彼女が麦わらの一味に加わるまでの話 作:スカイロブスター
不気味なマスクを被った手長足長は肘が二つある長い腕をしならせ、ベアトリーゼが体験したことのない軌道の打撃を繰り返す。一発一発が素早く重い。人間を殴殺できる拳だ。
が、ベアトリーゼにとっては対処しきれないほどではない。
ベアトリーゼは苛立たしげに内心で毒づきつつ、手長足長の打撃を舞うようにかわし、避け、演武のようにいなし、受け流す。
拳打を重ねても仕留められないと判断したのか、手長足長は大腿部の長い脚で豪快な回し蹴りを放つ。
その長い脚を掴み、ベアトリーゼは鞍馬のようにくるりと身を回し、手長足長の右横顔に鉄槌のような蹴撃を叩き込む。
ばきりと不気味なマスクの上半分が砕け、手長足長の昆虫染みた目元辺りが露わになり、マスクの隙間から鮮血がだばだばと溢れだす。声帯がないため、手長足長は苦痛の悲鳴も怒りの罵声も発さない。ただただ無言で再び両腕を構えようとして、かくんと両膝をつく。
「!? !? !?」
複眼に戸惑いと混乱が浮かぶ。漫画なら手の内を明かすところだが、ベアトリーゼは何も語らない。蹴撃を叩き込んだ際、プルプルの実の力で周波振動を加えて三半規管を強く狂わせたことを教えない。
満足に体を動かせない手長足長の額に騎兵銃の銃口を押しつけ、
「邪魔臭いんだよ、お前」
ベアトリーゼは引き金を二度引いた。
手長足長の額が撃ち抜かれる。頑健な頭蓋骨を貫通するために運動エネルギーを費やしたのか、弾丸は後頭部から飛び出さずに頭蓋内を激しく跳ね回り、脳ミソを攪拌した。うつ伏せに斃れ伏せた手長足長の額の貫通孔や眼窩、鼻腔、耳孔、口腔からどろりとした脳漿混じりの血が溢れ、石畳に広がっていく。
「しし信じられん、いい一度ならず二度までも、ももモッズを平然と倒すとは……しし調べたいっ! きき君を隅々まで調べたいぞっ! ぶぶ分析したいっ! か解剖したいっ!!」
世迷い言を並べるドクトル・リベットを余所に、ベアトリーゼは見聞色の覇気を広げた。
海兵達は負傷者を後送しつつ、二個分隊ほどで進んでくる。間もなく最後の黒づくめ――魚人らしき鉄砲上手と交戦するだろう。海上の警備艇はヨットハーバーの出入り口を押さえている。鬱陶しいが、これは海中から潜り抜けられる。
ベアトリーゼは騎兵銃の弾薬を再装填しながら言った。
「ドクトル。奴が海兵とドンパチを始めたら、目的のヨットへ向かうぞ。準備しろ」
最後の黒づくめ――魚人のモッズは脳内に仕込まれた念波通信機能で他のメンツが撃破されたことを理解している。
が、作戦失敗の撤退という思考は生まれない。自己保存本能が存在しないため、たとえ死亡することになっても、命令完遂のために機能するだけ。そして、命令完遂のため、ベアトリーゼとドクトル・リベットを襲撃に向かいたいところだが、海兵二個分隊に張りつかれて思うように動けない。
海兵達の足止めに呼応し、警備艇の速射砲が再び吠えた。
砲弾の風切り音が迫り、魚人のモッズが咄嗟に身を伏せるも、1メートルも離れぬところへ着弾。榴弾の爆圧衝撃波が石畳諸共に魚人のモッズを吹き飛ばし、海へ叩き落とした。
砲撃音の残響を最後に戦闘騒音が途絶える。緊張と疲労の混じった静寂が訪れ、海兵達が波紋を広げる海面へ照明と銃口を向け、賊の姿を探し始めた。警備艇の探照灯があちらこちらとヨットハーバーを舐め回し続ける。
隙を窺いつつ、ベアトリーゼがドクトルを従えてドブネズミのようにこそこそと連絡通路を横断、泊地へ向かう。
海軍に気取られることなく青いヨットに乗り込み、ベアトリーゼとドクトルは船室で用意された潜水服を大急ぎで着こんでいく。
「行くぞ、ドクトル。次はナイトダイビングだ」
ドクトル・リベットはうんざりした声で慨嘆をこぼす。
「しし島一つ離れるために、ここれほど苦労するは羽目になるとは……」
「私だってこの島に来た時はバカンス気分だったよ」
鼻息をつき、ベアトリーゼは球形型ヘルメットを被った。気密を確認して密やかに船外へ出て、舷側から静かに夜の海へ身を沈めていく。
内心、ベアトリーゼはビクビクしていた。なんたって悪魔の実の能力者だ。海水へ直に身を浸したら一瞬で無力化され、そのまま溺死一直線。もしも潜水服に不具合があり、海中で浸水しようものなら、そのままあの世行き待ったなし。
そんな不安と恐れを抱いた身にとって、夜の海は怖すぎた。防波堤に囲われたヨットハーバー泊地の水面は穏やかで、月光と探照灯の明かりで煌めいているが、ベアトリーゼにとっては奈落の底へ通じる底なし沼と大差ない。
内心の怯えと恐れを抑えながら、ベアトリーゼは海中へ完全に没する。潜水服の気密性ヨシ! 背中の酸素ボンベもヨシ! 一片の安堵感を得て、ヨットの真下に控えている巨大な魚影を視認した。
小型の鯨ほどあるスーパートビウオライダーは頭の後ろと背びれの間にハンドルとシートが据えられており、動きの邪魔にならない辺りに旅荷物が据えてあった。
ドクトルの襟首を掴み、ベアトリーゼは巨大トビウオのシートへ向かって泳いでいく。前世の水泳体験が無ければ、ドクトル共々溺れたクラゲみたいになっていただろう。
ベアトリーゼはドクトルを後席に押しこみ、前席に座る。
サイボーグ化されたトビウオの後頭部はアナクロなバイクに似たようなタコメーターがいくつか並び、右ハンドルからスロットルワイヤーらしきものが頭に接続されていた。低めのバーハンドルにアップステップ。ライディングポジションは前傾的でカフェレーサーっぽい。
この前傾ポジで東の海まで行けとか、腰と首が死ぬわ。ベアトリーゼは球形型ヘルメットの中でぼやきつつ、エンジンスタートならぬトビウオ
ぶるりと巨体が震え、サイボーグトビウオが目を覚ます。
よし。ベアトリーゼは背後のドクトルへ手信号。このまま海中を進み、警備艇の腹の下を潜ってヨットハーバーの外に出る。
ベアトリーゼはドクトルの首肯を確認し、右ハンドルのスロットルを回す。
スーパートビウオライダー発進。
――した、その刹那。
黒い影が横合いから突っ込んできた。
○
「やはり指揮個体無しですと駄目ですナ。せっかくの高性能を十全に発揮できていませんでした。命令に絶対服従と言えば聞こえが良いですが、状況変化に対して柔軟性に欠きますヨ」
酔っ払い然とした中年男は大型望遠鏡でヨットハーバーの様子を窺いながら、盗聴防止機能を持つ白電伝虫に淡々と語る。
「――ご心配なく。破壊された個体は問題ありません。生命活動の停止に伴い、じきに細胞のアポトーシス分解が始まりますから。ええ。海軍の手元に残るものは一部の装備品と融解した腐敗液だけです。ドクトル・ベガパンクであろうと分析できませんヨ」
望遠鏡で窺うヨットハーバーでは、中年男の言葉通りモッズの死体が融け始めたことで海兵達が騒いでいる。
双眼鏡を下げ、
「それと、御報告したいことがあります。ドクトル・リベットの護衛についてです。サイファー・ポールの
中年男は大きく息を吐き、
「アレはおそらく指名手配犯の“血浴”のベアトリーゼです。はい。情報通りならば“箱庭”の出身者……身体特徴から言って、ヴィンデ・シリーズの可能性があります。女悪魔やドクトル・リベットと、どういう繋がりか分かりませんが――」
報告を続けていたその時。
ヨットハーバー泊地の海面が爆ぜ、水柱と共に大きな影が宙へ飛び上がった。
沿岸の海兵達が吃驚を挙げ、警備艇の探照灯が慌ただしく動く。中年男も何事かと急いで双眼鏡を覗き込み、呆気に取られる。
月光と探照灯を浴び、紺色の鱗がキラキラと煌めくそいつは、馬鹿馬鹿しいほどデカいトビウオだった。
小型の鯨ほどあるトビウオが大きな胸ヒレを翼のように広げ、腹ヒレと尾ヒレを海面に擦りながらヨットハーバーの出口へ滑空していく。
頭の付け根と背びれの間にあるシートらしき人工物に人が2人――いや、3人だ。ハンドルを握っている長身の女が、『ぎゃああ殺されるぅうう』と喚く後席の男を掴む黒づくめの大男を、『タダ乗り禁止だバカ野郎!』と叫びながらゲシゲシと蹴り落そうとしていた。
「……なんとまあ」
魚人のモッズは砲撃の至近弾を受けたせいか、ボロ雑巾みたいな様だった。だが、モッズは死ぬまで命令完遂のために動き続ける。おそらく後席の男はドクトル・リベットなのだろう。
ハンドルを握る女がトビウオを
砲弾による一際大きな水柱が立ち昇る中、高々と飛翔したトビウオが警備艇の頭上を飛び越えていく。
と。ドクトルにしがみ付いていた魚人のモッズが蹴り落とされ、警備艇に向かって落ちていき、マストに激突。索具や
魚人のモッズはもはや子猫にも負けそうなほどガチャガチャになっていたが、それでもなお命令を果たすべく立ち上がろうとし、海兵達に取り押さえられた。本来のモッズなら容易く振り払えるだろうが、頑強な脊椎すら折れた有様では難しい。
警備艇を飛び越えた馬鹿デカいトビウオは弾幕射撃から逃げるように再び海中へ飛び込み、そのまま浮かび上がってくることはなかった。
「……なんとまあ」
中年男は再び唖然と呟き、通話中だったことを思い出して白電伝虫へ詫びる。
「失礼しました。事態が急変したもので。魚人型モッズの一体が生きたまま海軍に捕縛されました。すぐに処分します。それと、ドクトルとベアトリーゼがトビウオライダーで島外へ逃亡したことを目視確認しました。追跡しますか?」
しばしの沈黙の後に通話先から返答が来た。しっとりとした女性の、若い令嬢のような、老いた淑女のような声で。
『それはこちらで手配します。貴方は捕縛されたモッズを確実に処分して撤収なさい』
「了解しました。では、失礼します」
通信を切り、中年男は双眼鏡を警備艇に向けて呟く。
「お勤め、御苦労サン」
手元の白電伝虫の番号を変え、念波を発信。直後、魚人型モッズの頭蓋内に設置された装置が起動し、脳幹を破壊。生命活動が
警備艇の海兵達が驚き慌てる中、中年男は荷物をまとめて夜闇へ姿を消した。
多くの混乱と困惑を残し、夜のヨットハーバーに静寂が戻る。
○
水平線に太陽が顔を覗かせた頃。ラドー島から
球形型ヘルメットをフードみたく背に下げ、ベアトリーゼは岩礁の一角に腰かけて高カロリー・高タンパクやビタミンの
長年に渡って人形店内に軟禁されていたドクトル・リベットは、久々の外界を満喫――することもなく、胸元まで海水に浸かってサイボーグ化された巨大トビウオを“診察”し、用いられたサイボーグ化技術を見分していた。
ラドー島のヨットハーバーを脱出する際、
「……お、おお概ね
ドクトルは巨大トビウオに興味を失くし、ベアトリーゼに問う。
「も、目的地まで……どどどのくらいかかるのかね?」
「ステューシーの言葉が正確なら10日前後ってとこ」
ベアトリーゼは汗と潮風でべたつく髪を掻き、腰の防水パウチを開けて防水処理された地図を開き、ログポースと並べて調べる。
「ただまあ、道中に飲食物の補給やお魚ちゃんの餌を調達しなきゃならないし、二週間は見た方が良いかもな」
「に、二週間……けっけ研究が滞るな……」
大きな溜息を吐き、ドクトル・リベットは日焼けし始めた禿頭をガリガリと掻く。
「研究、ね」
ベアトリーゼは暗紫色の瞳を老科学者に向けた。
「あの人形店の地下で何やってたのさ」
「大それたことはしていない。設備も機材も予算も無かったからな。最新論文すらろくに手に入らなかった。精々が小動物や植物を用いた基礎研究をしていたくらいだ。まったく、私の才能を何だと思っているのか」
吃音症を忘れてぼやき、ドクトルは眉の無い双眸をベアトリーゼへ向けた。解剖台に乗せたモルモットを見るような目だった。
「ヴィンデ・シリーズの観察が打ち切られて久しい。現地交雑が進んでいただろうに、ヴィンデの身体特徴がここまではっきり現れるとは。君の血から天竜人の血統因子も確認できるかもしれんな」
実験動物ヴィンデ・シリーズはヴィンデの卵子に天竜人の精子を受精させ、代理母で出産させた者達だ。つまり、生物学的には天竜人の血を引いている。
無論、だからと言ってヴィンデ・シリーズが天竜人かと言われたら、世界政府も天竜人達も否と断言するだろう。
「天竜人の血統因子が確認出来たら、試験体として偉大な研究に貢献できるだろう。悪魔の実に“汚染”されているとはいえ、覇気の発現者であることも考えれば、PP117に次ぐ貴重なサンプル……」
「クソ食らえだ」
ベアトリーゼが吐き捨てる。
「トランスヒューマンなんてくだらないものを研究するより、風邪薬を作る方が余程人類と世界の貢献になる」
「愚かで近視眼的思考だ。いいかね、この世界は多くの亜人に溢れている。畜生紛いな魚人族やミンク族、畸形同然の手長族や足長族、ヒト種かどうかすら怪しい巨人族や小人族、このようなヒト種モドキ共が我々純粋ヒト種にとって如何に危険か、君は分かっておらん」
語っているうちにドクトル・リベットは熱が入ってきたらしい。口調が速くなっていく。
逆にベアトリーゼはアンニュイ顔で冷めきった眼差しを返し、気だるげに返す。
「差別主義に基づく被害妄想にしか聞こえないな」
ベアトリーゼの返しが癪に障ったのか、ドクトルは顔だけでなく禿頭まで真っ赤にし、
「奴らが我々の文明の恩恵を享受している以上、我々の成果物を利用して世界の支配種族になろうと企む可能性があるっ!」
ナチスの総統みたく大袈裟な身振り手振りを加えてまくしたてる。
「であるからこそ、純粋ヒト種は生物として
そして、我々が超人類へ進化するアプローチこそ“覇気”だっ! ごく少数の限られた者だけが使える覇気を万人が自在に扱えるようになれたならどうだっ!? 覇気による感覚野や肉体の増強と拡張を常態化し、生得化できたならっ!?
我々は自らに秘められた可能性を実現することで超人類へ昇華されるはずだっ!!」
息継ぎ無しの長広舌を終えたドクトル・リベットは、汗をぼたぼたと垂れ流しながらぜーぜーと肩で息をしていた。
ベアトリーゼは冷たい眼差しをドクトルへ向け、うんざりと嘆息を吐く。
「あんたとの旅は楽しくなりそう」
○
ベアトリーゼとドクトルが島外脱出した翌日。
パサージュとヨットハーバーの事件でラドー島が騒々しい中、金髪碧眼の貴婦人が武装貨客船で悠々と島を後にする。
CP0のエージェントにして歓楽街の女王ステューシーは、豪華な一等船室で最上等の紅茶を嗜みつつ、卓上に置かれた小振りの特注トランクケースを人差し指で艶めかしく撫でた。
「この島は良い隠し場所だったのに。あの連中にも困ったものね」
ステューシーがラドー島に隠匿していたものはドクトル・リベットだけではない。
ラドー島にある独立系銀行の貸金庫に預けていたものもある。
「でも」
フッ、と形の良い唇の両端を和らげ、ステューシーは小振りなトランクケースを開けた。
トランクケース内には羅紗張りの緩衝材が敷き詰められ、数本の硬質ガラス製バイアルが並んでいた。完全密封バイアルはいずれも不活性保存液で満たされ、生体片が収められている。
「見込んだ通り彼女のおかげで、こうして安全に持ち出すことが出来たから、良しとしましょうか」
バイアルを見つめる碧眼とバイアルへ触れる手つきには、オンナの業深き情念が濃密に込められていた。
抗う者達から『女悪魔』と呼ばれる彼女がねっとりした情念を注ぐ硬質ガラスの小瓶達には、ラベルに血統因子抽出『可』、複製培養『可』といった文言が並び、共通して『被検体番号PP117』と記されていた。
ひとしきりバイアルを愛でた後、ケースを閉じる。ステューシーは紅茶を音もなく上品に啜りつつ、思う。
彼女もプロだから囮にしたことをそれほど怒らないでしょうね。むしろ、今頃はドクトルに気分を害しているかしら。まあ、その辺りの手当てをしておけば大丈夫でしょうけれど。
それにしても、と思案の向きを変えて呟く。
「まさかモッズまで開発していたとは。思いの外、組織の力を伸ばしているわね」
海軍の通信を盗聴した限り、“抗う者達”は人造人間を投入してきたようだ。もっとも、ベアトリーゼと海軍によって倒されてしまったが。
だとしても、低評価を下すことは早計だろう。
海軍の通信によれば、少なくとも一般的な歩兵火器はまったく通じず、艦載砲しか効果が無かったという。つまり、普通の兵士達相手には十分な脅威足りえる。十分な支援と優れた指揮の下で運用すれば、それこそ生半な軍勢など容易く蹴散らすに違いない。
何より――これは“抗う者達”が高度な生命科学術を保有し、強力な人造人間の軍隊を作り出せることや、危険な生物兵器の製造が可能ということを意味する。
ステューシーはシニカルに微笑んだ。
「これから大変なことになりそうねえ」
Tips
ドクトル・リベット。
彼は自身の見解――天竜人と下々民が同じ純粋ヒト種という考えがどれほど危ういものか、理解している。
そのうえで、彼は自身の差別主義に基づき、純粋ヒト種の超人類化を願っているのだ。
海軍ラドー島防衛隊の皆さん。
わけがわからないよ!
ステューシー
原作において進行形でキャラのネタ明かしが行われている最中なので、本作の描写と原作設定が乖離する可能性大。というか、もはやその前提で書いている。
ベアトリーゼ。
今回の件で最大の面倒と厄介は追手ではなく、ドクトルだったことに気付く。