エレベーターの扉が開いた先には大展望台の天井部が足場となる、囲いの柵がない開けた空間だった。
この街で幕を閉じるなら絶好の舞台だ・・・。
今しがた通った大展望台の扉が開く。
一家が追いついたようだ。
しかし男と女は目もくれずに進む。
『おい!』
父親が声を掛ける。
歩きながら男は振り返る。
『においは消えたんだ。他の連中もじきに元に戻る。
じゃあな。』
男はそういうと女と一緒になんの躊躇もなく飛び降りようとした。
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男が目を覚ますと、草原の上に立っていた。
女も隣にいる。
キョトンとした顔をして、あたりを見まわしたあとに、男の顔を見る。
その目には戸惑いが浮かんでいるのが見て取れた。
ここは死後の世界なのだろうか?
日差しが強く、服装が黒一色の男の額からは汗がにじんでいた。
時折吹いてくるそよ風が肌を撫でるようで心地よい。
『ここはどこなの?』
女が尋ねてくる。
『分からない。地獄の待合室かもな。』
様々な人間を騙し、傷つけてきたのだ。
まさか天国とは思うまい。
『お前は生きたかったか?』
今度は男が尋ねた。
女は首を振る。
『あんな街で生きたいとは思わない。それにあなたと一緒にいたい・・・。
私はあなたの行く道を例え地獄であってもついていくつもりよ。』
女は男の右腕に回した両腕に力を込めた。
『ここも悪くない場所だ。地獄の案内人が来るまで座ろうか。』
『ええ。』
2人は木陰に座り、遠くの山々を見つめていた。
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その時は突然訪れた。
『おい、元気ですか!?』
背後から声をかけられて女はビクッと身体を震わせる。
男が声の方向へ視線を向けると、筋肉質な男が立っていた。
その男はスーツを着て、赤いマフラーを首から下げていた。
スーツ姿とはいえ、鍛え上げたその肉体のシルエットは間違いなく歴戦の強者と呼べるものであった。
しかし、その男は誰かを思い出すような容姿であった。
子どもの頃にブラウン管テレビの向こうに映る白黒の世界が蘇る。
そこにはリングに立つ2人の半裸の男たちがいた。
熱狂した観客席から飛ぶ声援を受けて立つ男が、2mを超えるであろう大男に立ち向かっていた。
そうだ、彼の名は・・・。
『私はアントィオ・キノキという。』
赤いマフラーの男は名乗った。
どうやら男は彼の知る人物と勘違いしていたらしい。
それもそうだ、あの人がなぜこのような所にいる?
いるはずがない。
ふと隣りの女を見ると、女は目を白黒させてキノキを見ていた。
男の右腕に回した手が震えている。
『あっ、あの!キノキさんにはもしかしてフジナミやババという知り合いがいませんか!?』
女はやや興奮気味に尋ねた。
『・・・お嬢さん、誰かと勘違いしているようだが私は君らの魂を導く案内人だ。初対面に違いないだろう?』
キノキは落ち着いた声で答えた。
女は肩を落とす。
『そう・・・ですか。そうですよね、すみません・・・。』
『何も謝ることはない。人は時に間違いを犯すものだ。
大切なのは、今のお嬢さんのように事実を認め受け入れることだ。君には敬意を表するよ。』
女は顔を背けたが、照れているようだ。
それを見た男は少し怪訝な顔で質問する。
『キノキさん。魂を導く案内人と先程言ったが、我々がこれから行くのは三途の川なのか?その先にある地獄が目標地点なのか?』
キノキは笑みを作る。
『いや、私は地獄の担当者じゃない。君らには新たな生き方を歩んでもらう。ようするに転移する者の案内人だ。』
『転移・・・。我々は死んだのか?』
『それも違う。飛び降りる寸前に君らの魂はここに来た。これは神様の慈愛ではない。なるようになった結果だ。』
男は、曖昧な言い方をするキノキにやや嘆息をもらした。
人の命がかくも簡単に扱われていいものだろうか?
男は人の考えをにおいによって強制的に変えるようなことはした。
だが、命を軽く扱うようなことはしていない。
やがて昭和の街に住む同士と今後も生きていくつもりだったのだ。
決して命を安く見ることはしていない。
『君らにはやってもらいたい事がある。』
キノキは男の顔を見ながら話しだした。
『君らが起こした事件。とある一家の勇気ある行動により、もう少しで解決する所だった。だが、君らが最後の最後で飛び降りようとしたことで、このままでは君らの街の人々・・・ひいては街を救ったであろう一家の心に傷を作ることになってしまう。
君らが犯すであろう罪は君らの手で事前に拭わなければならない。
先程、なるようになった結果と言ったが、君らのツケは君ら自身で払うこともその結果と言える。』
どうやら男と女は再びあの一家と関わりを持たないといけないらしい。
どんな形でツケを払うのか知らないが、正直ウンザリだ。
『キノキさん・・・、彼ら一家とはもう関わるつもりはない。』
男は断ろうとしたが、キノキは即座に返答する。
『君はあの少年に、未来を返そう・・・、などといったそうだが心を傷つけるのが返すべき未来なのか?』
『・・・。』
ぐうの音もでないとはこのことだろう。指摘されて始めてあの少年のその後の生活を想像した。
男は立ち上がる。
『案内を頼めるか?』
キノキは微笑む。
『よろしい。』
男と女の目の前に光る門が現れ、扉が開く。
男は前に進もうとするが、女は男の袖口を引っ張る。
『待って!』
『チャコ・・・、時代は彼らに託した。最後の精算は我々がしなければならない。
この仕事が終わったら・・・そこは地獄かもしれないが、2人で生きていこう。
あの安アパートで暮らした日々のように。』
女の袖口を引っ張る力が緩む。
『ケン・・・。』
『お嬢さん。』
キノキが女に声をかける。
『キノキさん・・・?』
『たった今、思いついた言葉をお嬢さんに送りましょう。』
『・・・?』
『この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道になり、その一足が道となる。
迷わず行けよ 行けばわかるさ。』
『ーッ!!キノキさん、あなたはやっぱり―――』
突如、門から溢れる光に吸い込まれる男と女。
最後に見た赤いマフラーの男は、優しい瞳でこちらを見ていた。
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男は目を覚ますと自分の身体がやけに軽く感じた。
身体が上手く動かせない。
男の目の前にはアスファルトが広がっていた。
それとどこか見慣れた街並みが眼前に広がる。
どうやら男と女が暮らしていた東京に戻ってきたみたいだ。
それにしても身体が軽いのに動かない。
足だけで身体を起こすのは無理だと悟り、手を地面につけて立ち上がろうとする。
しかし、手だと思ったそれは、力なくアスファルトの上に置かれる。
指の感覚もない。
男は自身の手を見やると驚いた。
羽だ。それもこの東京で何度も目にしたことのある色の羽だった。
男は、ハトになっていた。