彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 作:スカイロブスター
小汚い独房の中で、ベアトリーゼは見聞色の覇気を用いて船外の様子を探る。
―――いつまで経っても周りに船も島も現れないんですけど?
原作知識がポンコツのベアトリーゼは知らなかった。
マリンフォード、エニエスロビー、インペルダウン。これら世界政府の重要施設島の付近には正義の門という天まで届く巨大な鋼鉄製扉が据えられ、同島嶼から成る三角海域内はクソデカい大渦が人工的に形成されており、民間船舶が進入不可能な海域になっている。
そして、この三角海域周辺は島嶼がとても少ない。
平たく言えば、マリンフォード、エニエスロビー、インペルダウンからなる三角海域と周辺は世界政府の縄張りであり、政府関係以外の進入も存在も禁じられているのだ。
加えて、ベアトリーゼの知らぬ情報として、世界会議が直近に迫っている関係から海軍が海上警備の都合で航路制限を掛けていた。
つまり、ベアトリーゼの脱獄逃走計画は最初から破綻していたのである。ニワカの穴開き知識などこんなもんだろう。
ベアトリーゼは独房内で頭を抱えた。
どーしたもんかしら。いや、ほんとに。
このままだと船から逃げても、逃げ込む先がない。
出来れば、もっと海軍本部から離れたところで動きたかったけど、これじゃ護送船から逃げても助からない。遭難するのがオチだ。
「……仕方ない。計画変更。ちゃっちゃと動こう」
ベアトリーゼは腹に力を入れて、胃の中に隠していた釘を舌の上に送り出す。
カチャカチャ――ガチャリ。
くわえた釘を鍵穴に突っ込んで手錠を開錠。次いで、足錠を外してから、ベアトリーゼは狭い独房内でラジオ体操よろしく強張った体をほぐしていく。形の良い唇から艶っぽい呻き声が漏れた。
「んー……流石に鈍ってるな」
訓練を一日サボれば、調子を取り戻すのに一週間掛かる、だっけ? まぁ何でもいいや。
体を慣らしながら、ベアトリーゼは臨機応変に計画を組み立てていく。
予定では船から逃げて、能力を使って海上をかっ飛び、付近の島なり航行中の船なりに逃げ込むつもりだった。しかし、近くに島も船もないのでは計画倒れも甚だしい。
海上マラソンをして海に落ちて溺死、なんて無様なオチは避けて通りたいところ。
であるから、まず救難艇を奪って近場の船なり島なりを目指す。当然、救難艇にはありったけの物資も積んでおく必要がある。このだっさい囚人服も着替えておこう。普通、囚人服を着た遭難者なんて誰も助けない。
後は……
「この船を沈めるか」
脱走が露見することは出来るだけ先送りしたい。この船を沈めて自身を消息不明、推定死亡にしておく方が動きを取り易い。
となれば、念には念を入れて――
「皆殺しにしておくか」
昼飯に何を食べるか決めたような軽さで呟く。
外付け良心のニコ・ロビンが居ない今、ベアトリーゼは完全に故郷の――地獄の底で生きる野蛮人の価値観と思考で動く。
臆病なほど注意深く。
石橋を叩き割って鋼鉄の橋を架け直すくらい慎重に。
動くと決めた時は大胆で勇敢に。
殺す時は相手を破壊するほど徹底的に。
「それじゃ始めるか」
アンニュイ顔に冷笑を浮かべ、ベアトリーゼは覇気をまとった右拳で独房の扉の鍵を殴り壊した。
護送船『ベッチモ』で惨劇の幕が開く。
〇
真っ先に制圧したのは通信室だ。
通信室に詰めていた海兵達はベアトリーゼの進入に気付くより早く頭部を破壊され、悲鳴を上げるどころか、自身の死を認識する間もなく命を落とした。
血塗れの室内で電伝虫を確保し、外部との連絡手段を奪取ないし破壊。ベアトリーゼは船内伝声管を通じて不可聴域超音波を発振。
人の耳では音として認識できない帯域の超音波は静かに、だが確実に作用し、無自覚に聴覚した人間の脳波を乱して半催眠状態に陥らせる。突発性の重度鬱状態や幻覚を見る震顫譫妄状態、一種の金縛りとなり、本人は何をされたのか無自覚のまま無力化されてしまう。
後は煮るなり焼くなりお好みで。
例外は一部の特異な体質や精神を持つ者、強固なタフネスを誇る覇気使いや能力者くらいだが、不可視かつ不可聴の攻撃だけに手の内がバレるリスクは低い。
周波振動を伴う打撃や熱プラズマ攻撃などは見せ札。この慎重かつ臆病なネズミらしい狡猾で姑息な、強力な運用方法こそベアトリーゼの真骨頂と言えよう。
「さて、塩梅はどうかな」
ベアトリーゼは見聞色の覇気を最大効力で発動し、船内を探った。
海兵のほとんどは無力化に成功。極少数の士官が金縛り状態で意識を保っているようだ。囚人もごく一部が健在のまま。
この連中は能力者か覇気使いなのかもしれない。気を抜かず確実に始末しておこう。
静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――
半催眠状態で身動きの取れない海兵達が次々と殺害されていく。
男の海兵も女の海兵も。歳若い新兵も退役間近の老兵も。一切の区別なく覇気をまとった拳で頭部を殴り砕き、即死させる。一方的で確実な処刑。
これこそベアトリーゼの望む理想的な戦闘状況。
故郷で荒野を這い回るネズミとして育ち、ウォーロードの許で戦闘犬として生きた経験から言って、敵と正面切って戦うなど避けるべきことだった。
正面切って戦えば負傷するかもしれないし、負けるかもしれない。
実際、過日において海軍大将と本部中将に負けて、ズタボロになった挙句、このザマだ。
戦いとは相手が気づかぬうちに仕掛け、何もさせず一方的に攻撃し、一方的に殺すに限る。これならこっちは一切被害無しだし、何より楽でいい。
静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――
やめろやめてくれ。お願い殺さないで。人間のクズがこの野郎。地獄へ落ちろ。
意識のある海兵達の命乞いも罵詈雑言も一切合切無視し、ベアトリーゼは無機質に淡々と海兵達を殺して回る。さながらホラー映画の殺人鬼のように。
海兵達を皆殺しにした後、返り血に塗れたベアトリーゼは囚人の収容区画へ向かう。
静かな足音と『酔いどれ水夫』の口笛が船内に響き――
悪夢を見ずに意識を保っている囚人が次々と殺害されていく。
俺の能力は役に立つから殺さないでくれ。あんたの手下になるから助けて。くそったれが~地獄に落ちやがれ。てめぇきたねぇぞ勝負しろクソ女。
やはり命乞いと罵倒を聞かされるが、ベアトリーゼは完全完璧に無視し、スプラッター映画の怪物よろしく淡々と殺人を重ねていった。
悪夢を見ていない囚人を片付けた後は、各共同房を固く閉ざして逃げられないようにする。船を沈めた後に海水が始末してくれるだろう。
そうして、意識のある者達が一人残らず狩り尽くされた。
囚人服を真っ赤に染め、夜色の髪や物憂げな細面から返り血を滴らせた姿は、まさに
ベアトリーゼは見聞色の覇気でもう一度船内を捜索探査。
―――問題ナシ。
後は出ていく時にこの船を沈めれば良い。
「次は……や、まずはお風呂入るか。血が臭いし」
ベアトリーゼは『酔いどれ水夫』の口笛を吹きながら船内浴室へ足を向ける。
返り血を浴びた囚人服と下着を脱ぎ捨て、シャワー口から降り注ぐお湯の雨を浴びる。
夜色の髪と小麦色の肌が濡れていく。錠をはめられていた手首と足首の擦り傷がピリリとしみた。瑞々しい乙女の肌を滑り落ちていく温かな水が、豊かな乳房から引き締まった腰を通り、臀部と下腹部を伝って二本の美脚へ向かう。
石鹸で髪と体を洗い、返り血を含んだ赤い泡が排水口へ吸い込まれていく。
浴室を出て髪と体を拭い、ベアトリーゼは裸のまま士官室へ足を運び、女性将校の私物を漁る。未使用の下着を発見して着用。
「んー……サイズがちょっとキツいか? まあ、しゃーない」
次いで女性士官の着衣を拝借。予備の海兵ズボンと私服らしいフリルブラウスを着こむ。
「趣味じゃないけど……選り好みできる状況でもないか。ん? 靴のサイズが合わないな」
男性士官の荷物も漁ってサイズの合う靴下とブーツを見つけて確保。ついでに装具ベルトも頂き、ナイフと拳銃を突っ込む。悪魔の実の能力と覇気を使えるけれど、手札は多い方が良い。
その後、ベアトリーゼは艦長室や指揮所へ赴き、金庫を破壊してログポース数個と経費用資金やいくつかの海図を略奪。医務室と食堂を順に回って物資を搔き集め、甲板の救難艇に積んでいく。
「疲れたし、お腹減ったし……脱獄って大変なんだなぁ……」
全ての準備を終えた頃には日が沈みかけていた。
物資を満載した救難艇を海面に下ろし、ベアトリーゼは救難艇に乗り込んで船首に回り込み、
「
覇気をまとった黒い双拳に周波振動を乗せ、護送船を全力でぶっ叩く。
過日のフリゲートのように、護送船の船体が大きく歪み割れ、激しく浸水して船首から沈没していった。
沈没していく護送船に背を向け、
「一人船旅かぁ。前回はロビンに会えたけど、今回はどうかな」
アンニュイ顔で微苦笑し、ベアトリーゼは救難艇を走らせた。
これが護送船『ベッチモ』で起きた惨劇の一部始終である。
〇
数日後。
護送船『ベッチモ』が定時連絡を絶ち、インペルダウン到着予定時刻を過ぎても姿を見せないことから、海軍は捜索隊を出した。
四日間の捜索の末、海面に浮かぶ船体一部らしき漂流物と腐乱して浮き上がった複数人の海兵の亡骸から『ベッチモ』が遭難し、沈没したものと判断された。
いろいろ杜撰で稚拙なところの多い組織であるが、海軍は『ベッチモ』沈没に対して調査委員会を設置し、原因究明を図った。
常識的にいって当然の対応だが。
なんせ海兵数十名余と移送囚人約100名超が死亡したと見做されているのだ。人間のクズ共はともかく、海兵数十名がなぜ犠牲になったのか調査解明することが組織の責任であるし、遺族に対する誠意だ。さらに言えば、世界会議も開催直前。航路上に問題があれば不味い。
ちなみに、調査委員会とは別のところで、この『海難事故』を疑問視する者達が居た。
海軍大将“青雉”クザンは『事故』という報告をまったく信じなかった。
「怪しすぎるだろ」
本部中将“大参謀”つるも、『事故』ではないと判断していた。
賊や海王類の襲撃が原因であれ、突発的な気象災害が原因であれ、沈没までに救難信号一つ発信されないなどあり得ない。
「不自然過ぎる」
他にも航海に長けた者達や『ベッチモ』のクルーを知る者達が『この事故はおかしい』と口を揃えた。
しかし、同海域は難所で沈没船を引き上げて調査することは難しく、事故以外の具体的物証、生存者の証言や第三者の目撃情報もない。極めてグレーな状況でありながら、調査委員会は『事故』という結論以外に出しようがなかった。
それに……非情なようだが、海軍は
かくして、ニュース・クーを通じて『護送船ベッチモ沈没事故』に対する海軍の結論と犠牲者の名簿が発表された。
犠牲者の名簿には『血浴』ベアトリーゼの名前も載っていた。
報道後、この死亡認定に伴ってベアトリーゼの指名手配は解除された。
後に、つるは『ひとの苦労を台無しにして』と酷く機嫌を悪くし、クザンは深々と溜息を吐いて『言わんこっちゃない』とぼやいた。
理由は語るまでもなかろう。
〇
「船一つ沈めるのは流石にやりすぎよ、ビーゼ」
グランドライン内のとある国。
ニコ・ロビンはカツラと眼鏡で変装し、名を偽り、公立図書館でクールビューティな司書さんとして市井に潜伏していた。
『護送船ベッチモ沈没事故』の記事を目にし、犠牲者名簿にベアトリーゼの名前を確認し、ロビンは思わず微苦笑をこぼす。
字面通りにベアトリーゼが死んだなどと一切信じていない。
それどころか、これはベアトリーゼ流の『生存報告』だと確信している。
「砂漠ドクトカゲよりしぶとい、そう言っていたものね」
まあ、ロビンはその砂漠ドクトカゲを知らないけれども。
ロビンは新聞を卓に置き、カップを口に運ぶ。ハチミツ入りの紅茶が優しい甘味を伝えてくる。
私も何かしらの手段で潜伏場所をビーゼに知らせたいけれど……
賭けても良い。それをすれば、ベアトリーゼより先に海軍か賞金稼ぎがやってくる。
それに……何度も読み返したスケッチブックのメッセージから察するに、ベアトリーゼはロビンの向かう先に見当がついているようだった。
信じよう。
カップを卓に置き、ロビンは新聞に記載された親友の名前を愛おしげになぞった。
ビーゼは必ず自分の許を訪ねてくる。
だから再会の時を信じて、
「私も諦めないわ、ビーゼ」
青い瞳は希望の力に満ちており、諦めの色は微塵もない。
〇
「……ごめん、ロビン。私、もうロビンに会えないかも」
ベアトリーゼは諦めそうだった。
暗紫色の瞳は途方に暮れている。
だって、船の行く先に真っ黒な雲が広がっていて、雷雨を伴うドデカい嵐が一直線に近づいてきているのだもの。自分へ向かってぐんぐんと迫ってくるんだもの。
これから起こることを想像するだけでお腹が痛くなるし、吐き気が込み上げてくるし、目頭がツンと熱くなる。
「なんでこんな目に……私が何したっていうのさ」
色々やらかしている。直近では数日前に大量殺人を犯している。控えめに言っても極悪人である。
ともかく、大ピンチだった。
海王類相手ならまだ持ち前の戦闘力で対応できる。
ちょっとしたトラブルなら前世記憶と能力と覇気で何とかできたかもしれない。
でも、
「特大級の自然災害が相手はちょっと無理かなー……」
ベアトリーゼは遠い目をして誰へともなく呟く。
もしもベアトリーゼに麦わら一味の美人航海士並みの航海術があれば、まだ何とかなったかもしれないが……如何せん、ベアトリーゼにそんなもんはない。
「大自然の前じゃ、人間なんてちっぽけなもんだね」
へへ、とアンニュイ顔に投げやりな笑みをこぼした後、
「ちきしょーっ! ロビンと再会するまで死んでたまっかぃッ!」
ベアトリーゼは我に返った。
迫りくる黒い巨雲と嵐に半ベソを掻きつつ、食料と水を可能な限り防水袋へ突っ込み、ありったけの救命浮き輪と共に体へ括りつけていく。
Q:ひょっとして転覆に備えて……?
A:彼女はマジです。
「かかってこんかいコラァーッ!!」
ベアトリーゼは自棄っぱち気味に嵐へ向けて叫び――
救難艇は高波の直撃を食らってあっさりと横転沈没。ベアトリーゼはゴムボールのように海へ投げ出された。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
さて、悪魔の実の能力者は海に嫌悪される。
体の大部分が海に浸かれば、意識が飛びかけるほど脱力し、一寸たりとも泳ぐことが叶わない。
波に飲まれ、水中に没したベアトリーゼは、荒れた水流にぐわんぐわんと激しく揉みくちゃにされ、
「がぼぼぼぼぼぼっ!? がぼっ!? ぼっ!? がぼー………」
間もなく意識を飛ばした。
大量殺人犯に天罰が下ったのかもしれない。
Tips
護送船ベッチモ
テキトーに思いついた名前。
果たして、これほどの凶行を行う人物が麦わら一味に入れるのだろうか。
催眠超音波。
『砂ぼうず』オマージュ
第二部の序盤において、小泉太湖がハイテク装備で行っていた戦術。
彼女はいつもマジ。
『砂ぼうず』オマージュ
分かる人には分かってほしい。