昼休み。ルリの角が生えたことで、クラス中がまるで有名人を迎えたかのようにザワついていた。普段なら決して話しかけてこないような女子グループが「触ってもいいですかー?」なんて群がってきて、ルリは壁際に追いやられ、弁当の卵焼きすらゆっくり噛めずにいる。
「うぅ……疲れたぁ」
昼食も満足に摂れなかったルリがぐったりと机に突っ伏している。俺が朝作った特製そばめし弁当は半分以上残っている。
「ルリちゃんって、結構羨ましいよね。彼氏から毎日弁当作ってもらって」
斜め前に座ったユカがニヤニヤしながら突っ込んでくる。
「だから、彼氏じゃないって……ただの幼馴染だよぉ」
ルリは力なく否定するが、口元は緩んでいる。角が生えて戸惑っているとはいえ、こうして変わらず話しかけてくれる幼馴染の存在は大きかったんだろう。いつもより柔らかい笑顔だった。
「今日一日で話したことないクラスメイト全員と話したかも……」
「それは良いことじゃない? ルリはもっと人と話した方がいいよ。苦手なのはわかるけど、せっかく高校入学できたんだし」
ユカの的確な指摘にルリはむっと唇を尖らせる。
「嫌だー。めんどくさい」
案の定、拒否反応だ。いつものルリ節に安堵すら覚える。
「そう言えば小林くん、さっきどこに電話してたの? トイレからなかなか戻ってこなかったけど」
ユカが尋ねてくる。
「姉さんのところだよ」
「え? 一人暮らししてるっていうお姉さん? なんでまた?」
「いや、ちょっと聞きたいことがあってね。正確には姉さんじゃないんだけど……」
言葉を濁しつつ弁当箱をしまう。ふと見ると、ユカが首を傾げてルリの角をじっと見つめている。
「そういえばルリ、角以外は特に変化ないの? 体調とか」
「んー、特にないかな。喉がちょっとピリピリするくらい?」
「へぇ〜。なんで角だけ生えてきたんだろ」
ユカが不思議そうに呟く。ルリ自身もその辺りは全く理解していない様子で、「さあ?」と肩を竦めるだけだ。まあ、本人が一番混乱しているだろうから仕方ない。
そんな他愛もない雑談をしているうちにもう昼休み終わりのチャイムが鳴る。結局、ルリはほとんど弁当を食べられなかった。
五時間目は現代文。担当の古賀先生が教科書を開くよう指示するが、ルリは完全にノックアウトされている。朝からの質問攻めで精神的な疲労がピークに達したらしい。腕を枕にして熟睡モードだ。
「青木―! 眠いかぁ!?」
先生の大きな声で一瞬びくっと震えるが、起きる気配はない。
「ふあっ!? すっすいません!」
跳ねるように飛び起きるルリ。顔が真っ赤だ。
「よし。じゃあ続きを読むか。青木、続きからな」
「えっ、えっ? どこ……小林ぃー!」
完全にパニックになったルリが情けない声で助けを求めてくる。俺は小さく溜息をつきながら教科書を指差す。
「28ページの三行目」
「あっありがとうございます!」
ルリは慌てて立ち上がり、教科書を握りしめる。その拍子に銀色の角がガタンと机に当たり、危うく落ちかけた。まったく……落ち着きがない奴だ。先生も呆れた顔で「早く読め」と促す。
「えーっと……はぁ……はぁ……」
明らかに焦ったルリが深呼吸を繰り返す。喉が渇いたのか、咳払いをしている。
「はっくしょん!」
突然のくしゃみ。普通のくしゃみならよかった。だがルリの場合は違った。
「ブァックションッ!!」
派手なくしゃみと共に、ルリの口から赤い閃光が迸ったのだ。
シュボォォォッ!!
「うわあっ!?」
教室中から悲鳴が上がる。机の上の教科書が一瞬で黒焦げになり、最前列に座っていた吉岡の後頭部の毛先がチリチリに焼けた。
「うわっ!? 燃えたっ!?」
吉岡が頭をおさえて叫ぶ。
「え……? な……なにこれ……?」
ルリ自身も何が起きたのか理解できていないようで、自分の手のひらを見つめながら呆然としている。すると突然、ゴホッと激しい咳込み始めた。口元を覆った指の隙間から赤いものが滴る。
「血!?」
どうやら勢いよく炎を吐いたせいで喉の粘膜が焼けたらしい。まるで火傷だ。これはマズい。
「ルリ! 大丈夫か!?」
俺は椅子を蹴倒して駆け寄り、ルリを抱きかかえた。バランスを崩し床にぺたりと座り込んだルリは、虚ろな目で俺を見上げてくる。喉の奥からはヒューヒューと不安な音が漏れている。
「先生! 保健室に連れていきます!」
宣言して即座に動き出す。吉岡のことも気になるが今はルリが最優先だ。
「えっちょ……小林ぃ……」
弱々しい声が背中にかかる。
「いいから! とにかく安静にしろ!」
ルリを半ば引きずるようにして保健室へ向かって全力疾走した。背後では先生の怒号とクラスメイトの騒ぎ声が入り混じっていたが、全部無視だ。とにかく一刻も早く冷やさなくては。
保健室のベッドで濡れタオルで喉を冷やすルリを横目に、俺と養護教諭の伊藤先生はひそひそと話し合っていた。
「青木さんのお母さまには連絡しましたが……」
「はい。姉を通じて叔母に連絡は入れています。きっと驚くでしょうね」
伊藤先生は複雑な表情だ。そりゃそうだ。生徒が炎を吐いて火傷したなんて前代未聞の事件だ。絶対に新聞沙汰にはならないだろうが。
十分ほど待っただろうか。廊下を駆ける足音が徐々に近づき、勢いよく保健室の扉が開いた。
「失礼します! 青木ですが……」
そこに立っていたのは、紺色のパンツスーツ姿の中年女性。ルリの母親ではなく叔母だ。父方の妹さんで、母親がいないルリにとっては唯一の保護者に近い存在である。
「おっ、来た」
「あっ叔母さん……」
ベッドの上で毛布をかぶっていたルリもすぐに気づき、弱々しく手を振る。
「うおっ、ルリに小林君。なにしてんのこんなところで」
叔母さんは息を切らしながらも、いつもの飄々とした口調だ。その切り替えの早さにはむしろ感心する。
「先生とラインのID交換してたのー」
ルリの緊張感ゼロな返答に、叔母さんの眉がぴくりと動く。こいつは病院送りになってもおかしくない状況なのに、なぜそこまで呑気なのか。
「あの……それで娘が炎を吐いたとのことですが……」
叔母さんがちらりと伊藤先生に視線を移す。
「ええ。クラスメイトの髪を焦がしてしまうほどの威力でした」
伊藤先生が慎重に言葉を選ぶ。さすがプロだ。
「遅くなってごめんね。大丈夫だった?」
叔母さんがルリのベッドサイドに近づく。
「大丈夫に見える?」
「見えない。そりゃそうだよね。火を噴いたんだもんね。喉はまだ痛む?」
「うん。すごくヒリヒリする」
ルリは痛そうに舌を出してみせる。見ると確かに炎症していて痛々しい。
「そっか。まだ龍の体じゃないもんね……」
叔母さんの声色が僅かに沈む。ルリが普通の人間ではないということは家族で共有されている秘密なのだろう。
「小林君もありがとうね。ルリのことずっと見ててくれて」
「別に。さっきまで姉さんに電話してましたから」
「お姉さんに? 一体なぜ?」
叔母さんの問いに俺は特に隠すことなく答える。
「そりゃまあ……姉さんのとこにはドラゴンがいますんで」
「ふーん? ドラゴンがねぇ」
叔母さんは特に驚いた様子もなく相槌を打つ。予想通りの反応だ。
「へぇ、ドラゴンかぁ」
ルリが興味津々といった感じで反応する。
だが次の瞬間。
「……え? ドラゴン!?」
ルリの目が見開かれ、声のトーンが数オクターブ跳ね上がった。いまさら気づいたのかよ……。
「はい。ドラゴンです」
俺はサラッと肯定する。
「うわっマジ!? どこどこ!? どんな見た目!?」
「あぁ、そうだな。あえて言えば、メイドかな」
「メイド!? ドラゴンが!? どういうこと!?」
ルリの頭の中で想像が膨らんでいるのが手に取るように分かる。絵的には「巨大な爬虫類がフリフリ付きエプロンを着てる」といった感じだろうか。
一方、叔母さんはといえば――
「ドラゴンがメイドかぁ。面白いね」
この人もまた飄々とコメントする。
「お母さん!! 反応薄過ぎ!」
ルリが我慢しきれなくなったように大声で抗議した。
「だってねぇ。私にとっては『あんな感じ』だし」
そう言ってルリの額を軽く弾く。この人も昔は色々あったんだろう。
「で、なんで姉さんのところに電話したの?」
叔母さんが本題に戻す。
「いやー……ドラゴンのことなら直接聞いたほうが早いかなと思って。結論から言うと、明日の放課後、うちの姉さんと一緒にこっちに来てくれるそうです」
「へぇ~」
「ドラゴンがここに来る!? 危なくないの!?」
ルリが素直に驚愕する。確かに普通の高校生にとっては衝撃的すぎるだろう。
「いやー別に大丈夫じゃないかな」
「でもドラゴンだよ!?」
俺の軽い返答にルリが食い下がる。
「まあまあ。叔母さんが保障してくれるし」
「私は知らんよ~。でも見た感じ安全っぽいし」
叔母さんも責任逃れをするように笑う。
「……そうなんだ」
ルリは納得できない様子で眉を寄せている。
その後しばらく三人で話し込み、帰り支度を始めた。
「じゃあ小林君も一緒に乗ってきなよ。同じマンションなんだし」
叔母さんが自然に提案してくれたので遠慮なく甘えることにした。
「お世話になります~」
「もう~!! この2人はいつもこんな感じなんだから!!」
ルリが頭を抱えて叫び、俺と叔母さんは笑いながら先に駐車場へ向かう。まったく、我が家はドラゴン慣れしすぎてて申し訳ない。
イルルは2人目のヒロイン?
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あり
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なし