月明かりに照らされた公園は昼間と違ってひっそりとしている。昨日と同じベンチに座りながら待っていると、やがて薄い霧の中に赤い影がゆらりと現れた。
「遅かったじゃん」
そう口にするつもりだったのに、言葉が出ない。代わりに見えたのは物陰でぐったりと横たわるイルルだった。マントがはだけ、肩と脚がむき出しになっている。呼吸が荒く、額には汗が滲んでいる。
(まずい!)
咄嗟に駆け寄る俺にイルルは苦しげに目を開ける。その瞳には恐怖の色が浮かんでいた。
「触るな……人間……」
「馬鹿野郎!喋る元気があるなら大丈夫だろ」
慌ててポケットを探り携帯を取り出す俺の手を、イルルの指が弱々しく掴んだ。
「通信……ダメだ……追跡される……」
その言葉だけで状況を察する。敵に追われているのだ。
「医療用具もないのに何ができる」と自己嫌悪に陥りかける俺だが、鞄から出したタオルで彼女の額の汗を拭き始める。体温は高めで脈拍も速い。何か薬を使われた可能性がある。
やがてイルルが小さく呻いた。瞼が震え焦点が定まらないが、徐々に意識を取り戻す。目を開けた彼女が最初に認めたのは俺だったらしい。
「なんで……ここに……」
掠れた声に思わず安堵する自分が情けない。だがそれでも俺は毅然と言い放つ。
「お前が約束守らなきゃ寝覚め悪いだろうが」
イルルは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに口を歪めて嗤う。
「ふん……人間の傲慢さが嫌になる」
その言葉とは裏腹に、彼女の視線はどこか脆い。
落ち着いたところで事情を尋ねると、イルルは観念したように話す。
「屠龍派に見つかって……奴の目的は私の“手柄”になることで、それで逃げて」
つまりこの公園に逃げてきたのは偶発的な幸運だったわけだ。そんな都合の良い展開もまた運命の皮肉と言えるだろう。
治療といっても湿布代わりに冷却スプレーを吹きかけたりするのが精一杯だったが、それでもイルルの顔色は少しずつ良くなっていく。包帯替わりのハンカチで手当をしているうちに彼女がぽつりと呟く。
「小林……お前の“守る”って言葉、なんなんだよ……」
視線をそらしたままのイルルの問いかけ。俺は正直に答えるしかなかった。
「友人だと思ってるからだ。人間もドラゴンも関係ない。目の前で苦しんでるヤツを見捨てられるかよ」
イルルは唇を噛む。拳を握りしめた指の関節が白くなるほど力を込めている。
「私は……生まれた時から敵として刷り込まれてきたんだ……」
声が震えている。おそらく涙腺すらギリギリ堪えているのが伝わってくる。
「悪い人間に村を焼き払われて……家族も皆死んだ……その記憶だけで生き延びて……混沌勢の掟の中で……人間は全て敵だと言われ続けて……」
嗚咽に近い告白。イルルにとって俺のような存在こそが最大の矛盾なのだろう。しかし俺は揺るがない。ドラゴンでもなんでも困っていれば手を差し伸べるだけだ。
「俺は、姉さんのように賢くないし、どう言えば良いのか分からない」
そうしながら、泣いているイルルをそっと抱き締める。
「けれど、良い人間も悪い人間も、良いドラゴンも悪いドラゴンも。色々な考えがあるのが、この世界だ」
そうしながら、イルルの頭を撫でる。
「だから、イルルの考えが全部間違っている訳じゃないから。だから、イルルの気持ちも間違いじゃないから」
「っ」
イルルは、その言葉と共に。
「本当はっ」
同時に、イルルの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。その雫が俺の服に染み込み、暖かさが伝わってくる。
「本当は……本当は私は、分かっていたっ、けどっそれじゃ、私のやってきた事ややろうとした事はっ」
「あぁ」
俺は、ただ、イルルの思いを聞く。
ちょうどその時――ゾクリと背筋に走る寒気。
「ほう?ドラゴンを匿うとは面白い趣味ですね」
霧の中から現れたのは細身の青年だった。
面長で痩せたその姿は妖しさと残忍さを兼ね備えている。彼の瞳は獲物を見つけた獣のように爛々と輝いていた。
「逃げていろルイ。邪魔されるのは御免ですからね」
冷笑と共にイルルを一瞥する男。
そのまま俺の方へと視線を移す。その目には侮蔑と愉悦が入り混じっているのが見て取れる。
「あなたも運が悪い。私に遭遇したら最後ですよ?」
低く嘲笑う声。全身から発せられる魔力の波動が肌を刺すようだ。だが俺は一歩も退かない。
「お前の相手なんかできないよ。ただ……彼女を見逃す気はないみたいだな」
俺の挑発的な態度に男は楽しげに目を細める。
どうするべきか、考えた時。男は俺を狙って来た。その時、俺の目の前に、突然、ルリが現れる。
「なっ」
俺とイルルだけでなく男も驚きを隠せない。
「ルリ!?」
「小林、大丈夫!」
ルリは慌てながら俺を見る。
そしてその後ろには男を見る。
「んっ」
男はすぐにルリを見る。そして、一瞬の驚き。
「貴方、ドラゴンでしたか」
その一言で俺とイルルは気づいた。男がルリに標的を移そうとしている事に。
「逃げるんだ」
俺はルリに逃げるように促す。
「でもっ」
だが、ルリは逃げる事はせず、男を強く睨んでいた。それは、普段のルリの姿ではなく。
「もやもやして、こんな胸糞悪いのを見て」
それと共に、ルリの身体から電流が走る。
少し前に発動したばかりの電気。
だけど、その出力は、これまでよりも遙かに高い。それどころか。
『本当にいい加減にしろぉ!!』
同時に放たれた咆哮は電撃となり男へと一直線に向かう。
閃光。
バチィィンという爆音と共に辺り一面に強烈な光が走り抜ける。視界がホワイトアウトした直後、耳を劈くような轟音と共に衝撃波が辺りを包んだ。
俺もイルルも反射的に顔を覆うが、それすら無駄な抵抗に思えるほどの圧倒的なエネルギーが空間を引き裂いていく。
「おぎゃあああああ!!?」
男の悲鳴が聞こえたような気がしたが、もはやその音すら雷鳴に飲み込まれてしまっている。稲妻が地表を舐め尽くすように走り、その軌跡に沿って火花が飛び散る。
時間が凝縮されているような錯覚。一瞬で永遠の感覚に襲われる中で、唯一確かなものはルリの叫びだった。
『もうっ……許せないっ!!』
その声が天を切り裂くように響き渡った刹那——閃光が収まった。
辺りは煙と土埃に包まれており、俺達は咳き込みながら恐る恐る周囲を見回す。
静寂が戻った。
男の姿はない。正確には……男だったモノが黒焦げの塊となって地面に倒れているだけだ。
「……生きてる?」
誰も答えられない。俺はとりあえずスマホを取り出して救急車を呼ぼうとしたが、画面が真っ暗になる。落雷による停電だろうか?
「って、ルリ!」
思い出したように振り返ると、ルリは膝から崩れ落ちているところだった。イルルも慌てて駆け寄ろうとするが力が入らずその場にへたり込む。
「だ、大丈夫か!?」
二人を支えようと手を伸ばした瞬間——ルリの体から再び弱々しい電気がパチッと弾けた。彼女の意識が遠ざかりつつある証拠だ。
「……電池切れみたいだな」
苦虫を噛み潰したような顔で呟くしかなかった。
イルルもまた電撃の余波に影響されたのかぐったりと目を閉じ始めている。
(結局、この二人とも保護しないといけないのか……)
雷鳴の残響が耳に残る中、俺は重いため息をつきながらベンチに腰を下ろした。
イルルは2人目のヒロイン?
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あり
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なし