バス停まで辿り着く。
その頃には、既に見慣れた人影が一つ。
ルリの親友、ユカが手を振って迎えてくれた。
「おはよう、ルリ! あ、小林くんも」
「おはよう、ユカ」
「おはよ」
いつもの挨拶を交わす。しかし、ユカの目はすぐにルリの頭上に釘付けになった。
「……え?」
しばしの沈黙。
「ルリ……その、頭のそれ……何?」
恐る恐るといった感じでユカが指差すのは、もちろん銀色の角だ。
「え? ……ああ、これ?」
ルリ自身も今更ながらに思い出し、自分の額に触れる。
「えっと……生えた?」
「生えたぁ!? 何がどうして!?」
ユカが素っ頓狂な声を上げる。当然の反応だ。
「まあ、色々あってさ……ドラゴンの血が覚醒した、みたいな?」
ルリは曖昧に笑いながら説明を試みるが、その表情はどこか照れ臭そうだ。
「ドラゴン? え、それってフィクションの話でしょ? いや、だって……生えてるし!」
ユカは信じられない様子で目を擦っている。確かに、角は紛れもない現実だ。
僕は小さくため息をつきながら、
「まあ、そういうことみたいだな。とりあえずバス来たし、乗ろうぜ」
そう促して、三人で乗り込む。
バスの一番後ろの席。ルリとユカが並んで座り、僕がその隣に腰を下ろすのもいつもの光景だ。ただし、今日はルリの頭部だけが非日常的に輝いている。
発車ベルが鳴り、バスが滑るように走り出す。
車窓を流れる景色を見ながら、ユカが小声で切り出した。
「……で、本当にドラゴンなの?」
ルリの方を向き、真剣な目で問いかける。
ルリは少し考えるような仕草をしたあと、こくりと頷いた。
「多分……父さんがそうだったらしいから」
「お父さん? 会ったことないんじゃなかったっけ?」
「うん。でもお母さんが教えてくれたんだ。『あんたの父親はドラゴンだからね』って、昨日」
「サラッと言うなあ、叔母さん……」
僕が思わずツッコむと、ルリは苦笑いを浮かべた。
「本当にさっぱりした人だよ。で、翌朝起きたらコレだもん」
彼女は自分の角を指でコンコンと軽く叩く。その音は鈍く、金属のような硬さを思わせる。
ユカがごくりと唾を飲み込んだ。
「ちょっと……触ってもいい?」
好奇心が抑えきれないといった様子だ。
「いいけど……変な病気とか移ったら知らないよ?」
冗談めかして言うルリに、ユカは真顔で返す。
「移るわけないじゃん! でも……もし痛かったらごめんね?」
そう言って、ユカはおそるおそる手を伸ばした。
白く細い指が、銀色の角の先端に触れる。
「ひゃっ!」
ユカが短い悲鳴を上げた。
「冷たっ! 金属みたい!」
「だよね。私自身も驚いたもん」
ルリが頷く。確かに、見た目も冷たそうだが、実際に触ると予想以上の冷感があるらしい。
ユカは角度を変えながら何度も撫でるように触れていく。
「本当に生えてるんだ……皮膚と一体化してる? 痛くないの?」
「ううん、全然痛くないよ。むしろ……なんか気持ちいいかも?」
ルリが少し目を細める。確かに、触られている角の周りの髪が、かすかに揺れているように見える。
「……なぁ、小林くんも触ってみたら?」
ユカがニヤリと笑いながら僕に水を向けてきた。
「は? 俺?」
「そうそう。だってルリが『小林くんに触ってほしい』って顔してるもん」
「し、してないよ!」
ルリが慌てて否定するが、頬がほんのり赤くなっている。
「まあ、ちょっとだけなら……」
僕は少し躊躇いながらも、手を伸ばした。
指先が触れた瞬間――
冷たい。確かに冷たい。ユカが言っていた通り、金属のような質感だ。
しかし、なぜか妙な弾力もある。硬いけど、芯はある。不思議な感触だ。
ゆっくりと、輪郭をなぞるように指を滑らせてみる。
根元から先端へ。そして、もう一方の角へ。
「……んっ」
ルリがかすかに身をよじる。
「どした?」
「い、いや……なんでもないよ?」
そう言いながらも、明らかに彼女の耳が赤くなっているのが見える。呼吸も浅くなっている気がする。
「あれー? ルリちゃん、もしかして感じてる?」
ユカが茶化すように言う。
「ばっ……バカなこと言わないでよ!」
「でも、小林くんの触り方、なんか慣れてる感じしない?」
「そんなわけあるか!」
僕は慌てて手を引っ込める。自分でも気づかないうちに、随分熱心に触ってしまっていたことに気づいた。
バスが大きくカーブを曲がる。その遠心力で、一瞬ルリの角が僕の顔に触れそうになる。
ヒヤリとした冷気が頬をかすめた。
「あっぶね……!」
僕が咄嗟に避けたのを見て、ルリが申し訳なさそうな顔をする。
「ごめん! 角、危ないね……」
「いや、大丈夫だよ。でも、確かにちょっと注意が必要かもな」
僕は改めてルリの角を見つめた。朝日に反射して銀色に輝くそれは、確かに存在感がある。
「そういえば、ルリ」
「ん?」
「その角、やっぱり生活に支障あるだろ? 例えば、ヘルメット被れないとか」
「あー……確かに。自転車通学なら必須だもんね。バイクの免許取るときも問題になりそう……」
ルリは自分の角をさすりながら考え込む。
「電車で居眠りしたら、隣の人につき刺さる可能性もあるしな」
「やめてよ! 想像するだけでゾッとする!」
僕の例え話にルリが心底嫌そうな顔をした。
ユカが横で楽しそうに笑っている。
「でも、そんな心配してるってことは、ちゃんとドラゴンとして生きていこうって決めてるんだね?」
ユカの問いに、ルリは少し照れたように微笑んだ。
「まだ、よくわかんないけど……とりあえず、この角ともうまく付き合っていかないとね」
「うんうん! もし不便なことがあったら、私に相談して! アイディア出すよ!」
ユカが意気揚々と言う。
「例えば、頭にカバー被るとか?」
「おいおい、それじゃ余計怪しいだろ……」
僕がツッコむと、バスの中に三人の笑い声が響いた。
次の停留所のアナウンスが流れる。
学校までは、あと少しだ。新しい一日が始まる。
ルリの頭には、確かな変化の象徴が輝いている。
それでも、こうして友人たちと笑い合える日常は、変わらず続いていくのだろう。
僕は、そんなことをぼんやりと考えながら、窓の外を流れる景色を眺めていた。
ルリの角の冷たさが、まだ指先に残っているような気がした。
教室に一歩踏み入れた瞬間、空気が変わった。
「おはよー」
ユカの元気な挨拶が教室内に響く。
それに応じて「おはよう」「おはようございます」とクラスメイトの声が返ってくる。いつもの朝の風景。だが──。
「おい、青木、角生えているぞ」
入り口付近の席に座っていた男子が、目を丸くしてルリの頭を指差した。
「えっ?」
ルリがぎくりと身を硬くする。
「ほんとだ」
「うわ、マジで生えてる」
「リアルドラゴン!?」
瞬く間にクラス中の視線がルリに集中する。好奇と驚き、そして若干の恐怖が入り混じった視線だ。
「やめて見ないでください……」
ルリは縮こまり、両手で角を隠そうとするが、根本がしっかり生えているので隠しきれない。ただでさえ目立つ銀色の角が、朝の光を受けてキラリと光る。まさに「異物」としての存在感を放っていた。
「おい、青木の旦那。何があったんだよ」
俺の隣の席の男子、確かサトウだったか、が興味津々といった顔で聞いてくる。
「旦那って、なんだよ。知らん、朝、起きたら生えていたらしい」
俺はルリを促して自分の席に座らせながら答える。内心、やっぱりこうなるよな……と諦めの境地だ。
「えぇ? 夫婦なんだから、それぐらい分かるだろ?」
別の男子が茶化すように言う。
「なんで結婚している事になっているんだよ」
思わず呆れ声が出た。この学校、なぜか俺とルリをセットで「夫婦」と呼ぶ風潮がある。確かに幼馴染で家も近いし、一緒に登校したり、弁当を交換したりすることもあるけど、別に恋人でもなんでもない。ルリも俺もその誤解にはいつも困惑している。
今はそれどころじゃない。ルリの頭の角だ。
「あぁ、そう言えば、小林。今日の弁当は?」
少し話題を変えようと、ルリが俺に尋ねてきた。さすが、この状況を打破したいという思いは同じらしい。
「えっ、昨日の残り」
「昨日の残りって、何よ」
「えっと確か……焼きそば」
「まさかの焼きそばに白飯?」
「そうだけど」
ルリが信じられないといった顔でこちらを見る。「流石にないわ」と言わんばかりの視線だ。だが、実際、焼きそばと白米の組み合わせは神だと思うんだ。文句を言われる筋合いはないはずだ。
そんな呑気な会話をしていると、
「なぁ、小林、青木」
「なんだ」「なに?」
サトウが真剣な顔で声をかけてきた。
「お前達って、やっぱり夫婦だろ」
「「夫婦じゃない」」
即座に声がハモった。これだけは譲れない。サトウは「ちぇー、つまんねーの」と肩をすくめるだけだ。
そうこうしているうちに、始業のチャイムが鳴り、担任の田中先生が入ってきた。
「おーし、お前ら静かにしろー……って、青木、なんだその頭は」
先生も当然気づき、眉をひそめる。
「起きたら、生えてきたんです」
ルリが蚊の鳴くような声で答える。
「何か新しいファッション?」
「ファッションで角はつけないでしょう!」
「そうなのか、小林」
なぜそこで俺に振る。
「そこで、俺? まぁ……嘘じゃないですよ」
「そうか、大丈夫なのか?」
「多分……」
「じゃあ、いいけど」
「「いいのかよ」」
またしてもルリと俺の声が重なった。あまりにも適当すぎる反応に思わずツッコミを入れてしまった。
「まぁ、後で詳しく聞かせて。何かあったらすぐ言って下さい。じゃ、ホームルーム始めよ」
本当にそれだけ言って、先生は連絡事項の読み上げに入った。呆気に取られる俺たち。
「この先生、本当にゆるいな。優しいし、何でも寛容に見えるけど、めっちゃやる気がないだけじゃないの」
ルリが小声で毒づく。まあ、的を射ているかもしれない。だが、この適当さが今はありがたいような、そうでないような……。
「ルリ」
「何?」
俺は彼女の顔を覗き込み、できるだけ平静を装って忠告する。
「たぶん休み時間に入ったら忙しくなるから、頑張れ」
「はい?」
ルリは一瞬ぽかんとしたが、すぐにその意味を理解して青ざめた。休み時間が始まったら、間違いなくクラスメイトたちからの質問攻めが待っているだろう。
俺は小さくため息をつき、1時間目の数学の教科書を取り出した。ルリは机に突っ伏し、頭の角を押さえている。
(さて、どうしたものか……)
窓の外では、春の陽気が溢れていた。今日の平和な学園生活は、どうやら波乱含みで幕を開けたらしい。少なくとも、ルリにとっては。そして、その渦中に巻き込まれるのは、俺も例外ではないのだろう。なぜか確信があった。
「……頑張れよ、ルリ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声で、俺は呟いた。
イルルは2人目のヒロイン?
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あり
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なし