彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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ちょっと字数が多め。
拾骨さん、佐藤東沙さん、誤字報告ありがとうございます。


36:メロンのために拳骨魔人と踊れ

 テルミノをお留守番に残し、ベアトリーゼとジューコはガレットに連れられ、シャーロット・ブリュレのミラミラの実が生み出す鏡世界(ミロワールド)の中へ。

 奇怪な鏡世界に驚き、ブリュレの傍に立つ男――強さ的に超激ヤバ間違い無しの偉丈夫に驚いた。

 

 ジューコは息を呑み、隣のベアトリーゼに小声で説明する。

「ビッグ・マム海賊団の大幹部ヤモ。次男カタクリ、懸賞金10億ベリー越えヤモ」

 

「10億? そりゃ凄い」

 超高額賞金首を前に、ベアトリーゼが抱いた感想は『こいつを相手取った場合、どう立ち回るべきか』。

 

 地獄の底並みに酷い故郷で染みついた臆病なネズミ気質が、強者を前にして反射的に生存戦略の組み立てを始める。ニコ・ロビンという絶対的護衛対象がいない今、ベアトリーゼが優先すべきことは自分のことだけ。必要なら親しくなったジューコさえ見捨てる選択を採れる。

 

 当のカタクリは至極控えめな会釈を寄こすだけで名乗りもしなかったが。

「ブリュレ姉さんが目標のいる建物の鏡まで案内する。ついて来い」

 ガレットに促され、ベアトリーゼとジューコはシャーロット家の面々と共にチェック柄と鏡に埋め尽くされた世界を歩く。

 

 鏡世界をきょろきょろと見回しながら、ベアトリーゼは感嘆をこぼす。

「しかし……ミラミラの実か。凄い能力だな」

 

「ミラミラの実が凄いんじゃないわ。能力を使いこなすブリュレ姉さんが凄いのよ」

 ガレットが姉を誇り、当のブリュレは何となく嬉しいやら気恥ずかしいやらで、姉の様子を横目にしたモスカートが控えめに頬を緩めつつ、ベアトリーゼに声を掛けた。

「お前は“青雉”と“大参謀”の精鋭達と単独で渡り合ったそうだな」

「まあね。渡り合っただけで最後は負けてとっ捕まったけど」

 

 弟とベアトリーゼのやり取りに釣られ、カタクリが横目でベアトリーゼを窺う。

 身長5メートルを超える偉丈夫カタクリはビッグ・マムの次男坊にして、シャーロット家子女最強の男。40代とは思えぬ筋骨隆々の肉体をレザーの着衣で包み、口元をファーで覆っていた。

 

 熟練の戦士であるカタクリには分かる。自身の半分にも満たぬ背丈の小娘が精強であることが。倒せぬことは無いと断言できる。ただし、一筋縄ではいかないという確信もあった。

 興味からカタクリが問う。

「それほどの強さを持ちながら、雇われ護衛に身をやつしているのか」

 

「海軍や海賊にならなきゃならない道理もないでしょ」

 ベアトリーゼは自分の倍以上デカい男を見上げながら、

「ならば、お前はその強さで何を為す。何のために力を行使する?」

「……さあね。最初はもっとマシな人生を送るためだった。次は政府に対する嫌がらせと親友のためだった。今は……どうかな」

 重ねられる問いを疎ましげにはぐらかした。

 

 電伝虫越しに自称政府関係者が提示した報酬。

『君の過去だ』

 

 過去? 私の過去って何よ。

 まさか前世のことじゃないだろうけど、今生は物心ついた時には、地獄の底みたいな島で孤児仲間と共に戦場漁りをし、飢えを満たしていた。

 

 親の顔なんか知らない。興味がなかったとは言わないが、調べてまで知りたいことでもなかった。

 

 自分は娼婦が捨てた子かも知れない。盗賊かウォーロードに壊滅させられた開拓村の生き残りかも知れない。望まれぬ生まれだったのかもしれないし、愛されて生まれたのかもしれない。

 

 今更の話だろう。なんであれ自分は既にネズミとして育ち、悪魔の実を食べてウォーロードの飼い犬になり、そして、よりマシな人生を得るために海へ出た。それだけだ。

 

 親友(ロビン)と合流すること以外に目的はない。合流後のことはロビンと相談して考えれば良い。

 

 主人公一行みたいに、海賊王や何かの世界一になりたいわけでも無い。未知に憧れてもいないし、成し遂げたい大願も悲願もない。悪役連中みたいな野望も野心もない。

 

 私はただこの世界の不条理と理不尽に八つ当たりしてるだけ。

 言われてみると、私は何の夢も願いも望みも、人生を懸ける目的も目標もない。

 

 ただ暴力に秀でているだけ。

 この世界を彷徨う野蛮人。あてどなく流れ、暴力を振るうだけ。

 

 我ながら酷いなこれは。この世界に生まれて20年以上経つのに、人生設計まるで無しだよ。日本人だった前世はもうちょっと真面目に生きてた気がするけどなあ。

 

 政府の犬ッコロに踊らされることは業腹だけど……

 ベアトリーゼが自嘲的に口端を歪めた。

 今回の件は丁度良い機会なのかもしれない。自身のルーツを知ることで何かが変わるかも。

 

 ブリュレが大きな鏡の前で足を止め、告げた。

「着いたよ。殺し屋2人は支度しな」

 

       〇

 

 ジューコは首に巻かれた低品質海楼石付きチョーカーを剥がし、ヤモヤモの実の人獣形態を採る。ヤモリ頭のエロボディ美女になったジューコは満足げに鼻息をつく。

「やっぱりこの姿が一番美しいヤモ……」

 

「文化が違うのかしら。全然理解できない」

 スポーツジャージ姿に加え、ベアトリーゼは目元から首元まで覆うフェイスマスクをつけ、ニット帽を被って長い髪を詰め込む。両肘にダマスカスブレードを装着して腰の装具ベルトに厳ついカランビットを二本差した。ジューコと共に懐へ子電伝虫を忍ばせる。

 

「小娘にはこの美貌が分からんヤモ」と優雅に尻尾を振るジューコ。

「……お姉さんは分かる?」

「アタシに振らないで」

 ベアトリーゼに水を向けられたガレットは、疎ましげに紅い髪を掻き上げる。

 

「じゃあ」ベアトリーゼはブリュレへ顔を向け「そっちのデカパイお姉さんはどう思う?」

 

「デカパイお姉さんっ!?」

 とんでもない呼び名にブリュレは思わず目を剥いた。魔女だのなんだの言われたことはあるが、デカパイお姉さんなどと呼ばれたことは一度たりともなかった。

 ガレットとモスカートが『ブフッ!』と吹き出し、カタクリはそっと顔を背けた。が、その肩は小刻みに震えている。

 

「ガレットッ! モスカートッ! カタクリお兄ちゃんまでっ!」

 弟妹と兄達に叱声を浴びせ、羞恥で顔を真っ赤に染めたブリュレはベアトリーゼを睨み据える。

「このガキッ! 舐めた口を利くと八つ裂きにするよっ!!」

 

「気難しいなあ」とベアトリーゼは悪びれることなく頭を振った。

「お前、怖いもの知らずにも程があるヤモ」とジューコは呆れ顔。

 

「……不安はないのか?」

 カタクリが鋭い目つきでベアトリーゼを見下ろす。

「相手は海軍の生ける伝説だ。それに、俺達がお前達を送り出した後、裏切って退路を断つかもしれない」

 

「気にしても始まらないよ」

 ベアトリーゼは暗紫色の双眸をシャーロット家の最高傑作へ向けた。

「政府が海軍の顔にクソを塗りたくるような作戦を海賊に委託する自体、怪しさ満点だもの。上手くいったとして不都合な事実を知った私達を口封じしようとする可能性だって高い。まあ、海賊に政府の秘密作戦――一種の弱みを握られてでも、件の麻薬商を消したいのかもしれないけどね」

 

「疑い出したらきりがないヤモ」ジューコは長い舌で眼球を舐めて「そもそも、あの依頼人が本当に政府関係者かどうか誰にも証明できないヤモ」

 ジューコは電伝虫の相手が間違いなく政府関係者(ジョージ)だと確信していたが、馬鹿正直に言ったりしない。

 

「だが、それはお前達が俺達を信用する理由にはならないぞ」とモスカートが興味深そうに指摘する。

「一蓮托生とは言わないけど」

 軽く腕を振るってダマスカスブレードの具合を確認しながら、ベアトリーゼは続けた。

「少なくとも、そこのお姉さんは私に『裏切り腰抜けおばさん』てバカにされたくないと思うよ?」

 

 ガレットは瞬時に目を吊り上げ、怒声を発する。

「おばさんですってっ!! ブリュレ姉さんならともかく、アタシはまだ二十代よっ!!」

「ガレットッ!? 流れ弾を飛ばしてくるんじゃないよッ!!」と悲鳴を上げるブリュレさんじゅうはっさい。

「ブフッ!」と再びモスカートが噴き出した。

「……緊張感に欠くな」カタクリはファーの中で小さくぼやいた。

 

 支度を済ませ、ベアトリーゼはジューコへ向き直る。

「それじゃ行こうか」

 

「たかが果物のためにこんな危険を冒すとか人を殺すとか、狂気の沙汰ヤモ」

「狂気の沙汰ほど面白いって言葉もあるよ」

「どこのイカレ野郎の戯言ヤモ」

 毒づくジューコに、ベアトリーゼはフェイスマスクの中で笑った。

「さあ、誰だったかな」

 

      〇

 

 砲艦とフリゲートから成るガープの臨編戦隊は半舷上陸体制を取り、半数が麻薬商クラックの豪邸を始めとする島内の建物に宿を取り、残りが港に停泊する艦艇内に留まっていた。

 不機嫌海域の影響で島は暴風雨に見舞われており、艦艇に留まった者達は大波に揺られながら『陸でぐっすり寝たかったなぁ』とぼやく。

 

 で、ガープを始めとする陸戦隊の中枢部隊は麻薬商クラックの豪邸に宿泊している。有難いことに低俗な虚栄心に満ちた成金趣味の屋敷にあって、客間はまともだった。

 煌々と照明が灯る夜更け。海側から襲ってくる強烈な風雨に、窓ガラスがかたかたと震えている。

 

 容赦なく接収した屋敷の食材を用いた晩飯を摂った後、ガープはボガード共に屋敷の悪趣味なサロンで過ごしていた。

「あのハゲのチビデブはなんぞ吐いたか?」

「いえ。取り調べに黙秘を貫いています。意外と根性が据わっているようで」ボガードはガープに答えつつ「取調べ員が拷問の許可を求めています」

 

「そういうのは胸糞悪いことが得意な奴に任せればええ」

 ガープは迂遠に拷問を拒否した。

「それに、あやつの言い草だと、どんな爆弾が出てくるか分からん。本職の連中がきっちり調べた方がええじゃろう」

「たしかに、それはありますね」とボガードは首肯し「ロス・ペプメゴが絡む件は特にデリケートですから」

 

 大海賊時代は海軍に無数の頭痛を生んでいたが、南の海はそうした頭痛の中でもかなり病根が根深い。

 頭痛の筆頭格である反政府/海軍テロ組織ロス・ペプメゴは、海賊や革命軍とは違う。彼らの凶行は全て世界政府と海軍の“罪”に起因している。彼らの復讐には正当性があり、彼らの報復には大義がある。

 

 ロス・ペプメゴの誕生に、ガープは無関係ではない。

 公式には、ロジャーに子供はいなかったということになっている。つまり、捜索の過程で死亡した多くの妊婦、若い母親、無垢な赤ん坊、彼らの家族や友人達は、全て海軍の過誤によって命を落としたことになる。

 

 しかし、ガープは真実を知っている。

 海賊王ロジャーは本当に妻子を持っていたことを知っている。

 ガープ自身が獄中のロジャー本人からその事実を聞かされ、彼の遺児を密やかに保護したから。

 

 もし、ガープがロジャーの告白した事実を報告していれば、南の海で悲劇は防がれ、ロス・ペプメゴは生まれず、今なお終わりの見えぬ彼らのテロも起きなかっただろう。

 

 だが、ガープは報告できなかった。牢獄の中で不治の病に冒された()()()男から友と呼ばれ、彼の至宝たる妻子を委ねられた時、ガープは思ってしまった。

 ()の最期の頼みに応えてやりたいと。

 

 南の海で起きた悲劇を前に、ガープは苦しんだ。本来なら防ぎえた悲劇を前に良心の呵責と罪悪感に深く苛まれた。

 それでも、ガープは友の遺言を果たすことを優先した。多くの悲劇に目を背け、決意を貫き通した。

 

 そして、ロジャーの細君が無茶な出産から息を引き取る際、無垢な赤子を託されたガープは、誓った。固く誓ったのだ。

 この子を立派な海兵に育てよう。世界に背負わされた父の罪を贖って余りあるほどの立派な海兵にしよう。この子は偉大な海賊王の息子で、“自分の孫”となる男だ。必ずや海軍の、それも()()()英雄になるに違いないのだから。

 そう思っていたのだが……

 

 エースめ、海賊なんぞになりおってっ! 

 内心で愛する養孫に憤り、ガープは仰々しいほど大きな息を吐いた。

 

 その時。歴戦の老雄ガープはほとんど超人的な感覚で、“それ”を捕捉する。

 瞬間的にガープの顔が引き締まり、数瞬遅れてボガードが顔を引き締めた直後。

 

 正面玄関から派手な破壊音が轟き、海兵の怒声が屋敷内につんざく。

「敵襲―――――――――――――――ッ!!」

 

     〇

 

 大きな姿見鏡を出入り口に麻薬商クラックの邸内へ侵入し、ベアトリーゼは一度窓から屋敷の外へ出た。風雨に濡れつつ正面玄関から豪快かつド派手にエントリー。

 

 わざわざこんな真似をした理由は、この作戦の要諦がブリュレによる鏡を通じた移動にあるためと、暗殺にビッグ・マム海賊団の関与を露見させないためだ。前者は侵入と撤退に直結する要因であり、後者は後々の面倒を防ぐことに繋がる。

 

 銃や刀剣を抱えた海兵達がわらわらと正面玄関エントランスに集まってくる。“英雄”ガープ率いる精鋭部隊だけあって、対応が早い。休息時に襲撃を受けたためか、半数は軍服を脱いでおり、中にはパンツ一丁の者さえいた。

 

 ベアトリーゼは吠える。

「ミスター・クラックを引き渡せっ! さもなくば皆殺しにするぞっ!」

 麻薬商を救いに来たと大ぼらを吹きつつ、プルプルの実の能力で大気を振動させ、不可聴高周波を伝播させていく。この後に怪物が控えているのだ。雑魚相手に体力を消耗したくない。

 

「いきなり乗り込んできて戯言抜かすなっ! 賊徒めっ!」

 パンツ一丁の男は将校だったらしい。周囲の海兵へ命令を飛ばす。

「者ども、単騎で乗り込む相手だっ! 危険な能力者である可能性が高いっ! かまわん、射殺しろっ!」

 命令一下、海兵達が即座に斉射した。

 

 ベアトリーゼは天井へ向けて高々と跳躍して弾丸の嵐をかわし、肘剣を天井に突き刺して停止。眼下の海兵達を見下ろしながらひときわ強烈な催眠高周波を放った。

 

 悪夢へ誘う無音の調べに、海兵達は次々と武器を落としていく。

 茫然と棒立ちして虚空を見つめる者。茫洋と宙を見つめて独り言に耽る者。頭を抱えてすすり泣く者。へたり込んで怯え震える者。あるいは意識を保てども三半規管を狂わされて床に倒れ込む者。海兵達は瞬く間に無力化されていった。

 

 いつものなら意識を保つタフな奴らを仕留め、白昼夢に沈んだ連中を一方的に殺戮して終わりだが――

 ベアトリーゼは見聞色の覇気で既に捉えていた。

 

 強烈な力を持つ存在――“英雄”ガープがずかずかと玄関エントランスへ迫っていることを。それに、強敵はガープだけではないらしい。かなりの力を秘めた存在が複数、ガープの傍らに侍っている。おそらくガープ直属の精鋭達だ。

 

 数年前に干戈を交えた“大参謀”つる直属の部下(おばさん)達はえらく強かった。ガープ直属の部下達も間違いなく強いだろう。

 そういえば、あの時も時間稼ぎだったなぁ。最終的にとっ捕まっちゃったけど……今回は逃げ切れるかしら。

 

 そんなことを考えているところへ、“英雄”が御到着。

 堂々たる体躯から発せられる圧倒的活力と強烈な存在感。刈り込まれた短髪や髭は白いものの、老いの衰えを微塵も感じさせない。まるで人の姿をした巨大な巌だ。

 中折れ帽を目深に被ったスーツ男を始めとする部下達もまた、只者ならぬ気配を漂わせている。

 

 ガープは無力化された海兵達を見回し、死傷者がいないことを確認。天井に留まっているベアトリーゼをじろりと睨む。

「犠牲者が出ておらんならええ。わしはもう眠いんじゃ。さっさと帰るなら見逃してやるぞ、小僧」

 

「ガープ中将、賊を見逃されては困ります」中折れ帽の男がいろいろ雑な上司へ注進し「それと、賊は女です」

「ん? おお?」

 怪訝そうにベアトリーゼを見据え、ガープは濡れそぼったスポーツジャージが張りついた胸元の曲線を確認し、認識を改めた。

「小僧じゃなくて小娘じゃったか。勘違いしてすまんな、小娘」

 

 ベアトリーゼはなんとなく納得がいかない。Fカップなのに、充分大きいサイズなのに、なんで貧乳扱いを受けねばならんのだ。

 モヤッとした雑念を抱えつつ、ベアトリーゼはガープへ告げた。

「ミスター・クラックの身柄を引き渡せ」

 

「あのハゲのチビデブのために一人で殴り込んで来たのか。気合が入っとるな。しかし――」

 ガープは剛毅な笑みを湛え、

「一人でワシらをどうこう出来るという、その思い上がりが気に入らん。女を殴る趣味はないが……悪党は例外じゃぞ、小娘」

 めきめきと大きな拳を握り込む。

 

「なら、実力行使だ……っ!」

 ベアトリーゼは天井を蹴り、隕石のような勢いでガープへ襲い掛かった。

 

      〇

 

 両手に厳めしいカランビットを握り、両腕に青黒い肘剣を装着したしなやかな影が、暴風のように激しく躍り、あらゆる姿勢から刃と打撃を疾駆させる。

 

 縦横無尽に繰り出される攻撃の嵐へ、老雄は真っ向から受けて立つ。武装色の覇気をまとった拳で全ての斬撃を打ち落とし、全ての刺突を払い除け、拳打足蹴の暴風をものともしない。

 

『がははは、やるのうっ!!』

 猛々しく笑う老雄が深い踏み込みと共に左拳を振るう。

 およそ格闘技のような洗練された動作ではなく、単に殴るという挙動に過ぎない。が、その拳速は馬鹿馬鹿しいほどに速く、信じがたいほどに強烈だった。

 

 砲撃染みた拳打を間一髪掻い潜り、ベアトリーゼは大きく身を捩ってガープの顎先へ左の踵を叩き込む。ガープの口元からいくらかの鮮血が散る、も、その隆々たる体躯は微塵も揺らがない。

 

 追撃しようとしたベアトリーゼへ、長柄を構える女海兵が脇から荒々しい三連突き。

 バク転で三連突きを回避したベアトリーゼに、中折れ帽を被った男が素早く襲い掛かり、電光石火の剣閃を走らせた。

 

 白刃を左のダマスカスブレードで受け流し、ベアトリーゼは間合いを詰めながら逆手に握る右のカランビットを振るう。切っ先が中折れ帽の男の喉元へ届く刹那。虎刈男がトンファーを繰り出してカランビットの一撃を弾く。

 

 仕切り直すべくベアトリーゼが大きく跳躍して三人の海兵達から離れたところへ、ガープが突っ込んできて拳骨をぶちかます。

 隕石染みた拳骨が自身に着弾する間際、ベアトリーゼは軽やかに身を捻り、巨拳の甲を蹴りつけて飛び退く。

 

「よぉしのいだな。褒めてやろう」

 不敵に笑って口元の血を拭うガープ。その傍らで三人の海兵達が黙々と隊形を整えていく。

 

 強すぎだろ、この爺様。

 ベアトリーゼはフェイスマスクの中で歯噛みした。濡れたスポーツジャージが肌に引っ付いて疎ましいし、髪を詰め込んだニットキャップが熱い。

 

「お前さん、強いのう。名は何と言う?」

 眼前の老雄が好奇心を剥き出しにして尋ねる。

「ミスター・クラックを奪還に来た使者だよ」ベアトリーゼはあくまでホラを吹く。

 

「名乗らんのか」ガープはつまらなそうに唇を尖らせつつ「あのチビデブはなんぞネタを抱えておるようじゃったが……お前さんのような腕っこきを寄こすほどの重要人物なのか?」

「答える必要はない。部下に死人を出すか、ミスターを寄こすかだ」

 ベアトリーゼがあくまで『救出』を演じて脅し文句を吐けば。

 

「――ほう?」

 ガープの目つきが鋭くなり、傍らに控える三人の海兵達も殺気を濃くした。

「部下達を巻き添えにするわけにゃあいかん」

 広々とした玄関エントランスには、ベアトリーゼの催眠高周波で無力化された海兵達が残っている。先ほどの攻防では巻き込まれなかったが、これからも無事で済むとは限らない。

 

「なら」

 大きな右拳を固く握りしめ、仰々しいほど大きく振りかぶり、ガープはにたりと悪戯っぽく笑う。

「表で暴れるとしよう」

 瞬間。右拳が赤黒い稲妻をまとい、振り下ろされると同時に暴虐的なほど強大な衝撃波が放たれた。

 

 

 ずがんっ!! 

 

 

「ぃっ!?」

 その激甚なる一撃は、ベアトリーゼはおろか大きな正面扉と周囲の壁、挙句は表のポーチまで吹き飛ばした。

 




Tips

肘剣+カランビット。
『銃夢:火星戦記』にて、後に主人公の師匠となるゲルダが披露したスタイル。
 ちなみに、ゲルダは子供を傷つける者を許さない本物のヒーローである。

ベアトリーゼ。
 22歳を迎えてようやく自分の生き方を真面目に考え出した。

ガープの心情。
 独自解釈です。異論はあると思う。

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