彼女が麦わらの一味に加わるまでの話   作:スカイロブスター

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ちょっと文字数多め。

佐藤東沙さん、烏瑠さん、誤字報告ありがとうございます。


49:歌姫争奪戦争

 エレジアを目指し、波を裂くように駆けていく赤髪海賊団のレッド・フォース号。

「記事が出回って早々にこの有様か。俺達の娘は大人気だな」

 赤髪海賊団一の鉄砲屋ヤソップが自慢の見聞色の覇気を駆使し、索敵と偵察の結果を報告。

「エレジアに向かって最右翼に海軍の快速巡洋艦4隻、単縦陣で航行中。噂に聞いた“黒腕”ゼファーの遊撃隊だ」

 

「ゼファー? 何年か前に重傷を負って現場を退いたと聞いていたが……復帰していたのか。元気な爺様だな」

 副長のベン・ベックマンが感嘆をこぼす中、ヤソップが報告を続ける。

「その遊撃隊と最左翼の俺達の間に、薄らバカ共が7隻。遊撃隊に近い3隻は同一海賊旗。ありゃビッグ・マム傘下だ。ビッグ・マムの指示で来たにしちゃあガキ共が乗ってねえな。連中独自の動きか?」

「どっちだっていいだろ。邪魔するならぶっ飛ばしゃあいい」と料理長ラッキー・ルウが肉を齧りながら言い放つ。

 

「他の4船は?」

「海賊旗は全部違うし、連携もしてねえ。個別で来たクチだな。俺達に最寄りの2隻はエレジアより、俺達の首が目当てらしい。距離を詰めてくるぜ」

 船長の問いにヤソップが険しい顔で答えた。

「それと、エレジアになんかヤバそうなのが一人。ウタと一緒にいる」

 

「記事にあった例の高額賞金首か……ウタの友達かなんかだと良いんだが」

 顎先をひと撫でしてから、シャンクスは四皇の名に相応しい眼光を煌めかせる。

「俺達の進路を妨げる奴以外は無視だ。最大船速で突っ走れ」

 おうッ!! 赤髪一味は意気軒昂に吠えた。

 

       ○

 

「敵船を射程に捉え次第、砲戦開始。まずは眼前のバカ共を蹴散らせ」

 遊撃隊司令官である“黒腕”ゼファー元本部大将はテンポよく命令を発した。

 甲板は既に砂が撒かれ(海水と血による滑り防止だ)、砲兵は装填済みで、マスト櫓には観測員と狙撃兵達が小銃を構えている。戦闘準備は既に完了していた。

 

 アイ・コマンダーッ!!

 将兵達の雄叫びが水面を震わせる。快速巡洋艦で構成された遊撃隊は狼のように駆け、歪な楔隊形で進むビッグ・マム傘下の3隻へ迫っていく。

「目標射程に捕捉っ!」

 頭上から届く観測員の怒声に、ゼファーは頷いた。

「攻撃開始せよ。全力射撃だ」

 

「了解っ! 全砲、打ちィ方開始っ! 繰り返す、打ちィ方開始っ!!」

 砲術長の号令一下、先頭を進む遊撃隊旗艦の火砲が合唱を始め、後続艦も次々に砲撃開始。

 

 砲弾の嵐がビッグ・マム傘下の海賊船団へ襲い掛かり、幾重もの水柱を乱立させ、爆炎の花を咲かせる。

「初撃から交叉と命中弾。幸先が良いですな」

 旗艦の艦長がゼファーにニヤリと笑う。

 

「ああ。全くだ」

 ゼファーは生身の左手でスクエア眼鏡を押し上げ、改めて発破をかける。

「良いぞっ! その調子だっ! 奴らに海軍の力を徹底的に思い知らせてやれっ!!」

 

 アイ・コマンダーッ!

 海兵達の士気は最高の状態になっていた。

 

        ○

 

 後方に食いついた海賊船の放つ砲弾の中で危ういものだけを精確に“撃ち落とし”ながら、遊撃隊を確認し、ヤソップは呟く。

「向こうもおっぱじめたみたいだな」

 

「よそ見してないで後ろに張り付いたバカを何とかしろ。生意気に新型の快速スループなんか乗ってやがる。こっちより船足が速ェ……っ!」

 舵を握る航海長のビルディング・スネイクが眉間に皺を刻む。

 

「俺がひとっ走りして潰してこようか」と電撃使いのライムジュースが愛用の長棍を握りしめる。六式の月歩染みた空中歩行術を操る彼には、“ひとっ走り”して敵船に乗り込み、制圧することなど容易い。

 

「いや。眠っていてもらおう」

 シャンクスはライムジュースの肩に右手を置き、後方から迫る快速スループを睨み――

 壮絶な覇王色の覇気が放たれる。

 

 快速スループの甲板に居た海賊達は、まるで殺虫剤を浴びた蠅のようにバタバタと昏倒していく。操船の手を失い、スループは明後日の方向へ漂流していった。

 苛烈かつ強力無比な四皇の覇気は余波を大きく広げ、同海域に伝播する。

 

 古豪“黒腕”ゼファーは額に一滴の汗を伝わらせ、海兵達も息を呑む。海賊達はぶわっと冷汗を掻いた。随分と距離のあるエレジアの灯台でもベアトリーゼが瞬時に総毛立ち、コヨミが震え上がり、ウタは肌を粟立たせながらも、どこか懐かしさを覚えて涙ぐむ。

 

 銃弾一発放つことなく無力化された海賊船を置き去りに、レッド・フォース号は真っ直ぐエレジアの港へ進み続ける。

 そこへ一隻の海賊船がレッド・フォース号の鼻先へ切り込んでいく。

 

「! スネイクッ! 前からだけじゃねえっ! 下からも何か来るぞっ!」

 見聞色の覇気を広げていたヤソップが吠え、

「海中からかよっ!!」スネイクが勢いよく面舵を切る。

 レッド・フォース号が大きく進路を曲げた、その直後。

 

 

 ずっどーん!

 

 

 海中火山が爆発したかのように超巨大な水柱が隆起し、切り込んできた海賊船を木っ端微塵に吹き飛ばした。そして、崩れ落ちていく水柱の中から巨大な影が現れ、レッド・フォース号に立ち塞がる。

 

「グワッハハハ―――――――――ッ!!!!」

 全長十数メートルはあろうかという巨大な海獣が野卑な哄笑を広げる。よくよく見れば、白濁した双眸の間に人間の顔があった。

 

 鼻と上下唇がないその面は、人面蛭野郎マカクに他ならない。

「この脳食いマカク様に掛かれば、海獣の身体とて我が物に出来るのだぁーっ!! 些か時間は掛かるがなぁああっ!!」

 

 顔のあちこちに魚に突かれた痕があるマカクは、憎悪と怨恨で充血した眼でレッド・フォース号を睥睨し、

「シャアアアアンンンクスゥウウウウウウウウウウウッ! 今日こそ貴様をぶち殺し、我が恨みを晴らしてくれるわああああっ!」

 興奮のあまり、“余計なこと”まで言った。

「貴様をぶち殺したら、貴様の娘を嬲り殺しだっ! 親子仲良く地獄の底で――」

 

「今、何と言った?」

 シャンクスは静かに、だが、エレジア近辺の全生物に沈黙を強いる強烈な怒気を放つ。赤髪海賊団の面々も青筋を浮かべ、マカクを睨みつけていた。

 

「ぅ、ぅううううぅ、ぅうううおぉおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 気圧されたマカクは怯みながらも、絶叫しながらレッド・フォース号へ襲い掛かる。見上げるほどの巨躯にも関わらず、その様はまるで猫に追い詰められて発狂した鼠を思わせた。

 

       ○

 

「“脳食い”マカク。生きていたか。これだから世経は当てにならん」

 ゼファーは赤髪海賊団の前に屹立する巨大海獣を睨み、毒づいた。

 

 火砲が合唱し続けているため、艦上は凄まじく喧しい。誰も彼も大声で怒鳴り合っている。加えて、敵の砲弾が飛んできて周囲に着弾し、打ち上げられた海水が豪雨の如く降り注ぐ。

 敵味方共に射程内で撃ち合っている以上、確率論的被弾は避けられない。遊撃隊の艦艇も被弾し、忠勇な将兵に死傷者が出ている。砲弾は殺す相手の善悪も貴賤も関知しない。

 

 遊撃隊に被弾が生じていたが、ビッグ・マム傘下の海賊船団はもっと悲惨だった。

 砲弾を雨霰と浴びた1隻はマストを全て折られ、航行不能に陥っている。上甲板も砲甲板も死屍累々で血肉に塗り潰されていた。

 別の1隻は喫水線下に致命傷を負い、大きく傾いでいる。もはや転覆は防げまい。怯懦に屈した者達が逃げるように海面へ飛び込んでいく。

 最後の1隻も形勢不利と判断したのか、仲間を見捨てて離脱を試み出した。赤髪の娘を確保する任務を優先するなら、撃退判定で逃げるに任せるところだが――

 

「逃がすな。仕留めろ」

 ゼファーの冷徹な命令は即時実践され、遊撃隊の快速巡洋艦は逃げる海賊船の背を追い、砲弾を浴びせる。それどころか、転覆した二隻目の海賊船の傍らを通る際、一部の水兵達が海面で足掻く海賊へ容赦なく銃撃を浴びせた。

 

 逃亡する海賊船のケツに次々と砲弾が命中していく。榴弾が船体を砕いて弾殻片と船体木片が海賊達を叩き切り、徹甲弾が船体内部を粉砕しながら船首へ向けて駆け抜けていく。

 そして、一発の徹甲弾が弾薬備蓄庫を直撃し、大量の砲弾と装薬を誘爆させた。

 海上に巨大な爆炎が生じ、熱い衝撃波と轟音と爆風が広がっていく。天高く吹き飛ばされた船体の木材片や残骸片、破壊され尽くした亡骸や肉片がざあざあと降り注ぐ。

 

 ビッグ・マム隷下の海賊団を血祭りに上げ、将兵達が喝采と雄叫びを轟かせる中、

「隊司令っ! 海賊船二隻が港に接近中っ! 先んじられましたっ!」

 自分達がビッグ・マム隷下の海賊船団と交戦し、赤髪海賊団のレッド・フォース号が巨大海獣に阻まれている間に、海賊船二隻がエレジアへ向かっていたようだ。

 

「大丈夫だ」ゼファーは冷笑し「奴らが入港することはない」

 

「……血浴ですね」

 アインが正解を口にした直後。

 

 エレジア港で水柱が生じて爆発音が聞こえてきた。小さな影が電光石火の勢いで海賊船へ向かって飛翔していく。

 ゼファーはスクエア眼鏡の位置を修正し、小さな影に狙われた海賊船へ冷酷な眼差しを向ける。

「我々に沈められた方がマシだったろうに」

 

        ○

 

「あいむしんかーとぅーとぅーとぅーとぅとぅー」

 ベアトリーゼは鼻歌を口ずさみながら、海面間近の濃密な大気を切り裂いて高速滑空していく。

 時折、プルプルの実で生じさせた燃焼プラズマで海水を水蒸気爆発させ、位置エネルギーを回復。大気を高速振動させて推進力を確保し、滑空を継続する。

 

 瞬く間に近づいてくる海賊船を見つめ、ベアトリーゼは酷薄に微笑む。

 迎撃に放たれる銃砲弾の雨霰を軽々と掻い潜りながら海賊船に肉薄、くるりと前転してから身を起こし、

周波衝拳(ヘルツェアハオエン)双掌打(ドッベルト)ッ!!」

 必殺の双拳を海賊船の鼻先に叩き込んだ。

 

 

 どがんっ!

 

 

 さながら瓜が裂け砕けるように海賊船が破砕される。衝撃の暴威によって飛散する木片が海賊達を貫き、引き裂く。転げ回る火砲が海賊達を引き潰し、崩落した甲板や肋骨が海賊達を押し潰す。破砕された船首や船体全体の亀裂から海水が大量に流入し、船体を海中へ引きずり込んでいく。

 一撃で海賊船に致命傷を与えた後、ベアトリーゼは慣性を利用して大きな放物線を描きながら宙を舞い、三回転半捻りの末、もう一隻の海賊船のメインマストの頂に着地。

 

 逆立ちするように船首から没していく海賊船を一瞥した後、眼下で慌てふためく海賊達を見下ろし、

「次は船盛にするか」

 ベアトリーゼは両腕のダマスカスブレードに青いプラズマ光をまとわせ、慌てふためく最後の海賊船へ向かって飛翔した。

 

       ○

 

 蛮姫が乗り込んだ二隻目の海賊船を刺身の船盛へ変えていく中、赤髪海賊団は巨大海獣退治を始めていた。

 といっても、展開は一方的なものだったが。

 

 マカクが巨大海獣の体躯を以ってレッド・フォース号を叩き潰そうとするも、舵輪を握るビルディング・スネイクの巧みな操船でことごとく避けられ、逆にベックマンやヤソップの銃撃で自身の頭を撃ち抜かれないよう身を捩らねばならず、その隙を突いて空中戦に長けたライムジュースに長棍の雷撃をぶち込まれる。

 

「グァバアアアアアアアッ!?」

 体中から血を流しながらも無理やり船へ体当たりを試みれば、ラッキー・ルウやボンク・パンチにぶん殴られ、釣銭にハウリング・ガブの“斬れる咆哮”で海獣ボディの肉を削がれる始末。

 

 何も出来ない。船首に立つシャンクスに攻撃するどころか、レッド・フォース号に触れることすらできない。ただ一方的に袋叩きの目に遭っている。

 

「ふ、ふざけるなぁああっ!! シャンンンクゥウウウウスウウッ!!」

 激憤の絶叫を上げる怪物に、シャンクスは剣も抜かぬまま冷たい眼差しを向ける。まるで路傍の石ころでも見るような、温度無き眼差しを。

 

「その目、その目をやめろ、その目をやめろおっ!! もっと俺に怒れっ! もっと俺を憎めっ! もっと俺に殺意を向けろぉおおおおっ!!!!」

 マカクは絶叫し、レッド・フォース号へ飛び掛かりながら海獣ボディの喉元を膨らませて勢いよくゲロをぶちまけた。

 

 放出される強酸性のゲロの中には奇怪な寄生虫達が山ほど含まれており、寄生虫達が身を蠕動させながらレッド・フォース号へ降り注ぐ。

 その時。

 

「俺の船を汚すな」

 シャンクスはついに愛剣グリフォンを抜き放ち、振るう。

 

 その一振りは潮騒のように穏やかで、優しい潮風のように滑らかで。

 だが、その一撃は全てを断つ魔獣の如き獰猛さを宿していて。

 

 早朝の陽光を浴びて輝く長剣の剣閃は、巨大海獣のぶちまけた強酸性のゲロを一瞬で蒸発させ、寄生虫の大群を跡形もなく消滅させ、更には巨大海獣の頭を真っ二つに切り裂いた。

 

「グァアバアアアアアアアアアアアアアアアアっ!!」

 否。切り裂いたのは巨大海獣の頭だけではなかった。巨大海獣の頭部に寄生する人面蛭もその体を両断されていた。

 鼻の鼻腔と上下唇のない口から大量に吐血し、マカクは白目を剥く。

 

 マカクの制御を失った巨大海獣はゆっくりと海面に倒れ込み、大量の飛沫をぶちまけて海面を激しく波打たせる。

 大きく揺さぶられるレッド・フォース号の船首で、シャンクスは長剣を鞘に収めた。

「前進再開だ」

 

 おう! と赤髪一味は高らかに応じて最大船速でエレジア港を目指す。

 水面に浮かぶ巨大な骸の脇を抜ける際、四皇“赤髪”はマカクへ一瞥すら与えなかった。

 

       ○

 

 エレジアの灯台から、ウタはエレジアの海で催される戦闘交響曲の演奏会を見つめていた。

 潮騒に混じって届く多数の銃砲による重奏。潮風に乗って伝わる怒号と悲鳴と罵声と断末魔の合唱。

 数日前にベアトリーゼが血蛭海賊団を殲滅した時よりも、ずっと大規模で惨たらしい戦闘交響曲。

 

 感受性の高いウタは殺し合いの音色にこもる様々な感情――恐怖、憤怒、怯懦、歓喜、憎悪、忌避、愉悦、怨恨、悲哀、絶望――を感じ取り、胸が締めつけられていた。

 

 憂い顔の歌姫の隣で、

「すっげーっ! ウタさんのパパは噂以上にすっごいですねっ!!」

 昂奮した女記者が歓声を上げながらパシャパシャと写真を撮りまくる。

 

 コヨミの平常運転振りにどこか救われた気分を覚え、ウタは強張った面持ちを微かに和らげた。

「あれくらい出来て当然よ。シャンクスだもん」

 ウタはどこか誇らしげに応じた。

 

        ○

 

 穏やかな紺碧色の海を大量の血と油が汚している。

 破壊された海賊船の残骸や断片が波に揺られ、死者や肉塊が漂う水面の中で生者は死の恐怖と絶望に打ちのめされていた。

 そこへ、遊撃隊の追討が迫る。海軍遊撃隊の将兵は海賊に家族や仲間を殺されたり、故郷を踏み躙られたりした経験を持つ者達で構成されている。ゆえに、彼らは水面に漂う無力な海賊達を無慈悲に鏖殺(おうさつ)していく。

 

 殺戮の続くエレジアの海、その一角で海面を赤く染めている巨大海獣の亡骸。両断された頭部に宿る人面蛭が喘鳴をこぼしながら、命を終えようとしていた。

 

 マカクは思う。

 俺はこのまま死ぬのか。誰にも看取られず虫けらのまま。誰にも気にされず獣の寄生虫として。誰にも恨まれず、誰にも憎まれず、たった独りで海の藻屑に成り果てるのか。

 

 

 嫌だ。

 

 

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。

 このまま死ぬのは嫌だ。こんな惨めな死に方は嫌だ。こんな憐れな最期は嫌だ。こんな末路は嫌だ。

 

 死の際、マカクの脳裏に半生がよぎる。

 困窮極まる貧村に生まれて両親から奴隷のように扱われて育ち、父母が流行り病で死ねば叔父一家に引き取られた。

 叔父一家はマカクを家畜のように働かせ、役立たず、邪魔臭い、無駄飯食いと毎日毎日罵倒し、気まぐれに殴り蹴り、わずかな残飯を食わせるだけ。そうしてマカクが飢えて餓えて骨と皮だけになって動けなくなれば、森に棄てた。

 

 マカクは森の中で獣や虫に齧られながら、偶然見つけた悪魔の実ヒルヒルの実を口にし、人間から蛭に成り果てた。

 

 誰からも愛されることなく恐怖と苦痛と恥辱に満ちた人生の果て、一切の救いがないまま、おぞましい虫畜生にまで堕ちた。このあまりに無慈悲な現実に、マカクの胸中に生じた感情は絶望などという言葉で例えられるものではない。

 

 人間であることを棄て、同胞を襲い食らう怪物となったことは、マカクが自ら選択したある種の自己救済だったのかもしれない。他人を虐げ苦しめることは、自身がかつてのような弱者でないことを確認する行為だったのかもしれない。

 

 いずれにせよ、マカクは命の灯が掻き消える刹那、かつて絶望の底に至った時のように、絶叫した。

 

 

「ぃやぁだぁあああああああああああああああああああああああっ!!」

 

      ○

 

 絶望の底から発せられた悲憤の断末魔は、エレジアの海に満ちた不可視のエネルギーを震わせる。

 恐怖、怯懦、憎悪、怨恨、憤怒、失望、絶望……戦場に満ちるあらゆる負の集合無意識は怪物の悲憤に収斂され、王宮の地下深くに眠る真の怪物へ届いた。

 魔王は目覚め、本能のままにウタウタの実の能力者を求め、強力な封印をこじ開けていく。

 

      ○

 

 ベアトリーゼは返り血を浴びることなく海賊船一隻を刺身の船盛にし終えたところで、本能的に悪寒を覚えた。

 

 ゼファーは赤髪海賊団との決戦に備えてあれこれと命じていたところへ、経験豊富な武人の嗅覚が不穏な気配を嗅ぎ取った。

 

 シャンクスはエレジアへ急行する最中に覚えのある妖気を捉え、かつての夜を思い出して双眸を吊り上げた。

 

 三者三様にエレジア港の灯台を窺った時。

 

 

 

 

 フィルムを換えようとカメラを下げ、コヨミはぎょっと目を剥く。

「――ウタさん。それは、なんですか?」

 

 コヨミの眼前で、ウタが数枚の楽譜に囲まれ、戦慄に凍りついていた。

「あ、あ、ああ」

 

 魔王がウタへ囁きかける。

 歌え。歌え。歌え。全ての絶望せし者達のための讃歌を。この世の破滅を願いし者達のための聖歌を。歌え。唄え。謡え。謳え。

 

 歌え。

 

 戦場に渦巻く夥しい負の感情と集合無意識を力とし、悪意の楽譜が歌姫の深層意識まで侵入していく。

「や、やめてえええええええええええええっ!」

 宙に浮く楽譜に囲まれたウタは恐れと怯えのままに耳を塞ぐも、抗いきれない。流水が砂山を削り侵していくように、魔王の声がウタの意識と心を犯していく。

 

 歌え。歌え。歌え。歌え歌え歌え。歌え歌え歌え歌え歌え歌え。歌え。

 

「ウタさんっ!?」

 コヨミが慌ててウタを助けようとするも、ウタの身体はもちろん、ウタを取り囲む楽譜に触れることもできない。

 

「だ、め。逃げ、逃げて、コヨミ逃げてっ!」

 コヨミは悲痛な絶叫をあげるウタに、顔を大きく歪めるも即座に決断。灯台の塔頂部から海へ向かって飛び込む。海中に控えていた愛シャチのチャベスが、海に飛び込んだコヨミを素早く回収、脱兎のごとく灯台から離れていく。

 

「チャベスッ! 写真を撮れる範囲に留まってっ!」

 ウタを置いて逃げたけれど、コヨミは報道の義務と使命と記者の欲から逃げない。頭のネジが外れた世界経済新聞特派員はギリギリまでこの場に留まり、全てを見届けると腹を括っていた。

 

 ウタは苦悶を漏らしながら、必死に魔王へ抗い続ける。

「ぃやっ! 私は、あんたなんか、歌わないっ! 誰も幸せにしない歌を、私は絶対にっ! 歌わないっ!」

 

 歌え。

 歌え。歌え。歌え歌え歌え。

 歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え。歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え歌え。

 

 お前は我を奏でるための楽器なのだから。

 歌え。

 

「違う、ちがう、ち、がうっ! 私はお前の楽器なんかじゃ」

 意識が飛びかける。もう抑えきれない。もう防ぎきれない。

 

 やだ。やだやだやだやだ。あの夜を繰り返したくないっ! もう誰も傷つけたくないっ!

 誰か助けて――

 

 涙に濡れる視界の端で、夜色の髪の美女が矢のような勢いで海面間近を飛翔してきていた。

「ビーゼッ! 助けてっ!」

 涙に濡れた叫びにベアトリーゼはさらに加速する。だが、ウタの意識を奪う魔王の手はさらに強く速い。

 

 も、う抑え、き、れ、ない。

「たすけ、て」

 ウタは海を駆ける竜頭の帆船、その船首に立つ父へ手を伸ばし、

 

「たすけて―――シャンクスっ!!!」

 

 その悲愴な叫びが水面を振るわせた直後、魔王の悪意にウタの意識が押し切られた。

 薄紫色の瞳が絶望の底より暗い闇色に染まり、魔王に囚われた歌姫がその美麗な声で奏でる。

 

「ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᚲ ᚷᚨᚺ ᛉᚨᚾ ᛏᚨᛏ ᛏᚨᛏ ᛒᚱᚨᚲ 」

 魔王顕現の歌を。

 




Tips
歌姫争奪戦に参加した皆さん。
シード枠
 赤髪一味:大事な愛娘を狙われて激おこ。
 海軍遊撃隊:あまり乗り気じゃないけど、やるなら本気で。 

一般枠
 ビッグ・マム隷下の海賊団(3隻):やられ役1
 その他個人参加の海賊船×4:やられ役2

乱入枠
 マカク:モームみたいな大海獣の肉体を乗っ取って再登板。
  本作の読者には勘の良い(以下略)が多い模様。
 トットムジカ:劇場版のラスボス。
  原作には拙作のような干渉能力は見られなかった。
  演出です。御理解ください。


審判:ベアトリーゼ
 歌姫へのお触り厳禁である。違反者はぶち殺す。

  あいむしんかー
  VOB突撃。
  昨今のフロムはソウル系が主流だけど、AC系が主軸だった頃もある。

記録係:コヨミ
 スクープ記事に大興奮。

歌姫:ウタ
 私のために争わないで~と歌うほど図太くなかった。

保護者:ゴードン
 出し忘れた。退避中ということでおなしゃす
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