彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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24:アクア・ラグナ来りて

 自宅の湯船に身を浸し、ベアトリーゼは女子事務員ビーの仮面を外してくつろぎながら、ここ三カ月ほどの“観察”結果を思索していた。

 

 今や私室でしか作らない物憂い顔をつるりと撫でて、呟く。

「ワン公達の動きからして……私の調査を止めてアイスバーグ一本に絞ったか。となると……仕掛けるなら市長選あたりかなぁ」

 

 前世日本人の自己同一性(アイデンティティ)が疑わしいほどに野蛮人ではあり、何かと行き当たりばったりが目立つものの、ベアトリーゼは無能ではない。

 現代国家において諜報機関と軍隊が協力し合う都合上、互いのやり口をある程度理解し合うように、ウォーロードの飼い犬だった経験から、()()()()()()を大まかに理解している。

 

「市長選の繁忙の隙を突いて、踏みこんだ活動をする。政敵とのトラブルを演出して身柄の確保……は無理か。対抗馬がいないから実質的に信任投票だし。現段階でアイスバーグが消えることはデメリットが大きすぎる」

 まあ、何をするにしても……とベアトリーゼは悪意を込めて口端を歪めた。

 

「無駄な努力、ご苦労さんだね」

 この世界が原作通りに――自分という存在によるバタフライ・エフェクトが生じない限り、連中は約4年後の原作時までこの街に潜伏し続けるのだから。

 

 ベアトリーゼが呟いたように、市長選自体は原作で描かれていなかったものの、アイスバーグの市長就任は確定で間違いない。

 この市長選の主役はアイスバーグではなく、原作で描かれなかったモブ達……アイスバーグの後援者達やウォーターセブンの有力者達であり、アイスバーグが作り出す繁栄の果実をどれだけ手中に出来るかというゲームだ。

 

 CP9のスパイ達はこのゲームの盤外で、アイスバーグの“隠し物”を見つけ出そうとしているわけだが……

 ベアトリーゼ自身の原作のウォーターセブン/エニエスロビー編をはっきり覚えていないものの、たしか“隠し物”は“フランキーが持っている”ため、ワン公共はその事実を知らずに選挙の間、東奔西走することになる――と認識していた。

 滑稽だと冷笑するベアトリーゼ。

 

 もっとも、原作をうろ覚えのベアトリーゼは知らない。

 

 現段階において、元トムズワーカーズの船大工カティ・フラムことフランキーはウォーターセブンに帰還しておらず、アイスバーグ自身が古代兵器の設計図を隠し持っていることを。

 街でフランキーを、あれほど強烈な存在感を放つ奇怪な大男を見聞きしないことを、疑問にすら思っていなかった。『生活圏が違うから関わらないんだろう』程度に考えている。

 見事に油断していた。

 

 ゆえに、ベアトリーゼは自身が重大な誤認をしていることに気付かず、鼻歌さえ口ずさみ始める。

 この世界で誰一人として知らないその曲の名は、サミー・デイビスの『世界で二番目の優秀な秘密諜報員』。

 完全に慢心していた。

 

 世界で二番目に優秀なスパイの歌を歌い終え、

「……そろそろ本格的にこの島を出る算段を立てないとなぁ。ドカッとまとまった金を稼ぐ方法はないものか」

 浴槽に顎先まで沈め、ベアトリーゼは大きく息を吐く。水面にさざ波が広がった。

 

 流石に原作開始の頃まで事務員暮らしをする気など無い。

 ガレーラカンパニーもウォーターセブンも居心地が良い。カリファを食い歩きに連れ回し、小デブ化させる試みはそれなりに楽しい。が、さっさとロビンの傍に行きたかった。ロビンの柔らかい毒舌や辛いユーモアが恋しい。

 

「あ……そういや、そろそろアクア・ラグナの時期か……あーまたぞろ忙しくなるなぁ……面倒臭い。面倒臭いよぉ~働きたくないよ~~~」

 ウォーターセブンの風物詩が近いことを思い出し、ベアトリーゼは頭のてっぺんまで浴槽に沈めて、ぶくぶくと吐息の泡を昇らせた。

 

        ○

 

 ウォーターセブンはヴィネツィアよろしく高潮の定期便に見舞われる。

 アクア・ラグナと呼ばれるこの高潮が到来した際、住民はガレーラカンパニー(旧七大造船会社)の大造船場へ避難して潮が引くまで待つ。あるいは、海列車で他の島へ渡ってアクア・ラグナが去るまでバカンス。がセオリーとなっていた。

 

 ガレーラカンパニーの関係者にしてみれば、アクア・ラグナによって日頃の職場に住民が入り込んでくるわけで。

 職人連中の一部は家族に職場を紹介したり見学させたり、車座になってわいわいと賑やかに過ごしたり、暢気な空気がある一方。

 

 実質的に管理運営組織となる事務方は、あらゆる面倒事が持ち込まれていた。

 便所の場所案内に始まり、びーびー大泣きする迷子のチビ達を保護したり、ボケた徘徊老人達を保護したり。立ち入り禁止区画に入ろうとする悪ガキ共に拳骨をやり、廃材でキャンプファイヤーをやろうとするウェイウェイ野郎共を張り飛ばし、酒盛りを始めたおっさん達のケツを蹴り飛ばし。資材をくすねようとしたアホタレをウェスタンラリアットで成敗し。

 

「ビーおばちゃん。もっと遊んでー」「遊んでー」「あそぼー」

「おばちゃんじゃねえっ! お姉さんだっ! こら、まとわりつくなっ!」

 女子事務員ビーことベアトリーゼは迷子として保護されたチビ共にモテていた。いや、迷子だけでは無かった。

 

「びーっ! あそんでーあそんでーっ!! にゃはははっ!」

 黄緑髪のチビッ子が勢いよく飛びついてきた、というよりダイビング頭突きをしてきた。ついでに「にゃー」と鳴く兎も一緒に飛びついてきた。

「ぐえっ!」

 チビッ子と兎に左右の肋骨を直撃され、ベアトリーゼは悲鳴をこぼす。

 

「いってーな、チムニーっ! 危ないから飛びつくなって何度言えばっ!」

 ベアトリーゼはチビッ子と兎を叱るも、

「きゃー! にゃはははっ!」「にゃーっ!」

 海列車シフト駅駅長ココロに連れられてやってきた孫娘チムニーちゃん(4歳)は悪びれることなく、ベアトリーゼの膝上に身を乗せてはしゃぐ。ついでに兎のゴンベも乗っかってくる。

 

「このジャリん子めっ!」

 ベアトリーゼは4歳児を抱え持ち、ぶんぶんと飛行機ごっこ紛いに振り回す。歓声を上げて喜ぶチムニーちゃん。

「あーずるいーぼくもーっ!」「あたしもやってーっ!」「やってーっ!」

「ああああ、もうっ! 群がるなチビ共っ!!」

 

 海軍を心胆寒からしめた女が子供達に振り回されていた頃、パウリーは後輩のカクとルッチを連れ、本社施設周辺を見回りしていた。

「まるで祭りじゃなぁ。避難活動に対する常識が崩れそうじゃ」

 どこか楽しげな避難民を横目に、カクが何とも言えぬ顔つきで呟く。

『たしかに、もっと悲愴なものをイメージしてたな、ポッポー』とルッチ(の鳩のハットリ)。

 

「アクア・ラグナの規模次第だな。今年は高潮の規模が小さくて余裕があるんだよ。一昨年は結構規模がデカくて皆不安がってたぜ」

 パウリーが先輩面で語る。

「それにまあ、“本番”は潮が引いた後だからな。町中の掃除と諸々の修理。アクア・ラグナで狂った予定の調整。特に納期が迫ってる船だな。ドックに寝泊まりすることになるぞ」

 

「大忙しじゃな」

 カクが眉を大きく下げていると、見るからに高そうな服を着たおっさん達がぞろぞろとガレーラカンパニーの本社へ向かっていく。

「見かけん人らじゃな」

「ああ。ありゃあ商工会のお偉いさん達だな。大方、来年の市長選絡みのことでアイスバーグさんへ会いに来たんだろ」

 パウリーの説明にルッチではなく、鳩のハットリが身振りしながら問う。

『こんな時にか? ポッポー』

 

「アクア・ラグナが引くまで他にやることがねェからな。それに」パウリーは苦笑いして「こんな時なら、アイスバーグさんも逃げられねえ」

 アイスバーグは時に稚戯を発揮して面会などの約束を放りだす。自身が『面倒』と感じる手合いとは特に。

 

「見回りを続けるぞ」

 パウリーに促され、カクとルッチはお偉いさん達を一瞥してから見回りを再開する。

 

      ○

 

 ウォーターセブンの風物詩アクア・ラグナが訪問し、街が暴風と高潮に見舞われている間、ガレーラカンパニーの会議室で街のお偉いさん達が侃々諤々の議論を交わした。

 話し合いが一段落し、アイスバーグは執務室で古馴染の老船大工と一服淹れていた。

 

「選挙は建前だ。勝負にもなりゃしねえよ。オメェの市長就任を認める行事みてェなもんだ」

 羊の角みたいにデカいパイプを吹かす老人が、工場煙突のように大量の煙を吐き出した。カリファが無言で全ての窓を全開にしていく。アクア・ラグナが訪問中のため空は真っ暗だ。

 

「この島でオメェを支持しねェ奴なんざいねェ。職工連中はオメェの腕前と棟梁振りに惚れこんじまってるし、街の人間もガレーラカンパニーの、いや、オメェがもたらした恩恵に与ってるからな」

 老人はもうもうと紫煙をくゆらせながら、言った。

「何より、オメェはトムの後継者だ。この島の人間で、いや、海列車でつながっている島々で、トムの“偉業”に敬意を払ってねェモンは誰一人としていねェ。たとえトムが罪人として刑場の露に消えても、その偉業を貶められたりしねェ。そして、オメェはトムの偉業を継ぐ者として、まったく相応しい男だ」

 

「俺を(おだ)ててウォーターグラスにでも登らせてぇのかい、オヤジさん」

 アイスバーグは眼前の老人から視線を外し、紅茶を口に運ぶ。振舞いこそ物静かであるが、心の中は波立っていた。

 

 伝説の魚人船大工トム。海列車を開発し、廃れ寂れていくだけだったウォーターセブンを復活させた男であり、アイスバーグにとって父同然の師匠であり、海賊王の船を造った罪で処刑された造船技師だ。

 

 師匠トムがエニエスロビーへ連行されていった日のことは、一日とて忘れたことはない。

 あの日、アイスバーグは敬愛する師匠だけでなく、バカな弟分も失ったのだ。

 

 言葉にしきれぬ悲しみ。胸で煮えくり返る怒り。心が砕けそうなほどの痛み。それと……政府に対する憎悪。

 この感情を暴れさせぬため、師の遺志を守り通すため、アイスバーグは必死に働き、働き、働き続け、ガレーラカンパニーを興して世界最高の造船会社の社長になった。

 

 政府や海軍に自ら近づき、商売を持ち掛けて『役に立つ存在』足るべく努めてきた。

 市長になったなら、より効果的だろうとアイスバーグは冷徹に計算する。

 

「オメェを登らせることはもう決定事項だ」

 老人は――ガレーラカンパニーに合併統合されたウォーターセブン七大造船会社の一つで、かつて社長兼船大工棟梁を務めていた老人は、大量の煙を吐き出して続ける。

「問題はよ、オメェをどういう体裁で登らせるかってことなんだ」

 

 アイスバーグが市長と社長職を兼任するのか。それとも市長就任に合わせ、会社を他の者に任せるのか。

 

 後者なら大騒ぎだ。

 ガレーラカンパニーは世界最大級の大造船会社。その社長の椅子ともなれば、どれほどの富と名声を伴うか、どれほどの権力と利益を得られるか。

 

「さっきの会合で言った通りだ」

 決して譲れないものを抱く漢の顔つきで、アイスバーグは断言した。

「俺は社長を辞める気はねェ。ケツで椅子を磨いてる時間が増えたし、船より書類の相手ばかりしているが……俺の根っこは今でもトムズワーカーズの船大工だ。その生き方を変える気はねェ。変えろってんなら市長にならねェよ」

 

 部屋の端に控えているカリファは“任務”は別にして思う。格好良い……っ!!

 

「オメェはつくづくあの野郎の弟子だな。頑固なところまでそっくりだぜ」

 老人は大きく頭を振り、どこか心配そうに尋ねる。

「まあ、職人連中もオメェが棟梁を辞めるなんて事態は認めねえだろうしなぁ。ただよ、市長の仕事はオメェが考えてる以上に大変だぜ? ガレーラの経営に加えて島全体の面倒見なきゃならねェ。オメェに出来るのか?」

 

「ンマー……オヤジさん、そいつは愚問だ」

 アイスバーグは不敵に微笑んで力強く言い切る。何一つ迷いもなく堂々と。

「俺はやるだけさ」

 

 カリファは任務を余所に思う。強く思う。イケメン……っ! この男イケメン……ッ!!

 

「やれやれ……本当に頑固な野郎だ」

 老人は眩しそうに目を細め、頷く。

「選挙までもう一年を切ってる。オメェの兼任を方々に飲ませるにゃあ時間がねェぞ」

「やれやれ。忙しくなるな」

 

 ぼやくアイスバーグの背後で、カリファも密やかに頷く。

 ええ。これから忙しくなる。

 

       ○

 

 アクア・ラグナが去り、水浸しになったウォーターセブン中が後始末に駆られている。

 ガレーラカンパニーの女子事務員ビーことベアトリーゼは、ガレーラカンパニーが街の復興支援へ供出する資材のリストへ目を通し、眉根を寄せた。

「ボス、なんか建築に転用できるものが多くないスか?」

 

「ンマー……ビーは新聞を読んでないのか?」

 アイスバーグは片眉を上げつつ、小首を傾げたビーへ言った。

「裏町の一角が水没しちまったんだよ」

 

「え? 水没? 今年のアクア・ラグナはそこまでヤバい規模じゃなかったのに?」

 目を瞬かせるビーへ、アイスバーグが説明を続ける。

「規模は小さかったが、廃船島から押し流された大量の廃材が裏町へ流れこんだ。そいつが水面下の基礎をいくつか崩しちまったらしい」

 

 ウォーターセブンは少しずつ地盤沈下を続けており、中心街と周辺ドックを除く一部街区は水没した街区の上に築かれていた。

 もちろん、水没した街区の建物は大概が内部を完全に埋め潰し、建物そのものを巨大な基礎に改装している(そうでもしなければ、水没した建物の上にさらに建物を建てる、なんて無理は厳しい)。

 

 ただ……全ての水没街区が基礎化されているわけではない。資材や資金には限りがあるし、技術的に基礎化が難しいものもある。そうした部分が水面下の構造的脆弱性となり、今回の高潮で流入した大量の廃材による大きな負荷に耐え切れず、崩壊を引き起こしたようだ。

 

「つまり、水中で崩れた建物が基礎部分へぶつかって連鎖倒壊を招いた、と」

 アフロモドキの髪を弄りながら慨嘆するビーへ、アイスバーグは小さく肩を竦めた。

「推測だがな。もしくは基礎部分に大量の廃材が引っ掛かった結果、高潮の水圧に負けちまったかもしれん」

 

「なるほど……建築転用可能な資材を供出するってことは、水没した裏町を再建するンスか?」

 ビーはサングラス越しにボスを窺う。

 

「ああ。廃材を撤去し、水中の状態を調査し、改めて基礎を作ってから、な」

 アイスバーグはカップを口にして喉を潤して、ふっと息を吐く。

「年単位の大工事になるだろうが、やらねェわけにもいかねェ」

 

「たしかに。まあ、公共事業の一環として考えりゃあ、造船業以外の雇用創出にもつながるから、悪い話ばかりじゃあないでしょうね」

 ビーはそんなことを言いながら、ふと疑問を抱いて雇用主に尋ねる。

「ところで、その裏町の地下というか水面下はまだ調べてないんですか?」

 

「ああ。まだだ」アイスバーグは首肯して「お前が調べてみるか?」

「あたしはカナヅチなんで遠慮します。ガキの時分に溺れて以来、海が怖いっス」

 渋面を浮かべたビーに対し、

「ンマー……お前に怖いもんがあることに驚きだ」

 ガチで驚くアイスバーグ。

 

「失礼な……まったく失礼な……年頃の女の子に向かって失礼な……」

 三度も繰り返して遺憾の意を訴えるビーを余所に、アイスバーグは続ける。

「潜水調査は冗談として、とりあえず水没街区の調査には参加しろ。市の担当から再建計画や必要資材の大まかな見積もりを貰ってきてくれ」

 

「了解です、ボス」

 メモ帳にあれこれと書き込んでから、ビーは腰を上げた。思いついたようにアイスバーグへ聞いてみる。

「ちなみに水没街区にオタカラとか沈んでないンスか?」

 

「水没前に端から端まで調べられたし、廃船は再利用可能な部品はもちろん換金可能なネジクギまで回収された物ばかりだから何もないぞ」

「夢も希望もねェや」

 アイスバーグの無慈悲な回答に、ビーはがっくりと肩を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 街がアクア・ラグナの後始末に勤しみ、街のお偉いさん達が市長選の準備に追われ、CP9のスパイ達がアイスバーグの秘密を探ることに注力し、女賞金首が資金調達に頭を悩ませていた頃。

 

 街の裏側では裏町の一部水没がちょっとした事件を生んでいた。

 実にささやかで馬鹿馬鹿しい事件が。




Tips

油断。慢心
 思い込みって怖い。

『世界で二番目の優秀な秘密諜報員』
 精確にはSammy Davis jr『The Second Best Secret Agent In The Whole Wide World』
 イギリス映画『殺しのライセンス』がアメリカで上映された際の改題と主題歌。
楽曲コードに無かったので歌詞は書けなかった。

アクア・ラグナ。
 高潮。原作の規模は歴史上最大規模だったらしい。

チムニー
 人間と魚人のクォーター幼女。怖いもの知らず。
 現時点で4歳。

水没街区。
 原作設定を一部改変。
 地盤沈下で水没した街区の上に新たな街を作っていることは原作通り。
 水没した建物を基礎化したことは改変。
 なお、水没した街区は迷宮と化しており、ヤガラの楽園になっている模様。









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