彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 作:スカイロブスター
ベアトリーゼは安宿の部屋の窓辺に座り、煩雑で雑多で活気と熱気と暑気に満ちたマーケットを眺めながら、スケッチブックに鉛筆を走らせて写生していく。
一言で言って、下手だ。
遠近やらパースやら等身やら何やら狂いまくっていて、なんとも稚拙だった。
しかし、ベアトリーゼの視点に映る光景の要点――街区の要所は全て紙面に描かれていた。つまり、風景画としては赤点だが、斥候が描いた写景図としてはアリだ。
地獄の底みたいな故郷を出てもなお、ベアトリーゼの根幹は荒野で生きてきたネズミのままであり、ウォーロードに飼われた狗のままである証左。
写生を終えたら、スケッチブックのページをめくる。見聞色の覇気で書き上げた街区図のページを開き、幾度か写景図を描いたページと行き来してから赤鉛筆で丸印を書き込んでいく。
書き込みを済ませた後、ここ数日で調達したマーケット各港の出航予定表を確認。
ベアトリーゼは思案する。
この島から高飛びするなら、4海か“楽園”内の島々を向かう船が良い。海軍本部や聖地、四皇の縄張りがある新世界方面へ行くことは避けたい。
それと、そろそろ懸念すべきことが一つ。
ニコ・ロビンの“物語”だ。
ロビンは“砂怪人”と組んでアラバスタ王国転覆計画に関与した末、主人公一味に加わる。
問題は、うろ覚えに加えて熱心な原作ファンでもなかったため、ニコ・ロビンがいつ頃、“砂怪人”と組んでアラバスタ王国転覆計画に関わるのか、ベアトリーゼには分からないこと。
そして、自分という異物が原作へどういう影響をもたらすか。
どこかで“砂怪人”と出会った時、原作通りにロビンは“砂怪人”の傘下に入るのか、あるいは原作と違って物別れするのか。前者の場合、自身も“砂怪人”の傘下に入るのか。
「ケ・セラ・セラ」
なるようになるさ。
「どうかした?」とロビンが資料から顔をあげて尋ねる。
「そろそろ昼飯だなって」
ベアトリーゼはスケッチブックを閉じ、ロビンへ提案した。
「ここ数日籠りっぱなしだったし、外へ食べに行こうよ」
ロビンは少し考え込み、首肯した。気分転換も悪くない。
「そう、ね。うん。そうしましょうか」
「何を食べようか」ベアトリーゼは腰を上げ「肉か魚。米かパンか麺類か」
「通りを回ってみて、ピンと来たところへ入るのはどう?」
「クールなアイデアだね」
ロビンの提案にベアトリーゼは満足げに微笑んだ。
〇
昼飯時。良好な天候の下、軍船が少しずつマーケットの近海に集結し、群れを形成していく。
群れの頭目を担う者は海軍本部中将“大参謀”つる。上品に齢を重ねた老貴婦人だ。『正義』の将官コートを羽織る背筋はぴんと伸びており、歳を感じさせない。
「面倒な仕事を押し付けられたもんだね」
つるは苛立たしげに鼻を鳴らした。
「天竜人の古い遺骸の運搬ってだけでも気が滅入るのに、マーケット近海で捕物をしろだって? 蜂の巣の前で火遊びしろってのかい、まったく」
マーケットは完全なる自由市場。表裏を問わぬ取引が行われている関係で『裏』の人間が大勢出入りしている。そんなところの傍で海軍が作戦行動を取ったらどうなるか。
脛に傷がある連中や悪党共が早合点して暴れ出しかねない。なんたって悪党は大概が短慮で短絡的なバカばかりなのだから。
「しかも、標的が『悪魔の子』? とんだ厄ダネじゃないか」
十数年前にバスターコールで滅ぼされたオハラの遺児にして、世界でただ一人の古代言語解読者。その“真の価値”を知る者にとって、海軍や政府を敵に回してでも手中に収めたいと考える。
不味いことに、マーケットには、ニコ・ロビンの持つ“真の価値”を知る者が少なくない。
面倒な事態が約束されているようなものだ。
「それに、今のニコ・ロビンにはとんでもない番犬がついてるものねぇ」
デッキの一角に安楽椅子を据え、暢気にくつろぐ大男が言った。
「ダラケてんじゃないよ、クザン。海軍大将らしくピシッとしな」
周囲が思わず背筋を伸ばすようなつるの小言を浴びても、海軍大将“青雉”クザンは小さく肩を竦めておどけるのみ。中将が大将を叱りつけるという軍隊の階級制度と組織秩序への挑戦とも言える行為だが、叱られた当の大将閣下自身が肩を小さく竦めるだけだった。
「いやいや、ここはおつるさんの艦隊だろう? 俺ぁ居候らしく端っこで目立たないようにしてるよ」
「……一遍、海軍軍人として教育し直した方が良さそうだね」とつるの叱責が続く。
「勘弁してくれ、おつるさん。俺ぁ物覚えが悪くて座学の成績が悪かったもんだから、えらい苦労したんだよ?」
「あんたの成績が悪かったのは、物覚えが悪いんじゃなくて居眠りばかりしてたからだろ」
「そういう見方もある、かもしれないなぁ」
しれっと宣うクザンに、つるは不出来な倅を見るような目を向けた後、真剣な顔つきで問う。
「……正直に答えな、クザン。ここにはニコ・ロビンを捕らえに来たのかい? それとも、ベアトリーゼを排除しに来たのかい?」
それは、同じことのようで大いに異なる。
海軍大将“青雉”クザンにとって、オハラの一件は心に突き刺さった長く鋭い棘だ。
女子供に到るまで虐殺される様を目の当たりにし、親友をこの手で殺した。この事実を何も感じずに受け止められるほど、クザンの人間性は萎れていない。
一方で、オハラの学者達に同情も憐憫も寄せていない。
連中は『知りたい』という欲望のままに政府が調査を禁じた歴史へ手を出した。そこに悪意の有無など関係ない。やるなと言われたことを確信犯的に行い、罰を受けた。それだけだ。これほどの惨禍を招くとは考えていなかった、というのは甘えに過ぎない。クザンは修羅場を重ねた海軍軍人らしい冷徹さを備えている。
であるからこそ、クザンはニコ・ロビンを気にかける。
親友が命を懸けて守り通したオハラ唯一の生き残りが、どのように生きていくかを。
そして、現状を評価するなら。
あまりよろしくない生き方を歩んでいる、と断じざるを得ない。
無理もない。とクザンの甘い部分が溜息を吐く。世界から敵視された幼子が穏やかに生きられるわけもなく。それでもなお、生きようと足掻けば、泥水を啜って生きるしかなく……その生き方を彼女へ科したのは世界に他ならない。
――だからって、選んだ拠り所が血生臭すぎないかね……
クザンは心の中でぼやく。
ニコ・ロビンは4年ほど前から“血浴”のベアトリーゼと組んでいた。
そのベアトリーゼは軽く調べただけでも眩暈を覚えるほど危険な女だった。
この世の地獄みたいな“あの島”の出身者で、不可解な悪魔の実の能力者で、優れた覇気使い。何より、
西の海でベアトリーゼはギャングやマフィア、悪党や群盗海賊を散々に襲い、奪い、殺している。血浴の異名もその凶悪無比な強盗殺人が由来だ。
生き残り曰く――ベアトリーゼは美しい冷笑を湛え告げたという。
『お前らみたく酷い目に遭っても司直に助けを求められない悪党はな、私にとって“美味しいカモ”なんだよ』
賞金稼ぎや海軍だって邪魔なら躊躇なく排除する。蛮地出身のベアトリーゼの人生観において邪魔臭い奴をぶちのめし、ぶっ殺すことは当然のことだからだ。堅気でもニコ・ロビンや自身へ危害を加えようとしたなら、容赦しない。
しかし……ベアトリーゼと組んで以来、ニコ・ロビンが潜伏することで民衆へ被害が及ぶことが激減したことも事実。
つまるところ、余計な手出しをしなければ、今のニコ・ロビンとベアトリーゼはピースメインと言えよう。あまりに血生臭いピースメインだが。
「どうなんだい」
つるに問われ、クザンは意識を内側から戻して小さく頭を振った。
「仕事の邪魔はしないよ、おつるさん。だらけちゃあいるが、俺も背負った正義に嘘はつかないさ」
〇
「海軍が集結を完了したそうです」
諜報員の報告に、
「そうか」
“ジョージ”は紙巻煙草をくわえ、ライターで火を点し、ゆっくりと煙を吐き出してから、告げた。
「猟犬達を放て」
〇
マーケット内で暖簾を構えるその食堂は家庭的な小店。店の内外に並ぶ丸テーブルや椅子はいずれも使い込まれており、経年劣化した色合いの漆喰壁には水彩の風景画がいくつか飾られていた。
出される料理はオリーブオイルとニンニクとハーブを用いた、いわゆる南仏系料理。
ベアトリーゼとロビンの卓にも、オシャレな皿に盛られたオシャレな料理をオシャレな白ワインと共に頂くオシャレなランチ。
濃厚なパテのトマト詰め、魚介たっぷりのブイヤベース、ほかほかの自家製パン。
「美味しい。とっても美味しい。すっごく美味しい」
ベアトリーゼはニコニコと幸せそうに微笑みながら魚介を食らい、パンをブイヤベースに浸していただく。
「ええ。美味しいわね」
ロビンも和やかな面持ちで舌鼓を打っている。
そうしてオシャレな料理を食べ終えたところへ、ミルクティーとベリー・テリーヌが届く。
イチゴとブルーベリーのテリーヌを前に表情を柔らかくした直後、ベアトリーゼは眉間に皺を刻んだ。
「……デザートを済ませるまで待てないなんて、野暮の極みだ」
ロビンもベアトリーゼの様子から状況を察し、残念そうにデザートを見下ろす。
「とても美味しそうなんだけれど……残念ね」
「本当だよ」ベアトリーゼの夜色の双眸が不機嫌そうに歪み「デザートを邪魔するとか、許されざる凶悪犯罪だよ。非人道的所業だよ」
「……マーケットに居られるタイムリミットが来た、と見るべきでしょうね」
ロビンはナプキンで口元を拭い、
「ルートと無賃乗船する先は選んである。宿まで行って、荷物を持って、この島からおさらば」
ベアトリーゼはフォークを置いて、
「行くよ」
「ええ」
ロビンが首肯した、直後。
通りを行き交う人々の中から、複数人の男女が次々と銃や刀剣類を抜き、料理店へ殴り込む。
「悪魔の子ニコ・ロビンは生け捕りだっ! 血浴のベアトリーゼは殺しちまえっ!」「合わせて1億3千万っ! 絶対に逃がすんじゃあねェぞっ!」「やったれやぁっ!!」「うぉおおおっ!!」
雄叫びを上げて賞金稼ぎ達が殴り込んできて堅気の店員と客が吃驚と悲鳴を上げ、
「美味い飯を食わせてくれた店を血で汚したくないから、命は
ベアトリーゼが小麦肌の物憂げ顔に冷酷な微笑を浮かべた。
「
ずがん。
通りに面する店の壁と窓が吹き飛び、粉塵が漂う中、血達磨になった賞金稼ぎ達が路上に転がっていく。
通りが丸見えになるほど大穴が開いた壁を前にし、客達と店員が慄然と、店主が唖然と白目を剥いている。
手で粉塵を払い除けながら大穴から店外に出て、ロビンが呟く。
「……血で汚した方が、このお店にとってマシだった気がするわ」
「ん。ちょっとやりすぎたとは思う」
ベアトリーゼはロビンに続いて大穴から通りに出る。
「それじゃ、屋上伝いで一直線に行こうか」
「狙撃されない?」
「されるよ。でも私が防ぐから問題ないね」
「頼もしいわね。それじゃ、まずは屋上へ上がりましょうか」
ロビンがたおやかな両腕を交差させ、ハナハナの実を用い、生じさせた腕でワイヤーアクションのように屋上へ移ろうとする。
も、
「ここは私にお任せ」
ベアトリーゼがロビンの腰に腕を回して抱きよせ、能力を発動。
「? ビーゼ、何を――」
ロビンの疑問が発せられるより先に――
ずどん。
ベアトリーゼは両足の下で超高速大気振動を招じさせ、強烈な衝撃波を放つ。瞬間、乙女2人がロケットのように空へ打ち上がった。
なお、通りの人々や大穴の空いた料理店は余波を浴び、散々な目に遭った。御愁傷様。
「んんんんんんんん~~~~~っ!!」
「ははは~っ!」
重力を蹴り飛ばす強烈な加速荷重に、ロビンの口から艶っぽい苦悶が漏れ、ベアトリーゼはジェットコースター的スリルを楽しんで笑う。
数十メートルほど急上昇したところで運動エネルギーが尽き、マーケット上空に浮かぶ2人は引力に足を引っ張られた。位置エネルギーが落下の運動エネルギーに転換され、自由落下していく。
「んんんんんんん~~~~~~っ!!」
「ひゃ~っ!」
発掘現場での大崩落を思い出して生物本能的苦悶をこぼすロビンと、バンジージャンプ的スリルを愉しんで笑うベアトリーゼ。
眼下からパンパカパンパカと銃声が響いて銃弾の群れが飛来するも、偏差射撃が出来る輩がいなかったらしく、弾丸は一発も2人を捉えない。
ベアトリーゼは落下しながらロビンをお姫様のように横抱きし、コンクリ製建物の屋上へ滑らかに着地。ロビンを丁寧におろして、アンニュイ顔をにやり。
「楽しかった?」
「ビーゼのおかげで甲板に叩きつけられたクラゲみたいになるかと思ったわ」
乱れた髪を手櫛で直しつつ、さらっと毒舌を吐くロビン。
「このまま屋上伝いに?」
「ん。隣の建物へ跳び移りながら、ひたすら走る」
「そう……通りを飛び越える時は私の能力を使うわよ」と真顔で告げるロビン。青い瞳が怖い。
「? ? ? 何で怒ってるの?」ベアトリーゼは困惑しつつ「あ、デザート食べられなかったから?」
「……ビーゼ。後で“話し合い”ましょう」
「!? なんで?」
ロビンにお説教を宣言され、ベアトリーゼが目を瞬かせた。
と、そこへ銃弾が飛んできた。どうやら賞金稼ぎ達が追いついてきたらしい。通りや建物の下から怒号と罵声が近づいてくる。
「とりあえず行こう」
「ええ」
乙女2人が駆けだす。
この日、マーケットの賑わいは少々騒々しいものになっていく。
Tips
つる
海軍中将で”大参謀”の二つ名を持つ老婦人。若い頃は正統派美女だった模様。
ウォシュウォシュの実なる能力者だが、原作でその戦闘描写がないため、さっぱり分からぬ。
クザン
海軍大将で青雉と呼ばれる松〇優作。氷の能力者。
特殊タグ。
初めて使ってみた。