彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 作:スカイロブスター
月光が注ぐ遺跡都市で、密やかに招集されたサイファー・ポールの諜報員達がフランマリオンの眠り姫を連れ帰るべく、黒檀製の瀟洒な棺へ丁重に納めていく。
最後に蓋が閉じられる直前。
「待て」
“ジョージ”が作業を止めた。ドア傍の白骨死体から直剣を取り、棺へ納めて乙女に抱かせる。
「……よろしいので?」
「構わんさ」
銀の煙草ケースを取り出し、“ジョージ”は紙巻煙草をくわえてマッチで火を点す。
蓋が閉じられ、“神”の遺体を納めた棺が慎重に運ばれていく。仰々しいほどの煙を吐き出し、諜報員へ問う。
「数字は?」
諜報員は小さく鼻息をつき、どこか非難がましい声音で応じる。
「敵も味方も生きている人間を数えた方が早いです。ヌーク兄弟海賊団と奴らに囚われていた奴隷の生き残りは合わせて10名前後。ヌーク兄弟は死体を確認してます。こちらの “傭兵達”は生存が重軽傷15名。他は死んだか、助かりません」
「そうか」
紫煙をくゆらせながら“ジョージ”は興味無く応じ、踵を返す。
「次はニコ・ロビンだな」
「マーケット内で捕縛はしないのでは?」
「ああ。マーケット内ではしない。娘一人のためにマーケット内に構築した諜報網を台無しにしたくないからな」
“ジョージ”は煙草から灰を落とし、どうでも良さそうに言った。
「だから、小娘達が海に出たら動く。2人とも能力者だ。泳いで逃げることも出来ん」
なるほど、と諜報員は首肯する。
「しかし、上手くいきますかね? ニコ・ロビンもベアトリーゼも手強いですよ?」
「上手くいかなくとも構わん。海上に出てしまえば、海軍の管轄だ。失敗に終わっても泥を被るのは
さらりと言い放つ“ジョージ”に、諜報員は感じ入ったように大きく頷く。
「流石」
○
空高くに昇った太陽が燦々と輝き、マーケットは今日も乾いた暑気に満ちている。
昨夜、発掘現場から安宿へ帰還後、2人は心身の疲弊から入浴すら忘れて(乙女にあるまじきことだ)昏倒するように眠りこけてしまった。幸い、部屋へ海軍や賞金稼ぎが乗り込んでくることもなく、2人はたっぷりと睡眠を貪り、起床後にゆっくりシャワーを浴びることが出来た。
まあ、ベアトリーゼは眠り過ぎてしまったことに『気を抜いたっ! 抜いてしまったっ! ダサッ! 私ダサ過ぎッ!!』と肩を落としていたが。
ともかく昼を過ぎた頃、紙袋を抱えたベアトリーゼは密やかに尾行が無いことを確認しつつ安宿へ戻り、借りた部屋に入る。
ツインベッドのしょぼくれた部屋で、ロビンがキャミソールと短パンというルーズな姿で読書していた。艶めかしい肢体のあちこちに擦り傷や切り傷や打ち身の痣が出来ている。
書物から顔を上げ、ロビンはベアトリーゼへ告げた。
「お帰り」
「食べ物と医薬品を買ってきたよ」
ベアトリーゼは紙袋を卓に置き、軽食と医薬品を並べていく。
「先に手当てを済ませよっか」
というわけで、美貌の乙女達が化膿止めを塗り合いっこし、絆創膏を貼り合いっこする。
ロビンの艶めかしい柔肌に走る細かな傷に化膿止めを塗り込み、ベアトリーゼは小さく唸った。アンニュイな双眸に微かな羨望を滲む。
「ロビンは肌が綺麗で良いなぁ……」
地獄の底みたいな土地でネズミ同然の幼少期を過ごし、ドンパチチャンバラを生業としてきたため、ベアトリーゼの身体はあちこちに傷痕がある。特に両手は傷痕とタコだらけ。
「ビーゼの肌だって十分綺麗よ」
お世辞ではなく本心から告げ、ロビンはベアトリーゼの小麦肌へ絆創膏を貼っていく。確かにベアトリーゼの身体は傷痕が少なくない。が、肌はきめ細かく滑らか。無駄なく鍛えられた体つきはアスリート的健康美に満ちている。
乙女2人が手当てを済ませ、遅い昼食を始めた。
ハムとチーズと新鮮な野菜をたっぷり挟んだ大きなバゲットサンドウィッチ。フライドポテトとチキンナゲット。
表から届く喧騒をBGMにして、ロビンは上品に、ベアトリーゼは心底美味そうに食べていく。バゲットサンドウィッチを齧り、ポテトとナゲットを摘まみ、濃いめの紅茶を呑む。
食事の手を止めず、2人は昨日の“冒険”について語り合う。
地下遺跡のこと。二度の大崩落のこと。児童歩兵。鷹の目。眠り姫。
一通りの話題をバカ話のように語り、大きなバゲットサンドウィッチをお腹に収めた。
ロビンが紙ナプキンで口元を拭って、言った。
「手に入れた資料の精査と研究のために少し腰を据えたいところね」
「少しの間なら、ここに滞在しても良いと思うよ」
ベアトリーゼは冷めたポテトを摘まみながら応じる。
当初のプランでは冒険家ハッチャーの日誌を確保し次第、マーケットを離れる予定だった。しかし、トンズラを図っていた最大の理由――ヌーク兄弟の追跡が無くなった今、政府や海軍の追手が迫らない限り、慌ててマーケットを離れる理由はない。
そして、ヴァイゲル草稿とハッチャー日誌を入手した今、ロビンは内容を精査し、研究する場所と時間を欲していた。そういう意味では、政府や海軍が大きく動けないマーケットは都合の良い場所ではある。
「ただ……」ベアトリーゼは窓の外へ顔を向け「私らへ熱い目線を寄こしてる奴らが居ない訳でもないから、長居はお勧めしないね」
見聞色の覇気を微かに用いて半径数百メートルを探れば、幾人かこちらを窺っている。政府の犬か賞金稼ぎか海賊か。
暗橙色のスリムパンツに包まれた美脚を組み、ベアトリーゼは続ける。
「いつでも40秒で逃げ出せる備えをしている限りは、ロビンの望む通りにして、ええで?」
「その語尾はやめて」
ロビンは微苦笑し、少し考えてからベアトリーゼに問う。
「私が作業をしている間、ビーゼはどうする?」
「んー……番犬らしくロビンの傍に控えてるだけでも良いけど……」
ベアトリーゼはアンニュイ顔で頬杖を突く。
「この街には面白そうなものが多いし、なんか探してみるかな」
〇
海軍元帥“仏”のセンゴクは時折、自らの役職がしがない中間管理職のように思える。
世界秩序を守る最大戦力のトップであるにも関わらず、世界政府の無茶振りや天竜人のクズ共に悩まされ、善意的に表現して『個性豊かな』部下達の振舞いや突き上げに苦労させられ。
元帥なのに、在り方は中間管理職そのものだ。元帥なのに。
「溜息なんぞついてどーした。幸せが逃げるぞ」
元帥執務室の応接ソファにふんぞり返る大柄な初老男性が、バリボリとおかきを齧りながら言った。
「お前には想像もつかん悩みだ、ガープ。それと、堂々と仕事をサボった挙句、私のおかきを勝手に食うな」
センゴクは豪快な鼻息をついて緑茶を口に運ぶ。既に大分ぬるくなっていた。切ない。
湯呑を執務机に置き、センゴクはおもむろに口を開く。
「マーケットでサイファー・ポールが天竜人の遺骸を確保した件は聞いているな?」
海軍本部中将“英雄”モンキー・D・ガープは『天竜人』という単語を耳にした瞬間、顔を仰々しいほど盛大に歪めた。
「くそったれのフランマリオン家の縁者だとかいう話じゃろ? あのアホッタレ共め、500年も前からろくでもないことしとったんじゃなぁ」
堂々と悪態を吐き捨てるガープ。
センゴクは頭痛を覚える(その物言いが出来ることに羨望も幾らか抱いていたが、表には出さない)。
「そういうことをデカい声で言うな」
「お前だって思ってるくせに」と悪戯小僧のように笑うガープ。
「デカい声で言うな」
センゴクは顔をしかめつつ、すっかり冷めてしまったお茶を口に運ぶ。
「それでな。サイファー・ポールからの要請でフランマリオン家の遺骸をマーケットからマリージョアへ移送することになったんだが」
「お」ガープが楽しそうに「マーケット行きか。構わんぞ。あそこぁ面白ェもんが山ほどあるからな」
「あんなデリケートな場所にガサツなお前を送り込めるかっ」センゴクは眉間に深い皺を刻む。
「ケチ臭いこと言うのぉ」と拗ねる初老大男。
「お前があそこで暴れた後、しばらくコング元帥が胃痛と脱毛に悩まされたんだぞっ!」
マーケットでは世界政府だけでなく海軍やサイファー・ポール、世界政府加盟国の『密やかなビジネス』が行われている。そんな場所で大暴れすれば、当然ながら表に裏に大問題となるわけで。時の海軍元帥だったコングは苦情の大嵐を浴びる羽目に。
「おー? あー、あったあった! そんなこともあった! いや、懐かしいのぉ、ガハハハッ!!」
野武士のように大笑いするガープ。上司の苦労を屁とも思っていない笑い声であった。
「……ともかくな、マーケットに『迎え』を送ることになったんだが」
苦虫を嚙み潰したような顔のセンゴクが、真剣な声音で続ける。
「どうにも怪しい」
「あン?」と片眉を上げて訝るガープ。
「マーケットのケースオフィサーは移送任務に本部付き艦隊を寄こせと抜かしてきた」
「本部付きの艦隊を?」
センゴクの言葉に、ガープはますます怪訝そうに眉根を寄せた。
海軍本部付き艦隊はいずれも精鋭揃い。“雑用”なんぞに駆り出して良い艦隊ではないし、今年は世界会議を控えているため、むしろ各支部から人手を抽出して再編成中だった。
「……そのケースオフィサーって誰じゃ?」
「“ジョージ”と名乗っている。お前も覚えがあるだろう?」とセンゴク。
ガープは脳裏に“ジョージ”の面を思い浮かべ、不快そうに顔をしかめて吐き捨てた。
「あの腹黒狸か。政府のボケ共やマリージョアのクズ共とは別方向のロクデナシじゃ。要請なんぞ無視しちまえ」
「そういう訳にもいかん。正規の手続きを踏まえての要請だ。無視は出来ん」
センゴクは顎を撫でながら思案し、
「――となると誰を送るか、だが……まずサカズキはない。政府にマーケットへの派遣を禁じられている」
「サカズキがあそこに行ったら問答無用で丸焼きにしちまうだろうからな」とガープが鼻をほじりながら首肯した。
海軍大将“赤犬”サカズキは『正義』の名の下、避難船すら撃沈する男だ。政府や海軍などの『密やかなビジネス』が行われているマーケットとて躊躇なく焼き払うだろう。だからこそ政府も海軍もサカズキへマーケットに近づくことさえ禁じていた。
「何も将官を送り込まんでも。死体の運搬なんぞ佐官の小戦隊で構わんだろ」
「“ジョージ”絡みだ。せめて将官の分艦隊を送りたい。マーケットというデリケートな現場を考えると政治的判断を下せる器量も欲しいところだ」
「面倒臭いのう。ぱぱっといってちゃちゃっと引き取ってくりゃあええじゃろう。なんなら、わしが行ってやろうか?」
「マーケットに行って遊びたいだけだろう。却下だ」
再びバリボリとおかきを齧り始めたガープを睨みつけ、センゴクは溜息を吐いた。
「……ここはおつるちゃんに頼むか」
「おつるちゃんはドフラミンゴに睨みを利かせとるだろ」
「いや、今はレヴェリーに合わせて再編成中だ。確認の必要はあるが都合が付くかもしれん」
センゴクは冷たくなった御茶を飲み干した。
「問題はどうやっておつるちゃんを説得するか、だな……」
○
「あら。どうしたの、それ」
ロビンが興味深そうにベアトリーゼの手元へ視線を注ぐ。
「露店のオヤジの口車に乗せられちゃったよ」
買い出しから戻ってきたベアトリーゼは、B5判くらいのスケッチブックと絵具セットを持ち帰ってきた。
「手持無沙汰に散歩してたら、絵でも描いてみたらって」
「良いと思うわ」ロビンは微笑んで「ところで、ビーゼは絵心あるの?」
「落書きすら描いたこともねえです」
ベアトリーゼは何とも言えない顔つきで応じた。
今生はもちろん前世でも絵なんて学校の美術の授業でしか描いた覚えがなく、そして別段上手くなかったように思う。
ともあれ、ベアトリーゼがスケッチブックに鉛筆を走らせてロビンの似顔絵を描いたところ……
ロビンはしげしげと自身の似顔絵を見つめ、うん、と小さく頷いてから感想を述べる。
「前衛的な表現というか、大胆な筆致というか、アバンギャルド的?」
「無理に褒めようとしないでよ……いっそのこと下手と断じて欲しい……」
ベアトリーゼはいつも物憂げな顔をげんなり顔に変えつつ、鉛筆をくるりくるりと指の間で踊らせた。
「まあ、とりあえず文明的かつ文化的な趣味として続けてみようかな……そのうち他人様に見せられる程度にはなるだろ……多分」
「前向きで良いと思うわ」
くすりと控えめに微笑んだ後、ロビンは顔を引き締める。
「街の様子は?」
「ロビンの目と耳が捉えた通りだよ」
買い出し袋から桃を一つ取り出し、ベアトリーゼはナイフで皮剥きを始めた。ちなみにこのナイフは白兵戦用で実際に幾度か敵の血を吸ったことがある。
「私らのことを探ってる奴らが少しずつ増えてきてる」
皮を剝いて切り分けた桃をロビンに勧めるも、ロビンは小さく肩を竦めて遠慮した。ベアトリーゼは桃を口に運びつつ、言葉を編む。
「このままマーケットに留まり続けるなら、セーフハウスをいくつか用意した方が良い。もしくはこの島を離れるか」
「……もう少し時間が欲しいわね」
ロビンは読みこんでいた古書を突く。
わずか数日で古書店街の常連になりつつあり、資料が10冊近く増えていた。まあ、流石にポーネグリフ関連の物はなかったが。
「この島を離れる段取りだけはつけておいた方が良いけど、状況が許す限りは留まっても構わないと思うよ」
ベアトリーゼは桃を摘まみながら夜色の双眸をアンニュイに細めた。
「ところで、桃は本当にいらない? 美味しいよ?」
「その気持ちだけで充分よ、ビーゼ」
ロビンは柔和な笑顔で断る。
人間の喉笛を裂き、心臓を抉ったナイフで剥いた桃は、気分的に食べたくない。
こういうところはズレたままなのよね、とロビンは心の中でぼやいた。
Tips
センゴク
原作キャラ。海軍の偉い人。作中屈指の苦労人。元帥なのに・・・
ガープ。
原作キャラ。べらぼうに強い爺様。
ぶっちゃけ海軍より海賊やってる方が似合う。倅が革命家、孫が海賊。ガープの父親がどんな人だったか気になるところ。