい。

 あるいは、『メトロ』シリーズのように小勢力同士が絶えず殺し合い、凶暴な化物に満ちた修羅の世界とも。

 もしくは『マッドマックス』や『砂ぼうず』の如き無慈悲な暴力に溢れた環境だろうか。

 

 要するに、人命が捨て値以下の価値しかない土地、人が生きるために人を食らう世界だ。

 

 殺人的な太陽。焼けた砂と岩。右を見ても左を見てもぺんぺん草も生えていない干からびた荒野。自然生態系はわずかにサボテンが生え、原始的な爬虫類と奇怪な昆虫がうろつくだけ。

 悲惨かつ過酷な環境で、ウォーロード達が絶えず略奪と強姦と虐殺の抗争を繰り返す。

 

 控えめに言って地獄である。

 

 そんな地獄に生を受けたベアトリーゼは、ウォーロード達が争う競合地域を徘徊する孤児だった。

 ウォーロード達の少年兵ですらなく、少女慰安婦ですらなかった。孤児仲間と共に戦場に遺棄された死体や物資を漁り、盗賊市場で売りさばいて口を糊するネズミとして生きてきた。

 

 穴の開いた靴下みたいな前世日本人知識はほとんど役に立たず、役に立つとしても周囲の注意や警戒心を引くような真似は出来なかった(ネズミが目立てば駆除されるのが通り相場だ)。

 

 それに、ネズミ暮らしは艱難辛苦そのものだった。

 ウォーロードの軍勢から暇潰しに殺されかけ。戦場漁りの縄張りを巡るネズミ同士の抗争で殺されかけ。荒野をうろつく群盗山賊に犯されかけ。腹黒い商人に騙されて犯されかけ。原始的な爬虫類や奇怪な昆虫に食われかける。そんな日々が繰り返される。

 

 だから、生き延びるためにベアトリーゼも殺し、騙し、盗み、奪い、食った。前世日本人としての価値観や自己同一性は苛烈で悲愴な日々に摩耗し、日本的な良識や倫理観、道徳心などは消滅していき、そして完全に現地人化した。順応したと言っても良いだろう。

 

 その好例が食事だ。

 稼ぎで食えるものは残飯と大差ない物だったし、荒野に生息する昆虫と爬虫類が主食だった。まあ、味は酷いものだったが、人界の集落で食える残飯同然の飯より、栄養価が高かったことは皮肉と言えよう。戦場漁りで得られる軍用糧秣は御馳走で、時には餓死した仲間の骸を食ったし、死体に湧いた蛆まで食らったことさえあった。

 

 正しく地獄だった。

 

 推定10歳になって戦場漁りをしていた時、ベアトリーゼは壊滅した酒保商隊(の残骸)と出くわし、その積み荷からグロテスクな果実を見つける。

 ベアトリーゼの穴だらけな前世知識でも、その果実が『悪魔の実』と呼ばれるワンピース世界の異能発生ガジェットだと分かった。

 

 もっとも、ベアトリーゼがその前世知識を思い出したのは、その果実を欠片も残さず胃袋に収めた後だった。腹が減っていたから食った。文句は言わせぬ。

 

 こうして異能を得たベアトリーゼは、自らウォーロードの一人へ売り込み、ネズミから飼い犬になった。

 ちなみに、ベアトリーゼという名前はこの時、ウォーロードから与えられたものだ。それまではチビだのモジャ髪だのと呼ばれていた。

 

 能力者ならば、少年兵よりも少女慰安婦よりも待遇がマシだから。清潔な衣服とまともな寝床、朝昼晩三食の飯が得られるなら、ウォーロードの手先になって誰かを殺す方がマシだから。

 

 兵士として抗争に身を投じつつ、サディストの教官から虐待同然に鍛えられ、異能の扱いに加えて独自の戦技を編み出し、覇気という技能やこの世界についていろいろと学び――

 

 14歳を迎え、ベアトリーゼはウォーロードと護衛部隊を皆殺しにして国外へ逃亡した。

 

 だって、ベアトリーゼにはそれが出来たから。

 異能と戦技と知識を備えた結果、一応の主君と仲間を皆殺しにし、金穀と食料などを奪い、船に乗って国外に脱出することが、出来たから。

 

 前世の良識や倫理や道徳が失われ、現地人らしい冷酷無比の価値観に染まり切っていたことも、ベアトリーゼはまったく悩まなかった。

 

 よりマシなところへ行くことが出来るのだから、やるでしょ。

 

 こうして、ベアトリーゼは地獄のような世界を脱して――数日と経たずに海賊と遭遇した。

 当時、17歳のニコ・ロビンが素性を隠して潜り込んでいた海賊船に。

 

 

 かくて故郷を奪われた少女と、故郷を捨てた少女が出会った。

 奇しくも、東の海の小さな村で赤髪の大海賊と太陽のように笑う少年が出会った年に。




Tips
『酔いどれ水夫』
 19世紀にアイルランドで歌われていたらしい労働歌。

 ニコ・ロビン21歳
 原作では、ロビンがグランドライン入りしたのは23歳。
 翌24歳時にクロコダイルと出会い、バロックワークスを設立する。

『Fallout』
 日本国内では、3まで知る人ぞ知るポストアポカリプス系ゲームだったが、3が一般層にもヒットして有名人気作品になった。

『メトロ』
 ロシアのポストアポカリプス系SF小説をゲーム化したもの。元々は三部作だったらしい。Falloutに比べてどこか陰惨な雰囲気が漂う。

『砂ぼうず』
 うすね正俊が描く近未来デザートパンク漫画。第一部と第二部でノリが大きく異なる。
 作者が大病を患った関係で、いろいろな伏線が回収されぬまま幕引きとなった。

『マッドマックス』
 ヒャッハー!!

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