彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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読者の方の御指摘で、ロビンの能力取得年齢が間違っていることに気付きました。
合わせて内容を少し修正しています(11/7)


2:マーケットへ行こう

 14で国を脱するまでヒデェ食生活を送ってきたベアトリーゼは、国を脱して以来、食事に妥協しない。美味いものが食える時は絶対に美味いものを食う。明日は自分が虫や魚の餌になっているかもしれないのだから、我慢しない。

 

 ベアトリーゼは大きな鱶肉のステーキをぺろりと平らげ、焼きたてのパンを5つも食らい、根菜と魚介のスープを二度もお代わりし、デザートにアイスケーキを3人前注文する。

 

 蛮族同然の生まれ育ちながら、食事の所作に野卑さが無い理由は、ひとえに欠落だらけの前世知識とロビンがマナーを教えてくれたおかげ。

 

 アイスケーキを幸せそうに堪能するベアトリーゼの様子に、ロビンは微笑みながら食後の紅茶で唇を湿らせる。

「食事時のビーゼは本当に可愛いわね」

 

「美味しいものをお腹いっぱい食べられる幸せ。実に尊い」

 非文明的な蛮地出身者はしみじみと呟き、最後の一口を味わう。満足げに小さな首肯を重ね、ベアトリーゼは余韻を惜しむように珈琲を口へ運んだ。

 

「満足した?」とロビンは姉が妹を気遣うような優しい微笑みを浮かべる。

「ん。大いに」とベアトリーゼは素直に応じた。

 

「それじゃ、“本題”に入りましょうか」

 ロビンは食堂の周囲に気を配りながら、控えめな声量で語り始める。

「入手した航海日誌を精査して確認したわ。掴んだ情報通り、あの海賊はマーケットに出入りしていた」

 

「これで行けるわけだ」とベアトリーゼが夜色の目を妖しく細めた。

「ええ。彼らのログポースと海図を使えば行ける」ロビンも不敵に口元を緩め「マーケットに」

 

 先立ってニョロニョロの何某なる海賊から奪ったログポースと航海日誌、海図。

 ロビンとベアトリーゼがこれらを欲した理由は『マーケット』へ赴くためだった。

 

偉大なる航路(グランドライン)』の一角に、アラバスタ王国やベアトリーゼの故郷みたいな砂と岩に塗れた島がある。

 国家のような体制は存在せず、かといってウォーロードのような奴輩も跋扈していない。

 その島にある物は3つだけ。

 

 砂と岩の荒野。

 大昔に滅んだ国の遺跡や遺構。

 そして、マーケット。

 

 あらゆるものが遣り取りされる、完全なフリーマーケットだ。

 

 国家がないから税関も無い。マーケットを仕切る権力者や相互扶助組合や公共サービス組織も無いから税も上納金も取られない。

 

 マーケットでは何をどんな値段で売っても良い。他人や余所の商売を邪魔しない限り、誰に憚ることなく商売して良い。

 

 一般的な商売――合法的な問題ナシの取引や売買は当然として、司法が存在しないため非合法品や規制品や盗品や略奪品も例外なく遣り取りされている。

 

 盗まれたり奪われたりした金や宝石や貴金属類。贋作盗品を含めた美術品、芸術品、骨董品、楽器や文化財。世界政府や諸国家が規制対象にしている兵器、文物、諸々の技術、動植物に昆虫、種子。酒や煙草などの嗜好品、高級調度品などの贅沢品、麻薬や違法薬物、多種多様な薬品や薬剤とその原料。もちろん、人間も商品として取引されていた。

 

 近年では世界政府や国家、海軍の表沙汰に出来ないビジネスの経路や保管所、資金洗浄などにも利用されており、世界的権力の黙認を受けていると言えるだろう。

 

 さながら村上龍の『ヒュウガ・ウィルス』に登場したオサカ・フリーマーケットだ。

 

 ただまぁ、複雑怪奇な海流と海域に塗れているグランドラインにおいても、マーケットへ行くことは極めて難しかった。マーケット行きのログポースや航海経験が無ければ、まず辿り着けない。

 

 誰でも参加できるというマーケットの開放的かつ自由なルールや世界的権力の黙認は『限られた者しかマーケットへ行けない』という前提に成り立っている。

 

 ニコ・ロビンは過酷な逃亡生活の中でマーケットの話を聞いて以来、ずっと行くことを願っていた。

 マーケットではあらゆるものが取引される。

 もちろん、知識や情報も。

 

 もしかしたら。もしかしたら、マーケットならば、手に入るかもしれない。

 母と同胞達が世界を敵に回してまで得ようとした『失われた100年』の真実が。

 この世界に秘められた歴史が。

 たとえ、それらに届かずとも何かしらの手がかりやヒントが得られるかもしれない。

 

 世界政府と海軍の追及から逃れながら、当てもなく世界を彷徨いながら情報を集めるよりも、確実だろうから。

 

 一方、ベアトリーゼはロビンのような悲願を持っていない。

 人生を賭した宿願など持っていない。

 ただし、ベアトリーゼはロビンと出会ったあの日、誓約した。

 ロビンが“諦めない限り”守り続けると。

 

     ○

 

 それは2人が出会ったあの日のこと。

 ベアトリーゼは壊滅させた海賊船の甲板、血肉と潮の臭いが漂う中、ニコ・ロビンと邂逅した。曖昧な前世知識でも覚えがある作中主要人物との予期せぬ遭遇に、動揺していた。

 

 当時のニコ・ロビンは『ハナハナの実』を食した能力者になって久しかったが、地獄の底みたいな土地で血に塗れながら生を掴んできたベアトリーゼと、社会に深く潜伏して生き延びてきたロビンでは、戦闘力が根本的に違う。

 事実として、ロビンが殺されなかった理由は、ベアトリーゼがハナハナの実の能力とロビンの容姿に『この子、ひょっとして漫画に出てた主要キャラじゃ?』と気付いたからに過ぎない。

 

 対峙するロビンは恐怖と怯懦に身を奮わせつつ、困惑していた。

 

 海賊達が暇潰しに襲った小型船にいたのは小汚い少女――の姿をした怪物だった。

 眼前の少しばかり年下の少女は、気怠そうな顔つきで庭掃除でもするように、海賊達を一方的かつ容赦なく蹂躙した。その圧倒的暴威は凄惨の一語に尽きる。なんたって五体満足の骸が一つも無い。破壊された人体と破砕された人肉が散乱し、甲板上は血肉で真っ赤に染まっている。

 

 そんな恐るべき殺戮者が自身をまじまじと見つめた直後、突如として動揺し始めたのだから、ロビンが困惑しても無理はなかった。

 

「ニコ……ロビン? お前、『悪魔の子』のニコ・ロビンか?」

「――ッ!」

 ロビンはベアトリーゼに改めて恐怖し、身を強張らせた。『悪魔の子』として世界政府から追われるロビンには高額賞金が懸けられている。

 

 ――戦うしかないっ。ロビンが覚悟を決めて抗戦しようした、刹那。

 

「本物のニコ・ロビンかぁ……」

 ベアトリーゼは小さく息を吐いて戦意を解いた。むろん、隙は見せなかったが。

 

 怪訝そうに美貌を歪め、ロビンは警戒と猜疑を隠さずに問う。

「どういう、つもり?」

 

 ベアトリーゼは答えず、小麦色の細面に物憂げな表情を湛えた。

 別に原作を遵守する気はなかった。そもそもワンピースの内容をろくすっぽ覚えていないし、何より自分が生き抜くことが最優先だ。ネームドをぶっ殺して原作が大きく変わろうと知ったことではない。

 

 ただ、ベアトリーゼは底の抜けたボロ靴のような前世知識から、知っていた。

 

 ニコ・ロビンが母も同胞も友も奪われ、世界から命を狙われながらも、たった独りで抗い続け、生き抜いてきたことを。

 

 それは、この世界に転生して一匹のネズミとして生きてきたベアトリーゼに、同族憐憫に似た共感を抱かせていた。

 

 そして、ベアトリーゼはニコ・ロビンを前に思うのだ。

 世界政府や海軍が恣に島一つ、国一つを容易く滅ぼせるというなら、なぜ自分の故郷は世界政府や海軍に救われなかったのか、と。なぜ見捨てられたままだったのか、と。

 

 彼らがその絶大な力を使えば、ウォーロード達を掃討し、あの干からびた地で苦しみながら生きる人々を救い、導くことが出来るはずだ。

 

 あの島で生きてきた地獄の日々、どれほど祈ったことか。前世日本人の良識や倫理や道徳がすり減っていく日々、どれほど懇願したか。飢えに苛まれながら涙も果てた目で夜空を見上げ、どれほど渇望したか。救いを。助けを。援けを。慈悲を。優しさを。

 

 なぜ助けてくれなかった? そんな義務も責任もないから?

 あんな蛮地で浅ましく生きている私達など、救う価値もないから? 気にかける意味もないから? 助けるに値しない命だから?

 

 ふざけるな。

 

 ――なら、私にも世界政府や海軍に貢献する義理も務めもない。いや、それだけで足りないな。

 奴らに意趣返ししてやる。理不尽で不条理で八つ当たり同然の嫌がらせをしてやる。

 吠え面を掻かせてやる。

 

 不貞腐れたクソガキの理屈である。が、地獄の底で生まれ育ち、前世の善良な人間だった価値観を根こそぎ粉砕され、野蛮人のルールが叩きこまれたベアトリーゼにとって、大事な理屈だった。

 

「……提案がある」

「提案?」

 疑念を隠さず、ロビンが不信感を露わにするも、ベアトリーゼは気にせず続ける。

「お前が生き続けることで世界政府に仇なすというなら、お前が諦めることなく世界の敵であり続ける限り、私がお前を助け続けよう」

 

「―――え?」

 ロビンは虚を突かれたように目を瞬かせた。

「……それは、貴女が私のことを守ると? そんなことをして貴女に何のメリットがあるの?」

 

「メリットは特にない。むしろ厄介事にしかならないな」

 ベアトリーゼは気だるげに応じ、唖然とするロビンへ薄笑いを向けた。女妖のような笑みだった。

「でも、お前が捕まらない限り政府や海軍が嫌な思いをするんだろう? お前が生き続ける限り、この世界の脅威であり続けるんだろう? それで良い。私は支配者面している豚共と守護者気取りの犬共に吠え面を掻かせたいんだよ」

 

「私を嫌がらせの道具か何かにする気?」

 ムッとして睨むロビンへ、ベアトリーゼは視線を払うようにひらひらと手を振る。

「それを言うなら、お前が提案を呑めば、私はお前専用の番犬になる。お互い様だよ」

 

「……貴女が私を裏切らないという保証は?」

「そんなものはないし、どんなに言い繕ったところで信用しないだろ?」

 ベアトリーゼの反問にロビンは黙り込む。図星だった。

 

「まあ、私が信用できないなら信用しなくていいし、この提案を呑まないとしても、私はお前を害したりしない。この場でサヨナラするだけさ。仮に私の提案を呑んだとして、私を裏切ったとしても、それはそれで構わない」

「騙されても平気なの?」

「騙されることも裏切られることも初めてじゃない。私も騙したり裏切ったりしたことがあるし、まあ、その時はその時さ」

 

 訝るロビンへ面倒臭そうに応えつつ、ベアトリーゼは喉が渇いたな、と呟いて周りに転がる死体を物色し始める。

「それに、私の提案には条件があることを失念しないで」

 

 副長の死体からスキットルを奪い取り、ベアトリーゼは飲み口を袖で拭って一口呷る。強い酒精と風味。ラム酒だった。

「私がお前を守る条件は、お前が世界の敵であり続けること。お前が諦めない限り、だ。お前が心折れて諦めた時、私はお前を見捨てる」

 

 その上から見下ろすような、見物客のような言い草に、ロビンはかあっと頭に血が昇った。何も、何もわかっていないくせにっ!

「――私は、私は諦めたりしないっ!」

 

 諦めたりするものか。

 母と同胞と親友を殺され、故郷を焼かれた。オハラを脱出する時、ロビンは灰になっていく故郷を見続けながらオールを漕ぎ続けたのだ。迫害され、騙され、裏切られ、追手から逃れながら、安息無き日々を生き抜いてきたのだ。

 

 全ては母達の見つけた真実を知るため。全てはこの悲願を果たすため。

 

 諦めたりするものかっ!

 

 屈したりするものかっ!

 

「私は絶対に、諦めないっ!」

 青い瞳に宿る激情に偽りは欠片もない。ロビンはベアトリーゼを真っ直ぐ睨み据えて、宣告する。

「貴女こそ覚悟することね。役に立たないと分かったら容赦なく切り捨てるわ」

 

「怖いね」

 アンニュイな細面に苦笑を湛え、ベアトリーゼはスキットルを傾けてからロビンへ放る。

「私はベアトリーゼ。ただのベアトリーゼさ。よろしく、悪魔の子」

 

 ロビンはスキットルを傾け、強い酒精に喉を焼かれながらも海へ投げ捨てる。

「私はニコ・ロビン。よろしく、私の番犬」

 

 

 

 2人が出会ってから4年。世界では――

 

 フーシャ村の太陽のように笑う少年がゴムゴムの実を食ってしまったり、2人の少年と義兄弟の盃を交わしたり。

 

 客船オービットとクック海賊団が遭難し、ぐるぐる眉毛の少年と海賊が無人島に漂流したり。そして、2人で海上レストランを開いたり。

 

 マリモ頭の少年が親友の形見として和道一文字を譲られたり。

 

 ココヤシ村の少女が敬愛する義母を殺され、故郷を守るために憎き魚人の手下になったり。

 

 船大工の青年が恩人を助けようとして失敗し、自らをサイボーグ化したり。

 

 青っ鼻のトナカイが気の良いヤブ医者と出会ったり。

 

 ――していた4年間。

 

 ベアトリーゼは決してロビンを裏切らなかった。

 組み始めの頃、ロビンが不信と猜疑からベアトリーゼを窮地に追い込んだ時も、ロビンがベアトリーゼを見捨てて一人で脱出した時も、ベアトリーゼ一人なら危機から逃れられた時も。

 

 ロビンを脅威と危機から守り続けた。いつものようにどこか物憂げに、どこか気だるげに、圧倒的暴威を発揮して。

 

 今はロビンも認めている。

 ベアトリーゼは自分を決して裏切らないと。

 たった独りで世界の追及を搔い潜り続けたロビンは、一人ではなくなったのだ。

 

 心を許したロビンはいろいろと語った。

 母のこと。恩師のこと。心優しき巨人の親友のこと。故郷のこと。自分の悲願のこと。

 

 ベアトリーゼもいろいろと話した。

 生まれ育った蛮地のこと。戦場漁りの鼠だったこと。ウォーロードと護衛隊を裏切ったこと。

 

 今や、ロビンにとって、ベアトリーゼはただ一人愛称で呼ぶ存在だった。

 今や、ベアトリーゼにとって、ロビンはただ一人愛称で呼んでくれる存在だった。

 

 2人は守る者と守られる者であり、2人は海軍に追われる共犯者であり、2人は世界を相手取る同志であり、2人は無二の親友――だった。

 




Tips
『ヒュウガ・ウィルス』
 村上龍の『五分後の世界』の続編。
 前作『五分後の世界』が半グレオヤジが別世界線の日本へ転移した物語だったのに対し、『ヒュウガ・ウィルス』は現地主人公物。


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