彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 作:スカイロブスター
乾ききった荒野は血を吸い続けている。
児童歩兵達が数人がかりで担いでいた機関銃を次々と据えていき、労働キャンプへ制圧射撃を開始する。キツツキのようなテンポで連ねられる銃声。弾幕に脱出路が次々と塞がれ、減らされていく。ボウリングのピンみたいに打ち倒される者達を尻目に、ヌーク兄弟海賊団は掃射に駆り立てられ、追い詰められていった。
状況は絶対的に不利。
「フォ―――――――ッ! クソガキ共がああああああああっ!」
シュワシュワの実の能力者であるヌーク・コッカは肉体を液体化出来る。弾丸など通じない。優れた覇気使いであるヌーク・ペップも鉛玉など物ともしない。包帯だらけのヤモリ頭エロボディ美女ジューコもなんとかなる。
しかし、海賊団の海賊達は違う。弾丸を浴びれば負傷するし、当たり所が悪ければ命を落とす。そして、三人が無事でも団として壊滅しては意味がない。
「いよいよ不味いぜェ、兄貴ィ」
ペップが呻く。
「奴ら、俺らを“ひとまとめ”にしてやがるゥ。こりゃあ、つまりよぉ」
「能力者や覇気使いを潰す切り札がある、ヤモ」
ジューコが傷の痛みに呻きながら言う。
刹那。
血みどろの発掘場を前にし、
「……くだらん仕事になりそうだな」
世界最強の剣士が面倒臭そうに呟き、狩るべき獲物を目指して歩き始めた。
○
鉄火場に現れた一人の男。
金色の瞳を持つ鋭い双眸。黒髪に精悍な顔立ち。丁寧に整えられたモミアゲと口ひげ。上流階級的洋装を着こみ、羽飾り付帽子に赤と黒のロングコート。
加えて、背に担がれた黒い大刀。
「そんなまさか……鷹の目っ!?」
ハナハナの実の能力を用い、発掘現場一帯を偵察していたロビンが思わず吃驚をこぼす。
世界政府公認海賊である王下七武海の一角『鷹の目』ジュラキュール・ミホーク。その別名は世界最強の剣士。その剣に斬れぬ者はないという。
「なぜ……なぜ鷹の目がこんなところに……」
いくら聡明なロビンでも、ミホークがマーケットに居た理由は好物の赤ワイン――滅多に流通しないヴィンテージの調達に来ただけで、マーケット内のサイファー・ポールから当たり年のヴィンテージ数本と古酒を報酬にこの“アルバイト”を請け負った、なんて事情を想像できるわけもない。
なんであれ、ロビンにミホークと交戦する選択はあり得ない。実力差が大きすぎて戦いにもならないだろうし、動けないベアトリーゼを危険に晒すわけにはいかない。
どうすれば――
不意に戦闘交響曲が止み、小鬼の群れみたいな児童歩兵達や海賊達が手を止め、世界最強の剣士の動向を見守る。
「テッメーは……鷹の目ェ……ッ!」
ヌーク・コッカが歯ぎしりを混ぜて唸った。
「政府の飼い犬野郎が~っ! 俺達から眠り姫を奪うためにクソガキ共を引き連れて来やがったのかぁっ!」
「不快な誤解だ。この憐れな子らとは無関係だし、お前達の事情など知らん」
ミホークは金色の鋭い双眸を巡らせ、昆虫面のヘッドギアを被った児童歩兵達を横目にし、
「王下七武海の協定に基づき、海賊を狩るだけだ」
背中に担いだ最上大業物である大刀『夜』の柄に手を伸ばし、
「そして、俺はくだらん仕事に時間を掛ける趣味はない。さっさと終わらせよう」
世界最強の黒い刃が鞘から抜かれ、絶対零度の殺気が解放された。
殺気が発掘現場一帯を舐めた瞬間、ロビンに膝枕されていたベアトリーゼの瞼がぱちりと開く。
○
その一太刀は柔らかな微風のようであり、
その一振りは静謐な凪のようであり、
その一撃は金色の瞳が捉えた全てを断った。
戸惑いに似た雰囲気が流れた、兆し。
幾つもの岩石が次々と両断されて倒れていき、土砂塊が崩れていく。
「な、なにが――」
海賊や奴隷達は何が起きたのか分からぬまま、ふっと意識を失って白目を剥き、次々とその場に崩れ落ち――地面に倒れ伏した衝撃が体躯に伝わった瞬間、ずるりと彼らの身体が二つに分かれていった。
断末魔や悲鳴はおろか呻き声すら漏れぬ一撃虐殺。
世界最強の名に相応しき斬撃であった。
凄まじき斬撃は鉄火場から数百メートル離れたロビンの許まで届いており、切っ先がかすめたように髪がはらりと散った。
何が起きたのか理解し、ロビンはぶわっと冷や汗を掻き、カタカタと震え始める。
ベアトリーゼが冬眠明けの熊みたいに身を起こし、鷹の目達が居る方角を睨み呟く。
「なんかすっげェ怖いのが来てるね」
「ほぅ」
ミホークは漆黒の大刀を無行の位に下げ、金色の瞳で己の一太刀を生き延びた者達を見据えた。
「強き者はいないが、運良き者が混じっていたか」
「セイセイセイセーイッ!! 余裕ブッこいてんじゃあねェ、このタコッ!」
コッカは顔を冷や汗塗れにしながら嘲罵を放つ。
「俺ぁシュワシュワの実を食った炭酸水人間っ! たとえテメェのヤッパが覇気をまとってようが、この俺を切れるわきゃあねェンだよアホンダラがァっ!」
嘘である。絶死の黒刀が迫る瞬間、肉体を液化して奇跡的に避けられただけだ。同じことをもう一度やれと言われても出来ない。
「無理ヤモ、無理ヤモ、無理ヤモ、絶対に無理ヤモ、絶対に無理ヤモ」
ジューコは獣形態になって地面へ張り付いてベソをかいていた。とっさに獣形態をとって伏せなければ、死んでいただろう。命は取り留めたが心は完全に折れていた。
なまじ覇気が使えるだけにジューコは『格の差』を魂で理解し、敗北を認めてしまった。地面にへばりついて泣きながら『殺さないでヤモ殺さないでヤモ』と繰り言を重ねるだけだ。
そして、
「お、俺のうつくすィ肉体が……」
卓越した覇気使いのペップは覇気を纏って黒刀を受け止めようとしたが……
黒色に染まっていた肉体が肌色に戻り、両断された上半身がずるりと地面に落ちる。即死だった。
「ペップゥ―――――――――――――――――――――――――ッ!!」
コッカの悲愴な絶叫が轟き渡り、
「水は斬れぬ、か。面白いことを言う」
ミホークはコッカの悲憤を完全に無視して冷酷に口端を歪めた。
「つまらぬ仕事に興が乗った。斬れぬかどうか、その身に教えてやろう」
「よくも弟をっ!!」
殺意と憎悪に相貌を塗り固め、
「テッメーは必ず殺す。絶対に殺す。何が何でもぶっ殺すっ!」
コッカは迷うことなく切り札を使う。
「食らいやがれ、コーラ・ザ・グレートツナミッ!」
瞬間。コッカの肉体が大膨張した。質量保存の法則なんぞクソ食らえとばかりに、黒炭酸水の大津波と化す。
大質量の暴虐が荒野に生まれ、死体も岩石も土砂も一切合切区別なく飲み込んでいく。ただでさえ大崩落で弱っていた発掘現場の地盤が、黒い津波の重量と衝撃に耐え切れず崩壊を始めた。
突如生じた黒い大津波による地盤崩壊は、大穴の付近にいたロビンとベアトリーゼを真っ先に巻き込む。
足元から破滅的な鳴動が始まり、
「――やばいっ!」
「! 逃げるわよ、ビーゼっ!」
ロビンがベアトリーゼを抱き起こして崩落から逃れようとするも、大地の震動が激烈すぎて立つことはおろか四つん這いになることすらできず、視界が大きく上下に揺さぶられる。
そして、足元の地面がばきばきと幾筋も断裂し、
ばがんっ!
「きゃあああああああああああっ!?」「ひゃああああああああっ!?」
2人を土砂と共々地の底へ引きずりこむ。
一瞬の浮遊感。その直後に襲う恐怖の落下。大量の土砂と岩石に呑まれて地底へ落ちていく。
「人が死ぬ思いで地上に出たってのにっ!」
ベアトリーゼは左腕でロビンを抱き寄せ、傍で落ちていく大岩を蹴りつけながら、
「ビーゼッ!? 何する気ッ!?」
「黙って、ロビンっ! 舌噛むよっ!」
右拳を黒く染めてバチバチと赤い発光電磁気をまとい、土石流へ向けて電磁加速パンチを放つ。
「おんどりゃあああっ!!」
『くたばれ鷹の目ェ―――――――――――――――――ッ!』
怒り吠える巨大な黒い津波が迫る。
荒野が轟音と共に鳴動し、崩壊を始める。
昆虫面の児童歩兵達が逃げ惑う。
カタストロフ的光景を前に、ミホークは凶暴に微笑む。
「愉快」
世界最強の黒刀が踊り――
破滅を断つ。
○
水平線へ沈んでいく夕陽が荒野を優しく照らす中、
「あーあ……」
事の成り行きを監視していたサイファー・ポールの諜報員が唖然として呟く。
荒野に半径数百メートルの大穴が出来ていた。岩盤の崩落に加え、炭酸水の大津波で洗い拭われたことで、地下に眠っていた都市が五〇〇年振りに姿を現して夕陽を浴びている。
破滅的破壊を生き延びた数人の児童歩兵達が茫然と遺跡都市を眺めていた。
「とにかく……報告、報告するか……でも……なんて説明すれば良いんだ……?」と途方に暮れる諜報員。
この破滅的光景を生み出したミホークはかすり傷一つ、否、傷どころかマントに濡れ染み一つ負っていなかった。
愛刀を背中の鞘に納め、ミホークは夕焼けに晒される遺跡都市へ降りていく。
破壊された歴史的街並みに一切関心を向けず、ミホークは半ば崩れかけた屋敷に足を運んだ。
屋敷の庭先で右腕と下半身を失ったコッカが喘鳴していた。炭酸水化する力も残っていないのだろう。ハラワタと脊椎が露出し、真っ赤な血を垂れ流している。もう助からない。
「きたねェぞ飼い犬野郎……“津波を切る”なんざ、でたらめすぎ、るだろ、うが」
「あれがお前達の目的か」
ミホークはコッカの非難を相手にせず、崩れかけた屋敷の一室――壁が崩れて剥き出しになった寝室へ金色の瞳を向ける。
半ば崩壊し、瓦礫と土砂と炭酸水の泥に塗れた屋敷にあって、寝室だけはまったく無傷で、まったく汚れておらず、屋敷が地下に埋まる以前からまったく変わっていないようだった。
如何なる術を用いたのか、ミホークにも分からない。ともかく、屋敷の寝室だけは五〇〇年前の姿を保っていて――
天蓋付き寝台の上。乙女が穏やかな面持ちで眠っている。五〇〇年に渡って眠り続けている。
腐ることも朽ちることもなく眠り続けている。
如何なる事由か理由か眠り姫は彫刻のように蝋化していた。
地下空間の環境を考えれば、万に一つミイラ化はしても、蝋化はしないはずだが……この世界は不思議と少しの奇跡に満ちている。
寝室のドア傍には傷だらけの直剣を握ったまま横たわる白骨死体が一つ。隙間に除くドアの向こうには数人分の“残骸”。
五〇〇年前、突如莫大な土砂に呑まれたこの街の、この屋敷の、この寝室で、この天竜人の乙女にどのような物語があったのか、ミホークには知る術もない。
世界最強の剣士であるミホークに分かることは、白骨死体が握る直剣は凡庸なものに過ぎないこと。しかれども、傷だらけの直剣が業物に劣らぬ“誉れ”を宿していることも、分かった。
「ふむ。主に穏やかな最期を迎えさせるため、か」
天竜人はこの世界の人々から恐れられ、それ以上に憎まれ、恨まれている。白骨となった剣士がそのような天竜人を最期まで守らんとした理由は分からない。が、少なくとも剣士は成し遂げた。凡庸な直剣が誉れを抱くほどに。
「見事」とミホークは言葉少なに讃えた。
と、
「ちきしょお……あと少しだったのによぉ……恨むぜ、鷹の目ェ。そ、れに、あ、の、くそ、こむ、す、めどもぉ……」
恨み言を口にしながら、コッカの命が消えた。
ミホークはコッカのことになどわずかな意識も注がず、その死体を視界にも収めず、肩越しに背後を窺い、些かはしたないほどボロボロな姿の乙女達へ、問うた。
「お前達はこの骸を求めるか?」
「いいえ」と黒髪碧眼の知性的な乙女が応じた。青い瞳は警戒心に満ちている。
「死体にもあんたにも用はない」
黒髪碧眼の娘に支えられた、夜色の髪と瞳を持つ小麦肌の乙女が答える。夜色の瞳は戦意を秘めている。
「で、あんたは私達に用があるの?」
ミホークは金色の瞳で2人の乙女を見定め、
「遊興の続きとしゃれ込んでも良いが……」
「あ? いい歳した大人が女の子をイジメる気か?」
「ビーゼッ!?」
夜色の瞳を持つ乙女が噛みつくように言い返し、隣の黒髪碧眼の乙女が慌てる。
「その有様では戯れにもならんな」
鷹の目を持つ世界最強の剣士は踵を返し、
「遊興は済んだ。良きものも見た。帰って夕餉だ」
警戒心を隠さずにいる乙女達の脇を悠然と通り過ぎていく。
去っていくミホークの背中を見送り、ベアトリーゼとロビンはその場にへたり込む。
「……おっかなっ! 怖すぎてチビるかと思った」
「なら、なんで喧嘩売るようなこと言うの……」
ロビンは疲労感をたっぷり込めた溜息をこぼし、眠り姫へ目線を向けた。
「……彼女、どうしましょうか?」
「鷹の目へ言った通りさ」ベアトリーゼは疲れ顔で「ロビンはどうしたい?」
「望みの物は手に入れたわ。ここにもう用はない」
眠り姫から視線を切り、ロビンは黄昏を見上げる。
「帰りましょう」
Tips
鷹の目ジュラキュール・ミホーク
原作キャラ。世界最強の剣士。謎めいたイケオジ。原作を読む限り、意外と気さくな人かもしれない。
コーラ・ザ・グレートツナミ。
コーラは炭酸飲料の王様だから、最大奥義は当然コーラ。
眠り姫
厳密には死蝋化も生前の姿を保つわけじゃないが、まあ、演出の都合ということで。