彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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みえるさん、佐藤東沙さん、烏瑠さん、西居伊佐美さん、誤字報告ありがとうございます。


204:マイナス方向の信頼性

 それは紛れもなく敗走だった。

 麦わらの一味はメインマスト城砦上階から伸びる、長大な空中回廊チックな半アーチ状階段を駆け降り、サウザンド・サニー号を目指していた。

 

「ホントにナミを助けに行かなくていいのか!?」

 トナカイ形態のチョッパーが不安顔で叫ぶ。

 

 怖がり三人組は特別冷凍室から逃げだすも、透明人間に追いつかれ、ナミを攫われてしまった。ウソップとチョッパーはナミを助けるどころか、ゾンビの大集団に襲われ、自分達まで捕まるところだった。フランキーとロビンが偶然現れなかったら、今頃はルフィのように影を奪われていただろう。

 

「今は言うな! 出直して必ず助けるっ!」

 フランキーがチョッパーを宥め、肩越しに背後のメインマスト城砦を窺う。

「さっき上から聞こえた、とんでもねェ雄叫びはいったいなんだっ?」

 

「ありゃ“ルフィ”だよ!!」ウソップが怒鳴った。「あの雄叫びもスゲェ音も全部な! 俺達が見聞きしたことは全部話す! とにかく今はサニーに戻ってゾロ達と合流だっ!」

 

 屈辱的な撤退。

 長い長い半アーチ状階段を降り終えて外壁上に立てば。

 なんとまぁ、ルフィ達が上陸した船着き場が丸見えではありませんか。

 

「マジか。上陸した時にこの階段を見っけてりゃあ、いきなりボス部屋行きだったかもしんねェのか」

 額に滲む汗を拭いつつ、フランキーが小さな驚きを湛えた。

 

 外壁から船着き場に降り立ち、ロビンが碧眼を鋭く細めて周囲を警戒する。

「大勢の足跡があるわ……多分ゾンビ達よ」

 

「えっ! じゃあ、まだ居るかもっ!」

「その時はその時だ! とにかくルフィ達を見つけねェと!!」

 チョッパーが不安顔を作るも、ウソップは構わずタラップを昇ってサニー号へ乗り込む。

 長っ鼻に続いてサニー号の中央甲板へ上がり、フランキーは荒らされ、汚されたサニー号を目にして強く憤慨した。

「まだ進水して一週間と経ってねェってのに……好き放題してくれやがってっ!」

 

「ゾンビ……いないか?」ロビンの陰に隠れつつチョッパーが問う。

「無人のようね」ロビンはチョッパーへ労わるように微笑み、周囲を見回して「ルフィ達が居るか探しましょう」

 

「ルフィッ! ゾローっ! サンジーっ! ベアトリーゼっ! どこだーっ!?」

 4人は一味の正面戦力組を呼びながら船内を捜索し、ウソップが発見した。

「ルフィ達が居たぞ! 食堂だ!」

 

 いそいそと食堂に集合し、4人は失神中のルフィとゾロとサンジと御対面。

「あーあーあー……すっかり玩具にされてまぁ……」「……無惨ね」

 ルフィ達はこの場へ運び込まれた後、ジョーク好きなゾンビ達によって弄り倒されていた。顔に落書きされ、鼻に割りばしを突っ込まれ、へんてこなポーズを取らされている。

 

「ベアトリーゼがいないな」チョッパーが鼻をスンスンと鳴らしながら周囲を探してみるも、見つからない。「匂いもしないや」

 

「あの姉ちゃんなら殺したって死にやしねェさ。まずはこいつらを起こそう」

 フランキーはルフィ達の前に立ち、デカい右手を振り上げた。

「オォッラァッ!! さっさと起きろテメェらぁッ!!」

 

 ごっちんごっちん拳骨が落とされ、ばっちんばっちんビンタが飛ぶ。フランキーが肩で息をするほど繰り返すも、ルフィ達は起きる気配をまったく見せない。ぐーすかとイビキを掻き続ける。

「……ダメだ、ピクリとしねェ。いっそバズーカをぶち込んでみるか」

 

「眠りが深すぎるわね。これも影を取られたせいかしら……」流石に心配になったのか、ロビンが憂い顔で眠りっぱなしの3人を案じる。

「アンモニアを嗅がせてみようか?」気つけ薬の使用を提案するドクトル・チョッパー。

 

「いや、俺に考えがある!」

 ウソップは船大工と船医を制し、コホンと喉を鳴らしてから、大声で叫んだ。

「美女の剣豪が肉を持ってやってきたぞッ!!」

 

「ウソップ、いくらなんでもそんなので」チョッパーが渋面を浮かべた直後。

「美女?」「剣豪ォ?」「肉?」

 3人は一瞬で目覚めた。

 

「そうだった! こいつらバカだったぁ!!」

 チョッパーはヤケクソ気味に怒鳴った。

 

 

 で。

 

 

「影がなくなってる……妙な感じだな。落ち着かねェ」

 ゾロは足元を見下ろし、強く困惑する。

「大変だっ! 食いモンがなんもねェッ!!」

 ルフィが悲鳴を上げながら保存食のチーズと乾パンを口に詰め込んでいた。冷蔵庫と食糧庫を確認し終えたサンジが猛烈な不機嫌顔を浮かべている。

「鍵付きの冷蔵庫をどうやって開けたんだか……生鮮食品は一つ残らず持っていかれた。残ってんのは保存食がいくらかだけだ」

 

 ロビンはブルックの話を思い出し、保存食が残っている理由に合点がいく。

「この島から追い出した後、死なないように……ね」

 

「それで……この状況はなんだ? どうして俺達ゃサニー号で面を突き合わせてる?」

 ゾロの疑問にウソップが頷き、口を開く。

「ああ。全部説明するよ。俺達とフランキー達の情報の擦り合わせもしてェしな」

 

 かくかくしかじかのあーだこーだ。状況の説明と情報の擦り合わせが終わり。

 

「け……け、け結婚だとぉ――――っ!? ふっざけんなぁ――ッ!!」

 透明人間(アブサロム)がナミを誘拐して結婚しようとしている、と知らされたサンジは案の定、ブチ切れた。

 水面を震わせるほど激烈な大怒号を発し、全身から憤怒の炎が噴き出している。どういうことなの。

 

「ナミと結婚て……勇敢な奴だなぁ」ルフィは腕を組んでしみじみと唸り「そんで、俺が巨人? ゾンビってそーやって出来るのかぁ」

「ルフィとコックのゾンビは確認済みなんだな? 後は俺の影が入ったゾンビの居所か」

 考え込むゾロにルフィが言った。

「ゾンビが本人みてェになっちまうなら、俺もゾロのゾンビ見たぞ」

 

「どんなんだ?」

「んー……似た感じだったな」“あれ”を本人に似ていると評するルフィ。「お前と同じ技使ってたからビックリしたぞ」

 

 ゾロはぴくりと片眉を上げた。自分自身と戦う、というのも面白そうだ。いや、今はまず影を取り戻すことを優先すべきだ。

「俺らのゾンビを見つけ出して、口ン中に塩を押し込めば影が戻ってくる。間違ってねェか?」

 

「ええ」ロビンは首肯を返し「ゾンビ達は塩を飲ませることで完全に無力化できる。ただ、幽霊達には通じないみたいね」

 

「そんで? リーゼはどこだ?」

 ルフィの問いかけに誰も答えない。答えを持っている者がいない。チョッパーが心配顔で口を開く。

「それが分からないんだ。モリア達もベアトリーゼの行方を把握してないらしい」

 

「あいつのこった。どっかで悪企みしてんだろ」

「リーゼなら、そーだな」

 ゾロの発言にルフィがニシシッと笑う。

「ええ。ビーゼだもの」くすくすと上品に喉を鳴らすロビン。

「きっと大変なことが起きるんだろうなぁ……」溜息をこぼすチョッパー。

 

 誰もベアトリーゼの身を微塵も心配していない。その必要がないと信頼しているから。もっとも、些か難のある信頼の仕方だが。

 

 付き合いの浅いフランキーは面々を見回し、呆れ顔を作る。

「その嫌な方向に厚い信頼はなんなんだ?」

 

「ベアトリーゼのことはひとまず脇に置くとして、よくまぁ塩なんて弱点を見つけたな」

 ゾロが塩の情報を持ち込んだフランキーとロビンへ感心すると、フランキーは首を小さく横に振った。

「弱点にしろ、お前らを救出に来たことにしろ、助言をくれたのはあのガイコツヤローさ」

 

 フランキーは渡り廊下でブルックと交わした会話を振り返り、感嘆を上げた。

「……あいつァ“漢”だっ!!」

 

※ ※ ※

「……お前、そのナリで人前に出りゃあどんな反応が返ってくるか、分かるよな? 喋って動くガイコツだ。そんな異形を社会が受け入れる訳ぁねェ。この魔の海域を出られたとしてもロクな未来は待っちゃいねェだろうよ」

 フランキーは峻厳な現実を指摘し、じろりとガイコツ男を見据えた。

「にもかかわらず、お前は『死にてェほど寂しかった』と抜かすほどの孤独な数十年を耐え忍んできた。そうまでして果たしたい、“仲間との約束”ってのぁ何なんだ?」

 

「ヨホホホ……お節介な人ですね」

 正直に答えろと言わんばかりの眼光を浴び、ブルックは微苦笑をこぼした。控えめに息を吐き、静かに言葉を編み始める。

 

「簡単な話ですよ。昔……我が海賊団の仲間をある場所に置き去りにしたのです。致し方ない苦渋の別れでしたが……その場所へ必ず帰ると誓いを交わし、我々は船を出しました。

 そして、この海で全滅。約束を果たさぬまま、皆、斃れてしまった……。

 彼と約束を交わした海賊団の最後の一人として、私には仲間達を代表して約束を果たす義務がある。私達が辿り至った物語を伝えるという義務が」

 

 ブルックはわずかに俯き、どこか自嘲的に言った。

「我々が斃れたあの日から……もう50年は経ってしまいましたがね……」

 

 半世紀も前。ロビンが美しい碧眼を瞬かせる傍ら、フランキーは酷いしかめ面を作り、おずおずと指摘する。

「……悪ィが、そんな長ェ時間、そいつだってもう待ってやしねェだろ」

 

「かもしれませんね。ですが、彼がもう待っていないと見切りをつける権利など、私にはありません。それに……」

 語られる言葉は静かながら、ステッキを握る白骨の手に強い力が込められていた。

「万が一にも彼が約束を信じて待ち続けているとしたら、彼はどれほど寂しい思いをしているでしょう。我々に裏切られたと思いながら今でもずっと待ち続けているとしたら、どんなに惨めな気持ちを抱いているでしょう」

 

 ブルックは顔を上げ、大切な仲間の名前を挙げた。

「約束の岬で再会を誓った仲間の名は、ラブーン」

 

 一片の肉も一滴の血も残らぬ身になっても、半世紀の月日が経っても、その思い出は決して色褪せていない。

「幼い鯨でとても我らの危険な航海に連れていけなかった……」

 

「仲間って……鯨なのか?」

 戸惑い気味に問うてくるサイボーグ男へ、ブルックは控えめに首肯を返す。

「故郷にはもう、我が海賊団の帰りを待つ者はいないでしょう……仕方ないことです。私達も家族や友と二度と会えぬ覚悟を抱き、グランドラインへ挑みましたから」

 

 しかし。とブルックは言葉に強い悔いを込める。

「ラブーンは違う。私達は彼に必ず帰ると約束しました。再会を誓って独り置き去りにしたのです。そんな身勝手な約束を交わしておきながら無責任に死んでしまって、声も届かぬ遠い空から死んでごめんじゃ済まないでしょう……っ!」

 

 陽気で剽軽な人懐こい面を投げ捨て、ブルックは鬼気迫る様相で吠えた。

「果たさねばなりません……っ! 成し遂げねばなりません……っ! 必ずッ!!」

 

 ラブーンとの友情のためだけではない。

 50年という時間はあまりに長い。ルンバー海賊団の船員達の家族はほとんどが鬼籍に入ってしまっているはずだ。病に倒れたため、離別せざるを得なかったヨーキ船長達も、おそらく故郷に辿り着けてはおるまい。

 

 もはや、この世にブルックを知る者はラブーンしかいないかもしれない。ルンバー海賊団のことを覚えている者はラブーンだけかもしれない。

 

 なればこそ、必ず彼らの物語をラブーンに伝えねばならない。あの素晴らしい同志達が確かにこの世にいたことを、最高の仲間達が遺した想いを、最後の仲間であるラブーンへ伝えねばならない。

 

「私にしか出来ないことなのだから……っ!!」

 それは紛れもなく“漢”の誓いだった。

 

※ ※ ※

「ラブーン」ルフィは呆気に取られて呟く。

「……」ゾロはにわかに信じられず息を飲む。

「“あいつ”だ……」サンジも驚きを隠せない。

「……ホントかよ」作業の手を止め、ウソップは愕然とする。

 この場に居ないナミも、この話を聞いたら驚愕したことだろう。

 

 驚き固まっている東の海組へ、チョッパーが尋ねる。

「あいつって?」

「あ、ああ……」ルフィは驚きから回復し「俺達は知ってんだ。その鯨」

 

「何ィッ!? どういうこった!?」

 ビックリ仰天フランキー。チョッパーとロビンも予想外のことに驚きを隠せない。

 

 サンジがグランドラインで仲間入りした面々へ語って聞かせる。

「グランドラインの入り口にある双子岬。そこにクソデケェ鯨がいて、世界を分かつ壁に頭をぶつけ吠え続けてた。必ず戻ると約束した仲間の海賊達を50年待ち続けるってよ」

 

 煙草を吹かし、サンジは昇る紫煙を見つめながら言葉を続けた。

「その海賊達がグランドラインから逃げ出したって情報もあったが、ラブーンは認めず吠え続けてた。ルフィが壁に頭をぶつける行為は止めさせたが……あいつは今も岬で仲間を待ち続けてる」

 

 男の浪漫と美学をこよなく愛する長っ鼻がぶるりと身を震わせた。

「とんでもねぇ話だ……50年、お互いに約束を守り続けたんだ……」

「スゲェ偶然だな」ゾロが腕組みして唸る。「まさかこんなところで、ラブーンが待つ仲間と出くわすなんてよ……」

 

 ゾロの独白にロビンの英邁な脳裏に、親友がいつぞや語った業子論なる与太話がよぎった。碧眼が自然とルフィを捉える。

 ――ルフィと一緒に旅を続ければ、私の……母達の宿願もいつか叶うかもしれない。

 

 そして、業子ポテンシャルが化物な麦わら小僧は、ウッキウキワックワクの顔で叫んだ。

「あいつは音楽家で、喋るガイコツで、アフロで、ヨホホで、ラブーンの仲間だったんだっ! 俺はあいつを引きずってでもこの船に乗せるぞ! 絶対に仲間にする!! 文句のあるやつはいるかっ!?」

 

「いいえ。賛成よ」ロビンが優しく微笑み。

「会わせてやりてェなぁっ!!」ウソップが力強く頷き。

「賛成だチキショーッ!」「俺もだコンニャローッ!!」

 涙腺の緩いサイボーグとチビトナカイが号泣しながら大賛成。

 

「あのガイコツを船に乗せるなんて分かり切った話より! ナミさんの結婚阻止だろうがぁあっ!!」

「さっさと乗り込もうぜ。奪い返す影が一つ増えたんだからよ」

 捻くれた賛意を表すコックと男前な剣士の賛同。

 

 仲間達の同意を得て、船長は握り拳を突きあげて吠えた。

「よっしゃあっ!! 野郎共っ!! 反撃の準備だっ!! スリラーバークをふっ飛ばすぞーっ!!」

 麦わらの一味は意気軒高。船長の発破に応えて鬨の声(ウォークライ)を上げようとした。

 その時――

 

      ○

 

 時計の針を些か戻す。

 麦わらの一味がサニー号へ再集結していた時。スリラーバークの地下にて、巨大線形生物型ゾンビの胎から生まれた老いた赤子が、猛威を振るっていた。

 

 萎れた全裸の老婆染みた怪異はしわがれた声で叫びながら、死体らしく疲労もせず延々と猿の如く跳び駆け回る。

 

 剥き出しのしなびた乳房を揺らしながら、手にした胎盤を棍棒のように振るい、繋がったへその緒を活かして分銅鎖のように投げ振り回す。

 

 なんなんだ、こいつは。ベアトリーゼは対峙した怪異を冷徹に観察する。

 

 瘦せこけた体躯から想像もつかぬほど俊敏な動きは、奇怪で素早く予測が難しい。枯れ木のような腕から繰り出される攻撃は、武装色の覇気並みの威力を宿している。振り回される胎盤はダマスカスブレードで両断できない硬度と靭性を持っており、挙句、胎盤に貼りついている無数の小水疱が炸裂弾のように炸裂する。

 

 何より、落ちくぼんだ眼窩から発せられる怨恨の濃さ。それに、まるで生命の存在そのものを憎悪しているかのような殺意の激しさ。対峙するこの怪異が地上で見かけたファンキーでファニーなゾンビ共とは一線を画すガチ勢モンスターであることの証明。

 

 ベアトリーゼは舞うようにしなやかな長身を躍らせ、老いた赤子の放つ強大な暴力を避け、かわす。もはや汚水の飛沫を浴びようが、汚物の欠片を被ろうが、気にしていられない。

 老いた赤子が奇怪な雄叫びを上げ、胎盤を分銅鎖の如く振り回して投擲した。

 

 機。

 ベアトリーゼは回避から反転。汚水に半ば身を浸すように深く屈みこみ、胎盤の投擲攻撃を掻い潜って老いた赤子へ肉薄。美しいほど滑らかな挙動で怪異の鳩尾へ漆黒の右拳を叩き込む。

 ずどん、と打撃とは思えぬほど重たい大音が響き、伝播した衝撃に周囲の汚水が大きく撥ねる。

 

 が、ベアトリーゼの端正な細面が歪む。

 硬質ゴムの塊を殴ったような手応え。肉を潰す感触も骨を砕く感覚も得られない。体表の枯れた皮膚にわずかな亀裂が走るだけで、萎れた体躯を壊せない。大出力の高周波振動に至っては体内の影に飲み込まれてしまう。

 

 老いた赤子が奇声を上げて臍の緒を引っ張り、投擲した胎盤を引き戻す。ベアトリーゼは後方から襲ってくる胎盤をかわしつつ、クロスレンジを維持。萎れた全裸老婆の怪異へ武装色の覇気で塗り固めた拳打足蹴を重ねる。

 皺だらけの顔を殴り、肋骨の浮かぶ脇腹に膝を叩き込み、無茶苦茶に振り回される胎盤をいなして怪異の姿勢を前のめりに崩し、ガラ空きのうなじへ肘撃を打ち込むようにダマスカスブレードを走らせた。

 

 常人なら野菜のように首を斬り飛ばせたはずだが、肘剣の一撃は老いた赤子の皮膚を裂いても首を両断できなかった。どす黒い影を滲ませる裂傷の奥に異常な密度の硬質繊維物が覗く。どうやら断裂防止ワイヤーを仕込んだ自動車タイヤみたいな構造になっているようだ。

 

 ベアトリーゼは舌打ちをこぼし、滅茶苦茶に暴れる怪異からいったん距離を取った。

 満月色の双眸が怒れる獣のように絞られる。

 ……面倒臭ェ奴。

 

 蛮姫が殺意を一層強くした、その時。

 老いた赤子は背中から垂れ下がっていた肉皮を翼のように広げた。肉皮がクラゲの触手のように揺れ、皺塗れの顔に並ぶ落ち窪んだ眼窩の奥に憎悪の光が点った、瞬間。

 

 全裸の老婆みたいな怪異は萎れた体躯を限界まで仰け反らせ、喉が張り裂けんばかりに絶叫した。そして、老いた赤子の奇怪な咆哮に呼応し、澱んだ大気がびりびりと鳴動し――

 地下空間を満たす冷たい靄の中を峻烈な雷電が走った。

 

「バカ、ここでそんなことしたら」

 ベアトリーゼが満月色の目を剥くと同時に、強力な雷電は有機物の腐敗と発酵で生じたガスや可燃性の薬品や廃棄物に引火して――

 

      ○

 

 

 どっかぁああああああああああああああんんんんっ!!

 

 

 麦わらの一味の面々はサニー号の甲板上から、メインマスト城砦の裏手――ホグバックの豪邸が轟音を奏でながら、濃霧の闇に粉塵を立ち昇らせて傾斜していく様を目の当たりにし、即座に察した。

 ベアトリーゼがやらかした、と。

 




Tips

ブルック
 主役キャラの1人。
 独白シーンを少し改変した。

老いた赤子
 オリ設定のオリキャラ。モデルはブラボの『ゴースの遺子』
 影の残滓の群体によって稼働するイレギュラー・ゾンビ。異様に頑丈。

ベアトリーゼ
 原作チャートを引っ掻き回そうとしたら隠しボスと戦う羽目になった、みたいな状況。
 結果として、オーズが暴れ出すより早くスリラーバークに大きな被害をもたらした。
『私は悪くねえ! 私は悪くねえ!』
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